士道くんが淫行教師と謗られながら精霊をデレさせる話   作:kish

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今日はニチアサに更新です。



灼熱の家庭内暴力(ドメスティックバイオレンス)

 

 

 

 絶えず放たれる熱気で、周囲の景色がぐにゃりと歪む。

 それは己の身から発せられるもので、今の自分が人間ではない事を示している。

 絶えず湧き上がる衝動で、自意識が揺らぐ。

 炎のように己の内で荒れ狂うそれは、自我を侵食する破壊衝動だ。

 呑み込まれたが最後、きっと自分は二度と人間に戻ることができなくなる。

 周囲に破壊を振りまく、文字通りの災害と化すだろう。

 

「く、あ――――」

 

 着崩した和服のような霊装の裾が、羽衣のようにまとわりつく帯が、炎のように揺らめく。

 身の丈に対して巨大に過ぎる戦斧を杖のようにして、五河琴里は灼熱の息を吐き出した。

 焼け石に水程度の効果しかないが、それでも意識を繋ぎ留める為のよすがとなる。

 

「せめて、しーくんたちが離脱するまでは……」

 

 預けてあった力が帰って来ている今、叔父である穂村士道の安全は保障されたものではない。

 炎の精霊の力は、破壊と再生の相反する性質を内包する。

 精霊攻略を開始してから、今日に至るまでの士道の無茶を支えてきたのは、他でもないその再生能力だ。

 それを失っている現状で無茶をされては、如何に来禅の〈不沈艦〉と言えども生存の目は薄い。

 縋りつくように両手で戦斧の柄を掴んだまま、空を見上げる。

 そこには雲以外の姿は見当たらないが、遥か上空には〈ラタトスク機関〉が誇る最新鋭空中艦の〈フラクシナス〉が待機している。

 この熱でダメになってしまうため通信機の類は身に着けていないが、士道や十香の離脱が終わり次第、合図をくれる手筈になっている。

 それまでは何としても、この破壊衝動を抑えなければならない。

 

『お兄さん――穂村士道さんを私にください』

 

「――っ」

 

 苛立ちが炎となって噴出し、周囲の気温をさらに高める。

 あの白い精霊の言動はどうにも癇に障る。

 それでもいつもなら流すところなのだが、この状態だと今一つ感情の抑制が効かない。

 大体、士道に対して馴れ馴れしい態度で接したり、これ見よがしに目の前でくっついたりと、あの精霊(おんな)は一体何を考えているというのか。

 士道も士道で、何度も危険な目に遭っているというのに、緊張感というものに欠けている。

 それとも何か、可愛い女の子にくっつかれて鼻の下を伸ばしていたとでも言うのだろうか。

 自分の叔父の女性遍歴(ほぼゼロ)については母から聞き及んでいるが、どうやらまだまだ訓練が足りないようだ。

 琴里の頭の中で、地獄の訓練メニュ-が組みあがっていく。

 もしその訓練を受ける当人が聞き及んだら、悲鳴を上げることは想像に難くない。

 そもそも、正体不明とされる精霊と一体いつの間に仲良くなったというのか。

 時崎狂三の件といい、一度じっくりと洗いざらい吐かせるべきだろう。

 訓練に加えて尋問も予定に組み込んでおく。

 尋問が詰問、延いては拷問になるかは士道の態度次第だ。

 

「って、こんなこと考えてる場合じゃないわね……」

 

 頭を振って、琴里はつい感情的になりがちな頭の中をリセットした。

 相手がどうであれ、士道も遊んでいるわけじゃない。

 緊張感がないように見えるのも、精霊をデレさせる上で役立つこともあるだろう。

 勿論身内として、自分の叔父が女性とそういう意味で仲良くなっていく様に、思うところがないわけではない。

 それでも琴里は士道の事を信じている。

 彼ならばきっと、ヒーローのように全ての精霊を救ってくれるはずなのだ。

 他でもない自分自身がそうされたように。

 だからこそ〈ラタトスク〉があり、琴里は司令官として配されたのだ。

 学校では淫行教師などというあんまりな呼ばれ方をされることもあるようだが、当面は我慢してもらうしかない。

 有名無実というわけではないが、少なくとも士道の本質からはかけ離れている。

 女性に手を出すだけの甲斐性があったのなら、精霊攻略はもっとスムーズに進んでいただろう。

 もっとも、それならそれでまた別の問題が生まれてくるのだが。

 痴情の縺れで刃傷沙汰程度ならまだいいのだが、相手が精霊なら冗談抜きで士道が消し飛びかねない。

 現状でもその心配がないわけではないのだが、そこはどうにか一線を引こうとしている態度が幸いしている。

 とはいえ今後の事も考えて、士道の女性関係には目を光らせておかなければならない。

 万が一にもありえないが、もし陰でどこの馬の骨とも知れない女と交際していたとして、それが十香や七罪に知れようものなら、霊力の逆流どころの騒ぎではなくなるだろう。

 琴里としても、心穏やかでいられる自信はない。

 逆に、士道が朝帰りの上に嗅ぎ覚えのない女物の香水の匂いを纏わりつかせ、さらにキスマークでも付けてこようものなら、正座をさせて丸一日問い詰める自信があった。

 何にしても仮定の話である。

 訓練であれだけ狼狽えていたというのに、ワンナイトラブをかましてくる度胸などないだろう。

 もし、仮に、億が一、士道とそういう関係になって結婚したいという奇特な者が現れたとして、まずは家族であるこちらに話を通すのが筋というものだ。

 そして厳正なる審査の結果、丁重にお帰り頂くことになるだろう。

 そもそも結婚というのなら、先に約束をしているのはこちらなのだ。

 なので自分が成人するまでは、士道には独り身でいてもらわなければならない。

 

「――なーんて、何考えてるのかしらね」

 

 自嘲的に笑いながら嘆息する。

 そんな幼いころに交わした幼稚な約束など、無効も同然だろう。

 そもそも士道が覚えているかどうかも怪しい。

 たとえ血の繋がりはなくとも、自分たちは家族という絆で結ばれている。

 自分に言い聞かせるよう、何度も繰り返す。

 彼我の間に横たわる溝は、決して容易に越えられるようなものではない。

 それは単純な年齢差だったり、或いは家族という関係性だ。

 長年培ってきたものを覆すのは、一筋縄ではいかないのだ。

 始まりが何であったのかは思い出せない。

 それ程までに琴里の記憶の始まりから、常に士道は傍にいた。

 ともかく幼いころからその種を育み続け、そして五年前、琴里は自分の恋を自覚した。

 それは子供が大人に憧れるような、あまりにも幼い初恋だ。

 それでも、その思いが〈ラタトスク〉に身を置く中で支えになっていたことも事実。

 実らないことは重々承知している。

 そもそも家族に対する恋心など、世間から見たら異常でしかないのだから。

 体から際限なく溢れ出る熱と共に、湧き上がる思いを吐き出す。

 こうも感傷的になってしまうのは、やはり感情の制御が効かないからか。

 

「琴里!」

「――!?」

 

 感傷に染まり切った顔を見られないよう、慌てて俯く。

 幻聴でも幻覚でもなく、離脱したはずの士道が戻ってきたのだ。

 この叔父はのこのこと、また命を捨てに来たとでも言うのか。

 顔を上げた琴里の半眼視を受けて、士道はたじろいだ。

 さっき別れた時と同じく身に着けたスーツはボロボロだが、何故か体の方に傷はない。

 

「と、とりあえず、もう安全だから安心してくれ」

「安全……?」

 

 訝るような視線を向けると、士道は二人の精霊が退いたことを伝えた。

 鵜呑みにしていいかはともかく、あの二人が深手を負っていたのは確かだ。

 引き際を心得ているのなら、逃げ帰るのが妥当なところだ。

 しかしながら、どうしてそれを士道が把握しているのかには疑問が残る。

 それを追求しようとして――――ぐらりと、意識をひっくり返すように視界が揺らぐ。

 

「あ――――」

 

 戦斧を握る手から力が抜け、傾いでいく体が何かに支えられる。

 それが何であるかは考えるまでもない。

 幼い頃から幾度となく、琴里はこの腕に受け止められてきたのだから。

 際限なく熱を放つ体を抱えるどころか抱きしめて、士道は琴里を労わるよう、頭に手を置いた。

 

「もう、帰ろうか」

「……うん」

 

 士道の肩に頭を預けて、琴里は呟くように返事をした。

 この時ばかりは張っていた意地が剥がれ、むき出しの自分が浮かび上がる。

 破壊衝動を和らげるほどの安らぎに包まれていく中、とあるものが目に入る。

 士道の首筋の一点が、変色しているのだ。

 同じ部分に何者かの歯形も付いており、これではまるで誰かがそこに口をつけていたかのような――――

 

「…………ねえ、しーくん」

 

 その痕が何であるかを察して、琴里の内から沸々と更なる熱が湧き上がる。

 それは心の内で荒れ狂う感情の炎であると同時に、霊力が形作る炎でもある。

 まるで炉心のように高まっていく熱に、士道は目を剥いた。

 

「こ、琴里さん? 何だかものすごーく熱いんですが……」

「……一体さっきまで、あの白いのと何をしてたのかしら?」

「それは、まぁ……色々と」

 

 目を逸らしながら言い淀む様は、何かやましいことがあったと白状しているようなものだ。

 するとこの叔父はあれか、こちらの預り知らぬ間に知り合った精霊と、つい先程まで淫らな行為に及んでいたとでも言うのか。

 どうにも考えに飛躍が見られるが、今の琴里は()()冷静ではない。

 瞬間、膨れ上がる怒りが炎となって噴出した。

 その勢いに吹き飛ばされ、士道は焦土の上を転がっていく。

 琴里は地面に突き立った巨大な戦斧――炎の精霊が振るう天使である〈灼爛殲鬼(カマエル)〉を持ち上げ、肩に担ぐ。

 そして、両目に爛々と紅く禍々しい光を宿したまま言い放った。

 

「そこに直りなさい。これで性根を叩きなおしてあげるわ」

「あのー、それでぶっ叩かれたら流石に、痛いじゃ済まない気が……」

「黙れこの淫行教師!」

「酷いっ!」

 

 

 

 

 

「なるほど、私も琴里さんに賛成です。兄様、そこに直りやがってください」

「そこに直ったら死にかねないんですがねぇ!?」

 

 ざっくりと事情を聞いた自称妹が下したジャッジに、士道は悲鳴を上げた。

 こうしている間にも、怒気と共に炎を撒き散らす姪っ子から逃げている最中である。

 その形相は、頭に生えた一対の角も相まってまさに鬼のようであるが、そんな表情も可愛らしいと思ってしまうのは身内の贔屓目だろうか。

 振るわれる炎の刃を転がりながらかわし、或いは随意領域で受け止める。

 そんな士道に対して、低空飛行で追随する自称妹――崇宮真那は、感心を露わにした。

 

「ワイヤリングスーツの補助もなしによくやりやがるもんです。流石は真那の兄様です」

「つってもまともに出来るのはこれぐらいだけどな!」

「ところで、兄様は記憶処理を受けて放逐されやがったと聞いたのですが」

「勿論俺は一般市民だからな! 精霊とかASTとかさっぱりだよっ!」

「まあ、今のところはそういうことにしておきましょう」

 

 士道のあまりにも説得力に欠ける言い分に肩を竦めると、真那の纏う白銀のCR-ユニットの肩部にマウントされたパーツが分離し、左右の手に装着される。

 そこから現れた光の刃を構えると、真那は向きを反転させて琴里へと突っ込んでいった。

 炎と光、刃が交錯して火の粉と魔力光が撒き散らされる。

 

「さて、琴里さん。ここはお互い物騒なものをしまって、続きはそちらの家のリビングでというのはどーです?」

「うっさいっ、あんたには関係ないでしょうが!」

「おっと」

 

 力任せに振りぬかれた刃を、真那は宙に身を躍らせて事も無げに回避した。

 鍔迫り合いからの力負けなのだが、体勢の崩れは微塵もない。

 この身のこなしはやはり、そこらの魔術師とはわけが違う。

 今この時も、精霊と対しているにも関わらず、どこか余裕があるようにも見える。

 しかしながら、本気になっていないという点でいえば琴里も同じだ。

 さっきから身の丈に不釣り合いな大きさの戦斧を振るうだけで、それ以外の攻撃はしてこない。

 もし本当にこちらを仕留める気でいたら、またあの灼熱の砲撃が飛んでくるだろう。

 つまり、今の状態は癇癪を起こしているようなものだ。

 それならばまだ対処のしようがある。

 ボロボロのスーツの懐に手を突っ込んで、士道は真那に呼びかけた。

 

「一撃だけ止めてくれ! その間にどうにか説得してみる!」

「ラジャー!」

 

 再び炎の刃と光の刃が交錯する。

 その隙に士道は琴里に向き直ると、懐から取り出したものを掲げた。

 プラスチックの棒の先に丸いキャンディ……姪っ子の大好きなチュッパチャプスを、士道は最近になって懐に忍ばせるようになったのだ。

 何でかと言うと、それは勿論ご機嫌取りのためである。

 これでどうにか訓練内容に容赦が加えられないだろうかという、ささやかながらも涙ぐましい取り組みでもある。

 ともかく、癇癪を起こした子供を宥めるのならば、やはり好物をチラつかせるのが一番だ。

 実際効果はあったようで、琴里はチュッパチャプスを凝視して動きを止めた。

 勝利を確信した士道は、ゆっくりと包装を解いて中身をさらけ出した。

 定番中のド定番、コーラのフレーバーである。

 

「おおっ、動きが止まりやがりましたね」

「ほーら琴里、いい子にしてたらいいもんやるぞー?」

「う、うううう……」

 

 ワナワナとその身を震えさせながらも、目はチュッパチャプスに吸い寄せられて離れない。

 注意を引くようにゆっくりと左右させると、それに合わせて琴里の視線も動く。

 ここまで来たらもう難しいことは何もない。

 後はゆっくりと刺激しないように近づき、チュッパチャプスを咥えさせた上で、また抱きしめて撫でてやればいいのだ。

 最早勝利は目前である。

 と、そこで士道は棒の部分がいやにヌルヌルしていることに気が付いた。

 次の瞬間――――

 

「あっ」

 

 棒から落ちたキャンディが、ペチャっと湿った音を立てて転がった。

 そしてそのまま、完全に溶けて地面に広がる。

 言うまでもない事だが、現在この付近は非常に気温が高いのだ。

 

「…………」

「…………」

「…………」

 

 その場にいる三人は、揃って言葉を失った。

 しかしその沈黙の意味はそれぞれで違う。

 士道は「やべーやっちまった」と汗を噴き出させながら。

 真那は生き別れの兄に対して呆れを多分に含ませた視線を送りながら。

 そして琴里は、今にも泣きだしそうに顔を歪ませて。

 

「ヤバいぞ真那、ちょっとそこらで新しいの買ってきてくれないか!?」

「兄様はバカでいやがりますか?」

「ぐっ」

 

 自称妹の率直な物言いに、士道は言葉を詰まらせた。

 渾身の策が失敗に終わり、少々テンパっているというのもある。

 空間震警報が発令されている今は、どこの店に入っても避難して人はいない。

 勝手に持ち出せば、それは火事場泥棒というやつだ。

 そもそもそんなことをしても、また溶けて落ちるのは目に見えている。

 そして何より、それを許す時間がない。

 導火線に着いた火は、着実に爆弾に近づきつつある。

 

「――――しーくんの、ばかぁぁあああっ!!」

 

 まるで駄々っ子のような泣き声と共に、その手に持つ天使に変化が訪れる。

 戦斧が大砲へと姿を変え、琴里の右腕に装着されたのだ。

 またあの灼熱の砲撃を放とうとしているのか。

 士道の頬を伝う汗は、例によって膨大な熱気によって蒸発した。

 

「兄様!」

「真那、出来るだけ離れてろ!」

「まさかアレを受け止めやがる気ですか!?」

「残念ながら、〈不沈艦〉ってのは伊達じゃないんだよ!」

 

 随意領域の範囲を狭め、極限まで密度を上げる。

 先程はそうした上で、更に白い精霊の力添えがあって防ぐことが出来た。

 今度はどうだろうか……いや、確実に防がねばならない。

 そうしなければ琴里が正気に戻った時に、誰が抱きしめてやるというのか。

 こちらに向けられた砲身が赤い光を放ち、周囲に撒き散らされた炎や熱が砲門に収束していく

 肌寒さに加えて吐く息が白くなっているのは、恐らくそのためだろう。

 気温の低下――吸熱反応という単語が頭を過ぎる。

 それは化学反応の際に熱を取り込む反応であり、その結果として周囲が冷えるのだ。

 今の状況は丁度、それを思わせた。

 

「ああもう! 〈ムラクモ〉――大盾形態(シールドスタイル)!」

 

 士道の前で二つの白銀のユニットが組み合わさり、盾の形となった。

 それは先程、真那が両手に装着していたものだろう。

 そして士道の隣に降り立つと、真那は喰ってかかる勢いで捲し立てた。

 

「まったく本当に、兄様はバカでいやがりますね!」

「馬鹿はそっちだ。離れてろって言っただろうが!」

「バカと言った方がバカだと相場が決まっていやがります!」

「最初に言ったのはどっちだったかなぁ!?」

 

 まるで小学生のような言い分である。

 しかしこのやり取りにどことなく懐かしさを覚えて、士道はふっと口元を緩めた。

 

「まぁいいか。じゃあ、ちょっと手伝ってくれ」

「はい!」

「とりあえず、(こいつ)は俺が使う。そっちの顕現装置の生成魔力は全部こっちに回してくれ」

「兄様、そのCR-ユニットは――――」

「いいんだよ」

 

 真那が使用している装備は、ASTでは見られないものだ。

 恐らくだが、彼女専用にチューンされているのだろう。

 だけど、そんなことは関係ない。

 使えるものを全て使わねば、あの一撃は受け止められない。

 真那を背後に下がらせると、士道は白銀の盾を構えた。

 赤い光を放つ砲身が、臨界に達して一際強く輝く。

 その先端から放たれたのは、まさに火山の噴火を凝縮したかのような炎熱の奔流だった。

 

「――――っ」

 

 視界が赤く染まり、砲撃の余波が体を炙っていく。

 真那の助力の上、防御用のユニットを使用してもなお、余裕は一欠片もない。

 どろりと、白銀の盾が端からその形を変容させていく。

 あまりの熱に、ユニットを構成している金属が溶け始めたのだ。

 この盾が使い物にならなくなれば、先程のように随意領域だけでこの砲撃を受け止めなければならない。

 口内に広がる血の味を、唾液と共に飲み下す。

 

「兄、様……これ以上は――――」

 

 盾が溶け落ちると間もなく、真那が活動限界を迎えた。

 無理もない……そもそも、精霊の本気の一撃を受け止めるという考え自体が間違いなのだ。

 彼女単独だったら離脱も容易だっただろうに、付き合わせてしまったことを申し訳なく思う。

 背中に一つ守るべきものを背負い込んで、ますます倒れるわけにはいかなくなった。

 履かせてもらった下駄は既に脱げ、今や自分の身一つでどうにかするしかない。

 脳にかかる尋常でない負荷――あちこちの毛細血管が破れ、目や鼻から血が伝う。

 活動限界の兆候……もう今日だけで何度目だろうか。

 数えたくもないが、もし一日でどれだけ活動限界を迎えたかを競う、訳の分からないランキングがあったなら、堂々の一位に表彰されるだろう。

 

「――上等だ」

 

 その上で、士道は唇の端を吊り上げて笑った。

 これぐらい切り抜けられないで、どうしてヒーローを名乗れるというのか。

 癇癪ぐらい受け止められないで、どうして駄々っ子を宥められるというのか。

 視界を埋め尽くす赤がようやく途切れ、大砲を構えた姪っ子の姿が見えてくる。

 よろよろと覚束ない足取りで、それでも確かに前へと踏み出す。

 この聞かん坊は一度叱ってやらねばならない。

 そして抱きしめた上で、可愛がりの刑に処すのだ。

 そうして今度こそ、日常に帰るのだ。

 

「――灰燼と化せ、〈灼爛殲鬼(カマエル)〉」

 

 そんな士道のささやかな望みは、冷たく感情のこもらない声で遮られた。

 琴里の構える砲に、再び炎熱が収束していく。

 しかし、間隙のない第二射よりも士道の心を寒からしめたのは、その表情だった。

 紅玉の瞳に禍々しい光を湛え、その双眸を、口元を、冷たく歪ませ嗤う。

 普段とは明らかに違う様子に、自分を灼き尽くそうとする一撃が放たれようとしているのすら忘れて、呆然と立ち尽くす。

 秘密組織の司令官として高圧的な態度を取ろうと、精霊となってその力を振るおうと、琴里はやはり琴里だった。

 しかし今は、全くの別人としか感じられなかった。

 まるで中身が、別の何かに変わってしまったかのような……

 それを確かめる暇は与えられない。

 赤い光が輝き、〈灼爛殲鬼(カマエル)〉の砲門から再び炎熱の奔流が――――

 

「おイタはそ・こ・ま・で」

 

 ――――放たれる直前に、ポンッとコミカルな音を立てて砲身はその姿を変えた。

 全体的なフォルムは筒状で間違いないのだが、何というか市販されている打ち上げ花火みたいになっている。

 何事かと固まる士道に向けて、ぽひゅっと玉が放たれた。

 バチバチと色とりどりの火が散る様は、そのまんま花火だった。

 あの砲撃とは比べ物にならないくらいささやかだが、それでも熱いことには変わりない。

 自分の体に着弾して炸裂した花火に、士道は飛び上がった。

 

「あちっ、あちちっ」

「あははは、たーまやー!」

「な、七罪なのか!?」

「はぁい、士道くん」

 

 見上げる空に、艶やかな長い髪を靡かせて箒にまたがる美女の姿があった。

 先端の折れた三角錐のつばの広い帽子に、夜空の黒を夕空の橙が縁取るマント。

 すらりと伸びた手足におとぎ話に出てくる魔女のような霊装を纏い、精霊・七罪はエメラルドの双眸を愉快そうに歪めた。

 

「士道くんがピンチだって聞いて、いても立ってもいられなくなっちゃった」

「すまん、不甲斐ない所見せちゃったな……」

 

 七罪の口ぶりは軽いものだが、彼女がこの姿になっていることを考えれば、かなり不安な思いをさせていたことになる。

 天使の力で姿を変えているが、本来の彼女はもう少しちっこくて、もう少しネガティブなのだ。

 それなのにこの場に来てくれたという事実は、ちょっとした感動をもたらした。

 地上に降り立つと、七罪は悪戯っぽく笑い、士道の鼻先を人差し指で軽く押した。

 

「ほら、挽回の機会を上げるから、騎士(ナイト)様のカッコいい所、見せてくれる?」

「じゃあ、あの駄々っ子を宥めるために飴が欲しい。いけるか?」

「飴……ああ、そういうことね。なら、()を降らせるわ――〈贋造魔女(ハニエル)〉!」

 

 七罪が手に持った箒――〈贋造魔女(ハニエル)〉の柄を地面に突き立てる。

 解放された霊力によって焦土が抉り取られ、土砂が空へ舞い上がった。

 精霊が行使する権能を顕す絶対の矛――天使。

 彼女が振るう〈贋造魔女(ハニエル)〉は、あらゆる物の姿形を変えてしまう変身能力を誇る。

 空に向けたその先端から放たれた光が、巻き上げられた土砂を照らし出す。

 すると次の瞬間、光を浴びた土砂は棒付きキャンディとなって降り注いだ。

 飴の雨である。

 変化させられた自分の天使への戸惑いか、それとも降って来る自分の好物に対してか。

 琴里は一度身を震わせると、その動きを止めた。

 

「琴里っ!」

 

 士道は降って来るチュッパチャプスを一つ掴み取ると、駆けだした。

 タイミングよく、砲撃の準備のおかげでこの周囲は冷えている。

 これならば先程のように溶けて落ちることはない。

 その包装を解き、しかし念のために、溶け出さないよう随意領域のコーティングを施す。

 姪っ子の口に届くまでは、何としても死守しなければならない。

 

「――っ」

 

 迎撃に放たれる炎を躱し、或いはその身に受け、それでも士道は止まらない。

 焦げた体など後でどうとでもなるが、琴里は今引き戻さないと戻って来られなくなる。

 そんな確信が胸の内にあった。

 七罪の変化が解け、姿を戻した戦斧の一振りを掻い潜り、姪っ子に肉迫する。

 

「もういい加減、今日は帰るぞ……っ!」

 

 そして今度こそコーラ味のチュッパチャプスを、その口に咥えさせるのだった。

 

「――――う、あ…………しー、くん?」

「ったく、この不良娘が」

「……ごめんなさい」

「いいよ、お前が無事なら」

 

 抱きしめて、わしゃわしゃとその頭を撫でてやる。

 このやり取りに、状況に既視感を覚える。

 そう、あの時も自分は体を焦がしながら、泣きじゃくる琴里を抱きしめて――――

 

「あ――――」

 

 しかし、その覚えのないはずの記憶をせき止めるように、頭に痛みが走る。

 そうでなくとも活動限界の寸前だった士道は、そのまま崩れ落ちた。

 

「しーくん……? しーくん、しーくん!」

 

 自分の名前を呼ぶ声がしたが、それが現実のものか、記憶からのものか判別がつかない。

 そのまま、士道の意識は闇に呑まれていった。

 

 

 

 

 

「ぬ、これは……」

 

 夜刀神十香は空を見上げた。

 夜色の髪に紫水晶の瞳、暴力めいた美貌の少女である。

 その身に纏うのは都立来禅高校の制服だが、その端々は光の膜で覆われている。

 これは限定的ながらも霊装を顕現させた姿であり、同時に彼女が人間ではないことを示している。

 霊装とは精霊が纏う鎧に他ならない。

 今は故あって人間社会に身を置いているが、十香は特殊災害指定生命体……精霊と呼ばれる存在なのだ。

 視線の向く先の空は先程まで、立ち上る炎によって赤く染められていたはずなのだが、今は元の青空に戻っている。

 その変化に何らかの状況が決したのだと、十香の直感が告げていた。

 

「くっ…………」

「おとなしくしていろ。これ以上は命に関わるぞ」

 

 十香の足元に這い蹲るのは、髪を肩口で切り揃えた少女である。

 彼女の名は鳶一折紙……精霊の討滅を目的とするASTの魔術師であり、来禅高校の二年四組に在籍する十香のクラスメイトでもある。

 常日頃の無表情は消え、その顔には怒りや憎悪といった感情が表れていた。

 十香は彼女に対して良い感情を持っていない。

 今日みたいに刃を交えた事は一度ではないし、戦場以外の部分でも気に入らない点は多々ある。

 それでも、その命が失われるのをみすみす見過ごすことはしない。

 勿論それは当然、目の前の気に食わない相手のためでは決してない。

 

「精霊……許さない、絶対に…………!」

「貴様が私を憎もうと恨もうと構わない。……だが、シドーを悲しませるようなことはするな」

 

 そう、十香は他でもない士道のために、炎熱の渦中へと飛び込もうとする折紙を止めたのだ。

 その際に実力行使になってしまったのは、仕方のない事だろう。

 凄まじい執念を見せる折紙を止めるためには、十香も自身の天使を振るうしかなかった。

 言っても分からないのなら、ぶん殴るしかないのだ。

 十香としては暴力はあまり好まないのだが、かといって他の方法は思い浮かばなかった。

 

「父さん……母、さん――――」

 

 折紙が気を失ったのを見届けると、十香はその場に膝をついた。

 決定打を受けてはいないが、手傷は少なからずある。

 容赦なく攻撃を仕掛けてくる相手に対して、命を奪わないように対応するというのは存外難しいのだ。

 万全の状態ならば相手の攻撃などものともしないのだが、それは言っても詮無きことだ。

 霊力を封じられようとも、十香は士道がいて、学校にも通える今の暮らしが気に入っている。

 戦いの気配は去ったが、士道は無事だろうか。

 

『――――十香、無事かい?』

 

 十香の耳に嵌まったいんかむとやらから、聞き覚えのある声が発せられた。

 この眠たげな声は村雨令音のものだ。

 人間社会の常識に疎い十香に、あれこれと世話を焼いてくれる者の一人である。

 学校でも顔を合わせるので、士道を除けば彼女と接する機会が一番多いだろう。

 

「令音か。私は大事無い。シドーはどうなった?」

『……彼なら命に別状はないよ。たった今、〈フラクシナス〉で回収したところだ』

「そうか」

 

 胸を撫で下ろし、自身の天使――〈鏖殺公(サンダルフォン)〉を杖に立ち上がる。

 そういう事ならば、この場に留まる必要もない。

 と、そこで十香は自分が学校をサボ……ではなく、途中で抜け出してきたことを思い出した。

 状況が決して士道が無事だというのならば、ここは戻るべきだろうか。

 元々は体調不良で早退したという士道の身を案じての行動である。

 実際には体調不良でもなんでもなく、他の女と逢引(デート)をしていたわけなのだが……

 その事を考えると、特に士道が自分以外の誰かにキスをしたのかと考えると、どうしようもなく胸がモヤモヤしてくる。

 十香は一刻も早くその事について追及し、あわよくばキスをしてもらいたい衝動に駆られた。

 だが今からでも学校に戻れば士道に褒めてもらえて、しかも頭を撫でてもらえるかもしれない。

 どちらも非常に魅力的である。

 仮に、一方に美味しい料理が付いてくるというなら、迷わずそちらを選ぶのだが。

 板挟みにあい、むぅと唸り声を上げる。

 

『……空間震警報で皆避難している。君は〈フラクシナス〉に来るといい。傷の手当てもしなくてはならないからね』

「おお、そうだったか!」

 

 令音の提案に、板挟みから脱した十香は顔を輝かせた。

 避難しているということは、学校の皆は地下のシェルタァにいるのだろう。

 となれば、午後の授業も中断しているに違いない。

 それにこの傷では、タマちゃん先生やクラスメイトの亜衣麻衣美衣、ついでに殿町も驚かせてしまうかもしれない。

 士道の言った通りこの世界は概ね平和で、闘争に関わりのない者の方が多いのだ。

 いたずらに皆に不安や心配を与えるのは、十香の望むところではない。

 今はこの傷の手当てをして、そして士道とキスをするのだ。

 いつの間にやらキスが決定事項になっているが、頭はすっかりポワポワである。

 

「ゆる、さない…………」

 

 そんな十香を現実に引き戻したのは、足元で気を失ったまま呻く折紙だった。

 いけ好かない相手ではあるが、流石にこのまま放置していくのは気が咎めた。

 気を失うまで叩きのめしたのは自分であるという自覚も、それに拍車をかける。

 どこかシェルタァまで送り届けるべきだろうか。

 どうしたものかと唸る十香の耳に、令音の声が届く。

 

『……鳶一折紙ならそのままでも問題ないよ。ASTがそちらに向かっている』

「む、奴らが来るのか……」

 

 ASTと言えば折紙が所属する部隊であり、十香のような精霊に攻撃を仕掛けてくる者達だ。

 足元に転がる気に食わない女と同様に、良い印象はない。

 見つかると面倒なことになるのは分かり切っている。

 十香は顔を顰めると、令音に自分を〈フラクシナス〉に回収するよう頼んだ。

 すると間もなく、体が浮遊感に包まれる。

 いまだに慣れない感覚――初めて体験した時は驚きを露わにしたものだ。

 目の前の景色が切り替わる直前、倒れた折紙の口から言葉が漏れる。

 

「〈イフ、リート〉…………」

 

 その名に聞き覚えはないが、自分とは別の精霊だろうか。

 十香自身も、士道に名前を貰う前は訳も分からぬまま〈プリンセス〉と呼ばれていた。

 いけ好かないし、気に食わないし、はっきり言って嫌いな相手だが、折紙の士道に対する執着には時折気圧されることもある。

 そんな彼女が執着する精霊とは、一体どのような存在なのだろうか。

 それが少しだけ、気になった。

 

 

 

 

 

「あー……またここか」

 

 目を覚ました士道の前に広がるのは、一面の白い世界である。

 果ても境界も曖昧な、明らかに現実感に乏しいこの空間には覚えがある。

 ここは自分の中の世界――いわば夢のようなものだ。

 しかし、以前に訪れた時にここで何をしたのだとか、そもそもどうして来ることになったのだとか、その辺りはどうもはっきりとしない。

 ただ、何か自分の存在を揺るがすような、そんな事が起こったことだけは何となく覚えている。

 やはり前後の記憶はあやふやで、今回は一体何が起こるというのか。

 今日はとにかくイベントが立て続けだったような気がする。

 夢の中とはいえ、これ以上の厄介事は勘弁願いたい。

 気分的にはもう休みたいので、士道はそのまま寝転がった。

 ここで寝たら現実で目覚めてしまうかもしれないが、何でもいいから眠りたい気分だった。

 しかし眠気は一向にやってこない。

 ゴロゴロと寝返りを打ってみても、深呼吸してみても眠気は訪れない。

 半ばやけくそになって目を閉じたままでいると、ふと誰かの気配を感じる。

 薄らと目を開けてみると、白いはずの世界が葡萄色に染まっていた。

 正確に言うのなら染まっていたと言うより、目の前に葡萄色の薄いベールのようなものが広がっている、と表現した方が正しい。

 それで視界が赤ワインみたいになっているのだ。

 よく見るとそれはベールのような布でもなく、さらさらとした糸の集合体のようだ。

 触ろうとして手を伸ばしてみるが、実体はないのかすり抜けるだけだった。

 

「……何だこりゃ?」

「なんだろうね?」

「うおあっ!」

 

 自分以外の声に、士道は思わず飛び上がった。

 この場には自分一人しかいないと思っていただけに、驚きもまた大きかった。

 そこにいたのは奇妙な少女だった。

 葡萄色の髪に、白い肌――ミニハットを頭に乗せたその出で立ちは、さながら道化師(クラウン)奇術師(マジシャン)か。

 それだけでも日常においては奇妙に映る服装なのだが、少女は更に自分の手足を包帯や鎖付きの拘束具であしらっていた。

 何を思ってか目元まで包帯で塞いでいるのは、どう考えてもやりすぎだろう。

 これでどうやって前を見ているのかは疑問だが、それでも視界に不自由をしているわけではないらしい。

 少女は自身の長い髪を両手に持って広げていた。

 どうやらそれが、寝転がっていた士道の目の前を葡萄色に染めていたようだ。

 しかしながら、何故そんなことをしているのかという疑問は残る。

 訝る視線を向けると、少女は首を傾げた。

 

「……何してんの?」

「なんだろうね?」

「いやそれ二回目」

「大事なことだからね、繰り返してみただけさ?」

「何で疑問形? というか煙に巻こうとしているように聞こえるんだけど、気のせいかな?」

「もしくは天丼というやつかな?」

「よし、とりあえず適当なことを言ってるのだけはわかった」

 

 士道は胡散臭いものを見るように目を細めた。

 怪しい格好をした正体の知れない存在が胡乱な発言を繰り返せば、この半眼視も仕方がない。

 その視線に肩を竦めると、少女はくつくつと口元に指を当てて笑った。

 

「失礼、こんな所で呑気に寝転がっているものだから、つい悪戯心がね」

「……で、君は?」

「おや、もう忘れてしまったのかい? 昨夜はあんなにも愛し合ったというのに」

 

 その言葉に士道は固まった。

 前後の記憶があやふやなので、きっぱりと否定することができないのだ。

 例によってよく思い出せないが、以前に酒に飲まれて盛大にやらかした実感だけは残っていた。

 嫌な汗が流れだし、バクバクと心臓が騒ぎ出す。

 手足の震えは止まらず――そこでふと、士道はこの状況に既視感を覚えた。

 

「ちょっと待て、前もこんなやりとりしなかったか?」

「おや、ようやく自分のことを思い出してくれたのかな?」

「……ああ、思い出した。前にとんでもない冗談をカマしてくれたことも、バッチリ思い出した」

 

 再びその場に寝転んで、士道は盛大にため息を吐いた。

 そう、彼女とは前にもこの世界で顔を合わせているのだ。

 その時は幽霊などと名乗って結局正体はわからなかったのだが、今回も何だか透けているので、それで押し通すつもりだろうか。

 ここは謂わば自分の頭の中の世界であり、そんな場所に現れるのだから、彼女はやはり自分で生み出した妄想の産物なのか。

 そんな考えが頭を過ぎるが、こんな自我がありそうな妄想を生み出せるほど、イマジネーション豊かになった覚えはない。

 キャラクターを創作するのは、どこぞの漫画家に任せておけばいいのだ。

 奴ならば産みの苦しみとかのたまって一杯やりつつ、いい感じの登場人物を生み出すだろう。

 

「とりあえず、ああいうタチの悪い冗談は勘弁してくれ。いや、マジで」

「やはり、何かそういう心当たりがあるのかな?」

「ほっとけ!」

 

 目元は包帯に覆われているが、口元は笑みで歪んでいる。

 どうやらこちらの反応を面白がっているらしい。

 何でも三〇年単位の箱入り生活らしいので、娯楽には飢えているのだろう。

 体を起こして頭を掻くと、士道は改めて少女に目を向けた。

 夢の中といえども、しかもこんな得体の知れない相手とはいえども、コミュニケーションの第一歩は決まっているのだ。

 

「それで幽霊さん、出来れば君の名前を知りたいんだけど」

「おや、まさか自分のような道化にまで興味を持つとは。あなたも相当の好き者だね」

「やめて、人を女子生徒と見れば誰彼構わず声をかける淫行教師みたいに言うのはやめて」

「そこまで言ったつもりはないんだけれどね。どうも自覚があるようだ」

「もうほっといて!」

 

 悲痛な声を上げる士道に、少女は腹を抱えて笑った。

 そして一頻り笑うと、大仰な身振り手振りで恭しく頭を下げる。

 

「これはこれは、自己紹介が遅れました。自分は蓮……故あって自由を奪われた、哀れな道化に御座います」

 

 芝居がかった口調だが、何かこだわりがあるのだろう。

 双子のハリケーンの片割れを思い出しながら、士道は額に汗を滲ませた。

 自分もそういう病気に罹っていた時期があるので、触れるのは躊躇われた。

 下手をしたら古傷を抉りかねないのだ。

 

「この道化を哀れに思うのならば、慈悲をくださるのならば、どうかあなた様のお名前をお聞かせ頂きたく」

「穂村士道。まぁ、故あって秘密組織で色々やってる高校教師だ」

「穂村、士道……成程、どうにかあの人に誤魔化されたらしい」

「あの人?」

「いいや、あなたが気にすることじゃないよ。少なくとも今はね」

 

 どうにも意味深だが、それ以上追求する気は起きなかった。

 これは無意識の防衛本能だ。

 記憶にはなくとも、自分の存在が揺るがされる衝撃は精神に刻み込まれているのだ。

 

「とりあえず、あなたのことは愚弟と呼んでもいいかな?」

「クソ姉貴なら間に合ってます」

 

 何故か姉ポジションに収まろうとする少女に対して、士道は真顔で答えるのだった。

 

 

 




というわけで次回に続く。

今回で名前の出たあの子のちゃんとした出番はもっと後です。
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