士道くんが淫行教師と謗られながら精霊をデレさせる話   作:kish

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今回は土曜の夕方枠で更新します。
いつもより短めです。


姉を名乗る不審者

 

 

 

 穂村士道が自分の家族、というよりも自分自身の境遇が少しばかり特殊であると気づいたのは、小学生の時だった。

 勿論、家族という関係の形は、その家庭によって様々だ。

 婚姻や血縁関係を中心としたものが一般的になるだろうが、世の中には想像を絶するほど複雑な家庭環境というものも存在する。

 しかし十に届くかどうかの子供の中にそんな理屈は存在せず、ただ自分たちが普通の家族であると信じて疑っていなかった。

 したがって、その『普通』の食い違いは必然だった。

 始まりはクラスメイトの何の悪意もない、ただ無邪気な疑問だった。

 

『あれ、穂村の姉ちゃんってそんなに年が離れてるの?』

 

 その日の授業参観は、用事で来ることのできない母に代わり、姉が顔を出していた。

 既に成人しているとはいえ、小学生の親にしては若すぎる容姿が注目を集めたのだろう。

 授業参観が終わり保護者たちが帰った後の教室は、士道の姉の話題で持ちきりだった。

 クラスメイトが、自分の姉に興味を向けているのが気恥ずかしいやら誇らしいやらで、とにかく落ち着かなかったことは覚えている。

 しかし、そんな中で発せられた一つの疑問の意味が、士道には理解することができなかった。

 何故なら、自己認識が始まった時から姉は姉で、それが当たり前だったからだ。

 だからどれほど年が離れていようと、それは『普通』でしかなかったのだ。

 だが、他のクラスメイトにとっての『普通』は違った。

 血の繋がりのない、年の離れた父母、そして姉。

 士道が自分の家族について話すたび、周囲との食い違いは大きくなっていく。

 そして、決定的な言葉が誰かの口から零れ出た。

 

『へぇ、じゃあ穂村って()()()()()()()()()()んだな』

 

 繰り返し言うが、その言葉に悪意はなかった。

 少々配慮に欠けるものの、子供が発した無邪気な感想だ。

 ただそれは士道にとって、自分の始まりにあるものを突きつける言葉だった。

 暖かな手の感触と、それが遠ざかっていく寂しさ。

 生まれて間もなく覚えた孤独は、心の底に拭いようがない絶望と諦念として刻まれていたのだ。

 激昂した士道はその日、生まれて初めて人を殴った。

 それから学校に行かず、部屋に閉じこもる日々が続いた。

 家族に反発し、手を焼いた父母は時間を置くことで沈静化を試みたのか、過度な干渉は控えるようになった。

 そんな中でも変わらずに接してきたのは、姉の遥子だった。

 しかし士道の反応は普段通りとはいかない。

 いつものささやかな抵抗は、この時ばかりは明確な拒絶となった。

 

『もうかまうなよっ、本当の家族でもないくせに!』

 

 それは大人になった現在でも、記憶の中で存在を主張する苦い思い出だ。

 当時の事を思い出すと、今でも苦々しい思いと共に悲しげに顔を曇らせる姉の姿が蘇る。

 いつも勝気な表情を浮かべるその顔が歪む様は、幼い士道の心に多大な衝撃を与えた。

 その時まで、彼は姉という存在にどこか幻想を抱いていたのだ。

 とはいえそれは特別なものではなく、子供が大人に抱く普遍的なものだ。

 子供にとって大人とは、どこまでも強い存在なのだ。

 だからその時、姉が見せた弱さは士道の認識を確かに揺るがした。

 大人であっても、どんなに強く見えようと同じ人間であり、また同じように傷つくのだ、と。

 だけど一度吐いた言葉は取り消せない。

 後悔の念に囚われた士道は、その場から逃げ出してしまった。

 それから家に戻ることが出来ないまま晩秋の雨の中を彷徨い、昼を過ぎ、市内の外縁部に位置する高台の公園に辿りついた時には、既に日が落ちる時刻になっていた。

 そこに足を向けた理由は特にはない。

 ただ、以前姉に手を引かれて連れてこられた際の記憶が過ぎっただけだ。

 当然というべきか、天気が悪い中、わざわざ公園を訪れる者はいない。

 今ここに、ただ二人の例外を除いては。

 

『こんな雨の中で何やってるのよ、この愚弟。濡れ鼠じゃない』

 

 公園には先客――姉の遥子がいた。

 愚弟などと呼ばれたのはこれが初めてだったが、言葉に対して声音が優しくて、士道は泣きそうになった。

 こちらを濡れ鼠と指摘した割に、自分もずぶ濡れだった。

 こんな雨の中、一体傘も差さずに何をやっていたのだろうか。

 涙を堪えるように憎まれ口を叩いた士道に、遥子はいつも通りの勝気な笑顔を浮かべた。

 

『いいでしょ? 水も滴るいい女ってやつよ。これでたっくんもまた惚れ直しちゃうわね』

 

 そう、いつも通りなのだ。

 しかしその下にある弱さを見てしまった士道は、姉の顔を直視することができない。

 俯いたまま、自分の足元に視線を彷徨わせる。

 長く雨に打ち付けられ、最早その冷たささえわからない。

 冷え切った体に、同じく冷え切った手が触れる。

 顔を上げるその前に、士道は柔らかい感触に包まれていた。

 やはり同じく冷え切ったその体からはしかし、暖かな鼓動が伝わってくる。

 どうして、と震える声が漏れた。

 

『そんなの決まってるでしょ? だってあんたは――――』

 

 冷たい雨が上がる。

 雲の裂け目から差し込んだ夕日が、街並みを照らし出す。

 他者の体の芯から伝わる熱が、冷え切った体を暖めていく。

 この日見た夕暮れの景色は、時を経た今でもなお、士道の脳裏に焼きついて離れない。

 以降、高台の公園はふとした時に足が向く、お気に入りの場所になった。

 

 

 

 

 

「――――って、待て待て待てっ、ちょっと待って!?」

 

 果ても境界も曖昧な白い空間の中で、士道は悲鳴じみた叫び声を上げた。

 浮かび上がるように現れた映像を隠すように、両手を広げてこの場にいるもう一人の前に立ちはだかる。

 自分でも把握しきれていないのだが、ここはどうやら夢に類する世界であるらしい。

 その夢が誰のものかというと、それは士道のものである。

 そして夢とはいわば、記憶の世界。

 つまり、現在この場に浮かび上がっている映像は、自分の過去に他ならない。

 そんなもの、しかも少々やさぐれていた時の記憶が上映されていれば、それはもう悲鳴を上げて遮るしかなくなる。

 それに対して、この場にいるもう一人は抗議の声を上げた。

 

「ちょっと、そこに立たれたら見えないじゃないか」

「むしろ見ないでっ!! というかなんでこんな上映会になってんの!?」

「ここは少し殺風景にすぎるからね。無聊を慰める娯楽の一つでも欲しいじゃないか」

「人の過去を娯楽にしないでくれませんかねぇっ!?」

 

 士道に抗議を返されて、蓮と名乗った少女は大仰に肩を竦めた。

 葡萄色の髪にミニハットを乗せた、道化か奇術師といった格好の少女だ。

 それだけでも奇妙と呼ぶには十分な風体なのだが、彼女はその白い肌を更に包帯や鎖付きの拘束具で装飾していた。

 目元すら包帯で覆われているが、見えないと抗議してきたので視界は確保できているらしい。

 しかしそれがどういう理屈によるものなのかは、さっぱり分からない。

 そもそも自己申告の上では幽霊であり、実際に透けていて触ることもできないので、こちらの常識に当てはめようという考え自体が間違いなのかもしれない。

 この少女が纏う雰囲気も含めて、そこら辺の具合は精霊と少し似ている。

 彼女らもまた、人間の常識では計れない存在である。

 士道はそんな精霊たちとコミュニケーションを取り、あわよくば唇を奪おうと画策する淫行教師……ではなくエージェントなのだ。

 そこには勿論、邪な意図など微塵もないのだが、それが周囲に今一つ伝わらないのが、最近士道を悩ませる頭痛の原因の一つだった。

 まぁ、それは秘密組織としての活動なので、大っぴらに出来ないという事情があるのだが。

 教室で受ける痛々しい視線は、解くことのできない誤解が重なった結果なのだ。

 というか一般人に、精霊やそれを篭絡しようとする秘密組織について正直に話したところで、信じてもらえるかどうかは甚だ怪しい。

 それだけ荒唐無稽な話だという自覚は、士道にもあるのだ。

 もし、精霊を無力化するためにデートしてデレさせてキスしてます、などと馬鹿正直に話したら最後、社会的に死ぬ未来しか見えない。

 なので現状は、淫行教師の謗りを涙を飲んで耐えるほかない。

 沈痛な面持ちの士道を他所に、少女は何とも愉快な様子で続きを催促してきた。

 

「さ、じゃあ続きを見るとしよう」

「じゃあじゃなくてさ、もう勘弁してもらいたいんだけど……いや、本当に」

「とは言っても、ここはあなたの記憶の世界のようだ。浮かび上がっている映像も、そちらの認識によるものだろうね。何か、今の記憶に関連することを思い浮かべたんじゃないのかい?」

「認識、記憶……」

 

 夢や記憶のメカニズムに関して、専門家でもない士道は大した知識を持ち合わせていない。

 なので推測の上に推測を重ねるしかないのだが、どうも思い浮かべた記憶がオンエアされているらしい。

 そんな覚えは、あるといえばある。

 確かに映像が浮かび上がる前に、士道はあのクソ姉貴の事を考えていた。

 それもこれも、目の前の少女が『愚弟』などと口にしたせいなのだが。

 士道が抗議混じりの視線を向けると、少女――蓮はいつぞやと同じように首を傾げた。

 

「もしかして、自分の顔に何かついているのかな?」

「そりゃまあ、包帯がグルグルと」

「これは自分ではどうにもならなくてね。あなたが外してくれるのなら望むところだけれど、この場ではどうも無理そうだ」

 

 彼女が何者であるかはともかく、幽霊を自称するだけあって触れることすらできない。

 なので、士道がその目元を覆う包帯を取るのは不可能なのだが、自分でも取れないとは一体どういう事なのだろうか。

 それともまさか、何らかの封印だとでも言うのだろうか。

 頭の中に設定やら中二病やら、そんな言葉が過ぎる。

 すかさず士道は自分の舌を噛んで、黒歴史が這い出して来るのを阻止した。

 下手に考えようものなら、またオンエアされかねない。

 もしそうなったら悶死は必至である。

 まだ背後では上映が続いているので、そちらもどうにかしなければならない。

 それはこちらの認識次第とのことなので、他の何かを強く意識したら、背後の映像は取り合えず消えてくれるだろうか。

 そこで士道は目の前の少女に集中した。

 彼女との付き合いはこの世界だけなので、妙な記憶が上映されることはないだろう。

 

「…………」

「ふふ……そんなに情熱的に見つめられると、流石に少し恥ずかしいな」

「――――ふんっ」

 

 照れた様子で頬を染めて見せた蓮の姿に、士道は思いっきり地面に頭を打ち付けた。

 相手は顔すらまともに確認できない、実に得体の知れない存在である。

 ましてや実在するかどうかも怪しい相手に、一体どうしてこんなにも心臓が騒ぐのか。

 地面に頭を打ち付けたのは、熱くなった顔を隠すための緊急避難的な措置である。

 そして同時に雑念を振り払うための動作でもある。

 夢の世界であっても痛覚はきちんと機能していたらしく、そのお陰で少し冷静さが戻って来た。

 しかし、地面に両手と頭を付けたこの体勢は、余人が見たら別のものに映るだろう。

 

「成程、これが土下座というやつだね」

「……もうそれでいいです」

 

 説明を放棄した士道は、投げやりに応えた。

 どんな意図があるにせよ、いきなり土下座なんてしたら正気を疑われかねないが、どうにも蓮の興味は土下座そのものに注がれているようだ。

 物珍しそうに屈んで士道の平身低頭っぷりを眺める姿は、どこか浮世離れしている。

 三〇年単位の箱入り生活が本当なら、さぞ外の世界の全てが新鮮に映ることだろう。

 その様子は、士道が力の封印を施した精霊の少女――十香と共通する部分がある。

 それと、何故だかとある女性のことも思い起こさせるのだった。

 その女性――村雨令音は士道が所属する秘密組織〈ラタトスク機関〉の解析官であり、また士道と同じく来禅高校の教師でもある。

 寝不足でクマを蓄えた目元はどこか茫洋としており、立って歩く様は風に吹かれて倒れてしまいそうな程頼りない。

 そんな姿を思い出すと、浮世離れという言葉は彼女にも当てはまりそうだ。

 しかしどうも、彼女の事を考えると落ち着かない気分になる。

 普段もその後ろ姿を見ていると、背後から抱きしめたいなどという不埒な考えが――――

 

「――――ふんっ」

「ふむ、こういうのはアレかな? ろっくとでもいうのかな?」

 

 再度頭を打ち付けたのを、ロックンロール的なパフォーマンスと解釈したらしい。

 発音がどこかたどたどしいのは、言い慣れていないせいだろうか。

 土下座とロックを比較して、どちらが日常生活で出てくるかと言えば後者に軍配が上がりそうなものだが、こちらの常識が彼女に適応されるかどうかには疑問が残る。

 ともかく、痛みによって顔の熱さや邪念を蹴散らした士道は、ようやく面を上げた。

 目の前には相も変わらず透けている自称幽霊の姿。

 しかし、その右手に光る何かに目が吸い寄せられる。

 その視線を察したのか、蓮は士道の前に右手を掲げた。

 

「これが気になるのかい?」

「指輪……? 前はしてなかったよな」

「次に会った時に、あなたに見せようと思ってね。まぁ、それ程大したものじゃないよ」

 

 蓮の右手の薬指に嵌まったそれは、小さな石をあしらった指輪だった。

 指輪は嵌める位置によって意味合いが変わるらしいが、士道は左手の薬指ぐらいしか知らない。

 デザインとしてはシンプルなもので、特段目を引くような要素はない。

 それでも、その指輪から目を離すことが出来なかった。

 まるで、()()()()()()()()()がそこにあるような気がして、手を伸ばす。

 しかし伸ばした手はすり抜けるだけ――今更ながら、彼女には触れられないことを思い出す。

 頭を振って視線を外し、士道はどうにか自分の中に芽生えた奇妙な執着から目を逸らした。

 大したものじゃないと言っていたが、他人の物であることには変わらない。

 無遠慮に手を伸ばすべきではないだろう。

 

「これは唯一、母から貰ったものでね。生まれて間もなく放り出されて以来……まぁ、ずっと一緒というわけさ」

「いや、全然大したことあるだろそれ。すっごい重たいんですけど……」

「そうかい?」

 

 士道の指摘に蓮はおどけるように肩を竦めたが、その直前の複雑な感情を滲ませた声音は、きっと気のせいではないだろう。

 或いはそれは、彼女へのシンパシーから生じた妄想なのか。

 生まれて間もなく捨てられたという境遇は、二人の間で共通するものだ。

 それでも士道には家族がいた。

 血は繋がらなくとも父がいて、母がいて、何ともうざったい姉がいた。

 対して、長く箱入り生活を続けていたという彼女には、そういう誰かはいたのだろうか。

 もし、ずっと孤独を抱えていたというのなら、取るべき行動は決まっている。

 

(全く……自分の夢の中だっていうのに、何やってんだかな)

 

 士道は頭を掻くとその場に居直り、道化を自称する少女へ手を差し伸べた。

 蓮はその手に訝るように首を傾げた。

 

「……これは?」

「知らないのか? 握手ってやつだよ」

「触れられもしない、自分に対してかい?」

「いいんだよ、触れなくたって」

 

 確かに実際に触れることは出来ない。

 それでも何か伝わるものがあると信じて、士道は手を重ねた。

 対して返されたのは、呆れるような嘆息である。

 

「やれやれ、あなたは本当に好き者だね。まさに愚弟」

「だから姉は間に合ってるって言ってんだろ」

「そうだ。せっかくだし、あなたのお姉さんについて聞かせてもらいたいな」

「うげっ……」

 

 蓮の提案に、士道はあからさまに嫌そうな顔をした。

 姉との記憶は、大体自分の恥とのセットなのだ。

 それを語るのは、血反吐を吐いて倒れかねない所業である。

 しかもこの世界においては、下手なことを考えると上映が始まりかねない。

 しかし、妙に乗り気な蓮は身を乗り出して、包帯に覆われているものの、その両目が好奇心で輝いているだろうことがよくわかる。

 似たような境遇へのシンパシーもあるし、彼女が外から隔絶された孤独な生活を送ってきたことを考えると、どうにも断りずらい。

 なので士道は出来るだけ精神をフラットに保ち、姉のプロフィールを並べ立てた。

 これならば妙なエピソードは挟まらないし、彼女の要望にも応えられる。

 まさにウィンウィンというやつだ。

 

「それで?」

「と、特にうちの姉についてこれ以上語ることは……」

「ほら、さっきみたいな心温まるエピソード、他にはないのかい?」

「うぐっ……」

 

 しかし、そうは問屋が卸してはくれなかった。

 あまり蒸し返されたくない話題が巡って来て、士道は息を詰まらせた。

 心温まると言えば聞こえはいいが、本人からしたらただの羞恥プレイである。

 そもそも先程のはかなり特殊な部類なのだ。

 他のエピソードのほとんどは、士道が姉の横暴に身を震わせるものばかりだ。

 しかも黒歴史を初めとした弱みを握られているため、リベリオンもできないという無間地獄。

 それ以外のものといえば――――ふと、蓮の右手の指輪が目に入る。

 相変わらず妙に目を引く指輪だが、胸に去来したのはチクリと刺すような痛みである。

 その痛みは、士道が初めてとある感情を自覚した瞬間の記憶を呼び覚ました。

 

 

 

 

 

 チャペルの中、ステンドグラスから差し込む光に照らされたヴァージンロード。

 純白のドレスで着飾った花嫁が、その上を父親にエスコートされて歩いていく。

 柄にもなく緊張しているのか、動きはやや硬く見える。

 いつものやかましい様子とは正反対で、思わず笑ってしまった。

 普段からこんな態度なら、もう少し自分の日常は穏やかだったはずだ。

 新郎と新婦が並ぶ姿に、そっと目を伏せる。

 花嫁の人柄についてはどうしようもないと諦めているが、花婿は本当に素晴らしい男性だ。

 昔から世話になっているので、それだけは絶対に保証できる。

 あの二人ならば、これまでと同じようにきっと上手くやっていけるだろう。

 隣では、母親がハンカチで目元を押さえていた。

 あれだけいい加減結婚しろと呆れていたくせに、いざ本番となるとこれだ。

 なんだかんだで心に迫るものがあったようだ。

 

「それでは、誓いのキスを――――」

 

 互いの左手の薬指には、指輪が光る。

 そしてヴァージンロードに伸びた影が重なった。

 その光景を中々直視できない。

 花嫁……自分の姉は横暴で、まるで魔王のようで。

 花婿は、自分と同じく彼女に振り回される被害者で。

 それでも二人は昔から仲が良くて、お似合いのカップルだった。

 この結婚は、誰もが祝福する喜ばしいものなのだ。

 それなのに顔を上げられない。

 喉の奥に何かが突っかかっているように、祝福の言葉が出てこない。

 その理由は、案外すぐに見つかった。

 

『そんなの決まってるでしょ? だってあんたは、私のたった一人の弟なんだから』

 

 あの時、抱きしめられた感触と温もりが、夕暮れの光景が忘れられない。

 そう、自分はいまだに姉を()()()家族と認められなかったのだ。

 その感情を自覚してしまえば、もう抑えが効かなかった。

 胸を締め付けるかのような痛みを、歯を食いしばって堪える。

 

「――おめでとう、義兄さん……姉さん」

 

 そして滲んだ視界のまま、士道は二人へ祝福の言葉をそっと呟いた。

 

 

 

 

 

「いやぁぁぁあああああああっ!!」

 

 叫び声を上げながら、士道は悶絶して転げまわった。

 超ド級の羞恥プレイに、悶死寸前だった。

 興味深げに映像に目を向けていた蓮はふむ、と得心がいったかのように頷いた。

 

「成程、これはこれは……」

「やめてっ、これ以上は死んじゃうからやめて……っ!」

「どうやら、あなたはお姉さんの事が大好きなようだね」

「やめろっつってんでしょうがっ」

 

 涙混じりの抗議も虚しく、蓮は愉快な様子で口元を歪ませて笑った。

 誰にも知られたくない心情を知られた士道は、その場で膝を抱えて丸くなった。

 もう海の底で物言わぬ貝になりたい気分だった。

 

「しかし、姉に懸想するとはつくづく業が深い。これは自分も危機感を覚えた方が良いのかな?」

「…………」

 

 一体何に危機感を覚えるというのか。

 しかし精神的に屍と化した士道は虚ろな目で黙するのみ。

 そんな情けない姿に、蓮はやれやれと言わんばかりに肩を竦めた。

 止めを刺したのは彼女のようなものだが、どこ吹く風である。

 士道の横に膝をつくと、触れられないながらも頭を撫でてくる。

 

「よしよし、可哀想に」

「……いや、可哀想にした張本人はそっちだからね?」

「お詫びと言ってはなんだけど、この姉に甘えるといいよ」

「というか、さっきから何で姉ポジションに収まろうとしてるんですかね……」

 

 何もかもが胡乱な彼女であるが、姉というポジションに執着を見せるのもまた謎である。

 つい最近、崇宮真那という自称妹と出会ったばかりだが、そちらと違って血縁を感じさせるような要素は特にない。

 つまり、姉を名乗る不審者である。

 さっきから姉は間に合っていると伝えているのだが、ここに来て流石にツッコんでしまった。

 

「それはまぁ……自分の方が先に生まれたから?」

「姉の定義がガバガバ過ぎる……」

 

 理由はザックリとしすぎていた。

 これでは年上の女性が全て姉になってしまう。

 それとも人類皆兄妹とでも言いたいのだろうか。

 とてもじゃないが、そんなことを主張するような性格とは思えなかった。

 

「自分たちは■■(しげん)■■(せいれい)から生まれた者同士だからね。もっとも、こちらは忌み子だけれど」

「……なんて?」

 

 蓮の言葉の一部を、何故だか聞き取ることができなかった。

 音は確かに聞こえているはずなのに、士道の脳はそれを酷いノイズと認識しているのだ。

 記憶を揺さぶるような衝撃はないが、ただ得体の知れない気持ち悪さだけが残る。

 

「おや、検閲されてしまったようだ。認識にフィルターでもかけているのかな? どうやらあなたは相当に大事にされているらしい。……自分と違ってね」

 

 その低く沈むような声音は、どこか仄暗い情念を感じさせた。

 それと同時に放たれるひりつくような感覚に、士道は顔を強張らせる。

 以前も感じた、肌をチリチリと灼かれるような錯覚――いや、気のせいなどではない。

 過酷な戦いを潜り抜けて、己の身で霊力を行使した今の士道には、これが同じく霊力によるものであると理解することが出来た。

 つまり、彼女は――――

 

「――今回も現れたみたいだね」

 

 その疑問を口にする前に、蓮が士道の背後を指差した。

 振り返ると、そこには一つの扉があった。

 この一面の世界にあって真っ黒なその色は、拭い難い異物感を放っている。

 開けてはならないと言わんばかりに鎖が巻かれているが、錆びついて今にも千切れそうだった。

 

「これもあなたの記憶だろうね。今、この扉に繋がる何かを思い浮かべたんじゃないのかい?」

「さっきみたいに映像として現れるわけじゃないのか」

「この扉と鎖は見たままの()()だよ。あなた自身が思い出したくないか、或いは思い出されると都合が悪い誰かがいるのか」

「……というか君、なんか詳しすぎないか?」

「さぁて、どうだろうね。道化の言葉を真面目に受け取るのは、些か不毛かもしれないよ?」

 

 どうやらまともに答える気はなさそうだった。

 問い詰めても、それこそ彼女の言う通り不毛な結果に終わるだろう。

 その正体についても気になることは多々あるが、この扉についての心当たりはあった。

 蓮が放つ霊力を感じ取ったことで、士道はこの世界で目覚める前の状況を思い出していた。

 黒と白の精霊――二人の最悪の争い。

 それと、炎の精霊と化した姪っ子からの家庭内暴力だ。

 家庭内暴力という言葉で済ますには火力が強すぎたが、色々と悲しい誤解があったのだ。

 そして炎の精霊という言葉は、士道が抱える記憶の空白に関連している。

 この扉を開けば、その詳細がわかるというのだろうか。

 鎖に触れると、まるで砂のように崩れ落ちる。

 見たところ鍵穴の類はなさそうなので、あとはドアノブを捻れば開くだろう。

 しかしながら、封じられているらしい記憶を開帳するのには少しばかり躊躇いがあった。

 自分で封じたにせよ他人が封じたにせよ、眠っているのは決して軽くはない真実に違いない。

 世の中には、知らなければ良かったなどと後悔するような事柄もあるのだ。

 

「開けないのかい?」

「あ、ああ……」

 

 横からのぞき込んでくる蓮は、開けろと言わんばかりに視線を送って来る。

 また人の過去を娯楽にするつもりだろうか。

 思うところはあるが、既に最大の恥部を見られたようなものだ。

 なるべく意識から除外して士道はドアノブを掴み、そして飛び上がった。

 

「――ってあっつ!! 何だこれ!?」

「単純に中が熱いんだろうね。火炙りにでもされていたのかい?」

「うわ……途端に開けたくなくなってきた……」

 

 及び腰になった士道だが、この記憶の空白が五年前の大火災関連だとすると納得は行く。

 今度は服越しにドアノブを掴んで、意を決して扉を開く。

 次の瞬間、勢いよく噴き出した熱波が士道を襲った。

 堪らずゴロゴロと地面に転がる。

 

「――ってあっつ!! 何だこれ!?」

「これも天丼というやつかな?」

「普通に熱いんだよっ!」

 

 通常ならば天丼とは、白米の上に天ぷらを乗せてタレをかけて食べる料理だが、この場合は同じボケやギャグを繰り返す技法を指す。

 何処で知ったのかお笑いのテクニックについて言及する蓮に、士道は転がりながらツッコんだ。

 今のは、火事場で起こるバックドラフト現象のようなものだろうか。

 この夢の世界では、物理法則を律儀に守る必要などないのだが、それも士道の認識次第である。

 ともあれ扉は開き、後は飛び込むのみだ。

 

「いってらっしゃい。せいぜい気を付けるといい」

「一緒に来ないのか?」

「わざわざ焼かれに行く趣味はないよ。まあ、この身は焼かれて然るべきかもしれないけれどね」

「そうか。じゃあまたな」

「……確かそれは、再会を期する別れの言葉だったかな」

「どうせ次も顔出すんだろ?」

「保証はしかねるけれど……まあ、あなたがこの姉に会いたいというのなら」

「だから、クソ姉貴なら間に合ってるって言ってんでしょうが」

「クソ姉貴とは失礼な、この愚弟」

 

 

 

 

 

「――――とはいえ、こうもすんなり開いたということは、それで構わないという事だろうね」

 

 士道が扉の中へ消えていくのを見送って、蓮は一人呟いた。

 昨日の今日で、今の扉のような綻びを()()が見逃すとも思えない。

 だとしたら、これは彼が思い出しても構わない記憶なのだ。

 

「はてさて、炎に彩られた記憶から浮かび上がる真実とは、一体如何なるものなのか」

 

 大げさな身振り手振り、芝居がかった口調――観客のいない、道化の独演だ。

 長い時間を何処からも隔絶された場所で過ごしてきた蓮にとっては、それが常だった。

 幾度となく繰り返してきた一人芝居が空虚に感じるのは、彼という観客を得てしまったからか。

 何とも贅沢になったものだと嘆息し、口元を歪めて嗤う。

 

「始原の精霊――我が母よ。あなたは自分がここにいるなんて思いもしないだろうね」

 

 本来の彼女は、誰にも干渉できない場所で封じられている身だ。

 この世界においても、何にも触れられない、そこにいるだけの幽霊のような存在でしかない。

 それでも彼に語り掛けることは出来る。

 言葉というのは『毒』だ。

 聖書において、蛇は言葉巧みにイヴを誘惑し、そして堕落させた。

 ならば、自分も甘い毒を以て彼の心を侵して見せよう。

 

「あなたの執着する彼の心を自分が奪ってしまったら、一体どんな顔を見せてくれるのだろうね」

 

 そしてその瞬間に、果たして自分はどんな感情を得るのか。

 蓮は憎悪と悪意を湛えて嗤う。

 そして一頻り肩を揺らした後、士道を篭絡するために思索を始めるのであった。

 

「彼が姉に弱いというのは確実……なら、今の方向性で間違っていないはず」

 

 しかし具体的に姉が何をするものなのかは、まだ判然としない。

 そもそも男性を誑かす手管についての知識が、蓮には圧倒的に不足していた。

 外の世界に『ぎゃるげー』なる娯楽があるのは、士道の記憶から垣間見て知っている。

 先程、この世界でうんうんとうなされている際にこぼれ出たものだが、余程強く記憶に刻まれているのだろう。

 まるで拷問を受けているかのような悲鳴を上げていたが、きっとあれは歓喜の叫びに違いない。

 ともかく、『ぎゃるげー』とはどうやら架空の女性と仲を深めるのを目的としたものらしい。

 翻せば、その架空の女性は仲良くなりたいほど魅力的、ということになる。

 情報は断片的だが、参考にする価値は十分ある。

 

「『別に、あなたのためなんかじゃないんだからねっ』」

 

 台詞を真似てみて、蓮は首を傾げた。

 憎まれ口を叩いているように聞こえるが、相手の好意を得たいのなら、こちらから素直に好意を示した方が良いのではないだろうか。

 

「『お兄ちゃん、だ~い好き!』」

 

 口にして、再度首を傾げる。

 姉路線で行くと決めたのに、これでは妹になってしまう。

 そして、あれやこれやと試行錯誤をした末に達した結論は、とりあえず甘やかしておけばいい、というものである。

 あまりにも杜撰だが、ここにそれを指摘する者はいない。

 よって軌道修正してくれる者もおらず、蓮は何やら手応えを感じ、成果を期待して一人頷いた。

 多少は演じる必要はあるだろうが、姉弟関係を無理に装う必要はない。

 

「――――だって、それはただの事実だからね」

 

 呟いてから、つくづく自分も業が深いと、肩を揺らして嗤った。

 

 

 




キリがいいのでここら辺で。

姉要素と母親に似ている部分と、士道くんの好みという点で言えばかなり脈がありそうな姉を名乗る不審者です。
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