士道くんが淫行教師と謗られながら精霊をデレさせる話 作:kish
相変わらず遅々として進みませんが、ご容赦ください。
「ふふふ……そろそろ来る頃だと思っていましたよ」
「…………」
扉を開けると、地獄であった。
穂村士道の頭の中に、日本において有名な小説の、冒頭の一節にも似た文章が思い浮かぶ。
室内には男が一人、両手足を背中側で一括りに縄で縛られて、腹部を床に向けて天井から吊るされているという、思わず脳が理解を拒絶したくなるような光景があった。
一面が白いとか雪だとか、美しさを連想させるような要素はなく、ただただ地獄であった。
あまり詳しくはないが、これは江戸時代に行われていたという拷問の一種だろうか。
何故こんな状態になっているのかは謎だが、この男に対して常識を求めても徒労に終わることがほとんどだ。
関わり合いになるのを厭った士道は、そのまま一歩下がって廊下へと出た。
「あっ、待って、穂村君待って! かれこれ一時間はこの状態なので、そろそろ下ろしていただきたく……っ!」
そのまま扉をそっ閉じして回れ右しようとしたのだが、懇願の声に渋々と室内へ。
縄を切ってやると、男は床に腹を打ち付けて「ぐぇっ」と、カエルのような声を発した。
「いやぁ、セルフ駿河問いにチャレンジしていたら、見事に身動きが取れなくなってしまいましてね。無論、あの苦痛も味わい深いものでしたが、何分あのままでは仕事が手につかない。助かりましたよ、マイフレンド」
「あんたは本当に何やってるんだ……」
サムズアップする男に対して、士道は額に手を当てて呆れが多分に混じった声を出した。
ここは陸上自衛隊の天宮駐屯地・AST本部の一室……隊長に割り当てられた執務室である。
長髪に日本人離れした美形……陸自の常装を纏ったその男は、不法侵入者の変態というわけではなく、この部屋の主――つまりはASTの隊長なのだ。
常々悪い夢ではないかと思っているのだが、残念なことにこれは純然たる事実。
その部下である士道にとって、小さくはない頭痛の種である。
あまり長く一緒にいては精神衛生上よろしくないので、手早く用事を済ませるべきだろう。
手に持った書類を渡すと、男はそれまでの緩んだ雰囲気を一変させて厳かな声を発した。
「ほう、外出許可の申請ですか」
その声を受けて、士道は姿勢を正した。
AST隊員の大体は、この駐屯地で生活している。
それは士道も例外ではなく、外出するにもまずは許可を取らなければならないのだ。
陸自においてASTはやや特殊な立ち位置だが、規律を守らなければならないのは同じだ。
とはいえ余程のことがなければ大抵許可が下りるし、部隊内の女性陣も休日には連れだって出かけたりもしている。
よって殊更に身構える必要はないのだが、士道の顔に浮かぶのは緊張である。
「全く……謹慎処分中だというのに、君も豪気なことですね」
そう、士道は先日のとあるやらかしによって、現在は謹慎中の身なのだ。
具体的に何をやらかしたのかという詳細は省くが、世界一と名高い魔術師にボコボコにされて、まともに動けるようになったのはつい昨日のことである。
外出を禁止されているわけではないが、謹慎となればそれを控えて然るべきという風潮がある。
却下される可能性も、十分に考えられるのだ。
「ああ、別に責めているわけではありません。むしろ私は責められる側に回りたい」
「あんたは一体何を言ってるんだ」
真顔で意味不明な事をのたまう隊長に対して、士道は渋面でツッコんだ。
先程から立場や階級を省みない態度が見られるが、むしろこちらが両者にとっての常態である。
何を隠そう、この隊長は世間一般から見ると少しばかり……いや、かなり……どころかドが付くほどの変態なのだ。
その言動に振り回された結果、士道は部隊内の女性陣からやや白い目を向けられている。
そしてAST内において、男性陣とは士道とこの隊長の二人を指す。
全体的な傾向として、魔術師の適性を持つ者の大半は女性なのだ。
これが筋金入りの変態ならば、そんな目を向けられても悦ぶだけなのだが、残念なことに士道の感性や嗜好は一般的なものでしかない。
つまりは針の筵である。
それなりに付き合いのある年上の後輩から軽蔑の目を向けられたときなんかは、思わず泣きそうになってしまったりもするのだ。
「わかりました。これはこちらで受理しておきましょう」
「ありがとうございます」
「幼い少女に会いたいがために外出したいと言うのならば、協力するのも吝かではありません」
「おい、その言い方やめろ」
「ははは、照れずともいいじゃありませんか。かくいう私も、休日をウォッチングに費やしている身でしてね」
「てめぇ、まだ懲りてなかったのか!」
だらしなく顔を崩してクネクネと気持ち悪い動きを見せる隊長に対して、士道は襟首を掴んで揺さぶった。
この隊長は、通学する女子中学生を陰ながら見守って通報されたという過去を持つ男である。
ぶっちゃけると度し難いロリコンなのだが、その仲間だと見なされるのは不服以外の何者でもない。
変態が口にした「幼い少女」という言葉も間違ってはいないのだが、士道が会いに行くのは姉の娘、つまりは姪っ子なのだ。
今の大いに誤解を招くような表現に対しては、声を大にして抗議せざるを得ない。
しかし隊長は事も無げに士道の手から逃れると、物憂げな顔で窓の外に目を向けた。
美形の男がそんな表情を浮かべていれば、それなりに絵になりそうな光景ではあるのだが、今までの奇態が見事にそれを打ち消している。
士道はこの変態が次に何を言うのかと、半眼のまま実に冷たい視線を向けた。
「……常々考えていたんですよ。ブルマは体操服の裾をしまうべきか、それとも出すべきかをね」
「よし、頼むから永遠に口を閉じていてくれ」
「ははは、これは手厳しい。とりあえず、これもこちらで預かっておきましょう」
「――っ」
肩を竦めて笑うと、隊長はいつの間にやら手に持っていた封筒をデスクの上に置いた。
その無地の封筒に、士道は目を見開いて己の懐を探った。
そこにはあるはずのものがなく……いや、それは今、目の前にある。
恐らくはこちらが襟首を掴んだ際に、抜き取られていたのだ。
普段の変態的な言動に反して、この男は実に優秀だ。
年齢は士道の一つ上だが、その若さで隊長を任せられているのも伊達ではないということだ。
この様子だと、封筒の中身が何であるのかも察しているのだろう。
「君がどんなつもりでこれをしたためたのか、問い質すつもりはありません」
「…………」
「無理に引き留めるつもりもありません。しかし、今はやめておくべきでしょう。このタイミングでASTを辞するなら、記憶処置を施されて放逐されかねない」
ASTで扱う技術や対処する事態――顕現装置や精霊の存在は、世間には秘匿されている。
そのため退役の際には情報を漏らさないよう、記憶を弄られる場合があるのだ。
余程の事がなければそのような措置には至らないのだが、士道は先日、その『余程』に該当する事態を引き起こしている。
処分としては謹慎に留まったが、ここで退くとなればどうなるかはわからない。
その危惧は理解できるし、頭の中を弄られるのもなるべくなら避けたいところである。
しかし――――
『にゃはは、やっぱこうなっちゃったかぁ。どうも三次元ってのは上手くいかないもんだね……』
とある精霊が見せた諦念の表情が、言葉が頭を過ぎる。
AST……正式名称を、陸上自衛隊・対精霊部隊。
精霊と呼ばれる特殊災害指定生命体たち、それらと戦うのが主な役目である。
しかし、恐らく士道はもう彼女たちに剣や銃を向けることが出来ない。
それどころか、他の隊員が精霊に攻撃する様を、黙って見ていられるかどうかも怪しい。
部隊内にそんな者がいては、ただ邪魔になるだけだろう。
だから、このタイミングが最良なのだ。
「とりあえず、せめて今のところは忘れておくといい。レディに浮かない顔を見せるのは、マナー違反ですからね」
外出許可を申請した明日は八月三日……姪っ子である五河琴里の誕生日である。
この変態の言う通り、浮かない顔を見せるわけにはいかない。
目的の半分は果たせなかったが、ひとまず士道は執務室を後にした。
「――う、あ…………」
自身の記憶の中を漂っていた意識が、現実へと浮上していく。
今まで色々と夢を見ていた気がするが、うっすらと開けた視界に映りこんだのは、最早見慣れた天井だった。
見上げたまま、士道はゆっくりと息を吐き出す。
どうにか今回もまた、自分は命を拾ったらしい。
目覚めたこの場所は、天宮市のはるか上空に待機する空中艦〈フラクシナス〉の医務室だろう。
しかし何というか、十香や七罪の一件でもそうだったが、つい昨日もここに運び込まれたばかりである。
どうにもふりだしに戻った感が否めなかった。
体を起こそうとして、両腕が何かに押さえられていることに気付く。
見ると、寝台の左右から挟み込むように、十香と七罪が士道の腕を取って寝息を立てていた。
起こさないようそっと腕を抜き取って、二人の頭の上に手を置く。
今回はこの二人にも、随分と助けてもらった。
こうして無事に帰ってこられたのも、その協力があってのものだろう。
「……おや、目覚めたかね」
医務室のドアがスライドし、おぼつかない足取りで眠たげな眼をした女性が姿を現した。
村雨令音……この〈フラクシナス〉に勤める〈ラタトスク〉の解析官であり、士道と同じく来禅高校の教師でもある。
免許こそないものの医術の心得があるらしく、この部屋で顔を合わせることも多い。
そもそも、最初の出会いもここだったはずだ――――そこまで考えて、士道は首を傾げた。
何故だか彼女とはもっと別の場所で、もっと違う出会い方をしたような気がしたのだ。
思い出そうとしてもそんな記憶はなく、それこそ気のせいや勘違いという奴だろう。
しかし、何ともすっきりしないモヤモヤが蟠る。
そんな士道の視線を受けて、今度は令音が首を傾げた。
「……どうかしたのかな?」
「い、いえ……特には」
すると何故か顔が熱くなって、士道はその様を見られないように咄嗟に俯いた。
心臓はやけに騒がしく、まるで思春期男子のような昂ぶり方だった。
しばらく深呼吸して心を落ち着けてから、顔を上げる。
「俺、どれぐらい眠ってました?」
「……大体、一八時間といったところだね。もう日が変わって太陽が昇っているよ」
どうやら半日以上眠っていたらしい。
それを認識した瞬間、腹の虫が騒ぎ出す。
盛大な空腹のサインに、先程とは別の理由で士道の顔が熱くなる。
それに対して令音は一瞬目を丸くすると、僅かに微笑んだ。
「すぐに朝食を用意しよう。二人と一緒に食べるといい」
余計に顔が熱くなった士道は、寝台に倒れこんで腕で顔を覆った。
その後の朝食で待っていたのは、十香と七罪からの心配と追及である。
とはいっても主に詰め寄って来るのは十香で、七罪は何かを言いたげな視線を向けては逸らすの繰り返しだ。
ヒートアップした十香からキスまで求められたのには、流石にどういうことかと目を剥いてしまったのだが……
とにかくどうにか宥めて誤魔化し、そんなスキルが身についてしまった自分に悲哀を覚えつつ、士道は朝食を切り抜けた。
とまぁ、トラブルはあったが、ああして一緒に食事をしたことで得られた収穫もある。
それは遠慮がちながらも、七罪が朝食を共にしてくれたということだ。
以前の五河家での食事が功を奏したのか、徐々にだが十香と打ち解けつつある現状は喜ばしい。
頬を緩ませながら艦内通路を歩く士道が向かうのは、精霊対策会議や反省会でおなじみのブリーフィングルームである。
朝食が終わった後に、とあらためて令音から呼び出されているのだ。
先程は腹の虫のおかげで聞けなかったことを、この際確認しておくべきだろう。
琴里が姿を見せないことも気がかりだった。
七罪から一緒に〈フラクシナス〉に回収されたということは聞いているが、今は動けない状態にあるのだろうか。
「……ああ、来たね。早速だが座ってくれ」
ブリーフィングルームの中央に設置されているのは、ラウンドテーブルである。
令音が座っているのは、いつも反省会や対策会議で座るのと同じ席で、士道もいつもと同じ席に腰を掛けた。
ただ今回は姪っ子や変態の姿はない。
変態はどうでもいいが、琴里の姿が見えないのはやはり物寂しい。
それ程に、この〈フラクシナス〉において彼女の存在は当たり前のものになっていた。
この空中艦は明らかに非日常のものだが、こうも慣れてしまえば最早日常である。
今こうしている間にも、罵倒と共に姿を現すのではないかと、そんな気さえしてくるのだ。
「……結論から言おう。琴里の容態だが、正直思わしくない」
「……詳しく聞かせてもらえますか?」
「まずはこれを見てほしい」
手元のパーソナルディスプレイに表示されたのは、バストアップされた琴里の姿だった。
その周囲を取り囲むように、何らかの数値が忙しなく変動している。
それが心拍数やバイタルを示すものでないことは、辛うじて分かった。
「……これは琴里の精神状態を表すパラメータだが、実に不安定だ。このままでは、自我の崩壊に至る恐れがある」
「まさか、それは精霊の力の影響で……?」
「……炎の精霊の力がそういうものなのか、人間が後天的に精霊になることで生じる弊害なのかは判断しかねるがね」
「後天的? じゃあ、やっぱり琴里は――――」
「そう、彼女は五年前の大火災の日に精霊になったんだ」
士道の脳裏に、燃える街並み、絶望に暮れる少女、そして泣きじゃくりながら自分の名前を呼ぶ幼い琴里の姿が過ぎる。
いや、そもそもあの大火災を引き起こしたのが精霊になった琴里だとしたら……
それ以上は考えないよう、思考を打ち切る。
「……今は薬剤を投与して、眠らせることでどうにか進行を遅らせている状態だよ」
「どうすれば助けられますか?」
「精霊の力の再封印……それしかないだろうね」
再封印という言葉で、今更ながらの事実を
五年前に琴里の力を封印したのは、他でもない士道なのだ。
相変わらずはっきりとした記憶はないが、夢の影響かその実感だけは芽生えてきている。
ならば他に選択肢は存在しない。
静かに拳を握りしめて、士道は自分を奮い立たせた。
応じるように、令音も頷く。
「――やりましょう」
「……では、こちらも作戦の準備に取り掛かるとしよう」
作戦といえば、やはりデートだろうか。
琴里と二人で出かけること自体は珍しくないが、デートとなれば話は別だろう。
しかしながら、好感度を稼ぐのが目的とはいえ、身内とそういった行為に及ぶのには中々に複雑極まる思いがある。
それにもしキスを拒絶されようものなら、士道はしばらく立ち直れなくなる自信があった。
だがこの際、そんな弱音に出る幕はない。
あの日、自分の指を握った小さな手の感触を思い出す。
琴里を守るというのは、彼女が生まれた時に自分自身に課した役目なのだ。
それがどんなに困難な作戦だとしても、やり遂げる以外の道はない。
士道の胸中には、かつてない気力が満ち溢れていた。
「……とはいえ、作戦の決行は明日になる。それまではゆっくり休んでいるといい」
「じゃあ、まずは琴里の顔を見ておきたい。会わせてもらえますか?」
「彼女なら精霊用の隔離スペースで眠っているよ。現時点での接触は許可できないが、遠目で顔を見るくらいなら問題ないだろう」
「ありがとうございます」
「……それと、もう一つだけ話しておくべきことがあるのだがね――――」
「こうして見てると、ただ眠っているだけのように見えるんだけどな……」
分厚いガラス壁越しに眠る姪っ子の姿に、士道は小さく息を漏らした。
身に着けているのは霊装でもいつもの軍服でもなく、〈フラクシナス〉で使われている女性用の病衣である。
こうして眠る姿を見守るのは、いつ以来になるだろうか。
幼い頃は寝かしつけたりする機会もあり、珍しい事ではなかったのだが。
最近は司令官として忙しくしていることもあり、そもそも帰ってこないことすらある。
だからこうして眠っている姿を見られたことには、どこか安心すら覚えてしまった。
しかしながら、この場所はあまりにも日常から乖離している。
この分厚いガラス壁は勿論の事、ここに来るまで士道は、いくつもの厳重なセキュリティを通過してきた。
無論、そんな中にいつまでも閉じ込めておくわけにはいかない。
また一緒に食卓を囲めるように尽力することを、あらためて誓う。
「ああ……司令はやはり寝顔も麗しい――――っとぉ!?」
「ちっ――失礼、副司令でしたかー。俺はてっきり人型のゴキブリが這ってるもんかと」
「ふっ……相変わらずですね、マイフレンド。しかし人をゴキブリ扱いとは……中々に悪くない」
「無敵かよ……手に負えねぇ」
味わい深げに頷く変態に、士道はげんなりとしながらため息を吐いた。
不埒物の気配を感じて半ば反射的に拳が出てしまったのだが、相手に全く堪えた様子はない。
長髪に日本人離れした美形――この艦の副司令、神無月恭平。
身に纏う白い軍服は、司令である琴里に次ぐ立場の証だ。
しかしながら、肩書きや創作の中に出てきそうな外見に反して、周囲からの評価はお世辞にも良いとは言えない。
何を隠そう、この男は少しばかり……いや、かなり……どころかドが付くほどの変態なのだ。
日常的に奇態を見せる様は、もう代わりに彫像でも置いておいた方が周囲の士気が上がるのではないか、と危ぶまれる程である。
それでも士道は、この男がただの変態ではないことを知っている。
「相変わらずはあんただよ、
「これはまた、随分と懐かしい呼び方をしてくれますね」
陸上自衛隊・対精霊部隊、通称・AST。
かつてそこで隊長を務めていたのがこの男、神無月恭平である。
無論、ただの変態に特殊部隊の隊長が務まる道理はない。
どういう経緯で辞したのかはわからないが、優秀であることに違いはないのだ。
琴里が自分の副官として置いている理由も、そこに尽きるだろう。
その点に関して異論を挟むつもりはない。
しかし、士道には年若い少女の保護者としての責任がある。
「とりあえず、琴里の半径一kmに近寄らないでくれないか」
「ふふふ……実質の追放宣言とは、中々にハードなことを言ってくれるものです。しかし、私もはいそうですかと受け入れるわけにはいきません」
いつになく真剣な面持ちの神無月だが、それに対する士道の目は実に冷ややかだ。
非常時ならともかく、平常時のこの男に、まともな言動を期待することの虚しさをよく理解しているのだ。
「五河司令との出会いはまさに運命! 私は彼女に足蹴にされるために生きてきたのだと言っても過言ではなぁいっ!!」
「黙れこの変態! てめぇみたいなやつが傍にいたら琴里の教育に悪いだろうがっ!!」
「ならばせめてっ、せめてペットとして侍ることを許していただきたいっ! それならギリセーフでしょうがJK!!」
「常識的に考えて余裕でアウトだろうがっ! 頭沸いてんのかてめぇ!!」
「このわからず屋っ! そんな大人は私が修正してやるって言ってるんですよぉーーっ!!」
「てめぇの方が一個上だろうがっ!!」
互いの襟首を掴み合い、しばし実に大人気ない取っ組み合いを繰り広げた後、二人は息も絶え絶えに同時に床に転がった。
これが少年同士なら青春のワンシーンに見えないこともないが、揃って大の大人である。
隣の変態が何を考えているかはともかく、士道の胸に去来したのは徒労感だった。
まともに意識を向けてはこうなるのが分かっていたから、これまであまり目を向けないようにしていたのだ。
「――――しかし、君は私を避けているものだと思っていましたが」
「……別に、一つだけ言っておくべきことがあるのを思い出しただけだよ」
普段ならばこんなことは口が裂けても言わないのだが、眠っている間に見ていた夢のせいか、思い出したことがいくつかある。
忘れたままだったのなら気にしなくても済んだのだが、思い出してしまった以上、言っておかなければ士道の気が済まない。
「まぁ、何というか……俺が今教師をやっていられるのはあんたのおかげだと思う」
「何を言い出すかと思えば……さぁて、こちらには特に何かをした覚えはないのですがね」
「まぁ、何かしたというよりも、やるべきことをやらなかったって言った方が正しいか」
士道が教師を志した切欠は、五年前の大火災の最中にある。
その記憶はASTにおける違反行為――装備の無断使用と密接に絡んでおり、言うまでもなく記憶処理の対象となるものだ。
しかし、いまだにどういう理屈かは分からないが、記憶処理はほとんど効果を示すことはなく、それを知ってて当時の隊長――神無月は『問題なし』と見逃したのだ。
一度ならず、二度三度と記憶処理を受けていれば、それこそ精霊や顕現装置に関する記憶を忘れ去っていたかもしれない。
そうなれば教師になるという目標を見失い、全く違う人生を送っていたことは想像に難くない。
「とにかく、礼を言うよ」
「なぁに、私は君が教師をやっている姿に興味があった。ただそれだけですよ――――故に、今の体たらくは看過しがたいものがある」
神無月はゆらりと体を起こすと、声音を低くして鋭い眼光を士道へ向けた。
そこから伝わってくる確かな怒りの感情に、士道は身構えた。
そして神無月は両手の拳を強く握りしめ――――
「小学校や中学校ならともかく、まさか高校教師とは……なんったる体たらく! 穂村君っ、君には
「いやもう、あんた本当にいっぺん死んでくれよ……」
姪っ子の見舞いがてら、変態と実に大人気ない小競り合いを繰り広げた後、士道は隔離スペースの別区画を訪れていた。
セキュリティは琴里が眠っている場所ほどではなく、七罪が暮らしている部屋と同程度のものだろう。
様々な医療器具が運び込まれたその部屋には、一人の少女が眠って……はおらず、何とも退屈そうにベッドに座って足をブラブラとさせていた。
士道の姿を認めると、曇り気味の顔を晴れやかにして飛びついて来る。
「兄様!」
「真那、無事だったんだな」
「はい! おかげさまでこの通り」
崇宮真那……最近士道の前に現れた、妹を名乗る少女である。
いつものポニーテイルを解いて、今は琴里と同じく病衣を纏っていた。
昨日の一連の騒動の後、共に運び込まれたらしい。
立場を考えると、こうして〈フラクシナス〉に招くのは問題がありそうだが、そこは令音の独断とのことだ。
『……それと、もう一つだけ話しておくべきことがあるのだがね――――』
そう言って真那のことを切り出した彼女は、少し言葉を淀ませていたような気もする。
令音がそういった揺らぎを見せるのは、どうにも珍しいという印象がある。
なんというか、私情のようなものが見え隠れするのだ。
思えば、五河家で顔を合わせた時も、真那に対しては他の者に向けるのとは少し違う感情を抱いていた節もある。
しかし彼女の心情はともあれ、令音から告げられた事実を知っていたら、士道も同じことをしたかもしれない。
『……彼女の体のいたるところに、魔力処理が施されている。異常な強さもそのためだろう。……その代償が見合うものかは、正直測りかねるがね』
そう語る様は、静かながらも確かな怒りを滲ませていたように思える。
真那の強さは寿命を代償としたものらしく、令音の見立てでは後十年程の命らしい。
もしかすると記憶喪失も、その魔力処理が原因なのかもしれない。
握る拳に自然と力が入る。
体の強張りが伝わったのか、士道の胸元に顔を埋めていた真那が顔を上げた。
「兄様?」
「ああ、大丈夫だ。それより、いきなりこんなとこに連れてきて悪かったな。びっくりしただろ」
「まったくです。まさか兄様が
どうやら〈ラタトスク〉の存在については認知していたらしい。
それが如何なる経路からかはわからないが、真那の本当の素性を知ればある程度納得もいく。
AST所属というのは仮の立場――彼女はとある会社から出向してきた魔術師である。
Deus Ex Machina Industry……単語の頭文字を取ってDEM社と略されるその会社は、奇跡の技術と称される顕現装置の生産を手がける大企業である。
世界中の軍隊や警察に秘密裏に配備されている顕現装置は、ほぼ全てDEM社製と見てもいい。
それは日本のASTも例外ではなく、士道が過去に使用していたものもDEM社製の顕現装置である。
そんな大企業ならば全貌までとはいかずとも、この秘密組織の存在を察知していたとしてもおかしくはない。
「確か、精霊を武力によって殲滅するのではなく、対話によって懐柔することを目的とした組織、でしたか。正直眉唾でしたが、琴里さんのことを考えると信じざるをえねーってもんです」
うんうんと納得したかのように頷いているが、精霊を保護するという方針は、各国に対精霊用の武力を供給するDEM社のスタンスとは相容れないものだろう。
その辺りの事情を、真那はどう考えているのだろうか。
「うんまぁ、別にいいんじゃないですかね?」
「いや軽っ」
恐る恐る尋ねてみたところ、実にあっけらかんとした答えが返ってきたのだった。
想像以上に軽い真那の態度に、士道の肩の力が抜ける。
「別に平和や友愛を謳うわけじゃねーですが、戦わずに解決しやがるのならそれが一番に決まっていやがります。それはそれとして〈ナイトメア〉はぶっ飛ばしますが」
「そ、そうか……」
平和主義と見せかけておいて、直後に飛び出したのは物騒な言葉である。
好戦的な笑顔を浮かべた真那に、士道は頬に汗を滲ませた。
彼女の言う〈ナイトメア〉とは、とある精霊に与えられた識別名である。
前々から因縁があったようだが、随分と敵愾心を募らせているようだ。
かくいう士道も〈ナイトメア〉、もしくは『最悪』と呼ばれる精霊――時崎狂三に対しては少々複雑な感情を抱いているのだが、今は割愛しておく。
「それよりも今はこの体のことです。いやぁ、まさかそんなヤベーことになっていやがったとは」
「――っ、知ってたのか」
「いやはは……まぁ、令音さんから大体は」
自分の体の状態について知った真那の態度も、実に軽いものだった。
しかし、それはこちらに必要以上に心配をさせまいとする配慮なのかもしれない。
仮に士道も同じ立場なら、深刻な様は見せまいとするだろう。
それにしても、得体の知れない組織に身柄を確保されて、いきなりそのようなことを告げられてあっさり受け入れているのは、少々疑問ではある。
やはり相手が令音だったからだろうか。
令音の側からもそうだったのだが、真那も彼女に対して妙に好感を抱いていたように思える。
「とはいえDEMにお世話になっていたのも事実ですので、まずは部長か社長あたりを捕まえて、話を聞いてみてーと思います」
「待て、向こうに戻るっていうのか? お前をそんな体にしたのは――――」
DEM社は巨大な企業だが、清廉な部分ばかりではないことは、真那の件からも明らかだ。
そもそも
人類にとって脅威である精霊の研究をしようという考えは理解できるが、士道は彼女たちに感情を、人格を認めてしまった。
そして〈シスター〉なんて呼び名に似合わない自堕落な精霊を助けるため、DEM所属の魔術師を妨害し、結果謹慎処分をくらったのだ。
言い募ろうとする士道に対し、真那は静かに首を横に振った。
「戻るというのは少し違いますが、いきなりおさらばというわけにもいかねーです。けじめってやつですね」
「そうか……困ったことがあったら何でも言えよ。ずっと離れてたけど、俺達は家族だからさ」
「――妹想いの兄様をもって、真那は幸せです!」
感極まって再び抱きついてきた真那の頭に手を置きながら、士道は令音に告げられたもう一つの事実を思い出す。
『……君達のDNAの一致率は二五%といったところだ。兄妹だとして父親か母親は違うだろう。……もっと他にサンプルがあれば詳細がわかるが、現段階ではこれが限界だね』
どうやら真那が口をつけたティーカップから、琴里がDNA鑑定を頼んでいたらしい。
というより、真那に向けていた疑いの目から察するに、それを見越してお茶を出したのだろう。
しかし結局のところ、詳しい事情はわからない。
二五%という数字がどの程度のものなのかもまた、わからない。
それでも士道は自分の直感を信じることにした。
この少女が行き場を失うようなことがあったなら、自分がその受け皿になろうと決めたのだ。
幸いにして五河家は両親が共働きの上、居候している士道自身の収入もある。
姉夫婦への相談は必須だろうが、経済的には問題ないだろう。
「じゃあ、とりあえず今は安静にしておくんだぞ、いいな?」
「正直退屈で死にそうなので、今すぐ抜け出してーところですが」
「あ・ん・せ・い・に! いいな?」
「……はーい」
語気を強めると、真那は渋々と頷くのだった。
ちなみにその言葉はブーメランになりかねないのは内緒だ。
士道は昨日の内に、何度も瀕死になっては復活するのを繰り返している。
最後に倒れたのも脳を酷使した結果であり、半日以上休んだおかげですっかり回復しているが、誰が一番安静にしておくべきかという話題になれば、真っ先に槍玉に挙げられるだろう。
しかし、自分の行状をいちいち省みていては、誰に対しても何も言えなくなってしまう。
なので自分のことは思いっきり棚に上げるのだった。
「ところで兄様、あのエレン・メイザースを下しやがった件について聞きてーのですが」
「いや、下してないけど……むしろ俺、ボコボコにされて死にかけたんですけど……」
自衛隊天宮病院の一室に、二人の女性の姿がある。
病室であるから当然、一人は入院患者だ。
病衣に身を包んでベッドに横たわっているのは、頭に包帯を巻いた少女である。
肩口で髪を切り揃えた人形のように端正な顔立ちの少女だが、その最大の特徴を上げるのなら、やはり人形のようにと形容が付く無表情になるだろう。
鳶一折紙……来禅高校二年四組の生徒にして、ASTに所属する魔術師でもある。
昨日の戦いの際に、〈プリンセス〉と呼ばれる精霊と交戦してこの病院に運び込まれたのだ。
命に別状はないが、医療用顕現装置をもってしても今日一日の静養は必要とのことだった。
そんな彼女を見舞うのは、陸自の常装に身を包んだ女性である。
「あんたはまた無茶をして……何度も言うけど、いずれ死んでしまうわよ?」
日下部燎子……ASTの現隊長である彼女は、部下である折紙の無鉄砲に言及した。
訓練にも真摯に打ち込んでいるし、成績も優秀だ。
しかし特定の事柄が関与すると、途端に狂戦士じみた行動に出るのだ。
何も考えずに行動しているわけではないことは理解しているが、これでは説教やら苦言やら忠告の類が出てこようもの。
まぁ、一言で表すのなら問題児である。
(それにしても、もう一人の問題児はどこに行ったのかしらね……)
燎子が思い浮かべるのは、最近補充要員としてASTにやって来た少女――崇宮真那の姿だ。
一応は部下に収まっている真那だが、それは形式的なものでしかない。
DEM社からの出向である彼女には、有事の際には独断行動が許される権限が与えられている。
世界における顕現装置のシェアはほぼDEMが独占しており、日本の自衛隊に提供されるものも例外ではない。
そのためお上もご機嫌を損ねるわけにはいかず、そういった無茶苦茶が通ってしまうのだ。
実に悩ましい問題であり、実際に昨日の真那のやりたい放題には頭を痛めてもいる。
詳細は省くが、とにかく問題児なのである。
燎子は事後処理に追われて今朝は徹夜だったのだが、真那はまだ帰ってきてすらいない。
今も〈ナイトメア〉を追っているのか、それとも……
「――日下部一尉」
徹夜明けの頭が思考の沼に引きずり込まれそうなところを、静かな声が引き止める。
同じく静かな視線が、しかし確かな熱を持って燎子を捉えていた。
折紙は他人に無関心というわけではないが、それでもこうもあからさまに関心は向けてこない。
仮にそうするとしたら、対象は限られる。
それは精霊に粉をかけるどこぞのクソ高校教師か、もしくは――――
「昨日、〈イフリート〉の現界が確認されたはず。何かわかったことがあるのなら教えて欲しい」
予想通りの展開に、燎子は頭を抱えた。
折紙の言う〈イフリート〉とは、五年前の大火災の原因とされる炎の精霊である。
現界が確認されたのはこれまでその一度のみであり、当時接触したのも謹慎中だというのに無断で装備を使用したクソボケのみであり、ASTには詳細な記録が残されていない。
確かに昨日、その〈イフリート〉らしき精霊の現界が確認されている。
様々なイベントが立て込んで十分な情報は得られていないが、ほんの僅かだが記録映像もある。
しかしそれを今話したとして、折紙の暴走を助長するだけなのは目に見えていた。
体が癒えきっていないこの状況で無茶を許すわけにはいかない。
悩ましいことに、隊員の管理も隊長の業務の一環なのだ。
以前の隊長は、ある種の恐怖政治で隊員を統制していたのだが、あれを真似するのは同レベルの変態でなければ不可能だろう。
もっとも、あれと同レベルの変態がこの世に存在するとは思えない、というか思いたくない。
仮に存在するとして、とりあえず絶対に関わり合いになりたくないのは確かだ。
「いいから今日くらいはゆっくり体を休めなさい。無理、無茶、ダメ、絶対!」
「でも――――」
「と・に・か・く! もし病院を抜け出そうものなら、さらに謹慎処分よ。覚悟しなさい」
「……………………了解」
たっぷりの沈黙を挟んだ上でだが、折紙は頷いた。
不承不承なのは目に見えていたが、あえて言及はしない。
お見舞いの品にリンゴを置いていくと、燎子は病室を後にした。
残念なことに、昨日の事後処理はまだ終わっていないのだ。
一先ずの休日を得た士道は、浮いた時間を利用して〈フラクシナス〉を降りて街に出ていた。
勿論、許可を得てのことである。
副司令は心底どうでもいいが、無断で抜け出しては令音を初めとするクルーに迷惑がかかるし、十香たちにも余計な不安を与えてしまうだろう。
元々休日であるのに加えて、幸か不幸か昨日の騒動を受けて明日は休校だ。
作戦も決行は明日であることから、今日は完全なオフである。
こうして外に出ているのは羽を伸ばすためである。
とりあえずの目的の一つは明日の夕食のための買い物だ。
無事戻ってきた琴里を、ご馳走で迎えてやらなければならないのだ。
その他にも霊力の逆流の影響で検査があり、今日は外に出られない十香と七罪にはお土産の一つでも買って行ってやるべきだろう。
それ以外を上げれば日用品や消耗品の買い物、家の掃除や洗濯など、何故だか家事に関係があることばかりが思い浮かぶ。
羽を伸ばすと言いつつ、これでは普段とあまり変わらない、と苦笑が漏れる。
そしてあと一つ、今日外に出た目的を果たすために、士道はとある場所を訪れていた
「あー……ひっさしぶりだなぁ」
天宮駐屯地内に聳える大きな建物は、病院である。
しかもただの病院ではなく、門には『自衛隊天宮病院』とある。
名は体を表すというか、この場合は実態を示すと言うべきだろうか。
ともかくその名の通り、主に自衛隊に所属する者、もしくはその家族を対象とする総合病院だ。
一般人の受け入れも行っているが、時間帯や診療科は限られる。
しかし士道は受診に来たわけではなく、ここに入院したであろう自分の生徒――鳶一折紙を見舞うために訪れたのだ。
これは十香から申し訳なさそうに、昨日の騒動の折に折紙をボコボコにしてしまったとの自己申告を受けての行動だ、
昨日協力してもらった礼もあるし、事情は聞いているがフォローやお詫びはやはり必要だろう。
振り返ると、今日はお見舞いの連続だ。
目覚めた時には十香と七罪に挟まれていたことを考えると、自身もお見舞いされた側である。
(今日はお見舞いデーかな?)
そんな益体もないことを考えつつ、士道は緊張を飲み下そうと腐心した。
元ASTである士道は、当然この病院でお世話になったことがある。
隊員でなくとも、顔見知りが働いている可能性は十分に考えられる。
そもそも、古巣であるこの駐屯地に入るのにも少々精神力を消費したのだ。
もしもここで知り合い、特に年上の後輩にでも出会おうものなら、いきなり掴みかかられてもおかしくない。
精霊攻略において、自分がそれだけのことをやらかしているという自覚はあるのだ。
(いや、落ち着け……別に出禁くらってるわけじゃないし、普通にしてればいいんだよ)
そう、挙動不審では余計な疑いを招く原因になりかねない。
なので努めて平静を装いながら、士道は病院の敷地内に足を踏み入れて――――
「はぁ、全く……事後処理事後処理上からのお小言生意気な部下ども結婚しろとうるさい両親…………誰か私を温泉に連れていけーーっ!!」
同時に前から歩いてくる、陸自の常装を纏ったどうにも見覚えがある女性から、思いっきり顔を逸らすのだった。
その叫びからはどうも、煮こごった怨念じみた何かを感じる。
徹夜明けのテンションっぽい、何やら鬼気迫るオーラを放つ様には冷や汗が止まらなかった。
(やべぇ……どうして日下部がここに……って、あいつ隊長だったか)
隊長ならば、負傷した隊員を見舞うこともあるだろう。
しかし納得したのはいいが、それで状況が変わるわけではない。
この距離では既に相手の視界に入っているだろう。
今から身を隠そうとしても、それはかえって不自然というもの。
士道にできるのは、引き続き自然体で平静を保つことだけだ。
顔が思いっきりあらぬ方を向いているのは不自然極まりないが、残念ながらそれを指摘してくれる者はいなかった。
「んー? んんー? んんんんーー??」
当然、そんな振る舞いを見せていれば怪しむなというのが無理な話である。
見事に目を付けられた士道は、様々な角度から訝るような視線を受けるのだった。
何とか顔を直視されないように避け続けるのだが、それが余計に不自然さを助長していることには気づかない。
人間、精神的に追い詰められると客観的な視点を見失うものなのだ。
「失礼ですが、あなたは?」
「あ、怪しい者じゃありませんよー?」
「いや、そんな顔を逸らしたまま裏声で話されても……説得力という言葉、ご存知です?」
「仰る通りで! ……あ、やべっ」
思わず素のトーンで返してしまった士道は、失敗を悟って口を塞ぐ。
しかし、その失敗を取り繕うとする動作が決定的な隙を作った、
真正面に回られ、しっかりと目と目が合う。
「…………」
「…………」
両者の間に流れるのは、実に気まずい沈黙である。
しかし抱く感情はそれぞれ違うものだ。
士道はダラダラと汗を流しながら、顔一杯に緊張やら焦りやら気まずさやらを詰め込んで。
対する女性――日下部燎子は額に青筋を立てながら、明らかな怒りのオーラを滲ませて。
「…………よ、よう……ひ、久しぶり」
「おう、ちょっと隊舎裏までツラ貸せや」
「なんか懐かしいなぁ、このノリ!」
「いいから来い……っ!」
「いて、いてて! 千切れる、襟千切れちゃうから!」
「で、記憶処理を受けてASTを辞めたはずの人が、一体こんな所で何をしてるんですかねー?」
「じ、自分、一般市民なもので……な、何が何やら……」
「あぁん!?」
「ひぇっ……」
隊舎裏は遠いので、病院裏で勘弁してもらった士道は、やはりというべきか詰め寄られていた。
恐喝じみた尋問に、小さな悲鳴が漏れる。
諸事情あって恐喝には慣れているが、見事に目がキマった顔で凄まれては恐ろしすぎる。
これは過酷な業務の上に、栄養ドリンクをキメまくって至れる境地である。
士道も〈ラタトスク〉の訓練中、同じような状態に陥った覚えがある。
迫力というか凄味に負けて、士道は下手な誤魔化しをやめた。
「……今日は折紙のお見舞いだよ。別に一般人が入れないわけじゃないだろ?」
「いっそ出禁でも食らってたら良かったのに」
「酷いなぁおい!」
「うるさいっ! アンタのせいでどれだけ苦労したと思ってやがる! 少しは報告書を書く方の身にもなりやがれってんだよぉ!」
「ぐぇっ……絞まってる絞まってる……っ! 落ちちゃうからぁ……!」
「絞めてんだよ!」
流れるような動きで背後を取られた士道は、腕で首を絞め上げられていた
これがギャルゲーならば背中に柔らかい感触とともに、「当ててんのよ」の一言が期待できそうなものだが、残念なことにここは現実である。
過酷な訓練の賜物だろうか、頭の一部が二次元に侵食されているようだ。
まるでお手本のような絞め方に感心しつつも、士道の意識は次第に薄れて完全に途切れ――――る前に、唐突に体が自由になる。
眩む視界の中で壁に背中を預けてようやく呼吸が落ち着けると、そのタイミングを見計らったかのように顔の横を拳が通過した。
その鋭すぎる一撃は、士道の頬に薄く一筋切り傷を残しつつ壁を抉る。
傍から見れば壁ドンの体勢に見えなくもないが、当の本人にそんなことを気にする余裕は微塵も存在しなかった。
燎子は無言で空いている手を士道に差し出し、どうも何かを要求しているようだった。
「悪い……今あまり持ち合わせがなくて」
「カツアゲじゃねぇーよ! 携帯出せって言ってんだよ!」
「え、なんで?」
士道が素で顔に疑問符を浮かべていると、燎子は深く深ぁーくため息を吐いた。
そこには呆れを初めとした様々な感情が澱んだ状態でブレンドされていた気がするが、あまり気にしないことにした。
下手に口を出すのは、破裂しそうな風船を針で弄るようなものである。
「こっちはこっちで忙しいんですよ。後で死ぬほど苦情入れるから連絡先教えやがれ」
少し落ち着いて正気に戻ったかと思えば、まだ敬語と乱暴な言葉遣いが混ざっている。
ここは言われた通りにした方がいい判断した士道は、大人しく携帯を差し出すのだった。
「――これでよし……っと」
士道に携帯を放って渡すと、燎子はあっさりと離れていった。
もっと色々と尋問されると思っていただけに、拍子抜けである。
昨日も出動していただろうし、まだまだ事後処理が残っているのか。
隊長ともなれば責任も仕事も嵩むものなのだろう。
どこぞの変態は特に苦にした様子はなかったが、あれを基準にしてはいけない。
「それじゃあ、折紙の見舞いは手短に済ませてくださいね。あの子、先輩が絡むと暴走するんで」
「あ、ああ……」
拍子抜けではあるが、これで解放されたと考えると幸運だろう。
下手をしたら、身柄を拘束されてもおかしくなかったのだ。
禍根は消え去っていないが、ひとまず士道は胸を撫で下ろした。
「――逃げんなよ?」
そして年上の後輩の去り際の一言に、身を竦み上がらせるのだった。
しかし、真のピンチ(貞操的な意味で)がこれから見舞う先に待ち構えていることには、当然ながら気づきようもない。
真の淫行教師になるかどうかは、この先の奮闘にかかっていると言っても過言ではないのだ。
というわけで終了。
次回、果たして士道くんは貞操を守り抜けるのか……!