士道くんが淫行教師と謗られながら精霊をデレさせる話 作:kish
週休二日に慣れてしまった体には土曜出勤が辛い……
というのはさておき、今回で多分文字数が前に書いてたやつを越しました。
前作は完結まで一年とちょっとだったので、更新ペース自体は落ちてますね。
いつになったら終わるのかと危機感を覚えています。
「一体どういうつもりですか!?」
陸上自衛隊、天宮駐屯地のCR-ユニット格納庫に、女性の声が響き渡った。
ワイヤリングスーツに身を包んだその女性は日下部燎子……陸自の対精霊部隊、通称・ASTの隊長である。
格納庫内は端々に装備が置かれているものの、中央部分は開けていて、どことなくガランとした印象を感じさせた。
それもそのはず……つい先程までそこに、異様な存在感を放つ装備が鎮座していたのだ。
今日搬入されたばかりのDEM社の試作機、DW-029〈ホワイト・リコリス〉。
花の名を冠した名前の響きに反して、一個人が扱う装備に一個中隊分の火力を詰め込んだという、最高に頭のおかしい代物である。
扱う際にかかる負担も火力相応らしく、DEM社の専属魔術師がこのCR-ユニットを三〇分フル稼働させた末に、廃人になったという話もある。
その色々な意味で物騒な装備を引っ提げて、今しがた一人のAST隊員が出撃していったのだ。
それは隊長である燎子の命令ではなく、もっと遥かに上の立場の人間の口添えによるものだ。
アイザック・レイ・ぺラム・ウェストコット……DEM社の事実上のトップである。
DEM社、正式名称をDeus Ex Machina Industry……イギリスに本社を置く、奇跡の技術と称される顕現装置を各国に供給する大企業。
その顕現装置がもたらす恩恵を省みれば誰も、たとえ一国のトップだとしても、ウェストコットの言葉を無視することは出来ない。
しかしながら燎子の非難じみた抗議は、彼に向けられたものである。
ギリギリのところで上の立場の人間に対する体裁を保っているが、立場を考慮しなければ、掴みかかって手を上げていたとしてもおかしくはない。
それだけの剣幕だった。
燎子とウェストコットの間に割り込むように立った赤毛の女性は、狐のような印象を与える釣り目を細めて、その様に冷ややかな嘲笑を向けた。
「あラ、極東のオママゴトチームの一隊員が〈ホワイト・リコリス〉を使わせてもらえル。それが破格の待遇だと何故理解できないのかしラ?」
ジェシカ・ベイリー……ウェストコットに付き従う、DEMの人間である。
見下すような態度を隠そうとしない彼女に、燎子の目つきが一層険しくなる。
しかしながら、ジェシカの言うことは間違いではない。
先程出撃していった鳶一折紙一曹は、権利的にも技術的にも〈ホワイト・リコリス〉を扱える立場ではない。
それを何とかしたのが、ウェストコットの鶴の一声である。
見ようによっては『意気軒高な若者にチャンスを与えた』という美談に取れるかもしれないが、隊員の命を預かる立場として、そんなものを承服するわけにはいかない。
折紙が駆るのは、自身を再起不能にしかねない兵器なのだ。
「それで〈イフリート〉の討滅が叶うのなラ、むしろ感謝を向けるべきだと思うけれド? もっとモ、その前にあの子、ダメになっちゃうでしょうけどネ!」
「――っ」
「ジェシカ」
燎子の握り拳が振り上げられる前に、ウェストコットが声を上げた。
切れ長の双眸を伏せて、その声には憂うような響きがあった。
そのまま、諫める言葉をジェシカに向ける。
「所属は違えど我々は目的を同じくする、いわば同志だ。そんなことを言うものではないよ。ここは我々も彼女の勝利を信じようじゃないか」
「仰るとおりでス、ウェストコット様」
先程の冷笑はどこへ行ったのやら、見本にしたくなるほどの態度の変わりっぷりである。
内心で毒づきながら、燎子は二人に背を向けた。
これ以上は時間の無駄だ。
こうなれば、こちらも当初の予定通り出撃するしかない。
同じ戦場にいたのなら、何かが起こっても対応できるだろう。
「一尉、どちらへ?」
「……出撃します。見ての通り、緊急事態なので」
「ああ、そういえばこの街の外縁部で何かがあったらしいが、そちらの調査も急務と言えるのではないかな?」
「ええ、確かにそちらも聞き及んでいますが」
「何しろこの緊急事態だ。精霊の関与があったとしてもおかしくはない。こんな時こそ君達ASTの出番というわけだ」
ウェストコットの言わんとするところを図りかねて、燎子は困惑した。
確かにいずれは何らかの調査が行う必要があるだろうが、現状では優先順位として現界した精霊に勝るものではない。
「そちらも追って調査を行う予定です。現状はより緊急性の高い、精霊への対処に人員を割きたいと思います」
「全く、実に嘆かわしい……魔術師の人手不足はどこの国も同じというわけだ」
悩まし気に自身の額に手を当てるウェストコットだが、やたらと大仰な動作にはむしろ演技臭さがあった。
いっそ白々しくすらあったが、相手はVIP中のVIPだ。
無視を決め込むわけにもいかない。
燎子は一礼だけすると、そのまま歩き出した。
「……それでは、私はこれで」
「どこかに、自由に動ける立場の魔術師がいないものか……ああ、いるじゃないか。すまないね、ジェシカ。いきなりで悪いが、君の力を振るってもらえるだろうか」
「仰せのままニ、ウェストコット様」
「――――は? ミスターウェストコット、今の発言の意味がわかりかねますが」
「君の部下のサポートに、我が社の優秀な魔術師を回そうという話だよ。なに、
滔々と、こちらが口を挟む間もなく語る様は、予定調和という言葉を思い起こさせた。
それならばやたらと演技臭い態度にも納得がいく。
つまり、最初から自分たちが介入するつもりだったのだ。
そうでなければ、おいそれと試作機をこちらに使わせる道理がない。
あれは元はといえば、現在は行方不明の補充要員、DEMから出向してきた崇宮真那三尉に使わせるつもりだったらしい。
再度、握る拳に力が入る。
「さあ、君達は心置きなく異変の調査に向かうといい」
意訳するのなら、
どのような意図があるのかは不明だが、恐らくはこの男の言う通りになるだろう。
燎子が受け入れずとも、上層部から同じ内容の命令が下ることは想像に難くない。
末端の一隊員の安否と顕現装置の流通を牛耳る大企業のトップ……幹部連中がどちらを優先するのかなどわかりきっている。
「…………わかり、ました」
骨が軋むほどに拳を握り締めて、激情をどうにか押しとどめる。
返した言葉はたった一言だが、それを吐き出すまでに随分と時間と精神力を要した。
基本的に、上からの命令は絶対なのだ。
不思議なことに平然と命令に背く部下が存在するが、そんなものは例外である。
「安心なさいナ。アナタの部下は私がちゃぁんと面倒見てあげるワ」
背中に掛けられる嘲笑混じりの言葉に、燎子は心底背を向けていて良かったと思った。
面と向かっていたら、自分が何をしていたのわからない。
こんな時はそう、無性に
つい先日使用したそれはどれだけ殴っても、斬っても撃っても壊れない、憎たらしいぐらい頑丈な代物である。
あのクソボケならば、この状況でどう動くだろうか。
そんなことを、考えた。
「ぎゃーーーー!」
天宮市内にあるテーマパーク、その一区画に悲鳴がこだました。
赤く染まる空の下、立ち並ぶアトラクションが焼け落ち、或いは溶け落ちる様は、さながら地獄が地上に現れたかのような光景だった。
一帯は尋常ではない熱気に包まれており、常人は立ち入ることが出来ないという意味でも正しく地獄である。
迂闊にも足を踏み入れようものなら、周囲に蟠る熱によって全身に火傷を負い、さらに呼吸でもしようものなら、呼吸器系に深刻な損傷を負うだろう。
その中で悲鳴を上げていること自体、常人ではないことの証明となる。
悲鳴の主は魔女のような出で立ちの、幼い少女だ。
くせっ毛の上に乗せた幅広の帽子の下で、エメラルドの瞳をグルグルと回すその少女、七罪は特殊災害指定生命体……通称・精霊と呼ばれる存在である。
世間の一部から人型の天災と恐れられる存在の一人である彼女は今、とある男性の背中にしがみつくようにおぶさっていた。
その男性の名は穂村士道……今は中世の騎士のような装いをしているが、彼は天宮市内のとある高校に勤める教員である。
高校教師と言えば平凡の域を出ない肩書きだが、この場にいる時点でやはり常人とはいえない。
それを示すように、士道にはまた別の側面がある。
秘密組織〈ラタトスク機関〉のエージェント……それが士道の持つ裏の肩書きだ。
組織によって託された使命は、精霊とデートしてデレさせること。
思わず、何を言っているのかと正気を疑いたくなるような内容だが、残念なことに真実なのだ。
より正確に言うのなら、デートしてデレさせるのはあくまで手段であり、最終的な目的は精霊の持つ力の封印である。
そうして平和的に精霊を無力化して平穏に過ごしてもらう、というのが〈ラタトスク〉が掲げる目標ということになる。
士道にはそのために必要な特殊能力があり、その能力がゆえに淫行教師という汚名を受けているのだ。
よくよく考えてみれば、その汚名の発端は精霊や能力とは無関係の部分にあるのだが、現実逃避とは得てして自己防衛の一手段である。
……ともかく、士道には一般市民を名乗るには少々特殊に過ぎる立場や能力があり、そのために精霊と呼ばれる見目麗しい少女たちの唇を奪うために日々奔走しているのだ。
このように、事実を並べたらひたすらに人聞きが悪いが、そこに邪な意図は一切無いというのが彼の主張である。
ノーモア淫行教師。
「よし七罪、アレやるぞ、アレ!」
「アレって何!? いきなり言われてもわかんないわよっ」
「たかいたかいだ!」
「はぁあああああああ!?」
有無を言う暇もなく体を持ち上げられた七罪は、疑問と悲鳴が混然となった叫びを上げた。
先程はデートとか言っていたような気がするが、これではまるで子守である。
別に期待していたわけではないし、この状況でデートとか言い出すのは場違いにも程がある。
しかし、どうしても釈然としない気持ちが募るのだった。
繰り返し言うが、別に期待していたわけではない。
ただ、ほんの少しだけ、自分が思い描く理想の
後になれば地面に転がりながら悶えること間違いなしの願望だが、今は目の前の問題をどうにかする必要がある。
噴出する炎が赤々と、地獄のような光景を彩った。
そして、七罪に対してその具現である赤い刃が振り下ろされるが、不可視の壁に受け止められて直前で留まる。
刃を阻んだのは士道が展開する随意領域――――現代の魔術師と呼ばれる者たちが操るそれは、文字通り自分の意のままになる空間である。
その中では、それこそ魔法のような芸当も可能となる。
本人は事ある毎に一般市民を自称するが、魔術師の才能を持つ者は万人に一人と言われ、そう言った意味でもやはり士道は常人ではない。
その力で相対するのは他ならぬ士道の姪である、五河琴里。
彼女こそがこの地獄のような場を作り出した
和装のような霊装を纏い、炎の帯を羽衣のように纏わりつかせる様は天女のようだが、頭部に一対の角を生やして、身の丈を越える巨大な戦斧を振るう様は鬼のよう。
紅玉の双眸にはどこか無機質で、それでいて禍々しい光が宿る。
精霊の力に自我を呑まれつつある彼女を救うことが、この戦いの目的なのだ。
戦いとは言っても、〈ラタトスク〉が精霊に対して行うそれは武力によるものではない。
その証拠に士道は自分から手を出すことはなく、相手の攻撃を随意領域で受け止めてばかりだ。
とはいえ防戦一方というわけではなく、士道の『攻撃』は先程から続いている。
「ほーら、七罪ー? 高いだろー?」
「いやいやいやっ、何なのよコレーーーー!?」
そう、この『たかいたかい』こそが、琴里に対する攻撃なのだ。
戦いの最中に一体何をやっているのか、というのはもっともな意見だし、七罪もほぼ同じ考えなのだが、これは相手の精神を揺さぶる立派な『攻撃』である。
これは琴里が幼い頃からのスキンシップの一つなのだ。
それとこれとで一体何の関係があるのか、というのももっともな指摘だが、琴里の精神を揺さぶるにあたり、七罪と仲が良い様を見せつけるのが効果的と判断されている。
実際、七罪が持ち上げられて悲鳴を上げるたびに、琴里が振るう戦斧は苛烈さを増していた。
効果の程を裏付ける声が、士道と七罪が耳に嵌めたインカムに届く。
この作戦の指揮を執る〈ラタトスク〉の解析官、村雨令音だ。
『……その調子だ、七罪。琴里は君に確かに嫉妬している』
「ウソでしょっ!? こんなので…………ぎゃーーーー!」
「よしっ、俺たちの絆を見せてやろうぜ……!」
「士道って琴里が絡むとバカになるわよねぇっ!?」
「可愛い姪っ子を前に、バカにならない男はいないんだよっ!」
「開き直りぃっ!」
もう、何だか真面目にやるのが馬鹿馬鹿しくなってくるような状況だった。
恐怖やら羞恥やらで色々と限界を迎えそうな七罪だが、自身の変身能力に頼ることは出来ない。
例えば、大人姿に変身したらきっとこのノリにも付いていくことが出来るだろうが、それでは多分効果が薄くなる。
琴里の嫉妬が何に向けられているのかと言うと、それは恐らく自分の立ち位置が奪われることに対してだろう。
大人姿の七罪が士道にベタベタしたとしても嫉妬は煽れるだろうが、スタイルの良い長身の美女とつるぺったんな女子中学生とでは最早別ジャンルだ。
効果をより大きくするためには、琴里と似たような背格好をした七罪が……つまりは素の自分のままで臨まなければならないのだ。
途轍もない難題だが、事ここに至ってはやるしかない。
それに、と七罪は士道に目を向ける。
馬鹿馬鹿しい限りではあるが、士道は真剣なのだ。
先程の発言は世間の叔父の気持ちを代弁するには暴論に過ぎるが、翻せば琴里がそれだけ想われていることに他ならない。
とどのつまり、七罪の役割は当て馬である。
チリッ、と走るノイズのようなその感情の正体を、七罪は自覚していた。
これは嫉妬だ。
分不相応にもおこがましく、自分はこれだけ士道に想われる琴里に対して嫉妬をしている。
仮にも世話になっている相手に対して抱くような感情ではないのかもしれない。
自己嫌悪に陥りそうになるが、そんなのは日常茶飯事である。
なので士道に倣って、七罪も開き直ることにした。
首に腕を回して、自身を守ってくれる
大人姿の時なら難なくやってのけるのだが、素の自分にとっては些か以上にハードルが高い。
周囲の熱とは別の理由で顔が火を吹きそうなほど熱いし、恐怖とは別の理由で心臓がうるさくて仕方がない。
勢いと開き直り、それと緊急事態という言い訳がなければ乗り越えられなかっただろう。
以前交わした雨中のキスは、様々な感情が溢れ出して抑えきれなくなった結果というか、つまりは暴走である。
自分の力によるものだが、あの時は士道が子供の姿だったというのも大きい。
あの一件と同様に、今回もしばらく一人で身悶えることになるのは確実だ。
そして七罪はトドメと言わんばかりに、琴里にとっての『特別』を侵す呼び名を口にした。
「し……しーくん、だーいすき……っ!」
刹那、これまでにない勢いで炎が燃え盛った。
令音の解析を信じるのなら、これは琴里の嫉妬の感情そのものだ。
普段は司令官とかいって
精霊の力に自我を呑まれつつある状態でこれなのだから、その執着の程が窺い知れる。
(だったらさっさと戻ってきなさいよ、琴里……! こっちは服を選んでもらったお礼だってまだ言ってないんだから…………!)
「むぅ……ここはこれでよいのか?」
『……ああ、それで問題ない。次の地点へ移動してくれ』
「うむ、了解だ」
耳元に直接届いた眠たげな声に頷くと、夜刀神十香は夜色の髪を翻し、ビルの壁面を蹴って地面へと下っていく。
その身に纏うのは、精霊の守りの要である霊装が身に着けた衣服を元に、限定的ながらも顕現したものだ。
限定霊装とでも呼ぶべきそれは、全開の状態には遠く及ばないが、十香が一定の霊力を取り戻している証である。
この力を以て、十香は士道の家族を救うため奔走しているのだ。
それでなくとも、琴里には十香自身も世話になっているので、尽力することに否はない。
とは言っても、自分が具体的に何をしているのかには理解が及んでいなかった。
耳に嵌めたいんかむとやらから聞こえる令音の声に従い、〈フラクシナス〉を出る際に渡されたとあるものを設置して回っているのが現状だ。
手のひらに収まるサイズの機械……これと似たものに、十香は覚えがあった。
士道が戦いに臨む際に、その手に握っているものと似ているような気がしたのだ。
「あれは……シドーと七罪か?」
紫水晶の瞳に、淡い緑の流星が映る。
十香はそこから士道の気配と、自分とは違う霊力……恐らくは七罪の存在を感じ取った。
赤く染まった空を切り裂くように飛ぶ流星は、灼熱の砲撃を真っ向から打ち破ってみせた。
状況の変化を察した十香は、都度下に降りるのをやめ、直接ビルからビルに飛び移る。
今まではあの砲撃の対象とならないように、なるべく目立つ真似を避けていたが、士道が距離を詰めたのなら砲撃が飛んでくる心配はない。
それにしてもと、十香は七罪に対してモヤモヤとした感情を向けた。
これまで共に過ごしてきた中で、彼女がどうやら良いやつなのだということは理解している。
あの鳶一折紙はただただいけ好かないが、七罪に対して十香は好感を抱いていた。
だけど、ああしてすぐ傍で士道を支えているのには羨望を抑えられそうにない。
十香の力は戦いという行為に特化している。
それは望む望まざるに関わらない、
その力を振るう十香にとって、戦いとは何かを『壊す』ことであり、何かを『守る』ために戦う士道とはきっと相性が良くないだろう。
もし傍で戦って、何かの間違いでも自分の刃が再び士道を傷つけるようなことがあれば――――
『――――十香、大丈夫かね?』
「ん、問題ない」
絶望の予感を振り払い、十香はビルからビルへと飛び立った。
そのすぐ横を、巨大な影が物凄い速度で通り過ぎていく。
何事かと振り返るが、既にその影は遠く、小さくなっていた。
「今のは……」
その影に
それは事実、更なる波乱の予兆である。
まだ何かが起こることを確信した十香は、指示された場所へと向けて足を早めた。
巨大な金属塊が、空を飛んでいる。
もしその様を目撃した者がいるならば、そんな感想を抱くだろう。
遠目ではなく近くで見たのなら、空にありながら城、或いは戦車と形容するかもしれない。
それは全長五メートル以上はあろうかという、
その中央に鎮座した少女……鳶一折紙は、普段は人形のようと評される無表情を憤怒に歪める。
五年前、天宮市の一部を炎で焼いた
折紙には、両親の仇であるその精霊を討ち果たすという悲願があった。
そのための力が今、手の内にある。
CR‐ユニット〈ホワイト・リコリス〉。
背部には幾つものミサイルポッドと更なる武装を収めたコンテナを背負い、折紙の両腕の延長である腕部パーツには大型レイザーブレイドが二振り、更にその外側に巨大な砲門が二つ。
精霊を単独で倒せるレベルの理論値を目指して開発されたその兵器は、ありったけの武器と弾薬をつぎ込んだ結果、最早異形とも呼べる姿を取っていた。
その実態を知る者からしたら、それは武器庫がそのまま飛んでいるようなものだ。
「――見つけた」
強化された視界の中に標的の姿を捉え、折紙は憎悪を滾らせた。
和装のような霊装に炎を纏わりつかせ、巨大な戦斧を振るうその姿はまさに炎の精霊。
同時に、それが
「五河、琴里…………!」
来禅高校二年四組の副担任であり、折紙の恋人でもある穂村士道の姪。
直接の面識はないが、士道の身辺を調査する上で彼女についても把握している。
炎の精霊の正体に一瞬、ノイズのような動揺が走るが、激情が容易く押し流す。
同時に、その姿に覚えた
脳から指令を送り、CR‐ユニットが生み出す莫大な推力で更に速度を上げる。
そのまま、折紙は炎の精霊へと向けて巨大な砲門を構えた。
「――――どうやら始まったようだ」
赤く染まる空、その中心地へと向けて膨大な魔力光が奔る。
その様を見届けて、ウェストコットは愉しげに呟いた。
炎の精霊に近づいた今、周囲の気温は相当に上がっている。
しかし、漆黒のスーツという格好に関わらずその顔には汗一つなく、むしろ涼しげですらある。
ウェストコットを覆うように広がるのは随意領域――これで気温や湿度を操作しているのだ。
その制御を担うのは傍らに立つジェシカ……DEMの魔術師である。
その身に纏うのはワイヤリングスーツとCR‐ユニットだが、ASTに配備されているものと比べ、より洗練された印象を与える。
それもそのはず……顕現装置のみならず世界各国に供給されるCR‐ユニットも、全てDEMが開発から製造まで手がけている。
ジェシカが使用するのはその最新型であり、ASTが使用しているものは数世代型落ちしたものに過ぎない。
「ウェストコット様、どうかお下がりヲ」
「折角の機会だ。自分の目で見ておきたくてね。君には迷惑をかけるが、よろしく頼むよ」
「……仰せのままニ」
ウェストコットの言葉を、ジェシカは〈ホワイト・リコリス〉の性能を見るためだと解釈した。
しかし、そこには食い違いがある。
確かにその目的は間違いではない。
今回は理論値を求めて開発したはいいが、まともに扱えるものがおらず死蔵されていた試作機の性能を見る、またとない機会ではある。
ASTの若き魔術師に〈ホワイト・リコリス〉を預けたのもそのためだ。
彼女がどれぐらい
DEMの魔術師を使い潰すよりは、よっぽど効率的だと言える。
勿論、大いに期待も向けている。
起動できただけでも大したものだが、もし彼女が〈ホワイト・リコリス〉を駆った上で生きて帰って来るなら、それだけ優秀な魔術師だという証明になる。
その才能はDEMにとって、さぞ有益なものとなるだろう。
だが、ウェストコットの目的は炎の精霊の方だ。
こちらが何もせずとも
もしかしたら、その瞬間を目撃できるかもしれない。
ウェストコットの心中にあるのは純粋な、ともすれば子供じみた好奇心だった。
「さて、出来ればもう少し近づきたいのだが――――」
「ウェストコット様ッ!」
白銀の閃光が、二人の前に降り立った。
咄嗟に前に出たジェシカは、その姿を認めて苛立ちに顔を歪めた。
「タカミヤ・マナ……!?」
行方不明になっているはずの崇宮真那が、CR‐ユニットを纏ってこの場に現れたのだ。
短めのポニーテールに、左目の下の泣き黒子が特徴的な少女である。
ASTに出向中の、DEMの精鋭であるアデプタス・ナンバーの二番手。
それはそのまま、
三番手であるジェシカにとっては、ひたすらに気に入らない存在だった。
「おや、こんな所で奇遇でいやがりますね、社長」
「君のその独特な日本語も相変わらずのようだね、マナ」
「いやはは、こればっかりはどうにもならねーので、どうか容赦しやがってください」
「構わないよ。君の実力を考えれば実に些細なことだとも」
社長と一社員の会話にしては随分と気安いが、ウェストコットが気分を害した様子はない。
しかし、この場にはそれを看過しない者がいた。
「マナ! ウェストコット様に対して無礼でしょウ!?」
「さて、社長。いくつか訊ねてーことがありますが、構いやがりませんかね?」
「そうだね、なるべくなら手短にしてくれ。今は少々忙しくてね」
「なら単刀直入に――――私の体に何をしやがりましたか?」
訊ねる、と言いつつも、その声に疑問の色はない。
これでは問うというよりは確かめると言った方が正しい。
その瞳に宿る剣呑な光が、既に答えを得ていることを示している。
ウェストコットは肩をすくめて嘆息した。
「どうやら知られてしまったようだね……実に残念だよ」
「否定をしやがらねーということは、そういうことでいいので?」
「マナ、君には感謝しているよ。君の献身は、我が社の技術の向上に一役買ってくれた」
「献身……? よくもまぁ、ぬけぬけと」
真那の纏う随意領域が、その密度を増す。
完全なる戦闘態勢……応じてジェシカの随意領域もその密度を増した。
「ウェストコット様に歯向かうというのなら、その減らず口を叩けないぐらい、ボロボロにしてあげるワ……!」
「ところで、退職金を頂きてーのですが」
「言い値で支払おう。DEMに残ってくれるというのなら、今まで以上の待遇を約束するがね」
「そうですね、差し当たっては……ウェストコット――――貴様の首を頂きましょうか」
「――――私をッ、無視ッ、するナ……ッ!!」
あまりにも不遜で許しがたい発言に、激情が噴出した。
先程から無視されていたのも相まって、ジェシカの形相は怒りのあまり歪みに歪んだ。
その様子に、真那は初めて意識を向けて……
「ああ、いやがったんですか、ジェシカ。そんな顔をしていやがると、シワが増えますよ?」
「――っ、殺スっ!!」
相変わらずの人を食ったような態度に、ジェシカの怒りは増すばかりだ。
その姿が霞むほどの速度で繰り出された斬撃を、真那は軽い調子で避けた。
「おっと、いきなりとはご挨拶で。相手をしてやっても構わねーんですが、模擬戦で私に一勝もしたことねーのをお忘れで?」
「ハッ! 見たところ、ご自慢の〈ムラクモ〉の姿がないようネ? メインウェポンを失った状態で、果たしてまともな戦いになるのかしらネ!?」
指摘通り、真那のCR‐ユニットからは、肩部にマウントされていたパーツが失われている。
ジェシカが〈ムラクモ〉と呼んだそれは、様々な状況に対応する、真那の主武装である。
それを欠いた現状は、確かに決定力に欠けると言わざるを得ない。
魔術師同士の戦いは、大雑把に言えば魔力の削り合いである。
随意領域で攻撃を受け止めることで魔力が削り取られ、その末に随意領域を維持できなくなった者が敗北を喫する。
当然、生成魔力量が多い方が有利だが、随意領域を効率的に削る武装の欠如は大きな痛手だ。
ただし、それは両者の実力が拮抗している場合の話である。
「やれやれ……ASTも大概でしたが、あなたの認識も中々にあめーようでいやがりますね」
真那は大げさにため息をつくと、腰を落として徒手空拳で構える。
そして、ジェシカに向けた手をクイクイと、煽るように前後させた。
「ここは一つ、元同僚として格の違いというやつを教えてあげますよ」
「――――ッ、マナァァァアアアアアッ!!」
激昂の残響の中、弾かれるように掻き消えた二つの影が、ぶつかり合っては火花のように魔力光を散らす。
その光景に、ウェストコットは肩をすくめて目を細めた。
自分が狙われているにも関わらずそこに危機感はなく、むしろやんちゃな子供たちを見守るような余裕すらあった。
しかし、と赤く染まる空を見上げる。
「折角の機会だというのに、この分では〈イフリート〉の姿は拝めそうにない、か」
ため息には落胆の色があった。
とはいえジェシカに非があるわけではなく、ここで真那の介入を想定しろというのが無理な話だ。
社内の序列においても
たかだか武装の一部を失った程度で、それが崩れることはないだろう。
しかしながら、ここに
彼女は今も氷雪が吹き荒れる地獄と化した富士の樹海で、反転した〈ハーミット〉を攻略中だ。
色好い報告を聞けるまで、もう少し時間がかかるだろうか。
「もっともエレンがいたら、漫画を買いに行くなどという真似は許してくれなかっただろうがね」
古くからの友人であり、同じ目的を抱く同志である彼女の顔を思い浮かべる。
もし馬鹿正直に漫画を買いに行くなどと言えば、「もう少しは自分の立場を考えろ」と小言が飛んできていただろう。
実のところ、今回のような襲撃も前例がないわけではないのだ。
ウェストコットには内外問わず敵が多い……それは自覚が及んでいる事実である。
だからこそジェシカのような護衛が必要なのだが……
「ふむ、これは少し困ったことになってしまった」
その護衛は今、襲撃者にかかりきりになってしまっている。
周囲を覆っていた随意領域も取り払われ、ウェストコットは今、異様に上昇した気温に晒されていた。
中心部に比べればまだマシだろうが、この格好では辛いものがある。
汗を滲ませながら、スーツのジャケットを脱ぐ。
それに軽々に
ウェストコットは表向きは、
「ただの人間、か……まさにその通りだ」
出自は間違いなく特殊だろう。
能力に関しては常人よりは優れているだろうし、実績や立場に目を向ければ、間違いなく上流と評される位置にいると断言できる。
しかし、ウェストコットの自認はあくまで「どこにでもいるようなありふれた人間」なのだ。
同じように、「善良な一般市民」を自称した男の顔を思い出す。
ホムラシドウ……その顔を見た時、胸中には少なからぬ衝撃があった。
彼は三〇年前の少年とあまりにも似ていたのだ。
名前は確か――――
「タカミヤ、シンジ」
とある可能性が、ウェストコットの頭の中に浮かび上がる。
それは愚にもつかない、ともすれば妄想と笑い飛ばされそうなものだ。
しかし、精霊という存在に常識を当てはめようとするのは、ナンセンスだと言わざるを得ない。
ましてやその根源たる始原の精霊ならば、どのような常識破りすらも果たすだろう。
もしそうだとしたら、とても面白いことになる。
自身が抱える業務は勿論の事、これからとある存在との大事な『商談』が待ち受けている。
先程買ったばかりの漫画にも目を通す時間も作らねばならない。
ますます先の楽しみが増えたと、ウェストコットはくつくつと喉を鳴らして笑った。
「さて、これからは忙しくなりそうだ」
「――――来ましたね」
艦橋に響いた声に、その場の緊張が高まる。
声の主は司令官不在の今、指揮を預かる副司令・神無月恭介。
彼の指揮の元、艦橋で繰り広げられているのは空中艦〈フラクシナス〉の隠蔽作戦である。
艦橋スクリーンには、ASTの反応を示すマーカーがいくつも表示されている。
規模は一個中隊クラス……神無月の記憶では戦力の大半に当たる。
「おやおや、現界した精霊を差し置いてこちらに主力を向けるとは、現職の隊長殿は中々に物好きのようですね」
もしくは、意に添わぬ命令に従わされているか。
艦載のカメラで捉えた見知った顔が如何にも、「心配事があります」とでも言うようにその眉根を寄せている様に、そんな可能性が過ぎる。
真面目な彼女が、事の優先順位を取り違えるとは思えない。
先程、オーシャンパークへと向かっていった反応と関係があるのだろうか。
となると――――
「……やれやれ、もう少しハードな展開を期待していたのですがね」
嘆息すると、神無月は気の抜けた様子で艦長席の座面に頬を擦り付けた。
こんなことをしていれば後でその艦長に折檻を受けそうなものだが、彼にとってはただのご褒美でしかない。
令音を除いた艦橋クルーは一様に、いきなりやる気をなくした神無月に動揺した。
「ふ、副司令? そろそろ何かしらの対応をした方がいいのでは?」
「もし身柄を拘束されでもしたら、司令のお仕置きを受けることもできなくなるんですよ?」
「それは一大事ですが、その心配は不要です。
しかしそれは、ほとんど何もしないのと同義である。
ASTを示す表示が〈フラクシナス〉に接近する。
センサー類は
ASTが周囲に展開する随意領域と干渉を起こせば、そこに何かがあるという確信を抱かれてしまうだろう。
いくら縮小したところで、周辺の調査を続けるならば最終的には接触を避けられない。
そして部隊の先頭に位置するポニーテールの女性が、
「え、AST……この場から離脱していきます」
報告する声には、困惑の色があった。
ありのままの事態を告げたものの、何が起こったのかまるで理解できていなかったのだ。
ただ一人、隊長である彼女の心情を理解していた元隊長は、その背中を見送って口元を僅かに緩めた。
「相変わらずわかりやすい。顔に出過ぎですよ、日下部君」
「――総員、この場を離脱して鳶一一曹と合流するわよ!」
燎子の号令に、機械の翼を背負った集団が一斉に「えっ、それでいいの」という反応を見せる。
いくら意に添わぬ調査とはいえ、おざなりに過ぎるのではないだろうか。
まだこの場に到着したばかりだというのに、いきなりの離脱命令には戸惑うばかりである。
隊員間の目配せの末に貧乏くじを引かされた一人が、燎子の前に進み出る。
そのびくびくとした様子は、先日の〈ウィッチ〉との戦いで隊長が見せた、鬼神の如き形相がまだ記憶に新しいからだ。
「た、隊長殿……? もう少し時間をかけて調査した方が――――」
「視認での異常も見られず、各センサーにも異常はなし……これ以上ここにいる意味、ある?」
「あ、ありませぇんっ!」
見た目だけなら優しい笑顔だったが、纏うオーラは鬼神のそれである。
これは下手に怒るのよりもずっと恐ろしい。
笑顔の起源は肉食獣の威嚇だという説があるが、その通りなのかもしれない。
半泣きで逃げ帰った隊員を労わるように、同じ小隊のメンバーが出迎えた。
「反転、回頭、ほら急ぐ!」
『イエス、マム!』
慌ただしく、中隊規模の一団がその場から離脱していく。
その最中に、燎子は一度だけ何もないその
すると、何故だかぞくりと背筋に怖気が走った。
それは例えるなら、度し難い変態に全身を舐めまわすように見られているような感覚だ。
燎子の記憶の中では、そのような人物は一人しかいない。
世界は広いので探せば他にもいるかもしれないが、
その一人にしても、理解に苦しむ理由でASTを出奔した身だ。
一応籍自体は残されているようだが、一体どこで何をしていることやら。
あのクソボケと同じように、案外近くにいるのかもしれない。
「……いや、それこそ悪い夢ね」
女子中学生を前に、段ボール箱に打ち捨てられて『拾ってください』などと提げている様が目に浮かぶが、こんな山林でやっているとは思えない。
あくまでも気のせいだと、その場から離脱する。
その『気のせい』で片付けること自体が、ある種の自己防衛のようなものだったのだが、燎子がそれに気が付くことはなかった。
膨大な魔力光が、防性の随意領域とせめぎ合う。
七罪を背負いながら姪っ子の駄々を受け止め、更にどこからか飛来した攻撃を防ぐ。
どれもやらなければならないのが保護者の辛いところだが、今の士道にとっては難しい事ではない。
その中世の騎士のような格好はコスプレにしか見えないが、これは士道専用に作られた装備が、七罪の力によって変化したものである。
変化によって性能が損なわれることはなく、むしろ何かしらの底上げがなされている感覚があった。
それを示すように、鎧から魔力光と共に
顕現装置で生成された魔力と共に士道の随意領域を満たすのは、七罪から託された霊力だ。
これと似たような現象は以前に体験済みである。
だから驚きはしたものの動揺することはなく、士道は霊力をリソースに飛来した攻撃を打ち払った。
光が収まり、赤い空に巨大な影が現れる。
武装の上に武装を重ねた異様な姿は、恐らくはCR-ユニットだ。
何よりもその中心に収まった少女の姿に、確信を深める。
鳶一折紙……士道が副担任を務めるクラスの生徒にして、ASTの魔術師。
憤怒に染まった形相は、これまで見ることがなかったものである。
涙や笑顔を預けても、怒りや憎しみは彼女自身が抱えていたのだ。
そしてそれは今、士道が守るべき家族へ向けられている。
たった今防いだ攻撃は、他ならぬ琴里を狙ったものだった。
背中にしがみつく力が、ギュッと強まる。
何かに怯えているかのように、七罪の震えが伝わってくる。
大丈夫だと言い聞かせるように、士道はその手を握った。
『……無事かね?』
「どうにか。そっちの警告がなかったら危なかったかもしれません」
急速に接近する反応がある。
インカム越しに令音からそう告げられたのが、つい数秒前の事だった。
それがなかったら、随意領域で防ぐことは出来なかったかもしれない。
そうなれば琴里はどうなっていたことか。
考えないようにしていた、恐れていた事態は現実となって、今ここに在る。
五年前の大火災の折、折紙の両親は
彼女を救助したのは士道ではあるが、その瞬間を目撃したわけではない。
見たのは尋常ではない破壊の跡と、炎の中に一人取り残された折紙の姿、そして空には――――
「――――っ」
何故かそこで、思考にノイズが走る。
あの時見上げた空にいた、
多少は思い出した今でも、当時の記憶は完全ではない。
折紙の両親に対して、本当に琴里が手を下したのかも定かではない。
唯一つ確かなのは、このまま黙って見守ることはできないということだ。
士道はやるせない悲しみを湛えて、折紙を見上げた。
「――先生、邪魔をしないで」
「折紙……琴里は俺の家族なんだよ」
「…………それでも、私は〈イフリート〉を許すわけにはいかない」
この世に、真の意味で孤独な人間はそういない。
誰かを害した者にも家族や友人がいるのなんて、当たり前のことだ。
だから、復讐を果たすということは、自分がその対象になり得るということに他ならない。
その事実に目を向けた上で、折紙は「それでも」と答えたのだろう。
しかし、その言葉を吐き出すまでの空白に、士道は可能性を見出した。
彼女は、まだ戻れる。
ならばその手を引いて引き留めるのは、きっと自分の役割なのだ。
「じゃあ俺はお前を止めるよ。琴里と、他でもないお前のために」
このまま折紙の攻撃が続けば、琴里の意識は確実にそちらへ向く。
そうしたら待っているのは二人の殺し合いだ。
当然、どちらかが一方を殺すのも、殺されるのも、認めるわけにはいかない。
琴里を守るのは、家族である士道の役割だ。
そして守るならばその身の安全だけではなく、心も守らなければならない。
正気に戻った時に、誰かを手にかけたという現実が降りかかれば、琴里は立ち直れないかもしれない。
それは折紙も同様だ。
たとえ復讐を果たしたとして、誰かの家族を奪ったという事実は、きっと心優しい彼女を苛むことになる。
そうなれば、これまで以上に笑うことが出来なくなってしまうだろう。
士道が預かった笑顔は、永遠に行き場がないものとなる。
どちらの後悔も悲しみも、ましてや涙に塗れる姿など、決して見たいものではない。
何もかもを救えるなどという大言壮語は、もう吐くことはできない。
それでも、せめて、自分の手の届く範囲では、大切な誰かを守れるヒーローでありたい。
(――――なんだ、結局は自分のためかよ)
そんな自分に呆れはするが、失望はない。
そう、穂村士道という男は傲慢で図々しくて、愚かで身勝手なのだ。
復讐の是非を説くことなんてできない。
それはきっと、同じ体験をした者にしか不可能だ。
いくら言葉を重ねても、空虚に響くだけだろう。
だから立派なお題目などなく、極めて個人的な理由で士道は二人を守り、そして復讐を止めるのだ。
「お願い、退いて」
「それはできない」
「全てが終わったら、私の全てをあなたに捧げると誓う。思うさま怒りや憎しみをぶつけてくれても構わない。この身を犯しても、引き裂いてくれてもいい。だから……!」
「馬鹿、そんなことができるかよ」
「――っ、どうして!」
「俺は琴里の家族で、お前の先生で…………付け加えるならとんでもなく欲張りだからだっ!!」
折紙の哀切に満ちた訴えを振り切って、士道は言い放った。
同時に、魔力と霊力が渾然一体となった随意領域で、こちらの動きを封じようとする魔力を打ち払う。
それは折紙が遠隔で展開しようとした随意領域だ。
同じようなことは士道にもできるが、遠隔でとなると難しい。
これはあの異形のCR‐ユニットの力だろうか。
同じように琴里の周囲にも随意領域が築かれ、その動きを封じる。
そしてそこへ目掛けて、折紙の背負う武装から一斉に無数のミサイルが放たれた。
「くっ――――」
しかしそれは、士道の随意領域によって防がれる。
折紙の顔には苦悶の表情と、尋常ではない量の汗が浮かぶ。
あの武器庫のようなCR‐ユニットを扱うにあたって、相当の負荷がかかっているのは想像に難くない。
このまま戦いが長引けば、最悪は活動限界で命を落とすことになるだろう。
無論、そんな結末を認めるわけにはいかない。
そのために自分に何が出来るか……そんなのは決まっている。
精霊との交渉役として抜擢された士道の武器は、『言葉』そのものだ。
「折紙、そのCR-ユニットは危険だ! 自分でもわかってるだろ!?」
「私はどうなろうと構わない……この手で〈イフリート〉を討てるのなら……!」
「だったら残されたやつはどうなる!」
声を張り上げながら、今更自分がどれだけ周囲を省みない発言をしていたのかを実感する。
あの時、涙を流しながら自分を引き止めた七罪の気持ちが、痛いほど理解できてしまったのだ。
だったら折紙にもわからせてやらなければならない。
「お前が死んじまったら、俺はどうすればいい? 俺だけじゃない、日下部の奴だってきっと悲しんで後悔する」
「それでも、私は……!」
「俺から琴里を、何よりもお前自身を奪わないでくれっ……!」
「ああ、あああ…………」
折紙の顔が歪む。
それは今にも泣きだしそうな様子で、見ている側にもその痛みが伝わってきそうな表情だった。
空を蹴って、今にも崩れ落ちそうなその体を抱きしめる。
今のがとても卑怯な物言いだったという自覚はある。
教師としてはあるまじき行為かもしれない。
コスプレのような格好で、しかも背中に幼い少女をぶら下げているとなれば、いよいよ状況も意味不明だ。
それでも、抱擁が拒絶されることはなかった。
彼女の纏う随意領域が士道を受け入れたのが、何よりの証となる。
これ以上かける言葉は見つからない。
折紙自身、納得はしていないだろう。
ここで矛を収めたとしても、解決には時間が――それこそ一生経っても終わらない可能性だってある。
だから、この手を放すわけにはいかないのだ。
少なくとも、彼女が再び笑えるようになる日までは。
『――――士道っ!』
インカム越しに届いたのは、いつも眠たげな彼女に似つかわしくない切羽詰まった声だった。
この時、士道は確かに油断していた。
折紙が纏うCR-ユニットの攻撃も、琴里の振るう戦斧の一撃も自身の随意領域で問題なく受け止められる。
だから説得に意識を傾け、この戦いにおいて最も懸念すべき事項に失念していたのだ。
紅玉の瞳に禍々しい光を湛え、その顔には冷たく無機質な笑みが浮かぶ。
そう、既にそこは砲撃の間合いだったのだ。
「〈
掲げた巨大な砲門に、膨大な熱が収束して赤々と輝く。
間に合わない――――いや、
全体をカバーできるほど随意領域を広げたとして、その分守りは薄くなってしまう。
ならばと折紙をその身に纏った巨体ごと押しのけ、背負った七罪を投げ飛ばす。
直後、凄まじい炎熱の奔流が飛来する。
随意領域の防護は間に合わない。
折紙と七罪を射線から逃した際の隙が、決定的なものとなった。
炎と熱が、火山の噴火を凝縮したかのような熱量が、魔力と霊力で満たされた空間を侵食して体を焦がしていく。
そのまま灼熱の砲撃は随意領域を突き抜け、士道を飲み込んだ。
というわけで終了。
多分次回で終わると思います。