士道くんが淫行教師と謗られながら精霊をデレさせる話   作:kish

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約三週間ぶりにこんばんは。

今回から双子の話に入ります。


八舞編
失われた半身


 

 

 

 起承転結という言葉がある。

 始まりやきっかけを示す「起」、それを受けて話を展開させる「承」、大きな動きや変化を示す核心部分である「転」、そして締めくくりの「結」。

 元は漢詩の絶句の構成を指すものだが、現在では文章を構成する上での基本的な考え方として、広く用いられている手法である。

 それは創作においても例外ではなく、物語を綴る上で起承転結を意識する機会は多いだろう。

 ならば、誰かの人生を物語と捉えるとどうなるだろうか。

 とりあえず命の始まりを「起」とするのなら、その終わりが「結」となるのは明確だ。

 しかしながら、人生を起承転結に綺麗に当てはめようとしても無理が生じる場合が多い。

 絶対的な「起」と「結」は変わらないとして、「承」はあるものの「転」を示す大きなイベントがないまま人生を終える者もいるだろうし、「承」がロクにないまま「転」の連続に見舞われるような激動の人生もあるだろう。

 勿論、人生において始まりや終わりを示す出来事は、何も生命の話に限ったものではない。

 少なくとも、穂村士道の魔術師としての始まりは、高校三年の夏にあった。

 

「くそっ、どこ行ったんだよあいつら……!」

 

 悪態をつきながら駆ける。

 街中には避難を催促する警報が鳴り響いており、それを受けて人の姿はない。

 そんな状況で外に出ているのは飛びぬけた愚か者ぐらいだろう。

 士道はそんな馬鹿どもを連れ戻すために、こうして駆けずり回っているのだ。

 季節柄気温は相応に高く、体中から汗が噴き出し衣服が肌に張り付いて鬱陶しくて仕方がない。

 

「ああもう、今日は他校の奴らと喧嘩があるんだったか!?」

 

 士道の通う来禅高校は、少々ガラの悪い生徒が多いことで有名だ。

 二つの高校が統廃合して現在の形になった当時はそうでもなかったようだが、空間震の影響で目減りした生徒数をどうにかしようと間口を広くした結果、そうなったらしい。

 そんな高校に入学してしまったのがそもそもの間違いなのだが、どういうわけか士道はその来禅高校において、裏の番格と目される立場についてしまったのだ。

 喧嘩はおろか、まともに人を殴った経験だって数える程しかないというのに、何故そんなことになってしまったのか未だにわからない。

 士道はただ、ちょっと見過ごせないレベルに発展した喧嘩に割って入っていただけなのだ。

 喧嘩に介入したといっても終始ボコボコに殴られていただけで、間違っても一目を置かれるような要素はなかったはずだ。

 流石に懲りて介入を控えるようになった頃には、不良どもからすっかり目をつけられていたようで、それから士道の平穏は消滅した。

 喧嘩を売ってくる連中にボコボコにされる内にどういうわけか勘違いが重なり、いつの間にか祭り上げられてしまっていたのだ。

 その勘違いのせいで慕ってくる連中には辟易としていたが、そんな奴らでも空間震の只中で喧嘩をおっぱじめるとなれば、見捨てるわけにもいかない。

 そんな自分が一番の馬鹿だと毒づきながら、周囲に目を走らせる。

 他校との喧嘩に巻き込まれるなど絶対に御免なので話を聞き流していたのだが、少しは真面目に聞いておくべきだったと後悔する。

 これではどこで喧嘩をしているのかもわからない。

 連絡を取ろうにも、士道は携帯電話の類は所持していなかった。

 

「――――何だ、あれ……?」

 

 見上げる空には空間の歪みのようなものが蟠る。

 それに何か不吉なものを感じ、足が止まる。

 その予感はすぐに、今すぐこの場を離れろという警鐘にとって変わった。

 しかしその判断は遅きに失している。

 今まさに起ころうとしている災害に対して、人間の足で逃げきれるものではない。

 次の瞬間、凄まじい光と音と衝撃が士道の体を上から襲う。

 とても立っていられず、アスファルト舗装の上に押しつぶされるように這い蹲る。

 余りに強い力での押し付けに、呼吸すらままならない。

 それからどれぐらい喘いでいただろうか……衝撃が治まると、士道は息も絶え絶えに周囲を見回してから再び空を見上げた。

 衝撃は上空で発生したものだからか、背の高いビルは上階部分が吹き飛んでいるが、地上は舗装に亀裂が走っている程度の被害しかない。

 もし今の現象がもっと地上に近い位置で起きていたなら、きっと甚大な被害が出ていただろう。

 勿論、その時には自分も跡形もなく吹き飛んでいたはずだ。

 今のは運が良かっただけなのだと実感しつつ、士道は息を飲んでその現象の正体に思い至った。

 

「まさか、今のが空間震――――っ」

 

 突如として巻き起こった風に、言葉を続けることができなかった。

 強風、などという生易しいものではない。

 比喩抜きに文字通り体をまるごと吹き飛ばされそうになり、士道は慌ててその場に身を伏せた。

 しかしその程度でどうにかならない程度には、吹き荒れる風は苛烈だった。

 自分の意思に反して、体は宙へと強制的に持ち上げられていく。

 運良く街路樹にしがみつけたものの、今度はその街路樹が根ごと掘り起こされて宙に持ち上がってしまう。

 

――――(うそ、だろ……)

 

 士道の口から呆然とした呟きが漏れたが、吹き荒れる風は音を容赦なくかき消した。

 巻き上げられて宙に投げ出された体が、荒れ狂う気流に翻弄されてギシギシと軋む。

 まるでジェットコースターのようだ、だなんて場違いな感想を抱いてしまったのは、それ程までにこの状況が現実離れしているせいだ。

 ぐるぐると回る視界に映る光景もまた、とてもこの世のものとは思えないものだった。

 少なくとも士道は、鉄の塊である車が風によって巻き上げられて宙を舞う、なんて話は聞いたことがない。

 そして空の彼方では、何かと何かがぶつかり合う。

 一瞬だけ見えたそれらの姿が女の子のように見えてしまったのは、流石に非現実に取り囲まれて見えた幻に違いない。

 そして何より士道に現実を忘れさせたのは、彼女たちの放つ隔絶した雰囲気である。

 幻なのだから当然かもしれないが、まるで()()()()()()()()()()気さえしてくる。

 しかし、自動車という鉄の塊が勢いよく突っ込んで来るとなれば、現実を直視せざるを得ない。

 この風の中ではロクに身動きが取れず、避けることはおろか身を守ることさえままならない。

 自分の体が常人よりも頑丈なことは把握しているが、流石に車に轢かれた経験はない。

 衝突に備えて固く目を閉じるがしかし、予想していた衝撃はいつまでもやって来ない。

 

「…………うわぁっ!?」

 

 恐る恐る目を開くと、眼前にフロントバンパーが迫る。

 思わず悲鳴を上げてから、それが静止していることに気づき、士道は何事かと首を傾げた。

 見渡すと、吹き荒れる風は相変わらず街を蹂躙している。

 だというのに士道の周囲だけが、まるで外から切り離されているかのように凪いでいるのだ。

 重力もまともに働いていないのか、奇妙な浮遊感を覚えたまま体はその場に留まり、落ちていくことはなかった。

 先程から現実離れした出来事の連続に、これは夢なのではないかという考えさえ浮かんでくる。

 自分の頬を抓っていたが、痛みはしっかりとあった。

 そもそも夢ならば痛みを感じないという確証もないのだが、つい確かめずにはいられない程度には、この状況は常識から逸脱していた。

 

「何だ、案外余裕あるな、少年」

 

 頭上からの声に見上げると、静止した車のボンネットの上に男が腰をかけていた。

 年の頃は士道の少し上……二十代半ばといったところだろうか。

 自信にあふれた双眸、勇ましい形の眉、精悍な顔つき。

 陽光を思わせるような金髪に、その身に纏う鎧もまた、黄金。

 その姿は非現実の中において、なお際立つ輝きを思わせた。

 

「お前は…………いや、なんでもない」

「あ、あんたは……?」

「名乗るほどの者じゃあないんだが、まぁ――――」

 

 士道の顔を見た男は一瞬だけ目を細めるが、すぐに不敵な笑みを浮かべた。

 

「――――通りすがりのヒーローみたいなもんだと思っとけ」

 

 荒れ狂う風の精霊(さいがい)、非現実を現実のものにする魔術(ちから)、そして黄金の鎧を纏った英雄(ヒーロー)を名乗る男。

 空間震の真実を知ったその日の出会いは、士道のこれからを決定づけるものになるのだった。

 

 

 

 

 

「――――というわけで、俺は高校時代に〈ベルセルク〉の双子と遭遇したんだが……琴里、どうした? も、もしかしてまだ具合が悪いのか!?」

「…………いいえ、大丈夫よ。とりあえず今日はここまでにしておきましょう」

 

 何やら頭を抱えだした姪っ子の様子に腰を浮かせた士道だが、大丈夫の一言で腰を下ろす。

 そんな叔父の様子に、目を細めて呆れた視線を送るのは五河琴里……赤い軍服を肩がけにして、黒いリボンで髪を左右で括った少女である。

 琴里は中学生ながら、秘密組織である〈ラタトスク機関〉で司令官を務めているのだが、彼女がそのような立場にいるのには、その体に宿った炎の精霊の力が関係している。

 それが暴走しそうになり、士道が霊力の再封印を行ってから大体一ヶ月。

 姪っ子の一挙手一投足に対する心配も、それ以来ずっと続いているものだ。

 その度に宥められたり鬱陶しがられたりするのだが、士道に懲りた様子は全くない。

 もっとも、琴里のため息が深い理由は叔父の過剰な心配だけが原因ではない。

 

「……では、後ほど今回の内容をまとめた資料を作成し、提出しよう」

「ええ、お願い令音」

 

 二人のやり取りの傍らコンソールを操作するのは村雨令音……〈ラタトスク〉の解析官である。

 常時ふらついて眠たげな目をした彼女だが、琴里が寄せる信頼は厚い。

 この場――空中艦〈フラクシナス〉のブリーフィングルームで行われているのは、士道に対する聴取だ。

 時崎狂三の件から、士道は叩けば埃が出ると判断した上での措置である。

 今までは深く突っ込まれずにいた部分だが、AST時代にも精霊を誑し込んでいた(要議論)となれば、その情報を有効に扱わない手はない。

 琴里が霊力の再封印の際に取り戻した記憶も含め、可視化の必要があると判断したためでもある。

 それがここまで先延ばしになった理由は複数あるが、最も大きなものに言及すると、単純に士道が忙しかったのだ。

 期末試験や修学旅行の準備に追われた状況で、さらに十香や七罪のケアに奔走し、かつ自分の命を狙う精霊二人への警戒も緩められない。

 はっきり言ってオーバーワークである。

 現在は期末試験が終わったこともあり、僅かながら余裕があるが、それでも忙しいことには変わりがない。

 それでいて姪っ子への心配も欠かさないのだから、最早筋金入りとしか言い様がない。

 呆れてため息が深くなるのも納得の理由だが、それとはもう一つ別に、琴里には頭を抱えたくなる理由があった。

 

「――――黄金のCR‐ユニットって、まさか議長……? いやでもそんな、うちの馬鹿叔父じゃあるまいし…………」

「何だよ、ブツブツ言って……あ、やっぱりまだ具合良くないんだろ!? ほら、早いとこ戻って休むぞ!」

「ええい、うっとい!」

「――あべしっ!!」

 

 琴里の両脇に手を差し込んで持ち上げようとした士道は、顎に頭突きを食らって床に沈んだ。

 そして同じように床に倒れた男と目が合う。

 

「おや、奇遇ですね、マイフレンド」

「…………ちっ」

 

 良い笑顔で親指を立てられて、士道は舌打ちをして盛大に顔をしかめた。

 白い軍服に身を包んだ日本人離れした美形の、長髪の男である。

 琴里の副官である副司令、神無月恭平。

 何を隠そう、彼はこの聴取の四人目の出席者なのだ。

 先程まで気配が感じられなかったのは、あまりにも気持ち悪い言動に琴里が肘打ちを食らわせて、一時的に沈静化していたためだ。

 この男は己の肉体や精神を虐め抜かれるということを悦ぶ上に、さらにストライクゾーンは女子中学生と公言して憚らない、最早手のつけようのないレベルの変態である。

 こんな輩が年端も行かない少女の周りをうろついていること自体が大問題なのだが、この変態は〈フラクシナス〉においてトップに次ぐ権限を持っている。

 その身に纏う白い軍服がその証だ。

 真に遺憾だが、平の機関員である士道は神無月を職務上の権限でどうにかすることができない。

 勿論、有事の際には立場や外聞をかなぐり捨てるのは前提として、渋面で黙認するしかないのが現状である。

 その能力に関しては文句のつけようがないのが、不幸中の幸いだろうか。

 いや、こんな変態を姪っ子から遠ざけられないという意味では、不幸の底を突き抜けた不幸だと言えるのではないだろうか。

 床に頬をつけたまま呻く士道を一瞥すると、琴里はまた深ぁくため息をつくのだった。

 

「現状では、新たに判明したのは〈ファントム〉のことぐらいね……」

 

 言及した〈ファントム〉というのは、琴里に精霊の力を与えた謎の存在に付けられた、便宜上の識別名である。

 精霊であるかどうかもまた定かではないのだが、人間を精霊に変えてしまう力を持つことから、尋常の存在ではないことだけはわかっている。

 そしてそんな存在がいるのだとしたら、他にも人間から精霊になった者がいるのだろうか。

 琴里が行き着いたその疑問は、当然の帰結とも言える。

 十香や七罪からも簡単な聴取は行っているが、琴里や士道のように記憶を弄られているのなら、その信頼性については疑問が生じる。

 しかし結局のところ、現状では確かめようのないことだ。

 彼女たちの言葉を頭から疑ってかかるのは、余計なストレスを与える結果になりかねないし、精霊との融和を目的とした〈ラタトスク〉の方針とも反する。

 今まで接してきた中で二人の人となりを多少なりとも知ってきたというのもあるし、琴里と二人との間には何よりも明確な共通点がある。

 それは特定の誰かに寄せる信頼と呼ぶべきものだが、その誰かは絶賛床に臥せっている最中である。

 仮にもヒーローを名乗るのなら、もう少し毅然としてもらわねば名折れというもの。

 もっとも、少しぐらい情けなくとも琴里が抱く感情は微塵も揺らぐことはない。

 長年秘めた想いを爆発させて早一ヶ月。

 当時のことを思い出すと、頭を打ち付けて床の上で悶え転がりたくなるが、今この場で実行するわけには行かない。

 自室に戻るまでは我慢する他ないだろう。

 

「そういえば、反転ってなんなんだ?」

 

 床から身を起こした士道は、予てからの疑問を口にした。

 その単語自体は何回か耳にしたものの、詳細は未だに知らされていないのだ。

 士道の疑問を受けて琴里が目配せすると、令音が手元のコンソールを操作する。

 すると、琴里の座る席に設えられたパーソナルディスプレイに、何らかのデータが表示される。

 姪っ子に促されて、士道はディスプレイを後ろから覗き込んだ。

 

「これ、もしかして霊波反応の観測記録か?」

「ええ、簡易的なものだけど、〈ラタトスク〉で観測することができた精霊のものよ」

 

 まず、一番上に表示された識別名は〈ハーミット〉。

 士道も何度か目にしたことがある、二〇年以上前から活動が確認されている精霊だ。

 精霊の中でも穏健派として知られる彼女は、隠者(ハーミット)の名が示す通り、現界しても身を隠すことを優先して攻撃はほとんどしてこない。

 現界時の空間震を除くと被害も微々たるもので、そのため盾役である士道は遠目か記録映像の中でしかその姿を見たことがなかった。

 次に表示されたのは〈ベルセルク〉。

 先程の聴取の中で言及した、士道が初めて目撃した精霊だ。

 こちらは一度現界したら超スピードで広範囲に被害をばらまく、とんだ迷惑台風である。

 そして〈ベルセルク〉は精霊の中でも例外的なことに、双子の精霊なのだ。

 この二人は現界する度に争い合う、というよりも競い合っており、それが周りを省みずに展開された結果、台風一過の惨状が残される。

 互いに互いしか目に入っておらず、周囲を気に留めずに暴れまわる様はまさに狂戦士(ベルセルク)

 この二人に挟まれてミンチになりかけたことのある士道は、思わず冷や汗を流すのだった。

 その後に続くのは、〈ナイトメア〉〈イフリート〉〈ウィッチ〉〈ハーミット〉〈プリンセス〉〈ディーヴァ〉、そして〈デイドリーム〉。

 見覚えのないものがあるのは、精霊周りの事情から離れてた五年の間に新しく現界が確認されたものだろう。

 それはさて置き、ズラッと並ぶ識別名を見て士道は首を傾げた。

 

「あれ、どうして〈ハーミット〉のデータだけ二つあるんだ?」

「……それはそのデータが、これまでの観測記録から大きく逸脱しているためだ」

 

 二つの〈ハーミット〉のデータがピックアップされて、横並びになる。

 大きく逸脱しているということは、この数字上でわかりやすい変化があるということだろうか。

 見比べると、士道は目を細めて再び首を傾げた。

 

「こっちの霊力値はマイナス……? これって一体どういう状態なんだ?」

「精霊が反転した際に観測される霊力値はカテゴリー・E、マイナスの値を示すの」

「じゃあ、あの〈ハーミット〉が反転したってのか?」

「その通り。そしてそれは現在も継続中よ。青木ヶ原樹海を襲う異常気象について、聞いたことぐらいはあるでしょ?」

 

 青木ヶ原樹海、もしくは富士の樹海。

 日本において最も高い標高を誇る富士山、その北西に広がる原生林だ。

 現在は確か、あの付近への立ち入りは制限されているはずだ。

 一年ほど前、つまりは立入制限開始の当初はニュースでも取り上げられていたのだが、それ以降パタッと報道されなくなって久しい。

 一般的に精霊や顕現装置に関する情報は秘匿事項に当たるので、情報統制が行われたのだろう。

 そこらの事情はともかく、()()〈ハーミット〉が大規模の被害を出したことに、士道は少なからず驚きを覚えた。

 

「大雑把に言うと、そんな風に温厚な精霊でさえも狂暴になっちゃう、っていうのが反転現象なんだけど、これに関してはサンプルケースが少なすぎて、一概にこうと言えないのが現状ね」

「……しかし、これまでも何度か複数の精霊に反転の兆候自体は確認できている。いずれも、精神に極大の負荷がかかった際に見られたものだ」

「反転によって、精霊が具体的にどう変化するのかははっきりとしていないけれど…………あまり歓迎できないものであることは確かね」

 

 そう言うと、琴里は自らの体を抱くように腕を回した。

 それは反転の兆候を体感したが故の反応だろう。

 俯いてしまったため表情は窺えないが、士道は小さな体が微かに震えるのを見逃さなかった。

 少しでも不安を拭えるようにそっと手を重ねる。

 その立場や責任を肩代わりしてやることは出来ない。

 士道に出来るのは、こうして寄り添うことぐらいだ。

 己の力不足を痛感する他ないが、重ねた手は小さく握り返された。

 言葉はなくとも、伝わるものは確かにあるのだ。

 そんな二人の様子を見上げながら、副司令はフッと口元を歪めた。

 

「――――やれやれ、家族の絆というものには敵いませんね」

「……そういう台詞は、立ち上がって言った方が格好がつくのではないかな」

 

 神無月という男は日本人離れした美形だが、令音の指摘通り、床に頬を擦りつけたままではその美形も台無しである。

 もっとも、周囲からは美形以前に変態として認識されているので、今更気取ったところで評価が変わるものではない。

 

「心配はご無用。それにこの視点からならば、司令のソックスに包まれたおみ足が殊更美しく映えるというもの」

「…………」

 

 極々真面目な表情でのたまう変態に、令音は無言でどこからか細長い布切れを取り出した。

 そしてそれを神無月の目元を覆うように巻き付けると、後頭部でキュッと結ぶ。

 

「これは何ですかっ、村雨解析官! 結ぶのならもっとギュッと! 目に食い込むほど強くしていただきたい……ッ!」

「…………」

 

 何故だか注文を付けてくる変態に、令音は無言で二度手を打ち鳴らした。

 するとブリーフィングルームのドアがスライドし、屈強な男が二人現れる。

 その二人は両サイドから神無月の腕をホールドすると、そのまま持ち上げて外へと連行していった。

 

『またあなたたちですかっ! ええいっ、放してください! 私には司令の肢体を舐めるように見上げ、あわよくば踏んでもらうという崇高な使命が――――ああっ、何故パンツを脱がそうとするのですか!? やめっ、やめなさい…………アッーー!!』

 

 ドアの向こうから神無月の悲鳴が響く。

 無論、環境音としては最悪の類である。

 

「……少し、防音設備にも気を使った方がいいかしら」

「というか俺、今外に出てくの嫌だぞ……」

 

 これには二人の世界に入っていた士道と琴里も、現実に戻らざるを得ない。

 揃って渋面を作り、額に手を当てるのだった。

 

 

 

 

 

 それはひたすら巨大な真っ白なドームだった。

 衛星写真、もしくは航空写真で確認したのなら、そこだけが白くくり抜かれているように見えるだろう。

 一年程前に突如として出現した、自然界の法則に沿わない特異点。

 現在日本は夏であるのにも関わらず、ドーム内の気温は氷点下を大きく下回っている

 それだけでなく内部では氷の礫が吹き荒れており、不用意に立ち入った者は全身を削り取られた末に、凍てついて果ててしまうだろう。

 そしてそのドーム――氷嵐の結界は、徐々にだが着実に範囲を広げていた。

 既に周囲の国道は封鎖されており、このままではいずれ市街地まで到達するのは確実だ。

 その結果、今まで以上の被害が出るのもまず間違いない。

 しかしそんな事情は彼女には関係がなかった。

 

「……」

 

 

 直上の空から白いドームを睥睨する少女の姿がある。

 白い肌に、はっきりとした目鼻立ち、風になびくノルディックブロンドの長い髪。

 その身をぴったりと覆うスーツの上に、機械の甲冑とでも表現すべき装備を纏っている。

 これらの特徴は、日本の日常風景には明らかに馴染まないものだが、彼女の異常性はもっと別の部分にある。

 一般的に言うのなら、人間は単身で滞空することはできないのだ。

 映画や舞台などで見られるワイヤーアクションの類ではない。

 彼女の体を吊るための道具も、支えて動かすだけの設備も、この空の上には何もない。

 正真正銘、少女は己の身一つで空に留まっているのだ。

 常識の範疇から逸脱した所業だが、そんな非常識を叶える手段が一つだけある。

 顕現装置……この奇跡と称される技術の結晶を単身で扱うことが出来る者こそが、現代において魔術師と呼ばれる。

 彼女はその中でも、間違いなく最高峰に位置する存在である。

 

「ふっ――――」

 

 ほんの一呼吸の間を置いて、魔術師は()()を開始した。

 しかし、それは自由落下などという生易しいものではなかった。

 静止状態から一瞬にして最高速度に達する際にかかるGは意識消失を招いて余りあるものだが、彼女の周囲に展開されるのは自分の意のままになる空間……即ち随意領域である。

 重力加速度を何倍にも増幅して、空気抵抗を無効化する。

 自身に降りかかる物理現象を自在に歪めながら、氷嵐の結界の只中へと()()()()()

 境界を超えた瞬間、景色が一変した。

 空が消え、地には樹木と思しき残骸が一面に散乱する。

 かつて樹海と呼ばれていたその地は、今や無残な銀世界に成り果てていた。

 そしてその中心に座す小さな影こそが、彼女の目的である。

 

「――――ちっ」

 

 侵入者に対する迎撃――氷の礫の猛威が魔術師を襲う。

 あらゆる方向から吹き付ける礫に晒される状況は、銃弾の雨の中に身を置くのとよく似ている。

 だがこの程度の……どころか大概の窮地は、『最強』を自負する彼女にとって窮地足りえない。

 そんな最強の魔術師が眉を顰める理由は、また常識の埒外の事態によるものである。

 ひび割れるような音を立てて、彼女の纏う随意領域が端から徐々に()()()()()()()

 非物質である魔力が凍るという、単なる物理現象ではありえない異常事態。

 それも目標に近づくほど、魔力すら凍てつかせようとする冷気はその猛威を増していく。

 凡百の魔術師ならば、既に行動不能に陥っているだろう。

 彼女が単独で行動しているのも、引き連れてきた魔術師たちがロクに役に立たないからだ。

 もっともそれは『最強』の視座からの意見であり、決して他の力量が低いわけではない。

 むしろ万人に一人の才能と言われる魔術師の中でも、上澄みに分類されるレベルだろう。

 ただ、それらと比しても隔絶する程の力量差があるだけなのだ。

 この凍てついた地獄の中を強行突破出来るのも、彼女の隔絶した能力あってのものだ。

 何しろ相手取るのは、隣界より来る世界を殺す災厄……その()()()なのだ。

 隠者(ハーミット)と呼ばれるまでに攻撃の意思が薄弱だった個体が、今やこうも苛烈な地獄を展開しているのだから、その精神の変容は相当なものだ。

 いや、この氷嵐の結界こそが隠れ家だとしたら、やはりその識別名が相応しいと言うべきか。

 彼我の距離が縮まり、標的の小さなシルエットが拡大されていく。

 もっとも随意領域で強化された魔術師の、それも『最強』の視界を以てすれば、どれだけ距離を隔てていようと鮮明さを欠くことはないのだが、接近することで見やすくなったのは確かだ。

 その精霊は、黒い外套を肩がけにした小さな少女の姿をしていた。

 頭部はウサギの耳のような飾りがついた大きなフードで覆われており、その中から銀青の髪とアルピノのような赤目が覗く。

 そしてその右目は、ボタンのような意匠の眼帯で覆われていた。

 外套の下は裸同然であり、この冷気の中では見ていて寒々しいことこの上ない。

 掲げられた右手で氷礫を操っているのか、その動きに合わせて随意領域を叩く勢いが激しくなる。

 つまらなさそうに欠伸をしながら()()()()()()()()を所在なく揺らしているのは、余裕の表れか。

 それを認識した魔術師の口元が、好戦的に歪んだ。

 

(――――いいでしょう。その余裕、消し飛ばして差し上げます)

 

 接近するほど随意領域の凍結は進行し、それに伴い自由になる魔力にも大きく制限がかかる。

 かといって遠距離からの射撃では、攻撃自体が凍らされて無効化される。

 ならば交錯の一瞬が勝負になるだろう。

 動きを封じられるまでの余裕を考えると、攻撃の暇は二拍分。

 二撃離脱のヒットアンドアウェイ――――防御に回していた魔力のリソースを、静かに攻撃へと傾ける。

 背部にマウントされているパーツを手に取ると、そこから光の刃が現出した。

 落下の速度をそのままに、魔力で構成された刃で斬りつける。

 

「ぉおっと、危ないなぁー」

 

 危ないと口にしながらも、おどける様な口調からは危機感が伝わってこない。

 氷の壁に受け止められた光の刃が、それどころか魔術師の展開する随意領域が急速に凍りついていく。

 完全に凍結する前に、垂直方向に発生していた速度を水平方向に変換。

 速度も然ることながら、急激な方向転換に精霊の目は追いつかない。

 スライドしざまに振り抜かれた刃に、確かな手応えが伝わる。

 外套ごと断ち切られた精霊の左腕が宙を舞った。

 しかし血飛沫は一瞬のことで、即座に切り口を氷が覆う。

 十分以上の距離を挟んで、魔術師と精霊は睨み合うように対峙した。

 

「いったたたた……ひっどいなぁ、もー!」

「――仕損じましたか。しかし次は仕留めます」

「あっハハハハ! おねーさん面白いこと言うねぇー。でもぉ――――」

 

 今まで飛び交っていた氷礫の全てが動きを止め、銀世界から一切の音が消えた。

 フードの中の赤い瞳が、妖しく光る。

 

「――――()()()を散々いじめてくれちゃったおまえに、次なんてないんだよねぇ……!!」

 

 空と大地が鳴動する。

 動きを止めていた無数の氷礫が一点に集合し、一つの巨大なシルエットを作り出す。

 凍てつく災禍の化身……長大な耳を備えたその姿は、ウサギに酷似していた。

 

『――――――!!』

 

 氷礫で構成されたウサギが咆哮すると、撒き散らされる冷気は一層猛威を増した。

 元より半分以上魔力の自由を奪われていた魔術師は、迷わず撤退を選択した。

 敵に背を向けることは屈辱だが、目的の半ばで果ててはただの犬死でしかない。

 しかし、彼女は既に精霊の標的として捉えられている。

 荒れ狂う冷気が一点に凝縮される。

 辺りには一時の凪が訪れたが、それは嵐の前の静けさに過ぎない。

 次の瞬間、氷礫のウサギの口にあたる部分から、凝縮された冷気が青い光線として放たれた。

 触れるものの一切を問答無用で凍てつかせる、絶対零度の光。

 如何に『最強』といえども、あれに身を晒しては確実に無事では済まない。

 背後から迫る光線に肌を粟立たせながら、魔術師の口には笑みが浮かぶ。

 

(――面白い! それでこそ、この『最強』の標的足りうるというもの……!)

 

 この氷獄の中において、随意領域の凍結は常に進行する。

 魔術師がドームの外に脱出するのと、行動不能の域にまで凍結が達するのはほぼ同時だった。

 境界を跨いだ瞬間、雪が強い日差しに晒されるように魔力の自由が取り戻されていく。

 刹那、魔術師は振り返り、()を構えた。

 

「貫け! 〈ロンゴミアント〉……!!」

 

 放たれた長大な魔力の光が、冷気の光線と真っ向からぶつかり合う。

 拮抗は一瞬のことで、競り勝った魔力光が冷気の光線を、その先の境界をも穿つ。

 ドームに穿たれた穴はその先の景色を覗かせるが、すぐに修復されて元の様子を取り戻した。

 追撃の様子はない。

 やはりあの反転体は、如何なる理由からか自分の領域内に留まることに固執している。

 その領域を徐々に広げているのは、自らの活動範囲を増やすためか。

 考察はそこそこに、魔術師は次の準備のために拠点へと向かう。

 今回の突撃で大体の感覚は掴んだ。

 次こそは『最強』の称号にかけて、必ず仕留めて見せよう。

 そう決意を固めた時だった。

 

『――――メイザース執行部長! 応答願います!』

 

 インカムから通信音声が耳に届く。

 いきなりの騒々しさに眉を顰めるが、この声の様子だと呼びかけはこれが最初ではなさそうだ。

 しかし中と外で通信が通じないのは、既に判明している事実だ。

 それは向こうも承知しているはずだというのに、こうして応答を求めてきているということは、火急の用件である可能性が高い。

 

「私です。何かそちらで問題でも?」

『ウェストコット業務執行取締役から、緊急の招集がかかっております!』

「……? アイクが――――ぷぎゃっ!」

 

 精霊との交戦による疲労のせいか、もしくは通信の内容に気を取られてか、魔術師は地面の突起に足を取られて盛大にすっ転んで地面に顔を打ち付けた。

 顔全体、特に潰された鼻先からの痛みで、じんわりと目の端に涙が浮かぶ。

 

『――執行部長殿? 何か、今すごい声が……』

「な、何でもありません! とにかく、すぐにそちらへ帰投します」

 

 通信を切ると、魔術師は目元を拭って立ち上がる。

 エレン・ミラ・メイザース……DEM社の第二執行部の部長にして、精鋭の魔術師部隊であるアデプタス・ナンバーの頂点。

 彼女こそが『悠久』と称される、世界最強の魔術師である。

 

 

 

 

 

 洋上の無人島に、一つの『台風』が飛来した。

 浜に寄せる波が逆打ち、木々が横殴りにさざめく。

 その中心に、一人の少女の姿があった。

 結い上げられた橙色の長い髪、水色の瞳、整った顔立ちには不敵な笑みが浮かぶ。

 こんな嵐の中に一人立っている時点で尋常ではないことが察せられるのだが、少女は服装の上でも隔絶した気配を漂わせていた。

 暗色の外套の下のほっそりとしたボディラインを、ベルトのようなもので締め付けている。

 右の手足と首には錠が施され、そこからさらに先の引きちぎられた鎖が伸びる。

 少女は大仰な所作で、誰もいない虚空に優雅に手をかざした。

 

「ふ……情けない奴よ。我に敗れるのを恐れて逃げ出したと見える。だが、これでどちらが真なる八舞に相応しいのかは明白というもの! く、くくくくく……かーっかっかっか!」

 

 しばし、誰もいない嵐の中心に哄笑が響く。

 だが次第に声は勢いを失い、やがて少女はポツリと弱々しい呟きを漏らした。

 

「…………夕弦の阿呆。ホントにどこに行っちゃったのよ」

 

 嵐の夜空は分厚い雲に覆われている。

 月の光は、未だ差し込まない。

 

 

 

 

 

 洋上の無人島に、一つの『台風』が飛来した。

 浜に寄せる波が逆打ち、木々が横殴りにさざめく。

 その中心に、一人の少女の姿があった。

 三つ編みに括られた橙色の長い髪、水色の瞳、整った顔立ちには気怠げな表情が浮かぶ。

 こんな嵐の中に一人立っている時点で尋常ではないことが察せられるのだが、少女は服装の上でも隔絶した気配を漂わせていた。

 暗色の外套の下の肉感的なボディラインを、ベルトのようなもので締め付けている。

 左の手足と首には錠が施され、そこからさらに先の引きちぎられた鎖が伸びる。

 少女は物憂げに目を伏せると、深く長いため息を吐いた。

 

「落胆。この期に及んで逃げ出すとは、情けないにも程があります。やはり、真の八舞に相応しいのはこちらで明々白々です。プークスクス」

 

 口元に当てた手からフスーと、抑揚のない笑いが漏れる。

 だが声はすぐに無音に取って代わり、やがて少女はポツリと弱々しい呟きを漏らした。

 

「…………悄然。馬鹿の耶倶矢は、一体どこに行ってしまったのですか」

 

 嵐の夜空は分厚い雲に覆われている。

 月の光は、未だ差し込まない。

 

 

 




というわけで、今回は短めでしたが終了。

今回登場したパペットではない彼女の本格的な出番は、もう二章ぐらい後の予定です。
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