士道くんが淫行教師と謗られながら精霊をデレさせる話 作:kish
最近の更新が遅れているのは、勉強とか仕事とかゲームの掛け持ちやらで時間を取られているせいです。
修学旅行というのは生徒にとっては勿論、教師にとっても一大イベントだ。
ただ、その理由は生徒側とは趣が異なるものである。
学校側が主催であることに加え、生徒の安全を確保するために、教師には監督やら管理の責務が伸し掛かってくるのだ。
そしてそれは旅行に赴く前の段階から生じており、特に行先が急に変更になったり、更に準備期間に期末テストが被さってきたりなどしたら、それはもう新米教師の手には余る一大事となる。
ここまで積み重なれば最早満腹どころではないのだが、都立来禅高校に勤める穂村士道の場合、更に裏の立場の事情もプラスされる。
その事情とは、今まで誑かして……ではなく、デレさせてきた精霊たちへの対応である。
理由は未だに不明ながらも、士道には自分に対して好感を抱く精霊の力を封印する能力があり、それを見込まれて秘密組織のエージェントをやっているのだ。
どこのフィクションかと突っ込みたくなるような話だが、事実なのでどうしようもない。
ともかく、そうして霊力を封印した精霊たちのアフターケアも重要なのだ。
あれもこれもと抱え込みながらのデスマーチを続けて、期末試験を終えて修学旅行を一週間後に控えた現在は、山場を越えたちょっとした空白期間に当たる。
それでも忙しいことには変わりないし、一週間後にはまた山場がやって来るのだが、だからこそ心身を休める機会が必要と言える。
こうして、昼休みに人気のない校舎裏を訪れたのはそのためだ。
ここは士道が気分転換したい時に、一人で昼食を食べるスポットである。
まぁ、それもしばしば一人の女子生徒によってご破産になるのだが、その生徒とはここ一ヶ月程まともに話す機会を得られていない。
それは忙しさのせいもあるが、どう声をかけたものか、という士道の逡巡も関係している。
無事に登校して来ていることにはホッとしているが、明るみにしてしまった情報に対して説明を求められても、満足に話せない情報が多すぎる。
色々と喋ってしまったり見せてしまった事は所謂機密の類で、一連の騒動の後、士道はこってりと司令官である姪っ子に絞られている。
そして何より士道が心配しているのは、その生徒――鳶一折紙の心情だ。
あれから彼女は何を思い、日々を過ごしているのか。
時折視線は感じるものの、今の所向こうからの接触もない。
そんな物思いに耽っていると、背後から地面を踏む音。
噂をすれば、というか思い浮かべただけなのだが、影が差してしまったのだろうか。
「……あれ? 誰かいたと思ったんだけど――――」
しかし、振り返っても何者の姿もない。
確かに誰かの気配を感じたはずなのだが……士道は首を傾げた。
考え過ぎかと意識を昼食に戻そうとした、その時だった。
「お隣、いいですか?」
自分の前方に向き直った士道に、真正面から声がかけられる。
先程まで影も形もなかったはずなのに、こうして突然現れたのは
いっそ
頬が強ばるとともに、汗が伝う。
そんな新米教師の様子を知ってか知らずか、その少女は穏やかに笑う。
「一緒にお昼、どうですか?」
そして、弁当箱が入っているであろう包みを提げて、そんな提案をしてくるのだった。
「はいお兄さん、あーん」
気分転換に人気のない校舎裏で昼食を摂っていた士道は、ピンチに見舞われていた。
隣に座るのは、栗色の髪を一本の三つ編みに結わえた少女だ。
山打紗和……一ヶ月ほど前に、士道の担当である二年四組に転入して来た女子生徒である。
何を思ったのか彼女は、一人でランチタイムを過ごしていた淫行……ではなく新米教師の元へとやって来て、こうして隣に陣取って持参したお弁当の唐揚げを差し出してきたのだ。
夏の盛りにはまだ早いが気温はそれなりに高いので、外に出ていれば汗の一つや二つはかくだろう。
しかしながら、ここで士道の額に滲む汗は、暑さとはあまり関係がない。
その理由は、ひとえに彼女がこんなことをしてくる意図が読めないからだ。
加えてこの状況は、誰かに見られるかもしれないという意味でピンチである。
人気がないとは言っても、ここは学校の敷地内である以上、いつ誰が顔を出すとも知れない。
こんな光景を見られてしまっては、あらぬ誤解を招きかねないのだ。
ましてや士道は、淫行教師という非常に重い
これ以上不名誉の上塗りを避けたいと願うのは、極々自然な心の働きだろう。
今更一つや二つ上塗りを避けた程度で、評価が大きく変わるわけではないという見方もあるが、希望を失ってはいけないのだ。
ちなみに、詰みあがった事実からは目を逸らしておく。
不思議なことに、今までやってきた所業を羅列すると、途端に否定し難くなってしまうのだ。
女子生徒に告白し、また別の女子生徒とキスをして、また更に別の女子生徒をデートに誘った上にアダルトな下着を贈る。
紛うことなき淫行教師の所業……箇条書きマジックとは、かくも無情なものなのだ。
「は、ははは……や、山打さん? 先生をからかうのも大概にしようか」
「やだなぁ、山打さんだなんて。私たち、そんな他人行儀な仲じゃないですよね?」
他人行儀どころか、彼女との関係はもっと殺伐としていてもおかしくないはずだ。
こうしていると普通の女子生徒にしか見えないが、彼女の正体はもっと物騒なものだ。
精霊……隣界に存在するとされ、こちらの世界へ現れる際に空間震と呼ばれる災害を引き起こす特殊災害指定生命体。
その中でも『最悪』と称される精霊と同じ
士道の所属する〈ラタトスク機関〉は精霊の無力化を図り、延いては空間震災害の平和的な解決を目的とする秘密組織である。
能力を見出された士道はこの春から、精霊攻略という非常に過酷な戦いに身を投じてきたのだ。
デートしてデレさせてキスをする、とその内容を具体的に述べてしまったら何とも緊張感に欠けるのだが、今日に至るまでに士道は命懸けの展開を幾度となく切り抜けてきている。
この
攻略対象であることには変わりないのだが、以前に散々痛めつけられたこともあり、若干ながらも苦手意識が拭えないのだ。
そして、彼女は最悪の精霊と同様に士道の命――より正確に言うと、士道が自分の体に蓄えた霊力を狙っている。
率直に、この状況は命の危機と言ってしまってもいい。
こうして学校で一人になるのが久しぶりなもので、すっかり油断していた。
もしこれが司令官様に知られたら、間違いなくお叱りの言葉が飛んでくるだろう。
しかし、この相手側からのアプローチは、精霊攻略という面ではまたとない機会とも言える。
命の危機を除いて他に懸念があるとしたら、今はインカムを持っていないことだろうか。
これでは〈フラクシナス〉と迅速な通信が取れない。
「むー」
どうしたものかと黙り込む士道に対して、紗和が頬を膨らませる。
その明らかに不満げな様子に、頬に汗を伝わせながらあらためて差し出された箸の先の唐揚げを、そしてそれが収まっていた弁当箱に目を向ける。
市販されているものには見えないので、恐らくは手作りだろう。
そして彼女は、プロフィールの上では市内のマンションで一人暮らしをしているはずだ。
つまり、このお弁当も自分で用意した可能性が高い。
そう考えると、どうにも食べなければならないような気がしてくる。
せっかく作った料理が食べてもらえないのは、非常に悲しい事なのだ。
精霊、というよりも彼女自身の精神構造を常人と同列に語って良いものかはわからないが、赤の他人として出会った彼女の姿は、未だに記憶の中から消えていない。
警戒や当惑を一旦横において、士道は差し出された唐揚げに口をつけるのだった。
「ふふ、美味しいですか?」
「……まあ」
すると紗和が今度は嬉しそうに笑うので、先程までとは種類の違う戸惑いが生じる。
照れだとかそういう感情に分類されるそれは、心に出来た確かな隙である。
そこを突くように、紗和は士道の耳元に口を寄せて――――
「実はそれ、毒入りなんです」
「ぶほっ」
「というのはもちろん、冗談なんですけどね」
「…………笑えない冗談をどーも」
自分の命を狙ってくる相手からそんなことを言われたら、多少の動揺は出るものだろう。
質の悪い冗談に対して、声音が少々憮然とするのも仕方がない事だ。
もっともその冗談を口にした本人は八重歯を見せながら笑っており、特に気にした様子はない。
それどころかむしろ、士道の反応を楽しんでいるようにさえ見える。
面白半分でからかっているというのは明らかだろう。
何だか真面目に取り合うのが馬鹿らしくなってきたので、士道は昼食に集中することにした。
紗和もそれ以上は変に絡んでくることはなく、しばし二人並んで黙々とランチタイムを過ごす。
しかし弁当箱が空になればこの時間も終わる。
最後の一口を頬張り、お茶で流し込もうとした、その時だった。
「ところでお兄さん、さっきから狂三さんがずっとこっちを見ていること、気づいてます?」
「ぶほっ」
再びむせた士道に対して、今度は冗談の一言は付け加えられなかった。
紗和の視線を追って、校舎の端にある二階の窓へと目を向ける。
そこにいたのは、もう夏だというのにブレザーを着込んだ女子生徒である。
影のように黒い髪に、真珠のように白い肌、露わになった右目は血のように赤い。
彼女こそが、空間震の真実を知る者から
狂三は士道と目が合うと、それはもうにっこりと笑うのだった。
花の咲くような、とは少々趣が異なるが、非常に魅力的な笑顔であることには変わらない。
だというのに、士道は冷や汗が止まらなかった。
今まで散々彼女から銃を向けられてきた経験からすると、あのような笑顔を見せた時は大体……というかほぼ確実に酷い目にあってきたのだ。
何故この場面で、こちらにその
隣でニコニコとしている紗和に対してならわかる。
二人の関係を完璧に把握しているとは言えないが、自分を巡って争うライバル関係であるということには理解が及んでいる。
こう表現すると三角関係のようで色っぽく聞こえるかもしれないが、彼女たちが狙っているのはあくまで士道の中にある霊力である。
なので実際は物騒で殺伐としているのだが、士道はそんな二人の霊力を封じるために、恋愛的な意味でデレさせなければならない。
不可能とまでは言わないが、非常に困難であることはまず間違いないだろう。
もっとも、それを言うのなら十香や七罪の攻略も決して楽なものではなかったのだが。
「狂三さんも、一緒に食べたいならこっちに来たらいいのに」
「いやぁ、ははは…………きっと何か事情があるんだろうな、うん」
二人が転入してきて大体一ヶ月。
クラスメイトの手前、表面上は
流石に以前のように大規模にドンパチを始めるとは思えない、というより思いたくないが、その答えを今ここで確かめる気にはなれない。
秘密組織のエージェントという立場からしたら、尻込みをしている場合ではないかもしれないが、攻略対象が二人に増えては難易度は二倍どころでは済まないだろう。
ダブルデートという言葉は聞いたことがあるが、この場合だと男女比が明らかに偏っている。
漫画で同じような状況を見て、繰り広げられるラブコメ展開をありえないとツッコミながら笑っていた覚えはあるが、いざ自分がその立場に立たされたら一欠片も笑えない。
微妙な関係、どころか殺し合いを始めかねない少女二人と同時にデートをして、かつデレさせるなんていう荒業は、明らかに士道の力量を遥かに飛び越えている。
むしろそんなことができる人類がいるのなら、是非ともお目にかかりたいものだ。
ため息は何とか内心だけに留めた士道だが、場合によっては己がそれを求められかねない可能性に思い至り、苦々しい表情を浮かべた。
司令官である姪っ子は非常に可愛らしいのだが、時に理不尽とも思える要求をしてくるのだ。
それにしてもと、士道は二階に見える
こちらは柔和で人懐っこい笑顔で、受ける印象もそのままだ。
しかし彼女の内心は、或いは狂三以上に見えない。
『そんなことになったら私、悲しくて悔しくて妬ましくて腹立たしくて憎たらしくて……正直自分でもどうなっちゃうのかわかりません』
紗和は以前にこの笑顔のままで、時崎狂三に対する穏やかではない感情を覗かせて見せた。
命のやり取りも辞さないという事実から見ても、二人の間にある確執は根深いものだろう。
それなのに同じ口から、友好的とも取れる言葉も発する。
勿論それも表面上だけという可能性はあるが、以前に見せた態度を考えると、それらは彼女の中では恐らく相反するものではないのだろう。
この少女は親愛の情を向けながら、同時に銃口も向けてくるのだ。
人間はそういった矛盾を少なからず抱えるものではあるが、彼女ほど渾然一体となっているのは明らかな異常だ。
今、穏やかに食事をしていたとして、食べ終わった次の瞬間に刃を向けてきたとしてもおかしくはない。
……と、そこまで考えて士道は嘆息した。
ここ最近までの忙しさで疲労は確実に蓄積している。
思考を放棄するのとは違うが、あまり慣れないことを考えるのは余計に疲れるのだ。
士道にとっては、誰かを警戒したり疑ったりするのがそれにあたる。
そして再び見せた隙を、紗和はやはり見逃さなかった。
「――かはっ」
引き倒されて背中が打ち付けられ、衝撃に肺の中の空気が吐き出される。
痛みに細められた目に、いつの間にやら青色に変わった瞳が映り込んだ。
その中では如何なる仕組みか、時計の針がゆっくりと時を刻み、星を示している。
「油断したらダメですよ? お兄さんの命には、もっと大勢の人の命がかかってるんですから」
「…………そういえばそうだったな」
「それに、こんなにあっさり終わっちゃったらつまらないです。せっかくの高校生活なんだから、もっと楽しませてください」
「君が霊力を俺に預けてくれるなら、きっと高校生活ももっと楽しくなると思うぞ」
「いいですね、それ。お兄さんが私に全てを捧げてくれるなら考えてみます」
「いや、だからさ……それもう俺死んじゃってるよね?」
それは、こちらに対する遠回しなNOである。
相変わらずの返答に士道は渋面を作った。
一見穏やかな口ぶりだが、その裏には自分の要求以外を一切認めないという意思が垣間見える。
紗和は士道の腹の上に跨ると、嗜虐的に目を細めて顔を寄せてくる。
「それともこの前みたいに、私の唇を奪ってみます?」
この吐息がかかるほど近い距離は、彼女なりの挑発だろう。
心臓が跳ねるが、士道は自分に言い聞かせた。
それにしても、唇を奪うとは随分な言いようだ。
確かに以前にキスをしたという事実はあるが、それは向こうからのアクションである。
士道がしたのはせいぜい、霊力の封印を狙ってキスをせがんだ程度だ。
……何だかなおのこと悪いような気がして、目を泳がせて黙り込む。
実際にその当時、乙女の純情を弄んだと非難もされている。
向こうもこちらの命を狙っているのだから、おあいこどころかお釣りがくるレベルなのだが、事の軽重を計る価値観もまたそれぞれだ。
そして何より、話がこじれそうなので士道はノーコメントを貫いた。
しかしこの状況は、別の
その誰かは、今も二階からこちらを見ているのだろうか。
士道の疑問に対する答え合わせはすぐに成された。
噂をすれば、というか思い浮かべただけなのだが、とにかく影は差したのである。
「あらあら、白昼堂々と女子生徒に迫るだなんて、流石は士道さん。とんだ淫行教師ですわね」
校舎が作る影から浮かび上がるように、狂三が姿を現す。
ここから校舎の入口までは距離があるため、走るか窓から出入りするかでもしない限り、二階の端からではこの短時間で駆けつけることは不可能だ。
もっとも、彼女は時と影を操る精霊である。
そのような常識的な考えは通用しないと考えた方が良いだろう。
とにかくこの場に現れた狂三は、笑顔のままとんでもない誤解を吐いたのだった。
このマウントポジションを取られている状況を一体どう見たら、こちらが迫っているように解釈できるのだろうか。
やはり背負わされた淫行教師の不名誉は重いということか。
だがそれを言うなら、その十字架が重くなった一因は間違いなく彼女にもある。
そこらへんの事情はグッと呑み込んで、士道は呻くように懇願した。
「お願いだから、人聞きの悪いことは言わないでもらえませんかね……」
「士道さんのことですし、言葉巧みに紗和さんを誑かしてこのような状況を作ったのでしょう?」
「だから人聞きぃっ!」
とんでもない超解釈に、思わず悲鳴じみた声が飛び出す。
しかし狂三は取り合わず、また笑顔を浮かべるのみ。
士道から見たら、美しさに加えて言い知れぬ威圧感もあるのだが、そんな感想を素直に口にしては確実に銃弾が飛んでくる。
一方、腹の上に跨られているという体勢をどうにかしようと体をよじるが、マウントポジションからは抜け出せそうにない。
自分の下で無様に藻掻く士道を余所に、紗和は柔和な笑顔のままとんでもない爆弾を放り込んでくるのであった。
「狂三さんも回りくどいなぁ。羨ましいんだったら、そう言えばいいのに」
ピシッと、さながら空気が凍るような音が聞こえた……ような気がした。
というか、狂三が羨ましがっているとは一体どのような解釈なのか。
もし士道が本人の前でそんなことを口にしたら、銃弾が飛んでくるのは間違いない。
優雅に笑顔を浮かべているようで、その実彼女は結構短気なのだ。
顔中にびっしりと汗を浮かべながら、士道は事の成り行きを見守るしかできない。
ここでの下手な口出しは、パンパンに膨らんだ風船を針で突くようなものである。
「随分と、面白い事をおっしゃいますのね」
「そうかな? むしろ私がお兄さんとこうしているのが面白くないんだよね?」
「ご冗談を。その程度の事で……士道さんとは、もうキスも済ませておりますのよ?」
「へぇ、一緒だね。私はお兄さんから、キスしたいってお願いされたんだけど」
「……士道さん?」
向けられる視線に対して、士道はブンブンと首を横に振った。
狂三の笑みは深まっているが、圧はそれ以上に強くなっている。
この二人がライバル関係だというのは承知しているが、どうにもマウントを取り合う内容がおかしいような気がしてならない。
というか、この最悪の精霊は何を見栄を張っているのだろうか。
あのキスは彼女の悪ふざけの末の事故であり、正式にカウントしていいものかは少々怪しい。
今すぐにでも〈フラクシナス〉に救援を求めたいが、生憎とインカムはカバンの中に入れっぱなしで手元にない。
そんな状態で霊力を封印されていない精霊二人に追い詰められたら、流石の淫行教師もお手上げである。
もう勘弁してくれと言わんばかりに、士道は右手で地面をタップした。
何を勘違いしたのか紗和はその手を取ると、指を絡めるように握ってきた。
恋人つなぎという奴だろうか……それを目にした狂三の笑顔が強張ったように見えて、士道は気が気でなかった。
当然ながら、握られた手を離そうとしても離れない。
常人が精霊と力比べをしたところで、勝てる道理はないのだ。
「しばらく会わないうちに、随分とはしたなくなりましたのね」
「いいよね、これぐらい。私たち、デートの約束もしてるんですから」
「…………士道さん?」
赤と金の双眸で射抜かれて、士道は更に勢いよく首を横に振った。
狂三の笑みは最早消え失せて、見開かれた目がただただ恐ろしい。
というか、霊力の封印という士道の目的を理解しているはずの彼女が、こうしてデートやキスといった話題に対して非難がましい目を向けてくるのは、一体どういう感情の動きだろうか。
むしろそもそもの目的を考えれば、士道の精霊攻略を推奨してきそうなものですらある。
今までの経験から、全く好感を持たれていないとは思わないが、それが嫉妬を引き起こすほどの恋愛感情だとは考えにくい。
少々ツンデレっぽい彼女だが、ツンデレがそのまま恋愛感情に結び付くというのは安易だろう。
広義的に見れば、漫画などにおける宿敵同士の「俺以外に敗けるなんて許さねぇ」的な態度も、ツンデレと解釈されるのだ。
それに沿って考えるなら「わたくし以外の餌食になるなんて許しませんわ」といったところか。
勿論、この場合の餌食とは断じて色っぽい意味ではない。
……まぁ、よくよく考えれば、複数人の女性に対してアプローチしている男性を非難するのは、当たり前のことでしかないわけなのだが。
ともかく紗和の言うデートの約束というのは、命を狙われた際に士道が出した苦し紛れの提案のことだろう。
士道が『ヨモ吉』と勝手に呼んでいる野良猫に一緒に会いに行く、という約束だが、仮にここで狂三も誘ったら万事丸く収まったりはしないだろうか。
この二人は猫を前にすると、明らかに態度が柔らかくなるのだ。
天啓を得たような気がして早速提案しようとするも、士道が口を開くのに先んじて紗和が、空いている手の人差し指を唇に当ててくる。
「
静かに、しかし確かに強調されたら、士道も頷くしかなかった。
余人を立ち入らせるなという訴えが、これでもかというぐらい伝わってきた。
これでもし安易にも提案していたら、最悪は血の雨が降っていたかもしれない。
その場合、降るのはほぼ確実にこちらの血なのは想像に難くない。
炎の精霊の力があれば死にはしないかもしれないが、死なずとも物凄く痛いのだ。
二人のどちらが手を下してくるかはともかく、こうしてどちらも可能性に挙がるあたり、揃って物騒な精霊だというのは言うまでもない。
ちなみに、もう恐ろしすぎて狂三の方には目を向けられなかった。
散々挑発して満足したのか紗和が体の上からどけて、かかっていた重みが消え去る。
しかし、士道が解放感に息をつく暇はなかった。
「そんなに羨ましいなら、狂三さんもどうかな?」
そう言って紗和は、地面に仰向けになった淫行教師を指し示した。
まさかの提案に思考が追い付かない。
それでなくとも先程から既にオーバーフロウ気味だったので、ここで士道の頭は停止した。
別の言い方をすると、宇宙猫状態とも言う。
「笑えない冗談ですわ。わたくしがそのような事をする理由が一切見当たらないのですけれど」
「えー? 羨ましそうに見てたのに?」
「そのような事実はこの世のどこにもありませんわ」
「あ、なるほど。自分の事は案外分からないって言いますからね」
「……何故そうなるのか、理解に苦しみますわ」
「じゃあ、あれかな? 恥ずかしがってるだけ……とか?」
「ですから――――」
「可愛いなぁ、狂三さん。ラブレターにあたふたしてた頃から、全然変わってない」
「――――っ」
士道が宇宙猫をやっていた間に、二人が何を話していたのかはわからない。
しかし結果として、見上げるとそこには狂三の姿があるのだった。
そのまま腰を下ろすと、ちょうど先程まで紗和が取っていた体勢になる。
こうして下から見ていると、黒いストッキングに包まれた脚が妙に艶めかしい。
しかしそんな感想を吹き飛ばす程度には、この状況は訳が分からなかった。
「……どゆこと?」
「士道さんはそのまま黙っていてくださいまし。これはわたくしが臆しているわけでもましてや恥じらっているわけでもないということをこれでもかというぐらい決定的に証明して差し上げるだけのことですのよ」
「……なんて?」
一息に、しかも早口でまくし立てるものだから、耳には届いたものの理解が追い付かなかった。
まさか【
何やら決然とした狂三の雰囲気に、思わず息を呑む。
「狂三さーん、ファイトー」
少し離れた場所で声援を送る紗和の姿に、ますます状況がわからなくなる。
その声援を受けた瞬間、狂三の表情が悔しげに歪んだのは気のせいだろうか。
それとは別に、少し離れた影の中から同じく声援を送る存在がいた。
「一思いにやるのですわ、『わたくし』!」
「士道さんを堕とす絶好のチャンスですわ!」
影から顔だけ覗かせているのは、狂三が自身の天使の力で作り出した分身体たちである。
勇んで本体への声援を送っていた彼女たちだが、紗和が微笑みかけると影の中に消えていった。
ともかく彼女たちによると、どうやらこれから狂三は、こちらを一思いに殺って地獄へと落とす気でいるらしい。
率直なピンチに士道は激しく動揺した。
「待て待て待て、話せばわかる!」
「ええいっ、問答無用ですわ……っ!」
「――――ぐえっ」
ドスン、と勢いよく腹の上に腰を下ろされて、カエルが鳴くような声が漏れる。
もう本当に訳が分からない。
平穏なはずの昼休みはどこへ消えてしまったのか。
ちなみに、士道が重そうな声を出した瞬間に、狂三の眉がぴくりと顰められたのは余談である。
「ふ、ふふふ……きひひひひッ! やりましたわ、やってやりましたわ!」
果たして士道の上に跨った狂三は、何やら達成感に打ち震えていた。
どうも目的を見誤っているように見えるのは気のせいだろうか。
「……いや、本当に何なの?」
「さあ、何なんでしょうね?」
困惑が多分に混ざった呟きに、恐らくこの状況を作り出したであろう少女は穏やかに笑う。
これから数分後、正気を取り戻した最悪の精霊によって士道はまた酷い目に遭わされるのだが、こちらも完全に余談である。
「えらい目にあった……」
本日最後の授業を終えて廊下を歩く士道は、今日一日の総括を呟いた。
今日一日というか、その評価はほぼ昼休みの出来事に集約している。
どうやらあの最悪の精霊は、少々短気であることに加えてあまり煽り耐性もないらしい。
と、こんなことを考えていることが知られたら、またどんな酷い目に合わされるかわかったものではない。
周囲にキョロキョロと目を走らせる様は挙動不審だが、この程度のことで今更落ちるような評価もない。
昼の一件以外は、十香の発言で生徒からの視線が痛くなる程度で、まぁ平和なものだった。
後は帰りのホームルームを終えれば晴れて放課となる。
もっともそれは生徒側の話で、教師側、というより士道はもう少々やる事が残っている。
それら全てが終わったら帰って夕食だ。
食卓を共にする少女たちの顔を思い浮かべながら、士道は何を作ろうかと考えるのだった。
「……」
しかし、廊下の角から向けられる視線に思考を中断する。
肩をくすぐる程度の長さに切り揃えられた髪に、人形のように端正な顔立ち。
あの日見せた激情はすっかり鳴りを潜めて、いつもの無表情を取り戻している。
鳶一折紙……士道が副担任を務める二年四組の生徒にして、現役のAST隊員。
彼女は精霊の現界に際して、武器を取って立ち向かう立場にある。
精霊を保護しようと動く立場からしたら、対立しているとさえ言える。
そのことを考えれば、やはりあまり積極的に関わるべきではないのかもしれない。
しかし、それでも表向きの関係はあくまで教師と生徒だ。
逡巡はまだ残っているが、ポリポリと頭を掻くと、士道はもう難しいことを考えるのは止めた。
そもそも、教師が生徒を心配して何の問題があるというのか。
「折紙……その、大丈夫だったか?」
「健康面で特に問題はない。いつでも産める」
「う、埋め……?」
士道の些か曖昧な問いに対して返されたのは、いつも通り抑揚のない淡々とした言葉だった。
淡々としすぎて意味を図りかねる部分もあったが、とりあえず健康なのは間違いなさそうだ。
それにしても、一体何を埋めるのだろうか。
とりあえず、穴を掘る程度の運動ならばこなせる程度に健康なのだと思っておくことにした。
それはそれとして、士道が心配しているのは身体的な健康だけではない。
先月の一件で、折紙は暴走とも呼べる様子で激しい復讐心を露わにした。
その暴走はどうにか止めることが出来たが、そう簡単に折り合いが付けられるものではないだろう。
その事に言及したくとも、この場所は少々人目が多い。
これが普通の教師と生徒ならそれ程目を引く要素はないのだが、折紙は学年一の才女として有名であり、士道は淫行教師という非常に重い十字架を背負う身だ。
そんな二人が目に付く場所で話していれば、ヒソヒソと注目が集まってしまうのだ。
幸い、帰りのホームルームまでは少し時間がある。
どこか人目を避けられる場所に移動したほうがいいだろう。
「ちょっと二人きりになれる場所に行きたいんだけど、大丈夫か?」
「――――っ、二人きりに……なれる、場所?」
士道としては何気ない提案のつもりだったのだが、折紙は僅かに目を見開いて、確認するように言葉を区切りながら繰り返した。
その様子に自分の発言を振り返り、士道は少々誤解を招きかねない言葉選びをしてしまったことに気がついた。
しかし発した言葉は簡単には取り消せない。
訂正する前に、折紙が士道の手をガシッと掴む。
そしてそのまま、猛然とどこかへ向けて歩き出した。
「ちょちょちょっ、どこ連れてく気だ!?」
「校舎の外れの女子トイレ。あそこは教室から離れているから、この時間なら誰も来ない」
「成程……って、そうじゃなくてだな!」
確かにそこならば二人きりという条件は満たせるかもしれないが、当然ながら学校の女子トイレに男性教師が入るのは問題だ。
そこに女子生徒も同伴となれば、最早一部の隙もなく問題の匂いしかしない。
士道は抵抗を試みたが、やはり現役のAST隊員は伊達ではない。
あれよあれよと女子トイレの一番奥の個室まで引っ張り込まれ、そのままガチャリと鍵がかけられる。
これで誰かの邪魔は入りにくくなったが、それ以上に逃げられなくなってしまったように思えるのは、果たして気のせいだろうか。
個室というだけあって、この空間は明らかに二人では手狭だ。
洋式便器の蓋の上に座らされた士道は、やたらと近い距離に汗を滲ませた。
こうして至近距離で向かい合っていると、どうしてもあの病室での一件が思い出される。
今までなるべく思い出さないようにしてきたのだが、この状況では些か以上に難しい。
余すことなく体を密着させた上で、貪るように舌を絡め取られる。
あの行為は、明らかに教師と生徒という関係を逸脱していた。
今こうしている間にも体が熱くなってくるようで、気が気でなかった。
個室の出口は折紙が背にしており、出て行くのは容易ではない。
段々と危機感を募らせる士道を前に、折紙はさらなる行動に打って出た。
何やらもぞもぞとスカートの中に左右から手を差し込んだかと思うと、その下の白い下着を下ろしにかかったのだ。
「ちょっ、まっ――ななな何やってんだ!?」
慌てて折紙の手を掴んで止める。
白い布地は既に膝まで到達しており、それを止めにかかった士道は前屈みの体勢になり、目の前にはプリーツスカートの布地が広がる。
その下にあるべきものを履いていないという事実が、どうしようもなく顔に熱を蓄積させた。
意識を外すために視線を上に向けると、今度は折紙の顔がドアップで映り込む。
士道は息を詰まらせるが、人形のような無表情は相変わらずだった。
そのまま、折紙はコテンと首を傾げた。
「……もしかして、自分で脱がせたいの?」
「んなわけあるか! 逆だ、逆!」
確かに見ようによっては、この光景は士道が折紙の下着を脱がせようとしているようにも見えるだろう。
しかし実態は脱ごうとしているのを止めているのであって、そこに他意は一切ない。
とんでもない超解釈を、士道は断固として否定した。
すると、折紙は何やら神妙に頷いてから下着を穿き直した。
わかってくれたか、と汗を拭う士道だが、すぐにそれが勘違いであったことに気づく。
折紙はその場に屈むと士道の腰元に手を伸ばし、あろうことかベルトの金具を外しにかかったのだ。
勿論、カチャカチャと外されていく様をただ見送るわけには行かない。
再び折紙の手を掴んで止めると、士道は悲鳴じみた声を上げた。
「何やってんだ! 何やってんだ!?」
「逆と言うから、脱がせて欲しいのかと」
「違う、そうじゃない!」
「……? 脱がないと出来ないのでは?」
「一体何をする気なんですかねぇ!?」
「それは勿論、セッ――――」
「やっぱ言わなくていいですごめんなさい!」
とんでもない発言が飛び出しそうになって、拝み倒す勢いで遮る。
ちょっと話そうとしただけなのに、一体どうしてこんなことになっているのだろうか。
何やら疲労している士道に対して、折紙は再び首を傾げた。
「では何故、こんなところに連れ込んだの?」
「連れ込んだのはそっちじゃなかったかなぁ!?」
ともあれ、ただ話したいだけだということを伝えると、折紙は素直に納得してくれた。
その際にそこはかとなく残念そうな顔をしたような気がするが、あまり詮索しては藪から龍が出現しかねない。
「その、なんだ……心配してたんだよ。ほら、色々あっただろ?」
「…………」
士道が口にした
折紙は少しの間考えるような素振りを見せてから、口を開いた。
「正直、まだ全てに納得できたわけではない」
「……そう、だよな」
五年前の大火災の中で、折紙は炎の精霊に両親の命を奪われたのだという。
しかし、先月の一件の最中、士道が主張した事実はそれを覆すものだった。
混乱は当然だし、納得できなくとも仕方がないだろう。
「それでも、あなたの言うことは信じたいし、それが事実であってほしいとも思う。……あなたの家族を、奪うような真似はしたくない」
「そうか……ありがとう」
自分のような人間を増やしたくはない……以前に折紙は復讐以外の戦う理由としてそう語った。
それは彼女が内に秘める優しさを示すものであり、たとえ復讐心に囚われているように見えたとしても、決して損なわれるものではない。
確たる証拠もないのに士道の言葉を受け入れてくれたのが、何よりの証明となる。
胸を撫で下ろす士道に対して、折紙はジッと視線を向けてくる。
「私はむしろ、先生が心配」
「俺か?」
「隊長も報告書の記載内容に、非常に苦慮していた」
「うっ……」
折紙が言及しているのは、士道が見せてしまった諸々に対してだろう。
ASTの隊長である日下部燎子の前では精霊である十香と親しげに接する様に加え、炎の精霊の力で体が復元する光景も見せてしまっている。
前者はともかくとして、後者は下手をしたら士道自身が精霊と認定されかねない事態である。
今まで忙しすぎて気にする暇もなかったのだが、そうなっていたら今頃は身柄を拘束されていた可能性が高い。
こうして無事に過ごせているのは、やはりどうにか誤魔化してくれたからなのだろう。
年上の後輩に対して感謝の念を送っておく。
ご機嫌取りというわけではないが、今度何かご馳走しておくべきかもしれない。
彼女がブチ切れた時のことを思い出して、士道は冷や汗を流した。
「それとあの女……時崎狂三には気をつけて」
「あ、ああ……うん、そうだな」
折紙の言うことはもっともなのだが、どうにも彼女は狂三が士道を狙う理由を勘違いしている節がある。
狂三の目的は士道の中に蓄積された霊力であり、決して性的に狙っているだとかそういった事実はないのだ。
しかし内容が内容だけに、下手な訂正は余計な疑問と心配を抱かせるだけだろう。
とりあえずだが、士道は忠告に頷いておくことにした。
気をつけなければいけないというのはまさにその通りであり、この昼休みに馬乗りされていたなんて事実は口が裂けても言えない。
そんなことを言えば、より一層誤解が深まるという確信があった。
それにしてもと、士道は顎に手を当てた。
今日に至るまで狂三に対する手出しが一切なかったのは、実に奇妙な話だ。
紗和のように認知されていないわけではなく、彼女が精霊であることはASTも知り及んでいることであり、十香のように霊力を封印されているわけでもないので、観測機などで調べれば霊波反応が確認できるだろう。
監視にとどめて機を窺っているのか、それとも士道の知らないところで何かしらの作戦が行われているのか。
狂三の死に顔が頭を過ぎり、士道は僅かに目を細めた。
彼女が無事なうちに、決着をつける必要があるだろう。
「……なんか近くないか?」
「これが自然な距離。実家のような安心感」
少しの間だが思考に沈んでいた士道が膝の上に重みを感じたかと思うと、息のかかりそうな距離に折紙の顔があった。
何の因果か、昼休みと同様に女子生徒に跨られているのである。
屋外というオープンな環境はそれはそれでいかがわしさがあるのだが、トイレ(それも女子用)の個室で同じことをしていれば、いかがわしさは段違いである。
人目につく可能性が少ないだけマシかもしれないが、こちらはこちらで妙な気分になりかねない。
勿論、万が一どころか億が一にもあってはならないのだが、精神力のみで生理現象を超克するにはまだまだ修行が足りない。
是非ともどけてもらうべく、腰元に手を添える。
「――んっ」
すると、折紙が震えながら小さく息を漏らした。
その際に一緒に漏れた声が妙に艶っぽいものだから、士道は慌てて手を離そうとする。
しかし離そうとした手の片方はガシッと掴まれ、もっと危険な場所まで導かれた。
「――――!?」
控えめながらも温かく柔らかな感触が伝わってくる。
あろうことか士道は、生徒の胸に手をつけていたのだ。
押し付ける力は強く、というより混乱からまともに体が動かない。
手を離さなければならないという意識とは裏腹に、指はまるでその感触を堪能するかのように動いた。
「――ぁんっ」
すると、今度は先ほどよりもはっきりと声が漏れる。
士道にもたれながらそんな声を出すものだから、吐息というおまけもついて耳元にダイレクトに響いてしまう。
さらに体も密着しており、このシチュエーションは病室での一件を強く思い起こさせる。
それが情欲を本格的に煽り始め、士道は混乱の渦中で焦燥を募らせた。
「お、おりっ、折紙さんっ!? ちょっとこれはマズいんじゃ――――」
制止の声が途中で途切れる。
口を塞がれたのだから、それも当然だ。
士道の司会に大きく映りこんだ瞳は静かに、しかし熱っぽく蕩ける。
自分の生徒、それも霊力の封印という事情が一切関わらない相手との二度目のキスに、今度こそ士道の頭は真っ白になった。
そのまましばらく口内を蹂躙され、互いの舌先を唾液の糸で繋ぎながら唇が離れる頃には、抵抗の意思はすっかり弱まってしまっていた。
いっそこのまま流されても構わないのではないか、という思考すら生まれてくる始末。
ああ、でも自分が他の誰かとこんな事をしていたら、
その眠たげな顔を思い浮かべると同時に、帰りのホームルームの開始を告げるチャイムが鳴る。
「ほ、ホームルームに遅れるから……!」
「あっ……」
残念そうな声を振り切って、士道はどうにか女子トイレから脱出した。
なけなしの気力を振り絞った結果だが、これは折紙の気が緩んでいたのも大きい。
この熱くなった顔と体は、急いでいたということで誤魔化せるだろうか。
「えらい目にあった…………」
帰りのホームルームを終えて職員室に向かう士道は、今日一日の総括を呟いた。
昼の出来事に先程の女子トイレでの一件を加え、中々に濃い一日だったと言わざるを得ない。
ちなみに狂三と紗和は隣同士で(表面上は)にこやかにしていたし、折紙も何食わぬ顔で士道に少し遅れる形で教室に戻ってきた。
今日のようなイベントが日常になるとは思いたくないが、そんな保証はどこにもない。
最近、十香と折紙の諍いは収まり気味だが、それがいつまでも続くという保証もまたない。
さらに、今後は新たな組み合わせでのハプニングも起こりうるとなれば、最早思考を放棄するレベルですらある。
目頭を揉みほぐしながら、士道は深く長いため息を吐き出すのだった。
「シドー!」
と、背後からの声に振り返ると、一人の女子生徒が猛然と駆けてくる。
夜色の髪に、紫水晶の瞳。
この春に霊力の封印を施した精霊の少女、十香である。
その美貌は憤りの色に染まっており、何かがあったことは明白だった。
「聞いてくれ、時崎狂三と鳶一折紙が――――」
そして十香の口から出てきた名前に、士道はくらりと目眩を覚えた。
今日の総括は、もう少し後にしておいた方が良さそうだ。
というわけで終了。
トイレの個室で女子生徒と淫らな行いに及んでいたとは、いよいよ淫行教師じみてまいりました。