士道くんが淫行教師と謗られながら精霊をデレさせる話   作:kish

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なんか調子乗って書いてたらすっごく長くなりました。
それもこれも温泉が悪い。


シャッフル・ツインズ

 

 

 

 先程までの嵐が嘘だったかのように、現在の或美島の空には雲が一欠片もない。

 その空の下、資料館の前に数本の列に分かれて並ぶ少年少女の姿があった。

 修学旅行でこの島までやって来た、都立来禅高校二年生一行である。

 一様に夏服姿(クールビズ)なのだが、季節柄か土地柄かはたまた天気のせいか、それでは対応しきれない程度には気温が高い。

 熱中症への対策から日陰の中での整列となっているが、生徒の中から不満の声がちらほらと上がっている。

 

(まったく……なんと惰弱な)

 

 その様子を後ろから眺めて、エレン・メイザースは内心でため息を吐いた。

 この修学旅行を提供する旅行会社、クロストラベルから派遣されてきた随行カメラマンである。

 だがそれは彼女の仮初の立場に過ぎない。

 彼女の本来の所属は世界有数の大企業であるデウス・エクス・マキナ・インダストリー……通称DEM社にある。

 DEMは顕現装置という奇跡の技術を世界各国に提供しており、そしてそれを扱うための人材も数多く確保している。

 顕現装置を単独で使用することが出来る者――即ち、現代の魔術師である。

 エレンもその魔術師の一人……と一括りにするには、他と実力が隔絶しすぎている。

 彼女こそが『悠久』と称される、世界最強の魔術師なのだ。

 

「あらら、エレンさんだいじょーぶ? 先にバス乗ってたら?」

「そーそー、あそこならクーラー効いてるしね」

「マジ引くわー」

「……お、お構いなく」

 

 その悠久のメイザースは現在、ベンチにぐったりと身を預けながら、女子生徒三人に心配されるという醜態を晒していた。

 項垂れている様子には、先程内心で漏らした惰弱という言葉がブーメランとなって刺さりそうな雰囲気があった。

 しかしながら、エレンは暑さでまいっているわけではない。

 その程度ならば顕現装置でどうとでもできる。

 たとえ身を凍てつかせるような苛烈な吹雪や、血すら沸騰させるような異常な熱気でも、彼女が眉を顰める理由にはなりえない。

 ならば、一体どうしてこのように疲弊した様を見せているのか……その原因は、目の前で心配してくる三人の女子生徒にある。

 旅客機内での接触を皮切りに、二年四組の三人娘と呼ばれる彼女たちに、事ある毎に付きまとわれているのだ。

 おかげでターゲットを追うのにも支障をきたす始末。

 現代の魔術師は顕現装置の行使に自身の脳を使用する関係上、動揺や狼狽といった精神の揺らぎは明確な弱点となる。

 エレンの常識から飛び出したこの三人の言動は、精神力の消耗に一役買っていた。

 

(大体そもそも、何故彼女たちは整列していないのですか……!)

 

 集団行動の基本は、足並みを揃えることにある。

 軍隊などに比べれば拙いもいいところだが、この集団においてもその基本は変わらないはずだ。

 それが一体何故、彼女たちのように集団の和を乱すような行為を許しているのか。

 これがDEMの精鋭部隊であるアデプタス・ナンバーならば、問答無用で折檻である。

 しかし、この場で同じようにこの三人をどうにかするのは不可能だ。

 今は精霊〈プリンセス〉と思しき女子生徒に近づくため、身分を偽っている最中なのだ。

 正体を知られたが最後、相手からの警戒で任務の達成は困難になるだろう。

 この段階では、間違っても大っぴらに魔術師としての力を行使するわけにはいかない。

 なのでエレンは、この日本に古来より伝わる奥ゆかしき作法に従うことにした。

 

「み、Ms.オカミネ……っ!」

 

 コマンド『先生にいいつける』である。

 古来より集団行動を是とする日本の学生は、指導者である教師のお叱りには滅法弱いらしい。

 漫画で読んだのでエレンは詳しいのだ。

 歴戦の魔術師が持っているはずの余裕とはかけ離れた呼びかけに、小柄な女性が近づいてくる。

 二年四組の担任、岡峰珠恵である。

 一般に、欧米人に比べて幼く見られがちな日本人だが、彼女の場合はそれが飛びぬけているように思える。

 小柄な背丈やサイズの合っていない眼鏡も相まって、余計にその印象が強い。

 日本は法治国家なので教員の違法就労はありえないだろうが、本当にプロフィール通りの年齢なのか少々疑わしいところだ。

 傍から見た場合、年齢不詳という点については決して自分も他人の事を言えないのだが、エレンはそんなことを考えた。

 

「うぅ……お、お気遣いありがとぉございまぁす」

 

 そして岡峰教諭は何故か目元を擦りながら、間延びした声でこちらに礼を言ってくるのだった。

 礼を言われる理由に覚えのないエレンは、当然困惑した。

 

「あの……何故こちらにお礼を?」

「ミスでもなくミセスでもなく、ミズということはつまり! フタを開けるまで既婚か未婚か分からないという事なんですよぉ!」

「は、はぁ……?」

 

 たしかにどちらでもいいような呼び方はしたが、これは一般的な配慮の範囲内であって特に騒ぐようなことだとは思えない。

 そもそもフタを開けるまでとは言うが、記憶喪失の人間ならともかく、自分が結婚しているかどうかを把握していないのは明らかにおかしい。

 この亜衣麻衣美衣とかいう三人娘もそうだが、二年四組は大丈夫なのだろうか。

 日本のハイスクールの事情に詳しいわけではないが、尋常ではないことだけは分かる。

 そもそも精霊が複数所属しているあたり、それは必然なのかもしれないが。

 ともかく興奮するタマちゃん先生を前に、エレンは頬に汗を滲ませた。

 

「つまり私は、シュレディンガーのタマちゃんということなんですっ! 何だかネコっぽい響きもグッドですねぇ」

「そ、そうですか……」

 

 果たして、箱の中に閉じ込められて生死不明の猫に親近感を覚えていいものなのだろうか

 エレンの困惑はともかく、シュレディンガーのタマちゃんは仕事をきっちりこなしてくれた。

 連行されていく三人娘を見送ってから、思い出したかのように余裕たっぷりに計画通りとほくそ笑むと、ターゲットである夜刀神十香の姿を探す。

 資料館の中ではあの三人に付きまとわれて目を離してしまったが、同じく二年四組の所属なのでその列を探せば見つかるだろう。

 立ち上がって、カモフラージュのカメラを構えながら二年四組の列を見渡す。

 まず三人娘が手を振ってきたが、全力で見なかったことにする。

 次に目に留まったのは、肩をくすぐる程度の髪の長さの女子だ。

 

(たしか、鳶一折紙……現役のAST隊員でしたか)

 

 人形のように無表情なその少女は、日本の対精霊部隊に所属する魔術師だ。

 年齢を考えれば本来ならありえない立場だが、魔術師の世界では珍しくもない。

 魔力処理もなしに、欠陥兵器とも言われている〈ホワイト・リコリス〉を操ったという事実から、その能力の高さがうかがえる。

 こちらの正体を秘匿する上で警戒対象ではあるが、幸いにして面識はない。

 余計なことを口に出さなければ、怪しまれることもないだろう。

 それよりも心配なのは、また業務執行取締役の悪い癖が働かないかだ。

 彼は才能ある魔術師を見ると、ついヘッドハンティングしたくなるのだ。

 彼女がDEMに来るのも、そう遠くはないかもしれない。

 続けて列を下っていくと、最後尾に位置する二人の女子生徒が目に留まる。

 影のように黒い髪の少女と、栗色の髪を一本の三つ編みに結わえた少女だ。

 時崎狂三と山打紗和……この二人には現時点で関わっても百害あって一利なしだ。

 含むところは多分にあるが、早々に視線を切る。

 その際に栗色の髪の少女が手を振ってきたが、三人娘と同様に見なかったことにした。

 そうして列の先頭から最後尾まで確認して、ターゲットの姿がない事に気が付く。

 

(くっ……見失いましたか!)

 

 お花摘みにいっているのか、迷子になっているのか、こちらの狙いを察知して姿を隠したのか。

 何にしても目を離したのは失敗だった。

 あの三人絡まれていたせいだと忌々しげな目を向けそうになったが、それでまた絡まれては余計な面倒事が増えてしまう。

 苦々しい表情で耳に装着した小型のインカムに手を当てる。

 

「こちらアデプタス1。そちらで〈プリンセス〉の足取りを追えますか?」

『こちら〈アルバテル〉。先の嵐の影響でこちらもターゲットを見失っている。屋内に潜伏している場合、艦載のカメラで追うのは難しい』

 

 この島の遥か上空に浮遊する空中艦からの応答に、エレンは顔を僅かに顰めて小さく舌打ちした。

 こちらの一瞬の隙をついて姿をくらませるとは、見事と言う他ない。

 むしろあの嵐も、このために引き起こしたものだったのではないかとさえ思えてくる。

 余計な邪魔が入らぬよう外部との通信は遮断しているが、この修学旅行の期間内に事を済ませなければターゲットが本土へ帰還してしまう。

 そうなってしまえば、わざわざカメラマンとして随行してきた意味がなくなってしまう。

 ここに至るまでの苦労(主に三人娘に絡まれた記憶)が、エレンの脳裏を駆け巡った。

 これからは少々強引な運びになってしまうが、それは致し方がない事である。

 唇を引き締めると、エレンは静かに決意を固めた。

 

「〈バンダースナッチ〉部隊を――――」

 

「よう、お三方。十香ちゃん、具合悪くなって先に旅館に向かったんだって?」

「そうそう、こうなったら私らで思い出を届けるっきゃない! ってことでエレンさんに一杯写真撮ってもらってたってわけ」

「でもさぁ、連れてったのほむっち先生なんだよねー。ちょっと心配かも」

「マジ引くわー」

 

 ――と、髪を逆立てた大柄な男子と三人娘の会話を聞いて、エレンは発しようとしていた言葉を呑み込んだ。

 インカムからは、中途半端に発した指示に焦れたのか、催促するような言葉が飛んでくる。

 

『――――それで、〈バンダースナッチ〉部隊をどうするのですかな?』

「…………夜間の行動に備えて待機。状況が判明次第、追って指示を出します」

 

 華麗に軌道修正を行い、再びカメラを構える。

 これはカモフラージュというよりも、周囲から顔を隠すといった意味合いが大きい。

 激している表情を見せてしまっては、悪目立ちしてしまうだろう。

 ともかく状況を整理すると、体調を崩した〈プリンセス〉を教師の一人が先んじて旅館に連れて行った、ということになる。

 そもそも精霊が体調を崩すものなのかという疑問もあるが、何よりもエレンの神経を逆なでしたのは、彼女を旅館に連れて行ったという教師の存在である。

 

(おのれ、ホムラシドウ…………!)

 

 穂村士道……ターゲットである夜刀神十香が所属する二年四組の副担任。

 しかしエレンにとっては、どこまでも忌々しい男である。

 顕現装置や精霊に関する記憶を失っている、という事実を鑑みればありえない考えなのだが、こちらの妨害を目的としてそのような行動を取ったのかとさえ思えてくる。

 そうしてやり場のない怒りをしばらく沸き立たせるも、バスに揺られていれば多少は沈静化する

 旅館に辿り着いたエレンは状況をより正確に把握するべく、真っ先に夜刀神十香が運び込まれたという部屋へ向かった。

 その部屋に関しては岡峰珠恵から情報を入手済みである。

 穂村士道が自分の部屋で休ませていると聞いて一瞬だけ顔を顰めてしまったが、特に怪しまれた様子はなかった。

 ちなみにこの時のエレンの反応に、髪を逆立てた大柄な男子が何やら目を輝かせて、三人娘は思いっきり微妙な顔をしていたが、そちらは特に気にすることではないだろう。

 目的の部屋の前に立ち、周囲に誰もいないことを確認してからドアに耳を当てる。

 防音設備がしっかりしているのか、室内の音は聞こえてこない。

 ならばと、エレンは随意領域を操って部屋の中の様子を探った。

 現代の魔術師の力を以てすれば、この程度は容易である。

 

(椅子に座って話しているのが二人……ベッドに寝ているのが二人……?)

 

 話している二人は、恐らく二年四組の副担任の二人だろう。

 夜刀神十香を運び込む際に、もう一人の副担任も随伴したという話は聞いていた。

 たしか村雨令音といったか……常時ふらついていて、今にも倒れそうな印象がある女性だ。

 なので副担任同士が会話しているという状況はいいとして、それにしても人数が合わない。

 その二人と夜刀神十香で、合わせて三人でなければおかしいのだ。

 ベッドで寝ている一人はいいとして、もう一人は一体何者なのか。

 他の生徒や教師が付いていったという話はなかったはず……より正確な情報を求めて、室内の音に()を伸ばす。

 

『そ、そういえばあのカメラマンの事なんですけど!』

『…………たしか、エレン・メイザースだったかな?』

 

 聞こえてきたのは、予想に違わぬ副担任二人の声。

 唐突に言及されて、エレンの鼓動が僅かに跳ねる。

 穂村士道がこちらの事を覚えていたのかと気持ちをざわつかせるも、記憶処理という事実がそれを否定する。

 単なる記憶喪失と違い、そう簡単に思い出せるほど生易しいものではないのだ。

 外国人の、それも女性のカメラマンは珍しく映ったのだろう。

 日常会話として話題に挙げる程度なら、特におかしな話ではない。

 

『……彼女も非常に美しい見た目をしているからね。君がそういう目を向けても、ある程度仕方がないとは思うが――――』

『だから誤解ですってば!』

 

「――っ」

 

 今度こそ動揺が表に出た。

 ドアに張り付いたまま体を跳ねさせたエレンは、今の会話の意味するところに思考を巡らせる。

 

(あの男が、私の容姿に、目を向けている……?)

 

 その考えに至ったと同時に、資料館で散々付きまとってきた三人娘の言葉が蘇る

 

『いやぁエレンさんさ、ほむっち先生にあっつーい目を向けてたけど、正直おすすめしないよ?』

『そーそー、女と見ればすーぐ手を出す淫行教師なんだから!』

『マジ引くわー』

 

 あの三人の話は話半分以下で聞いていたが、もしそれが本当の事だったら。

 こちらが熱い目を向けていたというのは大いなる誤解だが、逆に向こうから邪な目を向けていたのだとするのなら。

 思えば空港で邂逅した時や、飛行機の中でも妙な視線を向けてきていたような気がする。

 それに対して、ほんの僅かながらこちらのことを覚えている可能性について考えはしたが、もしそれがこちらの容姿を値踏みするものだったとしたならば。

 背筋を這い上る寒気に、エレンはフリーズしてしまった。

 

「――――ぷぎゃっ!」

 

 そのせいで、開くドアに対する回避行動が遅れて鼻を打ち付けてしまった。

 その場に座り込んで鼻を押さえて痛みを堪えながら、部屋の中から出てきた人物を見上げる。

 穂村士道、その人だった。

 

「ごめんなさい、外に人がいるとは思わなかったもので。メイザースさん、大丈夫ですか?」

「い、いえ、問題ありませ――――ひっ」

 

 この男がこちらにどんな目を向けていたとしても、ここで不自然な対応をしたら余計な疑いを与えてしまう。

 なので平然とした態度を取ろうとしたのだが、差し出された手に思わず悲鳴を上げてしまった。

 無論、最強の魔術師が何の力も持たない一般市民に怯える道理などない。

 その後の処理は面倒だが、仮に狼藉を働こうとしたとして、返り討ちにしてしまえば済む話だ。

 しかし、エレンの頭の中を駆け巡るのは、つい最近の『調査』で得た知識だった。

 世の中には、ヒロインがこんな風に男に少々強引に迫られ、そして手籠めにされてしまう展開もあるのだ。

 漫画で読んだのでエレンは詳しいのだ。

 加えて、齢にして××(プライバシー保護)を過ぎても、未だに『乙女』だったのだ。

 

「――けっ」

「け?」

「汚されるーーーーーっ!!」

 

 果たして身の危険を感じたエレンは、即座にその場から撤退するのだった。

 

 

 

 

 

「うぅ……畜生、どうして俺がこんな目に……」

 

 逃走も虚しく亜衣麻衣美衣の三人娘にこってり絞られた後、士道は旅館の廊下を歩きながら目元を手で押さえて、心の汗を必死に堪えていた。

 何でこんなことになったのかと言えば、やはりあのエレン・メイザースのせいだろう。

 先程の怯えたような態度に加え、極めて人聞きの悪い一言は、きっとこちらを陥れるための作戦だったに違いない。

 そんな被害妄想じみた考えさえ浮かんできてしまう。

 そうでなければ自分があの三人に咎められる覚えなど――――

 

「……うん、よく考えなくても一杯あるな」

 

 折紙、十香、狂三、紗和と、士道が手を出したとされている女子生徒は実に四人。

 主に彼女らのカミングアウトによって、これまで淫行教師としての名声を高めてきたのだ。

 名声とは言っても全くありがたくないし、武勇伝どころか不名誉でしかないのだが、一番の問題はあまり否定できる材料がないということだ。

 学年一の才女に加えて、転校生三人を手籠めにして淫行三昧の日々を送っている……というのは流石に否定の余地があるのだが、手を出していないかと問われると決して否定はできない。

 具体的に言うと、士道はその四人と唇を重ねた経験があった。

 勿論、どれもやむにやまれぬ事情があったし、中にはアクシデントによるものもある。

 しかしその事情には一般に秘匿されている情報が絡むため、詳しく説明するわけにもいかない。

 そうして消極的な否定を繰り返すうちに、淫行教師の不名誉は確固たるものになってしまったのだ。

 そこに関してはもうどうしようもないので、遺憾ながら諦めるしかない。

 人の噂も七十五日と言うので、これ以上不用意な発言や新たな火種が投下されなければ、いずれ落ち着いていくだろう……いや、そうであってほしい。

 そしてしかる後に信頼を積み上げていけば、淫行教師という不名誉は完全に過去のものとなる。

 そう、今目を向けるべきはどうしようもない過去ではなく、未来なのだ。

 果たしてそれが実現可能かはさておき、希望を取り戻した士道は目元を拭って顔を上げた。

 気を取り直して向かうのは、二年四組の副担任に割り当てられた二人部屋である。

 男女の相部屋という正気を疑うような部屋割りだが、部屋のベッドは今、精霊たちによって占拠されているのだ。

 十香の容態について担任であるタマちゃん先生へ報告しておきたいところだが、先に様子を見ておいても罰は当たらないだろう。

 令音に対しても先程の誤解を解いておく必要がある。

 士道が自室のドアをノックすると、ガチャリと鍵が開く音。

 昨今のホテルや旅館といった宿泊施設はオートロックが標準装備となるため、鍵を持たずに出た場合はこうして内側から開けてもらわなければならない。

 オートロックを回避するために、ドアが閉まり切らないよう何かを挟んでおくという小技もあるのだが、先程はその余裕がなかった。

 

「令音さん、すみませ――――」

「くく……ようやく我が元に馳せ参じたか。この八舞を待たせるとは相も変わらず不遜な人間よ」

「…………」

 

 ドアを開けると、風の精霊の片割れが、何故だかポーズを決めながら出迎えるのであった。

 橙色の髪に、水色の瞳、そして拘束服のような霊装。

 それは先程士道がこの部屋に運び込んだ風の精霊の特徴で相違ないが、髪型や表情、身に纏う雰囲気は明らかに違う。

 精霊の少女――耶倶矢の尊大な口調に、士道は胸に手を当てて閉口した。

 彼女は相変わらず、封印した黒歴史を大いに刺激してくれる。

 

「……君が出ていって少ししてから〈ベルセルク〉――夕弦が目を覚ましてね。そのままフラフラと出ていってしまったのだが、入れ替わりに彼女がやって来たというわけさ」

「あやつの気配を辿ってみれば、よもや入れ違いとは……まったくあの阿呆、ホントになーにやってるんだかね」

 

 部屋に備え付けられている机に着いた令音が、ノートパソコンを操作しながら士道の疑問を大体解消してくれた。

 どうやら状況的には夕弦の時と一緒のようだ。

 この双子は、またもすれ違ってしまったらしい。

 素の口調に戻った耶倶矢は呆れるように肩を竦めたが、その声のトーンが下がったのを士道は聞き逃さなかった。

 

「おお、シドーではないか!」

 

 そしてぴょこんと顔を出したのは、ベッドで寝ているはずの十香だった。

 何やらいい夢を見ていたようなのでそれ程心配はしていなかったが、無事だったらしい。

 その天真爛漫な笑顔につられて、士道も口元を綻ばせた。

 

「ふ、まあよいわ。此度は貴様に我が新たなる眷属を紹介してやろうと思ってな」

「け、眷属?」

 

 日常生活では絶対に使わないであろう単語に士道が思わず聞き返すと、耶倶矢は得意げな顔のまま十香を手招きして自分の傍に立たせ、その頭をグリグリと撫でるのだった。

 

「十香、と言ったか。こやつは士道、貴様と同じく中々に見所がある」

「いや、見所って……十香、本当なのか?」

「そうなのだ。耶倶矢はむつかしい言葉をたくさん知っていて凄いからな。そのけんぞく? というやつにしてもらったのだ」

「そ、そうか……」

 

 後ろに疑問符が付くあたり、言葉の意味を理解しているかは怪しいところだ。

 というか耶倶矢の口ぶりだと、自分も眷属認定されてしまっているのだろうか。

 士道は頬に汗を滲ませるが、こうして自主的に交友関係を広げていくのは悪い事ではない。

 十香のやや古風な言葉遣いは耶倶矢の気取った話し方と共通する部分もあり、気が合ったのかもしれない。

 実に楽しそうな様子の二人に、令音と顔を見合わせて肩を竦めるのだった。

 

「耶倶矢のやつ、思ったより落ち着いていますね。入れ違いになったと聞いたら飛び出していきそうなものですけど」

 

 この旅館に来る前、外で邂逅した時の様子は明らかに余裕がなかった。

 それがこうも落ち着いているのは、何らかの心境の変化があったということだろうか。

 

「……そんなに難しい事じゃあないさ。互いに入れ違いになっているのなら、どちらかが留まっていればいずれ出会える。それを伝えただけだよ」

 

 成程、どちらも動き回っていては位置の特定が難しいのは確かにその通りだ。

 迷子や遭難の際も、下手に移動したらかえって発見が遅れるというもの。

 道理ではあるが、士道が瞠目したのは、精霊に対して面と向かってそれを伝えた令音の度胸だ。

 天災と称されるだけあって、精霊の力は絶大だ。

 それは士道が自分自身の体で、幾度となく思い知ってきたことである。

 機嫌を損ねれば、それこそ跡形もなく吹き飛ばされても不思議ではない。

 それをいなしてこうも平然としているのだから、彼女も只者ではないのは確実だろう。

 思えば、士道は彼女について何も知らない。

 甘いものが好きなのは何となく知っているのだが、趣味や休日に何をしているのだとか、そういったプライベートに関しては今まで一切触れてこなかった。

 いつものように胸元のポケットに収まっているクマのぬいぐるみに視線で問いかけるも、応えがあるはずがない。

 それどころか、令音の身動ぎに豊満な膨らみが揺れて、非常に落ち着かない気分になる。

 今の時期はクールビズで、皆一様に防御力が低めの格好をしているのだ。

 

「……それで、耶倶矢の取り扱いについてだが」

 

 キャッキャとしている精霊二人を横目に、令音は声を潜めた。

 それに浮ついていた意識を引き戻され、士道も顔を引き締める。

 

「……いずれ二人が合流することを考えると、『攻略』も視野に入れるべきだ。こうして接触できているのは、やはり千載一遇の機会だからね」

「……というと?」

「……せっかくの温泉に南の島というシチュエーションだ。存分に利用させてもらうとしよう」

「……ですよねー」

 

 まるで休暇が終わったかのような気分に陥りながら、士道は盛大に息を吐き出した。

 ともあれ精霊攻略の開始である。

 しかし、士道には教師としての業務がある。

 それを放り出して学外の少女にかまけているとなれば、多方面からツッコミが入るだろう。

 その点に関して何か解決策があるのか、令音は一度頷くと耶倶矢に呼びかけた。

 

「……先程話したアレをやってみてくれるかな?」

「おお、アレであるな。よかろう――しかと刮目せよっ!」

 

 耶倶矢がパチンと指を鳴らしてポーズを取ると、霊装が解けて光がその体を包み込んでいく。

 数秒の後に光が収まると、そこには来禅高校の女子制服、その夏バージョンを身に纏った姿。

 その光景に士道は今更ながら、精霊が己の服装を自由に変えられることを思い出した。

 それを過去にやって見せた当人である十香は、耶倶矢の変身に目を丸くしていた。

 

「なんと、耶倶矢も精霊だったのだな」

「くく、知られてしまっては仕方がない。そう、颶風の御子たる八舞とは、他ならぬ我の事よ!」

「おお、そうであったか!」

 

 大げさに驚いて見せているが、実際十香が耶倶矢の言葉を正確に理解しているかは怪しい。

 恐らくだが、何だかよくわからないけど凄そう、程度の理解だろう。

 しかしそんな十香の反応に、耶倶矢は上機嫌になるのだった。

 まぁ、不機嫌でいられるよりは断然いいし、こうして精霊同士が仲良くするのは、後を考えれば良い結果に働くだろう。

 何より、こうした光景こそが士道の望むところである。

 それよりもと、制服姿の耶倶矢に大体の流れを察して、遠い目になる。

 

「……とりあえずだが、学校側には転入生として話を通そうと思う。設定はそうだね……本来なら休み明けに転入する予定だったが、修学旅行にはぜひ参加したいということで、現地で合流した……ひとまずはこれでいこう」

「…………了解です」

 

 ツッコミどころは満載だが、それも〈ラタトスク〉の秘密組織パワーでどうにかするのだろう。

 しかし耶倶矢がこうなった以上、その転入生がもう一人生えてくるのは予想に難くない。

 

(これ絶対火種になるやつ…………!)

 

 これから訪れるであろう展開に、士道は慄然と背中に汗を伝わせるのだった。

 

 

 

 

 

 夕食を終えて日が落ちるような時刻になると、流石に多少は過ごしやすい気温になっていた。

 昼間は蝉の声がまた暑さを助長させていたが、暗くなった現在では別の虫の声に取って代わり、それが清涼感を演出している。

 今日はもう予定が入っていないので、就寝時間までは自由時間となる。

 生徒たちも、思い思いに羽根を伸ばしているだろう。

 しかしながら、疲弊した心身を引きずって歩く士道の気持ちは軽くない。

 案の定というか、投下された火種は大いに燃え上がった。

 

『え、ほむっち先生、まさか現地の子をナンパして連れてきちゃった感じ?』

『しかもコスプレでうちの制服着せるとか、どんだけ制服フェチなの!? この淫行教師!』

『マジ引くわー!』

 

 エレン・メイザースに関する誤解も手前にあってか、三人娘を初めとする女子の目は非常に険しかった。

 対して、男子の態度は決して冷たいものではなかったのだが……

 

『しゅ、修学旅行の真っ最中に学外の女子、それも超絶美少女を引っかけてくるだとぉ……!? せ、師匠(せんせい)っ、どこまでもついていきます…………!』

 

 殿町宏人を初めとする男子が向けてくる眼差しも、士道の精神を着実に削って来るのだった。

 まぁ、そこら辺の誤解はタマちゃん先生の説明によってどうにかなったので、かろうじて致命傷の一歩手前ぐらいで済んだ。

 突然の転入生(仮)に甚く困惑していたが、持つべきはやはり頼れる先輩である。

 

「温泉……温泉につかるんだ……そうしたらきっと何もかも綺麗さっぱり洗い流されるんだ……」

 

 うわ言のように呟きながら向かうのは、この旅館の温泉である。

 心身ともに疲弊した士道は、温泉に癒しを求めるゾンビと化していた。

 まともに働かない頭の中で、年上の後輩が度々温泉に行きたいとこぼしていたのを思い出す。

 互いに年を食ってしまったものだと、哀愁めいた思いが湧いてくる。

 今度会ったら一杯奢ってやろう……いや、酒の失敗は怖いのでやっぱりやめておこう。

 身に覚えはないが、何故か以前に盛大にやらかしたという実感があった。

 そもそも向こうが酔っ払ってタガが外れたら、暴言どころか拳が飛んできてもおかしくはない。

 彼女がブチ切れた時の様子は、未だに記憶から褪せない。

 修学旅行から帰ったらお土産を渡して(ごきげんとりをして)おこうと、ぼんやり考えるのだった。

 

「……ん?」

 

 丁字路に差し掛かったところで、士道は足を止めて怪訝に眉をひそめた。

 通路の片側から見覚えのある顔がちょこんと飛び出しているのだ。

 身を潜めてこちらをうかがっているのは何となくわかるが、こうもバレバレではなんと声をかければいいのかわからない。

 疲弊して考えるのが億劫になっていた士道は、とりあえずそっとしておくことにした。

 誰にだって、そっとしておいてほしい事はあるのだ。

 士道の場合、訓練のペナルティで度々暴露されている黒歴史がそれに当たる。

 姉に握られた黒歴史ノートは、困ったことにそのまま姪っ子の手に渡っているのだ。

 どこぞの暗殺拳じゃあるまいし、そんなロクでもない一子相伝は勘弁してもらいたい。

 丁字路を曲がり、スタスタと温泉へ向かう。

 

「くく……冥府に囚われし亡者の如き顔をしておるな――って、ストップ! 無視すんなぁっ!」

 

 タックルのような勢いで掴みかかられて、士道は盛大につんのめった。

 床板に顔を打ち付けそうになるところを、すんでのところで踏みとどまる。

 そして観念するように、腰のあたりにしがみついてくる精霊の少女に目を向けた。

 

「……とりあえず、いきなりタックルかますのはやめようか」

「ふ、よもやこうも容易く気配を気取られようとはな。流石と言っておこう」

「…………」

 

 どうやら、隠れているところを見つけられた体で話を進めようとしているらしい。

 しかしこの体勢ではどう考えても無理がある。

 そこを指摘してやってもいいのだが、疲弊した頭に過ぎるのは『精霊攻略』の四文字だった。

 精霊の好感度を稼いだ上で唇を重ね、その力を封印するのが〈ラタトスク〉のエージェントとしての士道の使命である。

 頭を掻いてから咳ばらいをすると、士道は己の胸元に手を当てた。

 

(頼む、もってくれ俺の心……ッ!)

 

「……当然だ。我が魔眼の前には如何なる虚飾も意味を成さない」

「――! 魔眼、だと……!?」

「そうだな、名付けるのなら――――真理の眼(アウゲン・ヴァールハイト)

真理の、眼(アウゲン・ヴァールハイト)……? おお、おおおお……!!」

 

 何やら目を輝かせて身を打ち震えさせている耶倶矢を尻目に、士道はその場でのたうち回り、頭を打ち付けたい衝動を必死に堪えた。

 自ら封じていた黒歴史を開放するのは、それだけの代償を要求されるのだ。

 とりあえず死ぬほど恥ずかしいので、復唱するのは勘弁してほしい。

 真理の眼って何だ、アウゲン・ヴァールハイトって何なんだ。

 自分で言いだしたことながら、心の中でツッコミを入れるのだった。

 

「ふ……我が未来視(さきよみ)の魔眼にはとうに見えておったわ。貴様の魔眼の存在がな!」

「成程、魔眼保持者(ホルダー)同士は引かれ合うということか」

魔眼保持者(ホルダー)……!! ならば此度の再会は必然、即ちアカシックレコードに刻まれし運命であったというわけだな」

「ほう、禁忌とされしその名を()るか」

「当然よ、我を誰と心得る。我こそは真なる八舞じょ!」

 

 ふふんと胸を張って見せたが、最後に噛んでしまったため、残念ながら威厳の類は全く感じられなかった。

 しかしそんなことなどどこ吹く風と、耶倶矢は得意げな顔のままスッと手を掲げた。

 その意図を察した士道も、ニヒルな笑みを浮かべて同じように手を掲げた。

 パシィン、と乾いた音が通路に響く。

 

(誰か……誰かツッコミを連れてきてくれ…………ッ!!)

 

 ハイタッチを交わしながら、士道は心の中で叫んだ。

 疲弊しているせいでテンションがややおかしくなっているのもあるが、ツッコミ不在のこの状況には歯止めが効かなくなりつつある。

 しかし、黒歴史を他人に晒すということは、悶死しかねない最終手段(ラストリゾート)である。

 かといってこのまま耶倶矢とのやり取りを続けていては、精神が黒歴史の重みに耐えきれずに果てかねない。

 果たして、無事温泉に辿り着けるのだろうか……士道の眼には目の前の廊下が、果てしなく長い回廊のように映るのだった。

 

 

 

 

 

「あぁー……」

 

 なんとも年寄り臭い声を出しながら、両手両足を思う存分伸ばす。

 疲れた心身に少し熱めのお湯が染み込んでくるようで、この上なく気持ちが良い。

 今日一日の疲労が溶けだしていくかのような感覚に、士道ははふぅと息を漏らした。

 

「にしても、誰もいないな」

 

 海を臨むこの露天風呂は、これだけでも旅館の目玉になりそうな絶好のロケーションだ。

 絶景はもとより、波音がなんとも心地よいBGMとなっている。

 旅館は来禅高校二年生一行で貸し切り状態なので、他の客の姿がないのはいいのだが、誰一人として生徒の姿が見えないのは奇妙だ。

 湯に浸かったまま首を傾げて、士道はとある可能性に思い至った。

 

「もしかして、まだ入浴時間じゃなかったか……?」

 

 それならば誰もいないのも納得である。

 疲弊した心身が温泉を求めるあまり、少々フライングしてしまったのかもしれない。

 まぁ、自由時間の開始から入浴時間までは、それほど間は空いていなかったはずだ。

 後でお叱りを受けるかもしれないが、もう入ってしまったものは仕方がない。

 今はこの一番風呂を堪能させてもらおう。

 少々ふやけた頭でそんなことを考えていると、カラカラと浴室の引き戸が開く音がする。

 どうやらこの貸し切り状態もここで終わりらしい。

 そういえば、耶倶矢も温泉に用事があったようなのだが、今頃は一番風呂を楽しんでいるのだろうか。

 先程まで色んな意味で()()やり取りをしていた相手を思い浮かべながら、士道は男湯と女湯を隔てる垣根へと目を向けた。

 脱衣所の入口の前で別れた際に、様子が少々おかしかったことを思い出す。

 照れたように頬を赤くしていたが、あれは一体何だったのだろうか。

 まぁ、人間と精霊と種族に関係なく女心は複雑怪奇なところがあるので、思考を巡らせたところで徒労に終わる場合がほとんどだ。

 垣根から視線を外して、入口の方に目をやると――士道はそのままフリーズした。

 

「く、くくく……き、貴様にょせにゃかをこの八舞が流してやろう。光栄に思うぇ――――にょわっ」

 

 そこには先程別れたはずの耶倶矢が、バスタオル一枚を巻き付けた状態で立っていた

 その姿に少なからず狼狽するも、相手はそれ以上に動揺した様を見せてくる。

 頬は赤く染まっているし噛みまくってるし、挙句の果てにすっ転んで変な声を上げている。

 人の振り見て我が振りなおせ、とでも言うべきか、あまりに耶倶矢が動揺していたもので、士道は逆に冷静になってしまった。

 浴槽から出て、尻を突き上げた体勢で地面に突っ伏している風の精霊へ歩み寄り、手を差し伸べる。

 

「大丈夫か? 風呂場の床は滑りやすいから気を付けないとな」

「あ、ありがと――――」

 

 そうして耶倶矢を助け起こしたのはいいのだが、そこでさらなるアクシデントが起こった。

 転んだ際に緩んだのか、解けたバスタオルがはらりと落ちて、その下の白い肌が露わになる。

 スレンダーな肢体が余すところなくばっちりと目に入り、士道はそのまま硬直してしまった。

 

「み、見んなぁぁぁぁぁっ!!」

 

 顔を真っ赤にして屈みこんだ耶倶矢が叫ぶと、凄まじい上昇気流が発生した。

 それに巻き上げられて、士道は建物の三階相当の高さまで放り投げられた。

 その後は勿論、自由落下である。

 顕現装置でもあれば話は別だが、タオル一枚の状態ではどうにもならない。

 最早諦念のあまり、穏やかな笑みすら浮かんできてしまう。

 直後、露天風呂に大きな水柱が立った。

 

 

 

 

 

「うぅ……ご、ごめん」

 

 浴槽のふちに座った耶倶矢が湯船につけた足をちゃぷちゃぷと揺らしながら、申し訳なさそうに謝罪の言葉を発した。

 普段の尊大な口調は鳴りを潜め、勝気な表情を形作る眉尻は下がり気味になっている。

 隣に少しだけ距離を空けて座る士道は、その言葉を受けて小さく息を吐き出した。

 およそ十メートル程の高さから落下したが、これといった怪我はない。

 これは浴槽に張った温泉の湯がクッションになったのもあるし、そもそも士道は常人と比べると体が丈夫な部類だ。

 高校時代に校舎の三階部分から飛び降りたことがあるが、その時も『痛い』程度で済んでいる。

 謝罪や反省は結構だが、大事には至らなかったのでそう目くじらを立てることもない。

 

「いいよ、もう。それより男湯まで入って来てどうしたんだよ?」

 

 士道は苦笑すると、耶倶矢がここまでやって来た理由を訊ねた。

 本来ならば早々に男湯から出ていってもらうべきだが、精霊攻略の件もある。

 入浴時間が始まるまでの短い一時となるが、この二人きりの状況を生かさない手はない。

 奇しくも、令音が想定していた温泉のシチュエーションが実現した形となる。

 しかしここには無茶ぶりをしてくる司令官様もいないため、きっとそんなに過激なことにはならないだろう。

 士道の精神的な負担としてもそれが望ましい。

 先程のようなアクシデントは、そうそう起こらないはずなのだ。

 そして精霊攻略という建前を抜きにしても、耶倶矢自身の事が気がかりなのもある。

 今はいくらか持ち直したように見えるが、この島で再会した時の様子は尋常ではなかった。

 原因は間違いなく夕弦の事だろうが、それが少しだけでも和らげられればと考えているのだ。

 

「……前に会った時のことさ、覚えてる?」

「ああ。つーか、ありゃあそう簡単に忘れられないだろ」

 

 双子の精霊との出会い、嵐の中でのリサイタルの事を思い出す。

 当時は相当の無茶をやったものだと苦笑するが、よく考えたらそれは今でもあまり変わらない。

 ともかくそれを切っ掛けに、彼女たちと短い時間の中で交流を持ち、士道は二人の勝負に審判役として巻き込まれることになった。

 勝敗は一進一退で、士道が見た中だけでも勝ち負けと引き分けが混在し、決着がつくことはなかった。

 そして、節目となる一〇〇戦目に選ばれた勝負方法が――――

 

「――『魅力』……私と夕弦で、士道を先に落とした方が勝ち」

「…………そういや、そうだったな」

 

 今更ながらにその事を思い出して、士道は目を泳がせた。

 勝負方法こそ決定したものの、程なく二人が隣界へ消失したため実際に何かアプローチがあったわけではない。

 そういうわけで、あまり印象に残っていなかったのだ。

 もし耶倶矢が、その続きを行おうとしているのなら。

 少しだけ空けていた距離が埋められ、手の上に手が重ねられる。

 接触としてはほんの一部分にすぎないが、お互いにタオル一枚のみという状況だと、殊更以上に意識せざるを得ない。

 これから一体何が行われるというのか……士道はごくりと唾を呑み込んだ。

 

「ま、まあ、我の魅力を持ってすれば結果など明白であろうがな。とはいえ、あやつがおらぬ内に決してしまっては酷というものよ」

 

 次の瞬間、耶倶矢は弾かれるように距離を取り、湯の中で仁王立ちしてふんぞり返って見せた。

 尊大な口調が戻って来ていたが、顔を赤くしたままではどうにも格好がつかない。

 士道が何とも言えない表情をしていると、耶倶矢は背を向けて俯いた。

 

「…………だから、さっさと出てきなさいよ……夕弦の阿呆……」

 

 俯いた顔から水滴が落ちて、水面に波紋を広げる。

 それを目の当たりにして、頭をポリポリと掻くと、己の頬を張る。

 正直に言うと、士道は耶倶矢が少し苦手だ。

 その理由は彼女の性格というよりも、表面的な部分にある。

 過去の自分を想起させるような言動が、中学時代の黒歴史を思いっきり刺激してくれるのだ。

 傍から見ている程度ならば喀血を堪える程度で済むのだが、そこに自分も加わるとなれば先程のように悶死と隣り合わせとなる。

 それとたった一滴の雫が、釣り合う道理があるはずがない。

 

「ほう、貴様の未来視(さきよみ)の魔眼ですら見通せぬ未来があるとはな。我が魔眼には、互いに求め合う二つの颶風の姿がはっきりと見えているのだがな」

 

 そう、士道は知っている。

 耶倶矢と夕弦は真の八舞を決めるために競い合っている。

 でもそこには確かに互いに対する思いやりがあって、二人の勝負を間近で見る中で士道はそれを感じ取っていた。

 だからこそ、そんな二人が離れ離れになっている現状がどれだけ精神的な負担になっているか、想像できてしまう。

 きっと、身を引き裂かれるような思いに違いない。

 それをどうにかするためならば、悶死の一つや二つはどうということはない。

 勿論、それは個人の価値観によるだろうが、少なくとも士道の中ではそうなっている。

 とはいってもそこに大層な理想があるわけではない。

 ただ単に、誰かが絶望していたり悲しんだりしている姿を見るのが、堪らなく嫌なのだ。

 偽悪的に口の端を吊り上げた士道に対して、耶倶矢は慌てて目元を拭うと、同じように口角を上げてポーズをとった。

 

「ふ……我の偽装にまんまと騙されるとは、真理の眼(アウゲン・ヴァールハイト)も曇ったと見える」

 

 それが虚勢だろうと空元気だろうと、勝気な表情を取り戻した姿に、士道は口元を緩めた。

 

「まぁ、それだけ元気なら大丈夫そうだな」

「くく、ほざきよるわ。恐れ知らずなのは変わらぬか。でも…………ありがと

 

 消え入りそうなお礼の一言は、果たして実際に聞こえたものか幻聴か。

 どっちでもいい、と夜空を仰ぎ見る。

 何にしても、士道のやることは変わらないのだから。

 しかし、頬に触れた柔らかくも湿った感触には動揺せざるを得ない。

 不意打ちの接吻をかましてきた下手人は、頬を染めながら不敵に笑った。

 

「さ、さぁて、我はそろそろ退散するとしよう」

「……そうだな。もうすぐ誰か来てもおかしくない頃だしな」

「士道、貴様も早々に立ち去った方が――――にょわっ」

 

 浴槽から上がった耶倶矢は、早々に足を滑らせてバランスを崩した。

 滑りやすいから気をつけろと言ったそばからこれである。

 落ち着きがないのか気分が浮ついてでもいるのか、とにかく注意不足なのは間違いない。

 咄嗟に倒れこんでいく体を支えようと動いた士道だが、それがいけなかった。

 腕を振り回した耶倶矢の指先が腰に巻いたタオルに引っかかり、勢いよく引っペがされる。

 そうなったら出てくるのは、あまり使い途のない愚息である。

 即座に隠すように動くこともできたが、士道は耶倶矢の体を受け止めることを優先した。

 ふにょん、と柔らかい感触が手に広がる。

 スレンダーな体型とはいえ、女の子というのは柔らかいものなのだ。

 

「ちょっ、どこ触って――――」

 

 自分の胸元に触れる不届き者を咎めようとした耶倶矢だが、視線を下に落として絶句した。

 そこにあるのは勿論、士道の士道である。

 

「~~~~~~っ!!」

 

 顔を真っ赤に染めた耶倶矢の口から、声にならない声が漏れる。

 次に何が起こるかを大体察した士道の頭に、天丼という言葉が過ぎった。

 

「待て、落ち着け、話せばわかる――――」

「なぁんてもん見せてくれとんじゃこらぁぁぁぁぁっ!!」

 

 本日二度目の打ち上げである。

 見たら吹っ飛ばされて、見られてもまた吹っ飛ばされる。

 なんだろう、物凄く理不尽めいた何かを感じてならない。

 再び、露天風呂に水柱が立った。

 

 

 

 

 

「『一番』風呂ですか……ふふ、何ともいい響きです」

 

 誰もいない脱衣所の中で、エレンは一人笑みを漏らした。

 DEMの本拠地である英国では、日本のように湯に浸かる文化はあまり一般的ではない。

 体を洗う場合でもシャワーがほとんどで、入浴するのは贅沢に当たる行為だ。

 時間効率的な面から見ても湯を張って身を浸すのは非効率であり、シャワーで済ませる方が圧倒的に手っ取り早い。

 エレンの考えも概ねその通りなのだが、最近行っている『調査』から日本の温泉というものには大いに興味があった。

 こうして入浴時間に先んじてやって来たのも、一番風呂という栄誉を手にするためである。

 誰もいない浴場を支配できるのは勿論、この『一番』という言葉は『最強』の称号と非常に良い組み合わせに思える。

 とはいえ、本来の任務も忘れているわけではない。

 こうして温泉に入りに来ているもう一つの理由は、この夜の作戦行動に備えて自身のコンディションをベストに保つという意味合いもあるのだ。

 先程の戦略的撤退のおかげで少々、ほんの僅かだが精神に乱れが生じてしまっている。

 

(おのれ、ホムラシドウ……!)

 

 忌々しい顔を思い浮かべてエレンは拳を握り締めるが、これこそが精神の乱れである。

 深呼吸して、どうにかその顔を頭の中から追い出す。

 今はそんなことよりも一番風呂だ。

 認識票の形を取った基礎顕現装置を首から下げ、タオル一枚の格好でいざ浴室へ赴こうとした、その時だった。

 

『なぁんてもん見せてくれとんじゃこらぁぁぁぁぁっ!!』

 

「――っ!?」

 

 凄まじい大音声が響いたかと思うと、何者かが脱衣所と浴室を隔てるドアを開けて、物凄い勢いで走り去っていった。

 唖然と見送るエレンだが、温泉に先客がいた事実に気がついて打ちひしがれる。

 

「くっ……まさか他に同じことを考えている者がいたとは……」

 

 それ程までに一番風呂の栄誉は魅力的だということだろう。

 こうなれば最早、二番風呂の屈辱を噛みしめながら湯に身を浸すしかない。

 そうしてエレンが浴室に足を踏み入れた瞬間――――

 

 ――バシャァァァァァン!!

 

 凄まじい水しぶきとともに、巨大な水柱が立つ。

 上空からの砲撃を警戒したエレンは咄嗟に随意領域を展開した。

 湯気と水煙の中で様子を窺うが、追撃の気配はない。

 よくよく考えれば、こちらを狙った攻撃にしては妙だ。

 この島の上空に浮遊している〈アルバテル〉がそれを見逃すほど無能なはずはないし、そもそも威力が低すぎる。

 仮にエレンを仕留めようとするのなら、この旅館は今頃崩壊していてもおかしくはないのだ。

 だとすると今のは何らかの警告か、それともこちらとは無関係の事情によるものか。

 ひょっとすると、この温泉には間欠泉があるのだろうか。

 警戒の中で少し気分を躍らせながら、浴槽までたどり着くと……

 

「――――」

 

 そこには二年四組の副担任の男性教師が、虚ろな目をして湯の中に浮かんでいるのだった。

 

(何故ここにこの男が……っ!?)

 

 絶句する中でどうにか絞り出した疑問がこれだった。

 こちらと同じように一番風呂を狙ったとして、男湯の方にいなければおかしいのだ。

 そして、ハッととある可能性に思い至り、慄然と身を震わせた。

 

(まさか、私の身体を狙って……?)

 

 よくよく考えなくても女湯の中で男性が、誰が先にやって来るともしれない状況で特定の個人を待ち伏せるのは現実的ではないのだが、エレンの中ではすっかりそういうことになっていた。

 そして身の危険に震えるのも束の間、次に湧いてきたのは静かに燃えたぎる怒りの感情だった。

 先程は戦略的撤退を喫したが、このような場所にまでやって来て下賎な欲望を振るおうとするならば、最早容赦はしない。

 丁度良いことに、この露天風呂は断崖を挟んで海に面している。

 手を下した後の処理に、さほどの手間はかからないだろう。

 随意領域による見えざる手を、湯の上に浮かぶ愚かな男へ伸ばそうとするエレンだが、その目にとあるものが映る。

 

「こっ、これは――――っ!?」

 

 それは簡潔に言い表すのならば棒と袋だった。

 棒の方の先端は、どこか亀の頭を思わせる形状をしている。

 そしてそれは、女性では決して持ち得ない()()だった。

 漫画で読んではいたが、ぼかしや修正が入っていたので、エレンはあまり詳しくないのだ。

 

「――けっ、汚されるーーーーーっ!!」

 

 未知の恐怖に遭遇したエレンは、涙目で再び戦略的撤退を行うのだった。

 

 

 

 

 

「――けっ、汚されるーーーーーっ!!」

 

 どうにも聞き覚えのある声を目覚ましに、士道の意識は現実に引き戻された。

 湯に落ちた際の衝撃はともかく、あまりの理不尽にしばし気が遠くなっていたのだ。

 慌てて浴室から出ていく後ろ姿に目を向けるが、湯気で判然としない。

 よく考えなくとも、原因はこちらだろう。

 あんな水柱を上げておいて、驚くなというのが無茶な話だ。

 後で旅館に謝っておいた方がいいだろうか。

 温泉で癒されるはずが、余計に疲労が蓄積した気がする。

 湯の中でため息をつくと、士道は立ち上がってタオルを巻くと浴槽から出た。

 もうじき生徒たちもやってくるだろう。

 足を滑らせないよう注意しながら、出口へと向かう。

 

『今のは、たしかカメラマンの……?』

『エレンさんだね。あんなに慌ててどうしたのかな?』

 

 すると何やら話し声とともに、戸が開いて誰かがこちらに入ってくる。

 士道はその二人の姿を認めて、そして二人は恐らく士道の姿を認めて、同時に固まった。

 

「えっ、まっ――――はぁっ!?」

「…………あらあら、これはおかしいですわね。わたくしたちはたしかに、女湯の暖簾をくぐって来たのですけれど」

「……お兄さん、ちょっと大胆すぎません?」

 

 世界を震撼させる精霊、〈ナイトメア〉と〈デイドリーム〉の二人である。

 ほとんど裸姿での邂逅に、揃って頬を薄く染めている。

 彼女たちは周囲に親友と触れ回ってはいるが、実際の関係は命のやり取りも辞さない剣呑なものである。

 この温泉まで一緒にやってきた理由は不明だが、恐らくは牽制し合った結果だろう。

 どれだけ高度な心理戦が繰り広げられたかは知る由もないが、この黒髪の少女、〈ナイトメア〉こと時崎狂三は案外乗せられやすいところがある。

 もう一方の栗色の髪の少女、〈デイドリーム〉こと山打紗和に煽られて、ここまでやって来たという可能性も十分ありうる。

 もっとも、それは本人の前では口が裂けても言えないことだが。

 ともかく、一緒に温泉に入りに来るのはいいが、何故この二人は男湯に入ってきたのか。

 士道は確かに男湯の暖簾をくぐったはずであり、耶倶矢のような例外を除けば、男子生徒や男性教員と鉢合わせなければおかしいのだ。

 疑問と高まりつつある命の危険に、嫌な汗が流れてくる。

 垣根の向こうの女湯にも誰かがやってきたのか、戸の開く音と共に複数の声がこちらに届く。

 

『おい殿町、この絶好の機会を見送るってのか!?』

『バカヤロウっ! そんな目先の欲望だけに捕らわれるみみっちいやつが、師匠(せんせい)みたいな真の漢になれると思うなよ!?』

『くっ……この世の楽園が目の前にあるって言うのに……ッ』

 

 垣根の向こうから聞こえてくるのは、明らかに男子の声である。

 つまり、現時点では向こうが男湯で、こちらこそが女湯ということになる。

 狂三は非難がましい目を向けてくるし、紗和はいつもと変わらない笑顔だが、この場ではそれが妙な威圧感を演出している。

 何故という疑問が頭を埋め尽くす中、先程の耶倶矢の言葉が引っかかる。

 どうして彼女は、こちらにここから早く出て行くよう促したのだろうか。

 

(まさか、あいつはここが女湯だって知ってたってことか……?)

 

 成程、それならば色々と納得がいく。

 しかし、士道がくぐった時点では男湯だったことも事実。

 女湯に変わったのは、その後ということになる。

 そしてそれを後から入ってきた耶倶矢が知っていたということは……

 

(暖簾をすり替えやがったな、あいつ……!)

 

 恐らくは自分が男湯に入るのを避けるために、そのような暴挙に及んだのだろう。

 原因は大体わかったが、それでこの場がどうにかなるわけではない。

 士道が現在女湯にいることは事実だからだ。

 無言で汗をだらだらと流す士道に対して、狂三は呆れるように小さく息を吐きだした。

 

「まぁ、大方愚かにも誰かに騙されたとか、そういうことでしょう」

「……へ?」

「あら、それともうら若き乙女の肌をその目に焼き付けるべく、この場にいると?」

「滅相もございません!」

 

 ありがたいことに、こちらの状況を察してくれたようだった。

 彼女は短気なところはあるが、同時に思慮深く、思いやりも持ち合わせているのだ。

 銃を向けられる以外の結果になったことに、士道は涙を流しそうになった。

 これで晴れて和解のムードになるはずが、ここで水を差すものが一人。

 

「そうだね。あんなすごい下着してきたんだから、裸だけじゃもったいないもんね」

 

 紗和の一言によって、明らかに狂三の表情が固まるのだった。

 

「さて、紗和さんが何をおっしゃっているのか、わたくしには見当も――――」

「ああいうの勝負下着っていうのかな? 男の人に見せる以外で、普段は着けないよね?」

「それは個人の趣味にもよるのでは? そういったものを好む女性もおりますわ」

「なるほど、つまり狂三さんは、えっちな下着が大好きな、えっちな女の子なんだね」

「……少々語弊のある表現に思えますわ。過激な下着が好みでも、好色とは限りませんのよ?」

 

 何故だろう、急速的に居心地が悪くなってきたような気がする。

 普段の会話としてならここまでではないが、今はタオル一枚という状況が悪さをしている。

 必然的に白い肌のあちらこちらへと目が吸い寄せられそうになり、とても気が気じゃない。

 そもそもこの会話の終着点として、銃を向けられる結果が待っているような気がしてならない。

 あらためて身の危険を感じ始めた士道は、早々に立ち去ろうとして――――

 

「――――うわっ」

 

 足を滑らせて、見事にバランスを崩すのだった。

 先程誰かへ向けた忠告が、そのまま帰ってきた形になる。

 そう、風呂場の床は滑りやすいから気をつけなければいけないのだ。

 どうにか受身はとったので、それほど痛みはない。

 すぐさま立ち上がろうと両手を床に付け、そこで士道は自分の右手がタオルを握っていることに気づいた。

 自前のものは腰に巻いているため、それ以外の誰かのものということになる。

 顔を上げると、そこには何にも包まれていない白い肌があった。

 それを下から上まで余すところなく目に入れた上で、その肢体の持ち主の顔が目に入る。

 赤と金の虹彩異色症(ヘテロクロミア)……金の瞳は如何なる仕組みか、時計の文字盤そのものとなっていた。

 その両方の瞳を揺らしながら、わなわなと口を震わせ、最後に狂三はニッコリと笑ってみせた。

 見る者を魅了する非常に美しい笑顔ながら、士道にとってはどうにも物騒な印象が先行する。

 本来ならば美しい裸体にも目を引きつけられるような場面だが、高まる命の危険にそれどころではないのだ。

 

「いや、そのな……? これも事故というか――――」

「わぁ……私も身の危険を感じたほうがいいのかな?」

「だからそういうことじゃなくってさぁ!?」

「……………………士道さん?」

「す、すみませんでしたぁぁぁぁぁっ!」

 

 この先の未来が見えた士道は、一目散に駆け出した。

 勿論、未来予知に目覚めたとかではなく、これまでの経験からの予測である。

 さらに悪いことに、脱衣所はわいわいと騒がしくなりつつある。

 他の女子がやってきたのだ。

 このままでは淫行教師の謗りは免れず、脱出をするなら最早海へと飛び込むしかない。

 露天風呂の端、岩縁から飛び出した瞬間、後を追うように銃声が響く。

 そうして士道は、夜の海にダイブするのだった。

 

 

 

 

 

「……ん?」

 

 部屋の中でノートパソコンを操作する令音は、ドアをノックする音に首を傾げた。

 こんな時間に訪ねてくる相手に、これといって覚えはなかった。

 士道は鍵を持って温泉に入りに行ったので、わざわざノックする必要はない。

 だとすると、十香あたりだろうか。

 

「……どうぞ」

 

 椅子から立ち上がると、鍵を開けて相手を招き入れる。

 扉がゆっくりと開くと、そこにいたのはタオル一枚を腰に巻きつけただけの士道である。

 温泉に入っていたのなら裸になるのは分かるのだが、そのままの格好で部屋まで戻ってくるのは明らかに尋常ではない。

 こんな裸同然の格好の理由など――――令音の頭に、夜這いという言葉が思い浮かんだ。

 いやしかし、と考え直す。

 もしそうだとしても強硬に断る理由もないのだが、やはり状況の異常性に目が行く。

 士道は何故か体も拭かずにびしょ濡れのままで、肩を抱いてガタガタと震えているのだ。

 とりあえず温泉で何かがあったことを察して、令音は士道を湯を張っておいたユニットバスまで導いた。

 今はとにかく、体を温めるのが先決だろう。

 もう少し後で入ろうと思っていたのだが、この際丁度良かったのかもしれない。

 日中もそうだったが、アクシデントには事欠かないようだ。

 

「…………」

 

 その内の一つを思い出して少しの間考え込むと、令音は自分の服に手をかけた。

 

 

 

 

 

「……」

「……」

「…………あの、令音さん?」

 

 ユニットバスの浴槽に身を沈めながら、士道はこの状況の異常性を訴えるべく呼びかけた。

 狭いスペースの中でさらに身を縮こませており、体は温まるものの先ほどの温泉と比べると、お世辞にも快適とは言えない。

 だが、士道が気にしている、というか気が気でない理由はそこではない。

 

「……どうかしたのかい?」

 

 応えは士道の正面、かなり近い距離から帰ってきた。

 この浴槽の中でそれだけ距離が近くなる条件は、そう多くはない。

 士道と令音は、狭い浴槽の中で向かい合いながら入浴しているのだ。

 温泉と違ってただのお湯でしかないので、湯気以外にその体を隠すものが何もない。

 タオルでも巻いていれば良かったのだが、生憎と互いに生まれたままの姿だった。

 体温が上昇しているせいか、いつもはやや不健康そうに見える肌色もほんのり色づいて見える。

 極力視界に入れないように目をそらしながら、どうしてこうなったのかを考える。

 しかしながら、答えはさっぱり見つからない。

 士道から見ると、海にダイブして冷えた体を湯に浸かって温めていたところに、令音がいきなり入ってきた、ということになる。

 最早同室がどうのという騒ぎではなかった。

 この状況に耐えられるほど、士道は悟りを開けてはいない。

 堪らず、浴槽の縁に手をかける。

 

「お、俺、もう出ますからごゆっくり……!」

 

 理性がそう長く保ちそうにないと判断した士道は、理由を訊ねるのはさておいて脱出を図った。

 しかしそれを引き止める手があった。

 誰のかというと、この場には他に誰もいないので、令音のものということになる。

 そのほっそりとした指の感触に心臓が跳ね上がる。

 どうして今日は、こんなにも心臓に悪いイベントばかりが起こるのか。

 手を掴まれたままでは当然、出ていくことはできない。

 かといって浴槽に戻るのは論外だ。

 動くに動けないまま固まった士道の背に、柔らかい何かが押し付けられる。

 ここ最近の経験でそれが何かを理解できてしまい、忍耐ゲージがガリガリと削られていく。

 ぴったりと密着した体勢のまま、令音は士道の耳元で囁くように言葉を発した。

 

「……訓練の強化を琴里に提案すると言っただろう? これはその一環だと思ってくれ」

「こ、これが訓練だってことですか……!?」

「……時崎狂三やエレン・メイザースの件といい、君は少し女性の色香に対する耐性を付けておいた方がいい」

「だからあの女のことは誤解っ――――でぇ!?」

 

 むにゅっ、という擬音がしそうなほど強く押し付けられて、士道は言葉を切らざるを得ない。

 体の一部分が意に反して形状変化をし始め、それを抑えるべく舌を噛んでみるが、まるで効果がなかった。

 親の言うことを聞かないからこその愚息なのだ。

 

「あ、ちょっ……れ、令音さ、んんっ!?」

 

 胸元を愛撫するように手が這い回る。

 その感触に、士道は情けなくも声を上げた。

 そして首筋に唇を落とされ、そこで士道の我慢は限界に達した。

 激しい水音と共に湯が溢れ出す。

 水位の減った浴槽の中で向かい合い、士道は実に()()()()()その体を直視した。

 その視線を受けて、令音は艶然と微笑んだ。

 

「……訓練は失敗のようだね。じゃあ罰ゲームだ」

 

 そして押し倒されたような体勢のまま、士道の耳元に口を寄せて――――

 

「……キスは禁止だ。それ以外は――――君の好きにするといい」

 

 

 

 

 

 夜闇の中で、茫洋と立ち尽くす人影がある。

 拘束服のような衣装を身につけた少女である。

 橙色の髪に水色の瞳、整った顔立ちには表情と呼べるものが浮かんでおらず、ただ虚ろだった。

 

「――――あ」

 

 しばらく無言のまま立ち尽くしていたその少女は、何か刺激を受けたかのように身動ぎをした。

 虚ろだった目が見開かれ、光が宿る。

 

「か、ぐや――――」

 

 うわ言のように呟きながら、少女は何かを求めるように近くの建物へと向かっていった。

 

 

 

 

 

 翌朝、士道は携帯のアラームと共に目を覚ました。

 朝の段階ではまだ気温は上がりきっておらず、目覚めとしては清々しい。

 大きく体を伸ばしてからベッドに手を着くと、なんとも柔らかい感触。

 その感触が女性の胸部のものだと思い至った士道は、昨夜のことを思い出して非常に落ち着かない気分になった。

 昨日の就寝前にこの部屋の風呂場で、まぁ色々とあったのだ。

 あの出来事をどう受け取ったものか……夜が明けても、その答えは出ていない。

 それでも、彼女がこんな風にベッドに潜り込んできては我慢できる自信はなかった。

 勿論、こんな朝から盛るわけには行かない。

 なので深呼吸を繰り返して心を落ち着けてから、そっと掛け布団をめくる。

 しかしその中にいたのは、予想していた顔ではなかった。

 橙色の髪の少女は目を擦りながら起き上がると、目を半端に開いてその水色の瞳を半分だけ覗かせる。

 

「――困惑。ここは一体……」

 

 士道は姿をくらましていたはずの双子の片割れ、夕弦と同衾していたのだった。

 詳細は分からずとも彼女の姿を見て、これが極めてまずい状況であることを悟る。

 何故なら、夕弦は衣服の類を何一つ身につけていなかったのだ。

 霊装すらも纏わない、正真正銘の全裸である。

 昨日の内に温泉絡みで色々とあった士道も、裸の女子との同衾には狼狽を隠せない。

 その様子を不審に思ったのか、夕弦は己の体を見下ろしてから、もう一度士道へと目を向けた。

 

「…………」

「…………お、おはよう」

 

 直後、室内を暴風が襲った。

 

 

 




というわけで終了。
肌色率の高い回でしたね。

エレンさんは戦略的撤退をした後、三人娘に捕まって楽しく枕投げをしたそうです。
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