士道くんが淫行教師と謗られながら精霊をデレさせる話 作:kish
青い空の下、白い砂浜の上、この或美島まで修学旅行のためにやって来た来禅高校の二年生一行が、水着姿で歓声を上げている。
島の北端に位置するこの赤流海岸は、綺麗に弧を描いた独特の形状から三日月海岸とも呼ばれ、観光名所となっているらしい。
そもそも空間震によって抉られて出来た被災の爪痕なのだが、そうとは感じさせない程度にこの光景は平和的なものだった。
夏である。
二年四組に所属する女子生徒である時崎狂三は、燦々と降り注ぐ陽光に露わになった右目を細め、そんな当たり前の事実を認識した。
影のように黒い長髪を、左肩のあたりで一つに結わえた少女である。
彼女の持つ美貌は周囲の目を惹きつけてやまないものだが、今はどこか近寄りがたい印象を振りまいていた。
にこやかにしているように見えても、何というか圧力のようなものを放っているのだ。
ともかく、どこか尋常じゃない雰囲気を漂わせた狂三に物怖じせず声をかけられる者は、大が付くほどの愚か者か、余程の胆力の持ち主だろう。
そのどちらにも該当しそうな男性教師の顔を思い浮かべ、狂三は小さくため息を吐いて、括って纏めた髪の毛先を弄びながら己の体を見下ろした。
海辺というロケーションに相応しく、その身を包んでいるのは上下揃いの黒い水着である。
白いフリルに赤いリボンのアクセントが付いたそのビキニは、この修学旅行のために用意したものだが、その際にほんの僅かとはいえどこかの誰かのことを考えたのも事実。
ところがその誰かは、この修学旅行中は何かと忙しくしている。
生徒と違い仕事があるのは理解できるが、問題はその範囲外の事情にかまけているように見えることだ。
女子に左右から引っ張られたり、またどこからか精霊と思しき少女を連れてきたり、女湯で裸を見てきたりなど、間違っても教師の業務であるはずがない。
前二つはともかく後者に関しては万死に値する、というか思わずぶっ放してしまった。
しばらく拳を握りしめてプルプルと体を震わせてから、狂三はコホンと仕切り直すように小さく咳払いをした。
他の誰かに対してならともかく、どうにも彼に対しては感情の抑制が効かない。
それは初対面で見せてしまった失態が、未だに拭えていないせいだろうか。
その理由はともかくとして、この近辺に彼の淫行教師の姿はない。
今日もどうせ、また誰か女子の後を追いかけているに違いない。
そうするに足る事情に心当たりはあるが、こちらにそれを斟酌してやる義務も義理もない。
水着姿を見せつけた上で、軽くからかってやろうという目論見も外されている。
タオルを剥ぎ取って辱めてくれた報いも含め、お返しはいずれたっぷり受けてもらうとしよう。
「あ、いたいた。狂三さーん」
狂三が一部に物騒とも評される笑顔を浮かべていると、豪胆にも声をかけてくる人物が現れた。
山打紗和……クラスメイトであり同じく転入生の身分でもある彼女は、狂三にとって何かと因縁深い相手である。
本来ならば安穏とできる関係でもないのだが、現在はとある男性教師を巡って奇妙な拮抗状態にあった。
その詳細は割愛するが、少なくとも恋や愛など色気のあるものではないことだけは間違いない。
そう、間違いないのだ……大事なことなので、狂三は心中で繰り返した。
足元の影が何やらざわついたが、ぐりぐりと砂をかき混ぜて黙殺した。
「わぁ、素敵ですね、その水着。狂三さんによく似合ってます」
「紗和さんこそ、とてもよくお似合いですわよ」
「海に遊びに来るなんて久しぶりだから、ちょっと張り切っちゃいました」
ワンピースタイプの白い水着に、アップで纏めた栗色の髪。
人懐っこい笑顔は相変わらずだが、水着姿の印象は普段とは少々異なるものだった。
それは一体、誰に見せるために用意したものなのか……それ以上は考えないようにする。
その過程で何をしようと、自分と彼女の最終目的は変わらない。
それ故に決して相入れることもない。
目を伏せた狂三の顔を覗き込んで、紗和は微笑んだ。
そしてそれから、彼方に見える海岸線の端を見つめて目を細める。
その左目は青く染まり、瞳には天文時計の文字盤が浮かぶ。
「――ところで狂三さん、気づいてます?」
「さて、どうでしょう」
彼女が指しているのは、彼の淫行教師の動向か、精霊と思しき少女たちか、精霊の後をこそこそ追い掛け回すカメラマンか、この島をすっぽりと覆い尽くしている随意領域か。
どうであろうと、狂三がこの段階で何か手を下すことはない。
その理由は隣の彼女にある。
自分が動けば彼女も動く――その事実を、狂三は確かに理解していた。
そうしたら確実に修学旅行どころではなくなるだろうし、『時間』の消費もバカにはならない。
ここでの軽挙は、そうするに足るメリットがないのだ。
「何もしないんですか?」
「ええ、紗和さんのお手を煩わせるわけにはまいりませんもの」
「なぁんだ、残念。まぁ、お兄さんとの
「…………」
二人が交わしたというその約束の内容に然程の興味もないが、それがこちらに不利益をもたらすものならば見過ごすことはできない。
これみよがしに強調されて頬を強ばらせてしまったのは、きっとそのせいだ。
コホンと気を取り直して、こちらの顔を面白そうに覗き込んでくる
「今はただ、この南の島を楽しむといたしましょう」
「せっかくの修学旅行だしね。じゃあ今回はお休みかな?」
「ええ――――
その足元の影が蠢く。
それは陽炎の如く立ち上るように揺らめいて、しかし次の瞬間には元の形を取り戻していた。
(くっ――――おのれ、ホムラシドウ……!)
首から下を砂の中に埋められた状態で、エレンはとある男性教師への恨み言を吐いた。
ちなみにこの状況と彼にはなんの関係もないため、完全なる八つ当たりである。
ここ最近はそれが癖になっていて、どうにもやめられないというのが実情だった。
元は精神の乱れのはずが、今は精神安定剤のような効力を発揮していた。
依存性を考えると麻薬のようなものかもしれない。
もっとも、何かに頼る弱さなど『最強』とは無縁のものである。
だからこれはほんの一時の気の迷いでしかないのだ。
そしてこの状況の元凶たちはというと……
「もうちょい右、右……あ、ちょっと左に戻ってー」
「そーそー、そのまま真っ直ぐー」
「マジ引くわー」
棒を持たせた者に目隠しを施した上で、回転によって平衡感覚を狂わせてから目的物の場所へと誘導するゲーム(スイカ割りというらしい)に興じていた。
約一人、指示になっていない言葉を発しているが、エレンは彼女がそれ以外の言葉を話している場面を見たことがない。
ともかく、かしましくもスイカ割りの指示役を務めている三人娘こそ、この状況の元凶だ。
あの三人は何かとエレンに付きまとってきて、本来のミッションの妨害をしてくるのだ。
昨夜も温泉から撤退した後、ターゲットの監視に戻ろうとしたところ、枕投げなる苛烈な演習に巻き込んでくれたのは記憶に新しい。
監視対象も一緒だったため渋々応じたが、おかげで昨夜は作戦行動が取れず、今朝は軽い筋肉痛である。
肉体を酷使したあまり、同じ部屋でそのまま眠ってしまったという失態は考えないことにした。
「む、そこか……せいっ!」
「おお、ど真ん中ジャストミート!」
「とゆーか真っ二つ!?」
「マジ引くわー!?」
振り下ろした棒による衝撃が、砂浜を一直線に抉る。
この鋭さは最早、打撃というよりも斬撃だろう。
その証拠に、スイカは棒で割られたとは思えないほどに綺麗に二つに割れていた。
およそ人間離れした業だか、彼女が精霊と考えれば不思議はない。
夜刀神十香……精霊〈プリンセス〉と目される少女。
彼女の調査及び確保が、エレンが随行カメラマンとしてこの島までやってきた目的である。
この砂中に埋められているという屈辱的な状況に甘んじているのも、ひとえにそのためだ。
しばしピクピクと頬を痙攣させた後、エレンは自分の首から下に目を向けた。
埋められた身体の代わりにそこにあるのは、彫刻のように砂で形作られた体である。
何故かボンテージ姿で鞭を振り上げているが、これは女王様というやつだろうか。
つい最近の調査で得た知識からそう当たりを付けるが、こうも胸部が盛られているのはどういうことなのか。
数値の上では自分も十分『ある』方であり、このように盛られるのは余計なお世話に該当する。
加えて言うと、その
そもそも精霊が識別名の改名を要求するなど、一体どういうことなのか。
栗色の髪の少女を思い浮かべて内心で毒を吐いていると、隣で同じように砂中に埋められている少年が、しみじみと声を発した。
「いやぁ、こういうのも縁……って言うんですかね? 同じ砂の中に埋められて、ちょっと運命を感じちゃうっていうか」
「…………」
たしか、殿町宏人という名前だったか。
特筆すべき点はない男子生徒だが、比較的他の生徒よりも夜刀神十香に近いことから、名前程度は記憶の片隅に残っていた。
彼にもエレン同様に砂で形作った体が与えられており、それは四つん這いになってこちらに尻を向ける裸の男だった。
女王様の下僕ということだろうか。
エレンにその手の趣味はないため、このコラボレーションは果てしなく余計だった。
唾を吐きたくなる気持ちを必死に抑え、無言を貫く。
すると、打っても響かぬ沈黙に耐えかねたのか、殿町がさめざめと泣き始めた。
「くぅ、俺ってやつはなんてダメなんだぁ! こんなんじゃ
別にこの学校の生徒が泣こうが喚こうがエレンには関わりないことだが、そのせいでミッションに影響が出るとなれば話は別だ。
ここで殿町が泣き叫ぶことで、監視対象から余計な疑いを抱かれる可能性は否定できない。
エレンは長大なため息を吐くと、これも任務と割り切って口を開いた。
「……ところで、あなたの言うセンセイとは?」
「――――!?」
その効果は絶大で、先程までの涙はどこへ行ったのか殿町は顔を輝かせた。
そしてその『センセイ』について語りだすのだった。
適当な話題を振っただけなのだが、その熱意は尋常ではなかった。
かくして二年四組の副担任の武勇伝を男子側から改めて聞かされ、エレンはとある一つの結論に行き着いた。
(――世の女性のために、あの男は抹殺しておくべきですね)
もう過去の因縁とかそういうのは抜きにして、心の底からそう思うのだった。
「エレンさーん! 一緒にスイカ割りやらなーい?」
「い、いえ、私は――――」
「いーからいーから。はい、これ持って」
「マジ引くわー」
あれよあれよと砂の中から引っ張り出されたエレンは、有無を言う間もなく棒を渡された。
殿町が残念そうな顔をしていたが、こちらは特に気にする必要はないだろう。
ともかく、ようやく砂の中から抜け出すことができたわけだが、引っ張り出したのは埋めてきた張本人たちなので、あまり感謝する気にはならなかった。
その後は目隠しをされた上で体を回転させられ、スイカ割りのスタートとなった。
(成程、これがスイカ割りというやつですか)
平衡感覚を狂わされる感覚を覚えながら、エレンはふふんとほくそ笑んだ。
たとえ視界を閉ざされ感覚を狂わされようと、最強の魔術師にとっては何ということはない。
今にもスイカを華麗に割って見せよう。
「む、真っ直ぐ向かっていくとは……エレンとやら、中々にやるではないか」
「――っ」
ところが、数歩進んだところでエレンは足を止めることとなった。
監視対象の声に、あまりにも上手くやりすぎることで疑いを持たれる可能性を考えたのだ。
エレンにとってはスイカ割りなど児戯に等しいが、能力をひけらかしては随行カメラマンという身分を疑われかねない。
ここは自ら積極的に動かず、指示に従うべきだろう。
そうして顕現装置の使用を止めた瞬間だった。
「――――ぷぎゃっ!」
昨夜の激しい攻防による筋肉痛に加えて砂地という足場の悪さもあり、エレンはものの見事に転んで顔を打ち付けてしまった。
痛みで涙がじんわりと浮かんだが、幸いなことに目隠しで誰の目にも触れることはなかった。
「エレンさーん、大丈夫ー?」
「無理しないでリタイアしちゃってもいーんだからね?」
「マジ引くわー?」
「くっ……お構いなく――――きゃあっ!」
地に伏したままでは『最強』の名折れというもの。
三人娘の心配を侮りと受け取ったエレンは即座に立ち上がるが、少々ムキになって進んだ結果、今度は波に足を取られて転んでしまった。
濡れた水着が張り付く感触と海水の塩辛さに、ぐぬぬと唸り声が漏れてしまう。
(これはあくまで〈プリンセス〉に正体を気取られないため、任務遂行のため……!)
そう自分に言い聞かせる。
魔術師にとって動揺といった心の乱れは、決定的な隙となるのだ。
目から塩辛い液体が流れるが、これは海水が目に沁みたせいに決まっている。
(おのれ、ホムラシドウ…………!)
そしてこの状況とは特に関係のない男性教師へ、恨み言を向けるのだった。
なお、この後に割ったスイカでの早食い競争などにもきっちり巻き込まれて、再三の恨み言を向けることになるが、それはまた別の話である。
「……」
他の生徒が海での遊びに勤しむ中、折紙はキョロキョロと目的の姿を探す。
羽織っているのは丈の長い、パーカータイプのラッシュガードである。
その下に身につけた必殺の水着にて、恋人の目を釘付けにするのだ。
勿論、それだけでどうにかなるという考えるほど、折紙は甘くない。
その上で少子化対策に持ち込むだけの用意があった。
都合の良いことに今は条件が整っている。
何かと目の上のたんこぶな夜刀神十香は、カメラマンを巻き込んでスイカ割りに興じている。
時崎狂三と山打紗和は同じ場所に留まって、今の所動く気配がない。
今朝から姿を見せない八舞耶倶矢のことは気がかりだが、彼女一人なら排除は容易だろう。
その他の懸念事項は数えればキリがないが、脅威のほとんどがこの場で他のことにかまけている以上、対応は十分に可能だ。
「先生、どこ……?」
しかし、肝心の恋人……二年四組の副担任である穂村士道の姿が見当たらない。
水着姿で旅館から出るところまでは確認したのだが、その直後に他の教師に手伝いを頼まれて見失ってしまったのだ。
愛の電波が利用できれば良かったのだが、今回はその用意がない。
ともかく、海に出ている以上この近辺にいるのは間違いない。
他のお邪魔虫たちが動き出さない内に合流を果たし、そして夜を待たずして合体を果たすのだ。
「……すまないが、テントの設営を手伝ってもらえるかな」
折紙が今後の展開に思いを馳せて頬を僅かに染めていると、水着姿の女性から声をかけられる。
ポールを杖のようにして体を支えているのは、二年四組のもう一人の副担任、村雨令音だ。
水着に包まれた彼女の体つきは女性の折紙から見ても見事と言う他ないが、そのスタイルよりも先にまず肌色の不健康さに目が行く。
おぼつかない足元や眠たげな目元に蓄えた分厚いクマも、さらにそれに拍車をかけていた。
総じて今にも倒れそうな印象を与えるものであり、そんなフラフラしている人間を放っておけるほど折紙は薄情ではなかった。
旅館を出た直後も彼女の頼みで物を運んでいたら、士道を見失ってしまったという次第だ。
幸いなことに、野外演習などでテントの設営には慣れている。
手早く済ませるとしよう。
「――終わりました」
そうと決めれば折紙の行動は早い。
ものの数分でタープテントの設営を終えると、その場から離れようと踵を返して――――
「……そういえば、熱中症対策の飲み物の用意をしなければ」
「……」
「……二年生全体をカバーするとなればそれなりの量になるが……ああ、すまなかったね。君は遊泳に戻るといい」
「…………」
この夏の日差しの中で、そのフラフラとした足取りは殊更頼りなく見えた。
そしてやはり、折紙はそんな人間を放っておけるほど薄情ではなかったのだ。
赤流海岸は或美島の観光名所だが、その上端部はプライベートビーチになっている。
そのため人の声や市街地の騒音からも切り離されており、ただ波の音と海鳥の鳴き声が心地よく耳に響く。
昨日に続く快晴という天気も相まって、海辺のデートには絶好のロケーションだろう。
この場まで用意されたバイクに跨ってやって来た士道は、道中を振り返って息を吐きだした。
まず、バイクとは肌の露出が多い水着姿で運転するものではないのだ。
バイクを使用するというのは令音の発案だが、いざ移動というタイミングで提案されたため、着替える暇がなかった。
まぁ、琴里の力があれば大事はないだろうが、問題は同乗者の方だった。
バイクで二人乗りとなれば、サイドカーでもない限り同乗者は運転者につかまることになる。
押し付けられる柔らかい感触から気をそらすのに、どれだけ苦労したことか。
昨夜の令音とのあれこれがなかったら、大いに精神を乱されていただろう。
こんなことが度々あるとなれば、今後は精神修養が必要かもしれない。
それよりも、と気を取り直して海へと目を向ける。
透明度の高い水面に陽光が反射し、キラキラと輝いていた。
「こりゃまた……すごいな」
青少年のような精気はなかったが、その声には確かな感動があった。
この島に来てからの苦労が、洗い流されていくような気さえしてくる。
しかしながら、士道にとっての本番はまだまだこれからと言わざるを得ない。
本来の業務は疎かになっているし、そのことに対する罪悪感も大いにあるが、そうしてでもやるべきことがあるのだ。
右耳に装着したインカムに声が届く。
『穂村君、聞こえるかな?』
声の主は〈フラクシナス〉のクルー、川越だ。
クルーの中では副司令に次ぐ立場らしいが、具体的な階級はわからない。
そもそも士道は、自分が組織の中でどの位置にいるのかも正確に把握していなかった。
少なくとも精霊との交渉役という立場は、かなり特殊なものであるということは間違いない。
しかし士道にとっての本職はあくまで教師なので、今まであまり気にしていなかったのだ。
加入する際の契約書には記載があったかもしれないが、様々な意味で激動の日々に、すっぽりと抜け落ちてしまったのかもしれない。
それにしても、てっきりあの変態が出しゃばってくると思っていたのだが……ひょっとすると、一人だけ海で遭難してくれてたりはしないだろうか。
そうなっていたら士道の気苦労も多少は減ってくれるのだが、残念ながら令音の報告によって、あの男もこの或美島に到着していることが判明している。
今現在、大人しくしている理由はわからないが、どうせロクな理由ではあるまい。
『〈フラクシナス〉の艦橋ほどの機材はないが、精一杯サポートさせてもらおう』
「頼もしいです。よろしくお願いします、川越さん」
『こちらこそよろしく頼むよ。ここでの働き如何で
「せいんと……何です?」
『ああ、クルー内で授与される勲章だよ。我々にとっては最高の栄誉でね』
「な、成程……」
士道は初耳だが、どうやら〈ラタトスク〉にはそういうものがあるらしい。
姪っ子の名前が入っているのがどうも気になるが、司令官という立場故だろう。
艦橋に詰めるクルーのほぼ全員に琴里のストーカー予備軍疑惑がかかっているが、それとは無関係だと思いたい。
念のため、後で琴里か令音に確認を取っておくべきだろうか。
額に手を当てた士道の耳に、インカム越しの喧騒が届く。
『――おとなしくしてください、副司令!』
『ええい、放してくださいっ! 私の秘策を穂村君に届けねばならないんですよぉっ!』
『いい加減にしてください! 南の島でも全裸は恥ずかしいことなんですよ!』
『なんとおっしゃる箕輪くんっ! そんなら全裸で駆け比べぇっ!』
『だから全裸をやめろと言ってんでしょうがっ!!』
ドタバタと、何やら取っ組み合いが行われているらしい。
気にはなったが、どうにも触れない方がいい気がしてならない。
というか、全裸という言葉が聞こえたのは気のせいだと信じたい。
地獄に巻き込まれたくない士道は、全力で無視することにした。
『そちらの様子はこちらでモニターしている。何か困ったことがあったら、いつでも頼ってくれ。こう見えても私は経験豊富でね……ふふふ、キスどころかベッドインまでサポートして見せよう!』
「いや、あの……お手柔らかにお願いします」
川越の声は力強く何とも頼もしい響きがあったが、どうもそこはかとない不安を感じてしまう。
琴里によると、女性との関係を進展させる手管は相当のものらしい。
そういえば、十香との初デートの際にラブホテルのペアチケットを渡してきたのも彼だったか。
ちなみに、川越は五度もの結婚を経験したが故に〈
『どうやら来たようだ。グッドラック、穂村君。まずは水着姿を褒めるのを忘れないように!』
かくして本番……即ち、精霊攻略の開始である。
砂浜を歩いてくる精霊の少女――夕弦へ手を振ると、士道は彼女へと駆け寄った。
川越が念を押していた通り、まずは相手の服装を褒めるというのは、訓練によって散々に叩き込まれてきた基本テクニックである。
しかし夕弦の格好はその出鼻を挫くものだった。
丈の長い上着を身につけているせいで、その下に着ているであろう水着が隠れているのだ。
現状でのコメントは、後に控えた水着姿への賞賛の効果を半減させかねない。
士道が対応しあぐねていると、夕弦が先に口を開いた。
「到着。お待たせしました」
「ああいや、そんなに――――」
『ストップだ、穂村君!』
デートの際に、相手に気を使わせる言動は避けるべきである。
しかし、夕弦の着替えを待っていたという背景があるので、古来より伝わる『今来たところ』は使用することができない。
よって無難なフォローに収めようとした士道だが、そこで川越の待ったが入った。
『彼女と過去に面識があるのなら、少し攻めてみるべきだ。ここは一つ、期待を示してみよう』
成程、確かに相手との面識があれば、初対面では避けた方がいい言動も取れる。
川越のアドバイスに従って、自分なりの言葉を考えてみる。
「えっと、そうだな……確かに待ったよ」
「謝罪。申し訳ありませ――――」
「でも夕弦の水着姿が楽しみでさ、あっという間に時間が過ぎちまった」
「…………」
しかしながら、夕弦は黙り込んでしまった。
表情は相変わらず気怠げなもので、何を思っているのかが今一つ読めない。
普段の精霊攻略ならば、令音が精神状態を確認してくれるのだが、彼女は要注意人物の監視及び対応に回っている。
今頃はこの赤流海岸の反対側で、エレン・メイザースの動向に目を光らせているはずだ。
士道が安心して仕事をサボっていられるのも、そのおかげである。
それに数人乗りの船舶に積み込むことのできる程度の機材では、精霊攻略にどこまで対応できるのかも不明だ。
受けられるサポートは、純粋なアドバイスのみと思った方がいいだろう。
つまり、目の前の少女が何を考えているのかは目に見える情報から察するしかないのだが、夕弦はそういった感情を表に出す方ではない。
相手が耶倶矢ならばかなりわかりやすいのだが……
『いいや穂村君、これは好感触だぞ。彼女の手元を見てくれ』
しかし川越はこの状況に光明を見出したようだ。
言うとおり、夕弦の手元に目を向ける。
上着の裾を弄ぶように指先を動かすさまは、何かを逡巡しているようにも見えた。
『その仕草にはつまり、中の水着を見せたいが何らかの理由でそうすることはできない、という葛藤が表れているのだよ!』
その解釈はこちらに都合が良すぎるような気がするが、士道が軽く考えた程度では、単に日焼け対策で上着を身につけている、ぐらいしか思いつかなかった。
ここはやはり、経験から来る洞察力を信じるべきだろうか。
となると、その理由をどうにかして水着姿を拝まなければならないわけだが……と、これでは目的がすり替わってしまっている。
水着姿を褒めるのはあくまで手段に過ぎないのだ。
川越の言った通り何か理由があるとして、それを無理に引き出す必要はないだろう。
士道は夕弦の手を取ると、波打ち際へと歩き出した。
「ほら、せっかくだし遊ぼうぜ」
海での遊びというと、どんなものがあるだろうか。
多くの人は、海に入ってかつ道具のいらない海水浴を思い浮かべるかもしれない。
道具があれば、サーフィンやシュノーケリングといったマリンスポーツを楽しむこともできる。
一方で砂上で行うスポーツであるビーチバレーやビーチフラッグス、変わり種だがスイカ割りなども定番だろう。
この分類からもわかる通り、海での遊びは概ね海上もしくは海中で行うものと、砂上で行うものの二種類に大別できる。
士道と夕弦が二人で選んだものは、その分類だと砂上の遊びになる。
「よし、正門出来たぞ」
「報告。シャチホコが完成しました。えっへん」
そう、砂浜という広大なフィールドで、大量の砂を使って行う砂遊びもまた、海ならではの遊びなのだ。
作成中の砂の城は天守閣のみという寂しい構成だが、その分スケールは大きい。
高さ的には一メートルを少し越すぐらいで、遊びのレベルなら充分立派なものだろう。
ギネス記録は二〇メートル越えらしいが、そこまで大規模なものとなると最早一大事業である。
程なくして完成した威容に、二人して満足気に息を吐く。
『あー……砂遊びとは、これまた――――いや、穂村君の判断を信じよう!』
インカム越しの川越の声はいかにも何か言いたげだったが、最終的には口をつぐんでくれた。
とはいえ、彼の言いたいことはわからないでもない。
共同作業で距離を縮めるという目的には即しているかもしれないが、砂遊びというのは地味というか子供っぽいというか、そんな風に映ったのだろう。
経験豊富らしい川越からしたら、幼稚とさえ思ったのかもしれない。
しかし、いつものように好感度が見えない状況で拙速は危険すぎる。
何かがあって真っ先に吹き飛ぶのは、士道の体なのだ。
琴里の力があるため大抵の負傷なら何とかなるだろうが、跡形もなく消し飛ばされて復活する自信はない。
そして何より、夕弦がやりたいと言ったのだからそうするのが正解だろう。
「記念に写真でも撮っておくか。後で耶倶矢にも見せてやろうぜ」
「賛成。それは良い提案ですね。見せつけてやりましょう」
荷物から携帯を引っ張り出すと、士道は砂の城の隣に夕弦を座らせて一緒に写真に収めた。
表情はいつも通り気怠げなものだが、顔の横にはピースサインが立っている。
砂の城の反対側にわざと空けたスペースには、士道なりの次への期待がこもっている。
三人でなら、きっともっとすごいものが作れるだろう。
「感謝。夕弦のわがままに付き合っていただき、ありがとうございます」
「はは、なんだかんだ言ってこっちも楽しんでたからな。おかげでこんな大作が出来ちまった」
「同調。誰かと一緒に何かを作るというのは、存外悪くないものですね」
そう言うと、夕弦は膝を抱えて目を細めた。
どこか遠くを見るような眼差しだが、その視線の先にあるのは砂で覆われた地面だ。
だとしたら、彼女が目に映しているのは、ここにはないものなのかもしれない。
士道が隣に腰を下ろすと、夕弦はポツポツと語り出した。
「告白。実を言うと、こうして砂でお城を作るのは初めてではないのです」
「そりゃあ、まさか……耶倶矢との勝負でか?」
「肯定。夕弦の圧勝でした。そもそも耶倶矢は落ち着きが足りません。ダメダメです」
夕弦の目が、僅かに緩む。
風の精霊――耶倶矢と夕弦は、真の八舞の座を手にするために競い合っている。
それは互いの存在を賭ける、勝負の日々なのだろう。
ともすれば殺伐としかねないはずだが、
しかし没入するあまり、迫る波の存在には気が付いていないようだった。
せいぜい体が濡れる程度の高さだが、それでも砂の城にとっては大ダメージだ。
いつかは崩れるものだとしても、もう少しだけ留めておいてもいいはずだ。
士道は夕弦の残念がる顔を想像して、自分が防波堤になることを選んだ。
「防衛。えいやー」
「わぶっ――――!?」
しかし突如として巻き起こった風に吹き飛ばされて、水飛沫を上げながら浅瀬を転がり、訳もわからぬまま空を見上げる。
塩辛い海水を吐き出してから上体を起こすと、申し訳なさそうな雰囲気を漂わせた夕弦が駆け寄ってくる。
今の風はもしかしなくても、彼女の仕業だろう。
砂の城の無事な姿を確認して、士道は苦笑した。
「余計なお世話だったみたいだな」
「陳謝。咄嗟のことで、そちらを巻き込んでしまいました」
「いいって。せっかく海に来たんだし、濡れないままってのも……」
差し出された夕弦の手を取ったところで、言葉を切る。
せっかくの海で、せっかくの水着なのだ。
濡れないままではもったいないだろう。
士道は悪戯っぽく笑うと、掴んだ手を逆に引き寄せた。
水飛沫が立ち、さらにその上から波が覆いかぶさる。
士道と同じように浅瀬に倒れこんだ夕弦は、すっかり濡れた姿で唖然とした表情を見せた。
『そこで引き込むとは……強引だが悪くない、悪くないぞ穂村君! 濡れて体に張り付く髪、揺れる瞳、自然と近づく距離、高鳴る鼓動に後押しされるように重なる唇と唇……! そして触れ合う肌の面積が広がるにつれて二人は、二人は……っ! イケる、イケるぞ穂村君!』
「…………」
川越はこの状況に興奮気味に声を上げるが、士道は無性にインカムを投げ捨てたい衝動に駆られた。
そんな容易にキスができたら、今までの苦労はなんだったのかという話にもなってくる。
ともかく現状では迂闊に応答はできない。
BGMとして聞き流すしかないだろう。
立ち上がって、今度は逆に夕弦へ手を差し出す。
「はは、悪かったな。これでおあいこってことに――――」
「報復。えいっ」
仕返しに手を引っ張られて、再び浅瀬に倒れこむ。
塩辛い海水の味を覚悟したが、それとは全く異なる柔らかい感触が士道の顔に押し付けられる。
布越しではあるが、この柔らかさには非常に覚えがあった。
恐る恐る顔を上げると、夕弦の顔がアップで目に映り込む。
表情こそ普段と変わらないが、勘違いでなければ頬に赤みが差しているように見えた。
インカムからはけたたましく、何らかの行動を催促する声が届く。
『穂村君、今だ! 抱けっ!! 抱けーっ!!』
何だかキスをとっくに通り越したアドバイスだが、士道にそれを実行する暇はなかった。
夕弦に目に見える動揺こそないものの、この雰囲気に覚えがあるのだ。
これはそう、昨夜の温泉で耶倶矢に二回程打ち上げられた時のことを彷彿とさせた。
既視感を裏付けるように、上昇気流が巻き起こる。
空へと打ち上げられながら、インカムの電源をオフにして士道はしみじみと頷いた。
(やっぱこいつら、双子だわ)
理不尽な部分なんかは特に似ている。
自分で引っ張っておいてこの仕打ちはあんまりだろう。
まぁ、それは事前の自分の行動が原因とも言えるので、ここは受け入れるしかない。
かくして浅瀬に水柱が立つのだった。
「赤流海岸にて霊波反応を確認」
或美島の遥か上空二万メートルに浮かぶ空中艦〈アルバテル〉。
その艦橋に響く声に合わせ、島の全体図がモニターに映し出される。
霊波反応を示す光点は島の北端、三日月状の海岸の端に表示されていた。
「パターンの照合は?」
「発生がごく短時間のため、困難です」
「またか……」
艦橋下段からの報告に、艦長席に腰を下ろしたジェームズ・A・パディントンは顔を顰めて唸り声を上げた。
口の周りに髭を蓄えた、初老の男である。
DEMインダストリーの第二執行部に所属する彼は、業務執行取締役からこの艦を任される立場だった。
今回の任務は人間社会にまぎれているという精霊の調査及び確保、そして潜入している工作員のサポートだ。
内容に思うところはあるが、それを表に出すほどパディントンは幼稚ではない。
しかし、進展の見られない状況に不満を募らせてはいた
精霊と思しき少女と接触するためにカメラマンとして潜入しているはずの第二執行部長、つまりは上司がどうにも遊び惚けているように見えるのが、その一因だ。
そもそも、上司とは言うが親子ほどにも年が離れた年若い娘である。
しかも彼女は業務執行取締役との不適切な関係が囁かれており、最近では二人して執務室にこもったまま何時間も出てこなかった、などという噂も耳にする。
それに従わなければならないのだから、不満もたまろうというもの。
加えて、今回の作戦はどうにも迂遠に思えてならない。
精霊かもしれない少女を追跡するよりも、より確実に成果を上げられる相手を狙うべきなのだ。
監視対象と同じくこの島に滞在している〈ナイトメア〉……しかしながら上からの命令で、彼女への手出しは厳禁とされている。
命令に対する異論を挟むつもりはないが、その理由がはっきりとしていないだけに、疑問は募る一方だ。
そして最後は、昨夜から散発的に発生している霊波反応だ。
昨夜は続けて二回、今朝は一回……発生時間はほんの一瞬、かつ監視対象と別の精霊が近い位置にいるため、どの精霊が発したものなのかが判別できないのだ。
旅館内の反応であるため艦載のカメラで確認することもできず、第二執行部長殿は何故かこちらの通信に応じなかった。
まるで
観測した以上はその元を確かめる必要がある。
「無駄だろうが、一応確認しておけ。ああ、第二執行部長殿への報告は後回しでいい。彼女は随分と忙しいようだからな」
徒労に終わることを見越した、期待のこもらない形だけの命令だった。
しかし、その結果は彼の予想を裏切ることとなる。
「――霊波反応の発生地点に、推定〈プリンセス〉及び〈ナイトメア〉の姿は確認できません」
「何だと?」
モニター上の島の全体図に、二人の位置を示す光点が表示される。
場所は同じく赤流海岸……しかしその位置は、端と端。
この僅かな時間で移動したとは考えにくい。
それとも、精霊ならばやってのけると考えるべきか。
「……発生地点の映像をモニターに出せ」
二人してたっぷりと海水に浸かった士道と夕弦は、しばし浅瀬で水の掛け合いに興じた後、砂浜へと上がった。
こう表現すると絵に描いたかのような海デートのワンシーンなのだが、それにしては一方が疲弊しすぎている。
全身からポタポタと水を滴らせた士道は、息も絶え絶えに砂浜に膝をついた。
「お、おま……もうちょっと、加減って、もんを……」
「快勝。八舞に敗北の二文字はないのです」
一方で夕弦は、何とも満足気にフスーと息を吐いた。
耶倶矢と比べたら落ち着いて見える彼女だが、その実勝負となれば容赦がない。
そしてそれが精霊の身体能力ならば、最早ワンサイドゲームである。
顕現装置を使えば少しはマシな勝負ができただろうが、生憎と今は手元にない。
そもそもそんなズルをしては、後で司令官様に大目玉を喰らいかねない。
使用はなるべく緊急時にとどめるようにと仰せつかっているのだ。
一般に顕現装置やそれを扱う魔術師の存在は秘匿されており、その観点からも軽々と使用するべきではないというのは、士道も十分に理解している。
仮に海での遊び、例えばスイカ割りなどに顕現装置を使用してズルをしようとする魔術師など、この世界のどこを探しても見つかるわけがない。
ともかく、人間が精霊に身体能力の影響が大きい勝負を挑めば結果は明白だ。
まぁ、挑んだというよりは、いつの間にかそのような流れになっていたというのが正しい。
主に夕弦の誘導によるものだが、風の精霊が抱える特殊な事情を抜きにしても、勝負事が好きなのだろう。
砂浜に仰向けに倒れた敗者の横に屈み込むと、勝者はツンツンと指先で甚振り始めた。
その感触が何ともくすぐったかったが、ぐったりと疲弊した士道はそのまま受け入れた。
そしてしばらく相変わらずの青空を見上げて呼吸を落ち着けてから、予てから抱いていた疑問をぶつけてみる。
「そういえば、今朝戻って来るまでどこに行ってたんだ?」
「……警戒。あれは士道が卑劣にも、意識のない夕弦をベッドまで引き込んだのでは?」
「だから誤解だって言ってるでしょうが!」
胸元を隠してジトっとした視線を向けてくる夕弦に対して、士道はこれで何度目かもわからない弁明にかかる。
それで完全に納得してくれたかは怪しいが、ひとまずは警戒を解いてくれた。
「曖昧。正直に言うと夕弦にもよくわからないのです。それまでは眠っているかのような感覚で、おぼろげな意識の中で耶倶矢の気配を感じてそれを追って行ったら、いつの間にか士道に胸を揉まれていた……としか」
「いや、あの……」
「確認。どうかしたのですか?」
「……何でもありません」
決してわざとではないのだが、夕弦の胸に触れた上で指を動かしてしまったことは事実である。
なので下手な弁明は逆効果だろう。
士道はグッと堪えると、夕弦が語った内容について考える。
眠っているかのような感覚、というのは以前に十香から聞いた隣界にいる時の様子を思わせる。
つまりは静粛現界を果たして、耶倶矢の霊力を追ってきたということか。
しかし二人は入れ違ってしまって、夕弦は何故かこちらのベッドに侵入してきた。
そういえば、鍵もないのにどうやって部屋に入って来たのだろうか。
見たところ、旅館の室内は侵入のために破壊された形跡はなかった。
直接室内に現界したと考えれば、一応の辻褄は合う……しかし、超常の存在に対して言う事ではないかもしれないが、とんだミステリー作家泣かせである。
これでは密室トリックもなにもあったものではない。
考え事に没頭していると、再び夕弦が視線を向けてくる。
先程のように非難がましいものではなかったが、何か痕跡を探すように目を細めていた。
「凝視。じー」
「……俺の顔に何か付いてるか?」
「怪訝。士道から微かにですが、耶倶矢の霊力を感じるような……」
「俺から? そんなわけ――――」
否定しかけて、そこで士道は言葉を途切れさせた。
きっぱり否定しようにも、心当たりが思い浮かんでしまったからだ。
その心当たりとは、昨夜の温泉での一件、耶倶矢からの不意打ちの接吻である。
もっともあれは頬へのものだったため、士道の能力が働いたかどうかはわからない。
それとも、指紋のように霊力の痕跡でも残っているのだろうか。
解析官である令音ならば何かわかるかもしれないが、この場でその知見に頼ることはできない。
言葉を途切れさせた士道に対し、夕弦は訝るような視線を向ける。
「質問。耶倶矢と何かあったのですか?」
「いや、そんな大したことじゃあ――――」
「詰問。耶倶矢に何をしたのですか?」
「何だか俺が悪いことしたみたいになってないか!?」
あの一件に関しては、士道はどちらかと言うと被害者である。
しかし一緒に温泉に入ったという事実は、問答無用で悪い意味に取られかねない。
答えあぐねて難しい顔で唸るが、頭を過ぎったのは今朝の夕弦の様子である。
あの時に流した涙は、彼女がどれだけ自分の姉妹を想っているかを物語っていた。
観念するように小さくため息を吐くと、士道は言葉を慎重に選びながら語り始めた。
「……理解。他の方々が語っていた『淫行教師』とは、真実だったのですね」
「どうしてそうなるかなぁ!?」
しかし男女での混浴はやはり誤解を招いて余りあるものだったらしい。
「謝罪。ふふ……少しふざけ過ぎてしまいましたね」
その様子に夕弦は目元を緩め、微かな笑みを浮かべた。
どうやらからかわれてしまったらしい。
士道は顔をそむけたが、それは気を悪くしたからではない。
単純に、普段あまり表情を動かさない少女が笑う様に、見惚れそうになってしまったからだ。
どうやら自分はこういうのに弱いらしい。
胸に手を当てて呼吸を繰り返し、どうにか心を落ち着ける。
それから目を戻すと、夕弦は濡れた上着の裾を弄ぶように指先を動かしていた。
それはこの姿を見せた時の様子と一致するものだった。
川越が言うには、上着の中を見せたいが何らかの理由でそうすることが出来ない、とのことだ。
「……決意。耶倶矢がそこまでしたのならば、夕弦も躊躇している場合ではありません。我が師に教わった手管を試すべきだと判断します」
「和菓子?」
呑気に首をかしげていると、夕弦に手を引っ張られて上体を起こされる。
そして掴まれた右手が胸元に引き寄せられ、図らずも何度も味わってしまった柔らかい感触を思い出して狼狽していると、指先が小さな金属のようなものに触れた。
士道の手が導かれた先は、夕弦が身に着けた上着の前を留めるファスナーの引手だった。
「請願。濡れてしまったので上手く脱ぐことが出来ません。士道が脱がせてください」
「はぁ!?」
「催促。お願いします、早く」
まさかのお願いに思わず素っ頓狂な声を上げてしまったが、そもそも夕弦の力が強くて手を離すことが出来ない。
絶対に逃がさないという意思を感じ取った士道は、観念してゆっくりとファスナーを下ろしていく。
露わになっていく白い肌、程なくして現れた深い谷間に目を奪われそうになるが、首を思いっきり捻ってそれを回避する。
しかし夕弦がそれを許さない。
その手によって、士道の頭はぐりんと元の向きに戻されてしまった。
「懇願。……どうか目を逸らさないでください」
自分の頭を掴む手が、微かに震えているのを感じ取る。
見上げると、夕弦の顔には僅かな恥じらいの色があった。
そしてそれは正しく目の毒だった。
羞恥に震える少女の服を脱がせている、というシチュエーションに覚える背徳感が、正常な思考を奪っていく。
下ろされていくファスナーの音と、相手の息遣いがいやに耳を刺激して、士道はすっかり目を離せなくなってしまった。
「んっ……」
ファスナーを下ろしきり、濡れて肌に張り付いた上着をゆっくり剥がすように脱がせていくと、夕弦の口から堪えるような息が漏れる。
やがて現れた水着姿を、士道はゴクリと唾を呑んで出迎えた。
白地に黒いレースをあしらったそのビキニは、予想以上の衝撃を以て目に焼き付いた。
相手の服装を褒めるという定番のテクは、すっかり頭から吹き飛んでいた。
インカムから叱責が飛んできかねない失態だが、電源が切りっぱなしであることを思い出す。
いつの間にか夕弦の手は外れ、行動を妨げるものはなくなっている。
離れることも自由なはずなのだが、そうすることが出来ない。
かくして夕弦の水着姿を前に、士道は見事に固まるのだった。
互いに言葉もなく、向かい合ったまま時間が過ぎていく。
「……」
「……」
「…………」
「…………質問。どう、でしょうか?」
「あ、ああ……すごい綺麗だ。よく似合ってる」
「――――っ」
「あだっ!?」
口に出した感想には何の飾り気もなかったが、今の士道に余計な修飾をする余裕はない。
それがどう受け取られたのか、突き飛ばされて再び砂浜に倒れこむ。
背中を打ち付ける痛みに目を白黒させていると、夕弦は上着を羽織って体を隠してしまった。
「終了。ここまでです。……耶倶矢のいないうちに決着してしまっては、あまりにも不公平です」
続く言葉に士道は昨夜、耶倶矢が似たようなことを言っていたのを思い出した。
揃いも揃って、と苦笑とため息が漏れる。
これは何としても二人を引き合わせてやらねばならない。
決意を新たにして、夕弦の肩に手を置く。
「~~っ」
「へぶっ――――!?」
すると次の瞬間、士道は風に吹き飛ばされて砂浜を転がった。
回転する視界がようやく落ち着くと、物凄いスピードで走り去っていく後ろ姿が見える。
なにか気に障ることでもしてしまったのだろうか。
途方に暮れた士道は、有識者の意見を仰ぐことにした。
インカムの電源をオンにする。
「……川越さん、どう思います?」
『ドンマイだ、穂村君。今回は少し急ぎすぎたようだね』
その言葉はありがたいが、散々押せ押せの指示を飛ばしてきたのは誰だったろうか。
どこか釈然としないものを感じつつも、飲み込んでおく。
『恐らくだが彼女は単に照れているだけだ。とはいえここで追うのは逆効果だろう。私の二番目の妻がそうだった』
「な、成程……」
士道にとって結婚とは想像上のものでしかないのに、それが複数回ともなれば最早未知の領域である。
川越の貫禄に気圧されて、思わず頷いてしまう。
『どの道あのスピードでは補足は難しいだろう。何、焦らずに行こう。君は少し休んでいるといい』
「わかりました」
日陰に座り込んで、空を見上げる。
太陽は既に傾き始めていた。
日没まではまだいくらかあるが、そう多くの時間は望めないだろう。
果たしてこの修学旅行中に、あの二人を引き合わせることができるのだろうか。
あの嵐の中での出会いを懐古して、目を細める。
それからしばらく潮風に吹かれ、喉の渇きを覚えて立ち上がると、背後から砂を踏む音がした。
夕弦が戻ってきたのだろうか。
どうしてああなったのかはともかくとして、先程のフォローはしておかなければならない。
そういうのを怠って痛い目を見た経験があるのだ。
具体的に言うと姪っ子のことだが、拗ねてしばらく口を聞いてもらえなくなった時には、流石の士道も枕を涙で濡らすしかなかった。
そういうわけで、まず謝罪から入ろうと振り返り、そして硬直した。
「くく、陰に潜みてその体を休めるか、我が
そこにいたのは、来禅高校の夏服に身を包んだ耶倶矢だった。
もう何度目かもわからない入れ違いに、開いた口が塞がらない。
呆然とする士道の手を取ると、耶倶矢は少し照れくさそうに笑った。
「ね、ちょっと付き合ってよ」
というわけで終了。
次回は早ければ来週中にいけるかなー?