士道くんが淫行教師と謗られながら精霊をデレさせる話   作:kish

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明日は祝日なのに仕事があるという悲しみ。


四月十日の彼女

 

 

 

 夕暮れの教室に、カツカツと音が響く。

 四〇近くある机はほぼ空席で、今この場にいるのはたった二人だけだ。

 その様子はさながら、放課後の補習授業といったところか。

 教壇でチョークを握る男も事実、この学校の教師である。

 しかしながら、異様な点が二つ。

 まず、教室の二つある入口の片方が破壊されている。

 生徒がふざけてぶつかって壊してしまった……などというレベルではない。

 ドアはおろか、その向こうの廊下の壁や窓ガラスまでもが砕けて崩れ去っている様は、明らかに尋常な光景には見えなかった。

 そして教卓の前の席に着いた少女は、どこか不思議な格好をしていた。

 光のドレス、とでも言えばいいのだろうか――その身に纏う雰囲気もやはり尋常ではない。

 それもそのはず……彼女は精霊なのだ。

 精霊とは、隣界と呼ばれる異空間から現れ出ずる、特殊災害指定生命体とも呼ばれる存在だ。

 災害の名の通り、精霊の出現には破壊を伴う。

 空間震と名付けられたそれは、およそ三〇年前から今に至るまで人類を脅かし続けている。

 加えてその戦闘能力も理外の域にあり、武力による対処は極めて困難とされている。

 そんな存在に対して男――穂村士道はやはりというか、授業を執り行っていた。

 

「それじゃあ、ここまででなんか気になるとこはあるか?」

 

 なんでかと理由を問われれば、それは彼が教師だからだろう。

 その他に精霊と対話するために見出されたエージェントという側面もあるが、その自覚は薄い。

 士道は今、精霊の少女に少しでもこの世界の事を知ってもらうために、教鞭を執っているのだ。

 

「うむ、おまえの言うカレェやらハンバァグやらラァメンやらが気になる。非常に気になるぞ」

 

 少女は至極真面目な表情で、指を三つ立てた。

 物の見事に偏った内容に、士道は苦笑した。

 そもそも授業内容がややそっち方面に偏っていたため、無理からぬ話ではある。

 最初は担当教科の方面からアプローチしてみたのだが、反応は芳しくなかった。

 なので出来るだけ広く浅く、この日本を中心に様々な国や地域について言及したのだが、そこはもう社会科の――それこそタマちゃん先生の領域である。

 全く知識がないわけではないが、専門外なことは否めない。

 それ故、不足した部分を補うために少々主観が混ざったようだ。

 つい最近まで一人暮らしだったせいか、士道の趣味は料理なのである。

 

『順調ね、士道。徐々にだけど好感度が上がっているわ。そのまま続けなさい』

 

 イヤホン型のインカムから、可愛らしくも威圧的な声が響いた。

 士道の姪の琴里である。

 経緯はわからないが、どうしてか秘密組織の司令官などという立場に納まっているのだ。

 身内ではあるが、形式上は上官ということになる。

 精霊との対話を試みる今作戦であるが、士道一人に任せきりというわけではない。

 必要に応じて指示やアドバイスを、〈フラクシナス〉艦橋からこのインカムに送ってくるのだ。

 しかし好感度という言葉を聞いて、士道は顔を強張らせた。

 今まですっかり忘れていたが、この作戦には当然達成すべき目標がある。

 それは『対話をして友誼を結ぶ』ではなく、『デートしてデレさせる』である。

 いまだに何故そうなるのか理屈が全くわからないが、それこそが課せられた役割なのだ。

 

「どうした? まさか、私には話せないほど重大な……もしや人間の秘密兵器か!」

「違う違う。そんなスパイスが効いてて肉汁たっぷりでスープが美味しい兵器があってたまるか」

「ぬ、ならばなんだというのだ」

「今のはちょっと俺の気が抜けてただけっていうか……悪かったな、えっと――――」

 

 少女の名前を呼ぼうとして、士道は自分がそれを知らないことを思い出した。

 そもそも、彼女自身ですら知らないのだ。

 忘れているのか、はたまた元々ないのかはともかく、このままでは会話に若干の支障が出る。

 今までは二人称を使って何とかしていたが、ふと呼びかけようとした時にこれでは、相手も気にしようというもの。

 言いよどんだ士道に、少女は顎に手を当てて少し考える素振りを見せた。

 

「おまえ、たしかシドーと言ったか」

「どうした?」

 

 どうやら今度こそ名前を覚えてくれたらしい。

 やや響きが某国民的RPGの二作目のラスボスっぽくはあったが、気にしないことにした。

 

「私に名をつけろ」

「…………え、俺がか!?」

 

 しばしの沈黙の後、士道は狼狽した。

 予想外の衝撃である。

 まるで全方位を警戒しつつ盾を構えていたら、真上から隕石が落ちてきたような気分だった。

 精霊に対する名付けという重大事に、嫌な汗が背中を伝った。

 まさかの教師からゴッドファーザーへのクラスチェンジである。

 

「どうせおまえ以外と会話する予定もない。好きなように呼ぶといい」

 

 精霊とて、相手は女性。

 そして女性の『なんでもいい』や『好きにして』という発言を、そのまま額面通りに受け取ってはいけないことは、実体験からよくわかっていた。

 これは流石に手に余る――――そう判断した士道は人差し指で二回、インカムを叩いた。

 

 

 

 

 

「うっわ、いきなりヘビーなのが来たわね」

 

 状況をモニターしている〈フラクシナス〉艦橋で、琴里は頬を掻いた。

 これは流石に士道の手に余るだろう……予想に違わず、すぐにSOSが飛んできた。

 スピーカーからはくぐもった音が二回。

 緊急時はインカムを二回叩くのが、その合図だ。

 

「選択肢、出ませんね」

「やっぱり、数が多すぎて絞りきれないんでしょうか」

 

 精霊の精神状態の変動を察知してか、艦橋にはサイレンが鳴り響いていた。

 こういった場合はAIが選択肢を提示するのだが、今回は出ていない。

 女性の名前という括りだけでは、数が多すぎて表示しきれないのだろう。

 

「各自、今すぐ名前の候補を私の端末に送って!」

 

 琴里は艦長席から立ち上がると、声を張り上げた。

 こんな時こそ、集められた精鋭の力の見せ所である。

 ディスプレイに目を落とすと、早速候補が上がってきていた。

 まず『美佐子』……これはたしか、川越の別れた妻の名前だったはずだ。

 見ると、申し訳なさそうに縮こまっていた。

 いきなりで他の名前が思いつかなかったようだ。

 次に『麗鐘』……単純に読み方がわからなかった。

 音読み、訓読み、湯桶読み、重箱読み、いずれもおよそ人の名前に似つかわしくない。

 これは巷で話題のキラキラネームの可能性が高い。

 見ると、幹本が得意気な顔で親指を立てていた。

 もし彼が子供を持つようなことがあれば、名付けだけは阻止せねばならない。

 そのような名前を付けられた子供の将来を案じて、琴里は静かに決意した。

 程なくして他の候補も上がってきたが、どれもいまいちパッとしない。

 これでは精鋭の名折れである。

 しかし、一人だけまだ候補を送ってきてない者がいる。

 

「令音、何か思いつきそう?」

「……いや、ここは彼に任せてみた方がいいかもしれない」

「士道に?」

 

 たったさっきSOSを寄越したばかりだというのに、それはどうなのだろうか。

 しかし、令音はやや天然のきらいはあるものの、その能力は極めて優秀だ。

 何の考えもなしにこのような意見を出すとは思えない。

 士道に任せっきりというわけにはいかないが、他のクルーと同じように名前の候補を挙げさせるだけならやってみてもいいかもしれない。

 

「きっと、素敵な名前を考えてくれるはずさ」

 

 令音はそう言うと、何かを懐かしむように目を細めた。

 

 

 

 

 

『というわけで、士道も考えなさい』

「……」

 

 投げた球を返されて、士道は閉口した。

 会話は言葉のキャッチボールとは言うが、助けを求めたのにこれではあんまりである。

 抗議したくもあったが、今そんな真似をしたら間違いなく不審に思われる。

 幸い、投げっぱなしにされたわけではないので、自分がダメでも骨は拾ってくれるはず。

 せめて拾えるだけの骨が残ることを祈りながら、思考を巡らせる。

 精霊の少女はソワソワしているのかイライラしているのか、焦れて机を指で叩いていた。

 その度に小さなクレーターが刻まれていくので、士道の肝は冷える一方である。

 

(えっと……アイ、オリガミ、カグヤ、クルミ、コトリ、サキ、タマエ、ツキノ、ニア、ハルコ、マイ、ミイ、ユヅル、リョウコ、レイネ――――)

 

 あいうえお順で記憶の中にある名前が浮かんでは消えていく。

 こうしている間にも、机を叩くリズムは速まっていく。

 この調子では天板に穴が空くのも時間の問題だ。

 しかし、焦れば焦るほど頭脳は正常な動作から離れていく。

 空回った思考では、ロクな答えが導き出せそうにない。

 

『……落ち着きたまえ、シン』

 

 真っ白になりかけた頭に、耳心地のいい声が響いた……令音だ。

 訓練の時と同じように、見かねて助け舟を用意してくれたのだろう。

 格好がつかないとは思うが、今の士道には縋る他ない。

 

『落ち着いて、彼女と出会った日のことを思い出すといい』

 

 しかし、そのまま答えを用意してくれるほど優しくはなかった。

 それでもそのアドバイスは妙に腑に落ちた。

 頭の中で誰かの言葉が再生される。

 

『――――ただ、ほら。出会った日が三〇日だったろ?』

 

 いつかどこかの、士道には覚えのないはずの記憶。

 だというのに、それを発しているのは自分だという奇妙な確信があった。

 覚えのないはずの妹に、そして覚えのないはずの恋人。

 判然としないその面影が誰かと重なりそうになったが、イメージは霧散してしまった。

 しかしそれに釣られるように、一つの名前が口をついて出た。

 

「――――とお、か」

「ぬ……それが私の名か?」

「ああ、いや、それは……まあ」

 

 士道は言葉を濁した。

 何故その名前を口にしたのか、自分でもよくわかっていなかったからだ。

 これでは途中式のない解答である。

 

(とおか、とおか、十日――――四月十日か。我ながら安直すぎるだろ……)

 

 しかし、少し考えれば解法はあっさりと見つかった。

 自分は安直にも、この少女と出会った日をそのまま名前にしたのだ、と。

 一度口にしてしまえば取り消すのは難しい。

 そしてそうしたとして、他の名前が思い浮かぶのかというと、それもまた難しい。

 こうなれば、後は彼女の裁定待ちである。

 

「トーカ、トーカトーカ……うむ」

「ど、どうだ……気に入ったか?」

「正直良し悪しはわからん――が、不快ではないな」

「そうか……」

 

 悪くない反応に士道は胸をなでおろした。

 インカムからも、珍しくお褒めの言葉が飛んできている。

 少女は立ち上がると、教壇に上って黒板に手を触れた。

 

「それで――そのトーカとは、どう書くのだ?」

「あーっと……それは――――」

 

 咄嗟で漢字までは考えていなかったので、士道は言葉を詰まらせた。

 まさかそのまま『十日』と書くわけにもいくまい。

 そして少し考えた後、黒板にチョークで『十香』と書いた。

 すると少女は真似をするように、指先で黒板をなぞる。

 チョークを渡そうとしたが、その必要はなかった。

 少女の指でなぞった部分は奇麗に削り取られ、歪ながらも『十香』の二文字が記されていた。

 学校の備品を傷つけるのはどうかと思ったが、既に校舎は空間震で一部が壊れている。

 それに比べたらささやかなものなので、気にしないことにした。

 

「見ろ、シドー。私の名前だ」

「ああ」

「十香……素敵な名前だろう?」

「……そうだな」

 

 色んな意味で気恥ずかしくはあったが、自分で書いた自分の名前を見つめる精霊の少女――十香の横顔に、そんなのはどうでもよくなった。

 まるで眩しいものでも見るように目を細めて、十香は士道に向き直った。

 

「シドー、私の名を呼んでみてくれ」

「お安い御用だ……十香」

「もっと、もっとだ」

「うっ……と、十香、十香十香十香……!」

 

 詰め寄られてやけくそ気味に連呼すると、十香は満足気に唇の端を釣り上げて笑った。

 思えば、士道が彼女の笑顔を見るのはこれが初めてになる。

 やはり曇った顔よりも、こちらの方が断然似合う。

 自然と頬が緩んでしまった。

 と、その時――――

 

「――っ!?」

 

 凄まじい爆音と震動が、校舎を激しく揺さぶった。

 士道は咄嗟にその場に屈んで姿勢を保ち、インカムを二度叩いた。

 精霊である十香がここで大人しくしている以上、これをやったのは……

 

『士道、そのまま床に伏せなさい』

「十香、伏せろ!」

「――ぬ?」

 

 インカムからの声に、十香の手を引いて床に伏せさせる。

 直後、二人の頭上を銃弾の雨が通り過ぎて行った。

 教室の窓ガラスは無残にも破壊され、廊下側の壁も銃痕で穴だらけ。

 このまま攻撃が続けば、さぞかし風通しのいい教室になるだろう。

 

「琴里、まさかASTが動いたのか!?」

『その通りよ。なくはないと思っていたけれど、まさかこんなに早く強硬策に出るとはね』

 

 校舎を破壊したとして、また直せばいいという考えだろう。

 陸自の災害復興部隊の魔術師なら、顕現装置を用いた短期間での修復が可能だ。

 ASTが作戦のために壊したとなれば、処理は優先的に行われるだろう。

 

「シドー、もういい。ここから逃げろ」

 

 十香は立ち上がると、窓の外に目を向けた。

 士道にはその背中しか見えなかったが、彼女が今どんな顔をしているかはよくわかった。

 

「……琴里」

『さっき、これっきりって言ったばかりだと思うんだけど、私の気のせいだったかしら?』

「悪い、約束を破るなんてダメな大人だよな」

『かもね――でも、大正解よ。それでこそしーくんよね』

 

 呆れるような声音だったが、その奥にはいつもの琴里の顔が確かに見えた。

 立ち上がり、十香の手を掴む。

 剣を握らせる前に、まだまだ話したいことがあるのだ。

 十香は目を見開きながら振り返ると、困ったように笑った。

 

「――――本当に懲りないな。さっきも、私を助ける必要などなかったというのに」

「勝手に体が動いちゃったもんでね」

「いいのか? このままだと同胞に討たれることになるぞ」

 

 確かにあの銃弾の一発でも掠れば、なんの装備もしていない士道にとっては致命傷だ。

 普通の人間と比べたら体は頑丈な方だが、あくまでもそれは人間レベルでの話。

 あれほどの大口径ならば、容易く体に大きな風穴が空く。

 その上で、そんなものは知ったことか、と士道はその場にどっかりと座った。

 

「だったら君が傍にいてくれよ。あんな豆鉄砲、屁でもないだろ?」

「……私が、傍に? ――何故だ、シドー。どうしてそこまで私と共にいようとする」

「正直言うと、君のことが知りたいっていうのは嘘じゃないけど、本当でもない」

「…………そう、だったのか」

「俺は知ってほしいんだ。君を否定しない人間が少なくとも一人、ここにいるってことをさ」

「――――っ」

 

 十香は息を呑むと、泣きそうな顔で笑った。

 そしてその場に座り込むと、士道と向かい合った。

 

 

 

 

 

『――どう、折紙。精霊は出てきた?』

「まだ確認できない」

 

 ヘッドセット内蔵のインカムから、隊長――日下部燎子の声が聞こえてくる。

 折紙は、両手に持った巨大なガトリング砲で攻撃を続けながら応答した。

 声の主は隣にいるが、この銃声の中では肉声での会話がままならないのだ。

 今回の空間震の発生地点は、奇しくも自身が通う都立来禅高校。

 精霊は折紙にとって憎むべき仇敵である。

 先程の逢瀬……もとい作戦を邪魔された怒りもある。

 それらをまとめて銃弾に込めて、ありったけをぶちかます。

 四方からの集中砲火は、校舎をいとも容易く削り取っていく。

 火を吹くのは、戦艦に搭載されている類の大口径である。

 重量も反動も本来ならば人の身で耐えうるものではないが、ここにいるのは現代の魔術師だ。

 彼女らの周囲に展開された随意領域が、超人じみた力の行使を可能とさせているのだ。

 しかしながら、どれだけ物理的破壊力に優れていようと、これは顕現装置非搭載の通常兵器。

 よって精霊への攻撃力は期待されておらず、今やっているのはいぶり出しにすぎない。

 こうして建物を破壊しながら、標的が飛び出してくるのを待っているのが現状だ。

 

『奇妙ね……これほど弾を浴びせても出てこないなんて、余程あの場から離れたくないのかしら』

 

 冗談ではない――――思わずガトリング砲を持つ手に力が入り、グリップが軋んだ。

 あそこは二年四組の教室……折紙が彼と再会した場所だ。

 間違っても精霊なんかが立ち入っていい場所ではないのだ。

 排除するためなら、自分の手で破壊することすら厭わない。

 睨めつけるように対象を見据え、より正確に照準を合わせる。

 やがて外壁が崩れ、精霊の姿が露わになった。

 そしてもう一人、向かい合うように座っているのは――――

 

『――っ、攻撃中止! 何あれ、まさか人質……って折紙!』

 

 その姿を認めた瞬間、折紙は飛行ユニットを駆動させて飛び出していた。

 顔は外壁の残骸で確認できないが、見間違えるはずがない。

 あのスーツ、あのネクタイ、あの靴……全て穂村士道のものだ。

 随意領域で強化された視界は、それらをはっきりと捉えていた。

 ガトリング砲を放り捨て、武装を近接戦闘用に切り替える。

 インカム越しに何か言われているが、止まるわけにはいかない。

 今、彼女の中で最も優先順位が高いのは士道の安全だ。

 対精霊用レイザーブレイドを携えて、折紙は精霊へと一直線に突撃していった。

 

 

 

 

 

 銃弾の嵐の中、士道と十香は向かい合う。

 教室内は破壊し尽くされて散々な有様だったが、二人の周囲だけは奇妙に穏やかだった。

 銃声で会話が阻害されることはないし、直撃コースの銃弾も避けるようにして軌道を変える。

 この半径二メートルほどのドーム状の空間が、今この場における安全地帯だった。

 恐らくは十香の力によるものだろう。

 どこか懐かしさを覚えながら、士道は話し続けた。

 自分の事、この世界の事、そして十香の知りたがっていた食べ物の事。

 授業とはまた違う、日常における他愛のない会話。

 多くの人間にとっては取るに足らないものだろう。

 それでも十香はその内容に聞き入り、時折嚙みしめるように頷いた。

 そして、どれくらいか話した頃に……

 

「うむ、ではシドー、聞きたいことがあれば何でも聞くといい。私のことが知りたいのだろう?」

 

 他ならぬ十香自身からの提案である。

 腕を組んで、堂々とした態度だった。

 これまでのお返しに、ということだろうか。

 士道は少し考えると、まるで定型文のような質問を口にした。

 

「好きなものは?」

「わからん」

「じゃあ、嫌いなものは?」

「嫌い、というより苦手なのは、メカメカ団のやつらだな」

「メカメカ団?」

「あのびゅんびゅんうるさい人間たちのことだ」

 

 もしかしなくてもASTのことだろう。

 びゅんびゅんうるさい、とは羽虫か何かのような扱いだ。

 戦力差を考えれば、精霊から見ると実際にそんな感じなのかもしれない。

 それにしても、『メカメカ団』ときた。

 本人からしたら大真面目なのだろうが、言葉の幼げな響きが士道の持つ、『陸上自衛隊・対精霊部隊』のイメージとどうにも嚙み合わない。

 思わず吹き出してしまった。

 

「ぷっ、くくく……メカメカ団……あのASTが、メカメカ団……!」

「どうした、なにがおかしいのだ」

「いや、いいなそれ。最高だよ」

「む……ならいいが」

 

 十香は釈然としない様子だったが、機嫌を損ねた様子はない。

 次の質問をどうするか考えていると、インカムから指示が入った。

 

『せっかくだから、もっと踏み込んだ質問をしてみてちょうだい。精霊の情報が欲しいわ』

 

 どうやら、精霊の情報が不足しているのはどの組織も同じようだ。

 今のこの状況は、幸運に幸運を重ねた結果と言っても過言ではない。

 聞けることを聞いておきたいというのは、頷ける意見だ。

 士道としても、精霊についてもっと知りたいという気持ちはある。

 

「それじゃあ――――」

 

 それからいくつか質問してみたものの、わかったことはそう多くない。

 それは十香が自分自身のことについて、ほとんど何も知らないということを示している。

 彼女の言う事を纏めると、こうなる。

 ある時、気が付いたらそこにいて、わけのわからないうちにASTに攻撃されていた。

 そしてその後も同じような状況が続いて、現在に至る……と。

 

(なんだよ、それ……)

 

 士道は目を伏せて拳を握り締めた。

 十香の言う通りならば、現界に本人の意思は関係ない。

 その際に起こる空間震もまた同様、ということだ。

 しかしながら、精霊というのは天災と同義だ。

 故意ではないにしても、空間震という脅威は放置していいものではない。

 そんな存在に対して、人類のせめてもの抵抗が対精霊部隊だ。

 それを否定することは、士道にはできそうにもない。

 

(それでも、俺はこの子を救ってやりたい)

 

 今の士道は、無力なただの人間でしかない。

 精霊を守る力も、空間震を止める手段も持ち合わせていない。

 救うだなんて言葉が、傲慢極まりないというのはわかっている。

 それでも、せめて手を差し伸べよう。

 世界が何度震えても、手を差し伸べ続けよう。

 この無垢な少女が絶望や諦念に暮れることがないよう、自分が寄り添おう。

 他でもない自分が家族にそうしてもらったように、その心をこそ救おう。

 今ならまだ、この手が届くのだから。

 

「……じゃあ十香、何かしたいことはないか?」

「ぬ、そうだな……ならば、食事というものに興味がある」

「ならこれから――ってのはちょっと難しいか」

 

 現在は空間震警報が発令中だ。

 範囲がどの程度かは把握していないが、まず付近の店は避難して閉まっているとみていい。

 それならば自分の家でとも思ったが、そもそもこの銃弾の嵐の中からどうやって抜け出るのかという、根本的な問題が立ちふさがった。

 不用意に出ていこうものなら、ミンチよりひどい結末が待っているだろう。

 

『もうデートのお誘い? 訓練の成果が出てるようでなによりね』

「いや、デートってのは大げさだろ……」

 

 とは言うものの、士道にはそういうお付き合いという意味での女性経験が不足している。

 何がデートか、などと偉そうに語れる立場ではないのだ。

 

「シドー、さっきから何をこそこそとしているのだ?」

「ああ……君にご馳走するなら何が良いかなって迷っててさ」

「おお、シドーが私にか! いいな、それはとてもいい」

 

 十香は腕を組んでしきりに頷いた。

 表情は真面目なものだったが、なんだかその様が尻尾を振っている犬みたいで微笑ましい。

 これでは是非ともご馳走したくなってくるというもの。

 問題は、この場からどう離脱するかということだ。

 そして離脱したとして、果たしてASTがそのまま引き下がってくれるかどうか。

 今も校舎の外で、十香が出てくるのを待っているはずだ。

 窓側に目を向けると既に外壁は跡形もなく、教室はすっかりリニューアルを果たしてしまった。

 そこで士道は、あれだけ飛び交っていた銃弾の雨がやんでいることに気付いた。

 

『――士道! ASTが突入してくるわ!』

「十香っ、後ろだ!」

「――っ!」

 

 十香が振り向くと同時に、あたりに火花が散る。

 突撃してきたのは鳶一折紙……AST隊員であり、この教室に通う生徒でもある。

 その手に持った光の刃で、十香に襲い掛かっていた。

 

「また貴様か――――どこまでも無粋な!」

「…………っ」

 

 光の刃を受け止めた手を振り払うと、十香は声を張り上げた。

 いとも容易く外に吹き飛ばされた折紙は、空中で静止し武器を構えなおす。

 その瞳が一瞬だけ士道を捉えて、僅かに緩んだ……気がした。

 

「ここでお別れだ、シドー。……悪くない時間だった」

 

 振り向かないまま、十香が言う。

 ASTが乗り込んできた以上、ここで撤退するべきだ。

 戦闘に巻き込まれたらタダでは済まないし、仮に保護でもされようものなら色々とマズい。

 

『潮時よ、士道。その場から離脱して』

「……了解」

 

 琴里の指示通り、教室から廊下に出る。

 壊れた入り口から二人の姿が見えた。

 冷たい敵意をその目に宿した折紙と、十香の背中。

 この二人が戦う姿など見たくはないが、今の士道にはどうすることもできない。

 この場で割り込んでも、状況を混乱させるだけだろう。

 

(俺に少しでも力があれば……)

 

 そんな、今更の後悔が顔をのぞかせた。

 

「またな、十香」

 

 せめて、とその背中に言葉を投げかける。

 それが伝わったかどうかはわからない。

 士道を一瞥すると、十香はその場に踵を打ち付けた。

 

「――〈鏖殺公(サンダルフォン)〉!」

 

 廊下を駆けだした士道の背中に、ビリビリと衝撃が伝わってくる。

 二人が戦闘を開始したのだろう。

 己の無力さを噛みしめながら、士道は階段を駆け下りていった。

 

 

 




誰とは言わないけど、ネタバレの塊のような女。
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