士道くんが淫行教師と謗られながら精霊をデレさせる話 作:kish
「ええい、おとなしく我にその身を委ねんかっ!」
「勧告。こちらに下るのならば、悪いようにはしません」
風を纏いながら、瓜二つの顔をした少女たちが物凄いスピードで空を翔ける。
彼女たちは
精霊とは絶大な力を有する人知の及ばぬ存在であり、そんな者達に追われるとなったのならば、まず尋常の事態ではない。
「ああもう! どうしてこうなった……!?」
そんな事態に陥った穂村士道は、悲鳴じみた叫びを上げた。
そのはずなのだが、二人の興味を引いたことで勝負の審判役を拝命し、現在はこうして勝敗を決める目的物として追い回されていた。
どうしてこうなったのかと言えば、それはこの八舞姉妹が『士道を先に捕まえた方が勝ち』などという勝負方法を考え付いてくれたおかげである。
二人がヒートアップする内にこの勝負に至ってしまったわけなのだが、そこまで激化した発端は間違いなく士道の要らぬ発言にあった。
つまりは自業自得である。
世間話のつもりだったとはいえ、どちらが姉でどちらが妹か、などと訊ねるべきではなかったのだ。
自分が放った何故という疑問が結局自分に突き刺さり、士道は渋面で何とも言えない呻き声を上げた。
精霊に追い回されるというこの状況は、ややトラウマを刺激するものである。
かの最悪の精霊と違い二人がこちらの命を奪う意図がないのはわかっているが、はいそうですかとどっしり構えられるほど肝が座ってはいない。
なので二人の手をどうにか避け続けているのだが、風の精霊である彼女たち相手にスピード勝負は分が悪いどころの話ではない。
実際には逃げ続けているというより、どつき回されてボールのように跳ね回っている、と表現した方が正確かもしれない。
しかし、それでもまだ
この勝負のルールは至ってシンプル……いわば、鬼が二人の鬼ごっこのようなものだ。
つまりは
周囲に展開された透明の膜のようなものは、二人からの接触を阻む壁である。
これこそが随意領域――現代の魔術師が操る、己の意のままになる空間だ。
制限はあるものの魔法じみた非現実を叶えることも可能であり、これによって魔術師は超人的な力を発揮する。
それでも人の形をした天災である精霊とは比較にならない力量差がある。
普通の(とはいっても万人に一人の才能ではある)魔術師では到底及ぶわけがなく、今の士道のような真似をしていたら、すぐに限界が訪れて捕まっておしまいだろう。
士道も基本的な能力で言えば平均の域を出ない魔術師だが、とある一点だけ他の者より秀でている部分があった。
それは防性随意領域の強固さと、その魔力消費の効率の良さだ。
その盾役としての適正を士道は今、鬼からのタッチを避けるために惜しげもなく活用していた。
精霊との鬼ごっこなど他の隊員からしたら、正気を疑われるか呆れられるかのどちらかだろう。
そんな命知らずを見たら、士道だって間違いなく同じ反応をする。
隊長あたりだったら、どつき回されているこの状況に羨ましいなどというコメントを残すかもしれないが、あんな
眉間に寄ったシワを揉みほぐしたところで、己の現状を直視する。
風に翻弄されていた時よりマシとはいえ、こんな真似を続けていればその内余力が尽きる。
そもそも鬼ごっこと表現したが、士道は二人にとっての勝利条件に過ぎず、自分が勝負に参加しているわけではない。
かと言って、勝敗に干渉できないわけではない。
早い話が、どちらかが突っ込んできた際にそれを受け止めれば、そのまま決着となるのだ。
この勝負において審判役ではないものの、勝敗を決める権限を持っているということになる。
二人の手を掻い潜り続けている現状は、それを持て余しているにすぎない。
風の精霊・八舞姉妹の勝負は、互いの存在を賭けたものなのだという。
そして勝者が真の八舞となり、敗者の存在は消えてしまうのだと。
つまり士道の手には、この二人の行く末を選ぶ権利が握らされているのだ。
彼女たちに情を抱き始めている現状では、それは酷く重苦しいものだった。
「ちぃっ、我の行く手を阻むとは――――というか邪魔、夕弦はどいててよ!」
「反論。夕弦の前でちょろちょろしているのは耶倶矢の方です」
そんな苦悩はともかく、進路がかち合った二人は滞空したまま、もう何度目かもわからない睨み合いを始めた。
一旦注意が逸れて士道は一息つくことができたが、これを放置していてはまた周囲が風の地獄になりかねない。
幸いなことに先ほどより条件は悪くない。
現在はこちらの存在を認識しているので、とりあえず声をかければ耳を傾けてくれるだろう。
もう一芸を披露しなくてもいいというのは、心身ともに負担が減じるので大いにありがたい。
しかし、それで彼女たちが喧嘩をやめてくれるかは別問題だ。
最初のように、余程の興味を引くことができればそれも可能だろうが……やはり、もう一度
風の精霊相手のリサイタルを思い出して、頬に汗を滲ませる。
随意領域を操作して手品じみた真似をしたせいで、脳へ余計に負担がかかったのもあるが、あれは何より黒歴史を掘り起こした精神的ダメージが大きい。
もう一度やりたいかと言われたら、二度とやりたくはない。
そもそも同じことを繰り返したとして、同じだけの効果が得られるのかは少々怪しいところだ。
二人の興味を殊更に引くことができたのは、ファーストコンタクトという補正ありきだろう。
先程のジャンケンのように、勝負自体に口を出すことのできる立場だったらまた話は別だが……そこで「ん?」と己の立場を振り返る。
士道はこの勝負における勝利条件そのもの――つまりは自分の意思で勝敗をも操作できる。
その立場を上手く利用して、何とか穏便に済ませられないだろうか。
どちらかを選ぶとなればひたすらに気が重いが、引き分けという結果を狙うのならば心的負担は相当マシだ。
問題があるとしたら、それで二人が納得するかどうかだろう。
今ここで士道が同時に耶倶矢と夕弦の手を取ったとして、それで喧嘩が収まるとは思えない。
むしろ余計なことをするなと、火に油を注ぐ結果になりかねない。
二人の喧嘩を収めて、かつ同時にこの勝負を軟着陸させるには、また別の
その方法を考えて、自分で思いついたことながら士道は思いっきり顔をしかめた。
やりたいかやりたくないかで言えば、絶対にやりたくない。
精霊相手にそんなことをする愚か者がいたら、命知らずであると言わざるを得ない。
士道はどちらかと言うと平和主義者だし、高校時代はその手の日常茶飯事に辟易もしていた。
このまま逃げ出してしまえば、無事に帰還できる可能性もあるかもしれない。
それでもその上で、命知らずで愚かな選択肢を取る。
何故と問われたら理由は様々だが、大体は一つに帰結する。
この二人は、単に災害とみなすには人間臭すぎる。
そんな彼女たちを、士道は気に入ってしまったのだ。
ASTとして失格だと言われたらその通りだし、返す言葉もない。
だがそれは、自分にとって動くに足る立派な理由だった。
そしてもう一つだけ理由を付け加えるなら、二人が仲良くしている様を見てみたい、というのもある。
喧嘩や言い争いが、二人なりのコミュニケーションなのだということは何となくわかるが、そればかりでは飽きてしまうというもの。
ここは一つ、笑い合う場面を拝ませてもらうとしよう。
大きく息を吸い込むと、士道は二人に向けて声を張り上げた。
「――――そんなもんかよお前ら! 風の精霊つっても大したことねえなぁ、おい!」
『……!』
言い争いが止まり、注意がこちらに向けられる。
二人の喧嘩を止めるために士道が選んだ手段は、二人に対して喧嘩を売る、というものだった。
敵の敵は味方、とでも言うべきか……ともかく共通の敵となることで、二人が力を合わせる土台を作るというのが士道の考えだ。
勿論、即席なだけあって問題点も多く、大前提として二人が乗ってこなければ話にもならない。
「驕るなよ、人間風情が。我らの慈悲でにゃがらえているだけの分際で」
「指摘。耶倶矢、噛んでいますよ」
「あーもう! とにかく士道、あんたちょっと調子乗りすぎ」
「笑止。先程の演奏は認めますが、所詮は人間です。よわよわです」
士道の言葉に二人は反応を見せたものの、言葉には人間への侮りが垣間見える。
実際に力量差を見れば精霊と人類では比較にもならないので、その認識は正しい。
彼女たちが
仮に今まで人類が、今日の士道のようにこの二人の気を引くだけの何かを出来ていれば、また違う動きを見せていたかもしれない。
脅威どころか眼中にすらなかった存在への認識なので、侮りが入るのは当然なのだが、そろそろ今この時まで積み重ねた事実にも目を向けてもらわなければならない。
「はっ、俺に
『…………』
果たして士道の煽りに、二人は見事に乗っかった。
共に言葉は発さず、しかし空では灰色の雲が渦巻き、周囲には風が吹き荒れ始める。
こちらへの注意は鋭い眼光となって、放たれる圧に肌が粟立つ。
早速自分の行動に後悔しそうになるが、士道は何とか己を奮い立たせた。
「……夕弦、やるわよ」
「同調。思い知らせてやりましょう」
『――――〈
風が収束し、耶倶矢の右肩に、夕弦の左肩に、無機質な翼が顕現する。
左右対称の片翼が、あの夏の日に遠目で見たシルエットに重なった。
いつの間にか緩んでいた口元を、挑発的な笑みに見えるように歪める。
天使を顕現させたとなれば、いよいよ本気だろう。
大前提は乗り越えたとして、ここで浮上する一番の問題は、如何に二人の猛攻をしのぐかだ。
二人が協力する間もなくやられてしまっては、何の意味もないのだ。
先程までのように自衛に専念したら時間だけは稼げるだろうが、動かない相手をチクチクと攻めるだけの作業に、協力も何もあったものではない。
なので今回は士道が自分から動き回った上で、それなりの困難を演出しなければならない。
しかし相手は風の精霊だ。
顕現装置を用いたとしても、速さの上では敵うはずがない。
それならば、と風を受けるイメージで随意領域を延ばしていく。
その上で自身にかかる重力を緩和し、最後に肚をくくる。
そうして士道は、凄まじいスピードで猛進してくる風の精霊たちを出迎えた。
「――何それ!?」
「――驚愕。このスピードに対応するとは……」
しかし二人の手が届く前に、士道の体は空へと舞いあがる。
突進を回避されたことに、耶倶矢と夕弦は驚きを露わにした。
本気になった風の精霊のスピードは輪をかけて尋常ではなく、随意領域による強化がなければ影すら追えなかっただろう。
それが回避されたのだから、二人の様子も無理からぬものだ。
そして実を言うと、士道はそのスピードに対応できたわけではない。
士道が対応したのは、二人が巻き起こす風だ。
突進の際に発生した風を成形した随意領域で受けて、空へと上がったのだ。
風によって木の葉が舞いあげられるようなもの、と言えばわかりやすいだろうか。
二人は追撃を仕掛けるが、自分たちが発する風の影響を受けてひらひらと頼りなく動く士道に対して、接近することすらできない。
とはいえ、それは未だに勝負のルールに縛られているからだ。
そんなものにこだわらなければ、二人が士道をどうにかする方法などいくらでもある。
(うぷっ――――頭いてぇ、気持ちわりぃ……!)
一方、二人の猛追をどうにか避け続けている士道は、頭痛と吐き気で死にそうになっていた。
今の状況はいわば、風に翻弄されていた時の状況をさらに悪化させたようなものだ。
風の影響をより強く受けるために随意領域の形を変え、自身の体を軽くした結果だが、正直消耗はバカにならない。
随意領域の強度を確保した上で、二人の動きに合わせて形の微調整、風に振り回される体の強化及び保護を行いながら、かかる重力を緩和する。
相手が精霊というのもあるが、普通程度の魔術師には、この並列処理が多大な負担になるのだ。
脳を酷使しているせいで頭痛が酷いし、三半規管は強化しきれずに吐き気に見舞われている。
こちらが限界を迎える前に、是非とも力を合わせてもらわねばならない。
散々突進が回避されたことで学習したのか、二人は不用意に接近せずに士道から距離を取った。
「あーもう! どーして当たんないのよっ!」
「推察。恐らくですが、士道はこちらの風を回避に利用しているのかと」
「何それ、じゃあこっちが近づくだけで避けられちゃうってこと?」
「肯定。その通りです」
「士道も考えたわね……やるじゃない、人間のくせに」
「称賛。人間風情と侮っていましたが、認識を改めるべきでしょう」
「なら、〈
「提案。では時間切れを待つというのはどうでしょう? あの様子だといずれ限界を迎えるかと」
「あー、なんか具合悪そうにしてるけど……死んじゃったりしないわよね?」
「質問。それでどうするのですか?」
「時間切れを待つのはなし! ……なんか負けた気になるし」
「同意。夕弦も同じ気持ちです」
「なら、やっちゃう?」
「同調。やっちゃいます」
『――――このまま、舐められっぱなしじゃ終わらせない……ッ!』
二人の纏う空気が、明確に変化する。
何を話していたのかは聞き取れなかったが、明らかに動きの質が先程までと違う。
この動きは、連携を前提にしたものだ。
(来たか……!)
その変化に、士道は息を呑むと同時に胸を撫で下ろす。
あのまま時間を稼がれたら、あえなく活動限界を迎えて終了だった。
正面には夕弦が陣取り、耶倶矢は更に上空へと上がっていった。
もし狙っているのが挟撃なら、それは通用しない。
今までと同じように、二人の風を受けて回避するだけだ。
しかしまた突進してくるのではなく、夕弦はゆっくりと左手を掲げた。
「〈
静かな声と共に、夕弦の掲げた手の中に先端に菱形の刃が付いた鎖が現れる。
その鎖は際限なく伸長していき、瞬く間に士道の視界を覆いつくしてしまった。
前後左右上下、どこに目を向けても逃れられるような隙間はない。
(おいおい、こんな隠し玉があったのかよ……)
この後に訪れるであろう展開に、頬に汗が滲む。
しかし、それならまだ対応はできる。
士道が唾を呑み込むのと同時に、鎖が殺到した。
「ぐっ――」
ギシギシとこちらの随意領域ごと縛り上げてくる鎖に、苦悶の声が漏れる。
しかし、凄まじい圧力ではあるが、まだ士道の守りを破るには至らない。
だがこれは
士道が鎖の隙間から上空を見上げるのと、その声が響くのは同時だった。
「〈
上空に陣取る耶倶矢の右手に現れたのは、身の丈を優に超える巨大な
その鋭い円錐状の形状は、きっと凄まじい速度を誇る風の精霊とは相性が良い。
士道の予想に違わず、耶倶矢は今までと同じように風を纏って突進を開始した。
ただ重力を利したその勢いはこれまで以上で、その手には精霊の誇る絶対の矛がある。
そして何より、士道は夕弦の鎖に拘束されて動くことが出来ない。
状況が決したことを悟って、随意領域のリソースを自身の防衛のみに傾ける。
そうでなければ、あれは防げない。
「――はぁぁぁぁぁッ!!」
凄まじい勢いで放たれた刺突が、士道の随意領域ごと大地に突き刺さる。
あまりの衝撃に地面が陥没し、その一帯はクレーターと化した。
巻き起こる土ぼこりが周囲を覆いつくすが、それを即座に風が吹き払った。
ドスッと鈍い音を立てて、士道の顔のすぐ横に槍の先端が突き立つ。
活動限界……赤く染まっていく視界の中、士道は勝気な表情で見下ろしてくる少女を見上げた。
すぐ傍に、相変わらず気怠げな表情を浮かべた少女が降り立つ。
「どーよ思い知ったかこらぁぁッ! これでもまだ私たちが大したことないって言うつもり!?」
「要求。先程の発言の訂正を求めます。耶倶矢はへろへろでもへっぽこでもダメダメでも、バカでもアホでもドジでもマヌケでもなく、ましてやおたんこなすでもありません」
「そこまで言われてなくない!? とゆーか何で私だけ集中砲火受けたことになってんの!?」
夕弦の子供の罵倒のようなワードチョイスはともかく、士道には降伏宣言をしようにもできない理由があった。
二人が纏う風で地面に押し潰されて、身動きどころか口を動かすこともできないのだ。
随意領域は現在品切れ中のため、今はワイヤリングスーツの耐久性しか頼れるものがない。
それもいつまで保つのか……このまま風圧で潰されては、あまりにも笑えない。
そんな様子を察したのか、二人は「あっ」という顔をして顕現させた天使を解除した。
ようやく動けるようになった士道は身を起こすと、苦笑しながら二人の手を全く同時に取った。
「まいった、お前
降伏宣言である。
そもそも士道は勝負に参加していたわけではないのだが、まぁ細かいことは置いておこう。
すると二人はキョトンと顔を見合わせてから、ハイタッチを交わした。
「いぃぃやっほぉう!」
「歓喜。いやっほー」
「やー、さっすが夕弦。全然近づけなかったのに、あんな簡単に動きを止めてくれちゃってさ!」
「返礼。耶倶矢こそ流石の一撃でした。夕弦ではあの壁を突破できなかったでしょう」
そして手を取り合ってぴょんぴょんと跳ね回る。
二人の笑顔に士道は、どうにか目標を達成できた、と深く長い息を吐いた。
一緒になって喜色を表していた二人はその視線を受けて、思い出したかのように喧嘩を始めた。
「ふん……この程度、我一人でも十分であったがな。今のはあくまでも、貴様があまりにも哀れで役割を与えてやったまでよ」
「反論。こちらこそ耶倶矢がへろへろでへっぽこでダメダメなので、仕方なく協力してあげただけです。あの不細工な泣き顔は見るに堪えませんでした」
「ちょっ、どーしてこっちが泣きついたみたいになってんのよっ!」
先程の褒め合いから一転した言い争いは何ともおかしな様相を見せているが、これまでの経緯から二人の本心を察した士道は苦笑いするしかない。
それを見とがめた耶倶矢が尖った視線を向けてきたので、とりあえず目をそらしておく。
ついでに口笛でも吹いておけば上手く誤魔化せるだろうか。
世間ではそのような態度を白々しいと評するのだが、残念なことに今は脳を酷使しすぎたおかげでやや思考能力が低下しているのだ。
「それにしても、どこまでも不遜な奴よ。この八舞にほんの僅か……一〇%程度とはいえ本気を出させようとはな」
「同意。まぁ、夕弦の場合は五%程度ですが」
「くく、少々謙遜が過ぎたようだな。実は我は一%の力しか出してはおらぬ」
「対抗。ではこちらは〇.五%です」
「どこまで下げてんの!? それじゃあ全然手ぇ抜いてるじゃん!」
多少は本気を見せたようなのだが、最終的には全然本気ではないことになっていた。
そこらの真偽を推し量るのは命の危機に直結しそうなので、士道は口を挟まないことにした。
精霊の本気など恐ろしすぎて、とても確かめる気にはならない。
まぁ、そこにはそもそも対応が億劫だという身も蓋もない理由もあるのだが。
ともかく、再び地面に仰向けになった士道が思うことは一つだった。
(早く帰って眠りてぇ……)
ちなみにこの後、真の八舞を決める一〇〇番目の勝負にもしっかりと巻き込まれることになるのだが、直後に二人が隣界に消失してしまったため、その決着は数年後まで持ち越されることになる。
その際に二人の運命について深く思い悩むことになるが、この時の士道には知る由もなかった。
「ぬわーーーーっっ!!」
「っしゃあ! 見たかこらぁぁッ!」
宙を舞いながら、士道はまるで子を守ろうとする父親の断末魔のような声を上げた。
声に少し遅れて、砂浜に跡を残しながら転がっていく。
その下手人である耶倶矢は、興奮した様子でガッツポーズを決めていた。
海辺ということで、その身に纏うのは水際の戦闘服……即ち水着である。
黒地に白いレースをあしらったビキニは、夕弦が身に着けていたものを反転させたかのような色合いだ。
色以外のデザインは奇しくもほぼ同じだが、耶倶矢の活発で健康的なイメージもあって夕弦とはまた違った印象があり、それは動きの方にも見事に反映されていた。
事実をありのままに述べるなら、彼女の放ったシュートをくらって士道は吹っ飛ばされたのだ。
比喩でもなんでもなく、ボールを受けた士道の体は地面を離れて数メートル程移動した後、砂浜の上を同じだけ転がっていった。
漫画でこんなシーンは見かけたことはあるが、現実でしかも自分の身に起こるとは夢にも思っていなかった。
まぁ、精霊に常識を当てはめようとしたところで、徒労に終わるのがほとんどなのだが。
士道は常人と比べれば体は丈夫な方だが、痛いものは痛い。
痛みに呻きながら、どうしてこうなったかを思い返す。
夕弦がどこかへと消えた後、唐突に現れた耶倶矢に誘われた士道は、浜辺で共にボール遊びに興じていた。
インカム越しからは困惑の声が漏れていたが、士道自身も困惑していたので無理もない。
ともかく、人数的にチーム戦は不可能なので、内容は必然的にキャッチボールのようなボールの受け渡しになったのだが、バレーボールをトスし合うだけではあまりにも動きがなさすぎる、という耶倶矢の指摘を受けて、最終的に蹴鞠のような形に落ち着いた。
ちなみに、その際の言い回しは例によって士道の黒歴史を刺激するようなものだったが、ここでは割愛しておこう。
そういう経緯で、数回リフティングしてから相手にボールを渡して先に落とした方が負け、というルールの下でゲームが開始したわけだが、士道の悪送球に耶倶矢が追いすがった結果、見事なオーバーヘッドシュートが炸裂した次第だ。
どこに責任を求めるかは微妙なところだが、原因はコントロールミスをした士道の側にある。
「ごめん士道! ……だ、大丈夫?」
流石にやりすぎたと思ったのか、申し訳なさそうな顔をした耶倶矢が駆け寄ってくる。
夕弦も同じような反応を見せたことを思い出して、士道は苦笑した。
「ナイスシュート。やっぱり大したやつだよ、お前は」
「かかっ、そうであろう? 貴様も我が
また噛みそうな技名だが、耶倶矢は淀みなく口にした。
発声練習でもしていたのだろうか、得意げな顔はそのためかもしれない。
ちなみに『シュトライク』とは『ストライク』のことだが、ドイツ語においてはストライキのみを意味する単語である。
なので技の命名としては少々不適なのだがツッコまずにおいた。
響きがカッコいいからそれでいいのだ、きっと。
差し出された手を取る。
夕弦の時はえらい目にあった反省もあるので、悪戯心はしまっておく。
しかしそこで、士道はこの時まで言い忘れていたことを思い出した。
本来ならもっと早く言っておくべきだったのだが、耶倶矢の登場があまりにも唐突過ぎて失念していたのだ。
「その水着、すごく似合ってる。綺麗だ」
「~~っ!?」
素直な感想を述べて、士道はノルマを達成したかのような気分になった。
その達成感のせいで、顔を赤くした耶倶矢の様子には気づかない。
そして姉妹に「落ち着きがない」と評された彼女のそそっかしさが、これまでどんな場面で発揮されてきたのかにも、また気づかなかった、
風呂場の床は滑りやすく、浜辺では砂に足を取られるのだ。
「――――にょわっ」
果たして倒れこんでくる耶倶矢を全身で受けとめた士道は、そのスレンダーな肢体を余すところなく堪能することになった。
温泉の時と違い完全な密着である。
夕弦と比べて肉感的な魅力は及ばないものの、しなやかさと女子特有の柔らかさが共存する感触もまた、極上だった。
もっとも、士道にそれを楽しむだけの余裕はない。
『今だ、穂村君! イけっ、イクんだ穂村君ッ!』
何やらインカムの向こうが騒がしいが、そちらに意識を傾ける余裕もない。
耶倶矢の方はさらに輪をかけて余裕がないらしく、眼前に迫った真っ赤な顔とグルグルした瞳がそれを示していた。
こんな状態になった後に起こることを、もう二回ほど体験しているのだ。
(もう、このままキスしたらどうにかならねえかな……)
次の展開が大体読めた士道は、諦念気味にそんな川越チックな考えをした。
そして大方の予想通り、直後に風をその身に受けて再び宙を舞うことになった。
予想と違う部分があったとしたら、それは打ち上げではなく斜方投射だったことか。
遠ざかっていく砂浜を、遠い目で見つめる。
夏空に放物線を描いた後、海面に大きな水柱が立った。
「うぅ……ご、ごめん」
浜辺に座り込んだ耶倶矢が、消え入りそうな声で謝罪の言葉を発した。
士道が彼女に吹き飛ばされて水柱を立てたのはこれでもう三度目だが、その態度は昨夜の温泉での一件を思わせるものであり、あの時の涙を思うとどうにも怒る気にはなれない。
同時に脱衣所の暖簾を入れ替えるという耶倶矢の暴挙も思い出したが、口には出さずにおいた。
それはそれとして、今回は注意が必要だろう。
口の端を歪めて笑みを浮かべると、士道は膝を抱える耶倶矢の額を指で軽く弾いた。
「まぁ、俺以外にはするなよ? 大事になるからな」
「う、うん……ありがと。今度はもうちょっと控えめにする」
控えめというか、出来ればやらないでくれた方がありがたいのだが、こうして歩み寄りの言葉が聞けただけで良しとするべきだろう。
何故なら耶倶矢の言葉は、これから先に対するものだ。
次があるということは、彼女の思い描く未来の端に士道が加わったことに他ならないのだから。
しかし、その未来という言葉に顔を曇らせる。
視線の先には、砂浜の中に堆く盛り上がった山――夕弦と共同制作した砂の城の残骸である。
波にさらされて崩れ去ったその跡は、夕日に照らされて殊更に物寂しく映った。
形あるものはいつか崩れるのが運命とはいえ、
「ああ、そういえば」
「士道?」
士道は立ち上がると、持参した荷物の中から自分の携帯を取り出した。
すれ違いが続いている今でも、彼女がここにいたことを示すことができるものがあったはずだ。
それを画面に表示させると、耶倶矢に差し出す。
受け取った耶倶矢は目を見開かせてから、泣き出しそうな笑顔を浮かべた。
「そっか……夕弦、ここにいたんだ」
言葉はそれっきりで、その代わりにしばらく鼻をすする音が続く。
その間、士道は夕日を眺めて過ごした。
「……ね、これの使い方教えてよ」
「写真なら俺が撮ろうか?」
「いーから! 自分でやってみたいの!」
「はいはい、わかったよ」
一通りカメラの操作を教えると、耶倶矢は何度か試したらすぐに使い方を覚えてしまった。
同じ精霊でも十香は大分苦戦していたが、そこは個人差だろう。
一体何を撮るつもりなのか……水平線に差し掛かろうとする夕日に目を眇める。
夕空と海面に反射する光には昼の様子とはまた違う、郷愁を誘うような趣きがあった。
この景色を写真に収めたいというのなら、気持ちはわからなくもない。
士道がノスタルジックな気分に浸っていると、背中に軽い衝撃と共に慎ましくも柔らかな感触。
何事かと振り返ろうとして、すぐ横に耶倶矢の顔があることに気づく。
どうやら、後ろから抱きつかれているような格好になっているようだ。
そう認識したら素肌の密着に気恥かしさがこみ上げてくるが、それ以上に困惑が強い。
耶倶矢の顔が赤く見えるのは、恐らくは夕日のせいではないだろう。
一体何を考えてこんなことをしたのか……かざすように構えられた携帯がその答えを示した。
自撮り写真――士道がその意図に気づくと同時にフラッシュがたかれる。
目的を果たして体を離した耶倶矢は、嘲笑めいた笑みを浮かべて大仰に手をかざした。
「くく……慌てふためく貴様の顔は滑稽であったぞよ」
「ぞよ? あー……前から思ってたんだが、その喋り方、なんか無理してないか?」
「う、うっさいわ! 噛んだだけだし! 無理なんかしてないし!」
そんな態度で捲し立てていては、あまりにも説得力が感じられない。
士道の視線からそんな考えを感じ取ったのか、耶倶矢は「うぐっ」と息を詰まらせた。
それから小声で呟くように話し始める。
「ま、まあ……私、精霊で超凄いわけじゃん? だったらやっぱそれなりの威厳というか、そういうのが必要なわけで……と、とにかくそういうことっ」
「そういうもんか……?」
確かに精霊は強大な力の持ち主だが、威厳とかそういう印象はあまりない。
強いて言うのなら、周囲の全てが敵だと思い込んでいた時期の十香がそんな雰囲気を発していたのかもしれないが、今ではすっかり食べることが大好きな可愛い女の子である。
他は飲んだくれだったり、猫相手に「にゃあにゃあ」言ってたり、姪っ子だったり、尋常でないレベルの引っ込み思案だったりと、少々威厳という言葉にはそぐわない。
司令官としての琴里は立派だとは思うが、それは精霊であることとイコールではない。
狂三は体面を気にしている節があるので、耶倶矢と似たような考えなのかもしれない。
そして節々で覗かせる一面が、それを台無しにしているところまで共通している。
もっとも、面の皮の厚さという意味ではあちらの方が断然上手のようだが。
目の前の少女は迂闊というか、落ち着きがないという言葉が似合いすぎる。
夕弦にしても独特すぎて、威厳とかそういう感じではない。
あと一人、栗色の髪の少女の姿が頭をよぎったが、彼女は日常と精霊としての姿とのギャップが大きすぎる。
転入してきてから一ヶ月と少し経つが、未だによくわからないというのが正直な感想だった。
「あーもう、めんどくさいからこのままでいく! はい、これ返すね」
威厳を装うことをやめた耶倶矢は、貸した携帯を差し出してきた。
受け取って表示された自撮りの写真画像を見ると、不意打ちを食らったせいか士道は何とも間の抜けた顔をしていた。
ただ、慣れない真似をしたせいなのか、耶倶矢も同じ程度には面白い顔をしている。
どういうつもりで撮ったのかははっきりとしないが、やはり夕弦に対抗してだろうか。
「写真、夕弦に会ったら絶対見せてよね。そしたらあいつもきっと本気になるから」
「本気って、あいつが今まで手を抜いてたってのか?」
「だってそうじゃん。夕弦が本気なら、今頃士道がメロメロになってないわけないんだから」
「いや、メロメロってな……」
「そしたらさ、私たちの勝負にも決着が着くわけじゃん?」
「でもそれって――――」
「うん、夕弦の勝ちで、私の負け。真の八舞を決める勝負が欠番の一〇〇番目って、結構上がる展開じゃん?」
「そういうことじゃなくてだなっ、お前たちの負けた方は、消えちまうんじゃないのかよ!?」
耶倶矢があまりにも自然に自分の敗北を受け入れるような態度を取るものだから、士道は思わず声を荒げてしまった。
しかし彼女はあくまで穏やかな顔のままで、あまつさえ笑ってみせた。
それは単純な諦念とは違う、静かながら決意のこもったものだった。
「そりゃ私も消えたかないけどさ、それ以上に夕弦に生きていて欲しいの。あんな態度取ってたから、士道は気づかなかったかもだけど」
「いや、割りとバレバレだったけど」
「えっ、ウソ!? そんなにわかりやすかった!?」
「なんというかまぁ、コンビネーションも抜群だしな」
「それはアレ! 夕弦が合わせるのが上手なだけ! まぁ、ちょっと鈍臭いとこはあるけど……私が上手く負けようとしても全っ然攻めてこないし! でもあいつ、本当に凄いんだから」
それから耶倶矢はいかに夕弦が凄いかを語る。
その話を聞く中で、士道の決意はより固くなっていった。
耶倶矢には悪いが、夕弦だけを生き残らせるという選択肢は選べそうにない。
「却下だ。そんなもん話にもならない」
「はぁ? 何今の、私の聞き違い? 士道は黙って夕弦を選べばいいのよ」
「却下だって言ってんだよ。お前が消えてあいつだけが生き残る? 馬鹿を言うのも大概にしろ」
「……言っとくけど、これはお願いじゃなくて命令よ。言うこと聞かなかったら、あんたなんてこの島ごと吹き飛ばしてやるんだから」
その脅すような眼光と声は、彼女が精霊であると思い出させるのに十分な効果を発揮した。
確かに、これだけ姉妹を大切に思っているなら本当にやりかねない。
あの取って付けたかのような尊大な言動よりも、余程威厳が滲み出ている。
余人ならば慄くところかもしれないが、幸か不幸か士道にはこれまで精霊と対峙してきた経験がある。
耶倶矢の手を握ると、威圧を意に介さずに詰め寄った。
この対応には、逆に耶倶矢の方が怯むこととなった。
「どうしてどちらかしか生き残れないなんて決め付ける! お前もあいつも生き残る――――正解なんてそれしかないだろうがっ!」
「――っ、だからそれは出来ないって言ってんじゃん! それが私たちが生まれた時から決まってる運命なんだからっ!」
「じゃあ俺がそれを変えてやる!」
「そんなのっ、ただの人間に何が出来るって言うのよっ!!」
「――――そのただの人間が、お前らにちょっとだけとは言え本気を出させたのを忘れたのか?」
士道の言葉に耶倶矢はハッとした表情になるが、次の瞬間には首を横に激しく振った。
納得できないのは仕方がないし、その根拠を今ここで示すこともできない。
それでも士道は振り払われた手を握りしめて、言葉を重ねた。
「……だからさ、その本気の分だけ俺を信じてくれないか?」
「そんな簡単に何とかなるぐらいなら、こんな悩んだりするわけないじゃん……だから信じない、信じられるわけない――――」
しかし耶倶矢はこちらに背を向けてしまった。
離れていく背中に追いすがろうとするが、これ以上は言葉が見つからない。
そもそもこんな事態になったのは自分が熱くなりすぎたせいであり、一旦あのまま黙って受け入れていれば良かったのかと後悔が募る。
立ち尽くす士道に対して、耶倶矢は去り際に振り返らないまま――――
「でも、あんたがそんなに言うならちょっとだけ……二〇%ぐらいは期待しておく」
その後は文字通り、風のように消えてしまった。
それを見送ってから士道は頭を掻くと、ボヤくように呟いた。
「……なぁにが謙遜だよ。思いっきり逆じゃねえか」
二人の運命が精霊の力そのものにあるのなら、封印を施すことで何とかなるかもしれない。
しかし、片方だけ先に封印しては、残された方に何か悪影響が出る可能性も否定できない……これは士道の推測なので、後で専門家の意見を仰ぐべきだろう。
とりあえずはまず、二人を引き合わせることを目標に据えるべきか。
自分の手を、その上に乗せられた目に見えない何かをそっと握り締める。
全幅の五分の一程度とはいえ、期待は期待だ。
それを思えば、この手に握らされた選択権の重さも多少は気にならなくなる。
士道は立ち上がると、夕風の中で大きく背中を伸ばして息を吐いた。
『お疲れのようだね、穂村君』
「すみません。また俺、暴走しちゃったみたいで」
『ははは、ああやって感情的になれるのも若さの特権だよ』
若さとは言うが、二十代の後半ともなれば、それは大人気ないという言葉に置き換わるのではないだろうか。
それとも、川越から見たら士道もまだまだ若い部類に入るのかもしれない。
少々デートの最中の指示に強引な面も見受けられるし、琴里のストーカー予備軍疑惑もあるが、彼が人生の先輩であることもまた事実なのだ。
『それに君のサポートは我らの使命と言っても過言ではない。気にすることはないさ。勿論、司令に私の活躍を話してくれる分には一向に構わないがね!』
「は、はぁ……」
こちらの気をほぐすための冗談ともとれるが、本気である可能性も否定できない。
返答に困った士道は、生返事をするしかなかった。
あまり考えたくはないが、もし琴里に対してあの
眉間を揉みほぐしながら、思いすごしであることを祈るのだった。
「耶倶矢がどこへ向かったか確認できますか?」
『旅館へ向かったようだ。もうじき日が落ちる。君も戻ったほうがいいだろう』
「わかりました」
『ひとまず村雨解析官と合流してくれ。我々だけでは少々判断に困ることがあってね』
「トラブルですか?」
『ううむ、トラブルというわけではないのだが……ああいや、詳しくはまた後にしよう』
ただ話すだけならばインカムで済むはずだが、直接会って確かめたいことがあるのだろうか。
確かに士道がいなければ令音は自由に動くことができない。
これからはまた旅館に戻って大っぴらな行動はできなくなるだろうが、あのエレン・メイザースが何かしないとも限らない。
なるべくなら、士道か令音のどちらかが旅館にいる状態が望ましいのだ。
了解の意を伝え、士道は荷物をまとめるとバイクに跨り、自分の後ろに目を向けた。
背中がやけに寒く感じるのは、ここに来る時と違って一人だからだろうか。
「う~ん…………」
自分と入れ替わりに出て行った令音を見送ってから、士道は唸りながら旅館の廊下を行ったり来たりしていた。
傍目から見たら不審なことこの上ないが、別のことに気を取られているせいで従業員からの視線にも気づかない。
ひそひそ話も、耳に届かなければ当人にとってはないも同然なのだ。
川越が霊波反応を追って、耶倶矢がこちらに戻ってきていることは確認済みだ。
その際に難しい声で唸っていたが、そっち方面に関しては門外漢もいいところなので、令音に任せるしかない。
教師としての仕事は勿論、十香の様子に気を配ったり、要注意人物に警戒したりと士道のやることはそれなりにあるが、今一番気になっているのは耶倶矢の様子だった。
しかしあれ以上かける言葉も見つからない……というか、また同じことの繰り返しになりかねない。
この旅館内で霊力を解放されてはシャレにならない被害が出るので、やはりそっとしておくべきだろうか。
ああでもないこうでもないと思い悩む士道の背に、静かな声がかけられる。
「通報。不審人物を発見しました」
「いきなり通報から入るのは勘弁してくれないか!? ……って、お前――――」
あまりの人聞きの悪さに、士道は悲鳴じみた叫びを上げた。
それはまぁいい……わけではないが、それより自分に声をかけてきた少女への驚きが隠せない。
制服に着替えた夕弦は、口をあんぐりと開けた士道を見上げると、首を傾げた。
「疑問。夕弦の顔に何か付いているのでしょうか?」
「いや、顔に何か付いてるっつーか……」
「謝罪。先程は申し訳ありませんでした。しかしあのように迫られては、いくらマスターの教えがあるとはいえ夕弦も心の準備が間に合いません」
「待った、何だか身に覚えのないエピソードが追加されてないか?」
何を思い出しているのか頬を染める夕弦に対して、士道は額に汗を滲ませた。
謝罪の方は身に覚えがあるのだが、そちらに関係する場面で特に迫った覚えがないのだ。
まぁ、浅瀬で遊んでいた時は夕弦の胸元に顔を埋めた結果、水柱を立てる羽目になったのだが、それとこれとは関係ないだろう。
先程の別れ際にあったことと言えば、水着姿を褒めたぐらいだが……その際に夕弦の上着を脱がせたことを思い出して、士道は息を詰まらせた。
(いやいや、あれは向こうが脱がせてくれって頼んできたんだし……)
確かに衣服を脱がせにかかったというならば、そう取られても仕方がないかもしれないが、士道としてはやましい気持ちはほぼなかったし、そもそもあれは夕弦から頼んできたことだ。
どうやら『マスター』とやらの差し金のようだが、誰か生徒と友達にでもなったのだろうか。
それ自体は悪い事ではないが、妙な事を教えるのは勘弁してもらいたい。
あの飲んだくれや狂三に紗和、七罪のように人間社会に詳しい精霊がいる一方、十香のように無垢な精霊もいる。
八舞姉妹は多種多様な勝負のおかげか妙なことに詳しかったりするが、人間と接触した経験はほとんどないだろう。
十香ぐらい素直にとはいかないだろうが、突飛な事を言われたとして、そのまま信じてしまう可能性もある。
精霊の交友関係について士道が難しい顔で唸っていると、周囲から突き刺さるような視線が飛んできていることに気が付く。
見渡すと、士道と夕弦を取り囲むように人垣ができているのだった。
生徒のみならず、旅館の従業員までこちらに凄い目を向けてきていた。
(成程、いつものやつだな……!)
この状況に物凄い既視感がある士道は、冷や汗を流しながら手を打った。
人垣の中に
こんな状況では落ち着いて話すこともできないので、夕弦の手を引いて脱出を図る。
これ自体が誤解を招きかねない行為だというのはもっともだが、内心穏やかではない士道には、残念ながらそれに気が付くだけの余裕がなかった。
幸いあの三人娘がいなかったため、追ってくる者はおらず、脱出は容易に済んだ。
そうして人気のない廊下の外れに辿り着いて、大きく息を吐く。
「警戒。このような場所に連れこんで、一体夕弦に何をするつもりなのですか?」
「いい加減そっち方面から意識を外そうな!?」
士道の必死の懇願もあってか、夕弦は警戒を解いてくれた。
そこまで警戒を招くようなことをしてきたのだろうか……士道は少しだけ落ち込んだ。
ともあれ、これでようやく本題に入ることが出来る。
「耶倶矢もこっちに来てるみたいだけど、もう顔は合わせたのか?」
「悄然……いえ、耶倶矢の気配は感じたのですが……」
「……そうか」
半ば予想していた事ではあるが、二人の入れ違いに士道は声にやるせない思いを滲ませた。
まるでこれが変えようのない運命なのだ、と突き付けられている気さえしてくる。
しかし、士道はついさっき耶倶矢に対して啖呵を切ったばかりだ。
それに誰かが落ち込んでいるのを放っておくのは、単純に性分に合わない。
携帯を取り出すと、耶倶矢と一緒に取った写真を表示させる。
「瞠目。これは……」
「お前がいなくなった後にあいつも海に来てさ、それでさっきまで一緒に遊んでたんだよ」
「安堵。そうですか……耶倶矢は確かにこの島にいるのですね」
写真を見て、夕弦は頬を緩めて穏やかに笑った。
その顔を見て、士道は耶倶矢の言葉を思い出した。
『そりゃ私も消えたかないけどさ、それ以上に夕弦に生きていて欲しいの』
それを伝えたとして、夕弦はどんな反応を見せるだろう。
喜ぶのか、怒るのか、悲しむのか、それとも……
「順調。どうやら耶倶矢は上手くやっているようですね」
「上手くやっている? 何の話だ、それ」
「説明。もちろん、我々の一〇〇番目の勝負についてです。士道も耶倶矢のかわいさに辛抱堪らず、このような写真を撮ったのでしょう?」
「いや、それは思いっきり誤解なんだが……」
この写真は耶倶矢が夕弦を焚きつけるために撮ったものだ。
これを見せれば本気を出すと言っていたが、窓から差し込む夕焼けの光に照らされた夕弦の表情はあくまでも穏やかで、そんな様子は見られない。
そこに、自分の姉妹へ勝ちを譲ろうとする耶倶矢が見せた表情が重なった。
「自明。口ではなんと言おうと、士道が耶倶矢にメロメロなのはこの写真を見れば明らかです」
「メロメロって、お前ら揃って――――」
そこで、士道はとある考えに行き着いた。
言葉だけじゃなく、二人の態度には共通するものがある。
それは穏やかな顔の下にある、決意とでも呼ぶべきものだ。
だから、これから夕弦が言おうとしていることにも気づけた……いや、気づいてしまった。
「確信。やはり真の八舞に相応しいのは耶倶矢をおいていません。だから、士道は耶倶矢を選ぶべきなのです。まぁ、迂闊で詰めの甘い所はありますが……どれだけ黒星を稼ごうとしても、まったく攻めてこずに夕弦がどれだけ焦れたことか」
それから士道の予想通り、夕弦は耶倶矢がいかに凄いかを語った。
声を荒げるところをすんでのところで留まったのは、少し前の自分自身の二の轍を踏まないように必死に抑制したからだ。
夕弦への配慮もあるが、この場でもし霊力を解放するようなことがあれば、旅館が吹き飛びかねない。
その代わりに、拳を強く握り締める。
そんな士道の様子に気づくこともなく、夕弦は耳元に口を寄せ、囁くように言ってきた。
「確認。耶倶矢を選ばなければ、どうなるかはわかりますね? さもなくば、この島ごとあなたを吹き飛ばしてみせましょう」
耶倶矢と比べると淡々とした口ぶりだが、脅しの文言はそっくりだった。
それは二人の確かなつながりを感じさせるもので、士道はそこに喜ぶべきか嘆くべきか、何とも複雑な感情を抱いた。
だけど、拳の力は幾分か抜けてくれた。
自分の言いたいことだけ言って去ろうとする夕弦の手を掴んで引き止める。
「なぁ……もしなんだけど、第三の選択肢があるって言ったらどうする?」
「困惑。第三の……? それは一体どのようなものなのでしょう?」
「そんなの決まってるだろ。お前も耶倶矢もいなくならずに済む、そんな選択だよ」
「懐疑。そのような方法があるとは思えません。だけど――――」
夕弦は何かを想像するように少しだけ目を閉じてから、微笑んだ。
「――――それが現実となったなら、きっとこの上なく素敵な結末でしょう」
夕食後のレクリエーションも滞りなく終わり、修学旅行二日目の自由時間の最中。
昨夜と同じように、というかようやく落ち着いて温泉に浸かることのできた士道は、宿泊のために割り当てられた部屋にて思い切り脱力していた。
室内は暗いままだが、差し込んだ月明かりが淡く輪郭を照らし出す。
慌ただしかった日中とのギャップに、静かな部屋の中で一人放念の息を吐き出す。
同室の令音はまだ戻ってきていない。
やはり何らかのトラブルに見舞われているのだろうか。
気がかりではあるが、こちらに用があればインカムか携帯に連絡が入るだろう。
ひとまず、信じて待つこととする。
「十香のやつ、楽しめたかな」
静かな室内でまず、士道は一人の精霊の少女の事を思い浮かべた。
この修学旅行中、あまり一緒にいることが出来なかったため、少し心配していたのだ。
あの亜衣麻衣美衣の三人娘と一緒にいたようだから、少なくとも退屈はしていなかったとは思うが……あの三人は士道にはやたらと当たりが強いが、十香には物凄く優しい。
扱いの差を思うと涙が出そうになるので、それ以上は考えるのをやめておく。
次に思い浮かべたのは、二年四組の生徒、鳶一折紙のことだった。
普段が普段だけに、この修学旅行中にあまり接触がなかったのは少しだけ気になった。
まぁ、この南の島というロケーションは日常からかけ離れたものだ。
彼女にしてもハメを外して遊びたくなることもあるだろう。
そう考えはしたが、友人とはしゃいでるような姿はあまり想像できなかった。
そもそも、士道は彼女が友人と共に行動しているところを見たことがない。
少々特殊な立場ゆえというのはあるだろうが、交友関係はどうなっているのだろうか。
折紙の友人といえばやはり、似たような性格の持ち主だろうか。
あまり表情を動かさない様は、夕弦と重なる印象がある。
引き合わせてみたら意気投合という可能性だってある。
十香とは何かと折り合いが悪い折紙だが、別の精霊と仲良くなることでその認識が変わる切っ掛けが訪れるかもしれない。
それから、白と黒の精霊の事や、最強の魔術師の事、それから淫行教師呼ばわりされている現実からは目を背け、最後に八舞姉妹の事を考える。
あの二人は自分の命を投げ出せるほどに互いが大切で、それ故に自分から勝ちを譲るつもりでいる。
不幸なのは、お互いに相手の意図を知らずにそうしようとしていることか。
いや、たとえ互いの意図を知って共に在ることを望んだとしても、それが叶わないのだと突きつけられるなら余計に絶望してしまうのではないだろうか。
運命、という言葉が頭を過ぎる。
言葉の上だけでなく、そんなものが実際に存在するとして、それは立ち向かうのが馬鹿らしくなるぐらいどうしようもないものなのだろう。
それでも士道はあの二人の想いを知り、あの二人の涙も見てしまった。
理由なんて、それだけで十分だったのだ。
自分にその運命を変えることができるかはわからない。
仮説のようなものはあるが、確証はない。
やはりここは、そこらの事情に詳しい人物に意見を仰ぐべきか。
考え事に沈んでいると、不意に部屋が明るくなる。
「……電気も点けないで、考え事かな?」
この眠たげな声の持ち主は、二重の意味での同僚にして、どういうわけか同室の村雨令音だ。
ふらついている足元も、顔色の悪さも目の下のクマも普段通りだが、その表情はいつもより硬いように見えた。
その理由については心当たりがある。
やはりあちらで何らかのトラブルがあったのだろうか。
士道がその事について言及すると、令音は少し考え込んでから八舞姉妹の様子を訊ねてきた。
二人は相変わらずのすれ違いを続けていて、全く以て顔を合わせる気配がない。
細かい事情を抜きにしてそう伝えると、再び考え込んでしまった。
彼女の含みのある様子は気になるが、士道にも訊ねたい事があった。
いずれは一人になるのがあの二人の運命ならば、封印を施すことでそれを回避できるのではないか……というのが士道の仮説だ。
しかし二人揃った状態じゃないと、封印に何らかの不具合が生じる可能性がある。
普段から精霊の状態を解析してモニターしている令音ならば、何らかの知見を授けてくれるかもしれない。
令音は目を伏せて首を横に振ると、おもむろに口を開く。
「……結論から言うと、君の心配は杞憂だ。いつも通り好感度を上げてキスをしたら、それで無事封印できるだろう」
「良かった……それならあの二人は――――」
「……いいや、君が相手をするのは一人だけだよ」
それは片方に封印を施せば、もう一人にもその影響が及ぶということだろうか。
だとしたら士道の苦労も多少は軽減されるのだが、どうもそういうわけではなさそうだ。
その含みのある口ぶりに、漠然とした不安が募っていく。
それを紛らわすように握り締めた手の中に、汗が滲む。
そして令音は、端的に事実を述べた。
「……この島に訪れた風の精霊――〈ベルセルク〉は、最初から一人しかいなかった」
その言葉に対して理解が及ばない。
それでも、理解の前に納得が先行した。
今までの出来事を俯瞰して眺めれば、おかしい部分は自ずと見えてくる。
いくら何でも同じ場所にいながら、あそこまで顔を合わせないのは不自然なのだ。
そしてそれの意味することは一つ。
「……彼女たちの勝負は既に決着している。真の八舞は、とっくに誕生していたんだ」
つまるところ、もう何もかもが手遅れだったのだ。
というわけで終了。
次こそは来週中に更新したい。