士道くんが淫行教師と謗られながら精霊をデレさせる話   作:kish

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三週間とちょっとぶりにこんばんは。
いつもより投稿が遅れたのには、仕事で忙しかったという言い訳を用意してあります。


月下に蠢く者たち

 

 

 

「――――」

 

 気がつくと夜空を見上げていた。

 見上げる空には月が昇り、地上にはその柔らかな光が降り注ぐ。

 静かで穏やかな夜の空気の中にはしかし、何かが決定的に掛けていた。

 そう、ここにはいつも共に在ったはずの半身がいないのだ。

 

「夕弦……?」

 

 たった一つの存在の座を賭けて競い合う、けれども何よりも大切な彼女の名を呟く。

 気配は感じられるのに、周囲にその姿を確認することができない。

 頭に手を当て、朧げな記憶を辿る。

 真の八舞を決めるための一(・)五(・)〇(・)回(・)目(・)の勝負の内容は、シンプル極まるぶつかり合いだった。

 ただ強い方が勝つ……そんな始点に立ち返った実力比べの末に、自分たちは――――

 

「――っ」

 

 どうしようもない不安に苛まれ、風を纏ってその場から飛び出す。

 その勝負の結末は記憶から抜け落ちている。

 けれどひょっとして、もしかすると、自分は……勝(・)っ(・)て(・)し(・)ま(・)っ(・)た(・)の(・)で(・)は(・)な(・)い(・)か(・)。

 不安はやがて焦燥へと変わり、それでも否と耶倶矢は首を振った。

 こ(・)ん(・)な(・)に(・)も(・)近(・)く(・)に(・)感(・)じ(・)ら(・)れ(・)る(・)の(・)だ(・)か(・)ら(・)、絶対にどこかにいるはず。

 周囲にあるものをなぎ払いながら、その姿を探して飛び回る。

 だって、そんなはずあるわけがない。

 彼女は少し鈍臭く愛想がないところはあるが、従順でスタイルが良く、風の精霊に相応しい速さの持ち主だ。

 それを差し置いて、自分が生き残っていいはずがない。

 いや、そんなものは建前に過ぎない。

 自分は何より、彼女にただ生きていて欲しかったのだ。

 溢れそうになる涙と絶望を必死に堪えようとその場に立ち止まり、そしてそのまま、糸の切れた人形のように立ち尽くす。

 耶倶矢の顔からは一切の表情が消え、虚ろな瞳で俯いたまま地面を見つめ続ける。

 

「――――あ」

 

 しばらく立ち尽くしていた耶倶矢は、何か刺激を受けたかのように目を見開いて身動ぎをした。

 そして次の瞬間、その輪郭が靄を纏うかのように曖昧になっていく。

 

 

 

 

 

「――――」

 

 気がつくと夜空を見上げていた。

 見上げる空には月が昇り、地上にはその柔らかな光が降り注ぐ。

 静かで穏やかな夜の空気の中にはしかし、何かが決定的に掛けていた。

 そう、ここにはいつも共に在ったはずの半身がいないのだ。

 

「朦朧。耶倶矢……?」

 

 たった一つの存在の座を賭けて競い合う、けれども何よりも大切な彼女の名を呟く。

 気配は感じられるのに、周囲にその姿を確認することができない。

 頭に手を当て、朧げな記憶を辿る。

 真の八舞を決めるための一(・)五(・)〇(・)回(・)目(・)の勝負の内容は、シンプル極まるぶつかり合いだった。

 ただ強い方が勝つ……そんな始点に立ち返った実力比べの末に、自分たちは――――

 

「――っ」

 

 どうしようもない不安に苛まれ、風を纏ってその場から飛び出す。

 その勝負の結末は記憶から抜け落ちている。

 けれどひょっとして、もしかすると、自分は……勝(・)っ(・)て(・)し(・)ま(・)っ(・)た(・)の(・)で(・)は(・)な(・)い(・)か(・)。

 不安はやがて焦燥へと変わり、それでも否と夕弦は首を振った。

 こ(・)ん(・)な(・)に(・)も(・)近(・)く(・)に(・)感(・)じ(・)ら(・)れ(・)る(・)の(・)だ(・)か(・)ら(・)、絶対にどこかにいるはず。

 周囲にあるものをなぎ払いながら、その姿を探して飛び回る。

 だって、そんなはずあるわけがない。

 彼女は少し迂闊で強がりなところはあるが、一途で肌が綺麗で、精霊という強大な存在に相応しい力強さの持ち主だ。

 それを差し置いて、自分が生き残っていいはずがない。

 いや、そんなものは建前に過ぎない。

 自分は何より、彼女にただ生きていて欲しかったのだ。

 溢れそうになる涙と絶望を必死に堪えようとその場に立ち止まり、そしてそのまま、糸の切れた人形のように立ち尽くす。

 夕弦の顔からは一切の表情が消え、虚ろな瞳で俯いたまま地面を見つめ続ける。

 

「――――あ」

 

 しばらく立ち尽くしていた夕弦は、何か刺激を受けたかのように目を見開いて身動ぎをした。

 そして次の瞬間、その輪郭が靄を纏うかのように曖昧になっていく。

 

 

 

 

 

「あ、あ……あああああ――――」

 

 そうして灰色の雲に覆われた空の下、無残にも嵐によって薙ぎ払われた無辺の野原にて、一人の少女が呻くように声を上げた。

 その身に拘束具のような衣服を纏い、橙色の長い髪と襟巻(マフラー)を吹き荒ぶ風にたなびかせた、長身の少女である。

 光を宿さぬ水色の瞳には、ただただ虚無が蟠るのみ。

 その目の端から感情の名残である雫がこぼれ、頬に一筋の軌跡を残していく。

 自分が何者で、何故ここで佇んでいるのか。

 それを正しく認識するだけの思考能力さえ、今の彼女は持ち合わせていない。

 或いは、それを認めてしまえば自分はどうしようもなく壊れてしまう、という無意識からの防衛本能だったのかもしれない。

 少女は廃人の如き様子で、失った何かを求めておぼつかない足取りで歩き出した。

 しかし、自分が何者かも、失くした物さえもわからないのに、探し物が見つかる道理はない。

 目標の定まらない彷徨の末に、やがて少女は足を止めた。

 その瞳には悲憤も失望も諦念も絶望もなく、やはり虚無だけが蟠る。

 

「――――〈颶風、騎士(ラファエル)〉」

 

 虚ろな声で無機質な両翼を広げると、少女は何処かへと飛び去っていった。

 

 

 

 

 

 まず初めに、士道が運んできた夕弦を見たときに令音が覚えた印象は、揺(・)ら(・)い(・)で(・)い(・)る(・)、だった。

 かつて霊結晶(セフィラ)を与えた時、八舞という少女は確かに一人の人間だった。

 それがああして二つに分かれたのは何らかのエラーか、元来持ち合わせていた身体的、もしくは霊的な素養が霊結晶(セフィラ)の獲得によって開花したのか。

 何にしてもその状態で安定しているのなら大きな問題はないし、士道の話から二人の勝負が決着したらいずれは一つに戻ることも分かっていた。

 だがしかし、こうして現れた彼女は存在として揺らいでいた。

 原因は決着が先延ばしになっているせいで、元の姿に戻るのに支障が出ているせいか、それとも――――その具体的な可能性に思い至ったのは、修学旅行二日目の朝のことだった。

 その前の夜に、船舶にて遅ればせながら或美島に到着した〈ラタトスク〉の機関員と連絡を取りつけた令音は、夕弦と入れ替わりに現れた耶倶矢の霊波反応を調べていた。

 夕弦と同様の存在の揺らぎに対して、少しでも情報を得るためだったが、偶然発見したその動向には看過できないものがあった。

 夜の自由時間の際に、十香と一緒に士道の衣服を届けに来たのはまぁいい。

 士道がタオル一枚で戻ってきたことから、恐らく温泉で何かがあったのだろうが、ユニットバスでの様子からそう大した事ではないと察することはできた。

 問題は一度旅館の外に出ていた彼女の反応が、自分たちの泊まる部屋へと入っていったことだ。

 夜這いが目的かと一瞬考えたが、過去のたった一度の遭遇と今回の短時間の接触だけで、そこまでの想いを寄せているとは思えない。

 

(……いや、彼ならばやりかねないかもしれないが)

 

 しかし事前にたっぷりと発散させておいたので、士道に受け入れる余地があったとは思えない。

 それに日中の疲労もあったはずだ。

 部屋を出る前はぐっすりと眠っていたので、尚更だろう。

 他方で彼の身の安全の心配はあったが、炎の精霊の力を始めとした幾重もの守りがある。

 そもそも、彼女がその気ならば旅館ごと吹き飛ばして終わりだろう。

 なので様子を確かめに行きたいところを堪えて、ついでに他の雑事を片付けた頃には既に日が昇っていた。

 遅ればせながら、そのタイミングで小型カメラを飛ばせば良かったことに気がついたのは、あまりにも迂闊だったと言わざるを得ない。

 ともかく、ようやく部屋に戻った令音の目に飛び込んできたのは、台風でも巻き起こったのかというぐらい荒れた部屋の惨状と、鎖で縛られて芋虫のようになった士道と、ベッドに腰掛けたままそれを足蹴にする夕(・)弦(・)の姿だった。

 そう、昨夜から追っていた耶倶矢の反応は、蓋を開ければ夕弦のものだったのだ。

 その事実と、彼女たちの存在の揺らぎが示す真実は――――それでもまだ、確信には至らない。

 実際にそうなる場面を見たわけではないし、令音が部屋に向かっている最中に入れ替わった可能性もある。

 もし〈フラクシナス〉に積んでいるだけの機材があれば、より詳細を確認できただろうが、この際贅沢は言っていられない。

 次の機会には、より確度の高い情報が得られるよう手配する必要があるだろう。

 そうして確証を得たのは、修学旅行二日目の夕刻のことだ。

 川越から報告を受けた令音は、再び同じ現象が起きていると悟った。

 報告の内容は『一旦プライベートビーチを離れて戻ってきた時には、夕弦が耶倶矢に入れ替わっていた』というものだ。

 この時も同じく、霊波反応のみを追っていたので決定的な瞬間が確認できたわけではない。

 そこで令音は、次に耶倶矢が士道から離れたタイミングで、小型カメラでその動向を追うように要請した。

 これが洋上に移動されたのなら追う術はないが、幸いなことに彼女が向かったのは旅館だった。

 もしもう少しだけ離れた場所だったら、カメラはその決定的な瞬間に間に合わなかっただろう。

 それから〈ラタトスク〉の機関員と再び合流した令音は、その瞬間の記録映像を目の当たりにして、確信に至ったのだ。

 風の精霊・八舞姉妹は、一(・)つ(・)の(・)体(・)を(・)共(・)有(・)し(・)て(・)い(・)る(・)状(・)態(・)に(・)あ(・)る(・)、と。

 

 

 

 

 

 二年四組の副担任に割り当てられた部屋、机上に置かれたノートパソコンの中で、とある映像が再生されていた。

 小型カメラにて撮影した記録映像である。

 その中には橙色の髪の少女――耶倶矢の姿があった。

 しかし、次の瞬間にはその輪郭がぼやけ、別の姿へと変貌していく。

 橙色の髪に水色の瞳は変わらず、顔の造りも同一と言って良い。

 しかしその表情は対照的で、おまけに体形や髪形まで違う。

 その映像の中で、確かに耶(・)倶(・)矢(・)は(・)夕(・)弦(・)と(・)な(・)っ(・)た(・)のだ。

 信じたくはないが、認めざるを得なかった。

 

「……彼女たちが一体となった理由について、疑問を挟む余地はない。しかし、二つの精神が同じ体に留まっている理由については、考察の余地がある。例えばだが……彼女たちは自分たちの決着についての記憶がないんじゃあないかな?」

「…………その、通りです」

 

 士道は令音の問いに対して、呻くような声で返した。

 二人にその記憶がないのは明白だ。

 自分たちの決着を覚えているのなら、今もああして勝負を持ち出すわけがないのだ。

 そしてその忘却こそが、二人を歪ながらも二(・)人(・)に留めているのだとしたら……

 互いを想った末の、虚しい生(・)か(・)し(・)合(・)い(・)を思う。

 

「……これを彼女たちに知らせるのは避けるべきだろう。精霊・八舞は現在、極めて不安定な状態にある。真実を知った途端、精神の均衡が崩れて暴走しかねない」

 

 耳心地が良いはずの声が、ただ通り抜けていく。

 士道は見開いた眼で震える自分の両手を凝視して、後悔に暮れた。

 

(俺は、二人に何て言った……?)

 

『でも、あんたがそんなに言うならちょっとだけ……二〇%ぐらいは期待しておく』

『――――それが現実となったなら、きっとこの上なく素敵な結末でしょう』

 

 耶倶矢の、夕弦の言葉が頭の中でリフレインする。

 二人は、いずれ一人になるのが運命ならば、相手に生きていて欲しいと願った。

 それでも、その根底にあるのは二人で生きていきたいという願いのはずだ。

 既に決着がついた今となっては、最早叶うはずのない……それを自分はどうした?

 無理矢理に暴き立てて、訪れるはずのない未来を見せて、ありもしない希望を抱かせた。

 この手に握られていたと思っていた選択権は、とっくに有効期限が切れていたのだ。

 自分への失意と憤りを込めて、拳を握りしめる。

 不愉快な音を立てて骨が砕け、皮膚を突き破って血が流れだす。

 その傷を、炎が舐めて癒していった。

 それでもまだ衝動は治まらない。

 そんな士道の激情を包み込むように、そっと背後から手が回る。

 その柔らかな感触には覚えがあったが、昨夜と違って情欲を煽るものではなかった。

 それから少しの間、無言のまま、ただただ優しい抱擁を受け続ける。

 覚えた安らぎの中に、士道は記憶の彼方の母の面影を重ねるのだった。

 

「……あと一つ、君に託さなければいけないことがある」

 

 だがしかし、その後に告げられた言葉は、この上なく残酷なものだった。

 

 

 

 

 

「――はぁっ、はぁっ…………」

 

 茂みに身を隠しながら、エレン・メイザースは乱れた呼吸を整えるように深く息を吸い込んだ。

 そして周囲の様子をうかがい、追手の姿がないことを確認してからホッと胸を撫で下ろす。

 先程の天(・)敵(・)た(・)ち(・)との遭遇は、実に危ないところだった。

 あの三人娘に捕まっていれば、また部屋で過酷な演習に付き合わされていただろう。

 監視対象と同じ部屋に身を置くことは重要かもしれないが、あの三人がいては任務に多大な支障が出る。

 それならば外から機会をうかがった方がマシというものだ。

 いまだに騒ぎ立てる心臓を落ち着かせつつ茂みから出ると、エレンは「ん?」と眉をひそめた。

 その視線の先には、女子生徒と男性教師が連れ立って歩いていた。

 監視対象である夜刀神十香と、何かと忌々しい穂村士道だ。

 こんな夜に、一体何の目的で外へ向かっているのだろうか。

 刹那、エレンの脳に電流が閃いた。

 そう、最近の『調査』でこんなシチュエーションのシーンがあったことを思い出したのだ。

 その通りに事が進むのなら、二人は夜の海を背景に唇を交わし、そして互いに肌を晒して……

 

(な、なんと破廉恥な……!)

 

 頬を染めながら、けしからんと言わんばかりに拳を握り締める。

 漫画で読んだので、エレンは詳しいのだ。

 まぁ、実際想像通りのことが行われるとは限らないのだが、彼女の中ではすっかりそういうことになっていた。

 なにせ穂村士道と言えば、女性と見れば誰彼構わず手を出す(と噂される)男である。

 エレンもその毒牙に幾度となく汚されかけた(個人的見解)経験があるため、最早そこに微塵の疑いもなかった。

 相手は推定で精霊なので命知らずとしか言えない所業だが、記憶処理を施されたならばその認識もないだろう。

 奴が精霊に手を出して消滅したところでDEMに不利益はないが、エレンにとっては雪辱の機会が永遠に失われることを意味する。

 いずれ抹殺するにしても、それは己の所業をたっぷりと後悔させた上で、自ら手を下さねば何の意味もない。

 あくまでついでだが、本性を表した〈プリンセス〉を捕縛する際にその命を拾ってやるぐらいは構わないはずだ。

 何せその命はこちらのものなのだから、勝手に死なれては困るのだ。

 それにこちらがCR-ユニットを纏う姿を見せれば、万が一記憶が戻る可能性も否定できない。

 可能性と呼ぶにはあまりにも低い確率なのだが、その瞬間を想像して一人口角を吊り上げる。

 そこらの私情はさて置いても、夜刀神十香がこの時間帯に旅館を離れたのは明確なチャンスだ。

 エレンは追手(三人娘)を警戒しながら、二人の尾行を開始した。

 

「ターゲットが移動を開始しました。〈アルバテル〉、そちらからも確認できますか? こちらに〈バンダースナッチ〉隊を――――何ですって?」

 

 この島の遥か上空に浮遊する空中艦へ指示を飛ばそうとしたエレンは、オペレーターから上がってきた報告にそれを中断せざるを得なかった。

 精霊を知る者の間で〈ベルセルク〉と呼称される個体たちは、対処の困難な性質もあってか優先対象に設定されている。

 日中に、その現界が確認されたというのだ。

 思わず耳を疑ったが、この島を訪れた直後に巻き起こった嵐といい、その予兆と思われる現象は確かに発生していた。

 その身体的特徴を確認し、唐突に合流してきたあの少女たちこそが風の精霊だったのだと悟る。

 報告を一通り耳にしたエレンは、僅かに眉をひそめた。

 重要な情報であるにも関わらず、報告が遅いと言わざるを得ない。

 そのことについて言及すると、オペレーターは何とも言いにくそうに答えるのだった。

 

『その、日中は執行部長殿も少々お忙しいようでしたので……』

「……ま、まあ、過ぎたことを追求しても仕方がありませんね」

 

 日中の地獄を思い出して、エレンも言葉を濁らせる。

 確かに、報告を受け入れられるような状態ではなかったかもしれない。

 最終的に、その件に関しては不問となるのだった。

 気を取り直して、少しの間考え込む。

 嵐を巻き起こしながら凄まじい速度で移動する〈ベルセルク〉が、一つの場所に留まっているという状況はまたとない機会だ。

 逃す手はないが、かといって〈プリンセス〉を捨て置くわけにはいかない。

 この国には「二兎を追う者は一兎をも得ず」という言葉があるそうだ。

 その意味合い通り、二つの目標を設定した結果どちらも達成できないというのはもっともな話であり、そのような失敗を犯すのは決まって己の分をわきまえない愚か者だ。

 ならば最強の魔術師たる自分は、災害とも称される存在を二つ同時に相手取って、目標を達成できるのか。

 エレンの抱く自負は当然の如く是(YES)と応えるが、シミのように存在を主張する過去の汚点がそれにストップをかけた。

 忌々しい記憶に、エレンの顔が歪む。

 わかっている……あの時のように、ここにこちらを阻む障害は存在しないはずだ。

 

「……優先順位を設定します。まずは本来の任務である〈プリンセス〉への対応を第一に。こちらは私と〈バンダースナッチ〉隊であたります。それと〈ベルセルク〉の方にも数機向かわせてください。私が向かう前に島外へ出る気配があれば妨害すること――――いいですね?」

 

 二兎を同時に追って失敗するのなら、一兎ずつ確実に狩っていけばいい。

 エレンの出した結論はそのようなものだった。

 とはいえ〈ベルセルク〉が本格的に移動を開始したら追跡は困難だ。

 その妨害に〈バンダースナッチ〉を置くにしても、そう時間を稼げるものではないだろう。

 なのでそちらに着手するためには、まず確実性を確保した上で可及的速やかに本来の任務を片付けるしかない。

 そのために何が一番邪魔であるか、エレンは正しく理解していた。

 夜空の下で自身の胸元に手を当て、そっと目を閉じる。

 それは傍から見たら、恋する乙女が相手を想っているようにも取れる光景だった。

 実際に、強い想いを寄せているという意味合いでは正しくはある。

 しかしその中身は、親愛や慕情とは全くかけ離れた感情である。

 今、夜刀神十香の隣を歩く男への執着こそが、任務達成の妨げになるものだ。

 自分が魔術師として戦う姿を見せれば、あの男も記憶を取り戻すのではないか。

 それがありえないと評される程度に低い確率だと承知しながらも、この期に及んで未だにそんな期待を捨てきれないのだ。

 何とも馬鹿げた、子供じみた願望と言ってしまってもいい。

 だから、今回はその考えを封じて任務に徹する。

 それでいいはずだ……拳を握りしめて、エレンは自分に言い聞かせた。

 余計な私情を省くため、そのことに対する思考を打ち切る。

 この島には、他にも不確定要素となる者が複数存在する。

 危険度が高いのは、何を考えてかハイスクールライフを楽しんでいる黒と白の精霊だが、そちらに手を回すのは得策ではない。

 白の方とは、業務執行取締役が個人的に結んだものとは言え協力関係だし、その絡みもあり現状では黒の方に手を出すのは禁じられている。

 仮に〈ナイトメア〉が動くとして、その対処を任せられるのはこちらの手間が省けて結構だが、同時に業腹でもある。

 この二人は放置しておくしかないとして、障害になりそうな者があと一人。

 鳶一折紙……現役のAST隊員の少女だ。

 各国の対精霊部隊には例外なくDEMの息がかかっているが、今回の作戦は秘密裏のものであるため、何かを嗅ぎつけた彼女が妨害に回らないとも限らない。

 ここは念のため、保険が必要だろう。

 インカムで旅館の方にも〈バンダースナッチ〉を手配するよう指示してから、エレンは夜闇の中へと踏み出した。

 その体を淡い輝きが包みこんでいく。

 輝きはすぐに収まり、その中から機械の甲冑とでも表すべき装備を纏ったエレンが姿を現した。

 CR-ユニット〈ペンドラゴン〉……最強に相応しい性能を誇る、最高の武装である。

 その背部から、精霊を討ち滅ぼすための剣を引き抜くと、最強の魔術師は静かに宣言した。

 

「さあ、私たちの戦争を始めましょう」

 

 

 

 

 

 海面に反射した月の光が、淡く散って幻想的な光景を演出する。

 夜の海には昼の陽光に照らされた眩しさとも夕日に照らされた物寂しさとも違う、穏やかで静謐な雰囲気があった。

 浜辺には砂を踏む音と、微かな波の音。

 夜気を含んだ風は日中の暑さとは打って変わって、何とも涼やかなものだった。

 しかし、それでも心中に立ち込めた暗雲を吹き払うには至らない。

 薄く浮かび上がる水平線をぼんやりと眺めながら、士道はあの二人を――――耶倶矢と夕弦……互いに想い合い、しかし二度と触れ合うことが出来なくなった姉妹を思う。

 いっそそれが彼女たちの運命だったと諦めてしまえば、楽になれるだろうか。

 

『……君にとっては酷な選択となるが、それでも選んでもらわなければならない』

 

 二人の真実を知ったあと、士道は令音から一つの選択を託されていた。

 

『……もう一度言うが、今の八舞姉妹は不安定極まりない。自分たちの真実を知れば、最悪反転もありうるだろう。それを安定させるのに、君の能力が必要なんだ』

 

 士道の能力……キスをした精霊の霊力の封印。

 そうすることで八舞姉妹の不安定な状態は解消されるのだという。

 ただ、安定した状態になるということは、一つの体に一つの精神のみがあることを意味する。

 つまりは耶倶矢か夕弦か、士道は今度こそどちらか一方を選ばなければならないのだ。

 そして当然、選ばれなかった方の精神は消え去ることになる。

 かつて委ねられた選択権はそのまま形を変えることなく、しかしこれまで以上の重みを伴って、その手の中で存在を主張していた。

 あるはずと信じた第三の選択肢は、今やどこにも見当たらない。

 

「……シドー?」

「ん、ああ……悪いな、少しぼんやりしてたみたいだ」

 

 隣からの呼びかけに笑い返すが、きちんと笑えていたかどうかは自信がない。

 そのせいか十香は心配そうに眉を八の字にして、こちらを見上げてくる。

 今回の件について自分の中で考えを整理するために外出しようとして、十香と旅館の廊下でばったりと出くわしたのが、つい先程のことだ。

 元々こちらに用があったみたいなので、こうして連れ立って散歩に出たわけなのだが、この調子ならやはり一人で出るべきだったかもしれない。

 今のように心配をかけていては世話がない。

 もし琴里がいたら、思いっきり叱られていたことだろう。

 ふと、それが無性に恋しくなったのは、ホームシックのようなものか。

 自分のことながら情けないと思いつつも、なんだかんだで今まで姪っ子が心の支えになっていたことを自覚する。

 それは大切な家族だからというのも勿論だが、若干ではあるがストックホルム症候群じみた部分もあるかもしれない。

 普段の訓練や任務中の仕打ちを思い出して、士道は渋面を浮かべて呻いた。

 それを下から覗き込んできた十香が、安心したような顔をして小さく息を漏らした

 こんな顔を見られて安堵されると、それはそれで複雑なものがある。

 それで何とも微妙な表情を浮かべていると、今度は笑われてしまった。

 ただ、それはいつもの天真爛漫なものとは違い、夜の静けさに相応しい穏やかな笑みだった。

 浴衣姿というのもあって、いつもとのギャップに少しドキリとしてしまう。

 同時に、そんな自分に呆れ果てる。

 八舞姉妹の現状を知り、再びその行く末の選択を委ねられてもなお、別のことにうつつを抜かす余裕が自分にはあるようだ。

 

「ごめんな、ちょっと考え事しててさ。……はは、こんなんじゃまた琴里に叱られちまうかな」

「でもシドーはきっと今、誰かの為に悩んでいるのだろう?」

「……そんなにわかりやすかったか?」

「うむ。シドーがこう浮かない顔をしている時は、大抵夕餉の献立に困っているか、そうでなければ誰かの事を考えているかだからな」

 

 十香は胸を張って、なんとも誇らしげに語った。

 それほど普段から見ているということか、それとも単に自分が分かりやすいだけなのか。

 士道が黙り込んでいると、十香がそっと手を握って来る。

 

「私も琴里も七罪も、そんなシドーの事が大好きなのだ」

「…………十香」

「だから力になりたいと思うし、その悩みも分かち合えるものならそうしたい」

「ひょっとして、俺が悩んでるのを知ってて連れ出しに来てくれたのか?」

「む……ええと、白状するとだな、本当はただシドーと話したかっただけなのだ。その、今日はあまり一緒にいられなかったからな」

 

 頬をほんのり染める様子は非常に可愛らしく、思わず士道も頬を綻ばせてしまった。

 それから十香の言葉に甘えて、ポツリポツリと八舞姉妹の事情を話し始める。

 もう終わったはずの話に、希望を探そうとするかのように。

 だけど当然そんなものはありはせず、ただただ失意が深まるのみ。

 絶望と諦念に暮れる誰かに手を差し伸べようとしても、どうやっても届かないこともある。

 高校三年の夏に英雄(ヒーロー)を名乗る男と出会うまで、士道は漠然とした無力感を抱えていた。

 だからそんな当たり前の事実をわかったつもりでいても、顕現装置という奇跡の技術に出会ったとき、「もしかしたら」という希望を抱いてしまったのだ。

 だがその奇跡も万能には程遠かった。

 或いは、そんなもので満足ができないほどに士道が欲深かったというべきか。

 ともかく魔術にも限界があることを知り、身の丈に合わない望みは諦めたつもりだった。

 そして今回は、全く詳細のわからない力に希望を抱いて、またこうして無力感を覚えている。

 何度も何度も懲りないものだと、自嘲が漏れた。

 

「むぅ……耶倶矢が夕弦で、夕弦が耶倶矢で? すまぬ、頭がこんがらがってきたぞ……」

「悪い、ちょっと難しかったよな」

「つまり、私は耶倶矢としか話したことはないが、あれは夕弦でもあったということなのだな」

「いやまぁ、そういうことになる……のか?」

 

 頭を抱えていた十香だが、自分なりに納得したようだ。

 その結論が正しいかどうかは士道に判ずることはできない。

 というより、今はもう何も考えたくない気分だった。

 しかし、そんな甘えを自分に許すわけにはいかない。

 士道には、あの二人に希望を見せてしまった責任がある。

 どんなに辛く苦しくとも、考え抜いた末に結論を出さなくてはならないのだ。

 その時を思うと手が震えてきて焦点が定まらなくなり、自分が今立っているのかどうかもわからなくなる。

 まるで悪い夢の中にいるような酩酊感だった。

 それでも歯を食いしばり拳を握り締め、目を固く閉じて地面を踏みしめて、これはあくまで現実なのだと自分に言い聞かせる。

 どれだけそうしていたのか、不意に優しい感触を覚える。

 ある程度成長してからは機会も減ったが、これには覚えがある。

 目を開けると、いつの間にか十香が正面に回っていた。

 その手は士道の頭に伸びている……いつもとは逆に、頭を撫でられているようだ。

 紫水晶の瞳に優しげな色をたたえて、月の光が夜色の髪を淡く縁取る。

 しばし言葉を失う。

 十香の隔絶した美貌と月の光は、あまりにも似合いすぎていた。

 そしてそれ以上に、その目に宿る慈しみが士道の胸を締め付ける。

 

「十香、これは――」

「ぬ、もしかして嫌だったか? 私が士道にしてもらって元気が出ることをしてみたのだが」

「いや、そうじゃないんだが……」

 

 綯い交ぜになった感情が溢れ出さないよう、目元を指で押さえる。

 普段から降りかかる困難や理不尽に涙することはあるが、今の状態で泣いてしまうのはこの上なくみっともないという自覚があった。

 他人から見たらくだらない見栄かもしれないが、士道にとっては大事な一線だった。

 そしてそれは致命的な隙でもあった。

 みっともない自分をさらけ出さないよう腐心するあまり、周囲の空気が明確に変わるのに気づくことが出来なかったのだ。

 

「――――睦みあいはそこまでにしていただきましょう」

 

 その声と共に士道が覚えた微かな頭痛は、内的要因によるものではない。

 これは他の誰かが展開した随意領域に触れた時の感覚だ。

 何の用意もなしに他人の随意領域に触れることは、生殺与奪を握られているのと同義だ。

 しかし士道も懐に基礎顕現装置を忍ばせている。

 先手を許したこの状況は不利とはいえ、何とか防御手段に出ることは出来たはずだった。

 ただ、今回はあまりにも相手が悪すぎたと言わざるを得ない。

 揺れる視界の中で、ノルディックブロンドの長い髪が翻る。

 DEMが擁する最強の魔術師、悠久のメイザース。

 士道は崩れ落ちながら、CR-ユニットを纏ったその姿を認識した。

 本性を表した彼女に危機感を覚えるも、随意領域で脳を揺らされて思考は霧散していく。

 

『シドー、シドー!』

 

 ブラックアウトしていく視界の中で十香の声が幻聴のように虚ろに響く。

 どうにかしてやりたかったが、今の士道にはそれを考えるだけの思考能力がなかった。

 辛うじて伸ばした手も、中空をさまよいそのまま地面に落ちる。

 

『…………こんなものですか、ホムラシドウ』

 

 そして落胆に満ちた声を最後に、士道の意識は途切れた。

 

 

 

 

 

「……貴様、シドーに何をした」

「少し眠っていただいただけですよ。あなたが下手に暴れなければ、彼の身の安全は保障します」

「――――巫山戯るな!」

 

 十香は激昂の声と共に、己の天使を顕現させた。

 剣と玉座の天使〈鏖殺公(サンダルフォン)〉。

 引き抜いた大剣の刃が、月光の中で幻想的な輝きを放つ。

 同時に、身に着けた浴衣が光の膜を帯びていく。

 限定霊装……不完全ながらも精霊の鎧である霊装を纏った姿である。

 

「やはり、あなたが〈プリンセス〉でしたか」

「貴様、一体何者だ」

 

 かくして戦闘態勢を整えた十香は、目の前の女に対して最大限の警戒を向けた。

 その顔には見覚えがあった。

 日中に海で一緒に遊んだ、エレンとかいう女だ。

 十香は随行カメラマンという彼女の役割について深く理解が及んでいなかったが、何やら士道が気にしていたことは覚えている。

 そしてその女が今、なんとも嫌な気配を振りまきながら、こうして目の前に立っている。

 見れば装いも昼間とは全く違う。

 その身に纏う機械の鎧はASTの連中が纏うものと形状が異なるものだが、この嫌な気配はよく似ていた。

 似ているどころか、極限まで煮詰めたかのように濃密なそれに、顔を顰める。

 十香の直感は、目の前の女がこの上ない脅威だと告げていた。

 

「生憎ですが、歓談している余裕がこちらにはありません。なので手短に……〈プリンセス〉、いえ夜刀神十香さん、どうか我々と共に来ていただけませんか?」

「断る」

「そうですか。それは残念です――――」

 

 瞬間、エレンの姿が掻き消える。

 その対応の早さは、もとより問答など形式的なものでしかなかったことを示している。

 十香の動体視力を以てしても捉え切れないそのスピードは、まさに驚異の一言だった。

 しかし、戦闘とは一つの感覚だけに頼って成り立つほど生易しいものではない。

 肌がピリピリとする方向へ〈鏖殺公(サンダルフォン)〉を振るうと、相手が振り下ろした光の刃を受け止める形になった。

 霊力で構成された刃と魔力で形作られた刃が削り合い、火花のような光を散らした。

 

「――ほう、これに反応しますか。流石と言っておきましょう」

「くっ、舐めるな……ッ!」

「しかし、全く以て不足しています――――ふっ!」

 

 十香の握る〈鏖殺公(サンダルフォン)〉を弾いたエレンが、その勢いのままに身を翻して光の刃を振るう。

 同じように弾かれた勢いを利して身を翻した十香が、その一撃を受け止めるが――――

 

「え……?」

 

 呆然とした声が漏れた。

 十香の目に、信じられない光景が映りこむ。

 精霊の有する権能を顕す絶対の矛である天使が、いとも容易く砕かれてしまったのだ。

 砕け散った〈鏖殺公(サンダルフォン)〉の刀身は、キラキラとした輝きを放ちながら、地面に落ちる前に光となって解けていった。

 

「少々拍子抜けでしたね」

「く、ぁ――――」

 

 エレンは天使を失った十香の体を持ち上げると、無造作に放り捨てた。

 砂浜に体を打ち付けて転がったその周囲を、一〇体程の人影が取り囲む。

 いや、よく見るとそれらは人間とは異なる形をしていた。

 全身を滑らかな金属で覆ったそれらは、機械の人形とでも表現すべきだろう。

 

「〈バンダースナッチ〉隊、彼女を昏倒させて〈アルバテル〉まで運び込んでしまってください。私は〈ベルセルク〉の確保に向かいます」

 

 指示を下すと、エレンはそれっきり十香に興味を失ったように、一瞥もせずに飛び去っていた。

 その直前、倒れた士道に視線を向けていたが、そこにどのような意図があるのかはわからない。

 もとより、そのような事を考えている余裕が十香にはなかった。

 天使を砕かれて戦う力を失った十香は、迫る機械の人形たちに抗う術がないのだ。

 

「や、めろ……」

 

 左右から両腕を掴まれ、持ち上げられる。

 ぐったりした十香の頭部へ、正面に回った機械人形が異形の腕を伸ばす。

 いくら身をよじろうとも、機械の腕はびくともしない。

 万事休すか、と固く目を閉じた十香は、最後に倒れた士道の事を思った。

 いつも誰かのために走り回っていて、いつも誰かのために傷ついて、そして自分に居場所を与えてくれた、ひたすらに優しい光のような存在。

 そんな士道のために、自分は何もすることが出来なかった。

 その無念が、心の中に澱のように堆積していく。

 そうして気を失う直前に――――

 

『きひっ、きひひひひひっ』

 

 妖しい笑い声が、夜の砂浜に響いた。

 

 

 

 

 

 もう少ししたら就寝時間に差し掛かろうという時刻に、連れ立って旅館を出ようとする二人の少女がいた。

 肩をくすぐる程度の長さの髪、人形のように整った顔立ちに人形のような無表情を浮かべた少女――鳶一折紙。

 橙色の長い髪を一本の三つ編みに結わえた、何とも気怠げな表情を浮かべた少女――八舞夕弦。

 この二人は旅館の同部屋であり、また師弟関係でもあった。

 

「感謝。夕弦のわがままを聞いていただき、ありがとうございます」

「かまわない。私も外に用事がある」

 

 折紙はつい先程、クラスメイトの山吹亜衣よりとある情報を得ていた。

 それは、夜刀神十香が折紙の恋人である士道を連れて旅館の外へ向かった、というものだ。

 無論、到底見過ごせるものではない。

 元々士道の姿を求めて旅館内を歩き回っていただけあって、折紙の行動は速やかだった。

 亜衣は随行カメラマン――たしかエレン・メイザースといったか――に代わる遊び相手を探していたようだが、それに付き合っている暇はない。

 誘いの手を掻い潜り、折紙は駆けだした。

 その際に「廊下は走っちゃいけませんよぉ」という注意の声が飛んできたが、緊急事態なので仕方がない。

 士道の優しさにつけ込んで、その身を蹂躙しようとする輩は枚挙に暇がない。

 夜刀神十香はその内の一人だ。

 昨夜の失敗も記憶に新しい。

 その邪な野望は、断固として阻止しなければならない。

 無念と奮起に折紙は拳を握り締めた。

 そうして外に向かおうとしていたところで、夕弦に声をかけられた次第だ。

 なんでも姿の見えない姉妹を探しているのだとか。

 彼女の姉妹と言えば――折紙の脳裏に苦渋の記憶が蘇る。

 夕弦の双子の姉妹である八舞耶倶矢……彼女こそが、昨夜に士道の身を蹂躙して味わいつくした泥棒猫なのだ。

 それが現在、外に出ているということに危機感はより一層強まった。

 彼女と夜刀神十香が結託して、士道を襲おうとしている可能性すらも浮上してくる。

 そのような邪悪な計画は、決して許すわけにはいかない。

 

「少し急ぐ」

「了解。また耶倶矢を逃がすわけにはいきません」

 

 夕弦を一瞥して淡々と告げる。

 捜索にあたって、目が多ければ単純に見落としが減る。

 そういう意味で同行を断る理由はない。

 こちらのスピードについてこられるかは彼女次第だが、ついてこられなかった時は大人しく諦めてもらう他ない。

 仮にそうなったとして、八舞耶倶矢を探しているというのなら後にその行方を知らせればいい。

 折紙が駆けだすために姿勢を低くした、その時だった。

 

「――――耶倶矢っ!」

 

 夕弦の声がしたかと思うと強烈な突風が吹き抜け、その余韻で木の葉がさざめく。

 一瞬の強風にまきあげられた折紙は、身を翻して難なく着地した。

 何が起こったのかと周囲を見渡すが、特に異常はない。

 ただ、夕弦の姿が消えていた。

 もしかすると、今の風に吹き飛ばされてしまったのかもしれない。

 その身の安全を確かめるために歩き出そうとして、不意に微かな頭痛を覚える。

 体調不良という可能性も否定できないが、この感覚に折紙は覚えがあった。

 それが具体的な思考に結び付く前に、その場から飛びのく。

 ガシャン、と金属音が響いた。

 

「――あなたは、何者……?」

 

 先程まで自分が立っていた場所に現れたその人影に、誰何の声を投げかける。

 しかしそれは人間と呼ぶのにためらう程度には、異形の姿をしていた。

 胴部から五体が出ているという大まかすぎる特徴は人間と同じなのだが、細部を見ると明らかな違和感がある。

 全身を滑らかな金属板で覆っているのは勿論、脚部は逆関節となっていて、腕部は歪に大きい。

 そしてその細身のボディには、仮に中に人間が入っていたとして、内蔵の大部分を掻き出さなければ収まらないだろう。

 これでは全身を装備で覆った人間というより、機械人形と判断した方が適切だろう。

 だが、そうだとしたら今度は別の疑問が生じてくる。

 折紙が今も感じているこの微かな頭痛は、至近距離で展開された他者の随意領域によるものだ。

 そして恐らくそれは、目の前の異形が展開しているものだろう。

 CR‐ユニットらしき装備を纏っているところから見ても、まず間違いない。

 しかし原則として、顕現装置は人間の脳波を用いねば制御することができない。

 ならば、今随意領域を展開しているこの機械人形は、一体何だというのか。

 果たして折紙の問いに返されたのは、無機質な駆動音だった。

 

「く……っ」

 

 機械人形の跳躍に合わせて、折紙は再び飛び退いてできるだけ距離を取る。

 そしてまたガシャン、と音を響かせて、異形の腕が地面に突き刺さった。

 こちらの問いに答える気配はなく、明らかに攻撃の意思がある。

 これがASTに配備されたものならばこのような事態は確実にありえないし、そもそも自立して顕現装置を稼働させられる兵器の話など欠片も聞いたことがない。

 つまり所属不明で目的も不明の兵器が、何故かこちらに敵対行動をとっている。

 その理由について思い当たるものはないが、攻撃を掻い潜り続ける中、相手の動きの不自然な点に気がつく。

 見たところこの機械人形は、銃器やレイザーブレイドも装備している。

 こちらを殺傷するつもりならば、それらを使用したほうが確実なはずだ。

 そうしないということは、少なくとも殺傷が目的ではないということになる。

 世の中には武器を使用せずに自分の手で敵を仕留める、というこだわりを持ち合わせた手合いもいるかもしれないが、機械人形はそのようなものとは無縁だろう。

 となると、こちらの足止めか身柄の確保が可能性として浮上してくるのだが……

 

「邪魔を、しないで……っ!」

 

 自分へと伸びる手を逆に絡め取り、合気の要領で投げ飛ばす。

 もっとも大した効果はなく、機械人形はスラスターで姿勢を制御して何事もなかったかのように着地し、再び跳躍して襲いかかってきた。

 相手の目的はなんにせよ、悠長に付き合っている暇はない。

 士道のことが気がかりだし、吹き飛ばされた夕弦の安否も確認しなければならない。

 折紙が忌々しげに喉を震わせて、機械人形から距離を取ったその時――――

 

「鳶一さん、ですよね? こんな時間にお出かけですか?」

 

 この場の緊張感に不釣合いな程平穏な声が、後ろから投げかけられた。

 頬を強ばらせながら振り返った折紙の目に、栗色の髪の少女の姿が飛び込んでくる。

 クラスメイトであり折紙にとっては警戒対象でもある山打紗和が、浴衣姿でそこに立っていた。

 

「奇遇ですね、私もお散歩なんです。こんな時間に外出するなんて、いけない事をしているみたいでちょっとドキドキしますね」

「ここは危険。早く戻って――――」

 

 いくら自分の恋人に言い寄る警戒対象とはいえ、むざむざ危険に近づけるわけにはいかない。

 しかし折紙の呼びかけに先んじて、機械人形が動き出した。

 新たな標的の出現を受けてか、首を回して注意を紗和の方へ向けたのだ。

 機械である以上はプログラムに沿って行動しているのだろうが、そこに記された命令がここを通る者への妨害、もしくは排除ならば、彼女も立派な対象となる。

 

「あれ、あなたは――ああ、なるほど。困ったなぁ……どうしようかな?」

 

 機械人形の存在に気づくも、紗和にこれといって動じるような様子は見られない。

 何か納得するような素振りを見せてから困ったように頬に手を当てたが、それだけだ。

 危機感の欠如した、いっそ能天気ともとれる反応である。

 即座に逃げ出さなかったのは、明らかな判断ミスと言わざるを得ない。

 しかし部隊の一員ならともかく、一般市民に対して正確な状況判断を期待するものではない。

 むしろこんな時のために、折紙のような自衛官が存在しているのだから。

 標的を変更して紗和へと飛びかかった機械人形の進路に割り込むように、体を滑り込ませる。

 人間大とはいえ、勢いのついた金属の塊と衝突したら、痛いどころでは済まないのは明白だ。

 勿論、それを覚悟した上での苦渋の決断だが、予想していたような衝撃はやって来なかった。

 折紙のすぐ目の前で、機械人形は静止していた。

 まるでそこだけ時間が止まっているかのような光景だが、機械の体の内部からは駆動音と、何かが軋むような音が断続的に漏れている。

 どうやら身動きを封じられた上で、空中に体を固定されているようだ。

 それはまるで、見えざる手に全身を締め上げられているようにも見えた。

 例えば随意領域を操ったのならそのような現象も引き起こせるのだが、この場でそれを成し得るのは、他でもないこの機械人形のみだ。

 折紙は今回の修学旅行に当たり、顕現装置の携行を許されていない。

 だが、もし山打紗和という少女が魔術師だったのならば……日本において魔術師は大抵ASTに所属するものだが、中には崇宮真那といった例外も存在する。

 振り返った折紙を待っていたのは果たして、予想をはるかに超える最(・)悪(・)の事実だった。

 いや、彼女があの時崎狂三の親友を名乗った時点で、それを予想するべきだったのだ。

 

「あの社長さんも、また面白いおもちゃを用意したみたいですね」

「――っ」

「まぁ、それでも私(・)た(・)ち(・)の相手をするには、まだまだガラクタかな?」

「あ、なたは……」

 

 薄明るい月の光の中で、紗和の左の瞳は青く染まっていた。

 そしてその中では時計の針が無機質に時を刻み、星を示す。

 この、人間ではありえない特徴を有する存在を、折紙は知っていた。

 脳裏にかの悪夢(ナイトメア)とは真逆の色合いの、白い精霊の姿が思い浮かぶ。

 緊張や警戒を孕ませた折紙の視線に紗和が微笑むと、機械人形は圧壊し、屑鉄となり果てて地面に重い音を立てて転がった。

 

「そういえば、こちらの姿での自己紹介がまだでしたね」

 

 紗和がそう言うと、その周囲の空間が歪むように輪郭が曖昧にぼやけていく。

 やがてその中から現れたのは、記憶の中と一致する白い精霊の姿だった。

 髪も、肌も、その身に纏う霊装(ドレス)も、何もかもが白い。

 その中で色づくのは、赤と青の虹彩異色症(ヘテロクロミア)。

 姿を変える前と同じく、青い瞳の中では時計の針が時を刻み、星を示す。

 炎の精霊(イフリート)との交戦の後、折紙は時崎狂三とまったく同じ容貌(かお)のこの精霊が、かつて〈デイドリーム〉と呼ばれていた個体であると知った。

 何故それが過去形になるのかというと、その時には既に識別名が改められていたからだ。

 精霊に対する改名(リネーム)など聞いたことがないが、新しく付けられた識別名は確か――――

 

「この姿の時は〈クイーン〉と呼んでください。どうか仲良くしましょうね、魔術師さん?」

 

 何にせよ、相手が精霊ならば折紙の取る対応も決まっている。

 しかし、今の状態では戦うすべがなかった。

 最大限の警戒心を漲らせつつ歯噛みしていると、女王(クイーン)と名乗った精霊は困ったように笑った。

 

「そんなに警戒しないでください。今の所、私にそちらを攻撃するつもりはありません」

「……一体、あなたは何が目的?」

「もちろん、皆さんと高校生活を楽しむことですよ?」

「戯言を聞くつもりはない」

「嘘は言ってないんだけどなぁ」

 

 折紙の警戒に対して、白い精霊――紗和は苦笑するのみで余裕を崩さない。

 それも当然だ。

 そもそも人間と精霊では、比べるのもバカらしくなるぐらいの力の差がある。

 精霊とは、自然現象の極致である天災と同一視されるような存在なのだ。

 そして天災に対して、身一つで立ち向かおうとするのは、無謀を通り越した愚行でしかない。

 それでも守るべきものを守るためならば、折紙に躊躇いはない。

 その目に宿る決意の光を見てとって、紗和は観念するように大きく肩をすくめた。

 

「仕方ないなぁ。それじゃあ、おとなしくしてもらうしかないかな?」

「くっ――」

 

 相手の動く気配を見取って折紙も動くが、そこにはやはり、技術では埋められないほどのシンプルな力量差がある。

 あっさりと腕を捕まれ、次の瞬間には虚脱感と倦怠感が襲ってくる。

 

「少し、あなたの『時間』をいただきますね」

 

 この感覚にも覚えがある。

 これはそう、以前に時崎狂三と対峙した時に味わったものだ。

 その時と同じように、薄れていく意識を痛みで繋ぎとめようとしたが、消耗のスピードが比ぶべくもなかった。

 瞬く間に動けなくなった折紙は、白い精霊の赤と青の双眸を力なく見上げるしかない。

 

「お兄さんとの約束もありますし、このぐらいにしておきますね――【双子の弾(テオミーム)】」

 

 彼女が時折、士道のことを親しげに『お兄さん』と呼んでいるのは把握している。

 その約束の内容についても非常に気になるが、目の前で精霊が分裂するという事態への衝撃が、それを上回った。

 しかしどれだけ気力を振り絞ろうとしても、体はそれに応じない。

 

「彼女をお願いします。丁重に送ってあげてくださいね」

 

 新たに現れた白い精霊へ己の身が引き渡される際にも、抵抗は叶わなかった。

 そしてそのまま、折紙の意識は闇に飲まれていく。

 

「うーん……狂三さんは何もしないって言ってたけど、どうしちゃおうかなぁ?」

 

 その直前、紗和の愉しげな声がいやに耳に残った。

 

 

 




というわけで終了

次の次ぐらいで修学旅行は終わると思われます。
まぁ、こう言ってその通りになった例があまりないので、あてにはならないかもしれません。
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