士道くんが淫行教師と謗られながら精霊をデレさせる話 作:kish
なんともアレなタイトルですがご了承ください。
「――――いわゆる、悪魔の契約というやつさ」
差し出された手を呆然と見つめる。
包帯や手枷に鎖など、目を引く要素は複数あるが、士道を最も惹きつけるのはそれらではない。
道化の少女の右手の薬指に嵌った指輪の輝き……それは以前にかの最悪の精霊・時崎狂三の体内から取り出された、宝石のような何かを想起させた。
しかしあの血のような赤と影のような黒の輝きに対し、こちらは何色にも染まっていない無垢な輝きを示している。
印象としては全く異なるといってもいいのだが、何故そう思ってしまったのかはわからない。
ただ、それを目の当たりにするとどうしようもない焦燥が駆り立ててくる。
「――っ」
無意識に伸ばしていた手を引っ込める。
彼女の言う通り、これが悪魔の契約ならその手を取ったら最後、望みと引き換えに周囲を巻き込んで破滅しかねない。
そもそもこのあやふやな世界で、姉を名乗る胡乱な少女から契約などという話を持ち出されて、何をどこまで信用すればいいのかもわかったものではない。
何もかもが定かではないものの、不吉な予感だけはひしひしと伝わって来る。
どうであれ、その手を取るべきではない。
士道の理性はそう結論を導き出した。
しかし――――
「……君の手を取ったら、俺はあの二人の運命を変えられるのか?」
今の士道には、何かに縋ってでも救いたい少女たちがいた。
精霊・八舞……いずれ一つになることを宿命づけられ、そうなってしまった双子の姉妹。
二人は互いに、相手に生きていて欲しいのだと語った。
でもそれは本当の願いが叶わないが故の次善であって、二人が真に望んでいたのは共に生きていける未来だったのだ。
士道はそれをどうにか実現させようとして、そしてどうにもならない現実を知った。
そしてその手に残されたのは、どちらかを救い、どちらかを救わないという選択肢。
あの二人の真の望みを叶えるという事自体が、身の丈を越えた傲慢だったのかもしれない。
どちらかだけでも救えるのなら、それで良しとするべきなのかもしれない。
それでも自分への失意と怒りを抑えることが出来ない。
握り締めた拳が砕けて血が噴き出すが、体を癒す炎は発現しなかった。
ここは夢や記憶に類する世界であり、この体も現実のものではないはずなので、それも当然だ。
例えばだが、ここで傷などないと認識したら、何事もなかったかのように次の瞬間には元に戻るだろう。
もっとも、それができるかどうかは別問題なのだが。
自傷さながらの様子を見せる士道に対し、道化の少女――蓮は嗤った。
それは悪魔の契約を持ち掛けるに相応しく、邪悪で歪んだ笑みだった。
「逆に訊ねようか。
その言葉に反論するのは簡単だ。
穂村士道は丈夫さだけが取り柄であり、多少特殊な能力はあれども平凡の域を出ない
魔術師としての力である顕現装置は『魔法』を現実のものとする奇跡の技術と称されているが、それにも限界がある。
由来の不明な霊力を封印する能力でもまた、活路を見出すことは出来ない。
ならば、彼女の包帯に覆われた目には一体何が見えているというのか。
「霊力の本質は本来、人間が魔力と呼ぶものに近い――いや、これは魔力が霊力に近いと言った方が正確かな? 分割された
蓮が語る内容の大半は理解することが出来ない。
しかし、魔力と霊力の類似性という一点にのみ理解が及ぶ
現代の魔術師は顕現装置によって生成した魔力で随意領域を展開する。
随意領域とは己の意のままになる空間――その内部のパラメーターを変化させることで、魔術師は超人じみた力を発揮するのだ。
つまり、魔力とは現実に存在するパラメーターを書き換える力だ。
霊力がそれに近しいのだとしたら、
士道の中で、何かが噛み合いつつあった。
「ましてやその
「俺に、何が出来るっていうんだ」
「だから
その言葉を鵜呑みにすることは出来ない。
しかし、そう思う一方で奇妙な確信もまた同時に存在していた。
この手を取れば、
これが悪魔の契約だとしても、その力であの二人を救えるのなら躊躇う理由はない。
ただ、そうしたら確実に自分の身になにか不可逆的な変化が起こる。
そんな予感が士道に二の足を踏ませる。
それこそが契約の代償なのか、それともまた別の事情によるものなのか。
どちらにしても、そうなってしまったら自分は果たして、大切な人たちの傍にいることが出来るのだろうか。
士道の思考を反映して、何もない宙に様々な顔が浮かんでは消えていく。
家族、可愛らしい隣人たち、かつての同僚と現在の同僚、生徒たち、油断のならない精霊二人、今もどこかで締め切りに追われているであろう飲んだくれ。
そして最後に、あの二人の顔が浮かんだ。
砕けた拳を握り締めて怯懦を噛み砕く。
たとえそうなってしまったとしても、あの二人から目を背けたら、きっと自分は自分でいられなくなる。
どのみち変わってしまうのならば、希望が見える道を選ぶべきだ。
どうしようもない現実に潰されかかっていた心に火が灯る。
「とはいえいきなりでは難しいだろうからね、ちょっとしたアドバイスと『後押し』を贈ろうか。それがこの契約において、手始めに自分があなたに提供するものだよ」
「なら、俺は何を差し出せばいい」
「そうだね――まず一つ、頂くものはあるけれどあとは……ちょっと待って、今考えるから」
士道が前のめりになると、蓮は何やら背中を向けてその場にしゃがみこんでしまった。
その様子は、さっきまで悪魔の契約がどうたらと雰囲気を出しながら邪悪な笑みを浮かべていた姿とは、あまりにもギャップがあった。
呆気に取られて言葉を失う。
そしてブツブツと独り言を繰り返すこと数分、蓮はおもむろに立ち上がると、また邪悪な笑みを浮かべて契約の対価を発表した。
「うん、とりあえず……『お姉ちゃん』と呼んでもらおうかな」
「いや待て、どーしてそうなるんだよ」
これには士道も思わず素面でつっこんでしまった。
あれだけ雰囲気を出しておいて途中で考え込みだすのもどうかとは思ったが、考え抜いた結論がこうなるのはどう考えてもおかしい。
いや、おかしくはないのかもしれないが、だとしてもこの胡乱な少女はどれだけ姉という立場に執着しているのだろうか。
少なくとも、邪悪な笑みを浮かべながら言うことではない。
彼女の思惑はともかく、士道にとって姉というのは良くも悪くも特別な立ち位置である。
しかもその『お姉ちゃん』という呼び方は、幼い頃の記憶をどうしようもなく刺激してくる。
上映が開始されないよう雑念をどうにか振り払うと、譲歩に走る。
「その……他のやつにできないか?」
「ふむ、じゃあ『姉さん』にしよう」
「いや、それもちょっと……」
「しかたない、それなら『お姉様』はどうかな?」
「まずその姉関連から離れてほしいんだけど」
「随分と注文の多い――ここは『お姉たま』で手を打とう」
「何だか余計に悪化してませんかねぇ!?」
舌足らずな幼い子供が口にするならともかく、成人男性がそんなことを口走れば、色んな意味でインパクトが大きすぎる。
あまりの羞恥プレイからどうにか逃れようと、士道は悲鳴じみた声を上げた。
こちらの身悶える様を目的としているのなら、まさに悪魔の契約だ。
というかこの姉を名乗る不審者は、どこでそんな俗っぽい呼称を知ったのだろうか。
少なくとも士道の人生の中でそんな呼び方を耳にしたのは、〈ラタトスク〉の訓練でやらされたギャルゲーの中ぐらいでしか覚えがない。
なんにしてもこれ以上の悪化は堪ったものではない。
わなわなと震える手を握り締めると、声を震わせながら蓮に対して呼びかける。
「――――お……お姉、ちゃん」
「ん……まあ、少々ぎこちないけれど、これで良しとしよう」
及第点をもらうと、精神的なダメージに士道はその場に両手両膝をついて崩れ落ちた。
これでリテイクを食らっていたら、あまりの羞恥にさらにのた打ち回っていただろう。
目線を合わせるように、蓮もしゃがみ込む。
「それじゃあ、この契約に承諾したということでいいのかな?」
「……一つ、聞かせてくれ。どうしてこんな契約なんか持ちかけたんだ?」
「さて、どうだろうね? あなたがあまりにも不甲斐なくて情けないからかもしれないし、単純にこちらに大きな利があるからかもしれないし、はたまたこの契約の果てに破滅する姿が見たい、なんていう理由かもしれないね?」
滔々と、それらしい理由が並べ立てられる。
そのどれが本当でどれが嘘なのか。
勿論、全てが真実の可能性もあるし、全くの嘘という場合もある。
それを見抜けるほど、士道は彼女の事を知らない。
ただ、先程見せた激情に加え、彼女が『母』について言及した際のなんとも複雑な様子も、また忘れがたい。
「或いは、意趣返しかもしれないね。この悪逆の存在に愚かにも手を差し伸べた者に対して、それでもこの手を握ることが出来るのか――というね」
蓮は立ち上がると、再び手を差し出してくる。
その言葉には挑発するような、もしくは試すような響きがあった。
薬指に嵌まった指輪が輝き、差し出された右手が実体を伴ったかのように色味を帯びる。
相変わらずこの輝きは士道を惹きつけてやまない。
それは本来自分の中にあるはずの心臓に手を伸ばすような、生存本能にも似た欲求だ。
しかし今この時は、別の感情が勝った。
笑いを堪えきれずに噴き出すと、釈然としないとでも言いたげな視線を向けられる。
「なにか、おかしなことを言ったかな?」
「そりゃあお前、悪逆なんてのはもっと悪い事をしてから言わなきゃな」
士道の認識では、この少女は夢の中に現れる姉を名乗る不審者でしかない。
しかも本人の言い分では三〇年単位の箱入り娘らしいので、外での悪事も働きようがない。
それなのにいきなり悪逆の存在と言われても、畏怖の類を抱けるはずがないのだ。
そういうのはせめて、出会い頭に銃をぶっ放すようになってから言って欲しいものだ。
思わず笑ってしまった事で機嫌を損ねたのか、口元がへの字に曲がっているようにも見える。
そんなどこか憮然とした様子の蓮の手を取る。
以前は触れられずにただ重ねるしかできなかったが、今回は触れることが出来た。
実際にここにいるのだと確かめるように、その小さな手を握る。
「あれだけ言われてもこの手を取るなんて、あなたは本当に愚かだね」
「はは、そういうのもいい加減言われ慣れたよ」
「きっと後悔するよ?」
「じゃあ、そうならないように信じるさ」
「信じる……何を?」
「お前以外の誰がいるんだよ」
「この自分を……? あまりにも愚かだ。最早笑えもしない」
蓮が面白くなさそうに鼻を鳴らすと、唐突な喪失感が士道を襲った。
その虚脱感に、相手の手を握っていた手が力を失ってだらんと垂れ下がる。
この何かを奪われているような感覚は、かの最悪の精霊の〈時喰みの城〉に足を踏み入れた時のものとよく似ていた。
そして変化が訪れたのは士道だけではない。
蓮の目元を覆う包帯の一部が解け、その右目が露わになる。
不機嫌そうに歪められた目元には、縦に傷のような模様が刻まれていた。
片側はいまだに塞がれているが、息を呑むぐらい美しい顔立ちをしているのはわかる。
風のないはずのこの空間で葡萄色の髪がたなびくと、周囲の景色がにわかに変化する。
それは士道の認識を受けた変化ではなく、明らかに彼女を中心としたものだった。
この一帯に毒々しくも瑞々しい園が広がり、生い茂った木々には葡萄のような果実が実る。
精霊が有する権能の象徴であり、絶対の矛……天使。
この園を目の当たりにした士道は、直感的にその言葉を思い浮かべた。
「さあさあ、ここに現れ出でしは我が瘴毒に塗れし浄土――この
蓮は数歩分距離を取ると、恭しくお辞儀をした。
道化のように大袈裟な抑揚の口ぶりと、身振り手振り。
踊るように身を翻すと、周囲の園が禍々しくも美しい光を帯びる。
「まずは手始めに、あなたの望みをお聞かせください。いえいえ、お代は結構。既に先払いにて、しっかりと頂戴しております」
先程奪われたものが蓮の言う『お代』ならば、それこそが契約の対価なのか。
なんにしても、願いを叶えるとは随分と出鱈目な能力だ。
それこそ彼女の言っていた、霊力の本質とやらに近いのではないだろうか。
そんな力を自分も扱うことが出来るなど、いまだに信じることは出来ない。
それでも――――
「俺はあの二人の……耶倶矢と夕弦の本当の願いを叶えてやりたい」
「――よろしい。ここに契約は成った」
蓮の指輪が輝きを放つ。
その光を受けて、士道は自分の中に何かが芽生えるのを感じ取った。
決定的な変質……しかし違和感はない。
まるでこれこそが自然な状態だとでもいうかのように、それは士道の中にあっという間に馴染んでしまった。
「ハッピーバースデー、というにはまだ早すぎるかな? あなたに芽生えたのは、権能と呼ぶには随分とちっぽけにすぎる、赤子以下の力だ」
「この力で、俺は何が出来るんだ?」
「だからなんでも、だよ。とはいえ出力はまだまだだ。そこはあなたの周りにあるものを上手く使うといい。補助輪として、自分も少しばかりサービスしてあげよう」
この力で何が出来るのかはまだわからない。
この姉を名乗る不審者は煙に巻くように、相も変わらず具体的な事を口にしない。
しかし、ただ黙って運命とやらに膝を屈する必要がないのなら、それだけで十分だ。
自分の中に芽生えたものを確かめるように、士道は胸元で手を握り締めた。
「なんというか、おかげで何とかなりそうな気がしてきたよ。ありがとうな」
「礼など、それこそお門違いというやつだよ。これは契約だと言っただろう? それも悪魔のね。あなたがみっともなく喚き散らす姿は堪能したし、ここからは苦しみ足掻く様を楽しませてもらうよ。せいぜい己の選択を後悔するといい」
蓮は口の端を吊り上げて邪悪な笑みを浮かべると、これまた露悪的な態度をとってきた。
やはり、先程笑ってしまったのを根に持っているのだろうか。
それがどうにも意地を張っているようにも見えてしまって、申し訳ないと思いつつ笑いを堪えることができなかった。
あくまで自分を悪逆だと主張したいようだが、それにしては彼女は誠実すぎる。
本当に騙すつもりならば、初めからこちらの不都合や不利益を強調したりはしないのだ。
するとまたも憮然とした表情で、今度は舌打ちも飛んできた。
そんな連に対し、士道は親愛とささやかな嫌がらせを込めて呼びかける。
「それじゃあな。信じてるよ、
「……うるさい黙れ、この愚弟が」
目を覚ますと、視界には月も星もない、雲に覆われた夜空が広がっていた。
凄まじい風が吹きすさんで海岸の砂を巻き上げ、木々が悲鳴のようなざわめきを上げているが、どちらも不思議と遠雷のように気にならない。
それはまるで、この周囲だけが何かによって守られているかのようだった。
身を起こすと、辺りの暗さに気付く。
道路を照らす街灯からの光で辛うじて視界は確保できているが、月の光を失った夜の砂浜は思いのほか暗かった。
どうしてここにいるのかも含めて、士道は頭に手を当てて気を失う前の状況を整理する。
随分と
ワイヤリングスーツにCR-ユニットを纏ったノルディックブロンドの女――現代の魔術師の中でも最強とうたわれる、悠久のメイザース。
彼女が現れて、自分は――――
「――十香っ」
そしてその時に誰と一緒にいたのかも思い出して、士道は慌てて辺りを見回した。
あの女が十香を狙ってきたのならば、呆けている場合ではない。
何らかの残骸が散乱している中、倒れている浴衣姿の夜色の髪の少女を見つけて駆け寄る。
見たところ細かい傷はあるものの、大事はなさそうだ。
ホッと胸を撫で下ろすが、同時に疑問が生じる。
十香が無事だったのはなによりだが、あのエレン・メイザースは一体どこへ消えたのか。
情けなくも早々に気を失ってしまった士道には、そこらの事情を把握する術がなかった。
襲い掛かってきたものの撃退された、ということなら一応の説明はつくのだが……
「あらあら、せっかく助けて差し上げたのに無視だなんて……随分と冷たいですのね」
不意打ちのようにかけられた声に、士道は動きを止めた。
砂浜に落ちる影から滲み出るように姿を現したのは、『最悪』と呼ばれる精霊だった。
左右で長さの異なるツインテール、真珠のような白い肌に赤と金の
金の瞳の中ではどういう仕組みか、時計の針が時を刻む。
血の赤と影の黒に彩られた
妖しく笑う精霊の少女を前に、士道は頬に汗を伝わせた。
結論から述べるなら彼女はこちらの命を狙う手合いであり、夜に遭遇したくない精霊ランキングなんてものがあったら、間違いなく上位に入るだろう。
そんな彼女がここにいるのは、一体如何なる理由からか。
「た、助けてくれたってのは?」
恐る恐る、問いかける。
士道がこんな様子なのは、事ある毎に銃をぶっ放されているからである。
彼女は照れ隠しにも銃を持ち出す、何とも物騒な精霊なのだ。
昨夜に銃を向けられたことも記憶に新しい。
それに関しては色々と事情があったのだが、結局の所、知らずとはいえ女湯に入っていたこちらに非がある。
なので、対応はどうしても相手の顔色をうかがうような形になってしまった。
ここに来た理由が昨夜の温泉での件についてなら、士道は地面に頭を擦りつけるしかなくなる。
「ええ、ええ。士道さんがあまりにも迂闊で愚かなものですから、わたくしも『わたくし』も甚く心配しておりますのよ?」
「そ、そうか……うん、とにかく助かったよ」
事情は今一つ飲み込めないが、状況から見て助けてもらったのは間違いないだろう。
まあ、他にも十香が奮戦して相手を撃退した末に気を失った、という可能性もあるのだが、それだと狂三の主張が残念なことになってしまうので、考えないようにしておく。
それにしても、と目の前の少女を見る。
今の口ぶりからすると、彼女は恐らく狂三本人ではない。
時を司る天使を操るかの精霊は、自分の過去を切り取って再現する権能を持つ。
今ここにいる彼女は、そうして生み出された分身体の一人なのだろう。
士道は以前にも、彼女と同じ分身体に助けられたことがある。
自分に向けられる視線をどう受け取ったのか、分身体の狂三は右手で自分の胸元を隠すと、左手を頬に当てて悩ましげな表情を浮かべた。
「まあ、士道さんったら。このような状況でも欲情なさるだなんて、とんだ淫行教師ですのね」
「いくらなんでも言いがかりすぎやしませんかねぇ!?」
悲鳴じみた声を上げる士道に、狂三はくすくすと笑った。
分身体とはいえ、彼女もれっきとした時崎狂三である。
こちらを翻弄しようとする厄介な性分もまた、本体と同様なのだ。
まあ、最近は白い方の茶々もあってか自爆している姿も結構な頻度で見かけるのだが、もし仮にその点に言及するのならば、ほぼ確実に銃弾が飛んでくる。
触らぬ精霊に祟りなし、だ。
これ以上妙な言いがかりをつけられないように顔を逸らした士道だが、むこうは視線を合わせようと追従して回り込んでくる。
右に逸らし左に逸らし、俯いては下に潜り込まれ、こうなればと思いっきり空を見上げると、先回りして宙に浮かんだ狂三と目が合った。
ニッコリと良い笑顔を浮かべる彼女に対して、乾いた笑いが漏れる。
「ところで、わたくしにはほんのささやかな望みがあるのですけれど、お優しい士道さんはきっと聞き届けてくださるのでしょうね? ええ、ええ、せっかく助けて差し上げたのですもの」
「と、唐突だな」
「まあ、快諾してくださるだなんて!」
「…………」
狂三は感激するように顔の横で手を合わせた。
応とも否とも言っていないのだが、何故か快諾したことにされていた。
強引すぎる話の運びだったが、ここで口を出せば間違いなく話がこじれる。
それはこの春から急激に積みあがった経験からくる確信だった。
まずは聞くだけ聞いてみようと、士道は口をつぐんだ。
「実は『わたくし』が少々お勉強に行き詰っておりまして、是非とも士道さんに手ずからご教授願いたいのですわ」
「勉強を? 成績は良かったと思うんだけど――――」
「ご教授、願いたいのですわ」
「……お、俺にわかる範囲だったらな」
勉強に行き詰っているというのは少し意外だが、頭に一応が付くものの立場としては生徒であるならば、勉強を見てやることはやぶさかではない。
圧の強めな申し出を額に汗を滲ませながら受け入れた士道に対して、狂三は笑みを深めた。
こちらの勘違いでなければ、どうにも本体の方に勉強を教えるよう仕向けているように聞こえるが、果たしてあちらはこの分身体の申し出を把握しているのだろうか。
「そうと決まれば、どこか落ち着いて腰を据えられる場所が必要ですわね」
「それなら学校の図書室なんか――――」
「そうですわ! わたくし、良い喫茶店を知っておりますのよ?」
「…………」
士道の提案は、名案を思い付いたかのように手を打つ狂三に笑顔で跳ねのけられた。
というか、この強引な話の運びはそもそものゴールを定めている節がある。
なので仔細はそちらにぶん投げることにした。
決して面倒になったからではない。
そうして狂三は当日の(どうやらすでに日取りも決まっているらしい)予定を並べ立てた。
昼前に待ち合わせて、喫茶店にて昼食を食べつつお勉強会。
その後はショッピングをしつつ(ペットショップに寄るのは確定らしい)、日の落ちる時刻になったら予約しておいたレストランで夕食を――――
「……いや、それデートでは?」
「まあ、そこに気付くとは、流石これまでに複数の
「だから人聞きっ!」
あんまりな言われように士道が声を張り上げると、狂三は可笑しそうに口元に手を当てた。
なお、あまり否定できる材料はなかったりする。
色んな事情や説明を省いた上で事実だけ述べるのなら、精霊とデートしてデレさせてキスをするのが士道の役目なのだ。
その点から見るとこの提案も渡りに船なのだが、こうも露骨に持ち掛けられては相手の意図が気になって仕方がない。
それ程悠長にしていられるような状況でもないという焦りもある。
十香はとりあえず無事なようだがこのまま放っておくわけにはいかないし、この急激な天候の変化にはあの双子が関わっている可能性が高い。
むしゃくしゃと頭を掻くと、士道は単刀直入に尋ねた。
「あーもう、一体何が目的なんだよ」
「それはもちろん、奥手な『わたくし』の背中を――――」
ぞぶりと、足元の闇が蠢く。
士道はこの夜闇の中で何が起こっているのかを正確に把握できなかったが、狂三は目を見開いてその顔を驚愕に染めた。
「ち、ちがいますわ! わたくしはただ、『わたくし』のために……っ! あーれー」
そしてなにやら焦った様子で弁明らしき言葉を発すると、緊張感のない声を上げながら影に呑みこまれてしまった。
残された士道は、ぽかんと口を開けて固まるしかない。
そうして唖然としていると、影から浮かび上がるように
先程の分身体と見た目の上では寸分も違わないが、雰囲気は明らかに違う。
そのなんとも
「――今、士道さんは何も聞いておらず、ここでは何もなかった……それでよろしいですわね?」
士道は勢いよく首を縦に振った。
もし別の反応をしようものなら、銃弾が飛んできてもおかしくはない。
それに満足気に頷くと、狂三は影の中に消えていった。
「……な、何だったんだ一体」
再び取り残された士道は、呆然と呟いた。
今のが狂三本人だというのは何となくわかったが、もしかすると勝手な行動を取る分身体を回収しに来たのだろうか。
従えている分身体の数はかなり多そうだが、実はあまり制御できていないのかもしれない。
ともあれ、まずは十香を安全な場所まで運ばなければならない。
地面に横たわったその体を抱えると、また足元の影が蠢く。
無形の影を操るのも、かの最悪の精霊の領分である。
まだ何か用があるのかと身構えるが、本人は姿を現さずに声だけが響いた。
『忠告が遅れましたけれど、お気を付けくださいまし。いつものようにぼうっとしていては、吹き飛ばされますわよ?』
直後、物凄い暴風が士道を襲った。
身動きが取れないのは勿論、巻き上げられた砂がバチバチと当たって目を開けていられない。
十香を抱きかかえたまま、その場に屈んで随意領域を展開する。
ゆっくりと範囲を広げていくと、風の音はまた遠くなった。
状況から察するに、どうやら今までは狂三が守ってくれていたらしい。
その点に関しては感謝しかないが、このようにいきなりではなく、もう少し穏当に伝えて欲しいところだ。
「うっ――シ、ドー……?」
「十香! 良かった……目を覚ましたんだな」
「すまぬ、私が無力なばかりに……」
「いや、十香が無事だっただけで十分だよ」
悔し気に顔を歪ませた十香を労わるよう、その頭に手を置く。
十全な状態ならともかく、霊力を封印されている状態であのエレン・メイザースの相手は、さぞ荷が重かっただろう。
本来ならば自分が守らなければいけなかったはずなのに、こんな顔をさせてしまっている不甲斐なさにどうしても憤りが募る。
「シドー……べるせるく、という言葉に聞き覚えはないか? あの女が去り際に口にしていた」
「――っ!」
十香の言葉に息を呑む。
あの女とは恐らくエレンのことだろう。
そしてエレンが〈ベルセルク〉という識別名に言及したということは、耶倶矢と夕弦の正体に気付いている可能性が高い。
この暴風も、風の精霊が戦闘状態に入ったのなら説明がつく。
あの二人の不安定な精神状態を考えれば、いよいよ猶予はない。
「そうか……やはり耶倶矢たちが危ないのだな。くっ――」
十香はこちらの反応からおおまかな事情を察したようだが、身を起こそうとして失敗した。
大事はないが、明らかに消耗している。
そんな彼女にこれから頼もうとしていることに、士道はどうしようもなく気が咎めた。
「十香、無理はするな。あとは俺が何とかするから」
「それではダメなのだ。私は戦うことしか能がない……七罪のように便利な力も、琴里のようにシドーを癒す力もない。そんな私が敵の前に立って剣を向けられないのなら、一体何の役に立てると言うのだ……!」
紫水晶の瞳が水面のように揺れ、やがて雫が零れ落ちていく。
十香の悲痛な声が、士道の胸を締め付ける。
自身の無力を嘆く姿は、どうしようもなく先程までの自分と重なった。
そして同時に、
ああ、これは確かに放っておけない。
蓮の言動は、ひねくれてはいるがこちらを元気づける意図があったようにも思える。
士道も、目の前の少女の涙を止めてやりたくてたまらなかった。
その涙を拭って言葉を重ねれば納得してくれるだろうか。
十香は既に大切な人の一人であり、役に立つだとかそんな利益だけを見るような対象ではない。
そしてそんな事情とは別に、士道は今確かに十香の
しかし、この状況でどこまで時間の猶予があるのかは分からない。
事細かに説明して、本当の手遅れになってしまっては元も子もない。
だから士道は手短に、何よりも雄弁な方法を選んだ。
「――!?」
十香の目が驚きに見開かれる。
それを至近距離から見つめて、またその暴力的なまでの美しさを思い知らされる。
加えて相手の息遣いが、匂いが、そして震える唇の感触が、理性を突き崩しにかかる。
唇を唇で塞いだまま、士道は十香との繋がりを確かめるように舌を這わせた。
「ぅん、んんっ……」
身動ぎと共に、唇の隙間から言葉にならない声が漏れる。
その艶めかしい響きに、堪らず唇を離す。
これ以上は同意が必要だという、せめてもの理性が働いた結果だ。
「十香、俺にはお前が必要だ」
あの二人を救うためには、自分一人の力だけでは届かない。
士道が身勝手な願いを振りかざすためには、十香の霊力が必要なのだ。
かつて琴里を助けるために行った蛮行を、繰り返さなければならない。
必要な事とは言え、罪悪感は決して拭えない。
だけどそれを凌駕するほどの興奮が急き立てる。
――――早く唇を奪え、その
『良かったじゃないか。彼女を慰めるという大義名分が出来て』
湧き上がる衝動と、嗤う誰かの声。
(黙ってろよ、クソ姉貴が)
内心で毒づきながら、士道は応えを待った。
すると十香は泣き笑いを浮かべ、目を閉じて身を委ねてくる。
もう言葉はいらなかった。
これまで以上に深く口づけて、思う様に貪る。
十香の霊力の、その本質が流れ込んでくる。
玉座と剣の天使〈
その本質は単なる破壊ではなく――――
「――――ありがとう、十香。一緒にあの二人を助けよう」
深く長い口づけが終わると、十香は眠るように気を失った。
抱きかかえたまま立ち上がって、まずは旅館を目指す。
このまま十香を戦場に連れて行くわけにはいかない。
「……無事だったようだね」
旅館の入口に着いた士道を、浴衣姿の令音が出迎えた。
携帯を握っているところを見ると、誰かと連絡を取っていたのだろうか。
ふと、自分の携帯が震えていることに気付く。
取り出して確認すると、今まさに着信が切れたところだった。
履歴には『村雨令音』の名前が並んでいた。
どうやら相当に心配をかけてしまったようだ。
事前に外出する旨は伝えていたが、この暴風の中で戻ってこないとなれば無理もないだろう。
インカムがあればそれで連絡できたはずだが、生憎と部屋に放置したきりだ。
素直に頭を下げてから、士道は令音に十香を託した。
「DEMが動いています。十香もあのエレン・メイザースに襲撃されました」
「……了解した。十香は念のため、こちらの部屋で保護しよう」
「あの二人も狙われてます。だから、俺が行かないと」
「…………そうか。こちらからも応援を向かわせる。くれぐれも無理はしないでくれ」
手短に報告を済ませると、士道はそのまま反転して外へ向かう。
それを留めるように、後ろから手が回った。
「……すまない。君に酷な選択を託すことでしか、彼女たちを救う方法を見出せなかったんだ」
普段感情をあまり示さない彼女にしては珍しく、その言葉には明らかな後悔の色があった。
何かを判断する立場には、相応の苦悩があるはずだ。
琴里にしても、きっとあの小さな肩には重すぎる物を背負っているのだろう。
教師になってからは日が浅いし、ASTという環境も一般的とは言い難かったが、社会人としての経験からその点に関しては理解しているつもりだ。
そっと手を重ねる。
「そういえば、あのギャルゲーの選択肢って三択ばかりでしたね」
「……あれは実際の精霊攻略を想定しているからね」
「だったら今回も三択じゃないと」
耶倶矢を選ぶのではなく、夕弦を選ぶのでもなく、二人が共に生きていける道を選ぶ。
そんな選択肢は存在しないと言うのなら、無理やりにでも作り出す。
運命が立ちはだかるというのなら、ねじ伏せてでも押し通す。
この手の中に芽生えたばかりの力は、きっとそのためのものなのだ。
「二人分の転入の手続き、お願いします」
それだけ言い残して、士道は暴風の中心へと駆け出した。
その背中を見送った令音は、目を見開いて呆然と呟いた。
「……まさか、今の霊力は――――そんな、
「あ、ああ――――」
呻くような声を上げて耶倶矢、或いは夕弦であった少女は周囲に無差別に風を撒き散らす。
橙色の長い髪と襟巻きを風に吹き晒した、長身の少女である。
その面にはいかなる感情も現れておらず、虚ろな水色の瞳には何も映らない。
嵐によって蹂躙された周囲の光景も、自分に刃を向ける女の存在も、自分自身がどうなっているのかさえも。
今となってはこの忘却こそが彼女にとっての救いにほかならない。
自分の有り様を正しく認識した瞬間、その存在は
その兆候を示すように、制御もなく無秩序に放たれる霊力が巻き起こす乱風は、今や嵐となってこの島を飲み込みつつあった。
「それがあなたの――風の精霊の真の姿というわけですか」
対峙するエレン・メイザースは、〈カレドヴルフ〉を構えたまま感嘆ともとれる息を漏らした。
周囲を蹂躙する暴風に、そのノルディックブロンドの長い髪が揺れる。
それはこの風が、エレンの随意領域内部にまで影響を及ぼしていることを意味していた。
現代の魔術師が扱う随意領域とは即ち、己の意のままになる空間である。
ましてや最強の魔術師の支配下に置かれたのなら、揺らぐことなど本来ありえない。
そう、ありえないのだが――対峙する相手もまた規格外。
特殊災害指定生命体……通称・精霊。
天災と称されるその力は、まさに荒ぶる自然現象と同義だ。
人の身でそんなものに立ち向かおうというのは、本来ならば蛮勇もいいところだ。
しかしその精霊を狩ることがエレンの役目であり、また刃を届かせるだけの自信もある。
あらためて、真の姿を現した風の精霊を見る。
その特徴は二人であったときと重なる部分も多いが、今の姿はより完成された印象を覚える。
背中には無機質な両翼を備え、拘束衣のような霊装は相変わらずだが、その所々を覆う甲冑はあたかも騎士然としていた。
そして、この大地を揺るがす程の力だ。
先程も随意領域内の大気に干渉されたが、あれは至近距離だったが故だ。
距離を取ったことでその状態は解消されたのだが、今はそれなりの距離を保持した上でもこうして干渉されている。
しかも、相手はこちらの姿など見えていないかのように無差別に風を撒き散らすのみ。
つまり、意識すらせずに垂れ流した霊力だけで随意領域の支配を上回っているのだ。
それが本格的にこちらに向けられたならば――――自然と口角が吊り上がる。
好戦的な笑みを浮かべながらもしかし、エレンは自制した。
まだだ、まだこの精霊は
ゆっくりとその状態に近づきつつあるようだが、悠長に待っていてはどのような邪魔が入るのかわかったものではない。
手足の一本でも切り飛ばせば絶望してくれるだろうか……いや、この白痴さながらの様では有効だとは思えない。
また、これほどの力を持つ精霊との戦闘でそのような手加減をする余裕があるかも怪しい。
ここは再び言葉を弄して、自分自身の有り様をしっかりと認識してもらうしかないだろう。
そうしてエレンが口を開こうとした、その時――――
「よう、カメラマンさん。商売道具はどうしたんだよ」
その男は温泉上がりなのか浴衣を纏っていた。
この風の地獄に場違いな、呑気と言っていい格好だ。
しかし、そのような装備でこの場に踏み入ることこそが既に尋常ではない。
エレンの目が見開かれる。
「――――は?」
口から漏れた声は、様々な感情がない交ぜになった疑問の声だった。
魔力の光を纏い、男の身に纏う浴衣が別のものに取って代わる。
見た目の上では単なるビジネススーツだが、それが武装であることは一目瞭然だった。
基礎顕現装置による緊急着装……それは男が魔術師であることを示している。
「ふ、ふふ……はははは――――あっハハハハハハハハハハハハ…………ッ!」
それを認識した瞬間、エレンは歓喜を堪えきれなかった。
今この時は自分の任務すらも忘れ、狂ったように笑う。
そして求めてやまなかった怨敵との邂逅に、光の刃を振りかざして高らかにその名を叫ぶ。
「――――ホムラ、シドォォォオオオオオッ!!」
というわけで終了。
いつもより分量は少なめですが、キリがいいのでこれぐらいで。
案の定今回では終わりませんでしたね。
果たして次回で終わるのか……