士道くんが淫行教師と謗られながら精霊をデレさせる話 作:kish
クライマックスになると自然と分量増える問題。
夜空を雲が覆い、暗夜の下に凄まじい風が渦巻く。
それによって木々が土壌ごと掘り起こされ、弾丸のように辺りを飛び交う。
共に巻き上げられた土砂はさながら蝗害のように、踏み入る者を容赦なく食い散らかす。
「――――あ、ああ…………」
その中心に座すのは真なる風の精霊・八舞である。
彼女こそがこの地獄を作り出している張本人だが、その自覚はない。
ただ茫然自失と、開いたままの口から意味の伴わない声を発するのみ。
その周囲に閃く光がある。
火花のように発せられるそれはぶつかることで削り合い、そうして散った魔力の光だ。
この風の地獄の中には他にも二つ、人の姿があった。
無論、この環境下で動ける時点で両方ともに常人ではない。
二人は現代の魔術師と呼ばれる者達だった。
その一方、機械の鎧を纏って風の中を飛び回る女は、光の刃を振るいながら歓喜を口にした。
「ああ、ああ! 一体どれほどこの時を待ち望んだことか……!」
女――エレン・メイザースにとって目の前の男はこの五年、ずっと焦がれていた相手だった。
こちらに関する記憶を失ったと知ってもなお、諦めきれない相手だった。
それはすぐそばで佇む
一心不乱に相手を想い、頬を紅潮させる様は恋する乙女のようにも見える。
しかし、その行動と表情がそれを裏切る。
恋心とは一般的に、相手に対して好戦的な笑みを浮かべ、武器を振るいながら表現するものではないのだ。
間断なく振るわれる光の刃を受け止めながら、ビジネススーツ姿の男――穂村士道は戦々恐々と引き攣った笑みを浮かべた。
安穏と表現するのは少しばかり憚られる人生を送っている士道だが、それでもまだ常識的な感性を捨てたつもりはない。
半ば慣れてきたとはいえ、こうして見目麗しい女性から苛烈な敵意を向けられて平気でいるのは難しい。
それだけならまだ顔を歪める程度で済むのだが、相手は『最強』と称される魔術師だ。
彼女の力の一端を知る士道は、頬に汗を伝わせた。
その周囲を覆うのは現代の魔術師が顕現装置によって展開し操る、己の意のままになる空間……即ち、随意領域である。
士道が得意としているのは、その随意領域による防護だ。
精霊の強力無比な攻撃はそう何度も受け切れるものではないが、
しかし今対峙しているのは、万人に一人の才能の中でも特に抜きん出た一等星。
魔力の生成量は勿論だが、何より制御の精度が異常だ。
精霊の膨大なエネルギー量には及ばないものの、その刃の鋭さの一点のみでこの防御が貫かれる危険性がある。
流れる汗をそのままに、より集中を深める。
随意領域の制御を担うのは魔術師の脳だ。
精神や思考の乱れは致命的な隙になりかねない。
ましてや相手はかの悠久のメイザース。
少しでも気を抜いた瞬間、その綻びを的確に突いてくるだろう。
五年前に命を拾えたのは、単に運が良かったからにすぎない。
今回も、このまま現状維持を続けてはいずれ限界を迎えて終わりだ。
ならばどうするか……士道は虚勢の笑みを浮かべながら口を開いた。
「ところであんた、いつからカメラマンに転職したんだよ」
「あれは仮初の立場に過ぎません」
「にしては楽しそうだったみたいだけどな……
随行カメラマンの日中の様子を伝え聞いていた士道は、最後の一言を意味深に強調して挑発的に笑った。
安い挑発だが、果たしてエレンは頬を僅かに赤く染めてその美しい顔を歪ませた。
そして次の瞬間には、ふっと表情を消して――――
「……やはり、世の女性のためにあなたの存在は抹消するべきですね」
レイザーブレイドを振りかざして、一直線に突っ込んでくるのだった。
世の女性という表現は、少し大げさすぎやしないだろうか。
士道にここまで言われるほどの覚えは……残念ながら否定できない部分があった。
しかしそれはエレンとは関わりのない部分のはずだ。
正直、士道には最強の魔術師が自分にこうまで激情を向けてくる理由が、今一つわからない。
過去に彼女の邪魔をしたことはあるが、その際に徹底的に痛めつけられているのだ。
邪魔をした者への制裁ならば十分すぎるほど受けたし、魔術師としての格の違いならば、既に証明は成されているはずだ。
腑には落ちないものの、こちらへの執着じみた感情は利用価値がある。
相手の速さは強化した動体視力を以てしても捉えがたいが、こちらの挑発のおかげか動きはひたすらに直線的だ。
加えて視野狭窄に陥ってくれているとなれば、なお好都合。
光の刃が届く寸前に、士道は己の随意領域でエレンをすっぽりと包み込んだ。
堅牢な守りを外側でなく内側へ向ければ、それは相手を閉じ込める檻になる。
「くっ、これは……!」
エレンも自身の随意領域で対応しようとするが、士道は守りに関しては非凡な性能を発揮する。
両者の随意領域は、内と外でせめぎ合うような形で拮抗した。
「悪いが、大人しくしててもらうぜ」
「無駄ですよ。こうして私の動きを封じたところで、あなたにそれ以上の余裕がないことはわかっています」
「……手痛い指摘をどーも。だけどあんたも、そのご自慢の剣じゃあこれを破れないみたいだな」
「――っ、今にそのふざけた口を黙らせてあげましょう……!」
士道の挑発めいた言葉は、少しでも相手の注意を風の精霊から背けるためだ。
廃人のように佇むその姿を一瞥して、目を伏せる。
少し見ない間に随分と背が伸びたが、あれが八舞という精霊の真の姿なのだろうか。
手遅れという言葉が過ぎったが、そんな弱気な考えは即座に噛み砕く。
彼女
しかしエレンの言う通り、士道にこれ以上の余裕はない。
仮に相手を封じ込める以外のことにリソースを傾けた瞬間、この檻は内側から破られてしまうだろう。
ならばと、己の内に芽生えた
すると同時に、頭の中に声が響いた。
『その力なら彼女をどうにか……それこそ、その存在を抹消することもできるかもしれないね? 彼女たちを救う機会を逸してもいいのなら、だけれどね』
(わかったよ。ありがとな、
『…………ちっ』
皮肉気に響く声だが、今のは使いどころを考えろというアドバイスに他ならない。
士道が素直な感謝を向けると、声の主は舌打ちをすると面白くなさそうに押し黙るのだった。
もしこちらの葛藤を期待していたのだとしたら、それに応えることは出来そうにない。
そもそも、相手を抹消するなどという物騒な真似もするつもりはない。
苦笑する士道だが、次の瞬間にはその余裕も消え去った。
「……〈ロンゴミアント〉、限界出力――――」
随意領域の檻に閉じ込められたエレンが、巨大な砲門を構えて射撃準備に入ったのだ。
収束する魔力量に尋常ではない威力を予感した士道は、エレンの正気を疑った。
この閉じ込められた状態でその一撃を放てば、檻を破れるかどうか以前に、まず自分自身が無事では済まない。
それとも、彼女にはそんな状況でも自分の身を守る自信があるのか。
もしくは、こちらがそれを良しとせずに檻から解放するのを期待しているのか。
エレンが浮かべた憤怒の形相は、そのどちらも否定した。
これは自分の身の安全など考えない、相手を打倒できさえすればいいという意思の表れだ。
脳裏に、炎の精霊への憎しみを叫ぶ少女の姿が過ぎった。
AST時代にも、こんな顔をした同僚を見かけたことがある。
エレン・メイザースという魔術師に対して、士道は間違っても良い印象を持っていない。
だからといって、目の前で自滅されるのは決して良い気分ではない。
いくら甘いと言われようが、死ぬとか死なせるだとか、殺すとか殺されるだとか、そういうのは真っ平ごめんなのだ。
ならば、事ここに至っては選択肢は一つしかない。
そうして随意領域の檻を解こうとして――――懐かしい魔力の気配を感じ取る。
「ああ、くそっ……そういうことかよ!」
悪態を吐いて、顔を思いっきり顰める。
その様子をどう取ったのか、エレンは憤怒の形相を歪めて愉悦を表した。
「今更後悔しても遅いですよ。あなたは今、この場で確実に殺します」
「残念ながら、あんたの相手はまた今度――だっ!」
「なっ――――!?」
驚きの声を上げるエレンを余所に、士道は随意領域の檻を思い切り蹴飛ばした。
このまま距離が開けば制御も届かなくなり、あの檻は遠からず破られるだろう。
しかし、その事に対する憂慮は全くなかった。
凄まじい勢いで遠ざかっていくエレンを見やって、目を細める。
「それじゃあ任せたぜ、
光の槍が、解けかかった随意領域の檻を突き破る。
自由を取り戻したエレンは、自分が飛ばされてきた方角を睨みつけた。
「ホムラ、シドウ……ッ!」
その胸に滾るのは、自分の足跡に汚点を残した男への狂おしい感情だった。
相手がこちらの事を覚えているというのなら最早是非もない。
今すぐにでも舞い戻って、徹底的に痛めつけて己の行いを後悔させた後、その命を奪うのだ。
そうすることでようやく汚点がすすがれる。
即座に飛び立とうとしたエレンだが、自分の任務さえも忘れるほどの激情に支配されてもなお、最強の魔術師としての勘は健在だった。
足元に音もなく忍び寄る何かに光の刃を突き立てるが、手応えはない。
こちらの動きを察知したかの如く、離れていってしまった。
「おっと、奇襲のつもりだったのですが。流石は音に聞く悠久のメイザース」
木陰から姿を現したのは、長髪の男だった。
日本人離れした顔立ちだが、日本語を話しているところを見るとやはり日本人なのだろうか。
しかしそんなことはどうでもよく、エレンの関心は男の纏う装備に向けられていた。
ワイヤリングスーツに、CR-ユニット……それも、
顕現装置とそれを利用した兵器であるCR-ユニットの技術は、DEMの独占するものである。
ただ一つ、例外があるとしたら――――
「いやはや、今更矢面に立たされる事態が訪れるとは……人生とはわからないものです」
「――〈ラタトスク機関〉、ですか」
「おやぁ? 我々の事をご存じでしたか」
「ええ、多少は」
エレンの脳裏に、去っていった者たちの顔が浮かぶ。
あの太陽然とした男と、もう一人は……目の前の男が纏うCR-ユニットに目を向ける。
細身の流線的な形状、白銀の装甲に張り巡らされた淡い緑の魔力光。
その光によって浮かび上がった模様は、どこか蛇の鱗を連想させた。
そして何よりも、DEMとは別系統の――いや、その
そんなものを開発できる者など、この世に一人しかいない。
(……これはあなたの作品ですか、カレン)
郷愁が湧き上がったのもつかの間、すぐに激情に塗りつぶされる。
ああ、どうして今夜はこんなにも、感情を揺さぶることばかり起こるのだろうか。
自分の足跡に汚点を残した男への激情と、かつての同志たちへの激情。
その二つがせめぎ合った結果、エレンは己の任務に立ち返った。
そう、今は何よりも、あの風の精霊を優先するべきなのだ。
「消えなさい。あなたの相手をしている暇はありません」
「ああっ、その素気無い態度……で、できればもっと蔑む様な目で冷淡に、罵りを込めてっ!」
「は、はぁ……?」
息を荒くして身悶える男に、エレンは思わず困惑の声を上げた。
率直に言って気持ち悪かった。
それは穂村士道に感じるような身の危険とは違うが、ただただ関わり合いになりたくない。
内心でドン引きしていると、男は咳払いと共に佇まいを直した。
「ん、んんっ! 生憎とあなたに彼の……そう、
彼、というのが誰を指すのかは判然としないが、もしそれがあの穂村士道だとしたら、これからの付き合いを考えなくてはならない。
いや、これから葬る相手に付き合いも何もないのだが。
ともかく、穂村士道がこの変態と同じく〈ラタトスク機関〉の所属ならば、あのビジネススーツのような
先程は気が逸ってしまったが、あらためて手を下すための大義名分を手に入れて、エレンは僅かに口角を上げた。
風の精霊をどうにかした後の話となるが、人間ならば精霊と違って突然消失することもない。
雪辱の瞬間を思うと気が昂ってしかたがなかった。
浮足立って飛び立とうとしたエレンだが、即座に身を翻す。
光の反射も空気の振動もないが、確実に
それは顔のすぐ横をかすめて、ノルディックブロンドの髪の一部と身に着けたインカムを破壊していった。
「また察知されてしまいましたか。やはり攻めるのは少々苦手ですねぇ」
「今のはまさか、
見えない攻撃の正体を察して、エレンは瞠目した。
それは新型の顕現装置によってようやく実現したはずの最新技術だ。
しかもこれは視覚のみならず他の五感はおろか、
直前まで察知できなかったのもそれが原因だ。
もはや不可視ではなく、不可知と表現した方が正確だろう。
DEMの数歩先を行くような技術だが、あの
「……そのCR-ユニットは捨て置けませんね」
「〈ヨルムンガンド〉――うちの新型でして、実はテストを頼まれているのですよ。やれやれ……全く、こちらのブランクも少し考えてもらいたいものです。まあ、そういった無茶振りも望むところではありますが――――ああっ、これでもし失敗してしまったら、もしや司令からきつーいお仕置きを頂けるのでは……!?」
肩を竦めてから、男はまた気色悪い声を上げて身悶え始めた。
その気持ち悪さはさておき、エレンは顔を俯かせると今の言葉の意味を咀嚼する。
世界蛇とはまた大層だが、兵器のネーミングの際に神話や伝承にあやかるのは良くある話だ。
事実、エレンの纏う〈ペンドラゴン〉もその類ではある。
それよりも、この男はこれが
しかも男の言葉からは、こうした戦闘自体が久しいものだということがうかがえる。
このエレン・メイザースに対して、それはあまりにも不遜と言わざるを得ない。
浮かび上がる好戦的な笑みを隠さぬまま、顔を上げる。
「少し、あなたにも興味が湧いてきました」
「なんと! ……大変心苦しいのですが、私には司令という心に決めた方がおりますので」
「……は? 何を言っているのですか、あなたは」
「せめてもう少し身長とバストサイズと年齢が低ければ……非常に残念です」
「…………」
とりあえずこの男は抹殺しよう。
何故かフラれたことになったエレンは、無言で絶対殺すリストに新しく一人の男を加えた。
そしてそのまま〈カレドヴルフ〉を構えるのだった。
「悪い、待たせちまったな……耶倶矢、夕弦」
ごうごうと吹き荒れる風の中で、士道は精霊・八舞に呼びかけた。
高校三年の夏の日、空間震警報を無視して外に出た士道は、遠目に争う双子を目にして、精霊の存在を知った。
そしてASTの任務中に二人と遭遇して散々勝負に付き合わされ、その出会いによって精霊の人格を認めた。
いずれも今日のように、大地を揺るがすような風の中での出来事だった。
すっかり変わり果ててしまった
『でも、あんたがそんなに言うならちょっとだけ……二〇%ぐらいは期待しておく』
『――――それが現実となったなら、きっとこの上なく素敵な結末でしょう』
根拠のない希望に僅かな期待を寄せた耶倶矢と、仮定の未来に微笑んだ夕弦。
士道は今、それを実現させるためにこの場に立っている。
そんな方法などどこにも存在しないというのなら、
「あ、ああ――――あ?」
八舞の呻くような声に、疑問の色が混じる。
それは士道の呼びかけに対してか、それともたまたま目に入ったものを認識しただけなのか。
その虚ろな瞳に映っているものを、知ることは出来ない。
ただ万感の思いを込めて、一歩踏み出す。
真なる八舞を決める一〇〇番目の勝負、その裁定を下す時がやって来たのだ。
「お前らはさ、揃いも揃って理不尽だよ。初めて会った時だってそうだし、この旅行中も俺がどれだけ振り回されたことか」
士道は二人との出会いを、この島での交流を語った。
その端々に恨み節が混ざっていたのはご愛敬だ。
そして散々語った後に、降参するように両手を上げる。
「――とまぁ、好き勝手言わせてもらったけど、お前らの良いところや悪いところはお互いに良く知ってるだろうな。だから、俺が挙げるのは一つだけにしとくよ。耶倶矢、夕弦……お前らはさ、お互いの事が好きすぎるんだよ。自分はどうなってもいいから相手に生き残ってほしいだって……?
二人に向けた罵倒は同時に、自分に向けたものでもある。
自分を大切に思ってくれる人たちを悲しませないために、何としても生き残らなければならない。
そしてそれは、八舞姉妹にも当てはまることだ。
真に相手を大切に想うのなら、自分自身も生き残らなければならないのだ。
「お前らのどっちかがいなくなったら、残された方が悲しむだけだろうが。だからそんなのは俺が認めない。そんな運命は俺がねじ伏せてやる」
自分の中に芽生えた力に手を伸ばす。
それはまだほんの小さく弱々しい光だ。
だけどこれは、世の法則すら書き換える神の如き絶対の権能の一端。
不可能の一つぐらい、容易に覆せなくてなんとする。
「一つになっちまったぐらいでなんだって言うんだよ。心配すんな、俺がまた二人にしてやる」
「――――ひ、とつ……ふた、り……? あ、あああ、あああああああああああああああああっ」
「耶倶矢、夕弦。俺が選ぶのは、お前たち二人だ…………ッ!!」
言葉に反応して、八舞の呻き声が慟哭へと変わっていく。
頭を抱えて苦しむ様子に、士道は少しの間目を閉じて双子の精霊の少女たちのことを想った。
彼女たちのおかげで、理不尽な目にあったことは否定できない。
しばしば天災と称される精霊の中でも、二人は
加えて気まぐれな風の化身となれば、理不尽は必然なのかもしれない。
だけど、二人は互いを思いやっていて、士道はそんな二人のことを気に入ってしまった。
だからどこまでも傲慢な自分の願いを叶えるために、高く手を掲げる。
「――サポートよろしくな、
嵐によって蹂躙されつくした大地に、毒々しくも瑞々しい園が広がっていく。
そして士道の体から霊力の光が立ち上り、幻想的な煌めきを放つ一つの剣が顕現する。
その柄を握り大上段に構え、自分の中に芽生えた
「――〈
霊力で構成された随意領域――即ち、極小の
バチバチと、爆ぜるような音が連続する。
スパーク音のようだが、その実態は不可知の攻撃が生み出すソニックブームだ。
己の随意領域によって感覚を研ぎ澄ませたエレンは、数度の攻防を経て相手の獲物が鞭のような形状をしていることを悟った。
(成程、さしずめ
その特性は言わずもがな、自身の存在の隠蔽。
この場が木々に囲まれた森の中ということもあって、相手の位置取りは把握できていない。
世界蛇の名にはそぐわないせせこましさだが、いやらしさは相当のものだ。
ここまで感覚の強化にリソースを割けば、必然攻勢に割くリソースが減少する。
そしてそれだけの強化を施してもなお、直前まで攻撃を察知することができない。
無論、その僅かな時間があれば回避は容易だが、相手の尻尾を捉えようとしても巧みに躱されてしまう。
その随意領域の精度の高さは、相手が熟練の魔術師だということを示している。
とはいえ、対策は単純かつ容易だ。
どこから来るのかが分からないなら、どこから来ても受けられるように備えればいい。
感覚の強化を、防性随意領域の展開へと切り替える。
全方位防御――これはあの穂村士道の得意とする戦法だが、そのことは一旦置いておく。
そうして守りを固めたエレンは、初めて相手の攻撃の正体を目の当たりにした。
不規則な動きを見せながら迫るのは、見た目で語るならば白銀の縄だった。
魔力伝達の良い繊維を使用しているのだろう、内側に流れる魔力が光となって漏れ出ている。
その先端に着いたユニットは、どこか蛇の頭を連想させた。
しかしどのような見た目であろうと、こうして捉えてしまえばどうということはない。
迫る蛇の頭を〈カレドヴルフ〉で両断しようとして、エレンは違和感を覚えた。
(――何故、今になって目に見える攻撃を仕掛けてくる……?)
それに従い、すんでのところで回避する。
すると、蛇の頭はエレンの防性随意領域を
これは単純な威力の問題ではない。
そこまで強力な攻撃ならば、受けた際に相応の負荷がかかる。
しかしこれには負荷が、それどころか受けたという感触すらなかった。
それはまるで、随意領域を無視しているような――――
試しに蛇の頭へ光の刃を振るうと、刃が搔き消されて金属同士がぶつかる硬い音が響いた。
(間違いない、これはこちらの随意領域を無効化している……!)
今までの常識ではありえない事態に、エレンは驚愕に目を見開いた。
触れた部分のみという、範囲の上では大したことはないが、魔術師にとっては致命的な牙だ。
不可知の尻尾と随意領域を侵す牙……これらがあのCR-ユニットの特性だったのだ。
あの白い精霊は埒外の例外として、人の技術でそこまで到達するとなれば、最強の魔術師をしても規格外と言わざるを得ない。
(全く、よくもこうもとんでもない技術を開発してくれる……!)
内心で思い浮かんだ顔に称賛とも悪態ともとれる言葉を吐くと、即座に
妨害するように不可知の尻尾が飛来するが、エレンはそれを己の勘のみで掻い潜った。
「なぎ払え――〈ロンゴミアント〉!」
魔力の光が、横薙ぎに夜の森を蹂躙する。
精霊にも匹敵しうる最強の魔術師の一撃は、森の一部分を扇状に切り拓いた。
遮る物がなくなった視界の中に、ノイズが浮かび上がる。
それは次第に人の形をとり、やがて白銀のCR-ユニットを纏った男が姿を現した。
男は灼けた切り株に腰かけると、優雅に脚を組む。
「いけませんねぇ。環境保護が叫ばれる昨今、このように森林を破壊しては」
「ハイドアンドシークはもう終わりですか? ならば退場していただきましょう」
「さて、死ぬほどの痛みというものにも興味はありますが――ああ、始まったみたいですよ」
男の言葉に呼応するように、大気が、森が鳴動する。
何事かと夜空を見上げたエレンの目に映ったのは、雲を貫く光の柱だった。
発生地点は自分が飛ばされてきた方角――つまり、あそこには穂村士道と風の精霊がいる。
何か異常事態が起こっているのは確実だろう。
事態の把握のために〈アルバテル〉へ呼びかけようとしたが、生憎とインカムは先程破壊されたばかりだった。
こうなると直接確認しに行くしかないが……エレンは舌打ちをして、目の前の男を睨みつけた。
そうしたら背中を狙われるのは目に見えている。
これがそこらの魔術師ならば歯牙にもかけないが、CR-ユニットの性能も加味すると、相手は少なくとも凡百ではない。
そのような相手と相対して尚且つ打ち倒すのは望むところだが、今は状況が悪い。
「くっ――いい加減目障りですね……!」
「んん~~、いまいちですねぇ。罵倒はもっとキレ良く! 常識でしょうがっ」
「…………」
指を咥えながらなにやら品評、あまつさえ意味不明な常識を説いてくる男にエレンは閉口した。
そしてやはり関わり合いになるべきではなかったかもしれない、と後悔を募らせるのだった。
「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ…………ッ!!」
嵐の中心で叫ぶ影がある。
その慟哭はきっと、自分たちの運命へと向けた呪いだ。
呪詛は形となって、やがて精霊・八舞の存在をひっくり返してしまうだろう。
かつて耶倶矢と夕弦の二人は、どちらかが真の八舞になるのだと言った。
それを決めるために、自分こそがふさわしいのだと証明するために、幾度となく競い合っているのだと。
だがそんなものは名目に過ぎなかった。
二人は互いに自分よりも、向かい合ったもう一人の方が大切だったのだ。
だから自分が負けることを願った。
だから誰よりも大切な姉妹が、真の八舞になることを望んだ。
耶倶矢が残るか、或いは夕弦が残るか。
用意されていた選択肢は、その二つだったのかもしれない。
でも二人の本当の望みは、共に生きていくことだったのだ。
そして壮絶なる
「――――ざっけんなよ」
士道は内から湧き上がる怒りを抑えるように、大剣の柄を強く握り締めた。
それが運命が導き出した答えだというのなら、認めるわけにはいかない。
ゆっくりと〈
十香と唇を重ね、士道はこの天使の本質を知った。
この天使が切り裂くのは形があるものに限らない。
目に見えない境――極まれば、世界を隔てる境界すらも切り裂いてしまうだろう。
それがいかなる意味を持つのか、今の士道には正確に理解することはできない。
望むことはただ唯一つだけ。
この刃を以て、
それは例えるのなら、混ざり合ったコーヒーとミルクを分離させるような所業だ。
常識的に考えるのなら、不可能と言ってしまってもいいかもしれない。
だが、士道に芽生えた力はそんな条理すらも捻じ曲げる力だ。
偶然とはいえかつて二人に分かれたことがあるのなら、
そして周囲に広がる
今この場は、士道にとって都合のいい
構えた〈
爆ぜるように体のあちこちで皮膚が、血管が破れ血が噴出する。
精霊の強大な力を、人の身で行使しようとする代償だろう。
大きすぎるエネルギーに、体が耐え切れないのだ。
しかし破損した箇所を、炎が端から舐め取るように癒していく。
自分を守ってくれる琴里の力に、士道は感謝の念を向けた。
痛みは消えないが、それは我慢すればいいだけだ。
後はこの力を解き放つだけ。
「耶倶矢、夕弦……お前らはなぁ――――」
そして士道は、立ち塞がる運命に向けて〈
「――――仲良く喧嘩してりゃいいんだよぉおおおおおっ!!」
渦巻く雲が、荒れ狂う風が、真っ二つに割れる。
嵐を裂いて、その一撃は精霊・八舞へと迫る。
膨大で濃密な霊力で形成されたそれは最早、斬撃というより巨大に過ぎる光の柱を叩きつけているようなものだ。
自失した状態では避ける術もなく――いや、そもそもそうする気さえ起きない。
そのエネルギー量は、各精霊が誇る超抜の一撃に匹敵するものだ。
しかし、ここには士道の願いが、理不尽な運命に対する怒りが込められている。
それを汲み取った〈
これを奪取、ないし破壊されることは、死を意味する。
人間が振るったものとはいえ、天使による攻撃を受けたなら当然、無残に砕け散ってしまうだろう。
だが、八舞の内にある
その不安定な状態のせいか、その
そしてその亀裂こそが、耶倶矢と夕弦、二人の人格を分けている境である。
あたかも光の当て方で輝きが変わるように、表出する人格が入れ替わっていたのだ。
士道の
『あ――――』
発した声がブレて、一つだった姿が二つに分かたれていく。
どこまでも愚直で暖かく眩い光の中で、双子の精霊はお互いの存在を確かに認識した。
「……何、勝手にいなくなってるのよ、夕弦の阿呆」
「……反論。それはこちらの台詞です。馬鹿の耶倶矢には言われたくありません」
震える声で、いつもの憎まれ口を叩き合う。
霊力の光が消え、切り開かれた雲間から降り注ぐ柔らかな月光が精霊・八舞――耶倶矢と夕弦を照らしだす。
共に顔は涙に濡れ、しかし浮かべているのは笑顔だった。
夜空で月を背景に、片翼と片翼が寄り添い合う。
士道はその光景を見上げながら、崩れ落ちるようにその場に膝をついた。
杖のように地面についた〈
願いの後押しをしてくれていた、毒々しくも瑞々しい園は姿を消していた。
天使を振るった代償で崩壊しかけた体と、それを癒すために這い回る炎。
激痛に苛まれながらも、穏やかな笑みを浮かべる。
今ここに運命は斬り伏せられ、二人は再会を果たしたのだ。
「〈バンダースナッチ〉隊の復旧はまだかっ!?」
空中艦〈アルバテル〉の艦橋に、怒号が響き渡る。
声の主は口元に髭を蓄えた初老の男性――この艦を任された艦長、パディントンである。
彼が目に見えて苛立っている理由は複数あるが、決定的なものは先程の
あの実にふざけた態度を思い出し、パディントンはアームレストに拳を叩きつけた。
その形相はこの場にいる者たちが発言を控える理由になりかねないが、この艦橋に詰めるクルーは職務に忠実だった。
オペレーターの一人が戦々恐々と報告する。
「い、
「急げ! それとただちに第二執行部長に通信を繋げ!」
「通信不能! こちらの機能に問題はないため、あちらの通信機器に何らかの異常が発生しているものと思われます!」
「何をやっているのだ、あの小娘は……!」
パディントンは苛立たし気に息を吐くと、艦橋のメインモニターを睨みつけた。
現在、エレン・メイザースの反応は風の精霊から離れている。
何者かと交戦しているようだが、森の中では木々に覆われて艦載のカメラでの確認が出来ない。
拿捕したはずの〈プリンセス〉も取り逃しているというのに、一体何をやっているのか。
魔術師としての戦力はともかく、やはりあのような若輩に指揮を執らせるべきではないのだ。
「〈バンダースナッチ〉隊の制御、復旧しました!」
「ならば艦に残っている〈バンダースナッチ〉を全機発進させろ!」
「しかし、一度に投入しては住民に気付かれる可能性が……」
「黙れ! 逐次では風の精霊に吹き飛ばされるだけだろうが! そもそもこの嵐の中で外を気にする余裕がある者などいることか!」
血走った目で檄を飛ばすと、パディントンは息を荒げながら歯を食いしばった。
不測の事態とはいえ、この〈アルバテル〉を損壊させた時点で責任の追及は免れない。
ならば第二執行部長に責任を押し付けて難を逃れるか……いや、業務執行取締役の情婦だという噂が本当ならば、逆にこちらの立場が悪化しかねない。
今は失態から挽回するために、上回って余りあるだけの成果が必要なのだ。
「何としても〈ベルセルク〉を我々の手で拿捕するのだ……!」
切り開かれた夜空を遮るように、夥しい数の影が展開する。
その向こうに浮かぶ空中艦の姿を認め、士道はため息を吐いた。
大方DEMの差し金だろうが、実にご苦労な事だ。
今はあの変態に付き合わされているであろう最強の魔術師の事も含め、苦笑を浮かべる。
とはいえ、条理を捻じ曲げるような真似をした代償か、今の士道には立ち上がるのすら難しい。
しかし、今この場には大気を統べる風の精霊たちがいる。
同じく空を見上げる二人にむかって、いつかと同じように挑発じみた言葉を投げかける。
「耶倶矢、夕弦、後は任せた。勿論、出来ないなんて言わないよな?」
「――何それ、バッカじゃないの?」
「――同意。士道は大馬鹿です」
『――――そんなの、出来るに決まってる……!』
耶倶矢が左手を、夕弦が右手を差し出し、ぴたりと合わせる。
すると二人の霊装と天使が光り輝き、その形を変えていく。
互いの片翼が組み合わさって弧を描き、ペンデュラムが弦となってその両端を結び、槍が巨大な矢となって番えられる。
巨大な弓矢――これこそが、風の精霊が振るう天使の真の姿なのだ。
夜空は凪いでいる。
島を揺るがしていた嵐は、いつの間にか姿を消していた。
いや、見えなくなっただけで、決して消えたわけではない。
それは今、風を統べる精霊
『〈
二人は合わせた手で巨大な弓を構えると反対の手で左右から同時にその弦を引き、自分たち目掛けて降下してくる無数の影へ、その向こうの空中艦へと巨大な矢尻を向ける。
そして、全く同時に手を離した。
『――――【
一卵性の双風が放つは、苛烈なる
木々を薙ぎ倒し、地表すらも捲り上げる嵐が凝縮された一矢。
これぞ精霊・八舞が誇る超抜の一撃。
真の姿を取り戻した〈
その余波で浜辺の海水が沖まで押しやられ、森の木々が放射状に波打つ。
やがて巨大な爆発音が鳴り響くと、夜空が赤く染まった。
「――状況が決したみたいですわね」
「残念、撃退されちゃいましたね」
夜空を見上げながら、二人の少女はどちらともなく呟いた。
砂浜には時が止まったような静寂が訪れている。
これは単なる比喩ではなく、夜の浜辺には波の音さえもなかった。
ただ単に風がないわけではなく、そこには常識では語れない光景が現出していた。
沖まで押しやられて再び押し寄せた海水が、凍てついたかの如くその動きを止めているのだ。
しかしその水量は、まるで空間のスケールを狭めたかのように不自然に少ない。
それらはそのまま、この二人が尋常の存在ではない――即ち、精霊であることを示している。
双子の精霊たちと同じく二人の顔の造りは全く同一だが、その色合いは正反対だった。
片や夜に溶け込むような黒を示し、片や夜に浮かび上がるような白を示す。
共に『最悪』と称される、黒と白の精霊である。
明確に敵対関係にあるはずの二人だが、共に見物を決め込む様子には些か緊張感が欠けている。
そこには、友人同士が花火を眺めているような気楽さすらあった。
しかしそれもつかの間、白い精霊は赤と青の双眸を細めると、隣の黒い精霊へ非難がましい視線を向けた。
「それより狂三さん、ちょっとズルいんじゃないですか?」
「なんのことやら。皆目見当もつきませんわ」
「今回は何もしないって言ってたのに、お兄さんの手助けしてたよね?」
「あれは
「あ、そんなこと言ってとぼけちゃうんだ。ズルいなぁ、もう」
唇を尖らせるかつての親友に、黒い精霊――時崎狂三は肩を竦めた。
その人懐っこい仕草は郷愁を刺激するものだが、それを自分と同じ顔でやられては大いに違和感がある。
狂三が使役する分身体たちもいわば同じ顔の集まりなのだが、彼女たちはあくまでも狂三の過去の再現なので、本体がしないようなことはしない……はずなのだ。
一部の分身体の行状を思い出し、眉間を揉みほぐす。
そう、時崎狂三は極悪非道で冷酷無比な最悪の精霊であり、間違っても教師との恋愛にうつつを抜かしたりはしないのだ。
それよりも、あちらが指摘してくるのならば、こちらにも指摘することがある。
「紗和さんこそ、空の上で随分と遊んでいらしたみたいですけれど」
「あれ、気づいてたんだ。まぁ、降りかかる火の粉は払わないとですし」
「それでも、
「なぁんだ、そっちも気づかれちゃってたんだ」
舌を出して悪戯っぽく笑う白い精霊――山打紗和に、狂三は赤と金の双眸を細めた。
やはり、自分がしないような表情を自分と同じ顔でされると、とんでもなく違和感があるのだ。
もしかするとあの双子の精霊は、いつもこんな思いをしていたのだろうか。
「それじゃあ、私はそろそろ。エレンさんを慰めてあげないとですし――【
紗和はどこからか取り出した軍刀を振るうと、その身を虚ろに透かせた。
虚実の境を行き来する、〈
どうやら、今は随分と『時間』を気兼ねなく使えるようになったようだ。
『それにしても、あの二人はああなったけど、私たちはどうなるんだろうね?』
それだけ言い残して、紗和はこの場から完全に姿を消した。
その言葉が指すのは言わずもがな、あの双子の精霊のことだ。
同じ
だから一つに戻ろうとするような強制力はないし、また争って優劣を決める必要性もない。
手を取り合うのを妨げるのは、全く別の事情だ。
そこまで考えて、狂三は失笑した。
「――――きひ、きひひ、きひひひひひひひひひひひひッ! 手を、取り合う……? わたくしともあろうものが、随分と手ぬるい」
自分と彼女が本質的に相容れることなど、決してありえない。
こんな考えを抱いてしまったのは、この一ヶ月余りの学校生活が平和すぎたためだろうか。
それとも――――
「……あの傲慢で図々しいヒーローさんなら、なにか違う答えを見出してくださるのかしら」
月を見上げて愚かな男の顔を思い浮かべ、狂三はそこで思考を打ち切った。
それこそ悪い冗談だ。
自嘲的に笑うと、影にその身を沈み込ませていく。
そうして夜の浜辺に、随分と穏やかになった波が押し寄せた。
「――――全く以て忌々しい……!」
光の刃が閃き、縦に両断された木が左右に裂け、重い音を立てて地面に倒れこむ。
湧き上がる怒りに任せた八つ当たりだが、感情は全く静まらなかった。
状況が決したと見るや否や、〈ラタトスク機関〉の魔術師はすぐさま撤退した。
あの
ならば再び〈ベルセルク〉の元へ向かうか……穂村士道の始末も含めて、やり残したことならば山ほどある。
しかし、とエレンは抑え難い苛立ちを強引に噛み潰して状況を整理する。
嵐が収まったところを見ると〈ベルセルク〉は消失したか、平静を取り戻した可能性が高い。
先程の光の柱の正体は判然としないが、〈アルバテル〉を吹き飛ばしたあの一撃は風の精霊によるものだろうから、有力なのは後者か。
そして〈バンダースナッチ〉の動きに異常が出ていたことや、穂村士道がああして邪魔をしてきたことを考えると、〈プリンセス〉の拿捕も成功しているかは怪しいところだ。
そうなると、この島における作戦行動は何一つ上手くいってないことになる。
「――っ!」
再び怒りに任せて〈カレドヴルフ〉を振りおろそうとしたエレンだが、何者かの気配を感じて切先をそちらへと向ける。
浮かび上がるように現れたのは、白い精霊だった。
エレンにとって精霊とは攻撃の対象に他ならないが、彼女だけは例外だった。
いずれは手を下さなければならないだろうが、今はウェストコットが結んだ契約がある。
しかしそれは彼が
エレン個人の感想を述べるのなら、極めて不本意でしかない。
なので刃は下ろしたものの、不快気な表情を隠そうともしなかった。
「……あなたですか。一体何の用です」
「エレンさんが落ち込んでるんじゃないかなぁって」
「黙りなさい。殺しますよ」
「わぁ、怖い」
殺気立ったエレンの威圧は常人ならば耐えかねるものだが、それを受けた〈クイーン〉はクスッと笑って、わざとらしく怖がるのだった。
その態度が尚の事気に食わないが、明らかな叛意を見せでもしない限り手を下すわけにはいかない。
神経を逆撫でする笑顔から視線を外す。
「あ、そういえばあの機械のお人形さんたちのことなんですけど」
「……〈バンダースナッチ〉のことですか?」
「あれ、私が動かなくしちゃいました――――」
刹那、光の刃が振り抜かれた。
自分の体を通過したそれに〈クイーン〉は目を丸くしたが、その身は幻像のように透けていた。
当然、手応えもない。
エレンは舌打ちすると、虚実の境に身を置く白い精霊に鋭い視線を向けた。
「何か、申し開きはありますか?」
「申し開きと言われても、いきなり襲われて反撃しただけですし」
「限度というものを考えなさい。全機を停止させるのは明らかに過剰防衛です」
「そもそも、私の存在をあの艦長さんたちに伝えていなかったそちらの責任ですよね?」
「こちらの作戦への妨害行為は裏切りとみなします」
「やだなぁ、そんなに怖い顔しないでくださいよ。それと――」
白い精霊は酷薄な笑みを浮かべると、そっと空中を撫でるように手を滑らせた。
何もないように見えるが、そこにはエレンの随意領域の境がある。
「――私にこんなに近づいていいんですか?」
この精霊が司る概念は『空間』……随意領域にすら干渉してくる、言うなれば魔術師の天敵だ。
いかな最強の魔術師とはいえ、その相性差は覆し難い。
それを織り込んだ上で、自分からさらに一歩踏み込む。
「やってみなさい。触れる前にその腕を切り落としてみせましょう」
「わぁ、すごい自信」
「切り落とすのは、その減らず口を量産する頭からでも構わないのですよ?」
「本当にすごい自信。格好良いですね――――不可能という事実に目をつぶれば、ですけど」
ひりついた空気が、二人の間に流れる。
互いの放出する濃密な魔力と霊力が、それをさらに後押しする。
もしこの状況を見物している者がいたら、一触即発と評しただろう。
至近距離――互いの喉元に切先を突きつけるかのようなにらみ合い。
その均衡を破ったのは、精霊の笑い声だった。
「ぷっ――ふふっ……あははははは! やだなぁ、エレンさん。本気にしないでくださいよ」
白い精霊の姿が、栗色の髪の少女の姿に変わる。
身につけているものも浴衣に変わり、最悪の精霊の面影はどこにも残っていない。
その少女――紗和は懐から携帯電話を取り出した。
「心配しなくても、もう社長さんに連絡してお許しはいただいてます」
表示された通話履歴には確かにその名前があった。
時間を見てもおかしなところはない。
偽装の可能性はあるが、この状況でその場しのぎの虚言を弄したところで、後にエレン自ら確認を取ればそれはあっさりと露呈する。
それを勘案した上で、目を眇めるとエレンも自身の武装を解除する。
ああして〈アルバテル〉が墜ちた以上、この島における作戦行動の続行は困難だ。
精霊を拿捕したとしても移送手段がない。
持ち運びやすい状態――つまりは
夜刀神十香……〈プリンセス〉の正体の確認という最低限の目標は達したが、これでは敗走もいいところだ。
またも湧き上がりそうになる激情を、エレンは全てを一人の男の責任にすることで堪えた。
「ホムラシドウ……今はその首、預けておきます」
その感情は最早憎しみを超越した何かになりつつあるが、その自覚はない。
しかし、その名を聞いた紗和は黙っていなかった。
不機嫌そうに口を尖らせる様は、まるで普通の少女のように見えた。
「ダメですよ? あの人は私の獲物なんですから」
「あなたもあの男を? 一体何故……ま、まさかっ」
紗和の態度に疑問を覚えるエレンだったが、次の瞬間にはハッとした表情を作った。
この島で自分が散々受けた辱めを思い出したのだ。
穂村士道の淫行教師という異名が真実ならば、学校においても度し難い所業に及んでいるのは想像に難くない。
そしてこの少女もその毒牙にかけられたというのなら、その言い分も納得できる。
「そうですか、あなたも……気持ちは察しますが、彼を譲るわけにはいきません」
「なら、今日から私たちはライバルですね」
「いいでしょう。ならばどちらが先に仕留めるか、勝負と行きましょう」
一方、紗和は何やら誤解がありそうなことを察するが、面白そうなので黙っているのだった。
「それじゃあ、明日は一緒に社長さんへのお土産を選びましょうか」
「……は? いえ、作戦の事後処理もありますし、私は――――」
「えー? 社長さん、楽しみにしてたんだけどなぁ」
「…………仕方ありません。付き合いましょう」
二泊三日の修学旅行の三日目ともなれば、その旅程はほぼ帰るための段取りと言っていい。
十香と折紙に挟まれ、黒いのと白いのにちょっかいをかけられ、女子からは軽蔑の眼差しで見られる一方、男子からはキラキラとした視線を送られる。
そうして昨夜の疲れが尾を引いてる中、空港でのお土産選びをどうにか切り抜けて、士道は再び機上の人となった。
もう疲れすぎてブッ倒れていたいところだが、安穏とするにはまだ早い。
そう、帰りの飛行機には、行きの際にはなかった要素があるのだ。
「くく、士道よ。その身に瘴気を纏わせておるようだな。我らが癒してやろうぞ」
「翻訳。疲れているようなので夕弦たちがラブラブチュッチュ、くんずほぐれつと気持ちよくしてあげます」
「ちょっ、そこまでするなんて言ってないんだけどっ!?」
「提案。夕弦は下半身をどうにかしますので、耶倶矢は上半身をお願いします」
「か、下半身って一体何するつもりよ」
「当然。それはもう、マスターから教わったあれこれを。エロエロです、大人の世界です」
「え、えろえろっ……!?」
士道を挟んで座っているのは耶倶矢と夕弦、風の精霊の双子である。
昨夜の一件の後、士道は気を失ってしまったのだが、機関員が事後処理に走ってくれたらしい。
八舞姉妹への説明も令音が請け負ってくれたらしく、二人は〈ラタトスク〉に身を寄せることに同意したようだ。
それで晴れてこうして一緒に飛行機で帰ることになったのだが、そこで一つの問題が発生した。
遠くから向けられる視線に、たらりと汗が流れる。
「ううぅ~~、シドー……」
「まさか二人で結託していたとは……不覚」
十香と折紙である。
行きと帰りで飛行機の座席は決まっているのだが、八舞姉妹の参入によって少なからず変化があった。
後方の座席が空いていたため、本来ならそこに座らせるだけで良かったのだが、二人が士道の隣がいいと主張したのだ。
久しぶりの再会だという事情を考慮して、当の士道は二人きりにしてやるつもりだっただけに、その主張には面食らってしまった。
ともかく、それなら後方に移動するだけで済んだのだが、そこで十香と折紙も同じ主張をしたのだ。
普段あんなに反目しているのに、どうしてこんな時だけ息がぴったりなのだろうか。
二人が仲良くするのは士道も望むところだが、タイミングを考えて欲しい。
そうしてすったもんだの末、最終的にはジャンケンで決めることになった。
ところが八舞姉妹はまだ霊力の封印を施していない。
そのスペックを惜しまず発揮したことによって、士道は二人に挟まれることになった次第だ。
「……お前ら、とりあえずおとなしくしてくれ。ほら、周りからすっごい注目されてるから……」
そして当然、話題性満載の双子と悪目立ちしている教師が騒いでいれば嫌でも注目が集まる。
生徒たちの視線に泣きそうになりながら士道が懇願すると、二人はとりあえず着席してくれた。
しかしおとなしく、とはいかない。
左右から腕に触れる柔らかい何かに、士道は動揺を抑えるのに腐心した。
左に触れるたわわは文句なしに柔らかく、右に触れる未成熟もまた極上だった。
目を閉じて、必死にうろ覚えの般若心経をリピートする。
そんなものだから、二人の不審な動きには気づけなかったのだ。
「ね、ねえ、夕弦……やっちゃう?」
「同意。やっちゃいましょう」
二人の言葉に疑問を抱く前に、士道は唇の右と左に同時に柔らかい感触を覚えた。
何事かと慌てて目を開けると、耶倶矢と夕弦の顔が至近距離にあった。
そう、二人は同時にキスをかましてきたのだ。
目を白黒させて狼狽する士道に対し、耶倶矢は同じぐらい動揺しながら顔を赤くし、夕弦は微笑みながら頬を染めた。
「く、くくく……し、士道よ、き、きしゃまには我ら八舞が寵愛をさ、授けようじょ」
「告白。士道、あなたはもう夕弦たちのものです。鎖でがんじがらめにしても絶対に逃しません」
数瞬、見事に頭がフリーズする。
停止した思考から復帰した際に覚えたものは、二人が対立以外のスタンスで向き合っていることへの安堵だった。
飛行機の中だとか確実に誰かに見られているだろうことだとか、細かい事情を抜きにしたら中々に悪くない。
フッと頬を緩めた士道だが、次いで起きた現象には現実を直視せざるを得なかった。
霊力の封印には二つの条件がある。
即ち、精霊から向けられる好感度と、唇の接触である。
今の状況は、それを見事に満たしてしまっているのだ。
そして今の耶倶矢と夕弦は制服姿だが、それは霊力によって構成されたものである。
二人の体から光が立ち上るのを見た瞬間、士道は即座に二人を抱えて、自分の体で隠すように窓際に押しやった。
「いったたた……ちょっと何すんのよ、しど――――ってなにこれ!?」
「大胆……この早業には、夕弦も狼狽を隠せません」
「と、とりあえず落ち着いてくれ。ほら、天井のシミでも数えて……!」
衣服が消え去ったという事態に二人は慌てふためくが、落ち着けと諭す士道の方もあまり冷静ではなかった。
そしてその言葉を受け取った二人は見事に誤解した。
「きょ、驚愕。まさかこのような場所で純潔を失おうとは……」
「!?!? ちょっ、えっ、まっ――――ふにゃあ」
茹だって目を回し始めた耶倶矢と、何やら恥じらいと期待を同居させたような視線を向けてくる夕弦を抱えたまま、士道は汗をダラダラと流した。
勿論、この状況自体に対する焦りもあるのだが、より喫緊に頭の中で警鐘を鳴らすのは、背後で気炎が如く立ち上る気配だった。
首を恐る恐るそちらに回すが、油差しを怠った機械のごとくぎこちない動きになった。
果たしてそこにいたのは、いつもの三人娘だった。
「なーんか騒がしいから様子を見に来てみれば……!」
「現行犯っ、現行犯だよ!」
「マジ引くわー! チョーシくれてっとひき肉にすんぞテメェ!」
あとはもう
是非とも否定したかったが、あまりにも状況証拠が揃いすぎている上に、こうなった背景を説明することもできない。
こうして空の上で、士道の世間体は最大のピンチを迎えるのだった。
というわけで八舞編は終了です。
士道くんの世間体は空の上で星になりました。