士道くんが淫行教師と謗られながら精霊をデレさせる話 作:kish
「お、お会計はしめて……三三〇〇〇円になります」
「…………はい」
レジで提示された金額に、知らずに頬がぴくぴくとひきつる。
店員の方も何とも言えない顔をしていた。
無理もない……これが大人数だったならともかく、食事をしていたのはたったの二人なのだ。
色んなものが比較的安価で食べられるという理由で入ったファミレス。
ここで士道は、十香という精霊の真の恐ろしさを思い知ることとなった。
いや……最初に十個ものきなこパンを、ぺろりと平らげていた時点で気づくべきだったのだ。
『さあ十香、何でも好きなものを頼んでいいぞ』
『おお、そうか! では、これとこれとこれとこれと――――』
好きなものを頼めと言った結果、十香は凄まじい勢いで注文を並べ立てて、次々と運ばれてくる料理を千切っては投げ千切っては投げ……
その食欲は正に暴虐の一言。
士道はポカンと口を開けて見ていることしかできなかった。
何でもという言葉は、安易に使っていいものではなかったのだ。
「シドー、次は何をご馳走してくれるのだ?」
「さ、さあ……どこに行こうかなー?」
そして店を出た矢先に、もう次の食事への期待の言葉である。
十香は声を弾ませて、目はキラキラとしていた。
あれだけ食べたのに関わらず、いまだに食欲の底が見えないのが恐ろしい。
財布の中には諭吉さんが四人いたはずなのだが、全員が無事に殉職を果たして、返ってきたのは樋口さんと二人の野口さんである。
この調子で食べさせていたら、所持金が完膚なきまでに鏖殺されてしまう。
どうにかして、少ない費用で大量に食べられる店を探さなければならない。
それとももういっそ、食事以外に興味を誘導した方がいいかもしれない。
その時だった。
「インターナショナルビュッフェやってまーす! 九〇分間食べ放題でーす!」
通り過ぎようとした路地の向こうから、呼び込みの声が聞こえてきた。
士道の記憶では、この先にそんな店はなかったはずだ……新しく開店したのだろうか。
建物の間を縫って進まなければならない場所なので、お世辞にも立地がいいとは言えない。
呼び込みをするにしても、もっと表の通りに出てやった方が効果的だろう。
スタートからこの調子では、先が思いやられるというものだ。
「ぬ、食べ放題? シドー、行くぞ!」
「あ、十香!」
駆けだした十香を追って路地を進むと、レストランらしき建物の前にたどり着く。
立地は良くないものの外装におかしなところはなく、普通の店に見える。
しかしながら、その店名に士道は首を傾げた。
『セイヨウトネリコ』
余程奇抜でもない限り、普段は店の名前について深く考えはしないが、今回は妙に引っかかる。
黒歴史として封印したはずの知識が、いやに刺激されるのだ。
ユグドラシル……それは、色んな創作に引っ張りだこの、北欧神話における世界樹だ。
規格外の大きさを誇る樹なのだが、その樹種はセイヨウトネリコだとされている。
そしてそのセイヨウトネリコの学名と言えば……
「ようこそ、いらっしゃませ! 二名様ですね? どうぞお入りください!」
「すみません、まだ入ると決めたわけじゃ――」
「二名様ですね? どうぞお入りください!」
「いや、だから――」
「二名様ですね? どうぞお入りください!」
「…………」
ゲームのNPCか何かなのか、はいと頷かなければ話が進まないのだろうか。
現実の人間とは思えない融通の利かなさに、士道は閉口した。
それにしてもこの店員の男性、明らかに見覚えがある。
具体的に言えば、〈フラクシナス〉の内部でだ。
艦橋に座るクルーの一人……たしか、中津川。
こんな所で何をやっているのかと訝しむ士道に、中津川は親指をグッと立てて笑って見せた。
先程の店名といい、もしかしてここは〈ラタトスク〉の関係施設なのだろうか。
疑問は解消されないが、十香は既に店に入ってしまっている。
案内されるがまま、士道もそのまま入店を果たした。
「おめでとうございます!」
破裂音と共に、紙テープと紙吹雪が舞う……パーティークラッカーだ。
それはいいのだが、銃声と勘違いした十香が身構えて、手の中に黒い光を収束させて臨戦態勢を取ろうとしている。
こんな店の中でそれはシャレにならない。
士道は慌てて十香の前に回り込んで、説得を開始した。
「い、今のは攻撃じゃない! 落ち着こう、な?」
「ぬ、そうか」
どうにかわかってもらえたようだ。
士道とクラッカーを鳴らした店員の男性は、同時に額の汗を拭った。
この男にもやはり見覚えがある。
中津川と同じく、〈フラクシナス〉の艦橋に座るクルーの幹本だ。
何してんだコラという視線を向けると、姿勢を正して懐から二枚のチケットを取り出した。
「当店初のお客様であるお二人には、こちらの無料サービス券をお渡しします!」
「えぇ……」
色々と突っ込みどころは多いが、ここまで来たら流石に大体わかる。
要は、十香の現界を察知した〈ラタトスク〉が、陰ながらサポートしてくれているのだろう。
たしかに食べ放題が無料で利用できるとなれば、この状況では非常にありがたい。
所持金の他にクレジットという切り札もあるが、そちらはできれば切りたくないものである。
店内にはテーブルの上に様々な料理が立ち並ぶ。
インターナショナルの謳い文句に背くことなく、その種類は実に国際的だ。
圧倒されて、十香は肩を震わせ戦慄いていた。
「な、なんなのだ、この数の料理は……!」
「なんたって食べ放題だからな。今度こそ好きなだけ食べても大丈夫だぞ」
「なんと……!」
実のところ、先程のファミレスでは店側の目が痛くなってきたので出てきたという側面もある。
ここならばその心配も必要ない。
十香には思う存分、その腹に住まわせた暴君を宥めてもらおう。
『驚いたわ。存在一致率九八パーセント越え……ここまでいくと偶然では片づけられないわね』
「攻撃の許可は?」
『そう慌てるんじゃないの。こんな避難も済んでない街中でぶっ放すわけにはいかないでしょ』
「とにかく迅速に判断を」
AST本部との通話を繋いだまま、鳶一折紙は物陰から二人組の男女の様子をうかがう。
その両者の顔には大いに見覚えがあった。
男の方は穂村士道……折紙のクラスの副担任である。
付け加えれば、つい昨日交際を申し込まれたので、恋人関係でもある。
むしろ折紙としては、そちらの方を主にしたいところだ。
そして問題は、来禅高校の制服を着用した少女の方だ。
士道が女子生徒と、ああやって二人で歩いているだけでも由々しき事態だというのに、そこにはさらに大きな問題が横たわっていた。
世界を殺す災厄、精霊。
最初は見間違いかと自分の目を疑いもした。
しかし、あの少女は紛れもなく自分たちが〈プリンセス〉と呼ぶ怪物と相違ない。
常識で考えればありえないことだった。
精霊の現界時には空間震が伴う。
ASTの観測班がその前兆を見逃すはずがないのだ。
そうなれば当然警報が鳴るし、折紙にも出撃命令が下るはずだ。
それがなかったということは、他人の空似の可能性が高い。
そこで霊波反応の有無も確認すべく、観測機を回してもらったのだが……結果は黒。
精霊〈プリンセス〉は如何なる手段を以てか、空間震なしに現界している。
信じがたいことだったが、目の前の事実は事実として受け止めなければならない。
『監視はこっちが観測機で請け負うわ。折紙、あんたは準備だけしておいて』
「了解」
何はともあれ、精霊が霊装を纏っていない今の状況は、またとない絶好の機会だ。
これを逃すわけにはいかない。
短く答えると、折紙は二人に背を向けてその場を離れた。
「シドー、まだ着かぬのか?」
「もうちょっとだ」
紙面上に記された地図を頼りに、目的地を目指す。
その地図を裏返せば、『ドリームランド完全無料ペアチケット』とデカデカと書いてある。
これは食べ放題を終えた後、店を出る際に渡された福引券で引き換えたものだ。
その福引も〈ラタトスク〉プレゼンツであり、また例によって見知った顔がやっていた。
たしかあれは、〈フラクシナス〉の艦橋クルーである川越。
やたらといい笑顔でこのチケットを渡してきたのだが、一体何があるというのだろうか。
「それでその、どりぃむらんど? というのはどのような場所なのだ?」
「テーマパークか何かだと思うけど……」
あくまで名前からの推測だが、士道の言葉は歯切れが悪い。
ここらにそのような施設があった覚えがないのだ。
また〈ラタトスク〉が拵えたものかもしれないが、この名前には何だか微妙に聞き覚えがある。
おぼろげな記憶を手繰りながら歩いていると、大きな建物が見えてきた。
「おお! 見ろシドー、城があるぞ! あそこに行くのか!?」
十香は興奮している様子だったが、士道は逆に凍り付いていた。
その西洋風のお城のような建物に、はっきりと見覚えがあったからだ。
入り口の看板には、たしかにドリームランドと書かれている。
ついでにその下には、ご休憩やらご宿泊やらと共に料金が提示されていた。
つまりここは、大人の男女が利用するラブなホテルなのだ。
付け加えれば、士道が令音とワンナイトラブをかました現場でもある。
見覚えや聞き覚えがあったのも当然だ。
「ダメだ十香、ここは君にはまだ早い……!」
「見くびるなシドー。私の天使にかかれば、どんな者が相手でも敵ではない!」
「だからそういうのじゃなくってだな!」
士道の言葉をどう解釈したのか、十香が負けん気を発揮しだした。
あそこで行われるのはある意味で戦いなのかもしれないが、武力を頼りにするものではない。
入ろうとする十香を必死に押しとどめながら、極めて婉曲的に説明する。
すると不承不承といった様子ではあるが、何とか踏みとどまらせることに成功した。
「むう……なるほど、あそこでは愛の力とやらが試されるのだな?」
「まあ、大体そんなところだ」
「たしかに私の理解が及ばぬところではある」
「だろ? だから別の場所に――――」
「だがこのまま捨て置くのも癪だ。シドー、いつかまた二人で挑むとしよう」
「ソ、ソウダネ……ウン、マタ機会ガアッタラネ……」
リベンジに燃える十香に、目を逸らしながら答えるのだった。
「全く……我が叔父ながらつくづくチキンねぇ」
艦橋スクリーンに映し出された小型カメラからの映像に、琴里は肩をすくめた。
ここ〈フラクシナス〉の艦橋、及び天宮市全域では現在、とある作戦が進行中だ。
その名も作戦コードF-08、通称・オペレーション『天宮の休日』である。
様々な事態に備えて、〈ラタトスク〉では四桁に届くほどの作戦コードを用意している。
これもその内の一つで、精霊がこちらの観測をすり抜けて士道に接触した場合のものである。
作戦の概要としては、〈フラクシナス〉のクルーが住人に溶け込んで、陰ながら士道のサポートに回るというものなのだが……
「普通、あそこでホテルに連れて行きます? ちょっと強引すぎるっていうか……」
「これ考えたの川越さんだっけ? いかにも手が早いあの人らしいアイディアよね」
その一部がどうやら、女性クルーには不評のようだ。
艦橋に残っている椎崎と箕輪が、ここにはいない川越に対して非難の声を上げていた。
琴里も二人の言い分はわかるのだが、彼には五度も結婚にこぎ着けたという実績がある。
時にはその強引さが頼りになることもあるだろう。
今回の案を許可したのも、士道に発破をかけるという意味合いもあるのだ。
ただデートしてデレさせるだけでは、精霊の封印は完了しないのだから。
「令音、十香の精神状態はどう?」
「…………」
「令音?」
「……ああ、すまない。数値は昨日よりもずっと安定しているよ」
再度の呼びかけに、令音は艦橋スクリーンから目の前のモニターに目を戻した。
今は大事な作戦の進行中だ。
心に立ったほんの僅かなささくれは、意識しないことにした。
これは例えばの話だが、長年逢えなかった恋人が、精霊とはいえ他の女性と、どうにも見覚えのあるラブホテルに向かったところで、気にするべきではないのだ。
少なくとも、今は、まだ。
そんな彼女の様子に首を傾げる琴里だが、ぼうっとしているように見えるのはいつものことだ。
すぐに目下の状況へと意識を切り替えた。
「これぐらいだったら、今日中にいけるかしら」
十香の精神状態を示す数値は恋人とまではいかずとも、士道に対して十分な信頼を表している。
もし仮に、あのまま連れ込んで合意の上での行為に及んでいたら、作戦は完了していただろう。
しかしまだ焦る段階ではない。
そもそも、十中八九どころか、それよりも高い確率で及び腰になる……琴里はそう踏んでいた。
知り合って間もない女性をホテルに連れ込むような積極性があるのなら、士道はとっくのとうに魔法使いのレールから外れているのだから。
今自分たちに出来るのは、事に及ぶための雰囲気作りの手伝いだ。
要は士道が踏み切れるように、背中に風を送ってやるのだ。
戦いの運命に囚われた〈プリンセス〉を救い出す、たった一つの方法。
封印とは言うが、その具体的な手段がアレなのは、全く何ともおとぎ話らしい。
相手役がそんな柄ではないのが残念なところだ。
そう、琴里が思い描く士道は、白馬の王子様というより――――
「二人が移動を開始しました! 南西の方角、秒速1.3m!」
「そう……なら、トランスフォームと行きましょうか。ありったけの屋台で出迎えてあげなさい」
「了解! 『組み換え』と『連結』、開始します!」
「……なんだったんだ、あれ?」
突如として出現した、屋台が立ち並ぶ通りを抜け、士道は振り返りながら呟いた。
間違いなく〈ラタトスク〉の仕込みだ。
例によって入口で食べ放題のチケットを渡され、十香の食欲を大いに満たしてくれたのだが……
(明らかに街並みが変わってた……つーか変形か?)
この街を隅から隅まで知り尽くしているとは流石に言えないが、大体の地図は頭に入っている。
あるはずの道がなかったり、ないはずの道があったり。
そんなことがあれば普通、まず自分の覚え違いや、知らない間に工事が入ったのかと考える。
または、狐狸の類に化かされた、なんて考える人もいるかもしれない。
だが、実際に目の前で建物がスライドしていく様を見せられれば、どれだけ荒唐無稽だろうと、街が変形しているという考えに行き着くだろう
それを〈ラタトスク〉が行っているのだとしたら、つくづく底の見えない組織だ。
十香は街のトランスフォームに目を輝かせていたのだが、今は屋台での戦利品に夢中である。
右手の指の間に焼き鳥、チョコバナナ、りんご飴を器用に挟み、左手には綿飴を持ち、たこ焼きと焼きそばが入ったビニール袋を提げている。
その満喫っぷりには苦笑するしかない。
ともあれ、ああも手が塞がっていては不便だろう。
「それ、こっちに渡せよ」
「――んぐっ……シドーも食べたいのか?」
「そういうわけじゃ……いや、一口ぐらいもらおうかな」
今まで十香の食べっぷりに圧倒されるばかりで、自分の食事は疎かになっていた。
全く食べていなかったわけでもないが、やはりソースの匂いは食欲を刺激する。
八個入りのたこ焼きの内の一つぐらいならば、摘んでも罰は当たらないだろう。
ビニール袋を受け取ろうとしたのだが、差し出されたのはチョコバナナだった。
食べかけなので当然、かじった跡がある。
躊躇する士道だが、その背後でいきなりカップルと思しき男女が声を上げた。
「はい、ダーリン。あ~ん」
「ん~、君に食べさせてもらうのは最高だよ!」
それを皮切りに、周囲で多数のカップルが食べさせ合いを始めた。
こうも不自然でわざとらしいと、いっそ清々しい。
どいつもこいつもどこかで……具体的に言うと〈フラクシナス〉で見たような顔だ。
明らかにこちらの行動を誘導しようとしている。
実際にそれを見た十香は、真似をしてかチョコバナナを士道の口元まで寄せてきた。
「あーんだ、シドー」
「…………」
「どうだ、最高だったか?」
「まぁ、美味しかったかな」
「おお、そうか!」
観念して一口かじったものの、正直味はよくわからなかった。
でも十香が嬉しそうに笑っていたので、それでいいかと士道も笑った。
それから近くの公園のベンチに座って、二人で戦利品を分け合いながら食べる。
食欲こそ規格外なものの、独占という考えはないようだ。
やがて食べ終えると、十香は率先してゴミを捨てに行った。
「んっ」
そして、戻ってくると頭を突き出してきたので、撫でてやる。
頬を緩ませたその様は、とてもじゃないが世界を殺す怪物、とまで称される存在には見えない。
ふと、唇に目が行く。
『あら、だって好きでもない相手にされるのは嫌でしょ?』
精霊の封印、その具体的な手段。
たしかに好感や信頼を得ないことには許されない行為だ。
今の十香はどうだろうか。
士道に対して恋愛感情があるのかはわからないが、笑顔の数は多くなった。
心を許してくれている、と思える言動も見受けられる。
「……十香」
「ぬ?」
両肩に手を置いて、向かい合う。
不思議そうにしているものの、見返す十香の瞳に疑いの光はない。
(切り出すなら今だ……!)
しかし、意を決したはずだが、それっきり口は開かない。
脳裏に、眠たげな微笑みを浮かべる令音の姿が過ぎった。
言ってしまえば行きずりの関係だ。
たまたま再会できただけで、二人の関係を保証するものなんてない。
それでも士道は、彼女が好きなのだ。
それともう一つ、十香に対するとある『隠し事』が、胸の中から刺のように存在を主張する。
向かい合ったまま、時間だけが過ぎていく。
「――っ、これは……!」
どれだけそうしていたのか、不意に十香が立ち上がった。
そして、周囲を見回しながら鼻をひくつかせると、やがてある方角を見据えた。
「行くぞ、シドー!」
「ちょちょちょっ、いきなりどうしたんだ十香!?」
猛然と突き進む十香は、呼びかけに応じない。
引っ張られるままにたどり着いたのは、とあるパン屋だった。
十香は入り口のドアをバタァンと開け放つと――――
「きなこパンを要求する!!」
時が止まった。
レジに立つ店員も、中でパンを選んでいたお客さんも、もちろん士道も固まった。
その中で胸を張って立つ十香は正に威風堂々……王者の風格である。
しかし、こんな所でそれを発揮されても対応に困るというもの。
士道は頭を下げながら、速やかに目的のブツを十香に買い与えた。
「本当に好きだな、それ」
「また食べたくなったのだ。この粉の魔性じみた習慣性……下手をすれば世を滅ぼしかねんぞ」
「いやいや、ないない」
店の外で、きなこパンが入った紙袋を抱えながら戦慄く十香に、士道はツッコミを入れた。
すごい勢いで引っ張ってくるから何事かと思えば、まさかのリピートである。
手始めにあれだけ食べたというのに、よっぽど気に入ったらしい。
「んぐんぐ……シドー、次はどこへ行く?」
「まーた食べながら喋って」
日は傾いて空が夕焼けに染まり、影が伸びてきている。
今の時間帯なら、あそこがいいだろうか。
十香の手を引いて、士道はある場所へと向かった。
「ん、動いたわね。この方角だと……目的地は高台の公園ってところかしら」
「わかるのかい?」
「士道のお気に入りの場所よ。デートのクライマックスにはうってつけね」
高台の公園は元々、琴里もその想定で候補に入れていた場所だ。
行き先が定まらないようであれば、またクルーを使って誘導するつもりでいた。
先程の及び腰は減点対象だが、このチョイスはそれを挽回しうる加点対象だ。
後は締めでしくじらなければ、晴れて大金星である。
これ以降は、その為のサポートに注力するべきだろう。
念のための人払いはしておくとして、ダメ押しにもう一手。
とことんムードを盛り上げてやれば、士道も踏み出さざるを得なくなるだろう。
手元のディスプレイに、ピコンという音と共にOKのフラグが立った。
変態発言のあまりに外に回された副司令が、そのための仕込みを終えたようだ。
夕空はじきに夜空へと変わる。
暗くなった空にはさぞ、打ち上げ花火が映えることだろう。
あの高台からならば、見晴らしも抜群だ。
それこそ、デートのクライマックスにはうってつけというものだ。
「大詰めよ。神無月たちを呼び戻してちょうだい」
手に持ったチュッパチャプスを艦橋スクリーンに差し向けて、琴里は挑戦的な笑みを浮かべた。
都市部から離れた高台にある小さな公園は、天宮市を一望できる隠れた名スポットである。
夕日に染まった絶景を求めてか、そこに一組の男女の姿があった。
それ自体は特段気にするような光景ではない。
隠れたとは言っても、地元民ならば知っているものも少なくはないからだ。
あのようにデートに利用するカップルもいるだろう。
しかしながら、今そこにいる人物には少々……いや、大いに問題がある。
「いまだに信じられないわね。あれがあの〈プリンセス〉……?」
公園から距離を隔てた台地の上で、日下部燎子が呟いた。
ここまで離れていたら、人間など豆粒以下の大きさでしかない。
にも関わらず、遼子は二人の姿をはっきりと肉眼で捉えていた。
現代の魔術師が操る随意領域が、視力の強化も可能としているのだ。
男の方は向きの問題で顔は見えないが、恐らくは一般人。
しかし少女の方は何故か制服を着ているが、精霊と呼ばれる特殊災害指定生命体に相違ない。
もちろん他人の空似という可能性も考慮されていたのだが、霊波反応の一致も確認できている。
精霊とは、世界を殺すとまで称される恐ろしい存在だ。
そんな怪物が燎子には正直、可愛い少女にしか見えなかったのだ。
戦場で相対していた時とはまるで雰囲気が違う。
「狙撃許可は」
静かで温度の感じられない――ともすれば氷のように冷ややかな声。
燎子の傍らで地面に伏せているのは、部下である折紙だ。
二人はワイヤリングスーツを身に纏い、背部にはスラスターユニットを装着している。
そこに折紙は更に、バレルが異様に長い対精霊ライフルを装備していた。
この腹ばいの状態は、精霊を狙った狙撃姿勢なのだ。
「だから慌てるんじゃないの。今は上の方で協議中ね、多分」
空間震を伴わずに出現した精霊の報告を受けてから、その確認を経てASTは出撃した。
そして配置に着いたものの、そこからは待機止まりで攻撃の許可はいまだに降りていない。
霊装という鎧を纏った〈プリンセス〉の防御性能は、生半可な攻撃を通さない。
そのため、霊装を解いている無防備な今こそが絶好の機会なのだ。
群を抜いた射程と貫通力を誇る対精霊ライフル〈C・C・C〉ならば、命中したら確実に仕留められるだろう。
使用者の
それらを示す三つのCryがその名前の由来である。
冗談じみた命名だが、その威力は冗談では済まされないほどのものだ。
随意領域の補助なしには扱うことも不可能な武装だが、出番があるかどうかは正直怪しい。
何故なら現在協議中のお偉方は、揃いも揃って日和見主義だからだ。
周囲に人家はないとは言え、警報も鳴らず避難も済んでいない状況だ。
そんな中でいつものような派手な戦闘に発展したら、色んな意味で面倒な事態になる。
求められる条件は、相手に察知されないまま、一撃で確実に仕留めること。
そのために選ばれたのが鳶一折紙であり、彼女が構える〈C・C・C〉である。
ここまで状況を揃えておきながら、いまだにGOサインが出ないのは、単に上層部が失敗した際のリスクを恐れているからだ。
もしこちらから攻撃して精霊が暴れだしたとなれば、その責任は確実に命令を下した側にある。
口を開けば人命がどうのだの、それっぽい理由を並び立てるだろうが、実際には自分たちの立場を守るのに腐心する様が、燎子には容易に思い浮かべることができた。
わざわざ竜の尾を踏みに行く必要はない、ということだ。
現場の人間としては不本意だが、残念ながら今回はそのまま待機命令が出て終わりだろう。
精霊に対して並々ならぬ敵意を燃やす折紙にとっては、無念極まる展開と言える。
ともすれば、うっかり引き金を引いてしまいかねない程に。
燎子の当面の役割は、部下が暴走しないための見張りといったところか。
「それにしても、一緒にいるのは本当に一般人……なのよね?」
「間違いない」
いつの間にか現界していた精霊以外に気になるのは、その同行者の存在だ。
確かに怪しい反応が検知されたわけでもなく、傍から見る分には一般人だ。
ただ一つ腑に落ちない点があるとしたら、観測機への映りが異常に悪いところか。
それは画像が乱れるとかそんな意味ではなく、たまたま間に人や物が入ったり、ちゃんと映ったにしても後ろを向いていたり、異様なほどに間が悪いとでも言えばいいのだろうか。
その動きはまるで、こちらが回した観測機の位置を察知しているようにも思えてしまう。
事実としてこの時まで、一度として彼の姿を真正面から鮮明に捉えることができていないのだ。
仮に故意だったとして、観測機の動きを知っているのなら、傍らの少女の正体やASTの事情についても理解しているはずだ。
そんな人物がわざわざ極大の危険を冒してまで、精霊と接触する明確な理由がわからない。
これならば映りが悪いのはただの偶然に過ぎなくて、男の方も少女の正体を知らずに、成り行きから一緒にいると見た方がよっぽどわかりやすい。
実際に、そっちの可能性の方が高いだろう。
精霊に対して危険を顧みずに接近していく命知らずなど、遼子は二人しか知らないのだから。
それは傍らで対精霊ライフルを構える折紙と、あと一人は――――
「はいはい、こちらポイントA。で、攻撃許可の方は――――なんですって?」
軽く過去を振り返ろうとする遼子の耳に、にわかには信じがたい情報が伝わってきた。
その事態を歓迎していないわけではなく、ただあまりにも予想外だったのだ。
対象への狙撃許可が下りた……上層部が、今まででは考えられない強攻策に打って出たのだ。
思えば昨日の校舎の破壊許可にも、その傾向があった。
上層部に誰か、現場を知る人間が加わったのだろうか。
なんにしても、こうなればやることは一つだ。
元々、そのためにこうやって待機していたのだから。
「――折紙、あんたに引き金を預けるわ。失敗は許されないわよ」
「了解」
表情を引き締めて、遼子は改めて命令を下した。
常と同じ無表情で、折紙はそれに応えた。
「おお、絶景ではないか!」
市街地のビル群が夕焼け色に染まる。
高台から眺める、夜へと移りゆくこの時間の景色が士道は好きだった。
十香もお気に召したのか、落下防止用の柵から身を乗り出して、景色に見入っている。
他に人影は見受けられず、聞こえてくるのはカラスの鳴き声と、疎らに届く自動車の音のみ。
自分の判断で選んだ場所だったが、〈フラクシナス〉クルーの介入はない。
どうやら司令官様のご意向に背くような展開ではないらしい。
「今日は付き合ってもらって悪かったな」
「何ということはない。デェトというのも実にその、なんだ、楽しかった」
「……そりゃ良かったよ」
夕日を背負った十香の笑顔は、物理的にも心情的にも非常に眩しい。
つくづく耐性のない自分が恨めしい。
顔が熱いのは西日のせいにして、士道は宅地開発中の高台へと視線を逸らした。
狙撃にピッタリなポイントだなんて考えてしまうのは、目の前の少女から……延いてはその先の展開からも意識を逸らそうとしているからか。
「それで、結局デェトとはなんだったのだ?」
「一周回って戻ってきたな……」
よっぽどデートという言葉は、彼女の知的好奇心を刺激するのだろうか。
先程は適当に誤魔化したが、同じ答えを返しては不満が募るだろう。
気持ちの上ではねじ切れるぐらい首をひねった後、士道は口を開いた。
「まぁ、何というか……男女が仲良くなろうと、一緒に遊ぶこと……かな?」
「ぬ? つまりシドーは、私と仲良くしたかったのか?」
「……そういうことになるな」
「そうか……なら、私とシドーは立派にデェトだったのだな」
その答えに拍子抜けしたのか、十香はキョトンとすると、ふやけるように笑った。
そして夕空を見上げながら、初めて入ったパン屋のことを語り始めた。
大量注文したファミレス、思う様食べたビュッフェ、興味が引かれるまま歩き回った屋台。
今日の思い出を宝物のように語る姿を、士道はベンチに腰を掛けて見守った。
「これがきっと、楽しいという感情なのだな。……ああ、本当に楽しかった」
「その割には、随分と寂しそうな言い方をするんだな」
「……この街の者たちは、本当に戦うということを知らぬのだな」
十香は夕暮れの街に目を落とした。
最初は周囲に警戒を振りまいていた彼女だが、ここに至るまでに多少の気の抜き方を覚えることができたようだ。
少なくとも、誰彼構わず自分の敵かと疑うようなことはなくなっていた。
もちろん、その陰には士道の涙ぐましい努力もあったのだが。
「平和、というのだろうな。悪くない……いや、良いと思う。ただ、私とは違う……それだけだ」
「……なんだよ、それ」
「目覚める度に、この世界は壊れた場所ばかりなのだと、ずっとそう思っていた……だが、壊していたのは私だったのだな」
「違う、それは君のせいじゃなくて――――」
士道が伝えずとも、十香は自分が災厄と呼ばれる理由にたどり着いていた。
今日のような例外を除けば、精霊の出現には空間震を伴う。
しかし、そこに本人の意思は介在しない。
十香は隣界で眠っていたところを、無理やりこちらに引っ張り込まれているだけなのだ。
そこに責任を追及するのは、いくらなんでも理不尽にすぎる。
もう少し前の彼女ならば、そんな士道の考えに同調していたかもしれない。
今の彼女はただ、この世界を気に入ってしまっただけなのだ。
それこそ、壊してはいけないと思う程度には。
「あの時、おまえが武器も持たずに、私を恐れずに語りかけてくれて、本当に良かった」
「…………」
「ありがとうだ、シドー」
「――っ」
言うべき、言わなければならないことがあるはずなのに、言葉が出てこない。
その理由はすぐに見つかった。
精霊の力を封印するだとか、それに付随する行為は関係ない。
自分が現在所属している〈ラタトスク〉の事情もあるが、それは大きなものではない。
それよりずっと以前の時点で、士道には十香に対して小さくはない『隠し事』がある。
その秘密が今になって、口を縫い付けている。
どうすれば口が開くかなんてわかりきっている。
秘密ごとこじ開けるか、それとも完全に飲み下してしまうかだ。
後者は今すぐには不可能――――あるいは、士道がもう少しだけ精神的に老成していたのなら、可能だったかもしれない。
どの道、このまま黙っていることはできない。
それは自分が背負った、もしくは背負わされた役目のこともある。
しかしなにより気がかりなのは、十香の妙に晴れやかな表情だった。
こんな顔をした人間を、過去に何度か見たことがある。
そいつらは決まって、もう思い残すことはないだのと、そうのたまうのだ。
今の彼女をこのまま見送ったら、二度と手が届かないかもしれない。
地面に目を落とし唇を噛み締めて、深く息を吐き出す。
そして顔を上げて――――
「――――っ」
何もないはずの高台から反射してきた光に、一瞬だけ視界が遮られる。
それが何かと考える前に、士道の体は動いていた。
十香を突き飛ばすと同時に、深く精神を集中させる。
意識の変性――意のままに物理法則を歪める、禁断の技術の行使。
一瞬の頭痛に士道が顔を歪めると、周囲を見えざる防壁が覆い尽くした。
衝撃が襲ってきたのはその直後。
不可視の壁が軋み、悲鳴を上げる。
余波が周囲を打ち付けて土埃が舞った。
「シ、ドー……?」
尻餅をつきながら士道を見上げた十香の瞳は、驚きに揺れていた。
そこにいたのは、来禅高校の新米教師などではなく――――
「おまえは一体、何者だ……?」
――――科学の力をもってして『魔法』を現実のものとする、現代の魔術師だった。
一つにまとめたら長くなりそうなのでここまで。
次回こそファイナルでクライマックスです。