士道くんが淫行教師と謗られながら精霊をデレさせる話   作:kish

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一週間ぶりにこんばんは。
十香編が終わったので、今回から別の精霊の話になります。


七罪編
五月の雨


 

 

 

 その年のハロウィンは、生憎の雨だった。

 この調子では、屋外で計画されていたイベントも中止だろう。

 お菓子を求めて回る子供たちには、さぞ残念な天気になってしまった。

 あちこちに設置されたカボチャの飾りも、どこかしょげているように見える。

 

「ああもう、天気予報では曇りだったよな……!」

 

 悪態を吐きながら、穂村士道はつい今しがたコンビニで購入したビニール傘を開いた。

 雨量は多いが、風自体は大したことはないのが幸いだった。

 もしここに双子のハリケーンが飛来していたら、傘がひっくり返るのを通り越して、骨組みしか残らないだろう。

 もっとも、その時には傘を持った人間ごと吹き飛ばされているだろうから、傘の心配をしている余裕があるかどうかは怪しいところだ。

 まだ日が落ちる時間ではないのだが、分厚い雲に覆われた空は暗い。

 休日のアルバイト帰りで、特にイベントに参加する予定もなかったのだが、こうも天気が悪いと気分もやや落ち気味になってしまう。

 気分転換に、趣味にでも興じるのも悪くない。

 せっかくだしカボチャの料理でも夕食に作ろうかと、近くのスーパーに足を向けた時だった。

 

「――――ぅぁ……ぁの……」

 

 建物の軒下に、魔女の仮装をした少女がいた。

 ハロウィンを楽しむ気が満々で用意したのだろう、中々に凝った衣装である。

 この雨で動くに動けなくなったのか、途方に暮れた様子だった。

 加えて引っ込み思案なのか、誰かに声をかけようとして踏み出せないようにも見える。

 道行く人は予報外れの雨に気を取られ、少女に意識を向ける余裕がないのだろう。

 仕方のないことではあるし、それを責めようなどとも思わない。

 ただ、士道は不安がっている子供を放っておける性格ではなかった……それだけだ。

 

「悪いな、今これだけしかないんだ」

「……え?」

 

 カバンから取り出したクッキーを手渡す。

 ハロウィンだからと、バイト先で配られていたものだ。

 魔女の仮装の少女は呆然とそれを受け取った。

 士道は笑いかけるとビニール傘を差し出して、その手に握らせた。

 

「じゃあ、風邪ひかないように――――」

「……ぅ」

「ん?」

「――――うきゃぁぁぁぁぁぁぁっ!!」

 

 少女は絶叫を上げると、そのまま逃げ出してしまった。

 耳を寄せていた士道は、いきなりの大音声に顔をしかめた。

 すぐに立ち直って少女が逃げ込んだ路地を覗いたが、姿はどこにもない。

 雨に打たれながら、右耳を押さえてため息をつく。

 ここまで濡れてしまえば、今更傘を用意したところで手遅れだ。

 これ以上体が冷えないうちに、急いで帰るべきだろう。

 

「……いきなりで怖がらせちまったかな?」

 

 曲がりなりにも教師を目指す者として、軽率な行動だったかもしれない。

 反省しながら、士道は雨の中を駆け出した。

 大学二年生の秋――そんな、雨中のハロウィンの出来事だった。

 

 

 

 

 

「貴様、どういうつもりだ!」

「あなたに教える必要はない」

 

 放課後の教室にて、二人の少女がにらみ合う。

 片や、校内の彼女にしたい女子ランキング三位の才女。

 片や、同ランキングを急速に駆け上がったと噂の転校生。

 共に見た目の上では美少女に分類される生徒である。

 しかしながら、受ける印象は正反対だ。

 ランキング三位の才女――鳶一折紙は無表情のまま静かに冷ややかに。

 噂の転校生――夜刀神十香は眉を釣り上げ声を荒げて。

 絡み合う視線はさながら、それぞれ氷と炎である。

 

「あー……とりあえず落ち着こう、な?」

 

 そして二人の間に挟まれた新米教師の穂村士道は、ぐったりしながら仲裁に入った。

 十香がこのクラスにやって来てから、もう何度目になるだろうか。

 五月の大型連休も過ぎて中間テストが近づくこの時期は、少々慌ただしい。

 それはテストに向けた勉強を行う生徒もそうだし、用意する側である教師にも当てはまる。

 士道は二年生の英語の問題作成を任されており、慣れない作業に四苦八苦しているところだ。

 それに加えて、何かと折り合いの悪いこの二人の仲裁である。

 共に心根の優しい子たちなのだが、その反目には少々特殊な事情が絡んでいる。

 折紙は陸上自衛隊・対精霊部隊――通称・ASTの魔術師であり、十香は特殊災害指定生命体――通称・精霊と呼ばれる存在だ。

 先日まで比喩抜きで、二人は刃を交えていた間柄なのである。

 そんな事情もあってか、互いに抱く印象は決して良いものではないのだろう。

 今にも殴り合いのケンカに発展しそう……というかそうなった。

 ため息をつきながら、士道は左右の手で二人の攻撃を受け止めた。

 精霊も魔術師も、人間の域を超えた力の持ち主だ。

 しかし、今の彼女たちは身体能力的に普通の少女と大差はない。

 その動きを阻むのに特別な力は必要ないのだ。

 掴んだ腕をそのまま捻って、二人の背後を取る。

 簡易的な制圧術――昔取った杵柄ではあるが、まさかこんなところで役立つとは驚きである。

 ジタバタしながら、十香は抗議の声を上げた。

 

「離せシドー! この女には一度、わからせてやらねばならないのだ!」

「いや、流石に暴力は見過ごせないだろ」

「――ぁ、んっ……そんなに強くしちゃ、壊れちゃう……」

「そんなに力入れてないぞー。……とりあえず変な声上げるのやめようか」

 

 折紙の口から苦悶に喘ぐような声が漏れるが、表情は微塵も動いていない。

 何ともシュールな光景だった。

 そもそも現役AST隊員の彼女ならば、外し方も心得ているはずだ。

 一人に集中しているのならともかく、片手間の今の状態なら抜け出すのも容易だろう。

 それなのに大人しく捕まっているのは、反省しているからか、士道の顔を立てているからか。

 この際どちらでも構わないのだが、変な声を上げているせいで周囲の視線が非常に痛い。

 元々諍いを始めた時点で注目は集まっていたのだが、そこはもう慣れである。

 クラスの生徒たちももう慣れたのか、最初のように騒ぎ立てることは少なくなった。

 しかしながら、それにも許容のラインというものがあるようで、そこを越えると現状のように、士道にとっては痛い視線が飛んでくるのだ。

 

「ちょっと何アレ、まーたやらしいことしてるわけ?」

「二人同時とかありえないんですけど!」

「マジ引くわー」

 

 亜衣麻衣美衣の三人娘を筆頭とした女子から、軽蔑の視線が突き刺さる。

 士道は喧嘩を始めた二人を取り押さえただけで、どこも変な部分に触れていない。

 やらしいことをしているわけではないし、淫行教師などと謗られる謂われもない……はずだ。

 冷や汗を流しながら、過去の自分の所業から目を逸らす。

 仮にそれに類する事実があったとして、やむを得ない事情があった……ただそれだけなのだ。

 

「ヒュウッ、流石は師匠(せんせい)! 恋愛マスターの名は伊達じゃないぜ!」

 

 殿町を筆頭とした男子からは、何故だか憧れやら羨望の眼差しが投げかけられる。

 一体恋愛マスターとはどこの誰のことなのか。

 少なくとも士道にはそれに見合う経験も実績もないし、そんな名乗りをした覚えもない。

 勘違いや誤解が重なって自分への評価が過大になっていくのは、高校時代に通った道である。

 当時の黒歴史を思い出して、士道は顔をしかめた。

 不幸中の幸いというべきか、ここに担任である珠恵の姿はない。

 今日は授業の関係で帰りのホームルームに間に合わず、副担任の出番が訪れたというわけだ。

 もし彼女がこの場にいたら、ダークサイド・タマちゃんが顕現していたかもしれない。

 その時の恐怖を思い出して、思わず身震いしてしまう。

 いつひょっこり顔を出さないとも限らない。

 この場に留まり続けるのは、様々な意味で危険だ。

 それに、こうも落ち着かなくては二人の言い分を聞くのも立ち行かない。

 

「……ここはちょっと騒がしいな。静かな場所で話し合おうか」

 

 士道に他意はなかったのだが、受け取る側の反応は別だ。

 十香は素直に頷いたのだが、折紙はハッとした様子で自分の下着を確認し始めた。

 そしてするりと拘束から抜け出すと、今度は逆に士道の手を掴み、グイグイ引っ張り出した。

 

「お、おい、どこ行くんだよ」

「女子トイレの個室」

「何故に!?」

 

 疑問の叫びを上げる士道に対して、折紙は解せないとでも言うように首を傾げた。

 一体今の話の流れで、どうして女子トイレというワードが出てくるのか。

 生理現象ならば仕方ないのだが、そこに士道を連れて行く理由がさっぱりわからない。

 

「先生が言った。静かで邪魔の入らない、二人きりになれる場所に行きたいと」

「確かに言った……言ったっけ?」

 

 確かに話し合いをつつがなく進めるために、場所移動の提案はした。

 したのだが、いつの間にか身に覚えのない条件が加えられているのは、気のせいだろうか。

 トイレの個室ならば邪魔は入らないかもしれないが、話し合いにはいささか不適だ。

 というか、なにやら別に目的があるように思えるのは考えすぎだろうか。

 自分の生徒を疑うような真似はしたくないが、第六感が思いっきり警鐘を鳴らしていた。

 ホイホイついて行ったら取って食われかねない……具体的にナニがどうなるかとかは不明だが。

 そもそも、男性教員が女子トイレに入って問題がないわけがない。

 その点を指摘すると、折紙はまた首を傾げて……

 

「じゃあ、男子トイレ?」

「まずはトイレって発想から離れようか!」

「そうだ! 用を足したいのならば貴様一人で行け!」

「いや、多分そういう問題でもないと思うんだが……」

 

 折紙に食ってかかろうとする十香を押しとどめながら、士道はため息をついた。

 このままでは第二ラウンドが始まりかねない。

 

「あなたは何もわかっていない。トイレの用途はそれだけじゃない」

「ならば他に何があるというのだ!」

「あなたに教える必要はない」

「……」

「……」

 

 そして再度始まるにらみ合い。

 どこかでゴングが鳴ったような気がするが、多分幻聴だろう。

 ともあれ、これ以上騒ぎが大きくなるのは望むところではない。

 再び握り拳を作ろうとしている二人の手を掴んで、士道は足早に教室を出るのだった。

 

 

 

 

 

「…………疲れた」

 

 職員室で本日の仕事を終えた士道は、もはや虫の息だった。

 やや忙しい時期だというのもあるのだが、直接の原因はあの二人の仲裁だ。

 今日はなんとか宥めて帰らせることに成功したが、残ったのは多大な疲労である。

 とはいえ、最近は〈ラタトスク〉の活動の方が控えめなので、まだマシなのかもしれない。

 教師と秘密組織……いわば表と裏の二重生活は、中々に辛いものがあった。

 なにせ失敗したら黒歴史の暴露という、理不尽な訓練を受けさせられていたのだ。

 当時の仕打ちを思い出すと叫び出したくなってくるが、その元気は残っていなかった。

 幸い、十香との一件から目立った空間震は起きていない。

 現状に精霊の攻略という重大なタスクが更に乗っかってきたら、流石にやりきる自信がない。

 そんな弱音が漏れそうになるが、飲み込んで頬を張る。

 お膳立てがあったにせよ、この道を選んだのは自分自身だ。

 投げ出してしまっては、それは無責任というものだろう。

 それに、学校に通い他の生徒と交流する十香は、初対面が嘘だったかのように楽しそうだ。

 その光景を見るために、士道は自分の身を危険に晒したようなものだ。

 また違う精霊が現れたとしても、やることは変わらない。

 デートして、デレさせて――――

 その先まで考えが至ったところで、デスクに頭を打ち付ける。

 

「ほ、穂村先生? 大丈夫ですか?」

「……すみません、ちょっと寝不足気味で」

「中間テストも近づいてきてるけど、あまり根詰めすぎないようにね」

「はい、ありがとうございます」

 

 邪念を追い払うための涙ぐましい努力であるのだが、事情を知らない他の教員の目から見たら、突然の奇行にしか映らなかったのだろう。

 正気を保つためとはいえ、驚かせてしまったことは素直に申し訳なく感じてしまう。

 デートしてデレさせる……これが〈ラタトスク〉が掲げる精霊への対処法だ。

 しかしながら、その先にはもう一つだけ必須の手順がある。

 それがデレさせた精霊とのキスである。

 理由も原理も何もかもさっぱりわからないが、どうやら士道には、精霊相手に一定以上の好感度を稼ぐことでその力を封印する……そんな特殊能力があるらしい。

 そしてその封印に必要な行動が、唇と唇を合わせる行為……つまりはキスなのだ。

 ……やはり何もかも、全てがさっぱりわけがわからない。

 どこぞのギャルゲーみたいな設定だ、なんて思ってしまったのは、過酷な訓練の弊害だろう。

 秘密組織が完全監修した『恋してマイ・リトル・シドー』は、心の中に確かな傷を残していた。

 ……ちょっとしたトラウマの話は置いといて、中学、高校と黒歴史を積み重ねてきた穂村士道の人生の中に、女っ気という言葉はなかった。

 一応ではあるが、AST時代は女性に囲まれていた――どういうわけか、魔術師は全体的に女性に適性がある者が多いのだ。

 入隊の経緯も含めて、珍しい男性隊員ということで当初は好奇の目を向けられたりもしたのだが、とある一点を除けば士道の実力は平凡そのもの。

 評価も扱いもそれ相応のものに落ち着いた……というか悪化した。

 当時の隊長は度し難い変態で、巻き込まれる形で士道も軽蔑の目を向けられていたのだ。

 そんなわけで、大変肩身の狭い思いをしていたのである。

 浮いた話などあろうはずもない。

 身近なところで言うのなら家族に女性はいるのだが、姉や姪を女性として意識していたらそれはそれで大問題である。

 特に、姉にそんな意識を向けている自分に気がついたら、舌を噛み切る自信すらあった。

 詳細は黒歴史の彼方だが、それを余人に知られることは精神的な死を意味する。

 ともかく、士道には恋愛的な意味での女性経験というものが圧倒的に不足しているのだ。

 酔った勢いでワンナイトラブをかましたという事実はあるのだが、当時の記憶がはっきりとしないせいか、いまいち実感に乏しい。

 その相手は驚くべきことに表でも裏でも同僚なのだが、状況は極めて複雑だ。

 細かい事情はともかく、士道は彼女を大変意識しているのだが、中々にプライベートで接触する機会に恵まれない。

 物理準備室にいるのかもう既に帰ったのか、職員室にその姿はない。

 使用者不在のデスクを横目に、ため息をつく。

 精霊攻略云々以前に仲を深めたい相手は、今はどこで何をしているのだろうか。

 まるで思春期のような患い方である。

 欲は言わないので、一緒に食事でもして、あわよくばキスの一つでも……

 意中の相手とのあれこれを妄想してだらしなく頬を緩めた士道の頭に、十香の顔がよぎった。

 瑞々しい唇の感触が、そしてきなこの味が生々しく蘇る。

 さらにガンガンと頭を打ち付け、不埒な考えを追い出す。

 そもそもキスとは言うが、あれは要は人工呼吸のようなものだ。

 そう自分に言い聞かせて、士道はどうにか心を落ち着けた。

 今や十香は来禅高校の生徒なのだ。

 生徒相手にそんな目を向けていては、淫行教師の謗りを甘んじて受け入れることになる。

 それだけは絶対に認めるわけにはいかない。

 しかし、本人が認めずとも風聞はひとり歩きするものだ。

 解決は困難を極めるだろう。

 ありのままを説明しようにも、表に出せない情報が多すぎる。

 そして全てを話したとして、結局は生徒や同僚を口説き、十香とキスをしたという事実が残る。

 かといって濁していれば疑惑が深まるばかり。

 八方塞がりに思える状況に、士道は頭を抱えた。

 その肩にポン、と優しく手が置かれた。

 

「穂村先生、無理はしないで今日はもう帰りなさい」

 

 教頭先生だった。

 たいへん気遣わしげな様子で、士道に帰るよう促しているのだ。

 見れば、職員室に残った他の教員も心配そうな目を向けていた。

 新米教師がデスクに頭を打ち付け、さらに懊悩し始めたのだから無理もない。

 きっと慣れない業務に、ストレスが溜まっていると思われたのだろう。

 その気遣いが色んな意味で心に沁みた。

 とはいえ、ストレスが溜まっているのは本当だが、その原因の大半は業務外にある。

 そのため心配はありがたいが、若干気まずくもあるのだ。

 これ以上、先輩方に気を揉ませるわけにはいかない。

 頭を下げると、士道は帰り支度を済ませて職員室から退散した。

 

 

 

 

 

「つーか、雨かよ……」

 

 学校を出ようとした士道を出迎えたのは、降りしきる雨だった。

 天気予報上ではたしか、曇りになっていたはずだ。

 降水確率もないわけじゃなかったので、降ってもおかしくはない。

 予報上の曇りとはいわばグレーゾーンなのだと、これまでの経験でしっかり学んでいるのだ。

 しかしながら、少しばかり雨量が多い。

 小降りな雨ならこのまま帰ってもいいのだが、流石にこれでは帰る頃にはずぶ濡れだ。

 にわか雨かもしれないので降りやむのを待ってもいいが、それでは夕飯の準備が遅れてしまう。

 先に〈ラタトスク〉の施設へ帰った十香は大丈夫だろうか。

 傘を用意している様子はなかったので、濡れているかもしれない。

 

「って、まずは自分の心配だよな」

 

 このまま立ち尽くしているわけには行かないので、どうするべきか思案する。

 学校の購買はもう閉店しているので、そこで傘を購入することはできない。

 生徒用の入口には差しっぱなしの放置傘があるが、それを拝借するのは気が咎める。

 まさか〈フラクシナス〉に連絡して、拾ってもらうわけにはいかないだろう。

 となれば、近くのコンビニまで全速力で駆け込むのが一番現実的か。

 こんな時に顕現装置があれば、物凄いスピードで走ることが……いや、そもそも雨に濡れるなどという心配すら不要になる。

 そんなことを考えている自分に気がついて、士道は頬を叩いて自戒した。

 かつて投げうった力に縋って痛い目を見たのは、ついこの間のことである。

 今こうして無事でいられているので、結果オーライと言えるのかもしれないが、十香をまた刺激しないとも限らない。

 魔術師としての力には極力……いや、絶対に頼るべきではないのだ。

 せっかく得られた彼女の笑顔が、それで失われてしまっては元も子もない。

 何にしても走ることは変わらないのだが、いきなり激しい運動には怪我のリスクがある。

 軽く準備運動を行う士道に、横から短い棒のようなものが差し出された。

 

「あれ、鳶一? まだ学校に残ってたのか」

「あなたを待っていた。これ、使って」

 

 折りたたみ傘だった。

 常と変わらぬ無表情で、折紙は士道にそれを渡そうとしていた。

 ありがたい提案なのだが、それでは彼女が濡れて帰ることになってしまう。

 やんわりと首を振って断ったのだが……

 

「大丈夫。こんな時のために備えはしてある」

「そ、そうか?」

 

 その備えを士道は、別に予備の傘を持っている、と解釈した。

 誰かに傘を貸すことを前提にしているとは、やはり根は優しい良い子なのだ。

 普段のあれこれは……その、きっと気の迷いとかそんなところだろう。

 少々気後れしながら受け取って傘を開く。

 女の子全開、といったデザインでもなく、落ち着いた色合いの無地の傘である。

 この飾りっ気というか、無駄のなさがいかにも彼女らしい。

 礼を言おうとした士道は次の瞬間、困惑した。

 

「……あの、鳶一さん?」

「なに?」

「これは……?」

「相合傘」

 

 士道の体ににぴったりとくっついた折紙は、さも当たり前であるかのように言い放った。

 しかしながら、相合傘とは日常的に行われるものではないだろう。

 当然、士道は疑問を叫んだ。

 

「いや、なんでこうなる!?」

「これなら一つの傘を二人が同時に使用できる。効率的」

「そっかー、それなら仕方ない……ってなるわけないだろ!」

「大丈夫。こんな事態に備えてシミュレーションは完璧。私に任せて」

「備えってそう言う意味かよ!」

 

 結局はなんだかんだと押し切られて、そのまま学校を出ることになってしまった。

 意志薄弱だと言われてしまうかもしれないが、「傘を置いて走って帰る」と言われてしまえば、士道の性格的に断るのは難しい。

 一種の崖っぷち外交である。

 とはいえ、年齢差のある男女がこんなことをしていれば……そもそも相合傘自体が目立つ。

 近くのコンビニまで、という条件を付けたのがせめてもの抵抗か。

 そこまでたどり着けたのなら、ビニール傘を調達することができる。

 そうして一刻も早くこの状態から抜け出すのが、士道の目論見だった。

 

「……なんか、コンビニから遠ざかってないか?」

「コンビニで新しい傘を購入するのは非効率。私の家に向かう」

「……理由を聞いても?」

 

 なんかもう叫ぶのにも疲れた士道は、何回目かもわからないが理由を尋ねた。

 折紙の異次元じみた思考回路に、半ば考えることを放棄しかけていた。

 それでなくとも今日は疲労が溜まっている。

 正直に言えば、もう夕飯作りも放棄してベッドに倒れ込みたかった。

 

「あなたは疲れている」

「まあ、テスト前だしな」

「私の家に、非常に効果的なドリンク剤がある。飲めば元気になる」

「と、鳶一……」

 

 純粋に自分を心配してくれている。

 それを感じ取った士道は、素直に感動した。

 この相合傘も、親切心からの行動なのだろう。

 出力がややおかしいものの、やはりその思いやりは疑いようもない。

 疲労の原因が誰にあるかとかは、都合良く頭から抜け落ちていた。

 

「なんか、ありがとうな、色々と」

「礼には及ばない。ちょうど良い精力ざ……栄養ドリンクが手に入っただけ」

 

 涙を拭う士道だったが、なにか妙な言葉が聞こえたような気がして足を止めた。

 仮に精力剤と言おうとしたとして、それだけならおかしくはないのだ。

 精力増強は置いておいて……滋養強壮、疲労回復と実に効果的なものだ。

 しかし、途中でわざわざ栄養ドリンクと言い直したのが引っかかる。

 

「それって、飲んでも大丈夫なやつなんだよな?」

「飲んだら非常に元気になる。安心、安全」

「……」

 

 士道とて自分の生徒を疑いたいわけではない。

 疲れた自分を見かねて、心配してくれているのは本当なのだろう。

 だがしかし、やっぱり何かが引っかかっている。

 例によって第六感が、脳内でアラームを鳴らしているのだ。

 かといって、折紙の好意を無下にするのは気が引ける。

 

「じゃあさ、その栄養ドリンクは家に帰ってから飲むよ」

「それは推奨しない。うちに上がって飲むべき」

「あ、安心で安全なんだよな?」

「体質によっては思わぬ副作用が出るかもしれない。飲んでしばらくは様子を見た方がいい」

「な、なるほど……」

 

 確かにそういう事態はありえないとは言えない。

 効果が強力な分、その懸念も強いのだろう。

 

「あなたを性犯罪者にするわけにはいかない」

「俺、一体何飲ませられるの!?」

 

 折紙の口から出たとんでもない言葉に、士道は悲鳴を上げた。

 性犯罪者になりかねないほど、精力も増強されてしまうということだろうか。

 そんなものを生徒の前で飲むわけにはいかない。

 現役AST隊員なら、人一人を押さえ付けるのは容易なのかもしれないが、わざわざその危険を冒すこともないだろう。

 飲むのなら誰もいない場所で一人で……と、飲むのが前提になっている。

 頭を振って、思考をリセットする。

 そもそも、そんなものは飲むべきではないのだ。

 折紙には悪いが、断るべきだろう。

 やんわりとくっつく彼女を引き剥がそうとしたが、しっかりと貼り付いて剥がれない。

 無表情ながらも、絶対に逃すまいとする気迫すら感じた。

 

「わ、悪い。琴里に夕飯作ってやらないといけないんだ……!」

「大丈夫。家の方には、今日は帰れないと私が連絡する」

 

 帰れないということは、生徒の家にお泊りするのが確定ということなのか。

 それは色々とマズい。

 どうにか逃れようと身動ぎするが、どうやっても抜け出すことができない。

 単純な力なら成人男性の士道の方が上なので、純粋に技量の問題だろう。

 やはり彼女のAST隊員としての実力は高そうだ。

 どうあがいてもお泊り――――そんなフレーズがよぎった時だった。

 

「なんだ、この光……!」

「――っ」

 

 近くの街灯が眩い光に包まれる。

 そしてポンッ、というコミカルな音が鳴ったかと思えば、街灯はそのフォルムを変えていた。

 とはいえ、それを見たらほとんどの人が、街灯と答えるのは変わらないだろう。

 ただ、なんというか、ファンシーっぽいのだ。

 ライトの部分が笑うカボチャ……ジャック・オー・ランタンに置き換わっており、その下にはデフォルメされたコウモリやら幽霊やらドクロやらがぶら下がっている。

 ニュアンス的に、というより直球でハロウィンの装飾だ。

 何かのイベントだとして、時期はずれにも程がある。

 面食らった士道だが、折紙が離れていることに気づく。

 デフォルメされた街灯を、真剣な目で見つめていた。

 

「ごめんなさい、急用ができた」

「そうか、じゃあこれ」

「私はいい。傘はあなたが使って」

「これは君のだろ。それに、生徒を濡れて帰らせるのもな」

 

 傘を握らせて、士道は駆け出した。

 コンビニからは離れてしまったため、どの道ずぶ濡れになるのは避けられない。

 それなら急いで帰った方がまだマシだろう。

 

(そういえば、前にもこんなことがあったな……)

 

 大学二年生の秋、雨の中のカボチャの装飾。

 軒下で途方に暮れていた魔女の仮装の少女は、元気にしているだろうか

 

 

 

 

 

「……バッカみたい」

 

 降りしきる雨の中、ビルの屋上から呆然とするカップルを見下ろして、少女は吐き捨てた。

 相合傘などというリア充行為を見せつけられた腹いせに驚かせたのだが、存外すっきりしない。

 さらに不機嫌を募らせて、眼下の光景から視線を切る。

 広がりっぱなしのボサボサの髪、猫背が小柄で貧相な体をさらに小さく見せている。

 空模様と同じくどんよりとしたエメラルドの双眸を、幅広の帽子が覆い隠す。

 世界は今日も冷たい。

 持たざる者には、人々はどこまでも無関心だ。

 こんなみすぼらしい自分では、誰も相手になんかしてくれない。

 憂鬱そうにため息をつくと、少女は無言で手に持った箒を振るった。

 光がきらめくと、そのシルエットに変化が現れた。

 艶やかな長い髪、スラリと伸びた手足に豊満な胸。

 先程までそこにいた小柄な少女の面影は、幅広の帽子とエメラルドの瞳のみ。

 絶世の美女、と言ってしまってもいいかもしれない。

 理想を突き詰めたかのようなその美貌は、それ故にある種作り物じみていた。

 この姿ならば、きっと誰もが振り向いてくれる。

 それでもと、もう一度箒を振るう。

 そして小柄な少女の姿に戻って、雨空を見上げた。

 あの日も、こんな雨が降っていた。

 手に持った箒が解けて消えたかと思うと、その代わりにボロボロのビニール傘が握られていた。

 どれだけ世界や人間が冷たくとも、こんなもののせいで期待を捨てきれない。

 希望といえば聞こえはいいが、実際は呪いのようなものだ。

 

「……トリックオアトリート」

 

 傘を差して、呟く。

 届けたかったはずの思いと、返したかったはずの物。

 それらを抱えたまま、時期外れの言葉は五月の空に溶けていった。

 

 

 




四糸乃とよしのんは大変なことになっているので、出番は相当遅れるかと思います。
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