指定された場所に訪れた私を待っていたのは当然というべきか、サオリだった。
その姿は雨に濡れ、泥にまみれ、血がにじんだ服をまとい、肌にはところどころに銃痕と思わしき跡があった。
そんなボロボロになった姿のサオリが今、私の前で膝をおとし両手をつけ頭を下げている。対して私は怪我も治り、小綺麗な服が雨に濡れているだけ。まるであの時とは立場が逆転したかのように感じられてしまいいたたまれない。
「……サオリちゃん」
サオリは自身の現状を話してくれた。
あれからアリウスから逃げていたサオリたちは、追手に追いつかれ、アツコを奪われ、他のメンバーと散り散りになってしまったこと。
アツコが生贄として育てられ、それを防ぐために頑張ってきたこと。
そして明日の朝にアツコが死んでしまうこと。
どれも本編で聞いたことで、内容に変わりはなかった。
とはいえ私がやることに変わりはない。サオリと協力し、ベアトリーチェを倒し、アツコを救う。そのこと自体は本編通りだ。
「私のことなんて信じられないだろうが、本当なんだ」
サオリの悲痛に苦しむ心が言葉を通して伝わってくる。
助けることが出来なかったと。
大切な人を失いたくないと。
そして、自分ひとりじゃ何もできないと。
「虫がいいのは理解している。さんざん先生を傷つけた私が頼めるようなことじゃないのはわかっている……っ!」
ぐっと地面についたサオリの手が握りしめられる。それはまるで届かない何かをつかもうとしているようだった。
「……でも……もう、私には……っ」
声がかすれていく。サオリの丸まった背中が一段と小さくなっていく。
「私にはもう、頼れるのは先生しか……」
サオリの縋るような声は雨音で消えてしまいそうになるほど。
「頼む先生……アツコを、助けてくれ…………」
それでもサオリは私を信じてくれた。
最後の頼みの綱として。
サオリからしたら恨まれているかもしれない相手に。
それでもと、そう考えて。
私を頼ってくれたんだ。
もう一度、ちゃんとサオリを見る。
小さく丸まっているその姿はまるで部屋の隅で泣いている子供のようだった。
助けなければいけない。一人で泣いている子供を見捨てれるわけがない。
「サオリちゃん……」
サオリに向け右手を差し出そうとしたとき、腕に残された小さな傷跡が目に入った。
「――っ!?」
瞬間思い起こされる拷問を受けた日々。
殴られ、蹴とばされ、ずっと痛めつけられていたあの日々。
辛く、苦しく、悲しく、それでもずっと耐えていたあの日々を。
そんな日々を思い出して思わず私は差し出す手が止まり、一歩後ずさった。
…………。
………………。
…………………………。
………………………………………………は?
なにをした?
私は今、なにをした?
なんで手を止めた?
なんで後ずさった?
なにをしているんだ私は?
なんでだ?
私は、お前は『先生』なんだろ?
『先生』が生徒を怖がったことがあるか?
『先生』が生徒から逃げ出したことがあるか?
『先生』が助けを求めている生徒を見捨てたことがあるか?
『先生』が『先生』が『先生』が『先生』が!!!
……子どもを守らないことがあったのか?
そんなこと、あるわけがない。
『先生』は優しく、強く、あたたかく、ずっと生徒を守っていた。拒絶されようとも、死にかけようとも。なにをとしても愛した子供たちを助けてきたんだ。
だというのにお前は、私は、なにをしているんだ。
守るべき生徒を前にしてなにをしたんだ。
助けるべき子供が前にいるのになにをしているんだ。
なにをしているなにをかんがえているなににおびえているなんでとまっているなにをなにになにがなんでなぜなぜなぜなぜなぜなぜ――!!!!!!!
…………………………。
……子供を怖がるお前は誰だ。
生徒に手を差し伸べられないお前は誰だ。
信じて頼ってきた子に応えられないお前は誰だ!!
…………………………あぁそっか、お前はただの一般人だったっけ。それなら仕方がないよね。一般人が『先生』なんてできるわけない。
『先生』は頼れる大人で、すごい大人で、どんな出来事をも解決できる大人なんだから。
だからそんなすごい大人に一般人が成れないのは仕方がないことだ。
あぁそうだ。それなら仕方がないよ。
仕方がない。
……だから『先生』にそんな人物は必要ない。
『先生』に普通の人なんて邪魔なだけだ。
だから…………。
「サオリちゃん。頭を上げて」
先生の手が私の頬に添えられ、優しく顔を持ち上げられる。
視界いっぱいに映ったのは優しい笑顔で、慈しむ視線で……。
初めて見た先生の顔だった。
私が見てきたのは必死な顔、痛みをこらえる顔、恐怖に怯える顔、覚悟を抱いた顔。
どれも笑顔ではなかった。
そもそも私は笑顔が好きではなかった。
アリウス自治区では笑顔なんて浮かべるものはいない。浮かべている暇なんてない。
苦痛と憎悪しかあの場所にはなかった。
だからこそ笑顔なんて仮初めで、幻想で、意味なんてないものなのだと。
そう思っていた。
だから笑顔を浮かべている者が嫌いだった。
苛立った。
憎たらしかった。
癇に障った。
耳障りな笑い声が妙に耳に残る。
幸せそうに笑っている顔が目につく。
なぜお前たちはこんな世界で笑ってられるのか、と。
腹立たしい。
腹立たしい!
腹立たしい!!
なぜだ! なぜだ! なぜだ!
なぜなんだ!
……。
なぜ、私たちは笑う事すら出来ないんだ……。
なんで、どうして……。
笑顔なんて、大っ嫌いだ。
お前もそうだったはずだアズサ。
なのになんでお前は笑っていられるんだ。
どうしてそんな風に笑えるんだ。
お前と私ではなにが違うんだ。
どうしてなんだ。
どうしてお前までそんな風に笑うんだ。
やめろ。
見せないでくれ。
そんな笑顔を浮かべないでくれ。
アリウスで過ごしたお前が笑ってしまったら。
アリウスから飛び出したお前が笑うことが出来たのなら。
アリウスに囚われている限り私たちには永遠に幸福が訪れない証明になってしまう。
おねがいだ。
笑わないでくれ。
やめてくれ。
たのむ。
だれか。
だれも。
私に笑顔を見せないでくれ。
「――サオリちゃん」
だというのに、なぜだろうか。
どうして私はこの笑顔を見ていたいと思っているのだろうか。
笑っていてほしいと考えてしまっているのだろうか。
目の前に笑顔があるというのに。
いやな気持にならない。
腹が立たない。
憎たらしく思えない。
苛立つどころか、逆に安心感をおぼえてしまう。
なぜだかわからない。
根拠もなくただ大丈夫だと、そう思えてしまう。
きっとアズサはずっとこの顔を向けられてきたんだろう。見ているだけで、見られているだけで心があたたかくなってくる。
「頼ってくれてありがとうサオリちゃん」
「な、なんで先生がお礼を言うんだ……?」
「そんなの決まってるでしょ? こうして生徒が頼ってきてくれた。それがとても嬉しいんだ」
理解できない。なぜ私なんかが先生を頼って、先生が嬉しくなるのだろうか?
「立って、サオリちゃん」
「あ、あぁ……」
先生に促され少しふらつきながらその場に立ち上がる。
……小さい。
私よりはるかに小さい。
だというのになぜだか大きく感じる。
「一緒にアツコちゃんを助けよう」
「……ほ、本当に手を、貸してくれるのか?」
「うん」
「私は、先生の腕を……。それだけじゃない、いっぱい、いっぱい先生の体に傷をつけて……」
「大丈夫だよサオリちゃん」
「せ、先生……?」
先生の両腕が私の背後にまわされ、抱き寄せてくれる。先生の体温が伝わってくる。先生の穏やかな鼓動が伝わってくる。
疲れ切った心と体が癒されていくのがわかる。
「よく頑張ったね、サオリちゃん」
「……あ、あぁ…………っ」
私の心をがんじがらめに縛り付けていた鎖が解けていく。
「おねがい、します。……姫を、アツコを…………」
「うん。『先生』にまかせて」
問1
『先生』のことが大好きで尊敬している先生が『先生』が絶対にやらない事、『先生』として絶対にやっちゃいけない事をしてしまった今の先生の気持ちを50文字以内で答えよ。
答
しねよカス。