要するに、移動する物体が空気の流れによって浮いたり沈んだりする力のこと。しかし、現代の技術をもってなお、「なぜ揚力は発生するのか」は分かっていない。我々は「どうしてこうなっているのか分からない物」を実用化したのだ。
飛行船の模型をできるだけ「実際に飛ぶものと同じように」作り、それを投げてみた。
「まあ、普通に飛ぶか…」
模型は滑空するような軌道を描き、地面にポトリと落ちた。もう一度拾い上げ、今度は子供たちが遊んでいたのと限りなく近い動きをしてみる。
「…何が違うんだ?」
俺はあの時、確かに子供たちの投げた風の翼の玩具が上方向に上がったと思ったんだけれど。見間違いだったか?
「子供らしく、適当に投げてみるか」
どこに飛ばそうとか決めず、乱雑に模型を扱ってみた。俺の手を離れた模型は、手を離れてからわずか1秒にも満たない間だが、一瞬浮いた。
「ああ、強く投げれば良かったのか!!」
それから再現性の確認のために何度も模型を投げたが、やはり強く投げると、たまに浮く。これはやはり、前に買ったスメールの論文が正しいのかもしれない。内容はこうだ。
『風を受けられるものが高速で移動すると、謎の力が働き、空中へ浮く。我々はこれを揚力と呼んでいる。原理としてはやはり空気が怪しい。空気の中にはエネルギーのような何かがあるのかもしれない…』
「怪しすぎるから信じてなかったけど、マジなのか?」
模型の羽根の角度を変え、もう一度同じように投げれば方向が変わった。何度やっても、やはりこの「揚力」という力はあるみたいだ。
「なんでこんな力が発生してるんだ…?」
かなりの時間「この力の発生源」について考えたが、アイデアすら思い浮かばなかった。
「…休憩、外の空気吸おう…!」
どん詰まりの感覚を払拭するために椅子から立ち上がり、外に出た。
「待って、行かないでーー!!」
俺の横を過ぎ去るアンバー。追いかけている先を見れば、軽快な動きでモンドを駆け抜ける猫だった。おおよそ見当がついた、猫を捕まえて欲しいと頼まれたのだろう。
「ははは」
俺がぶつぶつと論理を組み立てて原理究明に勤しんでいるのが馬鹿らしい。
「手伝うか」
軽い運動だ、という気持ちでアンバーを追いかけ始めた。
私が何度「追い詰めた!」と思っても、予想だにしない場所から私の包囲を抜け出す猫ちゃん。このままだと私の体力が尽きるのが先だ、なんて思っていたあたりで、私の前にシエルが立つ。
「その子を捕まえればいいんだよね」
私は疲れて返事をする余裕もなかったので、頷いて返す。私の意図を察して道を塞ぐシエル。
しかし猫は、シエルの足元に来たと思ったら瞬く間に肩まで登り、そのまま反対側の塀にジャンプ。
「嘘だろ…」
こんなの、捕まえられないよー!!
シエルと一緒に何度も挟み撃ちにしたけど、その度に猫は己が道を見つけて走り抜けてしまう。何周かモンドの周りを周り、もう私の体力も限界かも、と思った時。私は気づいた。
「…シエル、次、花屋の近くまで来たら、そこ、が、狙いどきよ!」
「分かった。信じる」
猫を追いかけて、ついに花屋の近くまできた。しゃー、と灰色の毛を逆立たせてこちらに威嚇してくる猫ちゃん。
さっきからずっとこの辺りを回っていて気づいた。この猫、なぜかは分からないけど、花屋の近くに来ると花の方を向いている。つまり、私が警戒されながらも、もし私が花のあるところに立ってたら…
「捕まえた、手間取ったね」
その後ろは、見られない!
2人いないとできないけれど、こうすればきっとできるはず。猫を抱えたシエルが私に話を聞いてくる。
「何で花屋の前だと誘導されたのさ?」
「分かんないよ。でも、何度も回ってるうちに、そういう傾向があるんだって気づいたの。別に何でかは分からなくても、使えれば十分なんだから!」
というか、シエルはやっぱり優しい。私が困ってるのを見て、すぐに駆けつけてくれた。自分にも飛行船を作るためにやることが沢山あるはずなのに、私のことを優先してくれる。そんな風に誰にでも優しいところも、好きなのかも。
「そうだよな、別に原理を理解している必要性は皆無だ」
設計図に書き足した大量の計算式の書かれた紙を丸めてゴミ箱に投げ入れる。あれらは全て「揚力発生の仕組み」を考えた計算だったが、あんなもの無くても、「どうしたら浮くのか」さえ分かっていれば人類は飛行できる。
誰が火が燃える原理を気にして火をつけるだろうか。どうしたら燃えるかが分かっていれば、その原理なんて知らなくても道具として扱える。
なら、俺のやることはシンプルだ。「本当にスピードを持った物体に揚力が発生しているのか」の正確な検証。もしそれが達成できたら課題は明確になる。
1、「揚力を生めるだけの速度を作れるエンジン、プロペラの作成」
2、「できるだけ多くスピードを生める、軽くて丈夫な機体の作成」
3、「着陸システムの開発」
4、「飛行中に機体を操作できる機能の搭載」
5、「発射台の作成」
これらをクリアすれば、十中八九飛べるだろう。模型の段階で調整できるのは1から4だ。とりあえず、おそらく最難関となるであろう1を達成してみせる。
シエルの日記
揚力による飛行を本格的に計画し始めた。揚力の理論が正しいとして、それを再現するためにはエネルギーを沢山生めるエンジンが不可欠。もし仮にエンジンで上手くいかなかったら、いつかフォンテーヌに行って本場の飛行船を見る。あっちだって、決まった場所にしか飛行できない。しかもあれは、短距離しか移動出来ないはずだ。やっぱり自由に上昇・下降の出来る飛行船を作りたい。明日はクレーのところに行って、火薬論について教えてもらおう。
「シエルお兄ちゃん、分かったー?」
全然分からない…!!
赤いバッグを背負いながら首を傾ける少女の名前はクレー。こう見えて騎士団所属で、普段は爆弾を使って戦っているので、火薬について教えてもらおうとやってきたのだが。
「うんとね、ここをぐいー、ってするとぎゅう、って感じがするから、そこにこれをぽい!」
ずーっとこんな感じの説明。頑張って実演してくれるし、さまざまなジェスチャーから意図を読み取ろうとしているのだが、「なぜその配合になったのか」の説明が全て効果音だ。感覚でここまで火薬を作り続けているのは才能だけれど、人に教えるのには向かないかもしれない。
「どーしよ…」
頭を抱えていると、ドアからジンさんが入ってきた。
「シエル…やっぱりそうなってしまったか…」
俺の様子を見てか、憐れむような声で話しかけてくる。ここは騎士団の「仕置き室」と呼ばれているらしい所。クレーはあまりここが好きではないらしい。
「君のその情熱には皆一目置いているが、クレーの説明では難しいだろうな…」
「まあでも、図書室でエンジン周りの本をお借り出来ただけで十分、俺としては収穫になりましたよ」
図書室の蔵書は色とりどりだった。中には俺の欲しかった「フォンテーヌの飛行船」に関する本もあったが、どうやらあそこのエンジンは「ウーシア・プネウマエネルギー」というものによって動いているらしく、全く参考にならなかった。何たってそれはモンドにはないからだ。
すでに何冊か目を通したが、やはり「炎」が一番エネルギーとしては良さそうだった。
「やっと、明確に道が見えてきたんです。暗闇に手を伸ばし続ける作業をもうしなくていいんですよ。俺が空を飛ぶ日もすぐですね」
「そうか!それは良かった。現実的に出来そうであれば、私も協力したいな」
「クレーも!クレーも手伝うよ!!」
ありがたい限りだ。数日かけてもエンジンを思いつけなかったら、一旦後回しにしてみよう。時間が経って見えないものが見えるようになることだってあるし。
火薬だけじゃ無理かも。とりあえず翼に逃げよう…。
最近のシエルは、家にいてくれることが多い。そんな傾向を見つけた私は、「今しかない!」と思って、秘策を用意した。その名も、「胃袋をつかめ作戦」!!
リサさんにはもう、私の恋心は見え見えみたいで、私の相談役になってくれている。そんなリサさんのアドバイスは、「料理でも作ってあげたらいいんじゃないかしら?」だった。ちょっとだけハードルは高いけど、シエルに「美味しい」って言ってほしい!!
でも。私の料理をリサさんに試食してもらうと。
「…これは、申し訳ないけど、酷いわね…」
見事に酷評。*1私は料理が全然出来なかった。シエルに「美味しくない」って言われるのはどうしても嫌だったから、リサさんに長く付き合ってもらって、たくさん練習した。
「自己流のことなんかしなくてもいいのよ。料理がうまく出来ないうちは、レシピに則ってやるべきだわ」
何時間もかけていくつもの失敗作を生み出したけど、私はついにリサさんから、
「…見た目はいいとは言えないけど…これなら、美味しいと言えるところまできたわね」
というお墨付きをもらった。私が作ったのはニンジンとお肉のハニーソテー。シエルは
男の子だからいっぱい食べたいだろうと思って選んだ。喜んでくれるといいな…!
「お邪魔しまーす…」
私がドアを開け、食べ物を持って入るとシエルは立ち上がっては飛行船の模型を投げ、またすぐに作業台に戻るを繰り返していた。
近くにあった綺麗なテーブルに食べ物だけ置いて、シエルの方に近づいていく。せっかくだし、ちょっと驚かせちゃおう。
「シエルっ」
後ろからバレないように近づき、耳元で名前を囁いてみた。
「ひゃう!?」
…かわいい。シエルってそんな声出るんだ。私はついニヤニヤとしてしまう。
「アンバー…びっくりしたあ」
囁かれた耳を両手で押さえて、顔を赤くするシエル。ちょっとだけ恨むような目を向けられているけど、私はもう「ひゃう!?」を聞けたので満足だ。
「シエルのために料理を作ってきたんだよ!いつもお疲れ様ー!」
シエルはどうやらやっとお肉の匂いに気づいたみたいで、ああ、と口にする。
「いい匂い。俺のために作ってくれたの?嬉しいな」
シエルは鉛筆を机にそっと置き、椅子から立ち上がる。そしてテーブルの上の料理を見て、一瞬考え…
「美味しそうだね。是非いただくよ」
フォークとコップを取ってきて、水を入れてから食卓に座った。私も成り行きでテーブルの向かい側に座る。フォークを握り、シエルはお肉を口に入れた。
リサさんのお墨付きはあっても、やっぱり怖い。でもリサさんが言ってた。「あなたの料理は愛情に溢れてるわね」って。だからきっと…!
「…美味しい!ちゃんと味付けできてる!」
やった!!リサさん、私やったよ!!
一度肉を口に入れた後は、どんどんお皿の上からお肉が消えていった。
「アンバーは食べないの?アンバーが作ったんだから、せっかくだから食べなきゃ」
「いいの。シエルのための料理だから、シエルに美味しいって言ってもらえただけで私は満足だよ…!」
上手くいってよかったあ。
「…ずるい」
「?」
「何でもないよ」
翼だけで飛行を制御するなら羽は何枚がいいだろうか。そもそも両翼だけでいいのか?両翼の設置をして沢山風を受けられるようにした上で、前部分に補助翼をつけた方が自由な操作ができる気がする。
なら3枚か、両翼に2段になるようにもう一個ずつ翼をつけるなら5枚か…
「シエルっ」
「ひゃう!?」
唐突に右から飛んできた好きな人の声に、変な声で返事をしてしまう。…不意打ちはやめてほしい。
「アンバー…びっくりしたあ」
集中していると俺は周りが見えなくなってしまう。自分の名前を呼ばれれば意識を戻せるが、こういう形で呼ばれたのは初めてだ。
「シエルのために料理を作ってきたんだよ!いつもお疲れ様ー!」
天真爛漫な声。確かにアンバーの言う通り、どこからかお肉の甘くて香ばしい香りがする気がする。と、いうか、アンバーの手料理がもらえる。それだけで俺の心は有頂天だった。
「いい匂い。俺のために作ってくれたの?嬉しいな」
作業中とかどうでもいい、とりあえず食べよう、と思って鉛筆を置いて立ち上がる。テーブルの方を見れば、そこには…
(申し訳ないけど、これ、美味しいのか)
肉の色は僅かに黒く、崩れている部分の多いソテーが置いてあった。この時点で察した。アンバーは、そこまで料理が上手ではないのかもしれない。
しかし準じて、アンバーの指先をチラリと見れば、絆創膏だらけでボロボロの指が見えた。
(頑張ったんだろうな、食べなきゃ)
これだけで垣間見える努力の跡。それらの努力は全て俺のために行われたと言うことを考えると、是非食べたい。
「美味しそうだね。是非いただくよ」
これは本心だった。料理の下手な人が頑張って、頑張っても止むなしで提出してくる料理は、美味しいと決まっている。
フォークを手に取り、肉を分離。口に入れた。
「…美味しい!ちゃんと味付けできてる!」
想像以上に美味しかった。お肉はジューシーで、バターの香りと甘味がよく合っている。食べて正解だった。ここまで美味しいのだから、アンバーも食べるべきだ。
「アンバーは食べないの?アンバーが作ったんだから、せっかくだから食べなきゃ」
「いいの。シエルのための料理だから、シエルに美味しいって言ってもらえただけで私は満足だよ…!」
俺のための、料理。理解はしていたけれど、安心したような顔で胸元を手で抑えながらそう言われてしまうと、…くるものがあるというか、…ずるいな、それは。
「…ずるい」
「?」
「何でもないよ」
顔が熱い。思考が鈍くなる。目をアンバーに釘付けにされて、戻ってこれなくなるような感覚。
「うー…」
そういうのは、やめてほしい。
シエルの日記
翼について勉強したことで、、
1、「揚力を生めるだけの速度を作れるエンジン、プロペラの作成」
2、「できるだけ多くスピードを生める、軽くて丈夫な機体の作成」
3、「着陸システムの開発」
4、「飛行中に機体を操作できる機能の搭載」
5、「発射台の作成」
の5課題のうち、4番に解決の見通しがついた。揚力を全面に受けるための主翼を2枚又は4枚、前方に小さな補助翼をつけ、それの操作をできるようにすれば、模型の時点でもかなり思った方に飛べている。ただ、サイズが違うから「模型を手で強く投げるくらいの力」が、「巨大な飛行船が揚力を受ける」という事においてどのくらいの力なのか全く分からないのが問題だ。やはり、1番と2番が命、という事になる。エンジンは一生作れない可能性だってあるが、とりあえず明日からはプロペラについて研究してみよう。
ライト兄弟が作り上げた人類初の動力型飛行機「ライトフライヤー号」も、前方に補助翼を設置することで揚力を操り、自由に回転出来たといいます。
飛行マシナリーのエンジン技術はフォンテーヌにしかないエネルギーを使っているみたいで、シエル君が頑張る上では全く参考にならない一般性のカケラもない技術ですね。
完結の仕方は決まっているので、ゆっくりやっていきます。