川島瑞樹の合理的な選択   作:hatibe

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川島瑞樹の合理的な選択

 サードプレイスという概念が提唱されたのは、今から30年も前の話だ。

 都市生活者は往々にして、職場と家を往復する日々を過ごす。

 家と職場、ウチとソト。プライベートとパブリックが急激に切り替わると、人は疲弊する。

 だから人はウチとソトの間に中間地点を求める、公共性を保ちながらも私的な面を出せる場を。

 ある人にとってはそこは喫茶店であり、ある人にとってはそこは公園であり、そしてアナウンサー上がりのアイドルにとってそこは居酒屋であった。

 

 赤提灯がぶら下がる居酒屋に、一人の女性がふらりと立ち寄った。

 入った店の名は、居酒屋しんでれら。美味しいお酒と料理が出てくる割にはお客が少ないという少々不名誉な評判を持つお店だ。

 女性は暖簾をくぐると店内をぐるりと見渡した。どうやら今日は自分一人しか客がいないらしい。貸切状態のようだ。とは言っても驚くことでは無い、年中だいたいこの状態なのだから。

 なんだ今日は私が一番乗りか、と女性はポツリと呟いた後、ツカツカと自身の定位置に座ると、

「すみませーん、今日のオススメお願いしまーす!」

 と朗らかな声で言った。

 

 川島瑞樹がこの居酒屋に足繁く通う様になったのは、およそ半年前からのことになる。

 ひょんなことからこの店を見つけてからというもの、入り浸るかの様に仕事上がりにかなりの頻度で訪れる様になった。お陰でエンゲル係数が跳ね上がったのは言うまでも無い話だ。尚、我慢が一番の美容の敵、という信条を持つためエンゲル係数が上がったことに対しては当人は特に気にしてはいない。

「今日は新鮮な牡蠣が入ってますよ」

 店員が今日のオススメです、と言って出してきたのは生牡蠣だった。

 鮮度の良い牡蠣が入ったとのことらしい。広島から今朝入ったばかりとのことだった。

 生食用の殻付き牡蠣が市場に出回るのは11月から3月にかけて。冬の風物詩と言えるだろう。以前、夏季に牡蠣は食べられません、と言って高垣楓が店員の失笑を買ったのは記憶に新しい。

 刻んだ万能ネギがかかっている。紅葉おろしとポン酢で食べる。美味い、ただただ美味い。口に広がる旨味で、瑞樹は舌鼓を打つ。そして瑞樹はお猪口に手を伸ばすと、一息に呑んだ。

 ぺろりと唇を舐めた後、再び牡蠣に箸をつけようとし、ガラガラガラという戸の開く音で瑞樹は箸を止めた。

「あ……瑞樹さん」

「楓ちゃん」

 入り口の方をみやると、そこには見知った顔が立っていた。

 高垣楓、ひょんなことからこの居酒屋で一緒に飲むようになった間柄だ。 

「今日はお一人さまですか?」

「ええ、なんだかちょっと飲みたくなっちゃって」

「ふふ、私もです」

 そう言って、楓はちょこんと瑞樹の横に座った。座る頃には既に店員が楓の分のお猪口を持ってきているあたり、二人が常連であることが窺えた。

 高垣楓は箸を取ると、

「今日は牡蠣ですか」

「広島産ですって。殻付きって何か普段以上に美味しく感じるの、不思議ね」

「ふふ。今日のお酒、どこのですか?」

「ええと、さっき店員さんが広島の賀茂金なんちゃらって言ってた気がする……」

「賀茂金なんちゃら……」

 楓はお猪口に口をやった。すっきりとした飲み心地で、少し辛い。

 美味しいと楓は口にした後、そう言えばと言って、 

「覚えてます? 以前、牡蠣フライを食べた時」

「あー! 牡蠣に合う様に造られたお酒よね、あれも美味しかったわ!」

「酸味が少し強かったから、フライに良くあってましたよね」

「そうそう! レモンが要らなかったの」

「レモンかけすぎて酸っぱくなったって、瑞樹さん言ってましたよね」

「ん……? 言ったかしら……?」

「あれ……違いましたっけ、ソースでしたっけ……」

「いやそれ、私じゃなくて楓ちゃんよ」

「そうでしたっけ?」

「そうよ、そしてタルタルソースかけて中和させたじゃない?」

「そうでしたっけ?」

「ソースのかけすぎで塩っぱくなって大しょっぱいって言ったじゃない、覚えてない?」

「ふふっ、瑞樹さんはお笑いのセンスがありますね」

「あなたが言ったのよ、あなたが」

 呆れ顔をする瑞樹を尻目に楓は再びお猪口を呷ると、幸せと口にして、 

「そういえば、瑞樹さんはどうしてアイドルになったんですか?」

 と言った。

 

 鋭角から来た質問を受けて、思わず瑞樹が吹いた。

「ど、どうしたの突然?」

 口元を拭いた後、瑞樹がそう尋ねると、

「いえ……何となく聞いてみただけです」

「何となくで聞くことなの? それ」

「少し踏み込みすぎましたか?」

「いいえ、よく聞かれるから問題ナシよ。でも、楓ちゃんから聞かれるとは思ってなかったわ」

「……インタビューの方に聞かれたんです。どうして高垣さんはモデルを辞めたんですか、と」

「……ふうん。どう答えたの?」

「……モデル部署、もーでるって思って辞めた、と」

 川島瑞樹は突っ伏した。

 その様を見て、楓は嬉しそうに手を合わせて、

「わあ、瑞樹さん! プロデューサーさんと同じ反応をされるんですね!」

「誰だってそれ聞いたらこうなると思うわ……」

 ははは、と瑞樹は乾いた笑いを発した。

 楓もくすくすと笑った後、

「瑞樹さんは、アイドルをやっててどんな時が一番楽しいですか?」

「一番楽しい時……やっぱり月並みだけど、ライブかしらね」

「へえ、そうなんですね。意外です」

「そう? みんなも似たり寄ったりだと思ってたんだけど」

「そうですか? 私はスケジュール帳を開いている時が一番楽しいので」

「なにそれ!?」

 瑞樹の反応に楓は言った、

「スケジュール帳を見て、今週の予定を確認する時、この仕事はどんな感じで行こうかな、どんな感じで臨もうかな、この人にお仕事するんだな。って、考える時が一番楽しくて」

「あー……今、一瞬納得しかけた自分がいるわね」

「ふふふ。瑞樹さんはライブのどこが好きなんですか?」

「私? 私は……ポップアップに乗った時かしらね」

「ポップアップですか?」

 楓はキョトンとして瑞樹の言葉を反芻した。

 ポップアップ、要はステージに上がるためのリフトのことだ。

 瑞樹は少し恥ずかしげに楓に問いかけた。

「楓ちゃんはライブに出る時、いつも何を考えてる?」

「……ファン、のことだと思います。それか、何も考えていないか」

「そう。私はね、いつも自分のことばかり考えてるの」

 ライブを思い出すかの様に遠い目をして、瑞樹は言った、

「ステージに飛び出す瞬間、今までとは違う別の自分になれるんじゃないかって、そう思う時があるの。暗い舞台裏からポップアップに乗って、スポットライトの当たるステージへ飛び出す瞬間、今とは違う別の自分になれるんじゃないかって、いつもそんな気がするの」

「今とは違う別の自分……」

「救いようの無い合理主義者」

「え?」

「大学の頃、そう言われたのよ」

「瑞樹さんがですか?」

 誰に、とは楓は尋ねなかった。聞くのは野暮という話だ。

 そして、瑞樹はポツリと零した。

「本当はね。私、女優になりたかったのよ」

 

 本当は、女優になりたかった。

 幼い頃の話だ。遠い昔、まだ損得の勘定が付けられなかった頃の、淡い夢。

 なぜ女優に憧れたのかと問われたら、瑞樹はそれを言語化することは出来ないだろう。ただ、キラキラしていたから憧れた。そこに、理由なんてものはなかった。

 その夢を手放したのはいつ頃だろうか? 覚えていない。だが、家庭環境の影響が少なからずあったのは確かだろう。

 厳粛な父と、物静かな母。

 父との関係性はあまり良く無い。この歳になっても未だにうまく会話をすることができない。瑞樹のことを知っている人がこの事を知ったら驚くことだろう。

 女優、という職業を目指すことがどれだけ無謀であり、そして道のり険しいかを幼心に察した瑞樹は早々にその夢を手放した。

 その代わりとして選んだ職業がアナウンサーというのは、一見酔狂に見えるかもしれないが、その実、打算ありきのものだった。

「もともと、考えるのは得意だったわ。いつも理詰めで動いていたの。そのせいで、失敗したこともあるけれど。良かれと思ってたのにってね」

 大人びていると、幼い頃からよく言われていた。

 もしかしたら、自分の行く末が明確に見えている人間は、老成して見えるのかもしれない。

 何をどう積み上げればどこに行けるのか、瑞樹は見ることが出来た。自分がどこに行けるのか、そして自分がどこに行けないのかも。

 アナウンサーを選んだのは、瑞樹が行けると踏んだからだった。

 アナウンサーの倍率は約1000倍と言われているが、これは東京にある放送局、いわゆるキー局に限った話だ。地方局に的を絞れば、倍率は低いところでは100倍まで落ちる。戦略を立てて行動すれば、不可能な数字では無い。

 しかも幸いなことに、テレビ局の就活の時期は他業種よりも圧倒的に早い。落ちてもリカバリーが効く。仮に落ちたら他業種に行けばいい。落ちる気は毛頭無かったが。

 アナウンサーになるための努力は、中学生の頃から既に始めていた。旧帝大の法学部、法に強いというアドバンテージはアナウンサーになる上で一助になると調べて知っていた。

 キー局に勤めることは最初から考えていなかった。狙うは関西の地方局。出来れば大阪の局が良い。実家がそばにあるということは、セーフティーネットとして機能することを意味するからだ。

 そして瑞樹は、自分の立てた目標を一つ一つクリアし、ゴールに辿り着いた。

 唯一瑞樹に誤算があったとすれば、それはゴールしてから本番だと言う基本原則を忘れていたことだった。

 アナウンサーとしての日々は想像以上に過酷だった。

 入社してからは無我夢中で働いた。川島瑞樹に手渡された地図には出来ないことが沢山載ってあり、それらを一つずつ塗り潰す事に全力を注いだ。

 初年度に担当した情報コーナーの失敗は、今でもあまり思い出したく無い出来だ。

 川島瑞樹は持ち前の器用さと胆力で少しずつアナウンサーとしての地歩を固めた。

 そして気づくと、瑞樹は20代後半に差し掛かっていた。

 

 アナウンサーの定年というのは、一般よりもはるかに早い。現役でいられるのは30歳まで、と言われている特殊な現場だ。

 付加価値のないアナウンサーは30歳になる頃には出番を少しずつ失っていく。

 そしていつか、自分が担当していた番組から引きずり下ろされ、代わりに新卒同然の経験浅いアナウンサーがあてがわれる。アナウンサーとアイドルの境界が揺らいでいる、と揶揄されるのも当然だろう。

 幸いなことに、瑞樹は報道番組を担当していたため、そう簡単に下ろされる心配はなかった。報道番組はまだ、経験者を欲する聖域からだ。むしろ、自分が必要とされているとさえ感じていた。けれど、それも時間の問題だろうと当時の瑞樹は分析していた。

 自身の勤める局のカラーが変わっている事には気づいていた。

 自分が採用されていた年は、硬派でしっかりとした原稿を読める子を局は求めていたが、今はその逆。アイドル要素の子を欲していた。上が方針を変えたのだ。

 そろそろ、行動しなければならない。そうしなければ、ただ若いという理由で自分の席がどんどん奪われていく事になると理解していた。

 与えられた原稿を読む生活を続けた果てにあるのは、管理職か、アナウンススクールの講師か、あるいは。

 そんな、自身の将来像が容易に想像できてしまった。

 けれども、自分がやれることはそう多く無い。目の前の仕事に全力で取り組んで、年齢というタイムアップから少しでも長く逃げ延びるだけ。

 同じ場所に留まるためには全力で走り続けなければならない、ルイス・キャロルの赤の女王のように。

 まるで、何かタチの悪いゲームに囚われたかの様だった。

 

「このままアナウンサーを続けていたらダメになるなって思ったの」

 お酒を一息に飲んで、ふうっと息を吐いたあとに瑞樹はそう言った。

「このままだと自分を見失うだろうなって思って、やりたいことを書き出してみたの。自分が何をやりたいかって」

「Wishリストですか」

「そ。ちょうど流行ったでしょ? 私もやってみたの。そしたら……自分でも呆れるんだけど、芸能関係のことばっか挙がったのよ。ほら、普通はどこそこに行きたいとか、新しい芸事を始めたいとか、そういうのじゃない?」

「どんなことが挙がったんですか?」

「そうね……ラジオのパーソナリティがやりたいし、バラエティの司会もやりたい。ドラマにも出てみたいし、ナレーションもやりたい。モデルだってやりたいし、ファンと交流もしてみたい。体も動かしたいし、歌も歌ってみたい。もちろん、原稿だって読みたいわよ?」

「やりたいこと、たくさんありましたね」

「ええ。そして全部やりたいって、そう思ってたときにね、楓ちゃん。あなたがアイドルになるってニュースを読んだの」

 高垣楓は目を瞬かせた。

「わわひのひゅーふでふは?」

「とりあえず牡蠣飲み込んでから話しましょ?」

 あら失礼、と楓は口元を隠してごくんと飲み込んだ。

「私のニュースですか……話題になるものなんですね」

「そりゃそうよ。なんてったってトップモデルがアイドルに転身なんですもの。私の局も色めきだってたわよ。テレビに出ない硬派なモデルさんが、急にアイドル活動を初めるし、蓋を開けてみたらギャグを言うし」

「ふふ、私はただのモデルでしたけどね」

「……メディアに露出をしないって、それだけで目立つものよ。特にモデルなんてね」

 そう言って、瑞樹は目を伏せた。

「それでね、ああ、アイドルって手があるんだって思ったの。……今思えば、アイドルみたいな新卒ばかり採用する局への意趣返しっていうのもあったのかもしれないけど」

 でも、と言って、

「私がやりたいことが、アイドルだったら全部できるから。って思ってたら、気づいたら事務所に応募しちゃってたわ」

 上長が理解のある人だったことも、応募した理由の一つだろうけど、と言って瑞樹は笑った。

「ふふ、そうですか。私は……なんとなく。なんとなくそちらに行けば、何かいいことがありそうだなって思って、そして気づいたら事務所にいました」

「直感ね」

「直感です。でも、多分、私のそのなんとなくを言語化したら、瑞樹さんと同じようなことになるのでしょうね」

「そうなの?」

「おそらくは」

「何それ」

 そう言って、二人して笑った。

 

 アナウンサーを辞めることは直前まで黙っていたため、アイドルになったことを両親に事後報告した時はひどくドキドキしたのを覚えている。しかし、両親はひどく驚いていたものの、不思議なことに反対はされないどころか理解の色すら示されて肩透かしだった。

 お前は反骨精神が強いからな、と父がポツリと呟いた言葉は今でも耳に残っている。

 どうやら瑞樹は自分が思っている以上に、両親から色々な意味で理解をされていたらしい。

 

「女の子の漠然とした憧れ、か」

「なんですか、それ?」

 首を傾げて楓が問うと、

「ん? いえね、昔プロデューサーくんと話した時、アイドルって女の子の漠然とした憧れよねって言ったことがあったの」

「漠然とした憧れ……」

「やりたいことが全部できるんだから、そりゃ漠然とするわよね」

 そう言って、瑞樹は笑った後、お酒を口にした。

「あー、酒あわせ……よし、明日から頑張ろ!」

「……瑞樹さん、もしかして何かありました?」

「ん? いいえ、なーんにも」

「ほんとですか?」

「ほんとよ、おそらくね」

「同じこと言ってますね、私と」

 なら何も聞きません、と楓は笑った。

「じゃあそろそろ次のお料理頼みますか」

「そうね、その間に牡蠣食べきっちゃっておきましょう」

「では味変でもしましょうか。お醤油で。……あ、ちょっと塩っぱいですね。しょっぱいしました」

「ちょっと、それこないだも同じこと言ってたわよ!」

「タルタルで中和しましょうそうしましょう」

「生牡蠣にタルタルは合わないってば! 店員さんも持って来なくていいから!」

 

 この後、旬なお魚を沢山注文して食って飲んでを繰り返した末、珍しく酔っ払った楓の介抱を瑞樹がする羽目になったのは、それまた別の話である。

 

「あーあ、アイドルってやっぱ大変」

 

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