川島瑞樹の合理的な選択   作:hatibe

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川島瑞樹と園児服

「みずきちゃん帰りましたわよーっと」

 仕事が終わり、用事を片付け早々に帰路に就いた川島瑞樹は、家の玄関を開けるとそう言い放った。

 誰もいない部屋に、自身の声が薄く響く。

 夜半ともあって窓の外から光は差し込まず、暗闇に包まれた部屋の中で、瑞樹は暗がりの世界に命を吹き込むように電気をつけた。

 パチリ。

 光が灯ると、部屋の全貌が明らかになる。三人掛けのカウチソファ、アンティーク調のサークルテーブル、そしてテーブル上には朝片付け忘れた飲みかけの冷えたコーヒーと読みかけの英字新聞が置かれている。

 部屋は一人で住むには少々贅沢な、アイドルへ転身するために上京した際、アイドルになっても局アナ時代と同収入を見込めるからと思い切って選んだハイソなマンションの一室だった。実のところ、アイドルを始めた当初は仕事が思うように上手くいかず、引っ越しを考えたりもしたが、今ではアイドルの仕事も軌道に乗り、むしろもう少し背伸びをしてもいいかもしれない具合だ。

 まるでナチュラル系雑誌から出て来たかのような綺麗な部屋、それが川島瑞樹が生活する居住空間だった。 

 そんな、誰もが羨む暮らしをしているにも関わらず、川島瑞樹は難しい顔を作り、買い込んだ食料品を手早く冷蔵庫に収納すると、提げていた鞄を放り投げ、メイクを落とすこともなく、そのままソファに身を投げ出した。ファンデーションが付くことも気にせずに顔をクッションに押し当て、暫くの間動くことなくじっとした後、くぐもった声で一言発した。

「どうしてアナウンサーを辞めたんですか……か」

 それは、今日のラジオ収録の現場での一言だった。

 川島瑞樹がパーソナリティーを務めるラジオ、『ミズキのズキズキズッキーニ』。

毎週ゲストを呼んで三十分に渡りコーナー無しでぶっ続けのフリートークを行う番組だ。フリートークというのは往々にして話し手の実力が問われるものなのだが、そこは流石の川島瑞樹と言うべきか、アナウンサー時代に培った該博な知識と、機知に富んだ会話によってリスナーを当たり前のように楽しませている。

ゲストはアイドルに限らず声優、アニメ業界、音楽業界、時には作家と様々で、常に相手のフィールドでトークを繰り広げる瑞樹の力量はファンの間でも好評だ。そして、ゲストには何故か毎回ズッキーニ料理を振る舞うことになっている(尚、レシピのネタがなくなるとズッキーニと称してナスが出て来たりするのだが、瑣末なことである。炒めたら大体同じだ)。

 そんなラジオのゲストに今回やって来たのは、飛ぶ鳥を落とす勢いで躍進する新進気鋭の三人組アイドルユニット・ニュージェネレーションズ。眩しさに目をやられるのではと怖くなるほどに輝く島村卯月・本田未央・渋谷凛の三人を迎えて始まったラジオ収録は、驚くほどに話が弾んだ。

先輩・後輩という関係があるにせよ、そこは同じアイドル。仕事での苦労話や今後の展望等々、話は尽きることなく。お互いがお互いのことを知るために質問を投げかけあうそんな最中、島村卯月からふと出て来た質問。

『川島さんは、どうしてアナウンサーを辞めたんですか?』

 その質問は幾度となく行われて来たものであり、瑞樹にとってはもはや慣れたもので、いつものように同じ回答を卯月に返して見せた。他人の書いた原稿を読むよりも、自分を表現したかったから、と。

 だと言うのに、収録が終わっても、何故だか卯月のその言葉が頭から離れなかった。

 川島さんは、どうしてアナウンサーを辞めたんですか?      「どうしてかしら、ね」

 他人が書いた原稿を読み上げるだけ。自分以外にもいくらでも同じことをできる人がいる。

 そんな生活が嫌になって、アイドルになった。

 ……本当に?

 瑞樹は、クッションに顔を埋める。

 用意された衣装を着飾り、与えられた曲を歌うことと、原稿を読み上げていた頃に、何か違いがあるのだろうか?

 そして、未だに新聞を三紙も購読し続けている理由は? 

 薄眼を開けて、テーブルに置いてある英字新聞を横目見る。

 国際情勢を頭に入れて、経済紙を読み解き、時事問題に目を光らせる。アナウンサー時代と変わらぬルーティンを、今もまだ続けているのは何故?

「……未練、かしらね」

 地方とは言えど、局勤めの華の女子アナというのは、客観的に見ればとても輝かしい経歴と言って良いだろう。それを捨て、アイドルになった事を後悔はしていない。けれども、たまに思うのだ。あのままアナウンサーを続けていたら、今頃自分はどんな風になっていたのだろうか、と。

「ふふ。感傷ね、らしくないわ」

 首を横に振ると、脳裏でリフレインする卯月の言葉を断ち切るかのように、瑞樹は独り言ちた。

「さっ、お風呂入ろ」

 

 誰が言いだしたのかは知らないが、お風呂は心の洗濯だという言葉は確かに的を射ている。

 朝に慌ただしく行ったメイクを夜にゆっくり落とす。

 メイクもファンデーションも下地も、全て洗い落とすと素顔の自分が鏡の中に現れる。すると何故だか、見失っていた自分を見つけたような気がして、心が穏やかになるのだ。

「お風呂の後はやっぱりこれよねー」

 お風呂から上がり、タオルで髪をターバンのように巻き上げると、瑞樹はいそいそと冷蔵庫へ立ち寄り、冷えたボトルを取り出した。

 フランス産の炭酸水、それは瑞樹のお気に入りの一つだ。瑞樹は人並みにお酒は好きだったが、一人酒は控えていた。特別深い理由があるわけではない。ただ何となくだが、家で一人お酒を飲むのは好きではなかった。飲むのは基本的に友人と。どうしても一人で飲みたいときは、その辺のお店で。そんなルールのようなものが、いつしか瑞樹の中に出来上がっていた。

 仕事柄、そこそこ良いお酒をもらうことがあったりするが、そんな時は友人を家に招いて一晩でボトルを空けるようにしていた。そのため、家にあるお酒といえば、料理酒くらいしかない。

 とは言っても、夜口寂しいことは多々あり、そんな時は炭酸を口にするのが瑞樹の趣味だった。

「ライムー、ライムーっと」

 冷凍庫から凍ったライムを取り出すと、瑞樹はグラスに放り込んで炭酸を注いだ。

 そして体の火照りを冷ますように、そっとグラスに口をつける。

「美味しいわ……」

 そうやって喉を潤していると、ふと懐かしいものが視界に入った。

 それは、アルバムだった。

 本棚の横隅に置いてある分厚いアルバム、それは先日実家へ帰省した時に、何気なく持ち帰ったものだった。ただ持ち帰ったは良いものの置き場がなく、取り合えずと本棚に突っ込んだまま放ったらかしになっていたものだ。

 瑞樹は何の気なしにパラパラとアルバムを捲った。

「あ、懐かしい。局の入社式の時のものね……。ああ、これ大学の卒業式だ。あっこれ卒業旅行のやつね。わっかーい」

 頁を捲る度に、思い出が蘇る。

 局勤めをすることになった頃の事。

 大学への入学が決まった時の嬉しそうな顔。

 卒業する時みんなで円陣を組んだあの日の事。

 思い出に浸りながら眺めていると、

「あ、この写真……」

 目に留まったのは、一枚の写真。

 それは、幼き頃の瑞樹が、母親に手を引かれながら大泣きしている写真だった。

 園児服を着てワンワンと泣く姿、思い当たる節があった。

「……そういえば、幼稚園に行くの嫌いだったわ」

 瑞樹、そろそろ行くわよ。

 そう母が呼びかけると、瑞樹はいつも駄々をこねていた。

 今日は幼稚園に行きたくない、ずっと家にいる。

 そう言って駄々をこねて母を困らし、母に引きずられるようにしていつも渋々と幼稚園に行っていた。

 そのくせ、幼稚園にたどり着くと、すぐ様友達たちの輪に入り、ケラケラと笑っていた。母はその様を見ていつも、困った子だとぼやいていたと言う。

「ふふ……」

 自然と笑みが溢れた。瑞樹は懐かしむように、また一枚ページを捲り、そしてあっと声をあげた。

「…………あ」

 それは、おそらくお遊戯会の写真だろう。

 可愛らしい衣装を着飾った川島瑞樹が、マイクを手に歌う姿が写真に収められていた。

 その姿はとても楽しそうで、笑顔溢れていて。

「なんだ、昔からそうだったのね。……そうよね、そういえばそうだったわね」

         *

「というわけでプロデューサーくん、次は園児服を着れるお仕事、取ってきてよね!」

 翌朝、事務所について早々、そう宣言する川島瑞樹の姿を見て、プロデューサーはポカンと口をあけた。

「……何がどう転んで『というわけで』に?」

「忘れていたわ、初心って大事よね。やっぱりみんな、一度は初心に戻る必要があるのよ。そのためにまずは、形から入りたいの」

「形から」

「アンチエイジング(物理)よ」

「ん? んんん?」

「きゃぴきゃぴミズキ、しっとりミズキ。どっちもミズキで瑞樹なの。だけど一つ足りなかったの。そう、バブミズキよ」

「川島さん、多分そのバブミって意味が違います。そしてそんなお仕事、都合よく降って来ません」

「やあああだあああ、園児服のお仕事取ってくれなきゃやああだあああ。たかいたかーいしよー? ほーらー、視聴率たかいたかーいしよー? プロデューサーくーん、ほーらーおーねーがーいー、ミズキのおーねーがーいー」

「退行しないでください。通るかなあ。部長になんて言おうかなあ……。そもそも、何でまた急にそんなことを?」

「なんでって、それは……」

 答えようとして、また同じ言葉が脳裏をよぎった。

 川島さんは、どうしてアナウンサーを辞めたんですか?

 川島瑞樹はくすりと笑うと、人差し指を天井に掲げ、

「そりゃ、好きなことで主役を張りたいからに決まってるじゃない!」

 晴れ晴れとした笑顔で、堂々と川島瑞樹はそう宣言した。

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