冷たい風が吹き抜ける廃ビルの屋上。
その場所に、陽翔は異様な存在感を感じ取っていた。
「……君は?」
陽翔が声をかけると、背を向けて座っていた少女が、音もなく立ち上がった。
灰色のフードを目深にかぶり、片手には血の跡が付いた小型ナイフを握っている。
「私に近づくな」
鋭い声で告げられると同時に、ナイフが陽翔に向けられた。
陽翔は肩をすくめ、両手を広げる。
「戦うつもりはないよ。ただ、君も喰種か?」
その問いに、少女の目が微かに揺れる。
「……だから何?」
陽翔は一歩近づきながら、穏やかに言った。
「君が何をしているのか、少しだけ興味があってね」
「興味?」
少女の声が低くなる。
彼女の目は陽翔を探るように見据えていたが、すぐに警戒心を隠さないまま答えた。
「私は美空。親を捜査官に殺された」
その言葉には、深い怒りと悲しみが滲んでいた。
「復讐がしたい。それだけだ」
短く言い切る彼女の姿に、陽翔は一瞬、胸の奥がざわつく感覚を覚えた。
「復讐か……」
陽翔は小さく呟き、視線を外す。
彼もまた、過去に失ったものが多すぎた。
人間として生きられるはずだった生活、家族、そして普通の幸せ。
「……君が何をしようとしても、俺は止めるつもりはない。ただ、無茶はするな」
陽翔はそう言って屋上を離れようとしたが、その背中に美空の声が響いた。
「待って」
振り返ると、美空がじっと陽翔を見つめていた。
「君は……ただの喰種じゃないね?」
陽翔は短く笑うと、背中を向けて歩き出した。
「そうだ。ただの喰種じゃない――でも、俺が何者かは自分でもわからないんだ」
美空はその言葉に少しの間沈黙した後、ナイフを握り直した。
「次に会ったとき、あんたが味方か敵かは、私が決める」
「そのときは君の判断に任せるよ」
陽翔の声はどこか柔らかく、そして少し寂しげだった。
東京湾沿いの廃倉庫街は、死んだように静まり返っていた。
海風が錆びたコンテナを鳴らし、そこに漂うのは鉄錆びと腐敗の匂い。
陽翔は瓦礫の山を越え、音のする方へ足を進めていった。
その奥から響いてきたのは、金属が擦れるような音と、地を揺るがす衝撃音。
巨大な喰種――いや、それはもはや喰種と呼ぶにはあまりに異形だった。
全身は赤銅色の甲殻で覆われ、背中には尻尾のように突き出た赫子があった。
その赫子はまるで刃のように鋭く、地面に叩きつけるたびに火花を散らし、周囲を焼くような熱を放っている。
「……化け物だな」
陽翔は低く呟いた。
倉庫内では、CCGの捜査官たちがその異形喰種に挑んでいたが、状況は圧倒的に不利だった。
尾赫が一閃するたびに、クインケを持った捜査官たちが吹き飛ばされ、床に叩きつけられている。
「退避しろ!応援を――」
指揮官らしき男が叫び声を上げるも、その声もすぐに止んだ。
赫子が唸りを上げ、彼を呑み込んだからだ。
陽翔はわずかに眉をひそめた。
「無駄だ……あんな相手じゃ、CCGの武器じゃ立ち打ちできない」
そして足を一歩踏み出す。
「放っておけるわけがないか」
静かに呟くと同時に、背中から赫子が展開された。
青白い光を放つ結晶状の赫子が闇を照らし、倉庫内の全員の視線を奪った。
異形喰種が陽翔の存在に気づき、低い唸り声を上げる。
尾赫が振り上げられ、その一撃が空気を裂いて陽翔に向かって振り下ろされる。
「速いな」
陽翔は地面を蹴り、瞬時に横へと跳び避けた。
尾赫が床を砕き、破片が四散する。
「ただの力任せじゃない……。こいつ、動きが読める」
陽翔は慎重に間合いを取りながら、羽赫を展開し、異形喰種に向けて鋭い斬撃を放つ。
赫子の刃が空を裂き、異形喰種の甲赫を捉えた。
だが――。
「……硬いな」
刃が甲赫をわずかに傷つけただけで止まる。
異形喰種が再び尾赫を振り上げ、今度は横薙ぎに振るう。
「っ!」
陽翔はギリギリで伏せ、赫子の衝撃波が頭上を通り過ぎた。
戦闘が続く中、陽翔は苛立ちを感じ始めていた。
自分の攻撃が通らない。相手の一撃を防ぐだけで精一杯。
「抑えろ……冷静に……!」
自分に言い聞かせながらも、胸の中で渦巻く感情が赫子に呼応し、青白い光が激しく揺れ始めた。
次の瞬間、陽翔は赫子を振り下ろし、相手の赫子にぶつけた。
金属が砕けるような轟音が響き、光の衝撃波が倉庫全体を包み込む。
異形喰種は一瞬ひるみ、動きを止めた。
陽翔はその隙を逃さず、さらに赫子を展開する。
「これで……終わりだ!」
赫子が異形喰種の胸元を貫き、爆発的なエネルギーが周囲に放たれた。
異形喰種は地面に崩れ落ち、動かなくなった。
陽翔は荒い息をつきながら、赫子を収めていく。
「……終わった」
そう呟き、周囲を見渡すと、CCGの捜査官たちはすでに戦場を離れていた。
そのとき――。
「陽翔………?」
声が響き、瓦礫の影から美空が現れた。
「よっ」
陽翔が乾いた声で言うと、美空は険しい顔で彼を睨んだ。
「何よ、それ。いきなり一人で戦って……無茶しすぎでしょ!」
彼女の言葉には怒りと心配が入り混じっていた。
陽翔は肩をすくめると、ゆっくりと立ち上がった。
「お前が来るのを待ってたら、全員死んでたよ」
「でも……」
美空は言葉を詰まらせ、陽翔の赫子が放っていた光の残滓を見つめる。
「君の力、本当に制御できてるの?」
その問いに、陽翔はしばらく沈黙した後、静かに答えた。
「……正直、自分でもわからない。だからこそ、これ以上誰も巻き込みたくない」
美空は何かを言いかけたが、やめた。
そしてただ、陽翔の隣に立つと、ポツリと呟いた。
「……でも、私はまだここにいるよ」
その言葉が、陽翔の胸に小さな温もりを灯したような気がした。