フラー・デラクールは幼馴染を探していた。
寮の部屋にいなかった。大広間にもいなかった。
彼に与えられた研究室へ足を運んでみても形跡がないとなれば残る可能性は一つだけ。
地下から地上へ登り、校内から広場へ出た。
年度末試験が終わったばかりだからか学校全体が高揚感に包まれている。
誰もが目を引く美女は人混みの中を颯爽と歩いていく。広場の中央に置かれた美しい噴水を横目に通り過ぎる際、男子生徒たちの不躾な視線が幾つも突き刺さった。
いつものことだ。
フラーはそれらを軽く受け流して、人気の少ない辺鄙な場所へスタスタと足早に向かっていく。
迷いのない足取りにつられるようにシルバーブロンドの長髪が気持ちの良い夏風に靡く。腰まで伸びたそれは山間から差す夕陽に照らされて燦々と輝いていた。
「……やっぱり此処にいた」
足を動かすこと20分。
予想した場所に探し人はいた。
刻々と暗くなっていく夕陽に顔を照らされながら、芝生の上で仰向けに寝転んでいる。なんと制服のままだ。年度末試験が終わった後、学生寮にも帰らずに此処で寝てしまったのだろう。このままでは皺になる。
せめて着替えなさいよねと内心で愚痴をこぼしたフラーは、フランスの淑女として厳しく育てられたにもかかわらず芝生の上に腰掛けた。深い青色の瞳を横に向けて穏やかに微笑んだ。
探し人は寝ていた。両目を閉じて胸を規則的に上下させている姿は今も心地良く眠っているようにしか見えないが、彼は他者が近付いてきた時点で絶対に睡眠から目覚めてしまう特異な体質の持ち主である。
父親であるアルブル・デラクールなんかは常在戦場の体現者だねと褒めていた。
闇祓いという立場の人間と違い、幼馴染であるフラーとしては気の休まる時間が無いのではと心配になるだけだ。ただそんな気持ちをおくびにも出さず、いつまで経っても狸寝入りを繰り返す青年の額を左手で無造作に叩く。
「早く起きなさい、ノア」
幼馴染がゆっくりと目を開ける。
ルビーのように煌めく紅い双眸が姿を現した。
幼少期の頃から付き合いのある男子生徒は額を擦りながらボヤいた。
「いつから寝ている男を叩くようになったんだ? アポリーンさんが泣いてるぞ。淑女が手を挙げちゃダメだろ」
わざとらしく欠伸しながら青年は身体を起こした。
プラチナブロンドの髪は緩くパーマが掛かっていて、歳を重ねるごとに増していく精悍な顔立ちは多くの女子生徒を魅了していた。
しかしながら大変珍しいことに、今日の容貌はお世辞にも褒められるような代物ではない。
夏季休暇中でもないのに無精髭を生やし、紅い眼の下には薄っすらと隈ができている。
彼は天才だ。一夜漬けするような人間でもない。
どうせ学年末試験のことなど無視して、寝る間も惜しんで『例の研究』に勤しんでいたのだろうと推測する。
青年の名前はノア・フラメル。
フラー・デラクールと同じくボーバトン魔法アカデミーの6年生である。
「安心して。貴方にだけよ」
フラーがにこやかに答えると、ノアは肩を竦めた。
「それは光栄の至り。泣けてくるね」
「ええ。感涙に咽び泣くといいわ。ハンカチも貸してあげる」
「皮肉だよ」
「もちろん知ってるわ」
そうかよと口を尖らせるノア。
これ見よがしに嘆息する彼の横顔を見ながら、フラーは独り言のように溢した。
「昔から好きよね、此処」
麓に沈んでいく橙色の太陽。
手触りの良く生い茂った緑色の芝生。
複数の切り立った山々とそれを覆い隠そうする白い雲。
夕暮れに彩られた自然の美しさもさることながら、山間部に作り出された幾何学模様の庭園とその中央に佇む荘厳な城こそ訪れる者の語り草。誰もが思わず息を呑んでしまうほどの美しさを建築当初から変わらずに誇っている。
フランスとスペインの国境に聳え立つピレネー山脈の片隅に建てられた、国際魔法使い連盟に登録された由緒正しい魔法学校の1校である『ボーバトン魔法アカデミー』。
そんな校内の一角でありながら人気の少ない此処は、ノアとフラーが人目を気にせずに会える数少ない場所の一つだった。
「落ち着くからな」
「今度は噴水の近くにあるベンチにしましょうよ」
「勘弁してくれ。人が多すぎる。人混みは嫌いだ」
「避けられずにぶつかるから?」
運動神経の悪さを揶揄する。
ノアは眉間にしわを寄せて吐き捨てた。
「うるさいからだ」
「そういう事にしてあげるわ」
隠さなくてもいいのにとフラーは口内で呟いた。
反射神経はすこぶる良いのに、運動神経は驚くほど悪い。
それがノア・フラメルという青年の特徴であり、絶世の美女であるフラーの気を惹きたい男子生徒たちからしてみれば大手を振ってこき下ろせる欠点だった。
ボーバトン魔法アカデミーは共学だ。ホグワーツ魔法魔術学校やダームストラング専門学校よりも生徒の数は多い。つまりその分だけ見目麗しい男子生徒も数多く在籍している。
そんな彼らがフラーの気を惹こうと褒め称える。
男性からチヤホヤされるのは大好きだ。気分が良くなる。ヴィーラの血が誇らしくなる。それでも、目の前で幼馴染の運動神経の悪さを馬鹿にされると怒りが湧いてくる。
ノア・フラメルを馬鹿にしていいのは幼馴染である私だけだ。
「なーんかピリピリしてるな。試験の出来でも悪かったのか?」
ノアがからかうように言った。口の端を吊り上げて意地の悪い笑みを浮かべている。端正な容姿だからか見惚れるほど様になっていた。
まったく、人の気も知らないで。
フラーは無神経な幼馴染の額を人差し指でトンと突いた。
「残念でした、全教科自信有りよ。今年も私が首席ね」
ホグワーツでは5年生次と7年生次に重要な試験を行うらしいが、ボーバトンでは6年生次の年度末にそれらに相当する極めて重要な試験が行われる。
それが今日、つい2時間前に終了したばかりだった。
座学と実技、どちらも自信有りだ。特に変身術は満点の確信があった。
「魔法史さえなければな。俺が首席なのに」
ノアが額を擦りながらぼやく。
「何がそんなに苦手なのよ。錬金術に関する歴史は無駄に詳しいくせに」
「無駄にとか言うなよ。好きこそものの上手なれってこった。大昔に何が起きて、西暦何年にどんな法律が制定されました。そんな文字の羅列を読むだけで眠気だけじゃなくて吐き気までしてくる」
「魔法界の成り立ちを教えてくれる良い教科だと思うけど」
「俺の脳を占領するほどの価値は見出だせないかな」
「天文学はどうなのよ。星を見るのは好きなんでしょ?」
「星は見るだけで良いんだ。それだけで楽しい。そこに意味を見出そうとするなんて無粋だろ」
「なんにしてもそのおかげで私は6年連続首席よ。感謝してあげるわ」
フラーは入学してから今まで首席を取り続けた。
特に天文学と魔法史は毎年の如く1位を死守した。
しかし、いかに自信家な彼女とてわかっている。
ノアが苦手とする魔法史と天文学で大差を付けて勝っているからこそ首席に君臨しているのであって、7つある必須科目で獲得した『優』の数自体は負けているということを。
DADA、呪文学、魔法薬学、薬草学に関してノアには勝てない。強固な自負を抱くフラーといえど、そう諦めたくなるぐらいに彼の知識と実技は学生のレベルを遥かに超えていた。
変身術は勝ったり負けたりを繰り返しているものの、これも時の運でしかない。
必須科目だけを比較すれば負けていることだろう。
ならば選択科目はどうなのか。
フラーは3年生になった際に選んだ3つの科目全てで『優』を獲得している。
ノアは錬金術だけ『優』であり、残り2つは『可』である。
学生として極めて優秀なのはフラー・デラクール、魔法使いとしての練度がより優れているのはノア・フラメルというのがボーバトンの教員たちが下した評価だった。
とはいえ首席は首席である。
フラーは強がるように胸を張った。
そのことをわかっているのか、ノアは深く言及せず苦笑するだけだった。
「そいつはどうも。そんなことを言うために探していたのか?」
「馬鹿言わないで。違うわよ」
「だったらなんだよ」
一息置いて、フラーは端的に告げた。
「来年度、ホグワーツで三大魔法学校対抗試合が開催されるわ」
ノアが瞠目した。
片手で口を押さえている。
これは彼が心から驚いている時の癖だった。
「……マジ?」
意味もなく小声で確認するノアに対して、フラーは首を縦に振った。
「本当よ」
「聞いてないぞ、あんな莫迦な催しが再開されるなんて」
「ボーバトン魔法アカデミーで知っている生徒は私と貴方だけ」
「あー、なるほど。何となく読めたわ」
舌打ちしたノアが虚空を睨んだ。
視線の先に浮かんでいる顔はボーバトンの校長だろう。
オリンペ・マクシーム。麗しき半巨人。闇の生物に対する偏見が色濃く残るフランス魔法界にいながらボーバトン魔法アカデミーの校長の座に上りつめた女傑である。
生徒を比較して待遇を変えるようなことはしない人だが、フラーに対してのみ例外だった。種族は違えども闇の生物の血を引く同胞という立場からか、オリンペ・マクシームはフラー・デラクールを特別視していた。
当然ながらノアもそれを察している。
だからこそ彼は面倒くさそうに頭を掻いた。
「校長としてはお前をボーバトンの代表にするつもりなんだろ。俺はその補佐役ってところか」
大正解だ。
試験なら満点である。
笑顔を浮かべて追い打ちをかける。
「理解が早くて助かるわ。というわけで、来年度は貴方もホグワーツに行くわよ」
「やだよ。面倒くさい」
「この私の誘いを断る男性なんて貴方ぐらいよ」
ヴィーラの呪いは世の男性を簡単に虜にしてしまう。
フラーも物心ついた頃から様々な男性を誘惑してきた。
しかし、ノア・フラメルだけはヴィーラの呪いに侵されなかった。
理由はわからない。どんなに色気を覗かせたところで袖にされた。とりつく島もなかった。それで良いと思った。他の男と違うからこそ欲しくなった。この男を振り向かせたいと強く望んだ。
「買い物なら付き合ってあげてもいいけどな。三大魔法学校対抗試合の期間中って、要はホグワーツに1年間いないといけないわけだろ?」
そんな幼馴染が嫌そうに確認してくる。
フラーはどうやって説得しようか考えながらも、校長から聞いたばかりの内容をそのまま口にした。
「そうね。出発は9月末らしいわ。ボーバトンに帰ってくるのは来年の7月。卒業式に参加するためだけ」
ノアは勘弁してくれと手を横に振る。
「1年間も英国に滞在してたまるか」
「あら、どうして?」
「決まってるだろ。舌が腐れるからだよ。ダンブルドアと決闘して負けるぐらいの確率で何も食べられずに餓死するわ」
「ホグワーツのご飯は美味しいらしいわよ」
「こいつは驚いたな。英国人様の類い稀な味覚を信頼していらっしゃるのか?」
「まさか。冗談でもやめてちょうだい。イギリス料理なんて見たくもないわ。でも校長先生が何度も確認したらしいの。教授の何人かを派遣して実際に出された食事も確かめたそうよ」
「結果は?」
「ギリギリ合格だって」
「それはそれは。ホグワーツ生は幸運だな。英国にいながら毎日料理を食べられるんだから。ホグワーツの卒業生が母校を懐かしむのも頷ける」
「ふふ、彼らのホグワーツ愛はそこから来ているのかもしれないわね」
彼らしい皮肉めいた発言を聞いて、フラーは口許に手を当てて笑ってしまった。
あまりにも失礼な内容なのは確かだが、当たらずとも遠からずなのではないかと推察する。
英国料理とはそれぐらい悍ましい物体なのだから。
「食事に関しては問題ないわ」
最大の懸念点が解決されたと主張するフラーを一瞥した後、ノアは毒づくように言った。
「俺の研究を知ってるだろ。1年も無駄にしたくない」
「まだ研究、論文作成の段階でしょ。研究室に籠もる必要あると思えないけど」
「実証段階に移行するとき困るだろうが」
「問題ないわよ。いざとなったらホグワーツですればいいだけだもの」
「気軽に言うなよ」
「行き詰まってるなら環境を変えてみるのも一つの手よ。貴方がよく口にするアルバス・ダンブルドアからアドバイスしてもらえるかもしれないじゃない」
「なんで俺なんだよ。他の奴らだって行くんだろうが」
「2年生から7年生の間で見繕って、実際にホグワーツに連れて行くのは50人と言っていたわね」
「お前を除けば49人か。全員お前の信奉者を連れていけばいいだろ。頭おかしい男連中がいなくなるだけでボーバトンは平和になる」
ノアは苦虫を噛み潰したような表情を浮かべた。
フラーからの寵愛を得たい男子生徒たちが、朝から晩まで周りを取り囲んで媚びへつらう様子を思い出しているのだろう。
2年前、まるでフランスの王族みたいだなと皮肉を言われた。
貴方は女よりも狼のことが大好きな変質者ねと嫌味を返した。そして──月に一度ある女性の日も重なっていたせいか──無駄な研究ご苦労さまと嘲笑した。
その時は喧嘩した。大喧嘩だった。
3ヶ月も口を利かなかったのは初めてだった。
当時のことが脳裏を過ぎる。あんな苦痛はたくさんだ。
フラーは瞑目して心を落ち着かせた。
「あのねぇ……昔は死者も出たことのあるイベントなのよ」
無理に話を戻すと、ノアも頬を人差し指で掻きながら頷いた。
「知ってるよ。だから中止されていたこともな。俺を呼ぶのも試練の手助けをさせるためだろ?」
「わかってるなら『仰せのままに』か『イエス、マム』とだけ口にしていればいいの」
「首席様に次席程度がアドバイスできると思えないけどな」
本当は手助けなどいらない。
貴方に私の勇姿を見せつけたいだけだ。
数百年ぶりに復活した三大魔法学校対抗試合の優勝杯を手にして、フラー・デラクールはノア・フラメルに釣り合う女なのだと証明してみせる。
そんな意気込みを口にする訳にもいかず、フラーは憎まれ口を叩く。
「たとえ次席程度だとしても他の有象無象より遥かにマシよ」
「そりゃどうも」
「それに……貴方がついて来てくれればガブリエルも嬉しいだろうし」
やらかしたと内心焦った。
ガブリエル『も』という表現だとフラー自身も含まれているように捉えられてしまう。
「ガブリエルも行くのか?」
フラーがどうやって訂正しようかと思考する暇もなく、ノアは怪訝そうな顔付きで食い付いた。ガブリエルという名前だけに。
何も気づかない幼馴染の鈍感さに辟易しながらも当然でしょと首肯する。
「私が行くのよ。妹も付いてくるに決まってるじゃない」
「……左様で」
ノアは呆れたように笑う。そして、口許に力を入れて唸り出した。
「なにを唸ってるの?」
「お前はさておき、ガブリエルを放っておくのは良心が痛むな。それに心配だ。悪いやつの毒牙にかかるかもしれねぇ。英国人の下らない冗談に心を病むかもしれねぇ」
「私もでしょ」
「はっ」
一蹴。
鼻で笑われた。
「ガブリエルはお淑やかで繊細だからな。誰かさんと違って」
「誰のことかしら? わからないわね」
フランス魔法界が誇る淑女。
どの魔法界でも引く手数多な絶世の美女。
それがフラー・デラクールである。同じ血を引くガブリエルも目に入れても痛くないほど可愛いらしい女の子だが、私には負けていると自信をもって断言できる。
とぼけた様子のフラーに、ノアは狐につままれたような表情を見せた。
「察し悪いな。男とばかり連れ歩いてないで、いいかげん同性の友達でも作れよ」
「こんなにも美しい私を男性が好きになるのは当然のことよ。嫉妬するほうがどうかしてるわ」
「そういうところだぞ」
「別に仲良しこよしする為に学校に通ってるわけじゃないもの」
ノアは右手で目許を覆いながら空を仰ぐ。
「昔から変わらねぇな、お前」
「貴方もでしょ、錬金術オタク」
「これでもニコラス・フラメルの子孫なんでね」
視線をフラーへ戻したノアは誇らしげに答えた。
世界で初めて『賢者の石』を錬成した稀代の錬金術師。錬金術を学ぶ誰もが尊敬する偉人。人の限界を遥かに超えた齢667に及ぶ御老人は華の都パリに在住している。
フラーも何回か対面したことがある。
フランス魔法省の闇祓いである父親とニコラス・フラメルが旧知の間柄だったらしく、幼少期より父親に連れられて何回かフラメル邸を訪問したことがあった。
幾度か言葉を交わしてみると、世界的に名を轟かせた賢人というよりもノア・フラメルという子孫を可愛がる好々爺という印象を強く感じた。
「夏季休暇中に会いに行くの?」
「行くよ。たぶん最期になるだろうし」
ノアの口調に変化は見当たらない。
賢者の石がこの世から失われた『2年前』と比べると、ノアは驚くほど落ち着いていた。
刻々と迫る肉親の死を仕方ないと割り切ったのか。それとも悲嘆の色を無理に覆い隠しているだけなのか。
わからない。
その無表情な横顔からは何一つ判別できなかった。
「私も行くわ。お父さんも会いたいって手紙に書いてた」
同行を口にすると、ノアはハッキリと顔を顰めた。
「アルブルさんはともかく、お前は会わなくていいだろ。なにを話すんだよ」
「貴方を1年間ホグワーツに連れていきますって」
「なぁ、それマジで言ってる?」
「私が前言撤回したこと今まであったかしら?」
「ないけど」
「でしょ」
魅力たっぷりのウインクを送るフラーに対して、ノアはうげーと舌を出した。
なんて失礼な男なのか。
フラーは心の底から憤慨した。
もしも同様の仕草をガブリエルが行ったら、ノアは妹を猫可愛がりするだろう。昔からそうだった。ガブリエルが遊び半分で誘惑したら鼻の下を伸ばしてコロリと騙される癖に、フラーが本気で誘惑しても面倒くさそうにあしらわれるだけだった。
いつまでも彼の風下に立つのは面白くない。だから意地悪することにした。
「ニコラスさんの家から帰るときは私の家にも寄りなさいよ」
「いやだよ。パリは嫌いなんでね」
ニコラス邸と同じくパリに居を構えるデラクール邸へ足を運ぶように告げる。
ノアの答えは予想した通り拒否だった。
それで良いとほくそ笑むフラーは高圧的な声色で続けた。
「来ないと後悔するわよ」
「脅し文句にしちゃ落第点だな。首席様らしくもない」
「あら、三大魔法学校対抗試合のイベントを把握してないの?」
「3つの試練があるだけだろ」
訝しむ様子のノアを見て、フラーは悪魔のような冷笑と共に言った。
「違うわよ。クリスマスにダンスパーティがあるわ」
「うわ、最悪」
「ダンス苦手だものね。というより、アレをダンスと呼んだら怒られるかしら」
「うるさいな。ホグワーツに行かない理由がまた一つ増えたよ」
「ちなみに代表選手たちはダンスパーティに参加した三校の生徒全員の前で踊るのよ。選んだパートナーと一緒にね」
「……で?」
「私が代表選手になったら貴方をパートナーにするから、ちゃんとしたドレスローブを準備してダンスの練習もしておかないと一生の笑いものになるわよ」
口を半開きにして絶句するノア。
顎を上げて得意げな表情のフラー。
太陽が山脈の向こう側へ沈み、夕焼け色の空は満天の星空へ姿を変えた。夜の帳が下りる庭園の端は、年頃の男女が2人きりで会話する空間と思えないほど異様な雰囲気を醸し出している。
数秒の沈黙が続いた後、ノアはこれ見よがしに肩を落とした。
「お前さ……もしかして俺のこと嫌いなの?」
まさか。有り得ない。
フラーは好悪がはっきりしている。それは食べ物然り、音楽然り、他人然り。中間は無い。好きか嫌いかを明確に分けている。嫌いなものを好きだと偽ることはない。嫌いな相手なら面と向かって嫌いだと告げるだろう。
逆もまた然りだが、今はまだ告げる時ではないと判断して適当に誤魔化すことにした。
「さぁ。それはどうかしらね」
「絶対に行かないぞ」
「安心して。もう校長先生には貴方も行くと伝えてあるから」
「ふざけんな! 横暴だ!」
「もう諦めなさい。そうじゃないと『あの事』を公表するわよ」
議論は終わり。
貴方は私に従うしかないのよ。
フラーは勝ち誇った顔で立ち上がった。お尻についた芝を手で払いのける。座り込んだまま奥歯を噛みしめる幼馴染に手を差し出した。
ノアは何も言わずに手を取った。時間を掛けて腰を浮かす。フラーと同じように制服についた芝を払い落としてから忌々しそうに口を開いた。
「……わかったよ、ったく。碌な死に方しねぇぞ、ヴィーラ」
「これでも身持ちは硬い方よ。なにしろ高嶺の花ですもの」
「どうだか。そこらへんの男でも摘んでるんだろ」
「無闇に触らせないから高嶺なのよ。それに、触らせる相手は決まってるわ」
「いつか紹介してほしいもんだな」
投げやりな返答と共に踵を返して学生寮に向かうノア。
フラーよりも頭一つ分高い身長が月明かりに照らされる。魔法使いが身体を鍛える意味などないが、それでも一般的な魔法使いと比べて貧相な体格だった。
率直に表現すればヒョロヒョロと言える。
例の研究に没頭して食事を抜くこともあると聞いた。特にこの一年は焦っていた。フラーの忠告を右から左へ聞き流して研究室で昼夜を明かす時もあった。
ノアの歩く姿は微かに左右に揺れている。
栄養失調か。もしくは睡眠不足。あるいは疲労からか。
おそらく本人は気付いていないのだろう。
フラーは急いで駆け寄り、ノアの左腕に抱き着いた。
「どうした?」
怪訝そうな顔付きで問い掛けるノアに、フラーは心配していると言わずにクスクスと笑いながら答える。
「エスコートの練習よ。早めにやっておいて損はないわ」
左腕に両方の手を絡ませたフラーは、そのままノアの左肩に顔を寄せた。彼の腕に上体を押し付ける振りをしてどちらかへ倒れないように支えながら歩いていく。
ノアは何も返答せずにフラーを見た。
お互いの視線が交差する。わずか数秒足らずで勝負は付いた。
「あとでお前の信奉者たちから庇ってくれよ。俺の言うことなんて聞く耳持たねぇんだから」
ノアの切実な懇願に、フラーはわざとらしく言葉を濁す。
「それは貴方のエスコート次第ね」
チラリとフラーを盗み見たノアは肺の空気を全て出すようなため息をこぼした。自由な右手で頬を掻きながら呟く。
「嫌な女だよ、お前は」
「私ほど良い女はいないわよ」
「言ってろ」
軽口を叩き合いながら学生寮に戻る2人の背中を満月が祝福するように煌々と照らした。
それは奇しくも、ホグワーツ魔法魔術学校の『闇の魔術に対する防衛術』の教授が狼に変貌した月明かりと同一のものだった。