「──」
「……」
刀雨の居合に似た構えを見た瞬間、弁慶は祭りの喧騒を耳から除外し。
お静を含む、周りの有象無象を視界から取り除きました。
彼の構えは正眼。
リーチの短い麺棒では、本領は発揮できないものですが……彼にとって一番慣れ親しんだ構えが、これでした。
圧縮された時間の中、刀雨の吐息が聞こえたと同時に。
弁慶は首を大きく傾けました。
「……ッ」
そして即座に背後に振り向いて、脇腹を防ぐように麺棒をかざすと、
鉄同士がぶつかりあうような音と共に、弁慶は数間ほど、直立不動のまま吹き飛ばされました。
唖涯は、一瞬の攻防に言葉も出ません。
速さもそうですが、あの細腕が繰り出したとは思えない威力は、彼の想像を超えたものでした。
路上に残された電車道が、その威力を物語っています。
そして驚くべきことに。
彼女はその場から一切動いていない。
もしあの場に立っているのが自分だったら……想像もしたくありません。
「──あら。防がれたん? あんさん案外やる人やねぇ」
姿勢を戻した刀雨が、意外そうに言います。
「んー、二回じゃあかんなら、四回? いや、念の為五回にしよかな」
「……」
再び腰を落とした刀雨。
彼女の姿がブレると、弁慶は忙しなく体を動かして、攻撃を防ぎ始めました。
腕を狙った上段。
足の甲を狙った下段。
目と見せかけて喉を狙った突きに、
背後からの首刈り。
そして、脛を狙った払い切りに、
おまけの肩を狙った一撃。
強力無比な攻撃の数々が、寸分の暇も与えずに襲いかかります。
まるで、複数人に同時に攻撃されているよう。
弁慶は、一撃目、二撃目こそ避けれましたが、三撃目はかろうじて防ぎ、四撃、五撃目は、避け損ね、その巨躯に刀傷が走ります。
「お、おとっつぁん!」
肩と足から流血した弁慶が、その顔を歪ませ。
刀雨が非常に楽しそうに笑います。
「すごいやん! ウチの五回を防げるん中々いないで? それも麺棒で!」
「……」
「アンタそれだけの腕して無謀なん? 惜しいわー。ちょぉ惜しいわー。なあなあ
「……」
「……
──ばがァんッ!!
ここで、初めて弁慶が反撃にでました。
大上段からの一撃。
地面を叩き割るほどの威力のそれは、三間*1ほど離れた刀雨の足元を容易く砕き、彼女はたまらず避けます。
そして、避けた先にすかさず弁慶が先回りしており、
──が。
「ざーんねん」
「ぐッ……!」
姿勢を低くした刀雨の柄が、弁慶の腹部を貫いており。
たまらず弁慶が掴みかかろうとすれば、雲を掴むように消え、代わりに背後に
「思うんやけど……アンタってウチとすごく相性悪いんとちゃうかな? 目がいいんは認めるけど……戦法はあくまで待ちやろ? 待って。待って。じぃっと待って。それで隙を見て一撃で仕留める」
「……」
「そりゃそうや。アンタほどの図体やと小回りは効かんもんなぁ。必然的に待ちになる。実に理に叶っとる。でもウチの攻撃は全部は見切れんやろ? 守るので精一杯ろ?」
「……」
「なぁなぁ。降参しいひん? アンタほどの使い手が野放しになっとるんは阿妻の損失や。勿体ない。娘さんも悪いようにはせえへんから。な? 剣を納めてくれへん?」
「……」
「……はぁ……じゃあ次は七回行くでー、気が向いたらいつでも降参してな?」
呆れた様子の刀雨が、再び構えると。
弁慶は表情を更に険しくして、修羅に入るのでした。
──咲き乱れる剣閃。
知らず出来ていた人混みの中心で、絶技が絶え間なく弁慶を嬲っていました。
意識の内からも外からも責め立てる、豪雨のような斬撃の数々。
尻尾、手首、二の腕、背中、うなじ、手の甲、股間、首筋、膝、胴、ふくらはぎ、眉間、人差し指。
反撃の暇のないそれは、だんだんと
かろうじて致命傷は避けれても、細かな刀傷が弁慶を弱らせていきます。
「次九回いくでー」
素人では目で追うことも許されない、強力無比の技の数々。
絶命してないのがおかしい程の合を重ねて、なおも生きている弁慶。
その全身は重ねるたびに赤く染まり、
「も、もう……もうやめ……やめてよ、おとっつぁん」
「……ッ」
「おとっつぁん!! だめぇっ!」
「よせお静ッ!」
「離して! 離してよ! やだ! 死んじゃう! おとっつぁんが死んじゃうよぉ!」
唖涯が飛び出しかけたお静を抑え込みます。
無理もありません。
実の父親が、今まさに殺されそうになっているのを見て、冷静になれる訳がないのです。
「もういいでしょ!? 刀雨さんやめて! 私ついていく! 何でも話すから! だからもう……ッ!」
「この仕合を止めることが出来るのはもう、お前の親父と刀雨のどちらかだ。部外者が邪魔すんじゃねえ」
「邪魔なんて、何度だってしてやるわよッ! おとっつぁんが生きてくれるなら、なんだって……ッ、どいて! どいてよッ!」
「駄目だ」
「ッ、う、うぅ、ううぅぅう、うがァうぅぅ──ッ!!」
その太い腕で抱き上げられたお静は、唖涯に噛みつきます。
牙は容易く腕を貫き、少なくない血が溢れていきます。
しかし、唖涯は痛みに悶えるどころか、微動だにしませんでした。
「見届けろ。親父さんの勇姿を。唯一俺達に出来ることは、それだけだ」
唖涯は、瞬きすら忘れ。
激戦を目に焼き付け続けていました。
その様子にふざけた感じは一切含まれず。
むしろ弁慶を
「──はっ、はっ……はぁ~、しんどいわ~。なあまだ倒れへんの?」
「……」
「もういい加減諦めてくれへん? な? そろそろその立派な武器も壊れるで? そうなったらアンタ、詰みやで。分かるやろ?」
「……」
「娘さんもああいっとるし、ウチ悪者扱いはイヤやし」
「……」
「……あーもう分からず屋! ええで、そっちがその気ならウチが引導渡したるわ! ──十七回ッ!!!」
息の上がった刀雨は、これで最後だと言わんばかりに、声を張り上げ、疾走。
今まで以上にキレのある斬撃で、弁慶を切り刻んでいきます。
あまりの速さに打ち合いの音が連続し、さながら鎖同士が擦れあうようです。
(跳んで。腕。跳んで。足。跳んで。腹。跳んで。背。跳んで。武器。……ほーら、段々目で追えんくなってきたやろ? 傷が増えれば増えるほど、アンタの動きは鈍なって。回数が増えれば増えるほど、ウチは速なっていく。ほら詰んでるやろ? それはアンタだって分かるはずや)
微細な傷が、次々と広がっていく。
彼の麺棒はもはや、すりこぎのように頼りなく。
少なくない血が、地面を汚しています。
なのに弁慶の目は、ぎらぎらと獰猛に輝いており。
まだ勝ち目があるとでも言いたげです。
(──気に入らんわ)
あの目だ。
あの生意気な目を、斬るしかない。
目を斬るには及ばずとも、濁らせてやろう。
彼我の力量差も分からない、大間抜けに。
刀すら持てない貧乏人に。
分からせてやるしかない。
「……ッ」
そして訪れる、絶好のチャンス。
焦ったか、それとも疲労のせいかは知りませんが、亀のようにガードを固めていた弁慶が、不意にガードをゆるめたのです。
(あらら。とうとうやね……)
平屋の壁に、水平に着地した刀雨は、終わらせようと、その足をたわませ、
そして背後から心臓を貫かんと、音を置き去りにして突貫します。
「ぐッ!」
が、体をひねり、かろうじて回避した弁慶。
代わりに脇腹に大きめの傷が出来たのが分かりました。
(あは。もーらいっ)
確かな感触。
そして体勢を崩した弁慶。
勝ちを確信した刀雨が、地面に着地しようとして。
(……ん?)
ふと、違和感を覚えました。
奴の手にあった麺棒。
それが忽然と消えているのです。
どこに行った? と、考えてふと下を見ると。
丁度、杭のように細くなったそれが、自分の着地点めがけて飛んでいくのが見えました。
(こ、こいつ……ッ、着地狩りかいな……!?)
刀雨が得意とする居合術。
その肝は、刀雨が厳しい修行の末に培った足の筋肉にあります。
強力なスプリングのようにたわみ、弾むそれで空を駆け、縦横無尽に攻撃する。
それは段階を経るごとに衝撃を増し、それにより速度を増す。
それが『氷雨』と呼称する居合の正体でした。
ゆえに。
十分に加速の乗った今、着地に失敗すれば。
その未来は自爆しか待っていません。
「ぐ、ぅ、が、ああぁああああぁあ──ッ!」
既に空を駆けており、着地点は変更不可。
下手をすれば体に麺棒が突き刺さりかねない状況で、刀雨は片足だけの着地を敢行!
ただでさえ酷使していた足に、更に負荷がかかり、尋常ではない痛みが走りますが、それでも麺棒を避け、大きく勢いを殺し。
そして、そのまま片足を縮ませて、勢いのまま最後の一撃を狙います。
(危ない所やったが……ウチの勝ちやで、団子屋の! もう頼みの武器もなくなったんや、往生せいや!)
ぎゅん、と世界が加速する中、
首めがけて剣閃が吸い込まれていきます。
圧縮された時間の中、こちらを睨みつける弁慶に、ニヤリ、と笑ってやる刀雨。しかし、
(──あ?)
弁慶もまた、刀雨に獰猛な笑みを向け、迎え打つように刀雨めがけて飛んで、狙いを外すと
その頑なに閉じられていた顎を、大きく開けたのでした。
そして、
「──あ、がああああぁあああぁああぁッ!!」
刀雨の腕に、牙が深々と食い込んでいました。
絶叫する刀雨。
彼女の細腕は、すっぽりと弁慶の口に収まっており、
ぼき、ぼき、べり、ばき。
と、生々しい音を立て咀嚼され、
噛みしめたまま、弁慶は大きく顔を振るうと、刀雨の全身も振り回され。
勢いのまま、地面に叩きつけたのでした。
一撃を受けて刀雨は背をピーンとのけぞらせて悶絶すると、
やがて動かなくなってしまうのでした。
「……ぺッ」
口元を血だらけにした弁慶は、何でもなかったかのように刀雨を見下ろしていました。