刀雨が気絶し、勝負がついた瞬間。
わっ、と周りから歓声が沸き上がりました。
ソレは祭りの盛り上がりをかき消す程の盛況。
誰もが二人の健闘を称えて、盛大な拍手も湧き上がっていました。
「──おとっつぁん! おとっつああぁんッ!」
お静は途端に駆け出し、弁慶に抱き着いてわんわんと泣き出しており。
お霧もほっと胸を撫で下ろして二人の元に駆け寄っていました。
綱渡りの勝利、と言えるでしょう。
実力に関しては明らかに刀雨に軍配があがっていました。
しかし刀雨が舐めてかかっており、なおかつ弁慶が勝ちを諦めなかった結果が今でした。
事実、刀雨は腕に大けがを負いましたが、傷の具合で言うと弁慶の方が重症です。
全身余すことなく残された大小様々な傷は五十超え。
黒い体毛だからこそ分かり辛いかもですが、体からはとめどなく血が滴り、地面には血の池が出来ています。
しかしそこまでの傷を負ってなお弁慶は決して痛がるそぶりを見せず、お静を抱いて、ただ静かに頭を撫でています。
その姿を見て、憧憬を覚えない阿妻の民は、そこには居ませんでした。
──無論それは、唖涯も同じです。
狡怒に仕合を仕掛けたあげく、命乞いをした情けない形無。
それが唖涯が持つ弁慶のイメージでした。
それがどうでしょう。
一目見て太刀打ちできないと思った阿妻が誇る名家、青紫の侍。
それを形無が打倒したのです。
しかも麺棒一本で!
凡百の剣士では逆立ちしてスパゲティーを鼻で食べれたとしても無理でしょう。
そして、唖涯はどうしようもなく自覚します。
自分も、その凡百の剣士の一人であるということを。
「べ、弁慶さん……あの、コレ使ってください」
「……お霧。お前さんのが汚れちまうぞ」
「い、いいんです! あたいはドジだからいつも手ぬぐい沢山持ってて……然るべき時に使えて良かったです」
呆然としていた唖涯を通り過ぎた霧が、弁慶の傷口を抑えます。
勿論、その程度では焼け石に水ではありますが、仕合を見守っていた人々が次々に水やら包帯やら、薬まで用意してくれました。
仕合が日常の阿妻では、怪我は日常茶飯事。
こういう時の備えはしっかりしているのです。
「よかった、よかったよぉ、おとっつぁん、おとっつぁあぁん……!」
「……いい加減泣き止め、お静。帰るぞ」
年相応に泣きじゃくるお静をなだめる最中、ちらりと弁慶が
そこには腕を噛みちぎられて伸びた、刀雨がいました。
彼女の意識はないですが、その腕の傷は観客がテキパキと治療しています。
どうやら命に別状はないようですね。
「青紫の人は……どうしましょう」
「さぁな……だがアイツらは徹底的な実力主義だ。俺に負けたとありゃ……青紫はもう名乗れねえだろうな……」
「お、お礼参りとかはされないですか?」
「分からねえな……不意打ちで仕掛けたしなぁ。ただアイツらのことだ。俺みてぇにいきなり襲われるような真似はされねえだろう」
ただ一点、弁慶が気にしてる点があるとすれば、それは青紫家が、お静とお霧を探している点です。
何が目的なのでしょう?
その鍵となるのは、まず間違いなく青龍。
あの謎の剣士が絶対に関係あると弁慶は考えており、事実その考えは当たっていました。
彼はしばし何事かを思案しますが、思い出したかのように唖涯に顔を向けます。
「……」
「オイ」
「……っ、な、なんだよ」
「テメェはまだお静や霧に付きまとおうってんのか? それなら……」
「んなっ……つもりは、ねえよ!」
しどろもどろになる唖涯を見て、何を思ったのか。
弁慶は億劫そうに立ちあがり、抱きついて離れないお静を連れて、無言で帰路につこうとします。
その足取りは危なっかしく、思わず手を差し伸べようとした唖涯ですが……逡巡の後、やめました。
なぜだか分かりませんが、自分にはその資格がないような気がしたからです。
そんな唖涯に、弁慶は背を向けたまま話しかけます。
「──後ろから襲わねえのか?」
「! そ、そんな事するかよッ! 仕合直後を襲うほど、俺ぁ腐ってねえよ!」
「……」
「そんな事より弁慶、よく聞け。不本意だが俺ぁお前さん達に協力しなきゃならねえ……だからまずは──」
「それ以上近寄るんじゃねえ」
「ッ」
「これ以上、俺らに構うな。次近寄ったら今度こそ叩き切るぞ。餓鬼が」
肩越しの視線に射止められ、
弁慶はその歩みを止めざるを得ませんでした。
「……あ、あの、弁慶さんっ。唖涯さんは青龍さんに頼まれて……!」
「知らねえな。コイツがどういう立場にいようが、そんなのは俺達には関係ない」
「お、おい、そりゃどういう事だ!」
「単純だ。お前が信用できねえからだ」
「……~~~ッ!!」
唖涯は、その言葉に動けませんでした。
いつもなら何だと、と殴りかかっていたのに、斬り掛かっていたのに。
それをする気力も起きませんでした。
代わりに湧き上がったのは、無力感でした。
さながら弁慶の言葉を、認めてしまったような感覚がありました。
「大人しくお仲間の亡骸を持って帰れ。俺ぁこれ以上お前たちの相手をするつもりはない」
「……」
「だがやるって言うなら今度こそ容赦しねえ。今までは餓鬼だから見逃してやったがな……次はないと思え」
「──……なら、この場で斬らねえのかよ?」
気付けば唖涯は、
立ち去ろうとする弁慶の背に、そう投げかけていました。
「俺ぁ恩智だぞ。間違いなくお前らの敵だ。このまま返しちまったら、あることないこと言いふらして。お前たちを追い詰めるかもしれねえぞ」
「……」
「そうしたら、お前みたいなボロボロの形無なんて……あっという間に
「……」
「そうなりたくなきゃなぁ弁慶ッ! お前こそ大人しく俺らにッ!」
「好きにしろ」
「──?」
「報告したけりゃ、好きにしろって言ってんだ」
唖涯は、その言葉に狼狽し。
酷く慌てたように言い募りました。
「~~~っ、げ、現実が見えてねえのかよ! お前は! お前は、恩智どころか……あ、青紫を敵に回したんだぞ! それがどういう意味か分からねえのかよ!?」
「……」
「せめて恩智に下れよ! なぁ!? そうしたら命だけでも助かるかもしれねえ!」
「娘を苦しませてまで選ぶ選択肢じゃねえ」
「も、物の道理が分からねえのかよ!? このままじゃ死ぬかもしれねえんだぞ!?」
「どの道、
「この……ッ、本当にそう思うならっ! お静のためを思うなら! お、俺らと殺りあえよ! 目撃者を消してみせろよ、なぁ!? それはお前なら出来るだろうッ!?」
「……」
苦しそうに叫ぶ唖涯。
しかし弁慶はそんな彼を見て、興味なさそうに視線を外します。
「
……深く深く、胸に突き刺さる一言でした。
過去に仕合で、殺されかけた時よりも。
そしてお親父に折檻された時よりも。
遥かに痛いものでした。
「……弁慶さん。でも、このまま家に帰っても……」
「……まずは家に帰る。話はそっからだ。俺も傷を癒さないといけねえ」
「そ、そうですよね……」
唖涯は、立ち上がることも出来ず、その場にひざまづき。
何かをこらえるように震えていました。