「ひィ!? ま、待て、待ってくれ! 頼む命だけは……! ぎゃあッ!!?」
「──」
それから3年が経ち。
弁慶は18歳になっていました。
恩智……いや、狡怒の犬となって働き続けた彼。
恩智の名の下、狡怒が疎ましく思う者を容赦なく斬り捨て続けていました。
「理由はなんでもいい。仕合って、相手を黙らせろ」
静悪や連峯の剣士と仕合うのはまだしも。
豪商の財を貪るために仕合し、
働く人々の汗を踏みにじるために仕合し、
時に、ささやかな家族の暮らしを邪魔するために仕合しました。
狡怒が「弱者」とみなした者であれば、その身分や技量を問わず弁慶の餌とし。
弁慶はその全てで相手を斬り捨て、恩智と弁慶の悪名を高めていきました。
その頃でしょう、弁慶が正しく『弁慶』と呼ばれるようになったのは。
彼は仕合のたび、倒した相手の武器を奪います。
黄金を散りばめた豪奢な太刀から。
それこそ錆びた短刀まで分け隔てなく。
「武蔵坊弁慶」。
この頃になると『恩智の弁慶』の名は誰もが恐れ慄く、恐怖の対象になっていました。
つまり、弁慶は狡怒の言う強さを手に入れたのです。
しかし、その名は誉れとは程遠く。
血と恐怖が染みついた影でしかありませんでした。
──冬のある日の話しです。
弁慶は再び狡怒の命を受けて、ある家に仕合をけしかけろと命じます。
「あの貧民の息子、口汚く恩智のことを罵ったそうだぜ? 中々見どころのある奴じゃねえか」
酒を飲みながら上機嫌に笑う狡怒。
彼は盃を一気に傾けると、控えていた弁慶に命じます。
「若気の至りで片付けてやりたい気持ちはあるが……まぁ。恩智の金看板は軽くねえ。心苦しいが、仕方ねえよなぁ?」
微塵もそう思っていない、愉悦にまみれた顔。
弁慶はそれを無表情で眺めていました。
──標的は、阿妻の外れにひっそりと立つ民家にいました。
その地区は貧しい者や行く宛のない者達が集まる、いわゆるスラム街。
標的の家も、一般平屋に比べれば明らかにボロい、風が吹けば飛んでいきそうな家なのでした。
「おぅるァッ!!」
「!? な、なんだい!?」
「かあちゃん!!」
引き連れた部下が、ぺらぺらの扉を蹴り破り、中に入り込みます。
「お望み通り、恩智が来てやったぞ」
「どこのどいつだ? ウチに喧嘩売った馬鹿ガキは……お前かぁ?」
「ひっ」
家の中は、外見に等しい極貧生活。
ぺらぺらのせんべいのような布団とすすだらけの囲炉裏。
役に立たないガラクタばかりの不清潔な空間に、父、母、息子、娘がいました。
弁慶は無言で家屋に踏み込み、顎で指示を出すと、部下が下手人を捕まえます。
それは
「お、お辞めくださいお侍さま! む、息子が何をしたというのですか!」
「何をしただと? こいつァなぁ、恩智をコケにしたんだよ」
「群れなきゃ何もできねえ、ただのならず者……だったっけなぁ? ひひッ」
「ソレを言うなら。覚悟があるって訳……だよなぁ!?」
「ッ、や、やだ、やだよぉ! ごめんなさい! ごめんなさい!」
「今更謝っても遅えよばあぁか!」
「阿妻で生まれたんなら分かるだろ。文句あるなら仕合で取り返せよ、なぁ!?」
彼ら貧民街の住人は当然ですが財政が緊迫しています。
そのため、ほとんどの住民が
その貧民の子どもが帯刀する訳がなく。
そんな相手と仕合などしても虐殺にしかなりません。
「や、やめてください! 私が代わりに謝ります! 何でもします! だからお願いします、息子だけは、息子だけは……!」
「ヘヘッ、そうかい。じゃあお前の娘を貰おうか?」
「そ、それは……!?」
「あぁ!? 何でもするんだろ!? なら娘を差し出せ、そしたら許してやるぜ!」
「そーだなァ! 金になりそうなもんはここになさそうだしなぁ! 売ったらいい値になりそうだよなぁ!?」
「やだあ、おっかぁ! おっかぁ!」
弁慶は、そんな弱者が虐げられる当たり前の光景を、無感情に眺めていました。
狡怒の言う通り、この世界は弱肉強食。
強い者ほど豊かになり、弱い者ほど奪われる。
わかりやすいほどの条理が、そこにありました。
昔は馬小屋で寒さをしのいでいた弁慶も、
その名で呼ばれるようになった現在では、二階建ての家に住み、かなり裕福な生活を送っています。
高い調度品や、仕立のいい服。
そして、いつでもお腹を満たせる、裕福な生活。
周りからも一目置かれ、誰かをコキ使えるほど地位も高くなった。
阿妻であれば誰もが羨やむ地位に、ついたのです。
しかし、その一方で、弁慶の心は無に近づいていました。
如何に物質的に恵まれようとも、精神的に満たされたことがありませんでした。
むしろ誰かから奪うたびに、疲弊していくのです。
「──や、やめてくれェ!」
「おわッ!?」
ハッ、と弁慶が気付いたときには、
家主である男が、家族を庇うようにして部下に刀を突きつけていました。
彼が持つのはボロボロの錆びた短刀です。
部下達は驚いて飛び引きます。
「お、おお、お、オラの家族には手を出すなぁッ!」
「……抜いたってことぁ」
「俺等と仕合うってこと……だよなぁ?」
「おお、お、おお、おうともよォッ!!」
「おとっつぁん!」
「「父ちゃん!!」」
スラリ、無骨ですが斬れ味の良さそうな刀を抜く部下達に、男は両手はぶるぶると震わせながら勇気を振り絞ります。
リーチといい、刀の質といい、経験といい──何一つ勝てる要素はありません。
「そ、そのかわり……その代わりにッ、俺が勝ったら……か、家族だけは許してくれぇ……!」
「ギャハッ、こいつマジか?」
「おいおいおい! 震えちゃってまぁ、本当に勝てると思ってるのかよォ!?」
「いいぜ、ただしお前が負けたらお前の娘は頂いていくぜ!?」
「──さ、させるもんかよォッ!」
全身を震わせて、ヤケクソになったかのように叫ぶ男。
部下の一人が早速、隙だらけの男を斬り捨てようとしたところで、
「……俺がやる」
気付けば弁慶が、身を乗り出していました。
部下はきょとんとしていましたが、やがてニヤニヤと男に笑います。
「あーあ。ついてねえなあお前」
「本当だよ。まだ俺達じゃ勝ち目もあったのに、弁慶さんが相手じゃあなぁ」
弁慶と男は家の外に行き、仕合うことになります。
宵闇を月が照らす中、
弁慶は至極冷静に、
男は恐怖に潰されそうにながらも、かろうじて立っています、
そして家族が見守る中、
とうとう、仕合は始まってしまい──
「う、あああああぁぁあああ──!!」
短刀を腰に添え、ヤケクソになって突撃する男。
弁慶はそれを軽く避けると、通り過ぎ様に、その背を慣れた動きで斬っていました。
「い、いやああぁあ、おとっつぁんッ!」
とめどなく溢れる血が、土を汚します。
男はふらふらと数歩前のめりになりますがが、血走った目で向き直ります。
「か、家族はやらせ、ねえぇえぇッ!!」
短刀を振り上げ、ふらふらと、まるで腰の入ってない一撃を見舞おうとする男に、弁慶は容赦なくい一撃を見舞います。
それは武器を持つ男の腕を容易に斬り飛ばし、さらに胸に大きな太刀傷を作りだします。
明らかな致命傷。
血潮がぶあっと吹き出し、臓物が零れ落ちます。
男は自分の惨状を理解できないのか、数度ほど傷口と弁慶を見やると、すぐに血泡を吐き……膝をついたあと、倒れてしまうのでした。
「い、いや────いやだ、やだよぉ! お父ちゃん! お父ちゃん!」
息子が泣きじゃくる中、弁慶はつまらなそうに息を吐き。
血を吸った刀を懐紙で拭った弁慶は、踵を返そうとし……止まります。
その足が、掴まれていたからです。
「……か、家族は……家族はぁ」
命の灯火が今にも尽きそうな中、必死の形相で抵抗しようとする男。
弁慶は無感情にそれを眺めたかと思えば、今一度刀を抜いて、
「──やめて、やめてええええええッ!!」
ザンッ。
男の首を、斬り落とすのでした。
家族の慟哭が、仕合終了を合図となりました。
弁慶はいつも通りのはずなのに、気分が重くて重くて、仕方がありませんでした。
「弁慶さんお疲れ様でした。つっても、朝飯前っすかね」
「ヘッ、馬鹿な奴だぜ、大人しく娘を突き出してりゃよかったのになぁ」
「ホントだぜ。そしたら死なずにすんだかもしれねえのによぉ」
楽しげに惨殺劇を見守っていた部下達は弁慶におもねりながら、ああだこうだ言っていましたが、弁慶の耳には残らず。
代わりに男が持っていた錆びた短刀に目がいってました。
弁慶は草むらに落ちていた、男の腕がついたままの刀を拾うと、まじまじと眺めます。
ところどころ鉄錆が残る古い刀は、別に価値なんてなさそうな店打ちのもの。
月明りを吸って鈍く光る刀身は、出来が悪いのかガタガタで、刃は欠け、柄は擦り切れ、もはや使い物にならないただの鉄の残骸でした。
売ったところで二束三文にしかならないでしょう。
しかし、その刀から目が離せませんでした。
「じゃあ約束通り娘は貰っていくぜ」
「これに懲りたら二度と恩智に逆らうんじゃねえ!」
「
そして部下が娘に手を出そうとしたところ、思わず声をあげ。
「俺達の目標は達成した……帰るぞ」
納得のいかない部下を黙らせた弁慶は、
短刀を懐にしまい、帰路に着くのでした。
「──ッ」
その日の真夜中。
弁慶は自室で、暗闇を睨みつけていました。
そこには、今まで奪ってきた武器の数々──太刀、打刀、脇差、棍棒、槍、薙刀などが畳に乱雑に投げ置かれていました。
一番手前には今日仕留めた男の、錆びた短刀。
弁慶はそれを、ひたすら凝視していました。
狡怒の言う通り、この世界は弱肉強食でした。
強い者ほど豊かになり、弱い者ほど奪われる。
わかりやすいほどの条理が、そこにありました。
しかし一方で。
奪えば奪うほど、わだかまりは増え。
咀嚼することも出来ぬまま、心を圧迫するものでした。
それは今や、弁慶の強靭な心すらパンクさせようとしていました。
重なった武器は、まさしく自分の罪そのもの。
その罪の前で、絞り出すように弁慶が呟きます。
「……違え」
『奪え。弱いやつから奪え。とことん奪え』
「違え」
『この世に刻んでやれ。お前が強いってことを知らしめてみろ』
「違えッ」
『そしたら俺のように我儘を押し通せるようになる』
「違ぇッ!!」
立ちふさがる狡怒の影を、斬り捨てようとする弁慶。
しかして、実際に斬れたのは壁だけで。
彼は、うなだれるように蹲ってしまうのでした。
弁慶の中で濃くなった狡怒の影は、彼を魂まで縛り付け、逃がしてはくれないのです。
武器達は、薄明かりの中で、重く、冷たく、弁慶を責めるように光っていました。