それから、弁慶は目に見えて無気力になっていきました。
奪えば奪うほど、虚しさの募る日々。
いっそ恩智をやめられれば、と日に何度も頭をよぎりますが、狡怒がソレを許すはずもなく。
弁慶は恩智の元でずるずると働いていました。
(今更、他の道を選べるのか?)
弁慶は葛藤を繰り返します。
(奪う以外の能がない、オレが何をすればよいというのだ)
(所詮オレは奪う事しか知らぬ血塗られた男)
(世間は許しても、青龍様は許さないだろう)
夕暮れの中央街を、宛もなく彷徨う弁慶。
彼を見ると人々はサッと道を開け、恐怖の目が向けられるたびにやるせなさを覚えて仕方がありません。
誰もが弁慶を畏れ、腫れ物を扱うような余所余所しさがありました。
奪うほど人心は失われ、より強さに依存するしかない現状に、乾いた笑いすら出てきます。
使い走りの仕事を頼まれていましたが、それすらどうでもいい。
弁慶はふらり、ふらりと、居場所を探して歩き回っていました。
その時です。
ふと、鼻腔をくすぐる醤油の香ばしい匂い。
匂いを元を辿れば、見つかったのはこじんまりとした団子屋。
『あおし』という名のそれは、年季の入った平屋仕立ての店で、多くの人で行き交う中央街の中で、そこだけ浮いているかのように人がいませんでした。
そんな店の前に、ひとりの女が立っています。
背は低く、華奢な体つき。
木綿の着物を身にまとい、手には焼き餅を載せた金網を持っている。
女は黙々と餅を焼き、炭火に目を落とし、時折小さな手で汗を拭っています。
弁慶はその姿を、立ち止まって見つめていました。
すると女は気づき、顔を上げて見返してきます。
「……何か用ですか?」
その声は静かで、抑揚が少ないですが、どこか芯のある響きがあります。
弁慶は言葉に詰まります、
「いや…匂いが気になってな」
女は軽く目を細め、再び餅を焼き始めた。
「良ければ座ってお待ちください。もうすぐ焼き上がりますから」
弁慶はなぜかその言葉に従い、店の小上りに腰を下ろしていました。
店内は思った通りの年季の入った店。
閑古鳥が鳴いており、客は自分以外誰もいませんでした。
しばらく待っていると、茶と共に焼き餅が運ばれてきました。
それは醤油で味付けした餅を海苔で挟んだ、磯辺焼きでした。
弁慶はじっとそれを見つめた後、大口を開けて頬張ります。
「……」
「……あの、どうでしょう?」
「……固い。あと甘すぎる」
「……う」
焼き過ぎで、期待した柔らさかよりも硬い食感。
砂糖を入れすぎたのか、口内はとても甘ったるく。
しかもジャリジャリと舌触りが最悪です。
普段は無口な弁慶も、思わず指摘するくらいには酷い代物でした。
「……すみません。焼き直しします」
「いや……別にいい」
「でも……」
「いいと言っただろう」
びくっ、と背を跳ねさせた女は頷くと、焼きに戻っていきました。
これじゃ流行る訳がない。
弁慶も納得していました。
幼い頃の弁慶なら夢中で食べていたでしょうが、今や人並み以上の物を常食する弁慶。
彼にとって、これは食べ物というより餌に近い気分でした。
なまじ見た目と匂いだけはとても美味しそうだからたちが悪いです。
ですが──、
「……悪くない」
お茶を飲んで口を癒やすと、ふぅ、と自然と声が漏れ出ます。
血と泥にまみれた三年間を一瞬だけ忘れ。
過去になく弁慶は気分を落ち着ける事ができた気がしました。
弁慶は悪しざまに言った餅を次々と口に運ぶと、それを完食してしまいました。
そして、思わず弁慶は女性に話しかけていました。
「……女。お前、ここは1人でやってるのか?」
「えっ? ……はい。私1人です」
「そうか、この味じゃさぞかし苦労しただろうな」
「う。す、すみません」
「……責めてるつもりはねえ。改善の余地があるつってんだ」
「え……? あ……はぁ。そう、ですね」
女性は、弁慶の発言の意図が読めずに戸惑っていましたが、しばしの沈黙のあと、誰に言うでもなく語り始めました。
「父がいた頃はすごい繁盛してたんですよ。それこそ毎日長蛇の列で。一口食べるとみんなお代わりしてくくらいには絶品だって。評判を聞いて、わざわざ遠来から来る人だっていたんですから。……ですが」
「……?」
「ですが、父は昨年、仕合で亡くなりました」
じゅぅ、と焼きの音が広がる店の中で、強がるように女性は言います。
「だから、私が跡取りとして頑張ってるんですが……父の味には中々ならなくて」
「……そうか」
「大変ですけど、苦しいですけど……でも。お客さんの言う通り、まだまだ改善できるって事ですからね。いずれお父ちゃんみたいに立派なお団子が出せるように、頑張ろうと思います」
「……」
寂しげですが、決心を感じ取れる声。
餅を焼く手つきは丁寧で、火を見つめる瞳には静かな覚悟がありました。
弁慶はそんな彼女を背中越しに眺めると、お茶を飲み干して近づきます。
「……おあいそだ」
「はい、ありがとうございました……!? お、お客さん? 流石に払いすぎですよ!?」
「取っておけ」
「そんな……でも」
「いいから取っておけ」
有無を言わさず、女性に大量の銀貨を握らせると、弁慶は店から出ていきます。
そんな弁慶を、女性は「ありがとうございました!」と大きく腰を曲げて見送るのでした。
──それからというもの、弁慶は時々『あおし』に顔を出すようになりました。
訪れるのはだいたい夕方頃。
のっそりと一人で現れては団子を注文し、小上りでお茶を飲んでゆっくりすると、帰っていきます。
注文は決まって磯辺焼き。
食べるたびに一言二言、餅の指摘を言い。
そして全て食べきっては帰っていきます。
女性は弁慶にいつもペコペコと頭を下げて申し訳なさそうにしますが、たまに餅を褒められるととても嬉しそうにし。
だんだんと慣れてきたのか、時に、新作のお餅を味見を依頼しては弁慶にしかめ面をさせるのでした。
「……そういやお前、名前は?」
ある日のことです。
あいも変わらず閑古鳥の吹く店内で、隣り合って座った弁慶が聞いていました。
「そういえば……名前を言ってませんでしたね。
「弁慶」
「……ですよね。他のお客さんが噂を教えてくれました」
「噂じゃない。事実だ」
「そうなんですか?」
「あぁ」
茶をすする弁慶に、喜代子は特に驚く様子もなく、ただ「そうそうですか」と言うだけで。
お茶を飲みながら無言のまま外を眺めていました。
「……怖くねえのか?」
「何がですか?」
「客が何を言ったか知らねえが……俺ぁ噂通りの悪だ。そこに正当性があろうがなかろうが関係ねえ。弱い奴に仕合をふっかけ、ぶった斬って奪うならず者。……そんな相手と一緒に団子を食うのは、怖くねえのかって聞いてるんだ」
「……」
「ふとした拍子にお前さんをたたっ斬るかもしれねえぞ」
喜代子は湯呑みをその場でくるくると回すと、頭を振ります。
「だとしたら……すごく優しいならず者なんですね」
「……あぁ?」
「だって。お団子は残らず食べてくれますし、お金は貰い過ぎなほどくれますし……助言は、まあストレート過ぎて傷つきますけど、すごく為になりますし」
「それは……」
「それにね。ならず者は自分のことをならず者って言ったりは、しないと思いますよ?」
ふふ、と微笑む喜代子に、何も言えなくなる弁慶。
再び沈黙が降りると、喜代子は誰に言うでもなく語り始めました。
「……父を仕合で亡くした、って言いましたよね」
「ああ」
「父……お父ちゃんは、ずっと団子一筋の頑固者でした。寝ても冷めても団子団子……呆れるくらいに団子が好きで。口癖は『阿妻一の団子屋になる』って言うくらいに年がら年中焼いてる人。職人ぶって、毎日焼いては満足いく一本が出来ないって嘆いてた。そういう人だった」
「……」
「だからね。父ちゃんってば本当に剣の腕はからっきしで。私と練習すると、簡単に勝てちゃうくらいには弱かった」
天井を見上げ、喜代子は思い出に浸る。
「それでね。負けるたんびに『今日は腰の調子が~』とか『団子だったらこうはいかねぇ!』なんて負け惜しみをしてね、本当みっともなかった」
くすくすと、口元を手で隠して笑う喜代子。
しかしその表情は、すぐに曇ることになります。
「……なのに、お父ちゃんは仕合を挑んだんです。仕合の理由は、団子の事を馬鹿にされたからだったみたい。せっかく作った団子を眼の前で捨てられて、罵倒されて。それで引けなくなって……呆気なく殺されちゃったんです」
湯呑みを掴む手に、ぐっと力が入るのを、弁慶は見ていました。
「馬鹿ですよ。そんなの無視すれば良かったんです。なのに喧嘩を買って仕合して、それで命を落とすなんて。残された家族のことを……私のことを何も考えてない。何も。何も! ……でもね。でも……お父ちゃんにとって団子は人生だった。だからその人生を汚されて黙っていられなかったんだって思うと……途端に責められなくて」
それがどれほど彼女にとって衝撃的で、苦痛で、悲嘆に溢れているのか、弁慶には分かりません。
ですが、父を語る彼女の姿がいつもより弱弱しく見えて、仕方ありませんでした。
「……だからね、私はお父ちゃんに仕返ししようと思ってるんです。お父ちゃんの代わりに私が団子を作って、それで私が代わりに阿妻一の団子屋になってやろうって。お父ちゃんが羨むくらいの団子を作ってやろうって……思っちゃったんです。……まあ、まだまだ全然なんですけど」
そう儚げに笑う喜代子に、弁慶はたまらず質問していました。
「……仕返しはしねえのか?」
「え?」
「奪われたなら……奪い返してもいいんじゃねえのか?」
真面目な顔で弁慶はそう言うものですから、きょとんとなって。喜代子はうーんと考え込みます。
「確かに……なんででしょうね」
「……腕前に自信がねえのか? なら俺が──」
「あぁいえいえ。私、こう見えても結構腕前には自信あるんですよ? 道場では負け無しでしたし……師範代もセンスあるって褒めてくれましたしね。今は流石に振る暇はなくて鈍ってるかもですが……ただ……」
喜代子は困ったように首を傾げ、照れ臭そうに頬をかきます。
「ただ、何ででしょう。奪うより、与える方がいいなって思っちゃいまして」
弁慶は驚き……そして、微笑むのでした。
「……そうかもしれないな」
奪うことだけを考えて生きてきた弁慶は、この時初めて「与える」という選択肢があることを知り。
自分も喜代子のように、与える側になりたいと想うようになるのでした。
それから半年も経たずして二人は結ばれ。
その翌年には小さな一粒種を授かるのでした。