ご了承ください。
唖涯は自分の過去を振り返りません。
それは別に過去が最悪だったから忘れたい……という訳ではなく。
あまりにもパっとしない思い出だけだから、振り返る必要がないのでした。
元は農家の一人息子。
貧乏と富豪のちょうど中間、中流家庭で育った彼は、
凄惨な過去にあったり、飛びぬけた才に恵まれることもなく。
ただただ面白みのない日々を過ごしていました。
それは、恩智に入ってからもそうです。
朝は剣を振って鍛錬をし。
昼は兄弟達と町を練り歩いてはユスリ、タカリに勤しみ。
夜はせしめた金品でどんちゃん騒ぎ。
毎日が楽しいかといえば、
毎日が空虚かと言われれば、それもまた
いつでも柊真と手鹿織の三人一緒になって、
他者を脅し、
なんともまあ代わり映えのない日々です。
元々は田舎のやんちゃ坊主だった唖涯は、最初こそなんて楽しいのだろうと目を輝かせていたのですが、一月も経てば「こんなものか」と、感動も薄れ。
今では妥協で暴れん坊を繰り返しています。
唖涯は、自分の過去を
──こんなんじゃなかったよな、俺のなりたかったものって。
物心ついてすぐに親に頼み込んで買ってもらった浮世絵。
それがしわくちゃになるまで、飽きずに読んでいたことを思い出します。
特に彼が好きだったのは、青家の侍が、西側の騎士と剣を交える一枚です。
味方は既に
唖涯はそれを読むたび憧憬を抑えられず、将来は三刀流の剣士になるんだと強く誓ったものでした。
そして実際に恩智を尋ねて、修行を重ね、現実を知り、
気付けば、ただの愚連隊になっていたのでした。
念願の三刀は、実力を伴わない見せかけのもので。
柊真と織手鹿は、格好良いという理由だけで契った義兄弟、言ってしまえば気が合うだけの悪友といったところ。
そんな妥協、妥協、妥協の結果が今なのでした。
──ざまぁねえよなァ……。
弁慶が、青紫家の剣士と戦っていた時。
唖涯は二人の一挙手一投足から目を離せませんでした。
それは気が遠くなるほどの研鑽の末に見れる、絶景。
火花散らして激突する二人に、全身の震えが止まりませんでした。
この光景こそ、自分が目指すものではいのか?
そう考えてしまった途端、唖涯は自らを恥じました。
彼らと比べ、いかに惨めで、情けなく、救いようのないことか!
顔は赤らみ、震えが止まらず。
しかしそれが自分なのだとは認められずに、今更弁慶と並び立とう見栄を張った結果が、あれでした。
『なら……ッ、本当にそう思うならっ! お、俺らと殺りあえよ! なぁ!? お前なら出来るだろう!?』
『その価値がねえ』
筆舌に尽くしがたいほどの屈辱。
怒り。
そして情けなさ。
それらはすべて自分自身に向いていました。
あの時、崩れ落ちた自分自身を俯瞰しながら、唖涯は自答します。
お前の言う通りだ。お静。
俺ぁ弱い奴には威張り散らし、強いやつには尻尾を振る。
何が傾奇者だ。何が黒三連だ。
弱いもの虐めしか出来ねえ俺が、弁慶みたいになれる訳がねえ。
自分より上を行く化け物達を見て、怖気付いて、
くすぶり続けた俺に何ができる?
あぁそうさ、俺はゴミだ。
人の約束すら守れねえただのゴミクズ……いや、待て。
(……約束ってなんだ?)
闇の中でたゆたっていた意識が、形になっていきます。
(俺は……狡怒のヤツにお静を攫えって言われて、逆に逃がそうとしてた……よな?)
直前の記憶がよみがえってゆけば、気を失う直前に、誰かに殴られたことまで思い出します。
(確かに柊真達にお願いしたんだ。俺は医者を呼ぶ。だからお静を遠くに連れていけと……そして、意識がなくなって……!?)
背筋に冷水を垂らされたかのような感覚。
急速に覚醒した唖涯が視界を開くと──、
「──いだ、いだいッ! いだいいだいいだいだいいいいいいッ!!!」
「暴れるんじゃねえ!」
「テメェいい加減学習しやがれッ! 馬鹿女がッ!」
「ぎゃッ!? ギャアッ! いッ?! あがッ!?」
そこは、暗くジメジメした監獄でした。
湿気の強い、石造りの牢屋。
格子は太く頑丈な木材で作られているようで。
唖涯はそんな一室に転がっていたのでした。
どうなってるんだ?
周りを伺おうとした瞬間、全身に鈍い痛みが走り。
そしてよくよく自分を観察すれば、後ろに回された両手が荒縄できつく縛られており、自らの肌の至るところに青あざが見てとれました。
どうやら散々殴られた後のようです。
「あ……が」
からからに乾いた喉を鳴らしながら、芋虫のように這って、格子に近づく唖涯。
それは逃げ出そうとするため?
現状を把握しようとするため?
違いました。
先ほどから聞こえてくる、絹を裂くような悲鳴の主を、確かめようとするためでした。
もしや、あの子なのではないのか?
いや、間違いであって欲しい。
もしあの子だとしたら、俺は……!
全身を蠕動させ、必死に近づき……そして唖涯は、目を見開きました。
「やだッ、やだッ、やだああぁッ! やめてッ、やめでええッ!」
「うるせえなぁお前は」
「また爪剥がされたいのか?」
「はなじだッ、私はなじだじゃないッ、せいりゅうの事はなじだッ、うそ、いってないッ、いってないいッ、なんでしんじてッ、くれないのよぉ」
「信用ならねえなぁ。お前さん。アイツをかばってたらしいじゃねえか」
「口からでまかせだったら俺等が困っちまうぜ、そーらッ」
「ひっ、やだッ、やだやだやだやだギャッ、あぎッ、いだ、いだっ、ひぎゃああああああッッ!?!?」
そこにいたのは、確かにお静でした。
お静は縛られて床に転がされており、その周りには、恩智の兵達が群がっています。
兵は……お静を拷問をしながら弄び、悲痛な叫びがあがるたびに、ゲラゲラと笑っていました。
「あ、あ!? お、お静ッ、お静うッ、お、お前、お前らあァッ!」
「お? 裏切り者が起きたぞ?」
「寝すぎだぜ唖涯? お前があんまりにもぐっすり寝てたからホラ」
「あぁ、先に始めちまったぜ」
かんらかんら。
心底愉快に話す彼らに、唖涯は歯を食いしばって吠えます。
「何して……何してやがるッ、おいッ!」
「馬鹿か? お前聞いてただろ? 青龍の情報を探ってるんだぜ」
「それがコイツ、中々本当のこと吐かなくてなー」
「そうそう。だから俺達泣く泣く……泣く泣くな? 尋問するしかなくてだな──おい、テメェ泣いてる暇あったら自分から動けよ。また爪剥がされてえのか?!」
「ぎぁッ!? やっ、い、いだ、いだいッ! やめてよぉッ!!」
「待てッ、ソレ以上はよせっ、そいつは本当に何も知らねえんだッ、やめろッ! お前たち離れろよッ!」
「裏切り者に言われてもなぁ」
「離れろおおおおおおッ!!!」
「あーあーうるせえ……うるさすぎると、手が滑っちまいそうだなぁ」
「──ッ!? か、はッ……! は……ッ、……ッ!?!?!?」
「ッ!?」
「お。黙ってくれるか? 黙ってくれるよなぁ?」
「あーあー白目剥いちまって。可哀想になぁ」
「マジで死んじゃうんじゃねえかぁ?!」
「よせッ、わ、分かった。分かったから……!!」
「だとよ。よかったなお静ちゃん?」
「──ガヒュッ、ひゅ、げほっ、げほっ、ゲフッ……!」
好き放題するならず者たちの前に、唖涯は何も出来ません。
できるのは、芋虫のように這いつくばり、それを眺めるだけ。
あまりにも不味すぎる状況です。
唖涯は必死に頭を巡らせます。
現状を脱する手段はないのか。
どうにかしてお静を助けられないのか。
せめて自分が奴らの代わりになれないのか。
考えて考えて、そしてその考えを潰すように、ある1人の兵士が言います。
「無駄だぜ唖涯」
「……あ?」
「お前にはどうすることも出来ねえよ」
「……どうしてそれが言える」
「言えるんだよなぁ。お前ら、大親父に嫌われてたの知ってるだろ? 今まで利になってたから使ってやってたそうだ。だから、こうして目に見える反抗してくれて、それはもう喜んでたぜ。
「……ッ!」
「これはその前段だ。お前はお前が守ろうとした者達が殺されるのをそこで見てろ。この団子屋の娘もそうだし、もう一人の娘もそうだ。そして……黒三連どももな?」
「黒三連……そういや、柊真は!? 織手鹿は!?」
「あ?」
「アイツらはどうしたってんだ!? 無事なのか!?」
「……あーあーあー! そうかそうか、お前、知らなかったのか。くくく、可哀想に……可哀想になぁ」
男はひとしきり腹を抱えて笑うと、わざわざ屈んで唖涯に告げます。
「お前さ、柊真と手鹿織に裏切られたんだよ」
「え……?」
「アイツらこう言ってたぜ? 『最早兄弟でもねえ』ってさ。いやいやそうだよなぁ、恩智に唾吐きかけた馬鹿野郎を、誰が兄弟だと認める!?」
唖涯は、その言葉を一瞬、理解できませんでした。
頭をがつんと殴られたような、そんな衝撃がありました。
あの二人が、自分を裏切った?
確かに何となくで行った契りではありますが、それでも長年苦楽を共にした仲のはず。
それが容易く……裏切られた?
だがそれよりも一番衝撃を受けたのは、次の言葉でした。
「だから。連帯責任でアイツらも殺すことにした」
「……!?」
「当然だよなぁ。大親父殿は黒三連そのものを嫌ってたんだ」
「待て……あ、あいつらは」
「あぁ心配するな。わざわざ行かなくてもお前の元に首を届けてやるぜ? よかったなぁ唖涯!」
その顔を絶望に染めた唖涯を見て、赤半被は下品に笑うのでした。