「動かないでください青龍。武器を捨てて、投降しなさい」
「……」
きりん君の喉元に刃を突きつける青紫の長女、墓道。
その短刀は首筋に埋まっており。
少しでも動かせば、その美しい肌から鮮血がほとばしることでしょう。
せいりゅー様はまさかの狼藉に目を見開き。
その柔和な眼差しが墓道を見咎めていました。
「……ッ!」
ぞわぞわぞわぞわッ。
墓道の背筋に走る、何とも言えない感覚。
怖気? 殺気? それとは違う。
言ってしまえば根源的な恐怖。
深い深い海の奥底を覗き込むような。
果てのない宇宙の中で取り残されるような。
底知れぬ何かと相対している感覚。
かつて実門と殺し合った時よりも遥かに酷い絶望感。
彼女の全神経が、全力で警鐘を鳴らしていました。
「その子、離した方がいいですよ?」
首をこてんと傾げて問うせいりゅー様。
態度に怒りは感じられず、むしろ本気で気遣うようにも見えましたが、墓道は冷静を取り繕っていると判断して会話を続けます。
「離すのは貴方が武器を捨て、投降してからです」
「いえ。まず離すのが先かと」
「聞こえないのですか? 武器を捨て、投降してからです」
ずずず。
せいりゅー様からの威圧感が増してきます。
墓道は今すぐ逃げ出したい気持ちを抑え込んで、必死に目をあわせ……そして賭けに勝ったこと悟ります。
情報の通りだ。
この子は彼女にとっての大事な身内。
あれだけ大暴れしていたのに、すっかり言う通りではありませんか!
(実門兄さんと同じ、理屈の通じない刀狂いだと思ってましたが……なるほど。意外と甘ちゃんなんですね。それであればコントロールも容易い)
途端に見えてきた未来に、墓道はほくそ笑みます。
(彼女は危険です。青紫で飼い殺すよりかは、さっさと殺した方が絶対にいい。この子を餌に、早々に無力化してしまいましょう……刀狂いは、二人もいりません)
考えれば考えるほどしっくりくる案です。
墓道は高揚を抑えられません。
ついさっきまで恐ろしく思えていたのに、今では何でもない相手にも思えます。
むしろ失敗する想像が浮かびません。
(……何でしょう、この全能感は。まるで体の奥底から無限に力が湧いてくるような、そんな感覚が……)
「姉貴……!」
「は、墓道姉ぇ……?」
「……なんですか二人共。呆けた顔をしてないで、早くそこの女から武器を没収しなさい」
全く、愚昧達のなんと情けないこと。
人質を取るのは卑怯だと?
青紫らしくないと?
わかっていない。
青紫の理念は「合理」。
使えるものは何でも使う。
取れる手段は何でも選ぶ。
それが青紫のためになるなら、誇りもプライドも関係ない。
そうやって青紫は成長してきたのですから。
「墓道……」
「……実門兄さん。わかってください。これが最善なんです。時には斬り結ぶだけが手段ではないことを理解して──」
「違う、そうじゃない」
「?」
いやに真面目な顔をした実門に、首を傾げます。
一体何が気になるというのでしょう。
「君、
「……え?」
ふと、手を見るとそこにあった筈のシワがなく、潤っていることに気がつきます。
そして慢性的な関節痛が。
窮屈だった腰の曲がりが。
あれだけ気にしていた手の震えが、なくなっているのです。
何故?
一体どうして?
戸惑っていると、腕の中にいた「きりん」と呼ばれた子がこちらを見上げます。
その表情は全くの無。
思えば殺されかけているのに、どうしてここまで冷静なのか。
腕に自信があるから?
それとも抜け出す秘策があるから?
しかし、そのきりんの行動は、ただ声をかけることだけでした。
「……だいじょぶ?」
それが何を気遣うものなのかは分かりません。
分かりませんが、この現象が青龍ではなくて、この子によるものなのだ、と墓道は直感的に理解できたのでした。
「離した方がいいですよ?」
「──動くな、といったでしょう!」
「……」
「この子の命がどうなってもいいというのですか……!?」
せいりゅー様が一歩踏み出し、墓道は慌てて声を荒げます。
刃は更に喉に食い込み──とうとう、首筋にぷつ、と切り込みが入ります。
白い肌から溢れる、瑞々しい赤。
それは、つ、と垂れて、墓道の肌に触れてしまいました。
「あ」
せいりゅー様の間延びした声が響いた、その瞬間。
墓道に更に異常が起こり始めます。
触れたのはたった一滴の血液。
それが肌に触れた途端、瞬く間に彼女の全身が温かな光に包まれます。
「な、なに? 何が起きて……う?」
瞬間、体内を渦巻く圧倒的な快楽!
まるで無数の手に全身をあますことなくマッサージされるような。
あるいは、微細な電気信号で全身の筋肉をほぐすような。
突き動かされてきた使命感や、抱える悩みを全て忘れるような心地よさに、墓道は立っていられなくなります。
「あ。あは、あはあ、あああああああ~~~……っ♡」
「姉貴っ!」
「墓道姉ぇっ?!」
全身が震え、ビクンビクンと痙攣を繰り返し、
思考はまとまらず、動きは制御できず。
揺り籠の中でくつろぐ赤ん坊のように脱力し、
その全身を巡る脈動に、墓道は悶えるしかありません。
妹たちが駆け寄ろうとした時には、既に彼女の体は10代前半まで若返っており。
最悪なことに、皆が見てる前で若返りは更に加速していくばかりです。
「あぁっ、あっ♡ あっ、あああ♡」
「いやっ、墓道姉ぇっ、待って! 待って!」
「ぁ、あぶ、あ、ぁ──………」
冷鞘が墓道を抱きかかえた時にはすでに幼女になっており。
だぼだぼの着物に包まれた彼女の体は縮み、縮み、更に縮み……。
とうとう、見えなくなってしまいました。
墓道は若返りすぎて消滅してしまったのです。
「あ、ああああ……ああああああああああッ!!!」
冷鞘は呆然とし……そして、着物を掴んで慟哭します。
彼女にとって墓道は血の繋がりこそありませんが、それ以上に親しみのある姉でした。
常に厳しく当たられますが、それでもしっかりと自分を導いてくれた墓道の消失に、冷鞘は冷静ではいられませんでした。
「だから言ったのに……」
せいりゅー様、バツが悪そうに頬をかくと、実門が尋ねます。
「……あの子も、神様ってことかい?」
「えぇ。私の大事な大事な伴侶でもありますよ」
「それはどうでもいいけど……厄介な子だね。生命力の源……いや、生命力そのものってことかな?」
「ご想像にお任せしますー。それで、まだやりますか?」
「──」
「やる気を削がれたのであれば、少し休憩した後で再戦というのも」
「せいりゅー」
「……冗談ですよぉ」
ちょっとだけつまらなそうにするせいりゅー様。
きりん君の首元の傷は、最早どこにもありませんでした。
「さてさて。私達は貴方の剣を壊しにきたんです。できれば穏便に澄ましたいので、私に頂けませんか?」
「……」
「貴方との仕合を楽しみたい気持ちはありますが、その刀は少しだけ私達には都合が悪くてですねー、出来るならそれ抜きでヤりませんか?」
実門は明らかに葛藤しています。
ここで彼女の提案を飲む。
それは、勝てぬ相手に背を向けて逃げる事を意味していました。
実門は過去に一度たりとも背を向けたことはなく。
ここで逃げることは、彼の経歴に唯一の傷をつけることになります。
さらに身内である墓道までやられてしまったのです。
一考の余地すらなく反抗すべきでしょう。
しかし、そんなプライドよりも何よりも、彼は青紫です。
いかに剣狂いといえど、染み付いた青紫の考えは、彼女の提案を飲むべきだと言っていました。
むしろ懐柔し、青紫の取り込めと。
それが一番最善だと心が言っているのです。
ならば。
実門が取るべき道は。
「あ。こらこら。だめですよー」
不意にせいりゅー様がきりん君を抱えて、瞬間移動します。
直前まできりん君がいた場所には、肩を怒らせながら涙を流す、冷鞘がいました。
彼女は薙刀を抜き、明らかに殺意を抱いています。
「ここできりん君を斬ったら大変なことになりますよ」
「うるさい! 墓道姉さんを、よくもォッ!」
「そもそもがきりん君を人質に取ったからじゃないですかー、逆恨みですよー?」
精細をかいた動きで薙刀を振り回す冷鞘。
せいりゅー様は困ったような顔を向けると、実門はようやく再起動します。
「冷鞘!」
「実門兄さん! 兄さんも敵を、墓道ねえさんの敵を取ってくださいッ!」
「駄目だ冷鞘! 落ち着け!」
「落ち着く!? 何故!? どうして!? 貴方は青紫一の……阿妻一の剣士でしょう!? その身内がやられたなら、何でやらないのよ!」
「冷鞘」
実門は冷鞘を落ち着かせようと回り込み、その動きを咎めます。
「冷静になるんだ。墓道もいつも言ってただろう。青紫にとっての最善を選べと……冷鞘、キミの行動は本当に青紫の最善か?」
肩を掴まれ、目を見据えられても納得できない冷鞘。
ボロボロと大粒の涙を流した彼女は、ダダをこねるように首を左右に振ると、目にも止まらぬ動きで、実門の腰の物を奪い取っていました。
「冷鞘ッ!!」
そしてそれは、よりにもよって神器なのでした。
「──死ねぇッ、青龍ッ!!」