青龍と青紫の戦いが過熱する中。
恩智の屋敷でも、その戦いは佳境を迎えつつありました。
──ぎちぎちぎちぎち……ッ!
服と体と、空間が軋む音。
聞く人を不安にさせるそれを発するのは、安謝。
恩智お抱えの天才剣士です。
彼は全身を引き絞り、突きの一撃を放とうとしています。
対する弁慶、鎖分銅を再び回転させ、盾とします。
必殺の突きを防ぐには何とも心もとない策にも考えられますが、この場にいる人たちはそうは思いませんでした。
なにせ、その尋常ではない回転速度ときたら!
部屋内に突風を巻き起こすほどのソレは、元は一本の鎖のはずなのに、銀色の盾を構えているとしか見えません。
「忠告するが……本当にそれでいいのかな?」
「……」
「はは……聞くだけ野暮だったようだ。では、参ろう」
安謝の警告はハッタリか、それとも本心か。
いずれにせよ、弁慶は彼の一撃が脅威足り得るものだと知っています。
そして知っていて、コレしかないと考えていました。
避けるのはむしろ悪手。
受け止めるしか策はない。
直感が言っていました。
「──」
「──」
さらに張り詰めていく空気。
ぐにゃあ、と周りの景色すら歪みそうな重圧の中で、先に動いたのは、やはり安謝でした。
「──ッ」
加速した世界の中で、安謝は一足飛びで移動します。
それも真正面ではなく真後ろに。
その挙動に面食らったのは弁慶です。
てっきり飛び込むか、横合いから攻撃すると思っていたのですから。
しかしその狙いにすぐに気づいて、弁慶はハっとします。
彼の後ろに控えているのは──ッ!
「槍兵! 行け!」
「ハッ!」
号令と共に入れ替わるように出てくる二人の槍兵。
そして間髪入れずに突き出される二本の真槍!
弁慶の即席の盾に突き出されたそれは、ずたずたに引き裂かれますが、代わりに大幅に回転を損なわせることに成功します。
弁慶も慌てて鎖から手を離そうとしましたが……時は既に遅かったのです。
「
神速の一撃が、放たれていました。
彼我の距離など無かったかのように、一気に詰めて襲いかかるソレは、そのスピードのあまりに誰も目で捉えきれず。
弁慶と肉薄して初めて攻撃したと認識出来るほど。
そしてその一撃は。
「がぁ………ッ?!」
絞り出すような苦悶の声だけ残し、弁慶を勢いよく吹き飛ばすほど──!
屋敷の壁にぶち当たり、壁を破壊して外に放りだしてもなお威力が落ちない、破壊力。
弁慶の巨体は、きりもみ回転しながら庭に投げ出され。
部屋の中で荒れ狂う暴風だけが取り残されるのでした。
「おぉ!」「すげえ!」
「やったか!?」
「さすがは安謝さんっ!」
「弁慶ッ!」「旦那ぁッ!」
「ウソだろ、まさか旦那が……!」
恩智達は大いに喜び。
そして市民達は悲嘆な声を上げる他ありません。
ある意味この脱出劇は弁慶が頼みの綱。
というより心理的な拠り所になっていたのです。
彼が斃れてしまえば自分たちなど、あっと言う間に殺されてしまう。
そして不安に勘づいたのでしょう。
赤半被たちは更に一歩前進し、市民を屋敷の外へ追いやろうとします。
「て、テメェら怯むんじゃねえ!」
「おうともよ! 旦那だってまだ死んだ訳じゃねえ!」
角と助がたまらず大声を張り上げて鼓舞します。
しかしそれが強がりであることは明白。
ひひひ、と兵たちが囀ります。
「あーあー可哀想になぁ! 頼みの綱が死んじまうなんてよォ!」
「所詮安謝さんには勝てねえんだよ!」
「心配しなくてもテメェらも同じ運命にあわせてやるからなぁ!?」
必死に食いしばる市民達。
しかしながらもうあと数間ほどで屋敷から押し出されるのは確実。
そうすれば待ち構えている弓の射程範囲に入ることでしょう。
これなら勝ちは揺るがないと言ってもいい。
狩魔はフッと笑みを浮かべるのですが……安謝を見て、訝しみます。
「どうした安謝?」
「……いえ」
血の滴る刀を拭いていた安謝。
何か思うところがあるのでしょう。
砕けた壁をじっと見ていました。
「キミの技は、確かに命中はしたのだろう?」
「……ええ。この通り命中しました。肉を貫いた感触もありました」
「であれば心配する必要はないだろう。もし生きていたとしても、虫の息さ」
「……」
狩魔は安謝のことが嫌いではありません。
むしろ好ましいと思っていました。
出自は貧民街であるものの、その向上心と卓越した技は恩智にとって非常に有用で。
自分の右腕としてふさわしい人材として認めていました。
特に信頼出来るのは彼の技です。
数えるほどしか見てはいませんが、その一撃、まさしく必殺。
そんな一撃が直撃したのです。
いかな弁慶といえどタダではすまないでしょう。
しかし他ならぬ安謝は、そんな励ましの言葉を受けても、浮かない顔をしてるのです。
狩魔は一考し、彼の肩を叩きます。
「しかし、そうだな……兄さんが帰ってくる前にこの騒動を収める必要はある。安謝、念には念を入れておこうか」
「……は」
安謝、刀を引っ提げて追撃に向かいます。
実際彼も不安だったのでしょう。
今までにない感触が、どうしても不安にさせて仕方がありませんでした。
(何を心配する必要がある安謝。あれは間違いなく直撃した)
(心臓と喉は防がれていたが、腹部には甚大な一撃を与えた。そうだろう?)
(即死はまぬがれても、内臓はズタズタの筈だ)
星落と呼ばれる技は、言ってしまえば手首と腕と腰の捻りを生かした、回転突きです。
全身のバネを活かし、強力な回転を帯びたその突きは、生半可なガードは掻い潜り、直撃すれば、その箇所をまるでドリルのように掘削し、ボロボロにしてしまいます。
肉は削げ、骨は砕かれ、風穴ができていることでしょう。
しかしながらあの瞬間、確かな違和感がありました。
肉ではない。骨でもない。
まるでゴムのような固さと柔らかさの中間を貫いたような。
「……まさか」
安謝が穴から抜け出して外へ向かい、その先にいるであろう弁慶を探そうとし……そして気付きます。
弁慶がいない!
確かに倒れた後と、少なくない鮮血が地面に残っているのに、肝心かなめの本人がないのです。
ぞわっ、と全身の毛穴が総毛立つ感覚。
まさかと思ったその時です。
「──ギャアッ!?」
二階から、悲鳴が聞こえてきました。
それは弓兵達が待ち構える場所!
安謝が外から見てみれば、配置されていた弓兵相手に鉄棒を振るう弁慶の姿がありました。
「こ、こいつ! いつの間に!?」
「撃て! 撃て撃て!」
「待て、やめろ! 同士討ちになるぞ!?」
「そんなこと言ってる場合かよォ!」
一振りするたび、赤半被がひしゃげ、吹き飛び、ぶっ倒れ。
あっと言う間に彼らは数を減らしてしまいます。
「弁慶ッ!」
「やっぱり生きていやがった!」
「今だ下がれ、早く下がれ! 後ろに下がれッ!」
そしてソレを切っ掛けに市民達がわーっと庭に散っていきます。
コレを見た狩魔、急ぎ号令をかけ直します。
「ひ、ひいい狩魔様ッ!?」
「だ、だめだだめだぁッ、倒せねえ!」
「安謝さんっ、安謝さん助けてくれええ」
「怯むなッ! 槍を持て槍! 弁慶は手負いだ! 今度こそ囲めばよい! ひるむなああぁッ!!」
安謝も急ぎ加勢しようとしますが、弁慶はあえて集団の中に入り込んで暴れ、同士討ちを誘っています。
安謝は巧妙な立ち回りに舌を巻くしかありません。
「ええいそこをどけ!」
「どけるものなら、どいてますよっ!?」
「畜生、こいつ死にかけのくせにッ」
見れば弁慶の腹部からは流血が確かに確認できます。
しかしソレ以上に酷いのは、左手でしょう。
原型をとどめないグチャグチャの肉塊になったソレを見て、安謝はようやく腑に落ちます。
(片手を盾にしたか──!)
左手を犠牲にした防御に、思わず笑いたくなる安謝。
無双ゲーよろしく赤半被を吹き飛ばし続ける彼に対し、一階から跳躍して斬りかかります。
「見事な防御だ弁慶ッ!」
「──ッ!」
片手で振るう鉄棒でとっさに防いだ弁慶。
欄干に安謝が降り立つと、返す刀で足場もろとも吹き飛ばします。
「ここ最近は自信をなくすことばかりだ! 青龍にも赤子のようにあしらわれ、キミには防がれてしまうとは!」
しかし安謝は、優雅に別の欄干に着地すると、空中を突貫。
それも鉄棒で弾かれましたが、くるりと回転して地に降り立つと、目にも止まらぬ早業で剣の雨を振る舞います。
弁慶は片手の鉄棒で器用にガードをしますが、その顔は苦し気。
先程よりも明らかに不利に追い込まれていました。
「左手が使えなくて大層不便なようだな! 今楽にしてやろう!」
「……!」
勝負を決めにきた安謝。
弁慶はたまらず勝負を避けて、階下へと降りていきます。
そして狙うは……狩魔!
「なッ!?」
混乱が生じた不和。
将の守りが偶然薄くなったその瞬間に降り立った彼は、鉄棒を振り上げて狩魔へと向かいます。
「ひえええッ!?」
「やべえ!?」「に、逃げろ!」
「お、おい貴様ら!? おいッ!」
そして狩魔の前に立っていた兵は、彼を庇おうともせずに逃げおおせ、彼への一本道が出来ます。
狩魔、覚悟を決めて剣を抜きますが、彼の剣技は一般人とほぼ一緒。
勝ち目は全くありません。
巨大な壁が差し迫るような錯覚を覚えて、剣すら触れずに立ちすくむ彼。
そこに鉄棒が叩き込まれようとし──
──ギイイィィィィンッ!!
間一髪、回り込んだ安謝が、その一撃を防いでいたのでした。
「くッ……!」
「お、おお安謝! すまない!」
その細身の刀でかろうじて防ぐことが出来ましたが、かなり無理をしたようで。
先の一撃で刀は折れてしまっていました。
危うし安謝。
しかしながら対峙する弁慶もまた満身創痍です。
肩で息をする彼は脂汗を流しており、動きは精彩を欠いています。
無理もありません。
何せ昼先に青紫と対戦してまだ時間も置いてないのですから。
「……ッ、く」
とうとう膝をつく弁慶に対して、勝利を確信する狩魔。
しめた、とすぐさま号令を出そうとし……ざわめきに気づきます。
「……何か、コゲ臭いぞ?」
「あ? ……本当だな」
「誰かが火をつけやがったのか!?」
「いや……ちげえ! あそこからだ!」
あたりに漂う、異臭。
明らかに何かが焼け焦げた香りが、白煙となって周りに立ち込め始めます。
その火元は、とある壁から立ち上っていました。
一見してただの壁ですが、煙が扉の外周で漏れていることから、隠し扉があることは明白です。
そして。
「……げほっ、げほっ、ゲホッ!!」
乱暴に開け放たれた隠し扉から、一人の赤半被が飛び出ます。
半裸の男は煤だらけで、逼迫した状況の中に飛び出すと、ぽかんとした顔を見せます。
「貴様、一体何があった?」
「げっ……か、狩魔様っ、あ、え、えーと……これは……」
彼はどう説明したものか、迷っています。
明らかに異常事態が起きたのは間違いない。
ですが、彼のやらかしも含まれているように思えます。
「じ、実は……そ、そう! 人質が!」
「人質? 人質がどうしたんだ?」
「へ、へへへ……そそ、それが……ギャアッ!?」
男が説明しようとしたその瞬間、腹部から唐突に生える刀。
ぎょっとして周りが引くと、ずるずると崩れ落ちる赤半被の背後から、男が現れます。
「唖涯……!」
目を充血させ、憤怒の炎に身を焦がす男。
黒三連の唖涯。
修羅を背負った彼が周りを睨みつけていたのでした。