「がああああッ!」
「───ッ!!」
唖涯と弁慶。
かつては敵対し、決して交わらなかった二人。
しかし今は息を合わせて安謝へと刀を振るっていました。
ひとつは怨恨。
ひとつは憤怒。
刀に込められた激情は、容易く人を断ち切るだけでなく、技量以上の何か──気か、情念か、定かではありませんが──が込められており、受けることを躊躇わせます。
二人の情念は、それはもう留まることを知らず。
煙と悲鳴、そして怒号で満たされた屋敷で、より勢いを持ち始めます。
対する安謝は、流石に防戦一方です。
愛刀を折られたのもそうですが、手負いといえど熟練の剣士二人と相手取るのは、流石に厳しいようです。
しかも二人とも力自慢。
下手に受ければ簡単に押し切られると見て、回避を取り続ける他ありません。
(貧乏くじを引かされたようだな)
狙うとすればまずは唖涯でしょう。
安謝のレベルが10とすれば、弁慶は9、唖涯はせいぜい5~6です。
唖涯を先に沈めれば十全に戦えるのは間違いない。
しかしそれが出来ないのは、ひとえに弁慶のせいです。
怒りに染まった唖涯の攻撃。
隙だらけのそれを、弁慶がわざわざカバーすることで、打ち込む隙が全く産まれないのです。
仮に攻撃が通ったとて、決定打にはなりえず。
安謝は防戦に回らざるを得ませんでした。
とはいえ、安謝も大したものです。
左右前後に人がゴッタ返す乱戦の中、避け、躱し、時に惑わし。
二人相手にひとつも傷を受けずにいなし続けています。
「──かァッ!」
ひらり、と人混みを避けるために二階へと逃げ込んだ安謝。
そんな彼に唖涯もまた喝と共に跳躍。
大上段に構えた太刀で、飛び込み、通路すら巻き込む強烈な一撃を叩き込みます。
「シッ!」
「っ!」
一撃の隙を見て得意の突きを放つ安謝。
が、思った通り弁慶が間に入って鉄棒を盾代わりに弾き。
直後、唖涯がぬるっと近づいては、強い踏み込みと共に斬り上げが襲います。
分断も出来ぬとなると、流石に勝ちの目は薄い。
安謝は軽やかにバク転をして距離を取ると、ようやく一息いれます。
「ふぅ……ヒヤヒヤするな。だが、悪くはない。悪くはないが……ひとつだけいいかな? 唖涯。一体何があった? 一日も経たずしてここまでの代わりようは、流石に驚く」
「……」
「青龍に何かをされたのか? それとも捕らえられてる間に、何かがあったのか?」
唖涯は何も答えません。
答えませんが、彼の殺意が更に強まります。
反応を見て、安謝はなるほど、と頷きます。
「人情というやつかな?」
「……」
「いや、くだらないとは言わぬさ。私とて血の通う人間。情も義もどちらも持ち合わせているつもりだ。だが、面白いと思ってね」
「面白い……だと?」
「あぁ。──今まで見て見ぬ振りしたのに、いまさら情に
その言葉を聞いた瞬間、唖涯は脱力と緊張をうまく使って全身を沈め、瞬く間に肉薄していきます。
その巨体に見合わぬ素早い動きは、今日一番と言えるほどの速さ。
地を這い、肉を求めて飛びかかる一撃に、安謝は笑います。
「はははは!」
二階から飛び降り、さらに剣を連ねる二人、いや三人。
弁慶も唖涯のサポートを続けるつもりなのか、交互に攻撃を合わせていきます。
しかしそれは、何も唖涯を信頼してのものではなく。
ただ利用出来るからこそ合わせているに過ぎません。
(……安謝の野郎。持久戦に持っていこうとしてるな? 煽るだけ煽って、隙を無理やり作るつもりか……面倒な奴だ)
安謝が選んだ戦略は、確かに一番賢いでしょう。
もとより大怪我を負っていた弁慶です。
気合で何とか乗り切っていますが、既に鈍い疲労感は拭えず。
このままのらりくらりと逃げられたら、いずれ二人のどちらかが倒れることは間違いないでしょう。
「……む?」
しかし安謝。
不意にどこかに視線を向けたと思えばニヤリ、と笑います。
それがブラフなのか、何なのかは分かりませんが弁慶が警戒をしていると、安謝はやにわに剣を納めます。
「……なんのつもりだ」
「どうやら潮時のようだ」
言葉の意味を図りかねていると、おもむろに声が響きます。
中年女性と思われる声。
それは喧噪の真っただ中である屋敷で、よく通りました。
「──恩智の狩魔、討ち取ってやったよッ!!!」
見れば、そこには呉服屋の女将が狩魔の首を掲げて大声を張り上げていたのです。
それを見て静寂の後、市民の雄たけびが響きわたりました。
体制に対し、市民が勝ち星をあげたのです。
赤半被達は守るべく頭を失い、みるみるうちに戦意を失っていき、降参の声をあげる者も少なくありませんでした。
「私も撤退させてもらおう」
「親玉が殺されたってのに尻尾撒いて逃げるのか?」
「ご兄弟が亡くなられたことは非常に遺憾だし、残念だ。だが、私の雇い主は狩魔様ではなくあくまで狡怒様だ。雇い主のもとに逃げ帰らせてもらうよ」
「逃がすと思ってんのか……!」
唖涯がずい、と前に出ますが、安謝は首を振ります。
「恨みを私にぶつけるのは構わないが……キミは先に弁慶に伝えるべきではないかね?」
「ッ!」
「おっと。屋敷にも火が回り始めたようだな。キミ達も早く逃げることをお勧めするよ」
それでは、という一言と共に足早に逃げていく安謝。
その逃げっぷりもまた見事で、あっという間に屋敷の外へと逃げおおせてしまったので、唖涯は動くことは出来ませんでした。
弁慶はようやく一息つきます。
狡怒こそ倒せはしなかったものの、恩智に乗り込んで生き残れました。
あとは娘を助け出すだけ……しかし、それよりも、安謝の言う事が気になります。
伝えるべきこととは?
弁慶が唖涯を伺うと、唖涯は一転して怒りを納め、項垂れています。
……まさか。
「弁慶」
「助、角」
背後から現れた、八百屋と魚屋の二人。
血だらけで、少なくない刀傷を負った二人ですが、その表情は明るいです。
弁慶の肩を叩くその様子は生き残れた喜びと、恩智を打倒した達成感に満ちていました。
「吉住の爺さんがやってくれたようだ。自分の命を使って、狩魔の足を止めたとさ」
「……そうか」
「あぁ。だが、これでお静ちゃんを探せる。……ところで、コイツはどうするんだ?」
二人の敵意が唖涯に向かいます。
いかに唖涯が反逆したといえど、すぐに不信感が拭える訳がありません。
視線にさらされた唖涯は、ぐ、と両手を握りしめると決心したように顔をあげます。
「……ついてきてくれ」
唖涯が向かう先は隠し通路。
火の手が伸びつつある場所です。
よりにもよって何故そこに、と三人が驚いていると、唖涯は煙に飛び込みます。
まさか逃げるのか!?
そう驚いていたのですが、すぐに足音が戻ってきます。
そして、煙の中から現れた唖涯が持つものは。
「あ、ああああ」
薄汚れてしまったお静でした。
唖涯の上着をかぶせられた彼女はぐったりとしており。
まるで息すら忘れていたかのように動いていませんでした。
「お、お静っ!」
「お静ちゃんっ!」
弁慶が慌てて腕からお静を奪い取ると、揺すります。
早く目を覚ましてくれと懸命に、必死になって声をかけます。
美しかった白い毛は、今や黒く煤け、その肌には様々な暴行の跡が残されていました。
「お静っ、お静っ! おいっ! もう大丈夫だっ、助けに来たぞっ!」
「……」
「おいッ! お父ちゃんだぞ、頼む! 起きてくれ! なぁ! 大丈夫だ、俺ぁ生きてる! だから!」
「……弁慶」
「なぁ、頼むっ……頼むよ、弁慶……頼む……何で、どうしてこんな……! お静っ、起きてくれ……起きてくれよぉ……!」
弁慶は膝をつき、項垂れます。
助と角はかける言葉を失い、ただ彼の肩に手を置くばかり。
唖涯は、背を縮こまらせる弁慶にこう言います。
「……お静は俺と一緒に捕らえられたんだ」
ピクッ。
弁慶の耳が反応します。
「俺が最初にお静を見つけたのさ。医者の元へ駆け寄るアイツをな。そして見つけて……恩智に連れ去られた。青龍のことを聞かれて答えたのに、ずっと拷問されてさ。可哀想な奴だよ。コイツは何も関係ねえっていうのにさ」
「テメェ……!」
助が怒りにふるえて刀を抜くと、唖涯は逆に刀を投げ捨てます。
そして大声を張り上げました。
「あぁ斬れよ。そうさ俺だ。俺が悪いのさ。俺がお静に声をかけなきゃこうならなかった……こうならかったんだ! 拷問されて、死ぬこともなかった!」
火の手が伸びる屋敷の中で、唖涯は震え、そして吐き出します。
「代わりに俺が拷問されれば良かったのさ! それで、そのままおっ死んじまえば良かった! なのに、俺は……俺は生き残っちまった。お静を置いてな! そんなのおかしいだろう!? 公平じゃねえだろ!? えぇ!?」
「お前……」
「どうして俺じゃねえんだよ……俺が代わりに死ねば、死ねばよかったのに……ッ!」
ひとしきり、体を震わせて叫んだ唖涯は、覚悟を決めた顔を見せると両手を広げて叫ぶ。
「殺せよ」
「……!」
「俺ぁお前らの大嫌いな恩智だ。殺して然るべきだ」
「……」
「俺はな、お前の大事な一人娘を殺したんだぞ!? さぁ殺せ! 敵を取れッ!!」
どこか狂った目で処分を求める唖涯に対し、娘を抱いていた弁慶がふらり、と立ち上がります。
その片腕には、分厚い鉄棒。
弁慶らしい無骨な作りのそれで、俺をぐしゃぐしゃの肉塊にしてくれるのか。
なるほど、クズにはふさわしい末路だ。
唖涯は鼻息荒く、その瞬間を待ちます。
そして弁慶がゆっくりと近づきますが……。
「……」
彼は、ただ彼の横を素通りするだけでした。
唖該は唖然とします。
ここまで来て、俺を見ないのか。
俺は、何をしようともお前にとって無意味な存在なのか!
「お、おい弁慶……弁慶ッ!」
「……屋敷が、崩れるぞ。早くここから離れろ」
「お前、何で俺に……どうして俺を見ねえ! お前は、お前はなんだって!」
「死にたがりを殺すほど、俺は落ちぶれちゃいねえ……それに……お前は、真偽はどうあれ……お静を助けようとした。違うか?」
「だが助けられなかった!」
「だとしてもだ……俺ぁな、お前に恨みを置くことはできねえ……できねんだ」
「……何でだよ」
「……俺ぁ……奪うより、与える側になりてえんだよ……」
娘の躯を抱いて、どこか虚ろな様子を見せる弁慶。
その小さくなった背中を見て、唖涯は立ち尽くすほかなく……その不甲斐なさに、再び涙を流すのでした。