吾輩はエスピナスである   作:RKC

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4話

 吾輩はエスピナスである。名前はまだ無い。

 人からエスピナスになり果ててまで何を為すべきなのか、とんと見当がつかぬ。

 しかし人の頃、定期的に患っていた将来への漠然な不安というものが無いのは明らかに良かった。

 

 希望もないが、絶望もない。お気に入りの場所とランゴスタ、ドクガスガエル。たまにランポスでも食べられればそれ以上の事はない。

 

 しかし、ふとしたことでお気に入りの場所を失うばかりか怪我まで負った。さしもの吾輩もこれには気を落とした。

 

 あのにっくき太刀使い。……否、今や過ぎた事。憎しみを抱く情熱すらなく、特に何も思わない。

 

 とはいえ向こうはどう思うだろうか。思い返せば、あの太刀使いは麻痺の筋弛緩で失禁していた。

 その時には戦意を無くしていた風に見えたが、そこまでの屈辱を受けて吾輩を恨む事もあるかもしれない。

 

 そうなると、今度はより多くの狩人を率いて吾輩を狩りに来るだろう。その前に居場所を移ってしまおうか。元お気に入りのこの場所も、今や荒野同然。離れて惜しい地では……。

 

 

 

 気づけばうたた寝。どうにも、この体になってからは深く考えるのが苦手だ。思案の果て、途方に暮れる憂き目に逢わぬのは良い変化かもしれぬ。

 

 さておき、あれから何も食べていない。怪我を癒すために栄養を取らなければいけないにも拘らず。近くをランゴスタが飛び回ろうと、首を伸ばす気にならない。

 

 ただ、断食が免疫を高めると人の世でも流行ったように、空きっ腹こそ傷の治りに良いのかもしれない。消化にもエネルギーが必要だ。

 現に吾輩の体は落とし穴の中でうんともすんとも言わぬ。

 

 ぼぉぅと放心していると、見覚えのあるロリババアが姿を現した。

 

「あれ、お前さんは……お前さんという認識で良いのかえ?」

 

 ロリババアはとぐろを巻いた吾輩の尻尾をめくる。

 

「先日ぶりじゃのう。遠くで煙が見えて様子を見に来たのじゃが……これはお前さんが?」

 

 巨木が倒れ、木々が散乱している光景を前に聞かれた。僅かに首肯する。

 

「相当派手にやりあったのじゃな。傷も痛々しい。ガノトトスの恩もあるのじゃ、少し介抱してやろう」

 

 ロリババアはポーチから緑の液体が入った容器を取り出す。回復薬だろうか。とろりとした粘液が吾輩の頭に撒けられる。粘りを帯びているのはハチミツを混ぜた回復薬グレートだろうか。

 

「ここが特にひどいのう。お前さん、少し身を乗り出すのじゃ」

 

 ライゼクスからライトニングブレードを受けた所に回復薬をすり込まれる。

 

「グル……」

 

 流石にしみるのであった。身じろぐと、ロリババアに背中をバシバシと叩かれる。

 

「ほれ、我慢せい。男の子……男の子じゃよな?」

 

 落とし穴の隙間から股間を覗き込まれた。

 

「男の子じゃな。男の子じゃから少しは我慢せい」

 

 ともかく手当てとセクハラを受けた吾輩は安穏とした心地で落とし穴に寝そべる。

 

「それにしても落とし穴とは。同胞(はらから)が一方的に迷惑をかけたかもしれんのじゃ。すまんのう」

 

 ロリババアは近くの倒木に腰かけ、背中の狩猟笛を胸に抱える。そのまま重低音を奏で始めた。

 その旋律を聞くと、どうにも傷口がむず痒い。治癒力が高まっているのだろうか。そうすると狩猟笛が奏でるのは回復系の旋律。

 

「竜のお前さんにとって心地よい音色かは分からんが、効能の方は保証するからもうちと、じっとしとるのじゃぞ」

 

 それから太陽が20度ほど傾いた頃。大分、傷の具合が良くなった。手当があったとはいえ、僅かな時間でなんという回復力か。

 

 そして容態が良くなると空腹が気になるように。短い断食を終えて、久しぶりの食事はさて何にしようか。

 

 悩むまでもない。首の届くところに食事があるではないか。ごてごてとしたモノブロス装備が硬く、食べにくそうだが空腹を止められるのなら大した問題ではない。

 

 とはいえ人としてどうなのだろうか。傷の手当てをしてもらった相手を我が糧にするなど。あまりに人でなし。

 いや、今は人でなく竜ではないか。がっはっは。

 

 1人ノリツッコミを終える頃には、すでにロリババアへと首が伸びていた。

 

「こりゃ」

 

 しかし、動かした頭を狩猟笛で叩かれる。

 

「元気になった途端捕食とは。それも恩竜人を。節操ないのう……変に懐くよりは野性として健全なのじゃろうが」

 

 叱られるも、気分は良い。

 恩ある者を腹が減ったという理由で食べられそうであった。これは物心ついた頃よりほぼすべての人間に課せられる、道徳や罪悪感といった楔。それが無くなった事の証明であろう。

 

 今の吾輩であれば落ち込んでいるかまちょ、仕事に忙殺されている同僚、産気づいている妊婦。全て束でかかってきても、吾輩の歩みを止める者はおらぬ。

 

 落とし穴から這い出て頭をちぴちぴちゃぱちゃぱと揺すり、喜びを表現する。

 

「何というか……気ままじゃのう。まぁ、びーじーえむ係でも務めてやるのじゃ」

 

 そこからは、スタミナ減少無効の旋律でも吹かれていたのか、日が落ちるまで踊っていた。

 

 

 

        ♢

 

 

 

 ともかく腹が空いた。疲れないのを良い事に浮かれ散らかしていると、ロリババアが帰る頃には腹と背中がくっついたかと紛うばかりの空腹。

 

 冷静に考えると、スタミナ減少無効などというおかしな効能に大きな副作用が無いと考えるのはあまりにも呑気だ。持久力の前借りをしているのか、大層な疲労感にも見舞われている最中。

 

 これではとても狩りに行く気にはなれない。さりとて餌が近くに寄って来るのを待つのもあまりに運任せ。

 

 竜の甲より年の功。あのロリババアがこの状況を狙ったのであれば大した狩人だ。なんたる狡猾、なんたる老獪か。

 

 吾輩は仕方なくかつての縄張りから離れ、行く当てのない徘徊に身を投じる。

 

 ティガレックスをも凌ぐ豪脚は、今や見る影もなく。とぼとぼと歩みを進めていると、ランゴスタが気絶しているのを発見する。

 

 なんと、これは神が吾輩に与えたもうた施しか。一口で平らげる。そして奥を見ればランゴスタやカンタロスが点々と落ちているではないか。

 

 まるでヘンゼルとグレーテルの童話。誰かが道しるべとして撒いたかのような甲虫たちを拾い食いする。

 

 とぼとぼからてくてくに威勢を取り戻す頃。洞窟の入り口を抜けると、そこには素敵空間が。

 

 入り口が2つあるおかげで風通しが良く、程よい湿気。外から流れ込む清水の川。洞窟の上は吹き抜けで満月の光が優しく差し込んでいる。

 

 次の縄張りにするのに申し分ない場所であった。ライゼクスが寝そべっているのを除けば。ヘンゼルはお前であったか。

 

 それも吾輩が撃退した個体であるらしく翼膜は傷つき、大分衰弱している。吾輩はブレスを吐く要領で口に濃毒血を溜めた。

 

 唇が無いため口端からはしたなく毒をこぼしながらも、ライゼクスの前までにじり寄る。永遠の眠り姫にするため、お休みのキス。

 

「……カ、グ……キュル、ル……」

 

 異物に目を開いたライゼクス。しかし、すでに麻痺が回り動けない。そのまま劇毒で仏になるのを待つばかりだ。

 

 念のためディープな奴をかます。少し離れた所で寝そべった。水の流れる音が心地よい。やはりここを縄張りに選んでよかった。

 

 目を閉じながら、人生と竜生合わせてのファーストキッスであったと思いを馳せつつ眠りにつく。

 

 ……ぽっ♡。

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