目を覚まし、闇から抜けるために瞼を開くが何も見えず。背景が黒から白に変化したのみ。異様な事態にのんべんだらりとするにもいかず。
まるで雲の中に囚われたような光景だが、脚が地を踏む感触はあるのだ。下を見ればどうにか地面を確認できた。
白の中を初めて立った子供のような足取りで探る。見えるよりも先に生えかけの頭部棘が壁にぶつかった。顔を横に向け、壁に頬ずりしてようやく姿を捉えられる。
そのまま壁を削りながら歩くと急に壁が消えた。支えを失い、つんのめって地面に下顎を擦る。感触は先ほどの硬質よりも柔らかい。土、少し湿っぽい。
この視界の悪さは霧だろうか。自分の脚の爪すら見えない濃濃霧。しかし、いつもとやる事は変わらない。寝そべって食事を待つだけ。
どうせ首の届く距離にしか食指を伸ばさないのだ。羽音やゲコる声を聞き逃さなければ、この視界の悪さもほとんど気にならない。
地に伏せ、獲物を待つ。しばし経つとランゴスタの羽音が聞こえ、視界内に飛び込んできた。
口を開けて首を伸ばす。
しかし吾輩の咬合は空を切った。この距離で外す、か?
少し経つと再びランゴスタが近付いて来たが、すぐにはがっつかず。
見ればランゴスタも妙な飛び方をしている。酔っ払いのような蛇飛行。
思えば吾輩も壁に頬ずりしていた時、支えが無くなっただけでよろけていた。加えてこの濃霧といい。
次の瞬間、虚空に泥玉が現れる。粘着質な音と共に、泥玉は吾輩の顔面にかかる。
目を閉じて頭を振る。液体を振り払って瞼を開くと霧は薄く、前が開けていた。
薄い霧の中、何もない空間に紫色が現れる。紫は次第に輪郭を作り、見覚えのある顔を作りだした。
特徴的なギョロ目、長い舌。自慢のステルス能力で生首だけを空中に浮かせているオオナズチ。霧を操り、体表に電気を流して色を変え、催眠ガスで相手の五感を鈍らせる事で透明化を可能にする霞龍。
霧も五感が鈍かったのもこいつの仕業であろう。
「クルル」
吾輩の顔前で目を産業用ロボットのごとく小刻みに動かしながら、舌を波立たせる姿はこちらを挑発しているようにも見える。
うっとおしいので首を振って牽制。オオナズチというのは古龍にしては攻撃性の少ない種であったはずだ。早く引き取ってもらいたい。
オオナズチは吾輩の頭を避け、こちらに背を向ける。とはいっても頭以外透明なせいで頭の後ろが見えるだけだが。
次の瞬間には見えない何かに頭を押さえつけられる。奴の尻尾だろうか。頭を振り上げて跳ねのける。
わずかに動いたばかりだが、体が怠い。最初に吐きかけられた毒液は減気効果のあるものだったか。
疲れたのでその場に蹲る。オオナズチは舌で吾輩の頭をシバいてくるが無視。その内、奴は吾輩の背に前足をかけたり、耳に木の枝を突っ込んで来たりといたずら坊のような振る舞いをして来る。
その度に吾輩の顔を覗き込んでくるようなしぐさを見せるのが非常にうっとおしい。
このようなかまちょは放置するのが一番良いようだ。しばらくするとアピールの種類も品切れか、つまらなさそうに姿を眩ましていった。
♢
オオナズチが帰ってから日が20度ほど登った頃。何か重い物が転がる音と複数人の話し声が聞こえる。
「ほ、本当にここ通りますの……?」
「あ奴はちょっかいをかけぬ限りは大人しいのじゃろう? どんなもんすたぁが居るか分からない所を進むよりは安全だと思うのじゃがな」
「そ、それにこの道が一番近道ですからぁ……」
「そうそう。お前のビビり以外に迂回する理由がないってわけ」
「び、ビビッていませんわよ! その証拠に今日はオムツを履いていなくってよ!」
「それは至極当たり前の事なんだよな。今日は俺に近付くなよ」
「私の膀胱に対する信用がストップ安!? というかフィーさん、無言で距離を取らないでくれます!?」
「膀胱が緩いからといって恥ずかしがる必要はないのじゃ。気持ちは分かるが、己の衰えを受け入れ、劣った分をどのように補助するのかが肝要であろう」
「衰えていませんが!? 一番されたくない先輩面の仕方やめていただけます!?」
例の四人が物資を乗せた荷車を押したり引いたり。吾輩の前方を通る。
「ひゅっ……!」
「相変わらず寝ておるのう」
「し、正直鳥肌立つぜ……。前にやり合った時の事を嫌でも思い出す……」
「た、戦った事あるんですかぁ……?」
「あの! 私の下半身に目を落としながら聞くのは止めて貰えます!? セーフでしたから!」
「そこのお漏らしと一緒にヤったが、生き残ったのは運が良かったからだな。原始的で粗暴な癖に動きがいちいち理にかなってやがる。戦闘IQが高いってのはああいうのを言うんだろうな」
「お漏らし呼び止めていただけます!?」
そのようにがやがやと通り過ぎていく。霧は足元に残る程度であった。
♢
しばし経って。
「さ、流石に疲れましたわね……。少し休憩いたしませんこと?」
「はぁ? さっき強走薬飲んだだろ? 何へばってんだ、効果切れたならもう一杯飲んどけ」
「いえ、効果が切れたわけでありませんが……み、皆様は疲れませんの?」
「強走薬飲んだので全然ですねぇ……」
「儂もじゃよ。まだまだいけるのじゃ」
「な、何か皆様の様子が……心なしか目がバキバキになっているような。というか、いくら強走薬を飲んでいるとはいえ、全く疲れている素振りもないのはおかしくありませんか!?」
「何言ってんだ。強走薬が効いてる間は無限に活動できるに決まってるだろ。へばってるお前の方がおかしいぞ」
「然り。運搬仕事には強走薬じゃのう。これさえあれば疲れ知らずじゃ」
「そうですよぉ……。もしかして調合を間違えて効果がなかったですかぁ……? 私のを分けてあげますからぁ、どうぞ……」
「うっ……! な、何ですのこれ!? そこはかとなく生物に対して危ない作用をしそうな臭いと色! 明らかに服用してはいけない雰囲気が漂っているのですが!?」
四人組と再びのエンカウント。向こうはこちらに気づいていない。
霧が少し濃くなっていた。
♢
しばし経って。例の4人と3度目の遭遇。霧が濃く、声だけが聞こえてくる。
「日も登って来たのに、霧が出ていますわね……。妙ですし、一度霧が収まるまで休憩いたしませんか?」
「確かにな。それはそれとして、罰ゲームの闇ドリンク漬けにが虫は食べろよ」
「ぐぎぃ……! 普通、モンスターを見失った時は上空のフクズクに教えてもらうか、痕跡を集めて導蟲を辿るでしょうに……!」
「いや、普通は千里眼の薬だろ」
「然り」
「私の地元は万里眼の薬もあるんですけどぉ、たぶん千里眼の方が被りやすいかなって……」
「というか何ですの! 千里眼の薬て! どういう原理でモンスターの位置が分かるようになるんですの!?」
「第六感が研ぎ澄まされるんだよ。それで何となく分かる」
「滅茶苦茶オカルト!? ちょっと飲んでみたくなりましたわね……」
「ならば、そのにが虫を漬けておった汁には千里眼の薬も混ざっておるでの。少しは効果を感じられると思うのじゃ」
「そ、それは大丈夫ですの……? 一応、漬け汁の調合を聞いてもよろしいでしょうか?」
「そうじゃのう。千里眼の薬、元気ドリンコ、トウガラシ、増強剤、栄養剤、活力剤……以外には覚えてないのじゃ」
「人に食べさせるんでしたらちゃんと成分表示してくださる!? なんですの、その有る物全部混ぜドリンクは!? その上にが虫まで漬け込んで!?」
「これが意外と良い気付けになるのじゃ。昔には気づいたらもんすたぁの睡眠ガスで意識を失っていた事もあるでのう。たまにこれを齧っておくと助かる事もあるのじゃ。霧も深いことじゃ、儂も一口」
「そ、そんな躊躇なく食べて! そ、そもそもにが虫は苦汁だけを抽出して素材の調合に使うか、好き者が環境生物として愛でるかという使い道が一般的でそのまま食べるなどという無謀な事は」
「良いからお前もさっさと食え!」
「ア”っ”ッ”ッ”ッ”っ”ッ”ッ”ッ””ッ”ッ”ッ”!!!!」
太刀使いからフルフルの咆哮もかくやという声がした。
「不味いのう……」
「……不味いですわね」
「にが虫食べたんですから当たり前じゃないですかぁ……?」
「そうだぞ、何当たり前の事をしみじみと呟」
「伏せるのじゃ!」
「伏せなさって!」
次に瞬間には鈍い音と、塊がいくつか落ちる音が聞こえた。
そして次第に霧が晴れていく。目の前に広がるのは例の4人、荷車、散らばった荷物。そして荷物を舌で巻き取り、敵将の首でも討ち取ったと言わんばかりのオオナズチがいた。