百九話
趙の王都である邯鄲では劇的な事が何度も起こった。
李牧が処刑される段階になって、突如、趙の国王である悼襄王が急死したのである。するとこれを機として、趙において次代の『名君』だと噂され、期待されている趙の太子である嘉が動いた。
悼襄王を諫めた事で地下牢に投獄されていた優秀な国士たちに李牧を解放したのだ。
太子、嘉は李牧に心酔もしているが故であり、そして、李牧の指示で邯鄲の周囲にある武城と平陽を守るための前線であり、防衛網を構築している扈輒の軍に精鋭で構成された邯鄲軍を援軍として送ったのである。
このままいくと趙は『強国』として生まれ変わるところであったが、そうならないように李信は仕込みをしていた。
悼襄王が死ぬ前に李信が通じている者を通して、悼襄王に近しい性質を持っているとされる末子の遷に王位を継がせるという内容の遺言書を残させたのだ。
これにより、李牧一派と次代の王になろうとした太子、嘉は邯鄲から逃げるしかなくなり、嘉が解放した国士も一族もろとも処刑されてしまった。
そうして、嘉は李牧の力で『法紹』へと逃げ延び、李牧一派は最初、司馬尚のいる『青歌』に逃げ延びながら、戦力として力を借りようとしていた。
しかし、こういった事を予測して、先に密かに国交を結んでいた李信の手回しもあって司馬尚から拒否され、李牧一派は『雁門』に逃げ延びるしかなくなったのだ。
その後、李信の更なる手回しとこれに協力した趙の朝廷により、李牧一派と太子である嘉は趙の王権を奪おうとした悪逆の者達となってしまい、その名は墜ち始めていったのであった。
ともかく、趙は内戦を起こし有力な者達を失ってしまった状態だ。
「此処からは長期的な攻めをします」
「長期戦ですか……」
「はい」
李信は集めた王翦達へ自分の戦略を発表する。
それは消耗戦である。
まず、確かに扈輒は厳重な防衛網を仕掛けていて、これに更に強力な邯鄲軍が加わって強固となったが、しかし、結局は一時的なものである。
本来ならば北部の軍を動員するべきだが、これは『閼与』から楊端和軍らが封鎖しているので無理である。
東部の軍はというと、現在は『燕』に深く食い込まれていて、しっかり、圧力をかけられているのでこっちを動かせば、燕に王都まで近づかれてしまうのでこれも無理だ。
なら、後はゆっくりと足並みを揃えて攻め込んで前線を押し込んでいけば、扈輒軍は防衛網を維持できなくなっていく。
消耗戦に耐えられるものでは無いのである。
「(まあ、幾つかの戦略はあるが……ともかく、ゆっくりじわじわと追い詰めていくからな。扈輒)」
李信は扈輒をゆっくり葬るべく、軍を動かし始めるのであった……。