■■島豪雨・地震から89日後⑦
頭は天見さんが心配で仕方がない。腹の底では、もしかすると彼女を──と夕空も──見つけ出したとしても連れ戻すのは難しいのではないかと考えてしまっている。行方不明者を発見しても事件性が無い限り、俺たち警察は強制的に捜索願の提出者に会わせることはできないのだ。
天見さんの意思を確かめるための段取りを考えていればようやく、タクシーは小淵家に到着する。
ごく普通の一軒家。緊急性のある事件にもなっていないから、立禁テープは張られていないが、閑静な住宅街にパトカーが一台でも停まっているとやはり住民の目を引く。犬の散歩をしている主婦が俺の後ろを通りがかるが、わかりやすく緊張感が伝わってくる。
インターホンを押すと50代の女性が出てきた。古淵夕空の母親だろう。憔悴していそうだが、会話は問題なさそうだ。
玄関先には靴が4足ある。その内2足が女性用のスニーカー。母親と、夕空の妹のものだろうか。
「この人、家に来ませんでした?」
挨拶も早々に切り上げ、俺は天見さんの写真を母親に見せる。
きっと、記憶に新しかったのだろう。すぐに頷き、教えてくれた。
「3日前に夕空が連れてきました。お友達だとかで……」
「そうですか。ありがとうございます。──2階、失礼しますね」
やはり、天見さんはこの家を訪れていた。
たぶん、無理だろうなと俺は諦めかけていた。母親には申し訳ないが、夕空に帰ってくる意思はない限りここまで連れてくる権限は警察にない。学生と言っても、もう18歳だ。成人している。本人意思が尊重される。
俺にとっても残念な結果だ。いったいどちらの発案か知らないが、天見さんは夕空と一緒に姿を消した。戻ってくるつもりはないだろう。仕事を無断で辞めてまで、年下の女にそこまで入れこめるものなのか。元からそう言うタイプの人だったのか。だとしたら、俺は最初から脈ナシだったわけだ。虚しくなってくる。
結果が見えていようが、警察が相談を受け、上司が俺に命令を下した以上は仕事するしかない。こんなに気の進まない事件も久しぶりだ。
夕空の自室に入ると、巡査と鑑識が挨拶と説明をしてくれる。
母親と協力のもと振り分けた、夕空のではない持ち物が並んでいた。
写真でも送られてきた天見さんの私物だ。
鞄、化粧品、手帳、警察手帳、リップクリーム、パスケース、スマートフォン……。財布には現金どころかカードまで残っている。こんな状態でいったいどこへ駆け落ちするつもりなのか。お金の必要のない、恋人たちが幸せに暮らせる楽園を2人は見つけたのだろうか。俺も行ってみたいものだ。
「これもでしたっけ?」
ベッドに衣服が並べられていた。トップスやパンツだけじゃない。靴下や下着。アクセサリーまで。警察官の制服が広くない部屋に固まっているおかげで生々しさは薄れているが、なんとも趣味の悪い光景だった。
「ああ、これですか。やはり、これも古淵夕空のものではないみたいでして」
「じゃあ、家族の?」
「いえ、それも違うみたいです。母親曰く、家族の誰のものでもないと」
まさか、天見さんは全身着替えて、この家を出た? そうまでして人生を切り替えたかったのか? 気分を変えるために服を着替えるのは理解できる。しかし、下着まで変えるものなのか。女心にもう少し理解があれば、俺はこの状況から何かを見出せるのだろうか?
「放置の仕方も少し不自然でした」
そう言って見せてくるのは部屋に入った直後の写真だ。一見して片付いているが、これらの衣服だけがベッド上と下に固まっている。脱いだものをそのまま纏めたような印象だ。
「上半身に身に着けるものはベッドの上。それ以外は下に置いてあるように見えるが……」
写真ではトップスとズボン。それと片側の靴下しかハッキリと写っていない。
「その通りです。トップスの下。──いえ、中ですね。中にはインナーとブラジャーが。ズボンの中にショーツが入っていました」
「中?」という表現に若干の疑問が残る。
俺の疑問に察した巡査がズボンを手に取り、ショーツを腰のところから中に入れ、床に置いては撫でるように整えた。
「こんな風に、履いているものを重ねたまま脱いだような状態ですね」
「それは、そう言うことなのでは? 脱いだか脱がされたかは定かじゃないけど、ズボンと下着は一緒に脱げますよね」
「トップスもですか? インナーはともかく……」
「あ、あー……。そうか、そうですね……」
巡査が言い淀んだのは、彼女が女性だからであろう。今日会ったばかりの異性に服の脱ぎ方を説明するために仕事だと割り切るには彼女はまだ若いみたいだった。
トップスは厚手のニット。その下にインナー。ブラはバックホックのタイプ。……無理ではないが、ニットとインナーの2枚越しにホックを外すのはなかなか面倒だ。
ニットの下に手を突っ込めば難しくもないが、何となく夕空にしては情緒が希薄な気がする。天見さん自らに外させるのも同じように想像できない。
「重ねて脱いだことがそれほど重要なことなんですか?」
「それほどまでに焦っていたかどうかが重要ってところですね」
そうは言っても、服の散らかり具合にこれ以上重ねる議論もない。ひとまず、ここにある天見さんのものらしき物品は回収して撤退しよう。
母親に挨拶をして、取り急ぎ俺だけ家を出ようとしたとき、ちょうど次女が帰ってきた。
「あ、」
俺を見つけるなり、次女が一歩引いた。あどけない瞳には警戒の色が宿ったが、この手の反応には慣れている。
警戒心を和らげるため、警察手帳を取り出して名乗る。
「少し、お姉さんのお部屋を調べさせていただきました。それ以外のところには私と、私以外の者も誰も立ち入っていないので安心してください」
「はぁ……」
効果は薄かったようだ。次女はぎこちない愛想笑いを浮かべて会釈し、俺の横を通り過ぎていく。
俺も家を出ようと靴に足を引っかける。そのとき目に入った靴は俺のものを合わせて5足。今、次女が脱いだスニーカーが増えている。
この辺の公立高校は制服でも靴は自由なところが多いと聞く。
「学校に履いていく靴とお休みのときに履く靴は別で?」
階段を上る次女に声をかける。
「え……、まあ、分けたりしますけど……。どうしてですか?」
「我々のものではない靴が3つ玄関に出ていたものですから。じゃあ、ここに出ているもう一足のスニーカーは──」
「あ、あー、それ私のじゃないです」
「──? それではお姉さんの?」
「いや、おねえ──姉のものでもないと思います。姉が履いているのを見たことないですし」
「じゃあ、これは……」
「さぁ……、ただ姉がお友達を連れて来たって日から有ったような気がします」
もういいですか? と目で訴えられて次女を部屋に帰す。
俺は件の靴を写真に収めて、小淵家を出た。