祠を壊した理由   作:白夏緑自

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前日談です


■■島豪雨・地震発生1日目

■■島豪雨・地震発生1日目

T県S市M町派出所

 その日は朝から忙しかった。

 深夜から降り始めた予報外の大雨に市民へ避難勧告が出され、僕たちはその対応に当たっていたからだ。

 僕たちが管轄する地域は水害が珍しく、先輩も町内会の人たちも慣れていないせいで現場にて求められる判断が多く、無線がひっきりなしに飛び交っていた。

 幸いにもS市に流れる川は危ない水位に上がりつつも、一本も氾濫することなく雨は収まってきている。このまま街を覆う巨大な積乱雲が消えてくれたら、と思いながら休憩も兼ねて交番へ戻る。

 

「お疲れ様です。とりあえず落ち着きそうですね」

「おつかれ。お茶でいい?」

 交番に残っていた遠藤先輩が温かいお茶を出してくれる。喉を通り過ぎると身体の内側からじんわりと温度が広がっていくのがわかる。駆けずり回っていたときには気が付かなかったが思いの外、身体が冷えていたらしい。

 

「朝に起きた地震。津波の心配も無いらしいしこのまま何事もなく終わって欲しいよ」

「地震も……そう言えば、震源地近くに人が住んでる島があったんですよね。そっちは大丈夫ですかね」

 たしか、■■島と言ったか。一応、S市に含まれるらしいが聞いたこともない島だった。震源地が■■島の真下だと速報が入ったときには正直ピンとこず、だいたい皆、僕と同じ反応だった。

 幸いにも本当まで揺れは届かなかったが、■■島はどうだろうか。

 震度4と言えど、津波の心配もある。

 

「私の旦那が消防なんだけど」

「そう言えばそうでしたね」

「あれ? 教えたことあったっけ?」

「お会いしたこともありますよ」

 警察と消防隊員。全く別の職業だが、いつだったか小学校への特別授業の際に顔を合わせたことがある。その時は遠藤先輩の旦那さんなんて知らなかったが、向こうは僕が詰めている“ハコ”を知っていた(自分の奥さんの職場だから当たり前と言えば当たり前)。

 

「ああ、なんか言ってたなそう言えば」

「で、その旦那さんがどうかしたんですか?  僕たち以上に大変なんじゃ……」

「そうそう。大雨警報が出て対応してたんだけど、地震が起きたでしょ? ■■島と連絡が取れないらしくて」

「え、ヤバくないですか? 防災無線もですよね?」

「うん。最後に“祠が壊されていた”って入ったきりだって」

「祠? この風と地震ですからね。古いものは壊れるかもですけど……。それだけですか?」

「それだけ」

「無視でいいような気もしますけど……。そういうわけにもいかないですよね……」

「まあね。本土とほとんど交流は無いらしいけど、漁協の人曰くしっかりと住民はいるらしくて。さすがに無視できないから、こっちの体制組み直して向かおうとしたんだけど。海が荒れていて、船でも近づけないみたいでさっき陸に戻ってきた」

「じゃあ、今は?」

「漁協の応接室を借りて待機中」

「……なんで、先輩がそこまで知ってるんですか?」

「ラインが来た」

「業務中ですよね?」

「いいのいいの。家族だし」

「はぁ」

 そんなものだろうか。僕が新人だから固すぎるだけなのか。

 今も雨は降り続けているが、川の水位にはまだ余裕がある。土砂崩れが心配だが、山の麓周辺に住んでいる住人の避難は完了している。

 油断は出来ないが、気を張り続ける状況でもない……のかもしれない。

 だったら、家族へ連絡をするぐらいは許されるべきか。まだ、新婚だったはずだし。

 

 しかし、口ぶりのわりに先輩の表情は強張っている。まだ、状況は終わっていないのだ。いつ、緊急出動がかかってもおかしくない。警察の僕たち以上に、消防隊員の災害救助は危険が伴う。 

 僕が遠藤さんの立場だったら、いっそこのまま待機してくれていた方が安心するのかもしれない。どうだろう。たぶん、色々覚悟の上で結婚したのだろうし。

 これ以上は僕が考えることでもないか、

 

 新しいお茶を淹れようとポットから湯呑にお湯を注ぐと、カタカタと小刻みに震え始めた。あ、こいつはヤバい。大きいのが来る。直感を得て、慌てて入口を見やる。

 さすが、遠藤先輩は早かった。僕が倒れぬように湯呑を抑えている間にはもう、ドアを開けていた。

 地面を叩きつける雨音が一層クリアになり、遠藤先輩が声をかき消した。

 

 僕に何か言ったことわけじゃないとはわかっている。突発的な発声だった。驚きや恐怖のような、瞬間的感情の発露だった。

 

「どうかしましたか?」

 只事ではないことはわかる。まだ少し波立つ湯呑は放置して、僕も入口へと向かう。

 

「えっと……」

 軒先から3歩ほど離れて、一人の少女が立っていた。恐らく高校生だろう。傘をさしているが、豪雨のせいかずぶ濡れでブラウスは肌に張り付いている。仕事じゃなければ、目のやり場に困って逸らしていただろう。

 足元のジャージは濃い緑色の野暮ったいデザインだが、彼女の美しさに一片の陰りもさせていない。長い脚が一際目立っている。

 

 見たところ、学校指定のジャージといったところだろうか。腰には名字であろう【古淵】という刺繡が入っている。

似たようなデザインは多いうえに、把握もしていないのでこの辺の学生かどうかはわからない。

 

「あの、」

 彼女が白い息を吐いたところで我に返る。

 

「ごめんなさい、寒かったですよね。まずは中へ」

 遠藤先輩が声をかける。呆然から無理やり意識を入れ直した、どこか芯の抜けた声色。だけど、僕が感じた違和感はそんなところではなかった。

 

 噛み合ってはいけない歯車が回り出したような。溶けたゴムに指を乗せたら離そうとしてもくっついてしまったみたいに。片手を引っ張られたせいで、もう片方の手で持っていたものを置いてしまったように。

 なにか、僕に直接関わりはないが、それでも嫌な気分になる事象を目撃してしまった気分だった。

 

 通常ならカウンターで話をするのだが、入口近くだと外の空気が入ってきて寒いので、とりあえず少女を奥のデスクに座らせ、毛布を肩にかけさせる。

 

「それで、どうしたの? こんな雨の中。危ないわよ、女の子が一人で」

 こんなに手が冷たくなって……、と遠藤先輩が湯呑を持った少女の両手を包む。少女は俯いたまま、口を結んでいる。形の良い唇は紫陽花の色をしている。

 

 見てはいけないものを見ている。透けたブラウスに対してとはまた違う気を回してしまう。保護した少女へ話しかけている。それだけのはずなのに、どうして胸がざわつくのか。

 

 先輩の声色には聞いたことがない艶が乗っている。職場の人には聞かせない話し方。もちろん、困っている市民にも。仕事以上の感情が込められているのは明白だった。

 

 今、さっきまで旦那さんの心配を隠しきれていなかった人の、明らかな恋慕。20後半の女性が、目の前の10代かそこらの女の子の気を惹こうとしている。

 

 男の僕だからこそわかる。たしかに、この少女は美しい。目鼻立ちの通った横顔に濡れて張り付いた黒髪は扇情的だ。だけど、どこまでいっても彼女は女性で、学生だ。どれだけ時代が進んで、多様性に富んだとしても。

 既婚者がいきなり彼女に色目を使いだすだろうか。

 

 何かがおかしい。奇妙だ。今すぐ、遠藤先輩を少女の前から引き剥がしたほうが良い。そうでないと、間違いが起こる。そんな気配。

 

 適当な理由を付けて遠藤先輩を離籍させようと、声をかけようとしたとき、「私が、」少女がようやく口を開いた。

 風と雨が止んだ。もちろん、そんなことはあり得ない。窓を見れば、木は揺れているし雨粒は世界を線状に刻んだままだ。

 しかし、錯覚するほどに僕と、恐らく遠藤先輩も少女の声に耳を傾けていた。

 

 髪が張り付いたままの頬と紫色の唇を動かして、彼女が何を言うのか。自身を中心にハコを静まらせて発した言葉は意味のわからぬ一言だった。

 

「祠を壊したのは、私です」

 

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