皐月賞の序盤、激しい先行争いが繰り広げられていた。
6番のビッグプラネットが好スタートからハナを奪い、4番のコンゴウリキシオーも負けじと追走していく。
外からは15番のエイシンヴァイデンが果敢に並びかける。ハナを取ろうかの勢いで上がってきていた。
《激しい先行争いが繰り広げられています。ここから誰が抜け出すのか、誰がペースメーカーになるのか? ビッグプラネット、6番のビッグプラネットが逃げる構えか。1コーナーに向かっての先行争い、大外からはエイシンヴァイデンも押してきた。現在先頭を走るビッグプラネットへと向かっていきます。エイシンヴァイデンの後ろを追走、ハレヒノカイザーは外目につけている》
歓声を浴びて駆けていく出走馬たち。ドドド、と地鳴りのような音が響き、思わず体が震えそうなほどの圧。クラシックの第一戦、皐月賞が始まったのだと実感させられる。
ハナを奪ったのはビッグプラネット。そうはさせまいと上がってくるのは2頭、外からエイシンヴァイデン内からコンゴウリキシオーだ。ただ、先頭を奪ったビッグプラネットはすぐさま内を閉じて最内を確保。順調な滑り出しといったところ。
3頭を見る形で動く先行勢。ハレヒノカイザーはここに混ざっていた。
外からのスタートになった都合上、内へとの進路を早々に捨てたハレヒノカイザーに騎乗する岡邉。表情に焦りはない。
「この位置をキープだカイザー。無理に前へ行く必要はない」
岡邉の言葉通りに、ハレヒノカイザーは、たとえ競りかけられても追い抜かされても無理に動こうとはしない。指示に従い、落ち着いた状態でレースを展開している。
《第1コーナーを越えて第2コーナーへ。先行争いもそろそろ落ち着きを見せる頃。3番手エイシンヴァイデンの後ろにはダイワキングコン、内には外から進路を確保したアドマイヤジャパン。今日もいい位置につけているぞ、後ろに11番パリブレスト追走。先行集団の、ちょうど真ん中あたりでしょうか? この位置に2番人気ハレヒノカイザー、13番のハレヒノカイザーオレンジの帽子はここにいます》
《悪くない位置ですね。こういうところが上手いんですよねぇハレヒノカイザーは》
《内ではヴァーミリアンにダンスインザモア、さらにトップガンジョーが走っています。ディープインパクトは馬群の最後方、後ろから2番手の位置でレースを進めている》
後ろからのレース、ディープインパクトは行きたがる素振りを見せているが、鞍上の岳がしっかりと手綱を握る。まだだぞ、まだ行くんじゃないぞ、とコントロール。
ディープインパクトは素直に従う。まだ動かないと、しっかりと握られた手綱を通して伝わる指示のままに走っていた。
向こう正面へ入ると、さすがにペースを落としたビッグプラネット。隊列は変わらず、コンゴウリキシオー、エイシンヴァイデンと続いている。
《先頭を走ります、ビッグプラネット。ペースを握るビッグプラネット、少し早めのペースか? コンゴウリキシオー、エイシンヴァイデンと続きます皐月賞。エイシンヴァイデンからダイワキングコンがいて、内を通ってアドマイヤジャパン、アドマイヤジャパンが内を通っていきます現在4番手に浮上》
《ゲート前のやり取りも何のその。しっかりと折り合いがついていますね》
《パリブレスト、そして内にヴァーミリアンが続きます。ここにいました13番ハレヒノカイザー、ハレヒノカイザーはここにいる外の位置前から8番手! ダンスインザモア、トップガンジョーと続きます。トップガンジョーと並んでスキップジャック、マイネルレコルト。スキップジャックはうちのトップガンジョーと外のマイネルレコルトの真ん中を通過します》
騎手との折り合いがついていないと思われたが、レースになると話は別。アドマイヤジャパンはレースを進めていた。
位置取り争いは落ち着きを見せ、今度は脚を溜める段階へと入る。前半の1000mのタイムは──59秒台。やや早めのペースだった。
レースも半分が終わり、にわかに歓声が大きくなりつつある中山競馬場。いけ、頑張れ、の声が響き渡る中、ファンの視線は前ではなく、後ろへと注がれている。
ディープインパクト。まだ後方にいると思われていた馬に、鞍上である岳から、1つ鞭が飛ぶ。
それは、合図だ。
もう行っていいぞ
パシンっ、と鞭が入る。しゅるり、と手綱が緩む。察知したディープインパクトは。
待ってました
そう言わんばかりに、加速を開始した。
初速は緩やかに。それでいて確かに前との差を詰めるように加速する。あっという間に前を走っていたローゼンクロイツへと並んだかと思うと、勢いのままに躱す。
じわり、じわりと。ディープが加速する。他の馬を置き去りにするように、ディープの走りはキレを増す。
《まもなく第3コーナー、先頭はビッグプラネット変わりません。59秒台で通過しました前半の1000m、後ろからシックスセンスも行きますがっ、ここで。ここで後ろからディープインパクトが上がってきました! ディープインパクトが外から上がる! ここできましたディープインパクト! その後ろにはアドマイヤフジ、ペールギュント、外を通ってローゼンクロイツ。最後方はタガノデンジャラス!》
《ここできましたか! ここからディープの末脚が炸裂しますよ!》
《第3コーナーに入りました。ディープインパクトがグングン上がっていく、外から上がっていくディープインパクト!》
3コーナーの半分を過ぎる頃には、すでに真ん中まで上がってきていた。他馬はまだ加速をすることができず、控えている段階。
勢いのままに駆け上がるディープインパクト。そして、ディープインパクトと岳が──捉える。
前を走る一頭の馬。鹿毛の体毛に、ディープよりも少し大きい馬体。
最初に出会ったのはデビュー前の併走。次に会ったのは弥生賞。皐月賞を勝つうえで、最大の敵になると予想した相手──ハレヒノカイザーが前を走っていた。
「気ぶりすぎるなよ、ディープ」
岳の言い聞かせるような言葉。だが、お構いなしにディープは興奮する。
いた。みつけた
そんな声が聞こえそうなほど。ディープインパクトはハレヒノカイザーとの勝負を、楽しもうとしていた。
ハレヒノカイザーは……
ならば行く必要はない。ディープインパクトが自分の外から上がろうが、関係はないと控える構えを取る。
あくまで鞍上の指示に従うハレヒノカイザー。ディープインパクトは、特に何も思うことはないまま抜き去っていった。
《第4コーナーを越えました、ディープインパクトオレンジの帽子が、外を外を通って上がっていきます。中団から上がっていく、弥生賞と同じ展開となるのか? ディープインパクトが外から上がる》
一度は抜かれたハレヒノカイザー。だがここで、岡邉からの鞭が一つ入った。
鞭が入る。それが意味することは。
ディープを追え
口に出さずとも、鞭を通して自分の考えを伝える岡邉。
任せて
応えるように、ハレヒノカイザーは進出を開始する。
第4コーナーの展開はめまぐるしく動く。観客の目も頭も口も大忙しだ。
ウマや騎手を応援する言葉。会場のボルテージは高まり続け、もうすぐ最後の勝負だぞ、ということを認識させる。
そんな観客の目に映ったのは、外から飛び込んでくるディープインパクトとハレヒノカイザーの姿だ。
《さぁこれは弥生賞の再現か!? 弥生賞の再現か! 外から同じ2頭、全く同じ2頭ディープインパクト、ハレヒノカイザーが上がってくる! やっぱりこの2頭か、やっぱりこの2頭が突出しているか! 第4コーナーを回って最後の直線に入ります。横に大きく広がって、中山の直線へと入っていく18頭の優駿たち!》
《ここでマイネルレコルトが来ましたね! さぁここから並べるかどうか!》
《弥生賞の再現はさせないぞ、と。マイネルレコルトも外から上がる。だがやはりディープにカイザーだ! この2頭がレースを作る先頭ビッグプラネットを捉えた捉えた! さぁここからディープとカイザーの末脚が炸裂する! ディープとカイザーが突き放す! どちらの晴れ舞台となるのか皐月賞、他馬を突き放す2頭が先頭に立った! これは弥生賞の再現だ、弥生賞の再現だ!》
頭に浮かんだのは弥生賞。あの時も、ディープインパクトとハレヒノカイザーが全く並んだままで最後の直線に入ってきた。そして、あの時通りならば──期待を抱くディープファン。
しかし、ディープファンの目に映ったのは衝撃の光景。
「でぃ、ディープが徐々に離されてる!?」
「そんな! 負けないでくれー、ディープ!」
少しずつ差を広げられる、ディープインパクトの姿。並んでいるハレヒノカイザーが、ディープインパクトを突き放そうとしている光景だ。
歓喜から一転、絶望に叩き落される。負けるなと、勝ってくれとありったけの思いを叫ぶ。
ディープが負けるなんてありえない。彼は未来の三冠馬だ。一冠目で躓いていいはずがない。ディープファンの思いを砕くように、ハレヒノカイザーが少しずつ差を広げている。
《ハレヒノカイザーが前に出る! ハレヒノカイザーが前に出た、弥生賞の再現はさせないぞディープインパクト! 勝つのは俺だとばかりにハレヒノカイザーが末脚を炸裂させている! ディープこれはちょっと苦しいか!? 後ろからはシックスセンスが上がってきている。だがディープインパクトとの差は3馬身から4馬身は開いているぞ! 半馬身抜け出したハレヒノカイザー残り200m! これは凄いぞハレヒノカイザー!》
悲鳴に罵声。中山競馬場に広がる負の感情。そんなことは知らないとばかりに、ハレヒノカイザーはディープインパクトを突き放そうとする。
思わず、隣に目をやってしまう岳。ハレヒノカイザーの実力を、強さを肌で感じる。
岳はデビュー前から、併せで最初に走った時から予感していた。
ハレヒノカイザーこそが、ディープインパクト最大のライバルになると。三冠を取るうえで、最大の障害になることを。
この最終局面で、改めて相手の強さを実感する岳。ディープインパクトに勝るとも劣らない才覚、否応なしに燃え上がる。
だからこそ、相棒を鼓舞する。
このままでいいのか? 勝ちたくないのか?
鞭を一発入れる。気持ちを込めて、伝えるように鞭を入れる。
まだいけるだろう。もっと行けるだろうお前は
まだ力を出せるだろうと、こんなものではないだろうと期待を込める。皐月賞を勝つために、岳も全霊を尽くしていた。
その期待に──ディープインパクトは応える。
離されつつあった差が、徐々に縮まる。半馬身開いていた差が、少しずつなくなっていく。
《ディープインパクト負けられない、ディープインパクト負けられない! ハレヒノカイザーに食らいつくディープインパクト! ここで全く並んだ並んだ! ディープインパクトとハレヒノカイザーが全く並んだ! 残り100m、粘れるかハレヒノカイザー差し切れるかディープインパクト! 並んだままのたたき合いが続いている!》
岡邉も負けじと気持ちを込めて鞭を振るう。力を出し切れと、隣を走る怪物を競り落とせと相棒を鼓舞する。
普段とは違い口を割っていないハレヒノカイザー。
今まで以上の末脚を発揮するディープインパクト。
並んだままの勝負は──残り50mで終わりを告げる。
《ディープだディープだ! ディープインパクトが前に出た! ハレヒノカイザーは力尽きたか!? ディープインパクトが前に出ましたそのままゴォォォルイィィィン! まずは一冠目、まずは皐月賞だディープインパクトッ!皐月賞を勝ったのはディープインパクト、2着はクビ差でまたも敗れたハレヒノカイザー! この2頭は強い、突出した強さを発揮しているこの2頭! だが、頂点の座は譲らないと、一冠目はディープインパクトが勝利しました!》
《いや~やっぱ強いねディープインパクトは! でも、ハレヒノカイザーも負けてはいませんよ!これは、ダービーが楽しみですね!》
《ディープインパクトとハレヒノカイザーの差はクビ差。ですがハレヒノカイザーと3着のシックスセンスとの着差は5馬身! ダービーもこの2頭が主役になるのか? 次のレースが楽しみです!》
クビ差抜け出して勝利を掴むディープインパクト。岳隆は、渾身のガッツポーズを披露していた。
思わず出てしまったガッツポーズ。呆然とした観客は、次第に状況を理解する。
「……は、はは! やっぱディープが勝つじゃねぇか!」
「当たり前だっ! ディープは最強だからな!」
「とにかく一冠、このまま三冠だ!」
拍手喝采、会場中から歓喜の声が上がり続ける。ディープインパクトの勝利を喜び、伝説は破られなかったことに安堵する。
そうだ、ディープインパクトはここで負けるような馬ではない。このまま勝ち続けて無敗の三冠だ。
観客の歓声が響き渡る中、ハレヒノカイザーは……変わらずにぴょんぴょん飛び跳ねていた。
『負けた! でも楽しかった! やっぱレースってさいこー!』
どうやら気持ちもスタミナも切れていないようである。
◇
富士澤調教師のコメント
「惜しかったんですけどね。最後の直線ではイケる!と思ったんですけど、あそこから差し返してくるとは。やっぱりディープインパクトは強いですね。でも、今回は口を割らずに走れたのでそこは褒めてあげたいですね。スタミナ切れではありませんし、2400mも走り切れると確信している。次の日本ダービーでは、リベンジを果たしたいところです」
岡邉騎手のコメント
「勝てるレースだったけど、仕掛けどころを間違えた。それが後に響きましたね。ディープよりも先に抜け出す予定が、岳君が思ったよりも早く来たものだから。後手を踏まされてしまった。今回は私の騎乗ミスだ。血統的に不安が残るかもしれないけど、ハレヒノカイザーは賢いからスタミナ計算ができる。今回の皐月賞もスタミナ切れが敗因ではない。ダービーでは勝たせてもらうよ」
春陽オーナーのコメント
「初のG1で、もう驚きの連続でしたねぇ。今はとにかく、ハレヒノカイザーに頑張ったねと労ってやりたいです」
皐月賞はディープの手に。