はいさい、私です。皐月賞の傷も癒えてきたということで、本格的な調教が始まっていますよ。別にケガはしてませんけどね。
今日はダートコースでの調教。ダートというのは砂のことで、芝よりもパワーを使うからちょっと難しいところ。ですが問題なくこなせますよ。砂で走るのも嫌いじゃありません。
「よーし、今日はもうこれで上がりだ。お疲れ様カイザー」
一通りメニューをやり終えて、私の調教は終わりです。いや~、今日も一日頑張りましたね。
「皐月賞のダメージもほぼ抜けきっているな。明日からは元の調教メニューに戻すか」
「はい。悪くないと思います。飼葉食いも良いですし、これからの成長が楽しみですね」
富士澤さんの言葉通り、今までは軽めの調整メニューでした。皐月賞があったのでね、万全の体調に戻るまではと本数を減らしていました。
ですが、それも今日まで。明日からは本格的なトレーニングになりますよっと。
(プイちゃんに勝つためには、今よりもっと強くならないと)
腕が鳴りますねぇ。腕というよりは脚ですけど。さてさて、今日はもう帰って蹄とかのお掃除とシャワーですよ。
ふと気になったんですけど、馬にはシャワーしかないのでしょうか? 温泉、というかお風呂のようなものはあるのかな?
(体を洗うのはシャワーで済ませてるからな~)
シャワーも悪くないけど、お風呂があるともっと極楽気分を味わえるのではないだろうか? 後普通に温泉に入りたい。温泉でないにしても、お風呂に入りたい。シャワーとお風呂とでは天と地の差がありますからね。
別にシャワーが悪いわけじゃないですけど。馬の温泉……どこかにあるといいですね。
◇
突然ですが、お馬さんにも遠征というものがあります。私達が走る競馬場は全国各地に点在していて、1日での移動が難しい場合も。距離も長いですからね。
基本的には出張馬房なるものに滞在するらしいですけど、それより前に遠征することもあるのだとか。お馬さんの負担を軽減するためとか、より良い設備を使うためとか。いろいろと理由はあるみたいですけどね。
ただ、私はまだ遠征をやったことがありませんね。デビューは新潟ですし。というか新潟と中山でしか走っていない上に、次の日本ダービーも東京です。関西の競馬場はいずこに。
(プイちゃんやジャパン君、ヴァー君もみんな栗東。私とは別のトレセンから来てる子だ)
なので物珍しいのである。私は美浦の子とは全員と仲良しって豪語できますが、栗東ってなると話は変わりますからね。向こうから遠征に来た子と関われるの、ひそかに楽しみにしてたりします。
で、なぜ遠征の話をしているのかと言いますと……今回もまた、遠征で新しい子と知り合えたからです!
『今日はよろしくね! お名前はなんて言うの?』
『え、えっと。ラインクラフトです。よろしくお願いします』
『ラインクラフト……クラちゃんだね! よろしく! 私はハレヒノカイザーだよ!』
ラインクラフトちゃん。牝馬っていう、メスのお馬さんだ。私とは違うらしい。というか私はオスらしい。はえ~。
ちなみにラインクラフトことクラちゃん。すでに私とは実績が違うお馬さんだったりする。
「まさか桜花賞馬の方から直々のお誘いをいただけるとは……今日はよろしくお願いします」
「こちらこそ、お願いします。あのディープインパクトに並ぶ逸材、ハレヒノカイザーと走れるのは光栄です」
なんでも桜花賞馬らしいです。桜花賞はG1レース、この時点で私よりも実績が上! 大人しいと思っていたのに、中々やるみたいですねクラちゃん……!
「ラインクラフトの次走はNHKマイルらしいじゃないですか。思い切ったローテですね」
「えぇ。覆永の方から、距離の長いオークスよりもNHKマイルの方が合っている、と進言されましてね。いろいろと考えた結果、マイルの方に照準を合わせることにしました」
「今回はその調整役、と」
富士澤さんとクラちゃんをお世話している人が話していますね。それはそれとして、新しい子は気になりますよ!
『クラちゃんクラちゃん、走るの好き?』
『えっと、はい。好きです』
『そうなんだ! 私も大好き! 走るの気持ちいいよね!』
クラちゃんはと言いますと、別に拒みはしませんがちょっと遠慮がちなところがありますね。
ふむん、これはあまりグイグイいかない方がいいと見た。走りで語れ、の方がいいかもしれません。
『ま、頑張ろうね。クラちゃんと走るの、とっても楽しみだよ』
『は、はぁ』
どのくらいの実力かとっても楽しみです。実力抜きにしても凄い楽しみです! 知らない子との併走、大変ワクワクしてグッドですね。
準備を終えて併走です。NHKマイルが近いようなのでね。実践に近い形式で走りますよ。
クラちゃんが内、私が外。これはクラちゃんの方がレースに出走するから、ってのと牡馬と牝馬の差らしい。結構な差があるんだとか。
ま、性別の差は抜きにしても好調に走ってもらいたいのはクラちゃんの方だ。それには内側を走った方がいいよね、ってことで。
さぁさぁ、クラちゃんの実力はどんなもんでしょう? などと楽しみにしてたのですが……これがま~めちゃんこ強いわけですよ。
『アハハ、クラちゃんとっても速いね!』
『あなたが相手でも、負けないんだから!』
『中々のスピード、こっちも楽しくなっちゃう!』
調整、ってことを思わず忘れちゃいそうなほどには。ま、そこは賢い私。しっかりと覚えていたので調整役を務めましたよ。
併走の結果はクラちゃんが先着。タイムも中々悪くなかったみたいだ。
「ラインクラフトの感触はどうだい、友一君」
「悪くないどころか、最高の出来ですね。ハレヒノカイザーとの併走だからちょっと心配してたとこはあったんですが、過去一番やる気を出していたかもしれません」
え、なんで私との併走で心配が? あ、もしかして性別の差ですか。それならば仕方ありませんね。
併走が終わってもクラちゃんは遠慮がち。ま、無理に距離を詰める必要はありません。適切な距離感で適切な付き合いを。無理やりは良くありませんから。
『今日は楽しかったね、クラちゃん!』
『……あ、は、はい』
『また一緒に走ろうね!』
ふ、ハレヒノカイザーはクールに去ります……クラちゃんを連れて。
『? どうかしたの、クラちゃん』
『いえ。お気になさらず』
あ、そう? なら気にしないけど。
さぁ岡邉さん。一緒に帰りましょう。今日も帰ったらお掃除にシャワーですよ~。
『シャワーって気持ちいいよね。クラちゃん分かる?』
『……人間に触られるの、慣れないですけど。嫌いじゃないです』
『ほほう。でも、人間さんも私達のためにやってるわけですからね』
どうやらクラちゃん、人に触られるのが苦手な様子。そういう子もいますよね。
……んで。なんでさっきから私についてきてるんです?
「友一君、ラインクラフトの誘導しっかり頼むよ?」
「それが……梃子でも動かないぞとばかりに反発してまして」
「本当だな。思いっきり手綱に逆らっている」
向こうの騎手さんえらい困惑しているじゃないですか。これ、人間さんの意思ではなくクラちゃんの意思ということですか。
なんで、とかどうして、とかの前に。
『クラちゃん? クラちゃんは別のとこだよ?』
『……』
『いや、そんな無言の抵抗されても。さっきから覆永さん、だっけ?それに助手っぽい人もクラちゃんのこと凄い引っ張ってるけど』
やはりお馬さんには力で敵わないですからね。どうにかこうにか連れて行こうとしていますが、クラちゃんは微動だにしていません。なんてこったい。
どうしたのでしょうか? 何か気に入らないことでも『譲りません』おっと、なにやらクラちゃんの様子が?
『どうしたの? 何を譲らないの?』
『カイザーさんの隣は譲りません』
『……おん?』
クラちゃんはすぐさま私の隣を陣取ります。おいおい、ほぼ初対面なのに距離の詰め方がえぐいね。最初の遠慮がちな君はどこに行ったんだい?
『カイザーさん、とっても速いです。それに、こっちも楽しくなるような、ポカポカしちゃうような気持ちになります』
『嬉しいこと言ってくれるねクラちゃん、ありがとう! でも、いいの? さっきからめっちゃ引っ張られてるけど』
『知りません。カイザーさんの近くにいるとポカポカします。なので離れません』
いや、私はともかくとして覆永さんたちの方がよくないと思うけど? 現にさっきからあの手この手で頑張ってるよ。全部無駄に終わってますけど。
「クラフト、お願いだからこっちに……!」
「力が強すぎる! 意地でもカイザーの隣から動かないつもりか!?」
うん、絶対大丈夫じゃないねコレ。というかクラちゃん凄い意地だね。そんなに私の隣にいたいのか。
『カイザーさんの隣は譲りません』
『あらやだ唐突な告白。ほぼ初対面だけど私達』
『関係ありません。譲りたくないので』
うぅん、そうだとしても困るのは覆永さんたちなわけで。どうしたものか。
その後もどうにか引きはがそうと奮闘しますがクラちゃんも必死の抵抗。見てる分には面白いかもしれませんが、当事者である覆永さん達からしたらそうではないわけで。
「……仕方がないからこのままいくとするか、友一君」
「本っっ当にごめんなさい岡邉さん!」
「いや、気にしなくていい……ラインクラフトは他の牡馬にも同じような反応を?」
「いえ、こんな反応はハレヒノカイザーが初めてです。いつもは日向ぼっこの邪魔さえしなければ大人しい子なんですけど」
結局隣にクラちゃんを連れたまま歩くことに。なんて強い意思だ。
こうして仲良くなった? クラちゃんですが。
『おいカイザー。お前のことジッと見てるのがいるぞ』
『へ?……あぁ、クラちゃんだね。おーい、クラちゃーん!』
美浦トレセンにいる間はしょっちゅう会いました。なんか偶然会うことが多いんですよね~。
『奇遇ですね、カイザーさん』
『うん。厩舎で会うのは奇遇でも何でもないかな』
馬房がある厩舎で会うこともありましたし。いやー、偶然偶然。
『……あの、クラちゃん。私に何か?』
『カイザーさんの近くにいます。特に用はありません』
『うん、それなら離れてくれると嬉しいかな? あんまりにも近いから』
『嫌です』
……現実逃避は止めよう。
クラちゃんと会うのは偶然なんかじゃない。最早出待ちですよ出待ち。ゆく先々で会うもんですから、偶然の一言で片づけるのは厳しすぎますって。さすがの私もそこまでバカじゃありませんよ。ところでバカの漢字って馬と鹿ですよね。めっちゃどうでもいいですけど。
どうも私、クラちゃんに気に入られたみたいで。私には魔性の魅力があるのかもしれませんね。
(別に迷惑がかかるわけじゃないから良いんだけど)
私には迷惑がかからない。そう、
けど、クラちゃんをお世話している人達はその限りではない。
「あ、やっぱりここにいたかラインクラフト! 早く帰るよ!」
『グギギ……ッ!』
『めちゃくちゃ抵抗してるねクラちゃん』
私に会っては連れていかれ、そのたびに抵抗するまでがワンセット。というかクラちゃん栗東の子だったはず。
(私の所属美浦だけど、栗東に帰る時どうするんでしょうね)
まずというか絶対に暴れると思うんですけど……まぁいいか!
そんなわけで仲良しの子が増えました。いえーい。
◇
その日、私──ラインクラフトは運命に出会った。
『今日はよろしくね! お名前はなんて言うの?』
栗東では会ったことがない子で、ちょっと独特な白い模様が目立つ子。見た瞬間にビビッときた。多分、人間が言う一目惚れというやつかもしれない。
ハレヒノカイザー。それがあの子の名前。
カイザーさんは優しい。とても優しくて、ポカポカしている。
『クラちゃんクラちゃん、走るの好き?』
『今日は楽しかったね、クラちゃん!』
『シャワーって気持ちいいよね。クラちゃん分かる?』
日向ぼっこをしているみたいで、近くにいると安心する。
でも、カイザーさんはみんなの人気者。気づけばいつも、他の子達がカイザーさんの近くにいる。
『よーぅ、カイザー。今日も楽しそうだなー』
『そりゃあね! 毎日が楽しくて仕方ないよ! というわけで走ろう!』
『え、お前と走るのはヤだ』
『なんで!?』
囲まれて、慕われて。カイザーさんは人気者だ。カイザーさんは優しいから当然だろう。あれで人気者じゃないなら嘘だ。
みんなから愛されているカイザーさん。だけど、隣は譲らない。ポカポカして、あったかい気持ちになれるあの場所だけは譲らない。なので、今日も隣をキープする。栗東に帰る、その日まで。
ラインクラフト~。