年が明けた競馬界隈。常に話題の中心となっていたのは勿論ディープインパクト……というわけではない。
ディープインパクト以外に、ハレヒノカイザーが同じくらい取り上げられるようになっていた。
年度代表馬に輝いたディープインパクトの記事には、必ずハレヒノカイザーのことが書かれている。同世代のライバルで、なおかつ唯一ディープに勝った相手。元々燻り続けていた火が、ここにきてさらに大きく燃え上がってきた、というところか。たくさんの記事が書かれるようになり、注目度もディープと同じくらいに上がってきた。
注目が集まったことで、ハレヒノカイザーの生まれ故郷である日比谷牧場についてもピックされる。連日のように取材の依頼が舞い込んできて、牧場主である日比谷徹(ひびや とおる)は驚いていた。
「急に取材の依頼がたくさん来たから何事かと思った」
ダービー勝利後にも取材はあったそうだが、数件程度の話。しかも、ダービー馬の生まれた牧場だから軽く取材しておくか、程度のモノである。しばらく経って年が明けたら、倍どころじゃない量の依頼が飛び込んできたのだ。戸惑うのも無理はないだろう。
記者はハレヒノカイザーの需要をよく理解している。
「当歳馬の頃のハレヒノカイザーはどうだったか?」
「ハレヒノカイザーと仲の良い馬はいたか?」
「何か特別な、それこそ鍛えられる坂路のようなものがあるのか?」
など、ハレヒノカイザーを中心に、日比谷牧場のことについて根掘り葉掘り聞いてきたのだ。下手をしたら、1日中拘束されるなんてこともあるぐらい。
日比谷自身なんで今更、と思わずにはいられないが、それでも失礼がないように対応。忙しい合間を縫ってインタビューに答えていた。
「当歳馬の頃からやんちゃでしたね~ハレヒノカイザーは。よく放牧地を脱走しては、別の放牧地に紛れ込んでたり……とにかく脱走を繰り返すやつでした」
「ほうほう。他には?」
「後は~……とにかく走るのが好きなやつでしたね。もうとにかく走りたい走りたいって。雪の中だろうと構わず走るんですよ、ハレヒノカイザーは」
サイレンススズカよろしく、雪に埋まってもかき分けて走ろうとしたエピソードが出てきた瞬間、記者の目の色が変わった。これはネタになると察したのかもしれない。
「まぁ、スタミナがないのかすぐにバテてましたけど。それでも走ろうとするもんだから、可愛いやつでね。それにしても、そっかぁ、カイザーがなぁ」
しみじみと、遠い目をする日比谷。まさかここまでの馬になって、本当に牧場を有名にしようとしているのだから、思うところがあるのだろう。
記者の質問の中で、必ずと言っていいほど聞くものがある。それが、ハレヒノカイザーの配合に関してだ。
「どうしてこんな配合を? サンデーサイレンス絶頂期の現在で、この2頭を試そうと思った意図は?」
考えれば考えるほど、よく分からない配合である。トウカイテイオー自身人気の種牡馬ではあるのだが、実績という点からサンデーサイレンスには劣る。
さらには、母父がダイタクヘリオス。あまりにも未知の配合に、記者や馬産の人達は首をかしげていた。
誰もが気になる配合の真意。きっと天啓か何か舞い降りたに違いない、と記者達が前のめりになる中明かされたのは。
「みなさんに聞かれますけど、父親が好きだったんですよね、トウカイテイオー。だからまぁ、ブランシュテルと配合するかぁ、みたいな感じで。別に深い意味はないです」
特に深い意味なんてない、という面白みにかける真実だった。肩透かしを食らう記者は多い。
「というか、テイオー産駒の牡馬って気性が荒いの多いじゃないですか? だから我々としても不思議なんですよねぇ、カイザーがあそこまで大人しいのは」
「確かに、気性が悪いなんて話は聞きませんね」
「こっちとしてはありがたいんですけどね。脱走癖さえなければ、本当に大人しい馬でしたよ」
それならそれで少し脚色を加えるか、と思うのが記者。人に読んでもらうためならば、多少盛ってもいいだろう。そう考えていた。
日比谷牧場自体も、特に目新しいものがあるわけではない。普通の牧場で、地形が凄いとかでもない。どこにでもあるような牧場だった。
「元々父親が所有してたんですけど、数年前に亡くなって。遺産の中でこの牧場だけ引き取り手がいなかったんで、自分が相続したんですよ」
「ほほう! やはり、大変だったんじゃないですか?」
話題になりそうなエピソードに食いつく記者。日比谷は苦笑いで答える。
「そりゃあもちろん。私自身、馬産に真面目というわけでもなかったですし。たくさん勝ってるわけでもないですし。正直、本業が黒字じゃなかったら危なかったですよ」
「それでも相続したのは?」
「相続する人がいなくなったら、人も馬も路頭に迷うじゃないですか。それだけは嫌だったんで……まぁ、カイザーがダービー馬になってから親族がこぞってここに来るようになりましたけどね」
若干のイラつきを感じさせる発言。藪蛇をつつくかもしれないが、それ以上に興味が勝った記者は踏み込む。
「親族が、ですか?」
「……えぇ。腹立たしいことに、これまで見向きもしてこなかった奴らがこの牧場を訪れまして。カイザーの名声を聞きつけたんでしょうね」
「ディープと同じくらい、話題になってますからね。競馬を知らない一般の人々も名前を聞いたことがあるぐらい、有名になっています。ご親族は今でも?」
「たまにコンタクト取ってきますよ……今更来ても、取り合う気はさらさらないですがね」
どうやら、日比谷と親族の仲は悪いらしい。これは記事にはしないでおこう、と理性が働く記者であった。
余談だが、牧場を案内されていると、オサイチジョージっぽい馬がいた。
いやいやそんなまさか、こんなところにいるはずがない。気になって質問してみると。
「あぁ、確かにオサイチジョージって名前ですね。なんでもあのオグリキャップに勝ったことがある馬だとか」
「……ほ、本当のことですか?」
「嘘を言っても仕方がないでしょう。行き先に困っていたみたいですから、私の牧場でどうか? って声をかけたんですよ」
本当にオサイチジョージだった。まさか1999年を最後に行方不明になっていた馬が、この牧場にいるとは思うまい。なんなら今回のインタビューで一番びっくりした情報だった。
「ど、どうしてですか?」
「どうしても何も、一頭でも多くの馬に静かな余生を送ってもらいたいんですよ、私は。そのために使うお金は惜しくはありません」
毅然とした態度で答える日比谷。零細牧場で、馬を大切にする現在の牧場主。日比谷が親族連中を嫌う理由を、記者が察した瞬間だった。
何個かの質問の後、ようやく記者のインタビューは終わる。
「今日はありがとうございました。記事、楽しみにしててください」
「えぇ、はい」
扉を開けて去っていく記者。ようやく帰ったか、と。日比谷は肩の荷が下りた気分になる。
「……もう一生分のインタビューを終えた気分だ」
「お疲れ様です、日比谷さん。まぁゆっくりしてくださいよ」
職員から労われ、やっと解放されたことを喜ぶ日比谷。もうインタビューはしばらくいいや、と考えていた。
◇
ハレヒノカイザーの評価は、ダービー後からさらに変わった。推す人が増えてきたのである。
有馬記念で古馬を一蹴したディープインパクト。ハーツクライに1馬身差とはいえ、完勝に近い形での決着。ディープインパクトが現役トップと名を上げることになり、それに伴ってハレヒノカイザーも再評価されるようになったのだ。
元々がディープインパクトと競り合っていたハレヒノカイザー。着差も全てが接戦であり、2頭の実力が伯仲していることがうかがえる。
加えて、カイザー自身が勝ったダービーではディープに2馬身差をつけて勝っているのだ。競り合うことなく、寄せつけないままに勝利を手繰り寄せた。
これにより、中にはディープよりもカイザーの方が強いのではないか? という声が出始めるようになる。
「菊花賞はまだ未完成だった! 今ならカイザーの方が上!」
「中距離だったらカイザーの方が強い!」
という声もあれば。
「長距離ならディープの独擅場! 中距離でもカイザーより強い!」
「ゼンノロブロイを倒したんだからディープが上!」
なんて声もある。以前にも増して両ファンの対立は激化しているが、聞くに堪えない罵詈雑言というよりは、自分の推しの方が強いという雰囲気に落ち着いていた。
これからのレースで分かるようになる。冷静なファンはそう声を上げたものの。
【ディープインパクトの次走は阪神大賞典からの春の天皇賞へ!生江調教師「ドバイよりも国内を」】
【ハレヒノカイザーは大阪杯へ!ケガからの復帰戦はどうなるか?富士澤調教師「長距離は狙わない」】
対決する機会は結構先になりそうだ、とわずかに落胆した。
さて、そんな状況の中迎えたディープインパクトの阪神大賞典。対抗馬として挙げられたのは有馬記念でも戦ったデルタブルースだ。
デルタブルースは菊花賞馬であり、生粋のステイヤー。ディープインパクトを脅かすならこの馬だろう、と事前評価はかなり高め。
それでもディープの勝利を信じて疑わないファンの方が多く、期待が表れている1.1倍の1番人気。異常とも思える人気も、もはや見慣れた光景だ。
阪神大賞典はトウカイトリックによる逃げによって始まる。インティライミが続き、3番手のデルタブルースは6馬身後ろにいるほどの逃げを披露していた。
《2周目の向こう正面、トウカイトリックがさらに差を広げて逃げています。リードを7馬身、8馬身とさらに広げる勢い! 2番手インティライミ、3番手デルタブルースはインティライミからさらに4馬身はあろうかという差! これは凄いレースだ、これほど長い隊列も珍しいレースです》
《元々が9頭立てですからね。それも相まって、余計に広がって見えるのでしょう》
《注目のディープインパクトは少しずつ上がってきている。現在後ろから4頭目の位置につけています。ギアを上げてきているぞ、どこで仕掛けるかディープインパクト》
ディープインパクトが進出を開始したのは、3コーナーの始まり。傍目には馬なりに見えるのに、前との差をグングン詰めていく。
3コーナーに入れば、あれほど離れていた隊列がどんどん固まってくる。必死に逃げるトウカイトリックだが、脚色は明らかに鈍っていた。
《トウカイトリック脚色が鈍ってきた! 後ろとの差が徐々に縮まってきています。2番手インティライミ、3番手デルタブルースそして、4番手に上がってきているぞディープインパクト! 見る見るうちに上がっていくディープインパクト、一気に躱して先頭へ! ディープインパクトが飛んできた!》
爆発したかのような歓声が上がる。必死に逃げるトウカイトリックを、手綱をほとんど持ったままのディープインパクトが捕まえる。デルタブルースやインティライミも追いかけるが、ディープインパクトは次元が違う。
その後はもう独擅場だ。最後の直線で先頭に立ったディープは、吹き荒れる強風をものともせずに上がっていき。鞭も使わずに差を広げていく。
《ディープインパクト、ディープインパクトだ!2番手トウカイトリックがまだ粘っている、粘っているがディープインパクトとの差は広がるばかり! ほとんど手綱を持ったままでディープインパクトゴールイン! 阪神大賞典を制したのはディープインパクト、トウカイトリックとの差は5馬身差! 年明け初戦を、圧勝で飾ったディープインパクト!》
最終的に5馬身の差をつけてディープインパクトは勝利した。
圧勝。そうとしか言えない走りにファンは拍手を送る。
「やっぱり凄いぞディープ!」
「今年の主役もお前だー!」
惜しみない賛辞の声を送った。
ディープインパクトは圧勝を飾った。こうなると、次に期待されるのは──ハレヒノカイザーである。
「ディープがこれだけ勝ったんだから、カイザーもきっと勝つだろう」
「ディープに唯一黒星をつけた相手なんだから当然」
かなりの注目を集め、大阪杯ではハレヒノカイザーがどんな勝ちっぷりを残すかに焦点があてられる。一部過激なファンは、ディープが勝ったんだからカイザーも勝てと声を上げる。
異常。そうとしか言えない雰囲気になっていた。前は過激なアンチにさらされていたハレヒノカイザーだが、今度は厄介ファンによる過剰な期待を寄せられるようになる。
どうして厄介なファンが増えたのか? それはやはり、JRAやマスコミによる過剰なプッシュがあるからだろう。
「この2頭はライバル! 売り上げも好調だし、このままプッシュしていくぞ!」
「記事にすれば売れるわ売れるわ……大助かりだ!」
広告二大巨頭によるプッシュで、全体的なファンの数が増えた。その結果、厄介なファンも増えたということだ。それに、ファンも多ければアンチも多いこの2頭。相手に負けるなと厄介が増えるのも想像に難くない。
今のところ、ハレヒノカイザーに異常はない。調教もすこぶる順調であることが、富士澤によって明かされている。
ただ、取り巻く環境は何も変わっていない。アンチが厄介ファンに変わっただけだ。好転しないどころか、むしろ悪くなっているところもあるだろう。
今後の動向に多大な注目を集めているハレヒノカイザー。次走である大阪杯は、目を離すことができない一戦になる。
どちらがより幸せだったのか。