4月30日京都競馬場11レース。天皇賞・春を迎えていた。
1番人気は当然のようにディープインパクト。阪神大賞典の圧勝っぷり、なおかつこれまでの人気から単勝1.1倍まで推されていた。
訪れたファンもほとんどがディープの応援。惚れ惚れするような馬体を眺め、今から始まるレースに胸を高鳴らせる。
また、ディープファンの脳裏によぎるのは──大阪杯。ライバルであるハレヒノカイザーが圧勝し、公開調教とまで呼ばれたあのレースのことを考えて、負けるわけにはいかないと檄を飛ばす。
「頑張れよーディープー!お前に賭けてるんだからなー!」
「絶対に負けるなー!カイザーに負けるなー!」
なお、ハレヒノカイザーは天皇賞・春に出走していない。元より長距離は狙わない宣言、トウカイテイオーのようなローテでは来なかったかと、落胆するファンも少なくなかった。
肝心のレースはというと、ディープインパクトが出遅れた以外には問題がないスタート。いつも通り後方からレースを展開する。
ブルートルネードが先頭に立ってペースを握る。正面スタンド前では歓声が沸き上がり、各馬応援の声を受けながら第1コーナーのカーブを曲がっていった。
観客が注目していたのは、ディープインパクトがどこで仕掛けるのか? 長距離での実績は証明済み、名手岳隆がどのタイミングでスパートをかけるかに焦点があてられる。
動いたのは──第3コーナーの手前。残り1000mはあろうかというタイミング。このタイミングでディープインパクトが動いた。
《5番手にリンカーンが早々と上がってきている、早々に5番手につけたリンカーン。ディープインパクトは後ろから3頭目、しかしグイグイ上がっていくぞディープインパクト。まさかここから仕掛けるのか? 2頭、3頭と躱して押し上げていくディープインパクト。17頭が固まっております、17頭固まって第3コーナーのカーブ!》
前の馬を瞬く間に躱していく。1頭躱せばまた1頭、その度に競馬場から歓声が沸き上がる。
《さぁディープインパクトが動いた! 場内は大歓声、大歓声であります。ゆっくりと上がっていき、ゆっくりと今先頭集団に襲い掛かろうとしています! 先頭集団に上がってきて場内は大歓声、まだ800の標識を通過したばかりだぞ。ここから持つのかディープインパクト!》
後ろから3頭目のポジションから、気づけばあっという間に前から4頭目、3頭目に変わる。他馬はまだ動いていない、そんな状況で後方から追い込んできた。
大外から上がるディープインパクト。内につけたローゼンクロイツが馬体を併せようとするが、ディープインパクトは一呼吸の間に抜き去る。
併せない、弱点は突かせない。第4コーナーを曲がり終わる前に、ディープインパクトは先頭に立った。
後はもうディープの独擅場だ。岳の鞭が入り、さらに加速するディープインパクト。追いつこうとするリンカーンら後続を引き離し、5馬身差でゴール板を駆け抜ける。
《差は縮まらないむしろ広がる! 圧倒圧倒、これがディープインパクトの強さだ! 待っていろ世界! これがディープインパクトの強さだぁぁぁ! ディープインパクト圧勝! 大楽勝で春の天皇賞を制しました!》
2着のリンカーンは3着のストラタジェムに5馬身つけている。そんなリンカーンに、ディープはさらに5馬身つけているのだ。文句のつけようがない勝利と言える。京都競馬場は、大歓声に包まれていた。
「やっぱお前が最強だディープ! その調子で海外も頼んだぞー!」
「このまま勝ち続けろー! 凱旋門賞も取ってくれー!」
まだ海外遠征の発表もしていないのに、すでに海外に行くのは決定的だとばかりに声を上げる。それほどまでに、ファンの熱は高まっていた。
この大勝利から数日後。ディープインパクト陣営が正式に発表する。
「ディープインパクトは凱旋門賞に出走します」
海外遠征。ファンが待ち望んでいた言葉が、ついに公式からお出しされたのだ。
それだけではない。
「また、ハレヒノカイザーも凱旋門賞に出走する予定です。オーナーである春陽さんからも許可はいただきました」
「ディープインパクトとハレヒノカイザーの2頭で、凱旋門賞を狙います」
ハレヒノカイザー。ディープに並ぶ競走馬もまた、凱旋門賞に挑戦することが明かされる。日本が誇る現役最強の2頭が、世界の大舞台を相手に羽ばたく時が来たのだ。
これにはマスコミもJRAもファンも。全員がお祭り騒ぎである。
【ついに世界へ!ディープインパクトとハレヒノカイザーが凱旋門賞出走!】
【既に登録済み。羽ばたく舞台を世界に変える!】
【待っていろ世界!日本の最強馬2頭が殴り込みに行くぞ!】
高まる期待、上がる熱。この2頭ならば凱旋門賞を勝てる、逆にここで勝てなければもう無理だと断言するファンもいた。
ついに発表された海外挑戦。ディープインパクトの次走は宝塚記念、ハレヒノカイザーは──京王杯スプリングカップからの安田記念だ。
◇
いぇあ、私です。今日はね、いつものように調教をしていくんですけどね。なんとなんと!
「今日からまた、併せよろしくお願いしますね富士澤さん」
「こちらこそ、世戸口さん」
クラちゃんと一緒に調教することになりましたいぇいいぇい! いやはや、こうして調教で一緒になるのは随分と久しぶりな気がしますよ。
『よろしくねクラちゃん!』
『はい、カイザーさん』
どうして調教が実現したのか? それは私の距離変更にあります。
私の次走は1400mの短めの距離。目標に据えている安田記念がマイル戦なので、クラちゃんの距離と見事に合致しているんですよね。
特に、クラちゃんは短い距離では現役最強レベル、なんて新聞で呼ばれています。そんな子との併走はこちらから是非! と言いたいレベルのこと。断る理由なんてあるはずもなく。こうして私とクラちゃんはまた調教パートナーとして復活したわけですよ。
いやはや、こうして久しぶりに会うとなんかいいですよね。
『今日はがんばろーねクラちゃん!』
『はい。私、速くなりました。カイザーさんに追いつけるように』
『そうなの?』
そいつは嬉しいですね。ま、ともかくとして軽く走ってからの併走。身体の調子を整えなければ。
私もクラちゃんも次のレースが近いですからね。なんと1日ずれだそうで。土曜日に私が出走して、クラちゃんは日曜日の出走だとか。同じレースに出走できないものですかね? 今更無理か。
いろいろとあって本命の併走。見せてもらおうじゃありませんか、進化したクラちゃんの力を。
私が外、クラちゃんが内を走る。序盤から結構飛ばしていくのは、クラちゃんだ。
『わっ!』
『まだまだ、こんなものじゃありません!』
クラちゃんはスピードを上げていく。ほ、ほほう? 中々やるじゃありませんか。クラちゃんの成長っぷりに、カイザーさんびっくりですよ。
実際、
久しぶりにクラちゃんと走る。栗東に遠征した時も、放牧中はほとんど会わなかったから。こうして久しぶりに走ると、楽しみって気持ちが溢れて止まりません。
少しばかり力を込める。クラちゃんに追いついた。
『──えっ?』
『もっと楽しもうよ、クラちゃん!』
ワクワクが止まらない、ドキドキして、最高に楽しい時間を味わえる!
誰かと走るこの感覚は、何度味わってもいい。いやっほう、もっと走りますよ私は!
『走ろう、クラちゃん!もっと、もっと!』
『う、く……っ!』
おぉ、クラちゃん前は振り切られてたのに、今度はしっかりと付いてきてますね。それに、私を追い越さんばかりに速くなっています。うんうん、クラちゃんが成長してくれて私は嬉しいよ。
ギアを上げよう……とも思いましたが、これは調教ですからね。無茶をするわけにはいきません。そんなものは放牧の時で十分なんですよ。
最終的にはクラちゃんとしっかり併走をして。調教は終わりですよ。
「いや、ラインクラフトの本領が舞台でもこれは……」
「相変わらず、凄まじい才覚だ」
おぉん? 富士澤さん達がなにやら話し合っていますね。何かあったのでしょうか。特に悪いことではなさそうですけど。
あ、そうだ。クラちゃんの傍に近寄りましょう。
『お疲れ様クラちゃん!』
『は、はいぃ……』
『
『は、はひぃ』
久しぶりのクラちゃんとの併走はめちゃんこ楽しかった。これがしばらくの間楽しめるとは、まさしく神環境。私のユートピアはここにあった。
この後はシャワーを浴びて馬房のリラックスタイムが待っている。そして、放牧の時間だー!
(放牧ではまたクラちゃんと一緒に走れる可能性が大! こーれは楽しみですよ!)
クラちゃんと走るのは楽しいですからね。それに、クラちゃんは私と走ってくれる数少ない同士! 走るの大好き同盟の子! 何その同盟って? 私が今作りました。私とプイちゃん、クラちゃんが会員ですよ。随時募集中です。
ラジカセで音楽を聴き、ふかふかの寝藁に寝転びながら時を待ちます。放牧が楽しみだな~。クラちゃんと走るの楽しみだな~。
なお放牧は別だった。なんで?
(ムードちゃんとも放牧の時間被らないし。なんでですかね?)
まぁそれならそれでやりようはあるんですが。他の子は……まばらにいますね。
その子達に声をかける? 違いますよ。声をかけたところで断られるのは目に見えてますからね。だから──こうするんです!
『イヤッホォォォォォウ!』
思いっきり、走る! 楽しいぜいやっほい!
そして私が走ればちらほらと。他の子達もついてきました。作戦大成功ですね。
私が走れば他の子達も後ろをついてきます。最近はずっとこうするようになりましたね。欲を言えば隣を走ってほしいもんですが、これもこれで中々乙なものですよ。
楽しいなぁ! みなのものー、私に続けー!
◇
速くなったと思ってた。これでカイザーさんの隣に立てるって本気で思ってた。
全部全部、勘違いだった。
(カイザーさんの成長速度が、予想をはるかに超えてる)
今回走って痛感した。カイザーさんは私よりもずっとずっと速くなってる。最後に併走したあの時からかなり経ってるから、当たり前なんだけど。
私の成長分なんてなかったみたいに、カイザーさんは速くなっていた。
それだけじゃない。カイザーさんはまだ本気を出していない。隣を走っているんだもん。直感で分かる。
きっと、私に遠慮している。私が遅いから、私が不甲斐ないから。だからカイザーさんは本気を出さないでいるんだ。これがディープさんなら、きっと本気を出して勝負をしているはず。
私じゃカイザーさんを満足させてあげられない? 私のスピードじゃ、カイザーさんは本気を出せない?
(……いやだ)
カイザーさんに置いていかれたくない。カイザーさんみたいに速くなりたい。カイザーさんに置いていかれたくない!
そんなの嫌だ、絶対に嫌だ! 私は、カイザーさんの隣に立ちたい。カイザーさんが満足できるぐらい速くなって、それでそれで、隣をずっと走っていたい!
(もっと、頑張らなきゃ)
放牧でも走って、自分を鍛えなきゃ。カイザーさんに追いつくには、並の努力じゃ足りないんだから。
辛い現実を見せられた。でも、嬉しいこともある。カイザーさんと一緒に調教できる、ってことだ。
こっちに来ている間は、カイザーさんと一緒に調教するって言ってた。放牧は一緒にできないけど、仲が良いから構わないって。
『今日もよろしくね、クラちゃん!』
『はい、カイザーさん。今日は大丈夫ですから』
『何が? 体調とかの話?』
嫌な調教も、カイザーさんが一緒なら楽しいって思える。一緒に走って、一緒の時間を共有しているというのが、何よりも嬉しい。
『アハハハ!』
(カイザーさん、楽しそう)
楽しそうなカイザーさんを見て、私も楽しくなる。カイザーさんの楽しそうな姿で、私は嫌な気持ちを忘れていられる。
カイザーさんに余計な心配はかけさせたくない。だから、放牧でこっそりとトレーニング。
(もっと速くならないと! じゃないと、カイザーさんに相応しくなれない!)
「放牧でもずっと走ってますね、世戸口さん」
「……あぁ。やる気があるのはいいんだが、そのやる気が空回りしないことを祈るばかりだな」
頑張らないと。カイザーさんに相応しくなれるように。努力して、速くなって。並び立たないと。
太陽に追いつきたい。