同世代のUMAさん   作:カニ漁船

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副題・太陽が落ちる日


第85回凱旋門賞・後編

 その日、日本が揺れた。

 凱旋門賞の生中継が放送されたのは深夜帯。にもかかわらず、平均視聴率は20を超え、瞬間最高視聴率は40%にも上った。いうまでもなく、瞬間最高視聴率を叩き出したのは最後の直線での勝負だ。

 

「いけ! いけ!」

「頑張れー!」

 

 応援の声は熱を帯びており、深夜でありながらも、大きな声で応援をする家が多数存在。迷惑よりも何よりも、応援する気持ちの方が勝っていた何よりの証左だ。

 そして、運命の瞬間が訪れる。

 

《ハレヒノカイザー先頭! ハレヒノカイザーが先頭だ! ディープインパクトを再び下す! ダービー馬ハレヒノカイザーが、凱旋門賞の大舞台を駆け抜けたぁぁぁ! ハレヒノカイザー1着ゥゥゥ!》

 

 日本の実況が、ハレヒノカイザーの勝利に声を荒げる。それと同時に、テレビの前にかじりついていたファンも声を上げた。

 

「や、やった。やったぁぁぁ!」

「日本馬が勝ったぞぉぉぉ!」

 

 エルコンドルパサーが惜しくも敗れた凱旋門賞の大舞台。近年ではマンハッタンカフェやタップダンスシチーの挑戦が記憶に新しいが、どちらも二桁着順の惨敗。競馬ファンにとっては、忘れがたい記憶だ。

 世界の厳しさを味わってきた。それでも、今度こそはと日本の最強馬が挑んだ。

 そして、その最強馬の一頭が、ついに世界の頂に上りつめたのだ。日本を照らす【太陽の皇帝】、ハレヒノカイザーが見事に凱旋門賞を制したのだ。

 それだけではない。

 

《勝ち時計はなんと、2:21:88! こ、これは恐ろしい時計だ!? ロンシャンの競馬場で、これほどの時計を叩き出すのは異次元の速さという他ない! お前はどこまで進化するのだハレヒノカイザー!?》

 

 勝ち時計は凱旋門賞のレコードを大幅に塗り替え、それどころか昨年にゼンノロブロイが記録した2:22:1さえも塗り替えた、とんでもないタイムである。

 

《いやね、分かりにくいかもしれませんが、これは凄いことですよ! 東京ならともかく、ロンシャンのコースの造りから、塗り替えるのはまず不可能な大記録が生まれました!》

 

 その後、解説によるロンシャン競馬場のコース説明が入り、このタイムがどれほど異常なことかをファンは知る。あのコースで、この時計を叩き出すのは、本当にヤバいことなのだとファンは戦慄した。

 

《それに、ハレヒノカイザーといえば! あの【皇帝】シンボリルドルフの孫! シンボリといえば、凱旋門賞の先駆けとなった名馬、スピードシンボリがいます! スピードシンボリはシンボリルドルフの母父、彼の玄孫が無念を晴らしたことになります!》

《これはシンボリも喜んでいることでしょう。本当によくやってくれました!》

 

 歓喜に包まれる日本。ついに達成された悲願にお祭り騒ぎであり、居酒屋などでは緊急で割引が始まるなど、誰も彼をも巻き込んでの宴を始まる。

 

 

 日本馬の勝利に酔いしれる日本。だが。

 

《ちょっと待ってください。今続報が入りました……えっ?》

 

 困惑するアナウンサーの声に、何事かと視聴者はテレビへ視線を向ける。

 アナウンサーは、震える手で今入ってきたであろう最新の情報が書かれた紙を落とす。それを拾うこともなく、震える声で。

 

《ハレヒノカイザーが、骨折?》

 

 衝撃の情報が耳に入った瞬間、先ほどのお祭り騒ぎは嘘のように静まり──有頂天だった彼らは、一気に奈落のどん底へと叩き落された。

 

 

 

 

 

 

 あぁ、勝った。私は、勝ったのだ。全てのジョッキーが、ホースマンが憧れる世界最高峰の大舞台・凱旋門賞を、勝ったのだ。

 ハレヒノカイザーならば当然、という感情はある。終わってくれて、ホッと一息ついた気持ちもある。

 ただ、今は何よりも。

 

「お疲れ様、カイザー。私達の勝利だッ!」

 

 頑張ってくれた相棒に、最大の感謝を送りたい。

 本当によく頑張ってくれた。ロンシャン競馬場を11秒台で逃げ続けるという離れ業をやってのけ、最後の直線など9秒台に入っていたんじゃないか? と錯覚するほどの末脚を発揮してくれた。

 これがハレヒノカイザーの全力か。これが、勝負に本気になった、闘争心をむき出しにしたハレヒノカイザーなのかと戦慄もした。

 見ているか? ルドルフ。君の孫が、世界の大舞台で大立ち回りをしてくれたぞ。

 それも、大レコードだ。今後更新されることはないであろう凱旋門賞のレコードタイムを、君の孫が叩き出したぞ。君に、良い報告ができそうだ。

 

(次は日本か? いや、アメリカのブリーダーズカップもいいな)

 

 カイザーならばダートもこなせる。BCクラシックを勝つことだって夢じゃない。それほどまでの走りをしてくれたのだ。

 日本に戻って、またディープインパクトと戦うのもいいだろう。ジャパンカップで世界の強敵を迎え撃ち、有馬記念で一緒に引退、なんてのも悪くない。

 どこまでも広がる夢。カイザーならば、私に素晴らしい景色を見せてくれる。そう思わずにはいられない。

 

(君は、本当に凄い馬だ)

 

 ありがとうカイザー。私と出会ってくれて、ありがとう。

 

 

 しかし、先ほどからハレヒノカイザーが不気味なほど静かだ。

 

(いつもなら飛び跳ねて喜び、私は落ちないように手綱を握っている頃だというのに)

 

 喜びを全身で表すカイザーのルーティーン。それが今はないことに、微かな違和感を覚える。

 

「どうしたんだ? カイザー。君は、勝ったんだぞ?」

 

 彼の首を撫でようとした、その時だった。

 

(待て、そもそも──カイザーは()()()()()()()()()()()()()()()()()?)

 

 気づいた。気づいてしまった。カイザーの様子がおかしい原因に。

 カイザーの減速は早かった。いつもならもっとゆっくりスピードを落とすはずのカイザーが、急ブレーキを踏んだかのように停止したのだ。

 それだけでもおかしいこと。そして今現在、ハレヒノカイザーは右の前脚を地面につけまいと、踏まないようにとしている。

 

(待て、待ってくれ!)

 

 私の背筋が一瞬で凍り付く。どうか嘘であってくれと、最悪の予想が外れてくれることを願う。

 さらに、首を撫でて気づいた。ハレヒノカイザーの、異常な発汗に。

 レース後だから当たり前、あれだけの激走ならば当然。いいや、違う。カイザーは、別の要因で発汗している!

 

「カイザー! しっかりしろ、カイザー!」

 

 すぐさま下馬した。そして、カイザーの様子を窺い……私の気持ちは、どん底へと落とされる。

 

「いつからだ! 君は、いつから!?」

 

 分かる、分かってしまう。カイザーは今、苦痛を感じていると。耐えがたい激痛に耐えているのだと、そう感じるほどの様子だ。

 本当なら立っているのも辛いだろう。芝生の上に倒れこんでしまいそうなほどの痛みを抱えているのだろう。

 それでも、彼は立ち続ける。

 

「もう大丈夫だ、もう大丈夫だカイザー! だから、だから……ッ!」

「岡邉さんッ! 今医者が来ます! だから早くっ!」

 

 カイザーは、倒れようとしない。必死に痛みに抗って、立ち続けている。

 

ねぇ、人間さん

 

 無理やり笑って、私を安心させようとしている。私を安心させるために、不安にさせないために、彼は立ち続ける。

 

頑張ったよ。僕、頑張った

 

 君は頑張った。だから、もう頑張らなくていい。

 

「岡邉、今医者が来た! だから早くカイザーを!」

「岡邉さんっ!」

 

 お願いだ、カイザー。君はもう十分頑張った。

 

レース、勝ったよ。勝ったら嬉しいよね? だって、いつも嬉しそうにしてるもの

 

 もう……、もうっ。

 

だから、悲しい顔をしないで

 

 これ以上……っ!

 

笑って?

 

 頑張らないでくれッ!

 

 

 その後のことは、よく覚えていない。

 

「骨折の原因は何でしょうか!?」

「ハレヒノカイザーの容体は!」

 

 マスコミから何か言われても、私の心には少しも響かない。一雄さんや壬生君、隆君たちが何か言っているようだったが、私には聞こえなかった。否、聞かないようにしていた。

 誰とも話したくない一心から、借りているアパートの一室で1人縮こまる。ふと、自分の手を見つめると、凱旋門賞の記憶が甦ってきた。

 

(……何が無敵だ)

 

 不思議な充足感に、無敵になったかのような感覚。その感覚は、カイザーがその身を犠牲にすることで得たものだ。私の力など何も関与していない。

 

「なにが馬のことを第一に考えるべきだ、なにが馬優先主義だ」

 

 私の信条でもある馬優先主義。馬のことを第一に考えるべきであり、無理を強いることなどあってはならないという理念。

 その果てに掴み取ったのがこれか? 結局馬に無理を強いて、骨折させて。

 

「なにも考えていないじゃないかッ! 私はッッ!!」

 

 ハレヒノカイザーに最悪の結果をもたらしてしまった! 私が原因で!

 彼に無理をさせてしまった。日本競馬の悲願を、私の願いを背負わせてしまった! ただ楽しく走っていたかっただろうに、私は、私は!

 

「彼から走る楽しみを奪ってしまった……っ!」

 

 あぁそうだ。今回の一件は、私が原因だ。私が無理をさせてしまったから、私が慢心してしまったから起こってしまったんだ。

 すぐにでも止めるべきだった。無敵感を抱いたタイミングで、私は彼を止めるべきだった、落ち着かせるべきだった。

 そんなことしなくても勝てると、もう少しペースダウンをした方がいいと諫めるべきだった。

 なのに、私はそれをしなかった。その結果、最悪の結末に導いてしまった。

 

「私が、私が……っ」

 

 悔恨の念。どれほど過去のことを悔やんでも、今の状況が好転することは一切ない。強く握った拳の痛みが、これが現実であることを嫌でも分からせてくる。

 彼は、太陽だった。その太陽を私は、自らの手で潰してしまった。

 

「私がッ!」

 

 爪が食い込み、血が流れる。それでも私の後悔は止まらない。ハレヒノカイザーという太陽を壊してしまった私は……もっと罰を受けて然るべきなのだから。

 

「うっ、うぅ……っ」

 

 涙が頬を濡らす。今更になって涙が流れてきた。頬を伝って落ち、床を濡らしていく。

 時間は戻らない、止まらない。どれだけ戻ってくれと願っても、起きてしまったことをなくすことなど、できはしないのだ。

 

 

 それから、どれだけの時間泣いただろうか? 一人蹲り、ずっと泣いていた。大の大人が、子供のように蹲って泣きじゃくっていた。

 気づけば枯れた涙。私は──決意を固める。

 

「──引退しよう。こんな私が、騎手を続けていてはダメだ」

 

 日本に戻ったら、騎手を引退すると。そう決めた。

 ハレヒノカイザーという太陽を落としてしまった私は、ひっそりと消えた方がいい。どの道引退しようと決めていたのだから、遅いか早いかの問題だ。

 逃避? 好きなだけ罵ってくれて構わない。もうこれ以上、ハレヒノカイザーのような犠牲を出さないためにも。私のような騎手は辞めた方がいい。それが、サラブレッドたちのためだ。

 

「すまない、カイザー。すまない、ルドルフ」

 

 弱い私を、どうか許してくれ。

 

 

 

 

 

 

 止められなかった。絶対に止めるべきだったのに、止めることができなかった。その結果、岡邉さんに。

 

「僕と、同じ思いを抱かせてしまった……っ」

 

 相棒が自分のために頑張ってくれて。その結果破滅させてしまう辛さを……僕があの日抱いた、身が裂かれるような思いを、岡邉さんに味あわせてしまった。

 聞くところによると、あの日の岡邉さんはアパートの一室に閉じこもったまま出てこなかったらしい。富士澤さんが呼びかけても、誰が呼んでも反応しない。すすり泣くような声が聞こえ、やがてみんな扉の前から立ち去った、と。帰国する時も、岡邉さんの表情は沈んだままだった。

 ……無理もない。相棒が、デビューからずっと乗り続けてきたハレヒノカイザーが、勝利のために自分の身を犠牲にしてしまったのだから。

 2分21秒88。ロンシャンのコースで、これほどのタイムを出すなんて異常だ。そして、あの時感じた強さこそが、ハレヒノカイザーの神髄。

 

(速い、ただただ速い。追いつけ、追いつけと願ったけど、恐ろしいほどの強さを発揮していた)

 

 他とは隔絶としたスピード。あの速さこそが、ハレヒノカイザーの真骨頂なのだろう。凱旋門賞で体感したあの強さが、ハレヒノカイザーがもつ本来の実力。

 ……ただ、その速さに彼の身体が耐えきれるかどうかは別の問題。突出したスピードが、彼を。

 

 

 この一件は、僕らに深い影を落とした。岡邉さんも酷いが、富士澤さんも壬生さんも、オーナーである春陽さんも酷い。

 

(みんな憔悴しきっている。現実を受け入れたくなくて、必死に目をそらそうとしている)

 

 そこにぶつけられる、マスコミの悪意。こちらの思いを知ろうともしないで、ハレヒノカイザーが無事かどうかをしつこく聞いてくる。我先にと、答えを得ようと押し寄せてくる。

 彼らとて心配なのは分かる。けれど、春陽さん達はそれ以上だ。立ち直れないでいる彼らに、心配し続けている彼らの心に、さらに追い打ちをかけている。

 連日のように彼らの下へと押しかけ、質問攻めをする。何度同じ答えを出しても、それでも彼らは同じ質問を飛ばす。

 

(知りたいのは分かっている。けど、もう少し慮ってほしい。何よりも辛いのは、あの人たちなのだから)

 

 正直、もう見ていられない。泣き腫らした彼らの顔を見ている身としては。帰国してもなお、彼らを蝕み続けているマスコミに、反吐が出る。

 さらに今回の一件。そもそもの発端は、ディープインパクトの馬主である金田さんが、帯同馬としてハレヒノカイザーを連れて行ったことだと糾弾する記者もいた。

 批判的な記事を書かれた。誹謗中傷もされている。ただ、これは受けて然るべき罰だ。管理が届いていなかった僕らが受けるべき批判であり、どうこう言うつもりはない。金田さんも生江さんも、意見は一致している。

 

「……本当に、日本競馬は失意の底だ」

 

 凱旋門賞を勝って、ついに悲願が果たされた。けれどその代償に、己の身を犠牲にした太陽が沈んでしまった。

 岡邉さんは、引退するらしい。もう騎手を続ける気はないと、はっきりと宣言した。

 引退式もいらないと。自分のような騎手に、そんなものは必要ないとJRAからの要望も突っぱねた。

 

 

 対する僕らはというと、ディープインパクトは無事だ。特に大きなケガはなく、予定通りならばジャパンカップに出走が予定されている。

 ただ、彼はハレヒノカイザーがいないことを不安に思っているのかもしれない。毎日のように啼いていた。きっと、ハレヒノカイザーを探しているのだろう。

 

(入線後も、すぐに駆け寄っていった。僕の指示よりも先に、自分の意思でハレヒノカイザーの下へ)

 

 彼らの間でなんのやり取りがあったのかは分からない。分からないし、毎日のように啼いているけど──ディープのやる気はこれまでにないほど満ち溢れている。

 次のレースを勝とうとしている、走ることの熱は途切れていない。

 馬が頑張っているんだ。だからこそ、僕も。

 

「頑張らなきゃいけない」

 

 やってしまったことは戻らない。起きてしまった出来事を変えることはできない。だからこそ、僕は進むしかないんだ。

 気合いを入れる。この先も勝つために、ディープの強さを証明するために。

 

 

 ──視線の先に、いまだ消えないスズカの幻影がいたとしても。




【衝撃のレコード勝ち!ハレヒノカイザーが凱旋門賞を制す!】
【圧倒的な速さ。これが日本馬の底力!】
【いまだ分からぬ安否。ハレヒノカイザーの容体は?】
【ハレヒノカイザーは右前脚の複雑骨折と診断。復帰は絶望的】
【復帰には1年を要するハレヒノカイザーの骨折。しかし状態は思わしくなく】
【いまだ見えぬ光明。フランスから戻らぬ我らの太陽】



太陽は遍く照らす。安らぎを与え、繁栄をもたらし、笑顔の花を咲かせ、近づくものを例外なく焼き焦がす。そして最後には──己の身すらも破滅させる。


次回は番外編。掲示板回となります。
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