あの夏に逆行した青年がみんな救おうとして勝手に曇っていく話 作:イリノイ州の陰キャ
オーヴァロード達の前よりあって、以後にも栄える一つの宗教は仏教ではなく、愛着とか依存とか呼ばれるものだと思うのです。
時任麦は陰気な娘だ。
僕の目線から見て、あえてバイアスがかからないように悪し様にそう言うことにする、いや、そんな風に考えている時点で相当偏っている訳なんだけども……まぁごちゃごちゃ言ってないで本題を語ろうか。
時任麦と、彼女と僕がしっかり顔を突き合わせて出会ったのは、八月も半ばにさしかかる頃だった。彼女が落とした麦わら帽子を、僕が拾ったのが最初の出会い。彼女はお礼も言わずに帽子を引ったくって逃げていくもんだから、お礼の一つくらい言ったらどうなんだ、と内心で反感を禁じ得なかった。
まぁそれから、ちょっとしたきっかけで仲良くなった。夏休みが終わって、いよいよこっちの高校での初登校の日、彼女がいつもの青いワンピースで道端に座り込んでいるのを見て、
僕はその時初めて、彼女が不登校であることを知った。
さて、まずはこれからの予定を決めよう。一つは勉強……あぁ、嫌な響きだ。こっちの高校が始まるのはまだ一ヶ月は先とはいえ、放っておけば宿題なんか塩漬けにしたまま忘れてしまうだろう。登校初日から不良生徒の烙印を押されるのは何とか勘弁していただきたい。
それから、これ。こっちが重要。
「午後四時頃、社に行く、と」
携帯のメモアプリでそのように記述すると、僕はその横に「絶対!」と「毎日!」を書き足しておいた。なぜなら絶対! 毎日! 行かねばならないからだ。シンプルで分かりやすいと思わないか?
「こんなもん、か……?」
これを今後の予定とは言いたくないな。これでは単なる日課の覚書だ。
あぁいや、一つ気になることがあったか。解き明かさなければならない訳ではないが、気になることが一つ。
僕はどうやって過去に戻ってきた?
「…………」
僕はこのまま過去に居続けられるのか? それとも、いつか戻されるのだろうか。戻った時の世界はどうなっている? 僕のこっちでのちょっかいが反映された世界になるのか?
疑問は尽きない。一つも解消できないまま横に増えていく。そろそろ置き場にも困りそうだ。
「やめた」
その時になったら分かることだ。精神を過去に飛ばす方法なんて、僕の手に負える話ではない。というか、一人の人間でどうこうしようなんてのが間違いだ。僕は僕に課せられた時間の縛りを生きるしかできない。今はこんな風にしてバグってる訳だけど。
予定欄に「逆行の理由を調べる(そのうち)」と書き足したところで、僕は携帯を畳んだ布団の上に放った。
「てかやべ……そろそろやるか」
ほとんど名目上だけど、一応は母の遺品整理でこちらに来ている訳だから、僕にもやるべきことはある。老体の祖母に力仕事や階段の上り下りをさせる訳にもいかない。必然的に屋根裏の遺品整理は僕の仕事になっていた。
「うわ……埃やば……」
屋根裏に上がる階段は、蹴込板(足場と足場を繋いでいる地面と垂直の板)がない粗末なもので、一段上がる度にギィギィと恐ろしげな音を漏らす。体を残して頭だけ屋根裏に突っ込んでみると、その埃の凄まじさに、三角巾でもしてから来るべきだったかと後悔した。堆積した埃は、もう払い取るなんてもんじゃなくて、僕は半ばかき分けるようにして中を掃除し始めた。
「きったねー……」
とはいえ、母が実家に残しているものは少ない。母が自室として使っていた部屋はもぬけの殻で、この屋根裏さえ何とかしてしまえば、とりあえず僕の職責(家族責?)は果たしたことになる。
遺品は変なものばかりだった。どっかの町の手工業品、人形とか焼き物とか、鳥籠にしては豪奢な六角形の網籠とか、曰くありげな箱に収まっている解読不可能な古い日本語の(紐綴じの)書物とか。どれもこれも全く門外漢の僕には、穴が空くほど見つめても価値の判別が付かないシロモノばかりだ。
そんなもんが所狭しと並べられている訳だから、手をつけようにも、うっかり壊してしまわないか心配だったり、目を引く見た目に一々関心を持っていかれたりして、作業が一向に進まない。今度あの色々鑑定してくれる番組にでも応募してみようかな。
前回の僕、つまりちゃんと自意識が大学生ではなく高校一年生の頃の僕は、遺品整理を真面目にやっていなかった。だから屋根裏に何があるのかをよく知らない。こんなに面白い様相であったことを知っていれば、意味もなく不良然としていた前回の僕も、多少は興味を持っていたかもしれない。
「何だこれ……」
円柱状の黒い物体が出てきた。直径は見たところ3センチほど。片手に収まる小さな置物のようだが、母の趣味か?
色々いじくってみたが、どっかを押すと中身が出てくる、とか、どっかの推理マンガみたいに頂点が着火するとか、そんな仕かけは全然見当たらなかった。あるいは素材が貴重なのかもしれないが、それを布に包むでもなく埃の中で好きにさせている訳がない。
捨てるにも何ゴミか分からないし、ゴミと決まった訳でもないのに母の所持品をポイポイ捨てるのも忍びない。僕は用意しておいた空のダンボールの端にそれを入れると、さっさと掃除を終わらせてしまうことにした。
午後12時頃、僕は海沿いの緩やかな曲線を山の奥へと伸ばす舗装路を走っていた。
馬鹿だ。こんなに大切なことを全く忘れていたなんて。
「馬鹿っ……!」
思わず声にも出た。汚い言葉を抑えられなかったが、少し吐き出したおかげで、頭の端っこから冷静さを思い出す。とにかく急がなければ。
視界の右には開放的な海が広がっていた。潮騒が耳の中で泡に立つ。腹這いに砂の上を滑る波の後を、音が追いかけ、あるいは追い立てられていた。
僕の目的地は、町の沿岸部にある小さな浜辺だった。浜辺に降りる幅広の石階段を駆け降りて、来た道の方向に戻るようにして浜辺をかける。つーかなんでサンダルで出てきちゃったんだよ。足が沈む度に砂が重くてしょうがない。
くそっ。なんで忘れてた? これだけは絶対覚えていなければならなかったのに。
「間に合ったか……!?」
そこには、一人の少女が倒れていた。
「合ってたか……!」
彼女は新木ジャスミン。何だかちょっと異国情緒を感じる名前だが、両親共に日本人だ。僕は砂浜に仰向けになって、直射日光を全身に食らう彼女に駆け寄った。
「大丈夫かー! 聞こえてるー!?」
肩を軽く叩いたり、揺すったりしてみる。すると彼女は少し呻き声を発した。朦朧とした意識の中でも、何とか僕を認識しているようだ。
しかし、ゆったりとまばたきを繰り返すだけで、動きらしい動きはない。意識があるだけでほとんど気絶しているも同然だ。今日の暑さで長時間倒れていたら、どうなるか分かったもんじゃない。いや、分かっているからこうして阻止しにきた訳だが……そんなことはいい。とにかく日陰に運ばなければ。
「悪いけど触りますよー!」
彼女の腕を引き上げて、僕は自分の背中に回した。何とか人の体重を持ち上げると、ほぼ全体重を僕に任せている彼女を苦心して歩かせ、一日に一本しかないバスの木造停留所の屋根の下に座らせた。壁には適度に隙間があって、雨風や日光を凌ぎながらも通気性はいい。冬は悪態が口を突いて出るほど寒いのが難点だが。
「う、うぅ……」
頭が茹ってうまく考えがまとまらないようであったが、ほとんど機能していないとはいえ意識はあるようだ。僕は祖母に持たされた水筒を彼女に持たせると、一度その場を離れて、ハンカチを海水で濡らしに走った。
「はぁ……はぁ……」
戻ってきても、ジャスミンは水を飲んでいなかった。荒い呼吸の度に胸の布地が押し上げられ、また萎む。それを繰り返していた。何も喉を通す気にならないようで、彼女は氷で冷えた水筒を胸の下に当て、その冷たい感触で体を冷やそうとしている。手足くらいは動くようになったらしい。ただ、相変わらずその眼差しには、ここではないどこかを見ているかのような不自然な光が宿っていた。
僕は少し強引に彼女の腕を取って、脇の下に円柱型の水筒を挟ませると、また軽く肩を叩いてみた。
「大丈夫ですかー!」
声をかけながら、真っ赤に染まった額に濡れたハンカチをかけ、そこをめがけて帽子をあおぐ。すると気過熱で少しでも体の熱を発散させることができたのか、彼女のりんごのように赤く丸いかんばせが、安らいだかのように険を緩めた。
しかしやはり、意識ははっきりと戻らない。瞳孔の中で真円に近い曲線が遠近の押し合いを繰り返していた。
こうなったら救急車を呼ぶか? 熱中症って救急車を呼んでいいものなのか?
「……いや」
そんなことで悩んで、前回の二の舞を演じることになれば、時間を戻ってきた意味はない。ポケットの中で温まっていたスマホを取り出すと、僕は緊急電話から三桁の番号を入力した。
この時の熱中症が原因で、僕の知るジャスミンは、中枢神経に重篤な神経系の機能障害が残ったという。田舎の昼間の浜辺なんて、子供を抜きにすればほとんど誰も足を運ばない。前回の彼女は運悪く、いつもならまあまあ頻繁に見かける子供達にも、浜辺を管理する市の職員とかにも発見されず、半日以上そこに倒れていたらしい。そりゃ後遺症に悩まされるのもおかしくはないな、と……。
軽度の嚥下障害とかいうそうだ。ものを飲み込むのには、結構複雑な神経と筋肉のやり取りが過程にあるらしい。彼女の場合で言えば、咽頭? 嚥下? 反射の機能に問題があるとか何とか。
そのためかは知らないが、僕の記憶の中のジャスミンはかなり痩せていた。目鼻立ちがはっきりと主張する相貌は、ある程度の肉置きがあれば見栄えもしたであろうが、痩せこけた頬には不釣り合いなパーツの大きさが不安気に映る少女だった。栄養が足りていないのか、髪には質感がなく、肌に透けた静脈が痛ましかった。
それと比べてみれば、先ほどの上気したあの表情、過度に生命力に溢れた結果、オーバーフローを起こしているみたいな彼女の、おそらく本来の姿とでも言うべき姿に近い見た目は、思っていたよりもずっと端正だった。
「落ち着かねー……」
救急隊員に簡単な状況質問をされた後、僕はお役御免ということで、走っていく救急車を見送った。
結局アレでよかったのだろうか。あの瞬間は、まるで物語のヒーローにでもなったかのような高揚感に溺れていた。しかし本当に未来に変化が生じたのかは、まだ分からない。それこそ、倒れていた時点で手遅れだったかもしれない。もっと早く思い出してさえいれば、倒れる前に何か……
「あ……」
そういえば、体を冷やすために使わせていた水筒とハンカチ、冷やすのに使わせたまま、返してもらうのを忘れていた。
「……いいか」
祖母には海がもの珍しくてはしゃいでたら無くしたとかなんとか言っておこう。水筒は抜きにしても、ハンカチなんてそうそう頻繁に無くさなければ、そこまて痛手ということもないはずだ。アレが祖母の気に入っているヤツとかだったらどうしようもない。平謝りするだけだ。
「あー……きっつ」
それにしても、つい先ほど心労に見舞われたせいか、参道までの石階段が余計に険しい道のりであるかのように感じる。時刻は午後4時を少し過ぎた頃。バクも日がな一日あの場所に座っている訳ではないので、これくらいの時間を見計らっていかなければならない。
バクは変わらずそこにいた。やはり何をする訳でもなく、体育座りで板の木目を視線で行ったり来たりしている。
「あ……」
目が合った。彼女は半開きの口をそのまま膝から上げてしまい、それに気付くと恥ずかしげにまた俯いてしまった。
「今日も暑いね」
僕はわざと少し無遠慮に濡れ縁に座ると、あくまで目線は参道の方に向けたまま、当たり障りのないことを言ってみた。
反応はない。流石に一日やそこらでしっかり話ができるようになれると思っていないので、がっかりはしなかった。
ふぅー……。
さて……僕の会話カードデッキのモンスター(会話)カード、終了。弱すぎだろとか言った奴、自分のデッキを顧みてこい。
天気の話とかいう一番下のレア度(レア度の段階の詳細な名称なんか僕は知らん)が全てだ。後はなんか相槌とか共感とか褒めそやしとかそんなん。いやいや、真崎シオよ、お前、情けないとは思わないのか?
「ん……んん……」
横目でバクの様子をうかがうと、それから何にも言ってこない僕を不審に思ってか、居心地悪そうに身じろぎをしているのが見えた。
口の上手くない(推定)傷心中の少女に、余計な気を揉ませる奴があるか。こう、あるはずだ。彼女を怖がらせず、困らせず、過度に面白がらせたり興味を引かせるでもない、精神的に刺激少なめな案配のいいものが何か、こう……。
あ、そうだ。
「あー……イクヒが言ってたよ。前に、君に絆創膏を貰ったって。ありがとう」
そう言うと、彼女は非常に驚いて顔を上げそうになるが、すぐに膝の中に隠し、そして納得がいったかのように息を吐いた。多分、僕からイクヒの名前が出たのが驚きで、そして僕がイクヒの親戚であるということを思い出し、僕の口からお礼が出た意味を理解したのだろう。
実はこの話、イクヒからは聞いていない。というのも、前回の僕がバク本人から聞いたことだ。それを後からイクヒを問い正してみると、どうやら本当だということが判明した。
イクヒが道端で転んで膝を擦りむき、その痛みで大号泣していた時のことだ。もう小学3年生にもなるのに、一度感情を自覚するともう歯止めが効かないようで、車なんか一台も通らない広い道の真ん中で泣いていたらしい。
そこを通りかかったのが彼女、時任バクであった。彼女は買ったばかりの天然水をイクヒの膝にかけてやり、自前のハンカチで優しく拭いてから絆創膏を貼ってやったという。
「悪かった。大変だったろ。すごい泣くし」
イクヒの母親があからさまげんなりした顔で、イクヒと共に買い物袋を持って帰宅している姿を見たことがある。達人の手捌きでイクヒをあやしながら「手のかかる子ほどかわいいのよねぇ」とか言っていたあの人でも、疲れる時は疲れるようなので、人と関わるのが苦手なバクは、相当気疲れしたはずだ。
「だ、大丈、夫……イクヒちゃんは……その、いい子……だから……」
何度か言葉に詰まり、しかも声は震えていたが、彼女はしっかりと反論してきた。人の意見に反対をぶつけることすら、彼女にとっては恐怖を伴う行為であるようだということを確認する度に、果てしない無力感が僕を苛む。しかし、尻込みせずに意見を言ってくれたことには、彼女に感謝したい。
「よかった。ありがとう」
イクヒの方は、バクのことはほとんど気にかけていないようであった。一回助けてくれた人、くらいの感謝で、子供らしい無邪気さがバクへの関心を持たせなかった。これを残酷というほうが残酷だ。子供なら構ってくれる面白い奴に懐くのが当然だし、(イクヒ基準で)そうではない人に興味を持てと言われても、仕方ないだろう。
それをあえて伝える必要はない。ただ感謝を重ねておいた。単にイクヒの従兄弟として義理を立てているのではなく、本当に感謝しているのだということを示したかった。伝わっているかは甚だ疑問であるが、少なくとも悪意的に解釈されることはない……と、信じたい。
「優しいんだな。時任さん」
ここで補助カード発動。とりあえず褒めておく。死ぬほど恒常的な一手だ。使い古されていると言ってもいい。
「…………」
失敗! 手札を返した先には「スカ」と書いてあった。
だっ……! 大丈夫。想定内だ。まだ時期が悪いというだけ。そりゃそうだ。昨日今日の知り合いに突然褒められたって、嬉しいより困惑が勝つだろう。いや、会話能力が高い者の中には嬉しさが勝つという向きもあるだろうが、こと僕等のような日陰者には、そこまではちょっと距離が遠い。
「優しく、ない。全然、私は、優しくなんか……」
「……」
シンセティックな低音の声で、彼女は自虐めいた否定を繰り返した。そんなことはないと言いたいが、他人が彼女を許したところで、それが何らかのネガティブに鎖された彼女の精神を解放する契機とはならない。同じ日陰者として気持ちは分かる。バクのことを勝手に日陰者のうちに数えていることについては、聞かなくても同意してくれるだろうという見なしルールでいきたい。
はぁ……。
こういう時、咄嗟に丁度いいユーモアで当たり障りのないことを思い付けるような人間だったら、会話に困ることもなかっただろうに。
沈みがちな暮れの海は、蒼茫たる水面の奥を無明に濁らせていく。まだ空は顔をしかめたくなるほど青く眩しいが、傾き始めた日の催いが、着実に昼を追う暁闇を醸し始めていた。
海際で弦を引く緩やかなカーブの舗装路を、僕はぽつぽつと歩いていた。スポークス港湾に整列する係留の見事な直線が、棒グラフのように沖に突き出している。月と海には神さえ忌避する魔力が宿る。僕は波打つ潮の合間にエロティックな肢体を幻視して、いつの間にか浜辺に続く階段を降りていた。
「シオだ!」
何となく浜辺に降りてみると、イクヒとその友達である小学生の一段に絡まれた。
「見ろ! トカイ人だ!」
「トカイ人だー! 変な袖の服着てるー!」
変な袖って……三本くらい腕が入りそうな袖口の広さを言っているのか、七分丈のことを言っているのか。とにかく小学生達は大はしゃぎで僕の足の周りを囲み、きゃいきゃい騒ぎ始めた。
「ちょっ、危ね……走るなって」
「ねーねートカイ人!」
「シオだ。シオって呼べ」
「シオー!! トカイ人ならさー! トカイ人って証拠見せろよー!」
「証拠? そんなもん……」
ないぞ、と言いかけて、視界の端にほっぺたを膨らませまくったイクヒの顔が映った。これで事の成り行きは読めた。つまりアレだろう。イクヒがこの友人等に「ウチんとこのシオは東京から来たんだよー!」とか言って、子供達はそれに「嘘だー!」とか返したんだろう。
「ねー! シオー! 嘘じゃないよね! ウチ嘘つきじゃないもん!」
兄貴分としては、イクヒの顔を立ててやるのもやぶさかではない。しかしどうしたものか。証拠と言ってもそれらしいものは……あ。
「これなんかどうだ?」
僕はそう言って、子供達に携帯の写真を見せた。吉祥寺で楽器屋を見て回る写真、渋谷スクランブルの前で動画を撮る外国人配信者を隠し撮りした(もちろん褒められる行為ではない)写真、スカイツリーの展望台から撮った写真、どれにも僕が映っている。これならこの子達も納得してくれるのではないか?
「うぉおおー! すげー!! 東京だぁ!」
「マジじゃん!! シオお前ホントにトカイ人なんだー!!」
「すごーい!! おっしゃれー!」
渋谷の写真で盛り上がることなんてないから、ちょっと嬉しい。そんな風に言われると僕の方も調子に乗ってしまう。立て続けに雷門やアメ横の写真、ドームシティの写真を見せた。こんなに喜んでくれるなら、撮影した甲斐があったというものだ。構図なんか何も考えていない下手くそな写真だが、むしろ素人っぽくてリアルだったのかもしれない。
「すげー! オレも行きてぇー!」
「そうなの!! シオはすごいんだよ!」
さっきまで不安と不満が混じった表情だってイクヒが、得意げに笑っていた。元気になってくれたなら何よりだ。
本当なら、もっと特技みたいなものを披露して東京っぽさを演出できれば良かったんだが……あ? 何だそれ。東京らしい特技って何だ? なんか前より馬鹿なことを考えるようになってしまったな……。
「これ東京なの?」
よく分かっていなさそうな女の子が、写真を見て疑問そうに呟いた。実際、僕等には一目見れば分かるような馴染み深い場所でも、都外の人には、それもこんなに小さな子供だとピンと来ないのも頷ける。大阪以外に住む人が大阪の名所を紹介されて、すごーい、行ってみたーいとはなっても、これこれ! とか、懐かしー、とかにはならないはずだ。僕が写真で紹介した場所だって、人生で一度でも行かなければならないなんてルールはない訳だし。
「バッカお前! 人がすっげー量いるこれ、この写真のこれ! イチサンキューとか言って有名なんだぞ!」
写真を見て一番喜んでいた男の子が、背後の建物に中頃を挟まれた円筒状の建物を指差して、興奮気味に女の子に食い下がった。
「それってすごいの?」
「すごいに決まってるだろ! お前の兄ちゃんよりすごいんだぞ!」
男の子がそういうと、都会に興味なさそうな女の子は途端にほんわかとした表情を一転させ、否定的な怒りを表した。
「えぇー? そんなことないよー! お兄ちゃんの方がすごいもん!」
「トカイ人の方がすごい!」
「お兄ちゃんの方がすごいの!」
「トカイ!!」
「お兄ちゃん!」
「トカイったらトカイッ!!」
「二人とも、喧嘩は……」
僕が間に入ろうとしたところで、そっちの東京に関心がなさそうな女の子は僕等に背中を向けると、
「うえぇぇん!! お兄ちゃーーん!!」
走って反対側の方に行ってしまった。
「あー。ユカちゃん。お兄ちゃん大好きだから」
イクヒがあちゃー、みたいな顔で、ユカと呼んだ女の子の背を見送っている。その横では少年が意地を張ってそっぽを向いていたが、若干肩がこわばっており、やはりバツの悪さを感じているようだ。
「ほら、謝ってきな。意地悪してごめんねって」
「べ、別に、意地悪なんかしてねーし!」
男の子は顔を真っ赤にしてそう訴えてきた。これが怒りによるものなのか、照れ隠しによるものなのかは判別が付かない。いや、どう考えても後者だが、彼の小ぢんまりとした名誉のために、一応そうしておくことにする。
「どうすっかなー……俺が行ってもなぁ」
子供同士のちょっとした諍いに、初めて顔を合わせる高校生があんまりデカい横槍を入れるのもどうかな。という理由で、僕は二の足を踏んでいた。
「シオー。ウチが行ってきてもいいけど、多分ヘーキだよ」
イクヒはあっけらかんとしていた。まるでこの後に起きることが予測できているようだ。
「え、なんで?」
「それはねー……」
まさかイクヒまで過去から帰ってきたとか言い出さないよな、とか愚かな考えをしているうちに、モビルスーツ(ガンダム見たことないけど)みたいな足音が向こうから聞こえてきた。
「妹を泣かせたのは誰じゃあああーー!!!」
砂煙を巻き上げながら、すごい勢いで走ってくる人影が見えた。僕より数センチ身長の高い、色黒の少年。彼は僕を見るなり胸ぐらを掴み上げ、人でも殺しそうな形相で睨みつけてきた。
「お前かあああーーー!!!」
怖い怖い怖い。僕は両手を挙げて無抵抗をアピールしながら、口角から飛ばされる泡が顔に当たらないように避けるので必死だった。
そういやいたな……妹がかわいくて仕方ないってうんざりするほど言ってきた奴が……。
「ねー! ちょっとー! シオをいじめないで!」
イクヒが少年のズボンを引っ張る。しかしその声は少年には届かず、僕は声が出せないくらい激しく胸元を掴み上げられた。全く見境を失っている。
こいつの名前は
彼は非常に妹想いであることで有名だ。彼がいる限り、妹ちゃんは槍が降っても雷が降っても隕石が降っても無事だろうと言われるくらい。
「てめー……何モンだ! 妹を泣かせる奴ぁ……ぶっ殺おおおぉす……!!!」
この気合いの入りようをみればそれも頷ける。年頃の兄弟姉妹なんて、お互い嫌いではなくとも少し意地を張り合ってるくらいが普通なんじゃないか? どうやらショウリにとっては、妹がこの世の全てより優先されるようだ。
肝心の妹ちゃんの方は、ショウリのズボンにしがみついて泣いている。仲睦まじくて微笑ましいが、勘違いされて巻き込まれる身としては勘弁願いたい。多分こいつ、妹のためなら暴力も厭わないし。
「違うもん! シオじゃないもん!」
ここでイクヒがその妹ちゃんの反対側から、ショウリのズボンを引っ張った。妹と同い年で、しかもそれなりに妹と仲が良かったイクヒが言うのであれば、と、妹限定バーサーカーのショウリも、一応の落ち着きを見せる。
「む、うむむ、イクヒちゃんがそう言うなら、ちげーのか……」
何とか胸ぐらから手を離してもらった僕は少し首元を押さえながら、僕の代わりに抗議してくれたイクヒの頭を撫でた。
「ありがとな。イクヒ」
「へへ」
庇ってくれたことにお礼を言うと、イクヒは照れくさそうに笑った。
「するってーと、誰がユカを……」
少しだけ落ち着きを取り戻した彼の妹が、ズボンの端っこをくいくいと引っ張った。ショウリはその控えめな合図だけで妹が注意を引こうとしているのに気がつくと、砂で服が汚れることも厭わずに、妹と目線が合うように膝立ちになった。
「あのね、トカイの人がね、すごいからね、わたしね、お兄ちゃんのほうがすごいって言ったの! そしたらね、お兄ちゃんはすごくないって、お兄ちゃんよりトカイがね、お兄ちゃんのがすごくないってぇー……!」
ほぼ何言ってるか分からない。これを見るとイクヒって結構大人びてるんだな、と思わされる。泣いてても言っていることは分かるし。とはいえ、冷静じゃない時に適切な状況説明をしろと言われても、簡単にはその通りにできないというのには共感できる。この妹ちゃんを責められたものではない。
ショウリの妹は、ショウリに優しく目元をハンカチで拭いてもらいながら、何とか僕等にも分かってもらえるようにと説明を続けた。するとどうだろう。僕にはほとんど解読できなかったが、流石はお兄ちゃん、二回目で完全に理解できたようだ。
「そうか、そうか……! 悔しかったな……! ごめんな……! でも大丈夫だ。お兄ちゃんが付いてるからな!」
ショウリは膝立ちになって妹を抱きしめていた。溺愛というのは正にこういうことなんだろうなぁ。
「勘違いして悪かった。お前が最近引っ越してきたっていう真崎史緒か」
今ので本当に理解できたんだ。最初から事情を知っている僕ですら七割は聞き取れなかったのだが、ショウリの言う〝お兄ちゃん〟というのは常軌を逸した概念であるようだ。
「あ、あぁ。よろしく」
「オレは
それが自己紹介の文言かよ。
「ショウリと呼んでくれ」
そうそう。普通そういうのだろ。同年代の自己紹介ってのは。つーかそっちを先に言ってくれよ。妹が大事なんてのは、今の一連を見ていれば火を見るより明らかだ。
「俺のこともシオって呼んでよ」
「あぁ。よろしくな、シオ」
爽やかだ。こっちの連中はみんな爽やかなんだよな。こいつに関しては、妹絡みでない事柄に限定されるとはいえ。
「さて、下手なこと言って妹を泣かせた悪ガキには、後できつぅぅいオシオキをしてやるとして……」
男の子がビクゥッ、と肩を振るわせた。そういえばショウリは自分より一回りも小さな子供とも仲が良かったので、男の子の方もショウリと面識が深いのだろう。そういう信頼感の中での会話であることは自明だし、何より彼のことだから大事にはしないだろうが、自分より小さな子を捕まえてオシオキってのはどうだろう……こう、絵面が。
ショウリは仕切り直すように一呼吸を置くと、ポケットから何か布の塊のようなものを取り出すと、それを二つに解きほぐした。
「悪いんだがシオ……いや、真崎史緒!!」
突然フルネームで呼ばれるとびっくりする。何ならマサキ、の方も下の名前みたいな響きがあるので、学校行事でもないのに通して呼ばれると、何とも言えないむず痒さがあった。
「お前に、このオレとの一対一の決闘を申しむッ!!」
ショウリはそう言って、農作業用か何かの軍手の片方を僕の胸に叩きつけてきた。やることが古風だね。
「けっ……?」
「決闘ォーー!?」
僕が聞き返すのを遮って、イクヒがめちゃくちゃいいリアクションで叫んだ。その表情は驚愕ではなく期待に包まれている。君ね、もしかして僕に決闘を受けろとか言うんじゃないだろうな。
SF紹介
ハードSFの定義の議論は絶対にしないことに決めています。絶対怒られるから。参考までに、僕の意見としてはこうですね。
(読み解くのが)ハード、(厚モノばっかだからカバーが)ハード。
『アンチ・クリストの誕生』
オーストラリアの幻想作家レオ・ペルッツによる短編集。どの編を取っても「運命のイタズラ」とかいう陳腐な言葉を想起せずにはいられません。適度に差し込まれる合いの手のようなユーモアも、皮肉っぽくてたまらない。
特に「ボタンを押すだけで」がお気に入りです。幽体離脱を試してる怪しい集会で、まだ生きてる知り合いを呼び出してみろ! と難癖を付けたら……という話。同書中短編の一つである「月は笑う」もそうだけど、一見突飛なオカルト話のように思える場所に、SFへの切り口があるような気がしてならないのです。