重返青春記録1999 作:ヤグルマギク
リバース:1999では時たま寄り道をするもんさ。
あたしかい? あたしは……役目を終えた老人さね。
歩き始めたばかりかもしれないけれど、そういう時ほど、つい色んなものに目をやってしまうもの───そうじゃないかい?
そうだな、お前さんは傘なんか持っていないもんなァ……だがいつものお前さんらしくは無いな。
いつものお前さんは、湿気た面白くないって顔をしてるか、寝ぼけたような寝ぼけ眼か、今家族が死んだのを聞いたような悲しそうな顔をしているもんさ
……あぁ、問題ないぜ。所詮そこらにいるお喋りな嗄れ声さ。
だが、だァが、だァがァなァ!
俺はお前さんのことを覚えている。
雨の中を歩く濡れ鼠。友達作りの天才。蜜柑の香りに悲しそうな顔をする女。
そしてシルクハットを好んで被る変わり者───今は被っていなァいがァな!
だが、前に言ったように、俺は誰でもあって、誰でもない。
ただ、道の只中で酔っぱらっているような労働者。
ただ、通行人に語り掛ける暇人。
ただ、何でも知っているように振舞っている狂人。
思い出さない方がよかったのかもなァ!
雨の降りだすような匂い。鼻をムズムズさせる香りだ。それはそのまま雨が降り出す前兆だ。シルクハットを図書館に忘れてしまったことに気づいたヴェルティは、どうしようかと少しの間立ち止まる。どうでも良いものとは言わないが、わざわざ取りに戻るほどのものでもない。
結局、ヴェルティは取りに戻ることにした。たが、真っすぐ向かう訳ではない。道筋にすれ違う少女、ロボット、獣人。彼らの言葉に耳を傾け、周囲の様子に気を配る。小さなことに注視するのだ。
「時代病は、まだ始まっていない……?」
ヴェルティの恐れるストームは時代病を伴いやってくる。その表れは様々だが、人々の血管を電気ケーブルにしたり、顔を絵の具のように蕩かしたり、お金しか食べ物に思えなくさせたり……一目で異常だと分かるが、それがいつの間にか蔓延している。その変化はストームの訪れを強く訴える。きっとその変化を目にすれば、困惑と恐怖の反応を人は見せるだろう。ヴェルティはその反応をする人物を探していたのだ。
時代病に疑問を持ち、反応をする者が、救える可能性のある者。
それ以外の者は───残念だが、今は救えない。
ストームの影響を受けない場所がこのキヴォトスにあり、そこにストームの降る間居られれば、あるいは助かるかもしれない。それ以外の方法は、ヴェルティの持つスーツケースか、結び目と呪文、補助道具が揃えば……という具合だ。そして、今この瞬間に、必ず救えると保証ができる方法はスーツケースしかなかった。
信号が赤に変わる。横断歩道の白黒の上に赤・白・黒・光を照り返すシルバー様々な色の車が走り抜ける。その見た目はヴェルティには馴染みのない形で、それだけでも物珍しく見つめてしまった。ドライバーからは気にされない彼女の視線。それが、対岸の人をヴェルティの視線から隠していた。
チカチカと頭上で信号機の色が切り替わる。赤で立ち止まったアルペンマンが、青く歩き出す。それに合わせて車は歩行者に道を譲った。
アスファルトの河の上に架かる白色の橋の先、対岸に位置した人物がヴェルティをその瞳の中心に捉えた。
対岸の人物は、ヴェルティに気が付くと手をあげて自分の存在をより強く主張した。それは先程図書館で話した人物。ヴェルティがミス・シャーレと呼び始めた女性。キヴォトスで一番影響力を持つと言っても過言にはならない存在。
彼女は片手にシルクハットを握っており、ヴェルティに出会えた嬉しさは、彼女の顔をニコニコと光らせた。
”あぁ、会えてよかった”
横断歩道を白線の上だけ歩いて渡ってくる。きっと無意識の習慣なのだろう、子供っぽいとは思うが、こういうところが彼女に愛嬌を与えている。
「ありがとう、ミス・シャーレ」
”どういたしまして”
どうぞと手渡されたシルクハットをヴェルティは頭に乗せる。よく馴染んだ感触。
”もう用事は終わったの?”
「……うん、急ぎの用事は終わ───」
信号が再び、青に変わった。その時、丁度やってきた女子生徒は大きな声をあげた。
「なにこれ!? 信号のLED切れてんじゃん!」
ヴェルティと先生は彼女の声に従って歩行者信号を見上げる。そこには青色が灯っている。一体どういうことだろうかと思っていると、ガッシャン! と大きな音がする。そちらに視線を向ければ、青色の車と白色の車がぶつかっていた。
先生は目を白黒させて辺りを見渡す。
「───なんで、あの車道路の真ん中で急に事故ってんの? アタシ、心霊現象にでも会った?」
先生が何かを口にする前に、先ほどの学生が恐怖半分驚き半分の力の抜けた言葉を口にする。その言葉でヴェルティは、時代病が訪れたのを知る。それは青色の不認識。シルクハットの少女は知らないが、この世界の青は大きな意味を持つ。
観測できないならば、存在しない。青の存在しない青春はあり得ない。青々しさのある年頃の日常、非日常。喜ばしきハレの日も、退屈なケの日も、若さの活力が形作る日々の中にあり、その象徴たる青が存在しなくなれば……そう、テクスチャは脱色される。
それは、まさしく雨が色を押し流して綺麗さっぱりとさせてしまうかのようだった。
”君には、あの車見えるよね?!”
混乱困惑が滾々と溢れる。理解のできない世界に一人放り込まれたかのような思いは、ヴェルティも先程感じたばかりだった。その気持ちに理解をもって、ヴェルティは先生の言葉に頷く。
そして、それは救える人間が一人、目の前に現れたことを示していた。
「貴女も見えているんだね」
時代病はその時代を良くも悪くも言い表せるようなことが起きる。青の消失がそうであるというのであれば、きっとこの時代は青の時代なのだろう。
”え?”
「とりあえずここは危ないし、離れよう」
ミス・シャーレの手を引き、道から離れる。事故の余波を食らうのは避けたいし、時代病は感染する。その治療方法は未だに分からない。貴重な人物をここで失うのは避けたい。
”ちょっと、おかしいと思わないの!?”
手を引っ張り返され、ヴェルティの足は止まる。ミス・シャーレからすれば、何もかもが分からないことだろう。だが、そんなこと今は関係ない。少なくとも、ここは安全な場所ではないのだ。
「おかしいよ。けれど、このままだと貴女までおかしくなってしまう」
”───それは、どういう”
この騒動の原因が分かるのか。そう言いたいのであろう先生を無理矢理引っ張り、ヴェルティは彼女を道から引き離した。
「貴女は今、異常を目にしている。それがまだ救える条件なんだ」
腕のニキシー管に浮かぶ数字は30:00に切り替わっていいる。時間はまだあると言葉尻の濁せば言える残り時間。だが、彼女以外のまともな人を見つけだすのに30分で足りるだろうか。
少しの逡巡の後に彼女は決断を下す。ミス・シャーレの保護とまだ救える者の探索、同時にこなして、少しでも救える者を増やしたい。それがヴェルティの決断だった。
”意味が分からない。ちゃんと説明して!”
「わかった、歩きながら説明する。でも、今は離れる方が先決だよ、ミス・シャーレ。他にもまだ青が見えてる人がいるかもしれない」
助けられる数は増やしたい。その気持ちを感じ取ったミス・シャーレは渋々というところはありながらもついてきてくれるようになった。
それはどんな色をしていたか、覚えてるよなァ?
───青、青色だ!
空一面に広がり、寄せては返す波々に混ざり、南国の鳥の尾っぽにある青色さ!
まさか、忘れたんじゃないだろうな?
大事なことは青色が世界から消えたってことなんだぜ。
光は赤と! 緑と! 青で! 出来てるんだ。
分かるか? 世界から三分の一が消えちまったんだぞ!?
上から下までの大騒ぎッ! 右も左も大慌てッ!
まだ見えている者は困惑と違和感を持ったまま車に跳ねられ、もう見えなくなっちまった可哀そうな犠牲者は、哀れにも、あ~わ~れぇ~にも、気づかずに死んじまうのさッ!!
まッ! 俺には関係の無い話だがなァ!!!
ハッ、ハハハ───ハハハハハッハッハッ……ウェッ、ゴホッ、カハ───
ところで、今にも迫ってくる車の色はまだわかるかァ?
おや、また会ったね。まぁ、無駄なおしゃべり程楽しくて退屈なものも無いと思うけれどね。時にはやったっていいじゃないか。
あたしの名前も、小径にいるお喋りな他人でしかないよ。嗄れた声というところまで彼と同じさね。
シルクハットのお嬢さんは熱帯に向かってしまってね。あたしはお役御免となったのさ。さぁ、それよりも、アンタの言葉が聞きたいんだよ、あたしは。一体この先どうなるのかなんてことは仄めかす程度にしか言えないが、アンタがこの雨の始まりについて思うこと、聞かせておくれよ。
いっただろう? おしゃべりがあたしは最も楽しいことなんだよ。