重返青春記録1999 作:ヤグルマギク
「人生最後の24時間を───どう過ごすおつもりですか?」
そう訊ねてきた青年の舌は蛇のようだった。
ストームが訪れるまで、後25分しかない。腕のニキシー管の表示する数字は刻一刻と減り続け、焦りを促す。空は雲に覆われ、遠雷の音が微かに耳に届く。そのような中で、ヴェルティは不思議と懐かしさを感じていた。
「今から言うことを、素直に聞いて欲しい」
チラリと後ろを振り返って言う。手を引かれて歩く女性、ミス・シャーレは不承々々ふしょうぶしょうではあったが頷いた。
「これから、ストームという現象が起こる。これはたぶん、避けようの無い事実だ」
ヴェルティは悔しさを込めた言葉で語る。先生は彼女にストームというのは何かと訊ねた。
常に研究の機会を齎し、いつも傍にいるような友人の様な存在だとストームについて述べた研究者がいた。だが、この詩的な表現は余りにも皮肉的だ。聞かれているのは何が起こるのかである。
「時間の逆行が起こる。世界を全て巻き込んで───だけど、その途中で多くの人が篩にかけられるんだ」
”時間の逆行? 篩にかけられる?”
「……うん、この時間逆行現象ストームを乗り越えられないと───消えてしまうんだ。存在ごと、ね」
”ちょ、ちょっと待って、理解が追い付かない……”
確かに急に理解しろと言われても難しいだろう。論より証拠、百聞は一見に如かず。つまるところ一目見た方が早い。それがストームに言えることだった。だが、それを言ったところで意味は無い。それで納得できるのなら、そもそも渋々ついてくるような態度はとらないだろう。
「大事なのは、今から大きな災害が起こること、その災害は多くの被害を出すこと……そして、救える数はそう多くないってこと」
噛み砕けばそう言うことだ。ストームとはまさに災害。予報であらかじめ起きることが分かっていても食い止めることは出来ず、全てを救うこともまだ出来ない。
”それは、絶対に?”
ミス・シャーレは訊ねる。それに対する返答は肯定しかなかった。
「この世界では───前例のない未曾有の災害になる。絶対に」
嘘偽りはないことをヴェルティの目が物語る。その憐憫と無力感を匂わせる表情が、解決する力のないことを先生に理解させる。そして、もう一つ先生は理解したことがある。それは目の前の少女ヴェルティが、キヴォトスには似つかわしくない存在だということだ。
”・・・・・・君は、詳しいんだね”
それは疑いか、皮肉か、それとも現実逃避か。何にせよ飛び出た言葉に、ヴェルティは少しも臆さず答えた。
「私はこの雨を何度も越えてきたから」
”君の世界では、でしょ?”
二人の足はいつしか止まっていた。場所は時代病を観測した場所から少し離れた小径。少し進めば大通りを覗ける場所で立ち止まっていた。それは歩行に使うリソースも話の理解に回したかったからなのか、大通りの阿鼻叫喚を見たくないという無意識が足を止めさせたのか。どちらの理由もあるだろう。だが、それは一種の
「私は
名乗り、身分を明かす自己紹介の場。本来このような場で、時間で、タイミングで、自己紹介をするのはおかしいかもしれないが、最も自然な状態で名乗れるのはここだろうとヴェルティは無意識に判断していた。
「そして、今は違う世界にやってきてしまった迷い人と言えるだろうね」
言葉にはしないが、雨を連れてきてしまった雨女でもあるだろう。いや、雨に連れてこられたという方が正しいのかもしれない。いずれにせよヴェルティ以下スーツケースの住民たちは皆このキヴォトス、延いてはブルーアーカイブの世界にとって異物でしかない。しかし、ストームに対して解決策を提案できるのもまた、彼女たち異物しかいないのだ。
ミス・シャーレとヴェルティの二人は小径から顔を出し、大通りを覗く。腕のニキシー管の数字が15から14に切り替わる瞬間のことだった。
そこに凄惨たる事態と言えるほどの惨劇は広がっていなかった。しかし、それは表面上のことだけであり、被害は確かに出ている。
例えば、車に跳ね飛ばされた少女。青色の看板を撫でながら首を傾げている老猫。信号機の横でどこかへ電話をかけているロボットのスーツマン。花壇に腰かけていたブルドックは手帳に何度もペンを走らせ、ページを青に染めていく。
大小様々ながら確実にどこかに影響を受けているものばかり、どこにも救えるようなものは見当たらなかった。
───バシャッ!
青の雫……というには大きすぎる
道をすれ違う白い制服の学生が彼女に肩をぶつけた。だが、白制服の学生は怪訝な顔をするだけで歩き出す。そんな態度に雫を被った少女が怒り、相手の肩を掴むが、その相手は何がなにか分からないという風に慌て始めた。
───そう、まるで見えていないかのように。
ヴェルティはやっとビルの方を見た。そこには真っ白に漂白された広告。その端っこに青色の水滴が引っかかっていた。その雫も風に吹かれると壁面に滴って街路樹に落ちた。先ほど見た光景からの推測が正しければ───あの街路樹も青に染まって、色を奪われてしまった。
ヴェルティの推測はすぐに裏付けが取れる。それにぶつかって倒れるロボット市民が現れたからだ。
いよいよもっての理不尽なる現象。それはストームが目と鼻の先、角の向こうにまで迫ってきていることを示していた。
”ねぇ、どう? まだ助けられる子は……”
ミス・シャーレの震えた声。彼女だって先程の光景は見た。それでもなお救えるものが居ないか目を凝らしているのだ。それは立派な姿であり、同時に哀れなる姿だった。
ニキシー管の数字は10と表示されている。
ヴェルティはもう一度だけ、大通りを観察する。だが、そこにストームの理不尽なる現象から救い出せるような反応を見せる人物は、見つけることが出来なかった。
空は雲の灰色が青色を追いやっていた。「
あの風呂場の故事とは逆に、時代の病に犯された者が見つけられなくなる皮肉な事態を引き起こすのだった。
「……時間切れだ」
ヴェルティは告げた。
全ては始りへ……
そして、始まるよりも前へ……