白翼 作:散髪どっこいしょ野郎
その人は太陽に似ていた。まあ実際、人間らしからぬ特徴を備えていたのだが。
今から俺が綴るのは、そんな少女との十二年間の思い出話である。
▫▫▫▫▫
人付き合いが苦手だった。
同級生が昼休みに外で遊ぶ中、一人で本を読む。俺はそういう奴だった。
「何の本読んでるの?」
休み時間に入り、同じ教室の生徒たちはこぞってグラウンドに繰り出す。俺は部屋の隅で本を読もうとしていた。
顔を上げると、そこにいたのはクラスメイトの
「……野球の、小説」
対する俺は無愛想な返ししかできない。普通ならこれで会話は打ち切られる。だというのに一宮は俺に話しかけ続けた。
「もう小説読めるの!?すごいね!」
確か小学一年生の時だった。分からない漢字も多く難儀したが次第に読み取れるようになり、俺は早くも図書室に入り浸るようになっていた。
だからといって特別優れたことを成し遂げたわけではない。だというのに彼女は目を輝かせて俺に話しかけ続けた。
一宮には友達がたくさんいた。俺と会話するのも、彼女の明るさ故のものであり、そこに特別な感情が介在しているわけではない。
しかし初めて話しかけられたその日から、俺は彼女を目で追うようになっていた。
というようにこれが俺こと
▫▫▫▫▫
一宮には翼が生えていた。飛ぶことを目的としない、片翼だけの真っ白な翼。
それが生えている──ということは、彼女は天使候補の人間だということだ。
天使候補。一年に一人生まれる、名前通り天使の候補となった人間。
″優しさ″を分け与える度にその羽は抜け落ち、完全に無くなり骨と皮だけになった時晴れて天使となれるのだ。
天使の仕事はトップシークレット。何をするのかも分からない、未だに詳細不明な業務。
そんなわけで仮に羽が全て抜け落ちたとしても天使になるのは自分で決められる。退職するのも自由だが、仕事内容を漏らさぬように特別な聖痕を付けられるだとか。
一年生の自己紹介の時、一宮は天使になることが夢だと語っていた。あの性格だ。実際になるのも時間の問題だろう。
「陽くん陽くん!」
「…………なんだ?」
阿澄陽。我ながら不似合いな名前だと思う。俺には誰かを照らせるような光なんて無い。
それなのに、あの初対面以降一宮は頻繁に話しかけてくるようになった。
俺は環境に恵まれている。付き合ってるのかよなどと囃し立てる同級生はいなかった。
「じゃーん!ぬいぐるみ作ってきたんだ!ねえねえ、何の動物だと思う?」
「……エイか何かか?」
「えーそう見えるー!?これはね、近所のワンちゃんを目指して作ったんだ!」
犬と呼ぶにはいささか頬が広すぎると思う。手先は器用なのに何故このような物になったのか、俺には分からなかった。
羽が抜け落ちる。
本人は無自覚なようだが、根暗な俺に話しかけること自体が優しさを分け与えることに直結しているらしい。
いい気分はしなかった。彼女が″優しい″から話しかけてくれるだけであって、俺との時間は羽を落とすための『仕事』でしかないと告げられているようで。
抜け落ちた羽はすぐさま空気に溶けるため、採取はできない。だからどこで落としたとしても掃除の心配はない。
「……一宮」
「なに?」
「なんで俺なんかに話しかけるんだ。友達なら他にもいるだろ」
「私の目標はクラスの皆と友達になることだから!だから陽くんとも仲良くなりたいんだ!」
……ああ。本当に。
眩しすぎる。太陽の傍に俺はいられない。
▫▫▫▫▫
小学二年生に上がってもクラスは同じだった。というよりも、少子化の影響でクラスは一つしかなかった。
一宮は相変わらず俺に話しかけてくる。
「それでね、私も小説読んでみることにしたんだけど……何かオススメってある?」
「……図書室にあるのだと、『粘土の海』がいいんじゃないか。ふりがな多いし」
小説の世界は奥深い。片足浸かったら後はもうどっぷりだ。
小学二年生が理解できるものは限られてくるが、それでも誕生日には本をねだるくらいに
……羽が抜け落ちる。
小学生は純粋な人間が多い。それ故に不和も発生するが、運のいいことに俺の周りは皆いい奴だった。
だから優しさを分け与える機会も俺と話す以時外は少ないようで、その翼は見目麗しいものだった。
もちろん、一宮は優しい。こんな俺と仲良くなろうとするぐらいだから相当だ。普段の生活を見ていても口調や話題も相手を意識したものが多い。
問題は成長してからもその純粋さが維持できるかだ。家族や友人などの外的要因により心が歪んでいく事例は決して少なくない。大人になる頃にはすっかり汚れてしまうこともある。
「バイバーイ陽くーん!」
「…………ん」
放課後になり、手を振りながら笑顔で帰っていく一宮。
その姿を見ていると、そんな未来は来ないようにも思われた。
▫▫▫▫▫
小学三年生に上がった。まだ勉強は問題ない。
相変わらず俺は図書室にこもっている。
「陽くん陽くん!」
「ここは図書室だ。静かにしとけ」
「あ、ご、ごめんね?それで、やっと『粘土の海』読み終わったんだけど……」
律儀なことに俺の紹介した小説を読んでくれていた。感想は『面白かった』というありきたりなものだったが、どこがよかったのかという詳細説明も含められていた。
普通、こんな暗い男に話を合わせる理由なんてない筈だ。一体何が彼女をそこまでさせるのか。
また羽が抜け落ちた。
▫▫▫▫▫
小学四年生になると色々なことが変わってくる。
勉強につまづく者が増えたり、
作文は、まあそこまで嫌いじゃない。普段活字を読み込んでる分ある程度のアドバンテージがある。
問題は合唱だ。特別音痴なわけではないが練習に時間を食われるし、何より自分の声を張り上げなければならない。
自分の声はそこまで好きじゃない。だから話すのも最小限にしようとしている。
なのに一宮は俺と対話を何度も試みる。ぶっきらぼうな返ししかできない俺に。
「あと十年したら成人かぁ~……なんだかワクワクするなー……!」
「何かしたいことでもあるのか?」
「うん!だって二十歳だよ!大人だよ!あ、でもそれまでに天使になれるかなぁ……」
「一宮ならなれるだろ」
嘘偽りない本音だった。現に今も羽が抜け落ちているから、このペースで行けば十八歳頃には天使になっているだろう。
「そう?ありがとう!」
笑顔が眩しい。向けられた輝きに俺は目を背けることしかできなかった。
▫▫▫▫▫
「おめでとう陽くん!」
「…………ああ、どうも」
自分でも今回の件は胸を張って言える。
小学五年生になり書くことになった作文のコンクールで賞を取った。
……俺のような人間でも、何かを成し遂げることができた。それがあまりにも嬉しくて、両親にも嬉々として伝えようとした。
だが、返事は『今頭痛いから後にして』という言葉だった。
その『後』は、きっといつまで経っても来ないことを幼い俺でも知っていた。
だから一宮から言祝がれたことは表面には出さないが嬉しかった。
──しかし、一宮は俺以上に称えられるべきことをしたのを俺は知っている。
ある日、スーパーに買い物に行った時。俺がいることは気づかれなかったが、一宮は横断歩道を老人の手を引きながら渡っていた。羽が抜け落ちたのを遠目に見ても確認できた。
それだけではなく、その老人の家まで荷物持ちをしていた。奥手な俺では成し得なかったことだ。
感じたものは、劣等感。
一宮は俺と違い光り輝いている。俺に無いもの全てを併せ持ち、しかしそれをひけらかすことなく善良に生を謳歌している。
「陽くん?どうしたの、ボーっとして」
「……少し、考え事を」
友達らしい友達がいない俺の会話相手は一宮ぐらいだ。
羽が抜け落ちた。
▫▫▫▫▫
小学六年生になる。来年からは中学生だが、俺は多分変わらない。
「────、────」
「────!」
今日の一宮は友達と話していた。流石に四六時中俺に声をかけているわけではない。
俺は気にせず本を読んでいる……筈が、何故か聞き耳を立てていた。
「叶ちゃんってなんで阿澄くんに話しかけてるの?あんなにジメジメしてるのに」
その問いは尤もだ。俺といることで変な噂も立てられるだろう。
それなのにどうして、彼女は。
「えー陽くんいい人だよー?」
やめろ。よりによって一宮がそれを言うのか。
なにが″いい人″だ。俺は臆病で、陰気で、どうしようもない愚物だ。
「まあ、叶ちゃんが大丈夫ならいいけどさ……あんまり関わりすぎない方がいいかもよ?」
そうだ、その通りだ。太陽に陰りはいらない。
「陽くん陽くん!」
だというのに。数十分後、性懲りもなく一宮は話しかけてきた。
羽が抜け落ち──ない。
「……え?」
「ん?どうしたの?」
以前聞いてみたことがあったが羽が抜け落ちる感覚は彼女には分からないらしい。
しかし俺と話す時は必ず抜けていた羽が、翼に留まっている。
……なんだ?どうしてこうなった?
「ど、どうしたの?ジッと見て」
「ああ……いや、なんでもない」
わざわざ俺と会話してくれる。それは純粋な優しさ故のものなのに。今までと何が違う?何が変わった?
蝉が鳴く七月のことだった。
▫▫▫▫▫
新たな学び舎にやってくる春。吹きすさぶ桜の花弁。校長の話を聞きながら、俺は改めて中学生になったことを実感する。
一宮とは同じ学校の同じクラス。というのも、ここの地区には中学校は一つしかないからだ。小学校時代の同級生も多い。
そんなわけだから俺は入学早々図書室の常連になっていた。
「ねえねえ、この学校だと何がオススメ?」
「……『春の
「分かった、読んでみるね、ありがとう!」
羽は抜け落ちない。わざわざ俺と話を合わせてくれているのにも拘わらず。
オススメの小説を伝えるやいなや借りに行く一宮。その後ろ姿を眺めながら、嘆息した。
▫▫▫▫▫
「ねえ陽くん、委員会はどこに入るの?」
「……無難に図書委員。どうしてそんなことを聞く」
「あはは、それは内緒」
授業が始まる数分前、彼女は唐突にそんなことを聞いてきた。俺がどこに入ろうが関係ない筈だ。
「図書委員やりたい人ー」
教師が挙手を促すと、俺以外にも数名立候補者がいた。その中には一宮もいる。
「…………」
「あちゃーダメかー」
じゃんけんで決めることになったのだが俺と一宮は呆気なく敗北。
その後も嫌な役割を避け続けていると──いつのまにか学級委員長にさせられた。″選択″を怠ったツケというものだろう。
不思議なことに一宮は嫌な顔一つせず副委員長になった。まったく、お互い損な性格をしている。
拘束時間が増えるのは避けたかった。が、特にやりたいこともなかったので、ある意味では俺が適任なのかもしれない。
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所属委員会を決めた次は部活動の選択。続けて言うようだが俺にやりたいことはない。
できるだけ楽な道を選びたい……と思っていたのだが運の悪いことにこの学校は部活動に力を入れており、どのジャンルを選んでも苦労する道しか残っていなかった。
結果、消去法で吹奏楽部。
吹奏楽部は体育会系と遜色ないレベルで大変と聞く。しかし自分の息が美しい音色を奏でると思えば悪い気はしなかった。故に吹奏楽部。
一宮はテニス部だった。これからの交流時間は少なくなるだろう。元より俺はそれを望んでいる。筈だ。
▫▫▫▫▫
「あ!陽くん!一緒に帰ろ!」
「…………ああ」
筈が、想像以上に吹奏楽部はストイックだった。おかげでテニス部と帰宅時間が重なる。
羽は抜け落ちない。俺と帰ることは優しさを分け与えることにならないのか?
「部活、どう?」
「思っていたより大変だった。……一宮は」
「私も大変だけど、楽しいから入ってよかったなぁ」
……眩しい。目を潰されそうな程に。
「ねね、交換日記しない?」
「は?」
いきなり何を言い出すのか。交換日記など、同性とやるようなものだろうに。
「……何故、俺に」
「あっ、嫌だったら全然断ってくれていいよ?ちょっとした思いつきだから」
思考を回す。これ以上ない程に脳内回路を巡らせる。
交換日記どころか普段の日記さえしたことはない。一日の記録。そんなものを残して何になるというのか。
一宮の顔を盗み見る。期待と不安が入り混じったような表情。彼女のそんな面を見ていると言いようのない感情に襲われる。
「……一言ぐらいでいいなら、いい」
「……!!ありがとう、陽くん!」
その脚でコンビニに直行。何の飾り気もない大学ノートを二人で購入し、一宮に預けることになった。
▫▫▫▫▫
クラスメイトの殆どは小学校からの同級生なため、相変わらず俺に友人はいない。当然だ。こんな鬱屈とした男に声をかける物好きなんて、それこそ一宮くらいしかいない。
交換日記は帰り際に渡すことになった。流石に同級生に見られるのは恥ずかしいらしい。
○月×日
※今日の給食は陽くんも知っているので省くことにします。
今日の朝食は苺ジャムを塗ったトーストとスープ。スープが熱くて火傷しそうになりました。
部活動はまだラケットを握らせてはもらえず、筋トレとランニングをしています。だけど自分が成長できている実感があって楽しかったです。
夕食は家族で焼肉に行きました。お父さんは張り切って食べすぎて苦しそうにしていました。
寝る前と起きた直後に勉強をするようにしていますが、個人的には寝る前の方がやる気が入ります。
日記を書くのは初めてだからほとんど食べたものに関する記録になっちゃったけどこれでいいかな?
寝る直前にアロマキャンドルをつけてみました。文字越しだと香りが伝わらないのは少し残念。
「…………」
なんでもそつなくこなす一宮にしてはたどたどしい印象を受ける記述だった。
……日記か。俺は口下手だし、語彙力もない。彼女のような器用さもない。
しかし交換日記という体制をしている以上何かしら書き記さなければならない。
俺の好きな物……といえば、小説ぐらいだ。これぐらいしか俺の趣味はない。
○月△日
今日は『ストレート・バックフラッシュ』を読んだ。登場人物の掛け合いが見てて面白かった。
……随分と素っ気ないが、俺にはこれぐらいがちょうどいい。
▫▫▫▫▫
「阿澄くん、ピッチ高いよ」
「はい」
体力作りに楽器の練習。吹奏楽部は中々にやり応えのある部活だ。
体を鍛えることしかできなくとも楽しいと言っていた理由が少しだけ分かる。成長できているという確信を得られることは喜びに繋がっていく。
先輩方は皆優しい。初めての演奏に戸惑う俺を温和に導いてくれた。
……こんなに恵まれているというのに、俺はいつも暗い。これが自分の性根だと言ってしまえばそれまでだが、だとしても、一宮までとはいかなくとも日常生活を送る上で最低限の希望は持った方が断然いい。
……希望。そんなものを抱いて、何が変わる?
これから先も俺は暗澹に生きて、惨めに死ぬ。
悲観が過ぎるか?しかし未来の自分が明るく生きているかと考えたら、とてもそうは思えない。
一宮はきっと天使になる。光り輝いた人生を送っていくだろう。
──何故、一宮のことを考えた?
▫▫▫▫▫
中学二年生になると後輩ができる。舐められるのは構わない。元々俺は侮蔑されて然るべき人間だからだ。
一宮を目で追うことが増えた。共に帰宅している最中、彼女の横顔を何度も盗み見た。
……気持ち悪い。
この温もりに似た感情も、一宮を見る俺自身も。
「陽くん、今日は何の小説読んでるの?」
「『ハニーライク』」
中二になっても一宮は話しかけ続ける。俺と彼女ではまるで釣り合わないというのに。もちろん俺が″下″だ。
噂では一宮はクラスの男子二名程に惚れられているとのこと。彼らからすれば俺の存在は疎ましくて仕方がないだろう。
勉強が難しくなってきた。腰を据えて自習しなければ解けない問題も増えてきた。国語は得意だが。
小説を読んでいるおかげで最低限の教養はついてきた。だからといって俺の捻れ曲がった性格が治ることはないが。
▫▫▫▫▫
「ら、ランニング十周、終わりました~……」
「お疲れ」
部活動の初めに行われるトレーニング。俺の後に続いた後輩たちは殆どが途中からついてこられなくなり、彼ら、彼女らが走り終わるまで先輩として待っていることになった。
「はぁ、はぁ……せ、先輩速すぎますよぉ~……どうやったらそんな体力つくんですかぁ~……」
「次第に慣れる」
後輩は素直な子が多かった。当然中学生らしい反骨精神を備えた者もいたが、体力作りの時点で上下関係を示せたようで、大人しく『先輩』と呼び慕ってくれていた。
去年のコンクールは銀賞だったが今年は違う。先輩方も俺たち二年生も、連携を取られるようになった。
「ところで先輩、いつも誰と一緒に帰っているんですか?」
「……どうしてそんなことを聞く」
ランニング後の小休憩の際、ふとそんなことを聞かれた。別にやましいことをしているわけではないのに表情が歪む。
「……怒ってます?」
「怒る理由が無い。それはそれとしてどうしてそんなことを聞く」
「先輩いつも同じ人と帰ってるから、彼女さんかな~って一年の間で噂になってて……あ、これは言っちゃいけないんだった」
思わず眉間にシワが寄る。彼女?付き合ってる?俺と一宮が?冗談も程々にしてくれ。
一宮は優しいから俺と共に帰ってくれているだけだ。そこに特別な感情などあるわけがない。
そんなことを考えていたら顔つきが悪くなっていたのか、後輩たちはオロオロとしていた。
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「また明日ね、陽くん」
「……ああ。また、明日」
別れ際に大学ノートを受け取る。今日──厳密に言えば昨日──は何が書いてあるだろうか。
☆月□日
なんと今日は先輩に勝ちました!大会のメンバーにも選ばれたので全力で頑張ろうと思います。
陽くんの読んでた小説を借りてみたけど想像以上に今の私にピッタリはまりました。特に主人公の葛藤している所とか────
「…………」
今日も変わらずたわいのない内容。日記らしい、実に一宮らしい文章だった。
何を書こうかと考えるより先に手は動いていた。いつもなら読んだ小説のことぐらいしか書かないが、頭と体は勝手に先走り──
☆月◎日
今日も後輩たちを指導。入学したての俺を思わせるような軟弱ぶりだったが、だんだんと体力がついてきている。
書いてから宙に目を泳がせる。今ならまだ書き直しができる。いつも通り小説の感想を書いて、終わりにできる。
それでも俺の体は動こうとせず、勉強机に向かいながらノートを閉じた。
▫▫▫▫▫
早いもので入学してから三年が経った。
受験を控え、ピリピリとしたムードが教室に充満する。
吹奏楽部も引退する時が来た。去年はダメ金だったが、今度こそ全国大会へ。
……?
俺にしては前向きな思考になっている。一宮の影響か?
「んぱい……せんぱい……先輩!」
「……あ、ああ。悪い。どうした?」
「ここのスタッカートの所なんですけど……」
後輩たちはよく育った。これなら安心して後続を任せられる。……やはり思考が変だ。何かにのぼせているような。
▫▫▫▫▫
叫び声が会場にこだまする。それも当然、俺たちの中学校は予選を通過して全国大会に出場を決定、そして本番も見事演奏しきり金賞を獲得したからだ。
この件は校長や教師陣から大いに賞賛された。いつも厳しかった顧問が満足げに頷いていたのも印象深い。
さて、黄金時代は終わり、俺は高校生への道を志す。
一宮から影響を受けたのならそれはきっと
一宮はこの三年間で多くの羽を溶かした(後から聞いた話だがボランティアにも積極的に参加していたらしい)。骨と皮の部分も目立つようになり、天使になるまであと間もなくといったところだ。
仮に羽が全て抜け落ちても天使になるのは高校を卒業してからと決めているらしい。そして偶然にも俺と彼女が目指す進路は重なっている。
▫▫▫▫▫
受験シーズンに突入しても交換日記は続いた。流石にお互い疲弊しているのか、文章は簡素なものが増えているが。
両親は俺に何も言わない。何も期待していない。それも仕方のないことだと思う。何せ俺は俺なのだから。
「そろそろ休憩にする?」
「……そうだな」
一人で家に閉じこもっていると、一宮がやってきた。俺の母親は表面上は友好的だがその実無関心。茶と菓子を出したらそそくさといなくなった。
と、いうわけで二人の勉強会は続く。大体は一宮が俺の家に押しかけてやることになっている。
「んっく……んっく……」
冷蔵庫から勝手に引っ張り出した乳酸菌飲料で一息。バレても特に何も言われないが、普段は飲まない。
「陽くんの部屋、こんな感じなんだ」
新鮮そうに彼女は呟くが──正直、物が少なすぎると思われているだろう。
親戚同士は仲が悪く、お年玉を貰ったことがない。そして俺は中学生。働き口は無い。小遣いも無いとなれば、何かを購入する機会はそれこそ二年前の大学ノートくらい。
「つまらないだろ」
「えーそんなことないよ。シュッとしててかっこいいと思うよ、陽くんの部屋」
寝食を共にする家があって、自分の部屋を用意してもらえている時点で恵まれていると思う。それに必要最低限の物は買い揃えてもらった。感謝こそすれ恨む道理はどこにもない。
しかし、両親は俺に期待していない。幼い頃から愛情らしきものを受け取ったことはない。だから俺も両親に期待しなくなった。
仮に高校に合格しても、『今頭痛いから後にして』と言われるだけだ。
「陽くん」
「……なんだ?」
「──絶対、絶対一緒に合格しようね!」
「………………ああ」
▫▫▫▫▫
高校生になって真っ先に行ったのがバイトの申請だった。
『大学受験のために金を集めたい』という方便はすんなりと通り、俺はバイトを始めることになった。当然良い成績を出すことを条件付けられたのだが。
本音は『自分の金が欲しい』が三割、七割が『育てられた分の金を返したい』だ。とにかくあの両親に借りを作りたくなかった。
部活動は中学と変わらず吹奏楽部。ただこの高校は弱小校だった。それに奮起して上を目指す──なんて熱は俺には無い。そもそもバイトをする以上拘束時間を増やしてはいけない。そういう意味でも弱小校なのは都合がよかった。
この学校に不満点は無かった。図書室は広い、部活動もある程度自由が効く。
それでも少子高齢化の波は厳しく迫ってくるようで、クラスは相変わらず一つしかなかった。つまり、一宮との関係は途切れない。
昔からずっと不思議に思っていた。俺は一宮をどう思っているのか。
彼女は眩しい。眩しすぎる。俺という愚者には強すぎる光輝だ。
だから苦手なのだと自分に言い聞かせていたが、では何故彼女の姿を目で追うようになった?
謎は深まるばかり。ただ一つ言えるのは──
──彼女が天使になる前にこの関係の決着をつけなければならないということだ。
▫▫▫▫▫
「一応言っとく。おめでとう」
「~~~!!ありがとう、陽くん!」
今日の一宮はクラスの大勢に祝福されていた。それもそのはず、一宮の翼からは羽が完全に抜け落ちていたからだ。
長らくに渡り優しさを分け与えてきた努力の結晶。骨と皮だけになっても尚、その翼は美しかった。
これで一宮は天使になれる。天使になった人間は天界で働くこととなるため、もう会うことはない。
……?
……いた、い?
▫▫▫▫▫
「ふぅー。お疲れ阿澄くん。もう上がっていいよ」
「はい。ありがとうございました」
俺は対人運がいいのか、バイト先の店長も朗らかで優しい人だった。色々と不慣れで失敗してしまうことも多々あった俺を見放すことなく指導してくれた。
金が入ったら何に使おう。両親に返す分も考慮するとして、何か買いたい物でも────無い。
欲しい物が、無い。思えばずっとそうだった。俺の隣には一宮がいて、それだけで、それだけで──もう満足だったのだから。
あの大学ノートで十分だったのだ。それなのに俺は、自分はまだ何かを求めていると勘違いして、あるはずのない物を探して。
一宮。何故また彼女の顔を思い浮かべた?
……小説。そうだ、図書室は卒業すると使えなくなる。小説でも買おう。
欲しい物はある。ある筈だ。
▫▫▫▫▫
俺と一宮の入った高校はそれなりに偏差値が高く、クラスには小~中学時代とはまた違った人たちがいた。だからといって俺が変わるわけではないし、友人と呼べるような関係を築けるわけではないのだが。
「阿澄、一宮さんと付き合ってるの?」
昼休みになり食堂で日替わり丼を食べていると声をかけられた。珍しく一宮以外から。
「いや」
「そうかー。じゃあ俺が狙っちまおうかな~」
そう言ったのは爽やかな笑顔が特徴的な好男だった。太陽の傍にいるにはちょうどいい。
?なんだこのささくれ立つ感情は。
その後、例の好男が振られたとの噂を聞きつけた俺は謎に安心して────もう、誤魔化すのはよせよ。
誤魔化すって、何が。
分かっているだろう?俺はずっと彼女を追って、追い求めていたのだから。
違う。
何が違う?泥に浸かったような人間にも手を差し伸べる彼女に、俺は──
……そうだ、俺は──
────一宮叶に、惚れていたのか。
▫▫▫▫▫
高校二年生に上がり恋心を自覚したからといって、何かするというわけではない。俺は生まれつきそんな人間だ。
交換日記は続いている。告白でもしてみるか?バカを言え。俺はそんな価値のある人間じゃない。
どうせあと二年の付き合いだ。俺が引き止めたところで彼女は振り返らない。いや、引き止めること自体が烏滸がましい。
バイト、勉強、バイト、勉強、たまに部活動……。
いつしかこの日常も愛せる日が来るのだろうか。大人になればこのなんでもないような日々に郷愁を抱く時が来るのだろうか。
読まない小説が溜まっていく。
あんなに日々の中心に根付いていた読書が今はままならない。活字に目をやろうとするとどうしても一宮の顔が浮かんでくるから。
気持ち悪い、気持ち悪い、気持ち悪い……。
自己嫌悪の坩堝にいた。
▫▫▫▫▫
特に何か重大な事件があったわけでもなく、時は進んでいく。
もう高校三年生か。早すぎる。
「それで、陽くんはどこ回りたい?」
修学旅行は沖縄だった。友人のいない俺は当然のように一宮から誘われた。班員の苦笑いが意識に突き刺さる。
観光も食べ歩きも好きじゃない。嫌いではないというだけで。
「どこでもいい」
そうだ。一宮と一緒なら、どこでも。
▫▫▫▫▫
「ふあぁ……楽しかったね」
「……そうだな」
今まで羽目を外したことはなかったが、惚れていることを悟った今はなんだかもうやぶれかぶれになり俺にしては珍しく笑顔の時間があった。予想外の事態に班員は驚いていた。
欠伸をしながら問いかける一宮に胡乱げな返事を残す。夜も更け、食事処は閉店間際。何故か周りには誰もいない。
「ねえ、陽くん」
「なんだ?」
「………………なんでもない」
彼女は振り返る。
「…………?」
──太陽が、陰っていた。
▫▫▫▫▫
もう受ける授業も残り少なくなった日のこと。一宮は定例通り一緒に帰ろうと言ってきた。断る理由もないので承諾すると、微笑みながら隣を歩き出す。
「そういえば、陽くんのお願い聞いたことなかったよね。何か私にできることある?」
できること、なんて。今まで散々貰う立場だった俺が言えることじゃない。
それでも一宮は妙に食い下がった。だから俺は、やけっぱちになりながら告げた。
「手を繋いで帰りたい」
「ふぇ?」
「……帰り道、危ないし」
我ながら苦しい言い訳だと思う。こんな気持ち悪い″お願い″なんて、断られて当然だ。なのに、彼女は。
「じゃあ、ちょっと失礼するよ?────ふふ、なんかくすぐったいね」
彼女の細い指先が俺の手を絡め取る。ひんやりとした体温に驚きながら俺たちは歩を進めた。
「あーあ、卒業したくないなー……」
その発言の真意を測ることもできなければ、行かないでほしい、と言うこともできなかった。
▫▫▫▫▫
卒業式は欠伸を噛み殺すので精一杯だった。
俺は大学へ、一宮は天界へと、それぞれ違う道を行く。
俺は今、家への帰路についていた。
別れ際も一宮はいつもと変わらない笑顔で『さよなら』と言っていた。
『さよなら』。もう、会うことは叶わない断絶の言葉。
太陽に曇りを与えた俺にはちょうどいい言葉だ。そんなことを考えて歩いていると、懐に忍ばせてあった携帯電話に通知が来た。差出人は一宮。ボイスメッセージのようだ。せっかくの別れだ。何処か静かな場所で聞くことにしよう。
▫▫▫▫▫
歩いた先は近所にあるちょっとした小丘。平日なためか、辺りには人影が無い。
携帯を操作し通知を開く。暫時迷ったが再生ボタンに手を伸ばした。
『あー、聞こえる?聞こえるよね?』
何度も聞いてきた、彼女の言葉だった。
『えーっと、これを聞いてる頃には私はもう天界に行ってると思います。……あはは、なんかしみっぽくなっちゃうね』
何がおかしいのか笑う一宮。小学校の頃から変わっていない、彼女の輝きだった。
『あれこれ建前を言うのもアレだからハッキリ言うね?私──陽くんのことが好き』
鼓動が停止した──と錯覚する程の衝撃に襲われる。
好き、というのは、友人として、という意味か?
『友達としても好きだけど、異性として好き。……ふふ、こう言わないと陽くん分からないかもしれないからね。ぐいぐい言うよ~今日の私は』
何故。どうして。俺は、こんな、
『始めはね?小学校通ってた頃はあんまり仲良くなれなかったからただ友達になりたいなーって思ってたんだけど……六年生くらいの時にかな。私、陽くんが好きなんだなーって分かったんだ』
小学五年生まではただ友達として仲良くなりたかっただけだけど六年生からは恋愛感情があった。
つまり、あれか。一宮は
手を伸ばせば届くかもしれなかったのに。分かろうとする努力すらしなかった。
『ごめんね、面と向かって言えなくて。でもね陽くん。私は陽くんにたくさんのものを貰ったんだ』
やめろ。
『小説を教えてくれたことも、交換日記をしてくれたことも』
やめろ、やめろ!
『全部、全部。大切な思い出なんだ。だからね陽くん』
叫んでいた。届くことのない空に向かって。
『──大好き。じゃあね、バイバイ』
──とまあ、俺が綴ったのは、そんなどうしようもない、青春の一幕である。
▫▫▫▫▫
大学を卒業し一年。相変わらず対人運に恵まれた俺はそこそこ良い会社のそこそこ良い待遇で働いていた。
「…………」
今日は雨脚が強い。コンビニで傘を購入して、外に出る。すると、
「……一宮?」
「……陽くん?」
雨が降る夜の街、俺は黒い天使と遭遇した。