白翼 作:散髪どっこいしょ野郎
この時期になると雨が集中的に降る。折り畳み傘を常備しなければいけない季節だった。
そんな中、傘を差していなければ合羽も着ていないのが彼女だった。
「……一宮、だよな」
「……うん」
念のため人違いの線も探ったがそんなこともなく、約五年ぶりの再会は随分とじっとりとしたものだった。
純白の翼は黒く染まり、雫が滴り落ちている。この事例は数年に一度観測される。現象として記録されているものだ。
本来であれば天使として天界で働いている筈が、傘も差さず路頭に迷っている。翼は黒く染まり、漆黒の羽毛に覆われている。
それはつまり、彼女は堕天したということだ。
天界での仕事は最高機密なため知られることはないが、数年に一度こうして堕天使となる者が現れる。故に天界はブラック企業なのではないかとまことしやかに囁かれているが、真偽は不明。
とにかく俺が考えるべきは、久しぶりに再会した思い人にどう対応するかということだった。
とりあえず、一言。
「うち、来るか」
▫▫▫▫▫
家に向かいながら彼女の衣服を購入した。閉店ギリギリの時間帯だったがなんとか間に合った。
ひとまずシャワーを浴びるよう伝え、折り畳み傘の水気を切る。
テレビを付け、芸人が大騒ぎするバラエティ番組を垂れ流しながら思考の海に浸った。
何故彼女は堕天した?いや、それはいい。わざわざ聞くことでもないし知ったところでどうにかなるわけではない。
何故彼女は雨宿りもせず夜の街にいた?両親はどうした?仮に堕天したことが発覚したとしても即縁を切られるような仲ではなかった筈だ。
あれこれ考えながらひとまず
▫▫▫▫▫
「上がったか」
「うん」
新品のTシャツ(天使用の穴あきタイプ)とデニムスラックスに身を包み、一宮は風呂から出た。風邪を引いていないか心配だ。
「「…………」」
遠慮がちにソファへ腰掛ける一宮と、言葉を探す俺。部屋の中にはテレビの音声だけが響き渡る。
「……両親に連絡した方がよくないか」
やっとの思いで絞り出したセリフがそれだった。家族仲は良好だったと記憶している。夜は更けつつあるが電話の一本でもかければすぐに来てくれるだろう。
「お父さんとお母さん、死んじゃったんだ」
思わず一宮の顔を見る。その瞳からは光が失われており、かつての活気は見る影もない。
「……今日はもう遅いし、泊まっていけ」
「……うん。ありがとう」
その一言を言うためにたっぷり空気を取り込んだ。吐き出された言葉はため息に似ていた。
▫▫▫▫▫
「当てはあるのか」
「ないけど、大丈夫だよ。これ以上迷惑をかけるわけにはいかないから────」
「待て。分かった。とりあえず今日はここにいろ」
出社直前になりこれからの動向を問いかけるが、行く当ては無いとのこと。だというのに『迷惑をかけられない』という理由で出て行こうとするところは、やはり昔の一宮と変わっていない。
一応堕天使となった人間に対する援助を行う福祉法はあり、市役所に行けば支援を受けられるがこの状態で何かを判断させるわけにはいかないと脳内ではじき出し、一宮の分の食事を用意してから俺は家を出た。
「…………」
職場まで徒歩五分というかなりの好立地な物件に俺は住んでいる。この時期になると雨が降りやすい上に日光が厳しくなる。額が汗ばむのを感じながら歩いていた。
一宮に兄弟や姉妹はいない。両親が亡くなったという口述が本当なら、彼女は天涯孤独の身となったわけだ。
家族を失う悲しみは俺には分からない。仮に両親が死んでも『ああそうか』と思うだけだ。そんなところは所謂″普通″ではないのだろう。
「おはようございます」
「おはよー」
「んはよー」
会社のデスクに着くと数名が挨拶を返した。一応俺はまだまだ新人であるため、そこまで重要な業務は回ってこない。
パソコンを起動し今日の仕事を確認する。定時には帰られるだろうかと考えながら、目の前の作業に没頭していった。
▫▫▫▫▫
「お疲れー阿澄くん。珍しいねこんなに早く帰るなんて」
「少し私事がありまして」
タイムカードを切り定時で上がる。いつもなら自主的に残業していたが、あの状態の一宮を放っておくわけにはいかなかった。
歩調が速くなる。もし家から出て行ってたら、何処か遠くへ行ってしまっていたら。
不安に駆られながら歩く速度を速める。もう俺は、あの時のような後悔はしたくない。
「……いるか?」
鍵は朝と同じく閉まったままだった。恐る恐る部屋に入ると一宮はソファで寝ていた。
「……はぁ」
思わず安堵のため息をつく。最悪の事態は避けられたようだ。
押し入れから毛布を引っ張り出し寝ている一宮にかけようとする──と、
「……お父さん……お母さん……ごめん……なさい……」
眠りながら許しを乞う一宮。頬には涙の痕。俺は改めて嘆息した。
▫▫▫▫▫
「……あ、あれ?私、寝て……」
「起きたか。飯だ。食え」
簡単な軽食を用意した。彼女の状態によってはより低カロリーなものを持ってこようかと思ったが、今のところその必要はなさそうだ。心なしか顔色も遭遇した直後よりよくなっている。
「……いただきます」
おずおずと口に運ぶ一宮。表情には表れなかった、もしくは表れる余裕が無かったが、翼は正直なもので食事をしている最中パタパタとはためいていた。
「食いながら聞いてくれ。明日俺は休みだから何か必要な物があったら言え。買ってくるから。特に触ったらいけない物はないので俺がいない時間は自由に過ごしてくれ」
「そ、そんな!いくらなんでもそこまでしてもらうわけには──」
「今の一宮を一人にさせられる方が俺は迷惑だ。ほっといて野垂れ死にでもされたらこっちの寝覚めが悪い。それに、行く当てないんだろ」
「…………で、でも」
「住民票はどこにある?」
「……それならここの地域に移してあるよ。身分証明書はお財布に」
「よし。じゃあ市役所に行けるようになるまではここにいろ。いいな」
「どうしてそこまでしてくれるの?」
そういえば俺は一宮に本心を言ったことがなかった。
「女と子供には優しくする。当たり前のことだろ」
そんなキザったいセリフを吐いて、また俺は自分を誤魔化した。
▫▫▫▫▫
「ゲホッ、ゲホッ……」
「……典型的な風邪だな」
あれだけ無防備な状態で雨に晒されていればこうなるのも当然か。
「買い物行ってくる。何か欲しいものはあるか」
あらかじめ必要な物はメモに書いてもらった。しかし風邪を引いたとなれば入用になるものがあるかもしれない。
「……ヨーグルト、食べたい」
「分かった。少し待ってろ」
「ごめんね、陽くん」
謝罪を背中に感じながら家を出る。俺にとっての太陽は、いつの間にか萎れてくすんでいた。
「はぁ……」
階段を降りながら何度目かもわからないため息をつく。思い出すのは青春時代の輝き。あの頃と比べて彼女は随分と弱っていた。
堕天使は社会的に弱い立場になるかと思われがちだが、実はそうでもない。
堕天する際、天使職の情報を漏らさぬよう特別な聖痕をつけられるため、天界のお偉いさんが訴えられることは一切無い。しかし堕天使たちのコミュニティや支援団体もあるため仮に墜ちたとしても一人で生きていくことぐらいならできる。
それにしてもあの一宮があそこまで萎縮するとは。天界も一筋縄ではいかないらしい。
「──と、後はヨーグルトだったな」
そんなことを考えているといつの間にか買い物は終わっていた。
風邪薬よし、ヨーグルトよし、その他諸々の生活用品よし、ついでに食料もよし。
両手に買い物袋をひっさげて住居に帰る。ちなみにだがベッドは一宮に貸しているため今日の俺の寝床はソファだ。
そういえば、いくら天界から追い出されたとしても着の身着のまま追放されたわけではないだろう。住民票はこちらに移してあると言っていたし、荷物はどこかにある筈だ。
まずはどこに住んでいたか聞くとするか。
▫▫▫▫▫
「住んでいたところ?無いよ」
「……嘘だろ?」
「ネットカフェを転々としてたから。だから持ち物もこのバッグの中ぐらい」
ショルダーバッグを掲げる一宮。まさかここまで追い詰められているとは思わなかった。
では何故この地区に住民票を移したのか。疑問は湧いて出るがそれよりもこれからのことを考えなければいけない。
「風邪が治ったら市役所で色々申請するけど、できるか」
「うん。それぐらいは自分でするよ」
当たり前だが、一宮はここを出て行くつもりだ。
この期を逃せば。彼女はまたどこか遠くへ行ってしまう。
……ああ。やはり俺は、暗く淀んでいる。
「一宮」
「なに?」
水を飲んだばかりなのに喉が渇く。焦燥感と期待と不安がない交ぜになって襲い来る。
それでも、もう後悔はしたくない。
「うちに住まないか」
「え…………え!?」
住む場所が無いのならうちにいればいい。当然断られたらそれまでだが。
「ああ、金のことは気にしなくていい。もう一人養う分の貯蓄はある」
「あー…………逆だけどお金は出せるよ。結構貯まってるから」
そう言って預金通帳を見せる一宮。貯金残高を見て目を剥いた。俺の稼ぎより圧倒的に多い。
「……でも、どうして?私、もう天使でもなんでもないのに」
「黒くなっても一宮は一宮だ。俺にとってはそれだけでいい」
まるで返答になってないがとりあえずはこれで納得させる。思いつきで投げかけた提案だが、言葉に出した以上責任は取るつもりだ。
▫▫▫▫▫
同棲することになり、ルールを設けることにした。
俺が働いている間、家事全般は一宮に任せる。それだけだ。
言ってしまえば簡単だが、料理、掃除、洗濯などなど家事というものは面倒で手間がかかる。養う対価としては十分だった。もっとも、金は一宮の方が持っているのだが。
現在彼女は市役所で様々な手続きを進めている。援助も含めればそれなりの額を期待できるだろう。
それにしても、彼女と俺が同棲するとは。学生時代からは考えられないことだ。
「ただいま」
「ああ、帰ったか。飯にしよう」
今日の昼食は手間いらずのうどんに、昨日作ったカレーをかけたものだ。買ったばかりの衣服に跳ねないか心配だがその時はその時。
▫▫▫▫▫
「暇になったらそこの小説でも読め。汚すなよ」
「分かった。ありがとう、陽くん」
彼女が外出できるように合鍵は持たせてある。しかし行く当てはなければ行きたい所もないようで、買い物以外の時間は家にこもりきりだった。
俺は変わらずいつものように出勤して働く生活。帰っても家事をやる必要が無いのはかなり楽だ。
酔狂なことをしているなと自分でも思う。あの頃のように惚れられているのかも分からないというのに、家に招き入れあまつさえ扶養している。
もう全て過去のことだ。一宮の告白も、俺の悔恨も。
「阿澄くん、今日飲みに行かない?」
「すみません、連れを待たせているので」
「えーなになに、恋人でもできた?」
恋人。今の俺たちにはそぐわない言葉だ。ただ離れてほしくない俺と、行き場をなくした彼女。
いつかその決断を迫られる日も来るだろうか。そんなことを考えながらタイムカードを切った。
▫▫▫▫▫
「「いただきます」」
今日の夕食はブリの照り焼きとひじき、大根とほうれん草の味噌汁に白米だ。
「ん……美味い」
「ホント?ならよかった」
天界での数年間、一宮は何をしていたのだろう。聞いたとて答えられる話ではないから押し黙るしかないが。
そんな俺の疑惑を見抜いたように、彼女はポツリと言葉を発した。
「……聞かないの。どうして堕天したのか」
「一宮が話したくなったら話せばいい」
確かに善性の塊のようだった一宮が堕天した理由は気にはなるが言いたくもないことを無理やり聞き出すのは柄じゃない。そうまでして知りたいことでもない。
「……ちょっと暗い話になるけど、いい?」
「ああ」
「天界の仕事はすごいやりがいがあったんだ。細かいことは言えないけど」
「…………」
瞳が揺れる。ああ、これはマズい。
「だけど、やれることには限界があって、信じてたものも信じられなくなっちゃって……だから……」
「……無理して言わなくてもいい」
「……ごめんね、陽くん」
ここに来てから、一宮は何度も『ごめん』と言う。今も涙を流しながら謝罪していた。
何が彼女をこうさせたのか。あの時引き止められなかった俺の所為か、天界の所為か。もしくは両方か。
宙に目を泳がせる。それらしい答えは見つからなかった。
▫▫▫▫▫
堕天使になりたての人間はしばらく働くことができない。
それは社会が許さないというわけではなく、堕天した直後は鬱に似た症状が表れるのだ。
故に家事をやらせるのも無理をさせていないかという懸念があったが、『させてもらっているばかりにはいかない』と頑なに譲らなかったため自由にさせている。万が一のため買い物は二人で行くことが多い。
加えて、一度堕天した人間はもう二度と天界には戻れない。理由は不明だが『資格』が無いのだそうだ。
そのための福祉法。働けない堕天使のために、その法律は作られた。
「一宮、何かしてほしいことはないか」
「……優しいね、陽くんは」
「俺はそんなんじゃない。ただ臆病なだけだ」
テレビをぼんやりと眺めている一宮。家事以外の時間は
心の傷を癒やせるのは時間だけだ。この同棲生活でストレスになっていることはないか、それだけが気がかりだった。
▫▫▫▫▫
そんなこんなで三年が経った。少しずつだが一宮は笑うようになり、外出もできるようになった。
「それじゃ、行こっか」
「ああ」
休日の日、俺と一宮は外に繰り出した。といっても、散歩するだけだが。
日の光を浴びるのは重要だ。俺たちの住む住居は日差しがあまり来ないため洗濯物を干すのにも難儀する。ということで週に一度、散歩に行くことになっていた。
「……あったかいね」
「……そうだな」
春の陽気が辺りを包み込んでいる。風は程よく吹き付け、絶好の散歩日和だった。
「お昼はあそこのサンドイッチ屋にしない?」
「分かった」
件のサンドイッチ屋は特に卵が美味い。涎が湧き出てくるのを感じながら俺と一宮は歩いていた。
……胸の奥に咲く、一筋の感情。
今なら分かる。これを、これが──幸せと呼ぶのだろう。
「なあ、一宮」
「どうしたの?そんな改まって」
「お前は今、
「…………」
予想外の質問だったのか、顎に手をかけ思案している様子の一宮。俺ばかりが幸せになっていたら世話無い。この質問の意図はそれによる。
「……ずっとこうしていたいなって、思ってるよ」
「……そうか」
それ以上に言葉はいらない。愛の告白もいらない。俺たちは今、確かな糸に繋がっている。
▫▫▫▫▫
「ねえ、陽くん。何かしてほしいことはない?」
「突然だな」
「私、陽くんに貰ってばかりだから」
そんなことはないと言うのは簡単だ。しかし、してほしいことか。
「……手を繋いで帰りたい」
「……そういうところズルいと思うなあ」
手を差し出すと、頬を赤らめながら指を絡める一宮。
俺は少しだけ笑ってから、残った一口分のサンドイッチを口に放り込んだ。
topic:天使の仕事は運命を操ること
もう一つ付け加えると、一宮叶は堕天する直前、阿澄陽の住む地区に住民票を移すように神託を得ていた。