白翼   作:散髪どっこいしょ野郎

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結露

「風が気持ちいいね~陽くん」

 

「そうだな」

 

 

 ベランダに二人。穏やかな陽気に目を細める一宮。俺はそれを横目で眺めていた。

 

 三十分程そうしていただろうか。俺はふと湧いた提案を一宮に投げかけることにした。

 

 

「なあ一宮、結婚しないか」

 

「……。……え?……え!?けっ、けけけっ、結婚!?」

 

「落ち着け」

 

 

▫▫▫▫▫

 

 

「よ、よよよ、陽くん。何の本読んでるの?」

 

「『スノーファイリスの行く先』」

 

 

 結婚の話を持ち出してから一宮の様子が明らかにぎこちない。……性急に過ぎただろうか。

 

 

「あ、あはは、なんか熱いね陽くん。エアコン点けていい?」

 

「ああ」

 

 

 それからというもの、

 

 

▫▫▫▫▫

 

 

「ああっ!……危ない危ない。お皿割っちゃうところだった」

 

「……」

 

 

▫▫▫▫▫

 

 

「……おい、一宮?」

 

「……ハッ!な、なに?寝てないよ?」

 

「……」

 

 

▫▫▫▫▫

 

 

「…………ふへえ」

 

「……」

 

 

▫▫▫▫▫

 

 

 明らかに一宮の様子がおかしくなった。ぼーっとしている時があると思えば俺をチラチラと見る時もあり、顔を赤らめている時もある。

 

 やはり結婚というイベントは意識的に大きいものなのか。結論を急ぎすぎたのかもしれない。

 

 

「……一宮」

 

「ふぇっ!?な、なに陽くん」

 

 

 黒の翼がはためく。思わず笑ってしまいそうになるが、生憎俺は感情を表に出すことが苦手だった。

 

 

「結婚についてだが、お前が嫌なら強制はしない」

 

「……嫌とかではないんだよ?だけど……」

 

 

 正午なのにも関わらずリビングは日差しが少ない。電気を点けなければお互いの表情を見ることはできなかった。

 

 たっぷり逡巡してから、堪忍したように一宮は口を開く。

 

 

「……うちのお母さんとお父さんみたいに、私を置いていなくなっちゃうのが怖いんだ」

 

 

 また大事な存在を失ったら。一宮を取り巻く感情はその恐怖が大多数を占めていた。

 

 

「それに私、もう天使でもなんでもない、ただの黒翼持ちだし。陽くんにたくさん負担をかけちゃうと思ったら余計に腰が引けて」

 

「……前にも言ったが、黒くなってもお前はお前だ。俺にとってお前は、天使であろうとなかろうと一人の一宮叶だ」

 

「……どうして?どうして陽くんはそんなに私に優しくしてくれるの?」

 

「お前がす……好ましく思っているからだ」

 

「………………ふぇ?」

 

「俺はお前を好ましく……。……あー、お前が好きだ。多分小学生の頃から、ずっと好きだった」

 

「…………………………………」

 

「……一宮?」

 

 

 そこまで言うと一宮はフリーズした。突然の情報の連続に頭がついていかないらしい。

 

 

「……陽くんが、私を好き?」

 

「ああ」

 

「天使でもなんでもないのに?」

 

「ああ」

 

「……わ、」

 

「?」

 

「……私も、好きです。あなたのこと」

 

「そうか。じゃあまずはお付き合いからだな。……いきなり結婚振っといてアレだが」

 

「…………陽くんは、私を置いていかない?」

 

「約束する。一宮が生きている間は、絶対に死なない」

 

 

▫▫▫▫▫

 

 

「そういえばだけどさ」

 

「なんだ」

 

「その……将来結婚するってなったら、私の呼び方一宮じゃない方が良くない?」

 

「分かった。いちのみ……叶」

 

「……っ」

 

「どうした」

 

「あ……はは、面と向かって下の名前で呼ばれるとなんだか恥ずかしいね」

 

「直に慣れる」

 

 

▫▫▫▫▫

 

 

「陽くん、起きて」

 

「ん……」

 

「おはよ。ご飯作ってあるから、先にシャワー浴びてきちゃって」

 

 

 着替えやバスタオルを既に用意してあったり俺の起床時間に合わせて温かな飯を作ってくれたりと、いちの……叶は本当に気の利く彼女だった。

 

 目覚まし時計はストレッサーになりかねないとのことで叶が起こしてくれることになった。俺より早く、しかも目覚まし時計を使わずに起きてサポートしてくれることについては本当に頭が上がらない。

 

 

「いただきます」

 

 

 食事はどれも健康的でなおかつ美味い。俺もそこそこ自炊はしていたが叶には及ばなかった。

 

 

「いってらっしゃい、陽くん。気をつけてね」

 

「ああ。行ってくる」

 

 

 そして必ず、玄関まで来て送ってくれる。いってらっしゃいの一言があるだけで仕事をいくらでも頑張れる気がした。

 

 

▫▫▫▫▫

 

 

「おはようございます」

 

「おはよー阿澄くん」

 

 

 入社して三年以上経つが、初心は忘れず挨拶は欠かさないでいた。

 

 パソコンに向き合う時は大抵無感情だったが、この頃は叶の喜ぶ顔を想像して仕事に取り組む。そうしていれば拘束時間の長さも苦にはならなかった。

 

 俺たちは確かな糸に繋がっている。その繋がりをより強固にしていくのが、共に過ごした時間。

 

 失いたくないし、失わせたくない幸福。

 

 明確な幸せを、俺は今手にしていた。

 

 

▫▫▫▫▫

 

 

「あっ、お帰り、陽くん!」

 

「……ただいま」

 

 

 先輩からの誘いを断り真っ直ぐに帰る。『生真面目だね』とよく言われるが、俺にはそれ以外個性と呼べるものはない。

 

 

「どうする?ご飯もうできてるけど」

 

「先に汗流したい」

 

「りょーかい!ちょっと待っててね!」

 

 

 身を翻しリビングに戻っていく叶。その背から飛び出す黒い翼に一瞬目を奪われた。

 

 

▫▫▫▫▫

 

 

「「いただきます」」

 

 

 俺の帰りがどれだけ遅くなっても、叶は俺と食事を共にしている。腹が減っているなら先に食べていてくれと言ったのだが、頑なに。

 

 

「……ふふ」

 

「?なんだ」

 

 

 食事に集中していたら彼女は俺を見ていた。堕天直後は見られなかった笑顔も最近は増えている。

 

 

「幸せだな~って思ってね」

 

「……そうか」

 

 

 同じ感情、同じ幸福を共有できている充足感。

 

 やっぱり俺には、叶しかいない。

 

 

▫▫▫▫▫

 

 

「……」

 

 

 小説を読み耽る。夕食後の自由時間は(もっぱ)ら読書に専念していた。

 

 叶も家事が終わった後は俺に倣って本を読む。心地よい静寂が部屋に充満するのを感じながら、ページを捲る。

 

 

「ねえ陽くん、ちょっと散歩に行かない?」

 

「?いいが……」

 

 

 散歩は基本一週間に一度、晴れた日の午前中しか行かない。

 

 今は夜。散歩は明日の休日に行く予定だった筈が、どういう心づもりなのか。

 

 

▫▫▫▫▫

 

 

「夜風が気持ちいいね~陽くん」

 

「そうだな」

 

 

 沈みきった太陽の残影を朧に感じながら並んで歩く。外を覆う冷気が秋の到来を如実に表していた。

 

 

「ねえ陽くん。私、今すっごい幸せなんだ。何度言っても足りないぐらいに」

 

「それは……よかった」

 

「だからね」

 

 

 こちらに向き直る叶。一体何を──

 

 

「私と、結婚してください」

 

「ああ。これからもよろしく頼む」

 

「……えへへ、あーなんか恥ずかしいなー」

 

 

 小刻みに動く黒の翼。俺は少しだけ笑った。

 

 

▫▫▫▫▫

 

 

 式は行わないことにした。一宮の友人に堕天していることを知られたくなかったのもあるし、単純に俺側では誘う人がいなかったのもある。俺の両親は論外だ。挨拶に向かった際も無関心を貫いていた。

 

 

「はー……今日から私、阿澄叶かー……」

 

「……なあ叶。失礼を承知でやってみたいことがあるんだが」

 

「いいよ。何?」

 

「安請け合いするのはよくないぞ……。んんっ、その……お前の翼に触れてみたい」

 

「……いいよ」

 

 

 手を伸ばし、その翼に触れる。黒い羽はサラサラとしていて柔らかく、俺は無意識の内に自制心を失っていた。

 

 

「よ、陽くん?」

 

「……」

 

 

 柔らかい。手触りがいい。ずっとこうしていられたら──

 

 

「──あ、すまない。つい己を忘れていた」

 

「……えっち」

 

 

 顔を赤く染める叶。その姿にもう一度触れてみたくなってしまうが、ここは堪えることにした。

 

 

「……えい」

 

「……?かな、え?」

 

 

 不意を突かれ、翼で覆うように抱きしめられる。期せずして到来した温もりに、俺の頭は考えるのをやめた。

 

 

「……大好きだよ、陽くん」

 

「……ああ。俺も、お前を愛している」

 

 

 言葉だけでは足りず、包む力が強くなる。

 

 格好がつかないが、ここに誓う。俺は、叶を全身全霊で幸せにしてみせる。

 

 冷たくなっていく世界の中で、俺たちは温め合っていた。

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