「ふぅ…今回もなんとか生き残った」
ぐっと伸びをして身体をバキバキと鳴らしながら少女は安堵に息をつく。
生き残る、などと物騒な言葉が飛び出したがこれは比喩でもなんでもない。
少女はたった今、死と隣り合わせである過酷な仕事を終えたところなのだ。
「助かったよ、最初は女の子のポーターなんてとおもってたんだけど…何事も色眼鏡はいけないね」
少女の後ろから赤髪を短く刈り揃えた精悍な顔つきの男が声をかける。
この男こそ今回の少女の雇い主にして、ワギュウ帝国の冒険者グループ『銀の鈴』のリーダー『オウミ』である。
「構わない、女のポーターに地雷が多いのは事実」
少女…『コンソーロ・メドドゥ』はオウミに対して気にしないようにと言いながら背負っていた大きなカバンを降ろす。
ポーター、メドドゥが日々の暮らしの為に対価を得る手段として選んだその職業はお世辞にもラクなものではない。
任務やダンジョンの探索などで何かと荷物の要る冒険者達の荷物を運ぶ専門の同行者、それがポーターである。
当然、運ぶのは食料や飲料水に予備の武器などの重く嵩張るものばかり…更にはそんな荷物を背負って洞窟や山を踏破するのだ。
言うまでもなく、ポーターは男の仕事であり女のポーターなどほとんど居ない。
……一応少数ながら任務や冒険中の『慰安』を担当するポーターも居るので女のポーターが完全に居ないかというとそうでもないのだが、メドドゥはそういう類いの人間ではなかった。
「あはは…地雷とまでは言わないけどね?」
そも物理的に力の弱い女のポーター、それも『慰安』にも向かなそうな年若いメドドゥは優秀ながらも人気が無く値段も安かった…オウミからすれば文句などある筈もなく、メドドゥさえ良いと言ってくれるなら今後とも宜しくしたいと考えていた。
今回のダンジョン攻略もメドドゥが一定の階層までナビゲーターをかって出てくれたお陰で非常にラクをさせてもらった。
本人は他のパーティーのポーターをした時に覚えたと言っていたが、ギルドから支給される地図より余程正確な案内をみるにかなりの記憶力なのだろう。
だから、オウミはある程度の金銭を払って…なおかつ、同じパーティーメンバーにすら教えていない自分の『秘密のいきつけ』を教えてでも彼女とのパイプを作りたいと考えていた。
「じゃあ、私はこれで」
メドドゥはそう言うと踵を返し足早に立ち去ろうとするも、オウミの待ったがかかった。
「ちょっとごめん、君さえ良ければ…夕飯をご馳走させてくれないかな?」
彼女が食に目がない事は、ダンジョン攻略中にいやという程にわかっている。
無表情ながらも朝昼晩の食事の際には後ろにブンブンと振られる尻尾を幻視した程だ。
「…………………ナンパ?」
メドドゥはオウミの提案に少し呆気にとられた後、そう言ってこてんと首を傾げた。
「まぁ、当たらずとも遠からずかな?
今後とも君と仕事ができたら嬉しいな、と思ってね…だから美味しいものでも食べながら親睦を深めようかなと」
隠しても仕方ない、オウミはそう考えてあけすけに言いながらメドドゥの顔色を伺う。
だが…おそらくは色よい返事が返ってきそうだと胸を撫で下ろした。
「そういう事なら、大歓迎
お仕事もご馳走も断る理由がない」
メドドゥはやはり無表情ながらも、尻尾を振っているかのように上機嫌にそう言ってオウミの手を引いて街の方へと繰り出すのだった。
ワギュウ帝国の首都、『ミスジ』から西にある街『ランプ』では近くに帝国最大とも言われる巨大ダンジョンと大小様々な百近いダンジョンを管理する為に巨大な兵団と帝国…どころかこのレシピ大陸でも最大の冒険者ギルドが存在する。
ランプの街ではそんな冒険者達や兵士の為に宿屋や鍛冶屋はもちろん、鑑定屋など普通の街ではあまり見ない店屋が数多く存在する。
しかし、そんなランプの街で最も多い店と言えば勿論──食事処、いわゆる飲食店である。
身体が資本の兵士や冒険者達にとって、食事の
要は、死ぬ程の思いをして稼いでいるのに不味い飯なぞ喰えるか…という事だ。
そういう事情もあり、ランプに拠点を置く冒険者や兵士達の多くは日夜美味い飯の為の
だが、ごく一部はそうでは無い──新規開拓の末に自身のいきつけを見つけた人間達はそのいきつけが混雑しないよう誰にも教えず…それこそ血を分けた兄弟にすら秘密にしひっそりと通い詰めるのだ。
だからこそ、冒険者として大成したと言っていいオウミのいきつけを教えてもらえる事がどれだけ貴重かをメドドゥは理解していた。
「リーダー、そのいきつけは一体どんな店なの?」
大通りから外れ、路地を歩くオウミにたずねると彼はバツが悪そうに頬を掻きながら振り返る。
「うーん……どんな店と言われると説明に困るなぁ
いや、間違いなく美味しい料理を出すんだけれど……うーん、なんて言えばいいのかな」
言葉を選びながら首を傾げるオウミにメドドゥは怪訝そうな表情を浮かべる。
「こう、魚料理が美味しいとか肉料理のレパートリーが豊富とか…そういうのでもいい」
「う、うーん……そういうので言うと───メニューの無い料理店って感じかな…?」
困ったようにそういうオウミに、メドドゥは頭にハテナを浮かべる。
「メニューが……無い………??」
「うん、僕も結構通っているけど一度も見たこと無いね」
「それは……メニューが少ないという事?」
メドドゥが思い浮かべたのは大通りにある麺料理で有名なオーク亭だ。
確かあそこはらうめんというたった一つのメニューしか置いていない事で有名だった筈だ。
とびきりに美味しいメニューならば種類が無くとも客は足を運ぶ、更にメニューが一つならば仕入れも複雑でなく様々なメニューの為に複数の素材を管理する手間も食材を廃棄しなけれぱならなくなる事も少ないだろう。
理にはかなっているな…とメドドゥは思っていた。
しかし…
「いや、メニューは多いと思うよ…もう何十回と通っているけど今までに同じメニューを二度出されたことが無いからね」
「………なら、どういうこと…??」
「うーん、だから説明が難しいんだけど…
確か、店主さんはこう言ってたかな…メニューを置くとそれしか無いと思われるからメニューは置かない、ってね」
オウミの台詞にメドドゥは呆気にとられてしまった。
いや、確かにその通りだろうけれど……それは
だって、そうでなければ客は食べたいものしか言わないだろう…魚や肉料理のようなメインだけでもこの世にいったい何種類の料理があると思っているのだ、そこに郷土料理や家庭料理まで加えれば無限とは言わずとも数えるのが億劫な数にのぼるだろう。
…………しかし、もし仮に───本当に作れるのだとしたら、確かにその店はいきつけにもなろう。
なにせそれは──食べたいものを食べたい時に食べさせてくれる夢のような店なのだから。
「うん、此処がそうだよ」
大通りから逸れて歩くこと十数分、オウミは一軒の飲食店の前で足を止めた。
「『満腹亭』…?」
店ののぼりに書かれたやけに達筆な文字を読み上げるメドドゥ、おそらくはこれが屋号なのだろう。
「お前達、運が良いな…今店を開けようとしていたところだ」
店の前で横並びになっていたメドドゥとオウミの後ろからそう声がかけられた。
「…っ!?」
メドドゥはポーターとして文句無しに優秀である。
日々の鍛錬は欠かさず、
だからこそ、未知の食事に気が緩んでいたとはいえこんなにもあっさりと背後をとられるなどありえない事である。
「大丈夫だよ、この人は此処の店員だから」
期待に火照っていた身体が一気に芯まで冷え、重い粘つく汗を流していたメドドゥの肩を叩きながらオウミは軽く言う。
「まぁ、滅茶苦茶に強いのは間違いないみたいだけどね
僕も初めて会った時は同じ反応したし」
ひそひそと耳打ちをするオウミに、メドドゥは汗を手で拭い取りながら男を見る。
暖簾を掛け、準備中の札を営業中へとひっくり返し、テキパキと開店準備を整える。
端から見れば本当に何の変哲もないそれに、自分に一切敵意も向けられていない一挙手一投足に死の恐怖を感じる…長くポーターの仕事を続け、幾度も修羅場鉄火場を潜り抜けてきたメドドゥをして初めての感覚であった。
「じゃあ入ろうか、丁度開店したしね」
「う、うん……」
正直に言えば、メドドゥはあまり乗り気ではなくなっていた。
こんなバケモノのような男が店員として動き回る店の中では、どれだけ美味しい料理を出されようともマトモに味わうことなど不可能だと思ったからだ。
だが、ここで断ってはオウミの顔を潰すことになる…自らのいきつけまで教えて自分と仕事をしたいと言ってくれたのにやっぱりやめましたでは最悪業界から
メドドゥはぐっと気合を入れて店の暖簾を潜る。
「いらっしゃい、好きな席に座ってくれ」
店主らしき男が厨房からそう声を掛けてくる。
路地にある店、立地的にもメドドゥは店内の様子にそこまで期待していなかった。
大抵こういう立地の店では内装に気を配るなど考えず下は踏み固めただけの地面であったり、大小を合わせず適当に敷き詰めたせいで隙間が目立つデコボコの板張りであったりだ。
だが満腹亭の床はなだらかで凹凸の一つも見当たらない綺麗な舗装が施されていた。
(これは…
店内は広々…とまでは行かないがカウンターが十席に六人掛けのテーブルが六つと中々大きめの店舗である。
卓上には調味料が入った小さな瓶が幾つも置かれており、使い捨てであろう木匙や真ん中に溝の彫られた木の棒がぎっしりと容器に詰められている。
「ハシ、ということは……ワショク?」
あまり詳しくはないが、時たま異世界より現れる『トラベラー』達がもたらした食文化の一つにこのような木の棒…通称ハシを使って食べる『ワショク』や『チュウカ』というのがあった筈だ。
「和食も出せる、というだけだ…お望みならナイフでもフォークでも用意はある」
店主らしき男はそう言うとグラスにお冷を注いで二人に渡す。
「注文が決まれば言ってくれ、今の客はお前達二人だけだからな」
メドドゥの視線に気が付いたのだろう、店主らしき男は暗にあの恐ろしい男へ動くなと言ってくれたらしい。
「そうだな…僕はまたおまかせにしようかな」
「………別に説教する訳じゃないが、毎度毎度おまかせというのはいただけないな
何でもいいはどうでもいいと同じだぞ、お前みたいな奴が嫁にも夕飯は何でもいいと言って夫婦喧嘩をするんだ」
オウミの注文に眉をひそめると、渋々といったふうに手を動かしながら不満気に言う。
「いえいえ何でもいいなんて言ってませんよ
店長に任せれば美味い飯をたらふく食べられると知っているので、それなら浅学な僕が無い頭を振り絞って決めるより店長に決めてもらう方が余程賢いでしょう?」
未だに納得いかないと口を尖らせる店主を他所に、オウミはそう言ってメドドゥへ視線を向ける。
「君は?」
「…………店主さん、注文をしようにも此処にはメニュー表が無い」
口や手を拭くようにと置かれた薄紙、手荷物を下に置けるように設置された木籠…挙げればもっとあるがこの店はかなり客への気遣いに溢れた店だ。
だが、肝心要のメニュー表がやはり話の通り何処にも無かった。
こういう店によくある壁に書かれたものすらもだ。
「メニュー……
そんなもの、ウチにはないな…」
店主は何故か少し得意気に胸を張る。
「……………なら、店主さんが何を作れるのか教えて欲しい」
「俺が何を作れるか…?そんな事を聞いてどうする」
謎のドヤ顔店主にメドドゥは困惑しながらもたずねる。
一体何なら注文出来るかを、しかし店主は心底わからないと眉間にシワを寄せてメドドゥに聞き返してきた。
「だって、聞かないと注文が出来ない」
「すればいいだろう、自分が今一番食べたいものを言えばいい…それがウチでの注文だ」
もっとも、お隣のはおまかせなんて言うがな…と締める。
絶句、メドドゥは目を見開き店主を見上げる。
目に揺れも無く、声も震えていない…ハッタリではないのだろう。
「……………それで、作れない料理を言われたらどうするの?」
「今のところそうなった事が無いからわからんな
まぁ…満足のいく料理を出せなかったのなら頭を下げて代金を返すだろうさ」
……無茶苦茶だ。
客の注文を全て叶え、叶えられなければ代金は要らないなど…魔法使いでもなければ不可能だろう。
だが、少し……少しだけメドドゥの中で悪戯心が首をもたげる。
「なら、私の注文は────完璧な料理がいい」
古今東西、いったいどれ程の料理があるのかを正確に知る人間は存在しないだろう。
宮廷にてやんごとなき身分の者に饗される贅の限りを尽くした料理、その土地の風土に基づき地産の食材を用いる料理、個々人の趣味嗜好に合わせ最も喜ぶであろう味付けで作られる料理…仮にそれら全てが同じ名前の料理、例えばステーキだったとしてそれを全て同じ料理だと誰が言えようか。
食材、味付け、調理方法、その全てが料理の味を左右し細分化させる。
だからこそ、こと料理において『完璧』などというものは存在し得ない…
しかし、メドドゥはなにも店主を困らせて遊びたい訳では無い。
これで店主から無理だと、その一言さえ引き出せればその後に仕方ないなとオウミに出す料理と同じものを用意してもらえば良いのだ。
そうすればオウミの顔を潰さず、店主も自身のおまかせを提供する以上文句も少ないだろうしメドドゥもまた美味しい料理にありつける…正に三方良しである。
下手に料理名を言えば作れてしまう可能性もあるが…これならば問題無いだろうとメドドゥが自分の機転に満足していたその時、店主が口を開く。
「完璧な料理だな、了解した」
「……………え?」
間の抜けたメドドゥの声に反応することなく店主は大きな寸胴鍋を火にかけ、中身を温め始めた。
「運が良いな…コレは仕込みに時間が掛かる、普通の料理店ならまず予約必須だぞ」
想定外の事態に困惑するメドドゥを尻目に、店主は淡々と作業を進めるのだった。