【完結】気になるあの娘は淫夢厨   作:コベヤ

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第十章「真夏の夜の淫夢」

 廊下を駆け抜けて、屋上へ続く階段にたどり着いた。

 けれども、屋上の扉の前では数人の先生たちが険しい表情で話し合っている。

 その中央の一人が僕に気づき、鋭い視線をこちらに向けてきた。

 

「ここで何をしているんだ、生徒がいていい場所じゃないぞ!」

 

 強い声に、一瞬動けなくなりそうになる。

 それでも、僕は鍵を見せびらかすように手に持つと、先生たちに近づきながら声を張る。

 

「先生、頼まれた鍵持ってきました!」

 

 まぁ頼まれたというのは嘘なんだけど。

 それでも先生たちは自分たちの内の誰かが僕に鍵を持ってくるように言ったのだと勘違いして、僕が階段を駆け上がるのを止めようとしない。

 

「とにかく早く開けるんだ!」

 

 先生たちが促す中、僕はポケットから鍵を取り出して、屋上の扉に向かう。

 視線を背中に感じながら、鍵を差し込んで回した。

 喉が乾くような緊張が襲ってきた。

 

 ──今しかない。

 

 僕は振り返り、思い切って叫んだ。

 

「あ、廊下に野獣先輩!」

「それは本当か!?」

 

 先生たちは慌てて後ろの廊下を確認する。

 その瞬間を逃さずに僕は扉の隙間に滑り込み、屋上側から鍵をかける。

 ガチャリと金属音がして、校舎の内側からの音が遮断される。

 

「やっぱ好きなんすねぇ」

 

 僕は笑って扉を蹴りつけた。

 先生まで淫夢厨とかどうなっているんですかね、この学校。

 いったい何人の淫夢厨が隠れているんだか。

 終わってるよ、ホント。

 

 一歩踏み出すと、屋上の空気が肌に触れた。

 冷たく張り詰めた空気。

 それでも、その中に漂う夕方の匂いが泣きたくなるほど懐かしい。

 沈みゆく太陽が校舎の影を長く引き伸ばしていた。

 

 屋上の隅にある柵の向こう側に人影があった。

 夕陽を背にして一人の少女。

 光に包まれる彼女の輪郭はぼやけ、現実から切り離されたようだ。

 

 淡金色の巻き髪が風に揺れ、夕陽の光を反射して輝いている。

 制服のスカートも軽くはためき、どこか幻想的な雰囲気をまとっていた。

 

 彼女は動かない。

 ただ、遠くの街並みを見つめるように少しだけ前のめりになりながら立っている。

 彼女の周りの空を沈む夕陽が赤く染め、雲はまるで燃え盛る炎のようだ。

 

 その光景は、言葉にできないほどの美しさと危うさを同時に孕んでいた。

 

「よう、夕日が綺麗だな」

 

 いつものように語りかけると彼女の肩がほんのわずかに揺れた。

 それでも振り返らない。

 

「今に沈むわ」

 

 か細い声が風に乗って届いた。

 その声はどこか冷たい響きを含んでいる。

 

「つまんねぇこと言ってやろうか?」

 

 僕はポケットに手を突っ込み、わざと気楽な調子で言った。

 

「君が死んだら悲しむ人がいるぞ。親父さんとか、家の人とかな」

 

 彼女は微動だにせず、ただ短く呟く。

 

「死者は、生きている人のことなんて気にしないわ」

「それもそうか」

 

 珍子は亡くなった母のことを思っているのだろう。

 孤独に悩み、こんな大騒動を起こしても母は何も言わない。もうこの世にいないから。

 残された人間は死者のことをいつまでも想っているのに、死者はそれに応えることが出来ない。

 だから、いっそ自分が死んでしまえば、もう悩む必要なんて無いし、それこそ生きている人間のことなんて関係ない。

 

「死ぬのか?」

「死ぬわ」

 

 あまりにあっさりとした返答に、僕は可笑しくなって笑い声を漏らした。

 

「ニコニコ動画が爆発したくらいで死ぬなんて、よほどの馬鹿なんだろうな」

 

 そう挑発すると珍子の柵を握る手に力が入る。

 それでも、僕は構わず続ける。

 

「ネットニュースでケチョンケチョンに貶されて、ワイドショーで何も知らないおっさんおばさんに偉そうにあーだこーだ言われて、くだらねぇテレビの一つのネタとして消費されるんだ。なんて華々しい死に様よ」

 

 その言葉に彼女はついに振り返った。

 頬がわずかに紅潮し、瞳に怒りが宿っている。

 

「貴方にはわからないわ」

 

 低く、鋭い声だった。

 

「君に言われたくない。君だって、僕のことをわかってない」

「いいえ、わかるわ」

 

 彼女は険しい顔で僕を睨みつけた。

 

「貴方はロクデナシよ。いきなり淫夢をやめろとか、私から離れるとか言い出して。だから、私だって飛び降りてやろうと思ったのよ。全部、貴方のせいよ! このメンヘラ野郎!」

 

 その言葉に、僕は普通に傷付いた。

 

「うるせぇ! 僕は豆腐メンタルなんだよ! もういい、僕が先に飛び降りる!」

 

 柵まで駆け寄って、そのまま乗り越える。

 そして、縁に足を乗せた瞬間、この世とあの世の境界に立ってしまったことを理解した。

 

 正面には沈みかけた太陽が赤く燃え、校舎の窓を紅く染めている。

 吹き上がる風が顔を撫で、剥がれかけたコンクリートをパタパタとめくり上げた。

 わずかに前へ傾けただけで身体が地面に吸い込まれるような錯覚に陥る。

 

 だが、それよりも圧倒的に意識を支配するのは眼下に広がる光景だ。

 

 グラウンドは騒然としていた。

 無数の顔がこちらを見上げている。

 最初は珍子が柵を超えたことでざわついていたが、僕までもがその後を追うように乗り越えたせいでさらに混乱が広がったのだろう。

 

「二人目!?」

「何やってんだアイツ!」

 

 目を凝らすと、野次馬のように立ち尽くす生徒たちの顔が見えた。

 青ざめた顔をした者、何かを叫んでいる者、ただ息を呑んで見守る者。

 それぞれの表情がこの恐怖が虚構ではないことを突きつけている。

 

「……何のつもり?」

 

 珍子の方を向くと彼女は僕を睨んでいた。

 その視線には呆れと苛立ちが滲んでいる。

 

 僕は柵に手をかけ、乱れた息を整えた。

 手のひらにじっとりと汗が滲んでいるのを感じる。

 真横から吹き上げる風が、重力の存在をいやでも意識させた。

 

「喧嘩しようぜ」

 

 努めて軽い調子で言いながら、ボクシング選手がするように構えた。

 まるでふざけたじゃれ合いのように、一歩踏み出し、冗談めかして拳を振るう素振りを見せた。

 

「やめなさい! 落ちるわよ!」

 

 夕陽を浴びた彼女の表情がわずかに強張る。

 頑固な態度を崩さなかった彼女の顔に、初めて焦燥の色が差した。

 

「生まれたことすら間違いだった人間に、そんなこと言ったって意味がないだろう」

 

 僕はニヤリと笑うと、僕は彼女に近寄るべく一歩踏み込んだ。

 そのまま足元に力を込める。

 風が切れる音とともに、僕の右足が珍子の鼻先を狙って唸りを上げる。

 渾身のハイキックだった。

 

「遅いわ!」

 

 珍子は寸前で上体を反らし、ギリギリのところで蹴りをかわした。

 僕は追撃を避けるべく、蹴った勢いのままバク転して後ろに下がる。

 

「ほら、こいよ」

 

 僕は唇の端を持ち上げ、指を上に向けてクイと動かす。

 珍子の眉がピクリと動いた。

 

 夕陽はもう半分以上沈みかけ、彼女の輪郭が赤黒く縁取られる。

 次の瞬間、彼女の足が地面を蹴った。

 

 速い──!

 風とともに、彼女の姿が迫る。

 僕は防御を固める間もなく、胸部に鋭い衝撃が走った。

 

「ぐっ……!」

 

 息が詰まる。

 珍子の膝蹴りが、正確に僕の鳩尾を打ち抜いたのだ。

 

 体が宙に浮きかける。

 それでも僕は足を踏ん張り、必死にバランスを取る。

 

 しかし、その瞬間、さらなる追撃が来た。

 珍子は左足を軸に回転し、紅い夕焼けを背負いながら、強烈な回し蹴りを放つ。

 

 僕は即座に腕を交差させてガードするが、衝撃が腕ごと僕を押し飛ばした。

 足が屋上の縁からずれかける。

 風が吹き抜け、背中に空間を感じる。

 

 そのまま落ちるかと思ったが──

 

「まだまだ!」

 

 僕は踏みとどまり、縁を蹴って前へ飛び込んだ。

 珍子の懐に一気に踏み込むと、拳を握り、真正面から彼女の頭を狙って振るった。

 

 だが、その攻撃は普通に片手で弾かれた。

 強すぎだろ、コイツ。

 

「本気だな、いつになく僕が憎いらしい」

「そうよ! 私の心を弄んで、消えてしまう。そんな貴方が嫌いだわ!」

「僕だって君が嫌いだ! 君が大切だから身を引こうと思ったのに、今度は勝手に死のうとしてるだって? 頭に来ますよ!」

「意味がわからないわ! 大切なら側にいなさいよ! なんでいなくなちゃうのよ!」

「そんなの決まっているだろう! 僕の心が弱いからだ!」

 

 あまりにも情けない発言で珍子の瞳に冷たい怒りが宿る。

 先ほどまでの戸惑いが消え、代わりに研ぎ澄まされた気配が立ち上る。

 これはまずい。

 ガチで僕を殺す気だ。

 

 次の瞬間、彼女の足がコンクリートを鳴らした。

 鋭い突きが一直線に僕の胸を狙って飛んでくる。

 

「ママがいなくなってから、夜が来るたび、私は一人で泣いていたわ!」

 

 即座に腕を上げてガードするも、すぐに次の一撃が来る。

 珍子は寸分の無駄もない動きで前足を引きながら腰を回転させた。

 

 今度は回し蹴り。

 僕は咄嗟に屈み、ギリギリのところでかわす。

 

「でも淫夢を知って、貴方と出会えた。くだらなくて、馬鹿みたいで……でも、それが私を救ってくれた!」

 

 避けきったつもりだった。だが、珍子の足は途中で止まる。

 そのまま蹴りが軌道を変え、裏回し蹴りとなって僕の側頭部を捉えた。

 

 衝撃が走り、視界が揺れる。

 屋上の縁に立つこの状況で、足元が乱れるのは致命的だ。

 

 ヤバい、落ちる──!

 

「なのに貴方は私の前から姿を消して、貴方との唯一の繋がりであったニコニコ動画も無くなった!」

 

 珍子は容赦しない。

 前に踏み込み、短い間合いから肘打ちを繰り出してくる。

 僕は反射的に腕を上げて防ぐも、衝撃で足が柵の向こうへとズレる。

 

「結局、みんな私から離れていってしまう! それなら何に縋って生きていけばいいのよ!」

 

 風が半身を撫でる。

 体の重心が、空へと引き寄せられる感覚。

 僕は咄嗟に掴んだ右手で屋上の縁にぶら下がった。

 

 右腕にかかる自分の全体重。

 コンクリートの先端にしがみつく指先は冷たく痺れ、汗と血が滲んでいるのがわかる。

 

 落ちる。

 そう理解した瞬間、腹の底から冷たい恐怖が這い上がってきた。

 

 さっきまで赤色だった世界は、時間が経って濃紺の幕に覆われている。

 吹きつける夜風が容赦なく体温を奪い、下を見れば地面は遠く暗い闇に沈みつつあった。

 わずかに足を動かせば、靴底が虚しく空を踏む。

 

 殴られ続けたこともあって右腕は既に限界に近い。

 足を掛け直すこともできず、じわじわと指が滑っていく感覚が恐怖を煽る。

 だが、それ以上に耐えがたいのは──目の前の珍子の表情だった。

 

 珍子は泣いていた。

 

 手を握り締め、唇を噛んで、涙を流して僕を見下ろしている。

 憎しみとも、怒りとも、悲しみともつかない感情が入り混じった顔。

 まるで、どうしていいのかわからない子どものような顔。

 

 僕は歯を食いしばりながら、彼女を睨みつけた。

 

「僕だって、君にふさわしい立派な人間になりたかった!」

 

 声が掠れる。

 けれど、珍子は泣いたまま動こうとしない。

 

「だけど現実はどうだ! 僕は人を傷つけるばかりか、君をホモビデオで笑う怪物にしてしまった! それがたまらなく苦しかった!」

 

 泣きながら、それでも彼女は叫ぶ。

 

「ならどうしてこんなところに来てしまったのよ!」

 

 僕は息を詰まらせ、そして──迷わず叫んだ。

 

「君が泣いているから!」

 

 その瞬間、闇夜に沈んだ校舎の壁に突如として光が走った。

 正面の旧棟の外壁いっぱいにプロジェクターから巨大な映像が投影され、同時に校内のスピーカーから音声が流れる。

 

イキスギィ! イク! イクイクイクイク…アッ……ァ、ンアッー! (野獣の咆哮)

おしりおま◯こ壊れちゃう! はぁ↑おま◯こ壊れちゃぁぅ↑はぁはぁはぁ。太いわぁー

たくや? 今店にお客さんが来て指名が入っています。すぐ来れますか?

パイパイパーイパパイニ"チーッチッチッチッチッチッチッズオォ

 

 およそ学校では流してはいけない映像と音声。

 きっと全校生徒が見てしまったことだろう。

 どこかで誰かの吹き出す声が聞こえて、静まり返っていた校庭が一気に騒がしくなる。

 それは僕が作っていたBB先輩劇場だった。

 

 だいちくんと別れる時、頼んでいたのだ。

 日が落ちるまで時間稼ぎをするから、このUSBメモリの中身を学校中に見せてやってくれと。

 

「な、何が起きているの? どうして学校で淫夢が流れているの? しかもこれ、私が見ていたBB先輩劇場の続きじゃない!」

 

 珍子は信じられないものを見るような目で校舎の壁に映し出された映像を凝視していた。

 

「……君はニコニコ動画が無くなったと言っているけど、新しく動画を作ることは出来るんだ」

 

 僕はまだ右手一本でぶら下がったまま、彼女を見上げて笑う。

 

「もしかして、あなたがこれを?」

「そう、僕は淫夢動画の投稿者だ。君にはずっと黙っていたがな」

「そんな……」

 

 沈黙。

 しかし、スピーカーから流れる先輩の音声が二人の間に入り込む。

 

俺もやったんだからさ

 

 野獣先輩が僕を応援している。

 

「落ちたきゃ、落ちればいい。その時は僕もついていってやる」

 

 その言葉に珍子の指先が柵を離れた。

 

「でも、君が悲しみに泣いているのだとしたら、僕が淫夢動画を作り続けよう。そのために生きると決めたのだから」

「……貴方ってサイコーにイカれてるわ」

「君ほどじゃない」

 

 珍子が手を伸ばす。

 僕の腕を掴み、全身の力を込めて引き上げる。

 気づけば、僕は彼女に抱き寄せられていた。

 

やりますねぇ!

 

 彼女が僕の肩にぐりぐりと額を擦り付けてくる。

 僕はそっと腕を回し、彼女の背中を抱いた。

 

「僕を死なせなかった礼に、君のことを不幸にしてやるよ」

 

 珍子が顔を上げる。

 涙を浮かべたまま、不思議そうに瞬きをする。

 

「だから、死ぬまで人権侵害コンテンツで笑わないか?」

 

 僕がそういうと、珍子はその意味を考えるように一瞬黙り込んだ。

 そして、驚いたように目を丸くした彼女はとびきりの笑顔を浮かべた。

 

「もう、一生離さないんだから!」

 

 泣きながら心の底から嬉しそうに笑う彼女を見て、僕も笑った。

 

Foo↑気持ちぃ~

 

 真っ暗闇の夜の中、淫夢動画の光だけが二人を照らしていた。

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