番外編「良い世来いよ!」(INMU KING編)前編
2810年。
それはまさしく野獣の時代であった。
すべての始まりは、動画投稿者やじゅまんの傑作『INMU KING』だった。
投稿から893日で再生回数は1145141919億を突破。
国内外の著名人がこぞってダンスを真似し、G364364が下北沢で「野獣宣言」を採択。
翌年には国連が野獣先輩を人類共通の文化遺産として登録。
さらにその翌年、在野の淫夢厨によって開発された野獣先輩AIが世界一イキスギた人工知能としてギネス世界記録に認定された。
以降、世界は急速に野獣先輩を中心に回り始める。
コンビニでは野獣先輩の顔がプリントされたマシュマロが販売され、学校教育では古典の授業に『真夏の夜の淫夢』が導入された。
経済学者はGDPを「GAY DANCING POINT」の略称と再定義し、厚生労働省は国民の健康増進を目的として全国民への野獣先輩ダンスを推奨した。
政治もまた例外ではなかった。
野獣党は野獣先輩のクローンを党首とする政党として発足。
対立政党の党首たちも次々に野獣先輩クローンへと置き換わり、国会は瞬く間に野獣先輩で埋め尽くされた。
最後まで抵抗を続けていた何度もリピー党党首変態オナニー青年アキラも、ある日、法定速度80km/hの高速道路を149km/hで走行し、スピード違反への謝罪会見中に「俺の全てを見てくれ」と切腹自殺。
こうして衆参両院の全議席を野獣党が占めるに至り、憲法第810条が国民投票によって改正された。
誰もが野獣先輩を知っていた。
誰もが野獣先輩を愛していた。
誰もが野獣先輩について語り、笑い、歌い、踊った。
そして、誰もが野獣先輩を知っているということを、誰も疑わなかった。
だからこそ、それが失われたとき、人類は何を失ったのかさえ理解できなかった。
◯☆
その日、日本中のテレビ、スマートフォン、パソコン、果てはラジオに至るまで、ありとあらゆる電子機器が一斉にジャックされた。
「アーイ、マゾチンポ、フル勃起完了ピカァ」
画面は暗転する。
砂嵐の向こうから、黄色い電気ネズミのペイントを全身に塗りたくった成人男性の姿が浮かび上がった。
「フレッ! フレッ! チーンポ! がんばれ♡ がんばれ♡ チンポ! 変態チンポ!」
スクランブル交差点の街頭ビジョンを見上げていた人々は、突然の映像に騒然となった。
画面の中の男は人目も憚らず
その異様な姿に人々は困惑し、眉をひそめ、ある者は悲鳴を上げた。
人は彼を変態マゾチュウと呼んだ。
「こんな、こんな気持ち悪い姿を晒してごめんなさいピカ」
声はひょろひょろと弱弱しい。
だが、その眼差しだけは憂いを帯びながらも不気味なほど力強く、画面の向こうにいる人々を睥睨していた。
「さあ、盛大にイっちゃうピカよ……」
そして変態マゾチュウが掃除機のスイッチを押し込むと、その直後、ニコニコ本社上空に巨大な光球が出現した。
光球はピンク色の輝きを放ちながら膨張し、やがて一本の極太レーザーとなって日本列島を貫いた。
ホモビーム。
その光を浴びた者は、野獣先輩に関する一切の記憶を失った。
野獣先輩という人物が存在したこと。
彼が残した数々の名言。
彼の出演した映像作品。
彼を題材とした無数のMAD動画。
彼を愛した人々の思い出。
そのすべてが、歴史から抹消された。
野獣党の国会議員たちは次々と姿を消し、野獣先輩AIは電子の海に溶けて消滅した。
野獣先輩のポスターは白紙になり、広島県呉市音戸町に設置された淫夢ポストは赤く塗り直され、ネット上の動画は最初から存在しなかったことになった。
そして、人々は何事もなかったかのように日常へと戻っていった。
◯☆
ホモビデオで笑わなくなった世界で、僕だけがホモビデオで笑う。
僕は知っている。
昨日までこの世界は野獣先輩で満ちていた。
誰もが野獣先輩の顔を知っていて、誰もが彼の言葉を弄んでいて、誰もが彼の素材を切り貼りして遊んでいた。
知らない人間を探す方が難しかった。
それなのに。
「なあ、野獣先輩って知ってるか?」
教室に入るなり、僕は友人の一人に尋ねた。
「……野獣先輩?」
友人は不思議そうに眉をひそめた。
「ほら、あれだよ。『お前やりますねぇスギ』の人。昨日、一緒に踊ってたじゃん」
「知らねえよそんなの」
「いや、だから……」
「つーかお前誰だよ、朝から気持ち悪い話すんな」
友人はそう言って、スマートフォンに視線を戻した。
そして、彼が再び僕に目を向けることはなかった。
昨日まで僕たちは放課後、毎日のようにグラウンドの隅で「INMU KING」を踊っていた。
僕が歌を踊って彼がすっころんで、二人で腹を抱えて笑った。
そんな思い出も野獣先輩が消えたことで最初から無かったことになっていた。
僕たちは野獣先輩を笑うことで繋がっていた友だちであり、そうでなければ他人でしかない。
僕は多くの友だちを失った。
そして、野獣先輩という共通認識を失った世界は、分かり合えない隣人に戸惑いながら分断されていく。
互いを理解できないことが不安を生んだ。
不安は疑念に変わり、疑念は憎悪へと変わった。
やがて小さな諍いは大きな争いへと発展し、人と人、国と国との間に越えられない溝が刻まれていった。
あとは滅びゆく世界だけが残された。
世界は野獣先輩を忘れてしまった。
彼の面白さを。
彼を通じて隣人と笑ったことを。
誰かと野獣先輩を笑う感性を共有するだけで人は少しだけ優しくなれるのだということも。
誰も知らない。
僕だけが覚えていた。
残された僕は、荒廃した街並みを一人で歩いている。
ふと、胸の奥からある言葉が浮かび上がった。
──野獣先輩が必要だ。
どうやって野獣先輩を取り戻すべきか、僕にはわからない。
世界中の誰もが忘れてしまった。
映像も、記録さえも残っていない。
彼が存在したことを示しているのは僕の頭の中にある記憶だけだった。
それでも。
僕はあの時間をなかったことにされたくなかった。
くだらない動画を見て、馬鹿みたいに笑ったこと。
大切な人とのつながりを。
僕は顔を上げた。
取り戻す。
誰かと一緒に野獣先輩を笑える世界を。
そして、長い旅が始まった。
引用
やじゅまん様『【MV】INMU KING / YAJU-MC』
番外編「同じ阿呆なら踊らにゃオォン!アォン!」は完結の目途が立たないため記録を取って一旦非公開にしました。
申し訳ございません。