【完結】気になるあの娘は淫夢厨   作:コベヤ

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第六章「逃れられるカルマ」

「さて、次は私の番よ」

 

 珍子はスマホを手に取り、慣れた様子で操作する。

 しばらくすると、テレビにスマホの画面がミラーリングされ、学校で見ていたホラー淫夢のBB先輩劇場が映った。

 

 数分再生して、僕は違和感を覚えた。

 なんか音がいいのだ。

 さすがお嬢様、良いスピーカーを使っている。

 せっかくだから僕は雰囲気をより高めたくなった。

 

「なあ、せっかくのホラーなんだから部屋を暗くしてみないか?」

 

 そう提案すると、珍子は動画を一時停止し、こちらを怪訝そうに見つめる。

 

「……なんで?」

 

 珍子は露骨に嫌そうな顔をしたものの、「その方が楽しめるから」と僕が食い下がると、「仕方ないわね」とため息をついた。

 そして、不満げな彼女を尻目にカーテンを引き、部屋の照明を落とす。

 薄暗くなった室内でテレビの画面だけがぼんやりと浮かび上がり、奇妙な緊張感が漂い始めた。

 

 最初は奇妙なBBを使ったツッコミどころ満載の演出や、下品で辛辣なセリフの応酬に僕たちはくすくすと笑っていた。

 けれど、次第に物語が進むにつれて雰囲気が出てきた。

 部屋を暗くした影響だろう。

 下手したら僕も怖いかもしれない。

 

 画面が暗転し、不気味な効果音が流れる。

 ノイズ混じりの映像の中で、人影が血の涙を流して不気味な声で泣いている。

 

「ひいっ!」

 

 珍子が短く息を呑む。

 次の瞬間、彼女の手が震えながら僕の腕を掴んだ。

 力が入りすぎていて、正直痛い。

 

「痛いんだけど」

「うるさい! 怖いの! 文句言わない!」

 

 反論の余地もなく、僕の腕は彼女の指にぎゅうぎゅうと締め付けられたままだった。

 

 そして、さらに不気味な演出が続く。

 唐突にデデドン! (絶望)の音源とともに、画面いっぱいにシンメトリーの異形の顔が映し出された。

 異形は赤子のように泣き続け、その声はコメント禁止とシーク禁止の中で大きくなり続ける。

 

「んぎゃあっ!」

「うがっ!?」

 

 今度は珍子がぶつかるように距離を詰めてきた。

 僕の横で小さく丸くなり、抱え込むようにしながら僕の太ももにしがみついている。

 

 怖がりすぎだと思いつつ、珍子の暖かく生々しくも柔らかな固さを感じて、僕は背筋を伸ばしたまま硬直した。

 

 恐怖演出が来るたびに、珍子はさらにもぞもぞと身を寄せてくる。

 腕、肩、そして上半身まで密着してきて、僕はもはや画面を見るどころではなく、なんとか彼女に触れないようにのけぞるのが精一杯だった。

 

「あのー、珍子さん? ちょっと近すぎますよ?」

 

 けれど、珍子はすっかり怖さに呑まれているらしく、僕の声なんてまるで耳に入っていない。

 映像の恐怖より、彼女との近すぎる距離で僕の心臓は限界を迎えつつあった。

 

 そんな試練のような時間を耐え抜いて、ようやく動画が終わった。

 

「……疲れたよ」

「……ホラーは苦手だったけど、なんとかなったわね」

 

 この情けない姿を見て本当にそう思うかね。

 僕はようやく珍子を引き剥がすと、照明をつけ、カーテンを開けた。

 外はすっかり夜の帳が下り、暗闇が窓の外を覆っていた。

 

「あー、そろそろ帰るか」

 

 凝り固まった体を解すべく、伸びをしながらそう告げると──

 

「泊まっていかないの?」

 

 珍子が平然ととんでもないことを口にする。

 

「いや、ダメだ。今日は『ヂ。―野獣の前後運動について―』の録画を見るんだから」

 

 すかさず否定すると、珍子はサササッと僕の後ろに回り込んで足を両手でがっしりと掴んできた。

 

「今日は帰さないわ! こんな怖い映像見せられた後に一人でいるなんて絶対イヤ!」

 

 とんでもない力で足首を握られて、僕は恐怖した。

 でも僕は折れなかった。

 

「だからって、僕が泊まるのはマズイって」

「じゃあ……せめて別の怖くない話で上書きしましょう?  ちゃんと車で家まで送っていくから」

「わ、わかったから、まず手を離して」

 

 靴下を捲ると、足首が真っ青になっている。

 珍子の力はホラー淫夢よりよっぽどホラーだった。

 

「ほら、まだ帰っちゃダメ」

 

 珍子が僕の手を掴み、逃げられないように強引にソファへ引き戻す。

 僕は引きずられるように腰を下ろした。

 

 そのまま珍子は隣にぴたりと座り込み、スマホを取り出して画面を操作し始める。

 

「私の好きな動画を見せてあげる」

 

 珍子が手元のスマホで何かを検索し始める。

 僕は帰りがどんどん遅くなるなぁとぼんやり考えながら、テレビを眺めていた。

 

「これよ!」

 

 唐突に画面が切り替わった。

 

「え?」

 

 テレビの大画面に映し出された映像を見て、僕は息を呑んだ。

 映っていたのは、長編のBB先輩劇場の第一話だった。

 

「貴方も知ってるわよね?」

 

 珍子がスマホを握りしめたまま、こちらを振り返る。

 

「……ああ」

 

 僕は画面から目を離せなかった。

 

「そうよね。BB先輩劇場で最も有名な作品だもの」

「……そうか、今はそうなってるのか」

 

 乾いた声が喉から漏れた。

 驚きと何か別の感情がないまぜになって、胸の奥がひりつく。

 

 動画が再生される。

 野獣先輩がぎこちなく動き、何かを発言する度に珍子は声を上げて笑った。

 

「ここ! ここすき! ここを見せたかったの!」

 

 珍子がテレビ画面を指差し、満面の笑みを浮かべている。

 

 僕はその様子を横目に見ながら、胃の奥が重くなるのを感じていた。

 こみ上げる吐き気を必死に飲み込み、表情を取り繕う。

 珍子は純粋に楽しんでいる。

 だからこそ、胸の奥が締めつけられるように苦しい。

 

 だって、これを作ったのは、他でもない僕なのだから。

 

 僕が人を傷つけた、罪の記録。

 

 そんなものを、彼女は笑顔で楽しんでいる。

 

 どうして、僕は一緒になって笑っていたのだろう。

 

 どうして、忘れていたのだろう。

 

 淫夢厨であることの意味を。

 

「でも、このシリーズの作者、途中で失踪しちゃったのよね」

 

 震える手でポケットの中のUSBメモリを握りしめる。

 固く握った手のひらがじんわりと汗ばむのを感じる。

 

「そういえば、貴方と知り合ったのもあの時だったわね」

「あの時?」

「ほら、私がYAJU&Uを踊ってた時のことよ」

 

 その瞬間、脳裏に蘇る記憶があった。

 ――あの日、放課後の教室。

 窓から差し込む夕陽の中で、珍子が一人、踊っていた。

 その場に偶然出くわし、僕はその姿に魅せられた。

 

「それとこれに何の関係が?」

「……ここだけの話よ」

 

 珍子は、少し恥ずかしそうに目を伏せながら続けた。

 

「ニコニコ動画が盛り上がればその作者さんが帰ってきて、続きを投稿してくれると思ったの。ほら、女子中学生が野獣先輩ダンスを踊ったらバズりそうじゃない? まぁ、実際はただの後追いだし、全然再生されなかったのだけれど」

「そうだったのか」

 

 数ヶ月ぶりの疑問が解消された。

 けどそれは僕にとって良いことだとは限らない。

 

「その人もどこかで見てくれるかな?」

「……さてな」

 

 気づけば動画は終わっていた。

 

「あ、ごめんなさい。結構遅くなっちゃったわね」

 

 時計を確認して、珍子が申し訳なさそうに眉を下げる。

 

「いや、いいんだ」

 

 本心では、少しでも早く帰りたいと思っていたくせに。

 

 僕は珍子の案内で家の外まで連れられると、黒塗りの高級車が車庫から出てきた。

 行きはこれで来たのだから、帰りもこれで帰してくれるのだろう。

 

 車の前まで見送ってくれた珍子が微笑む。

 

「また明日ね」

 

 僕は何も言えないまま、ただ曖昧に頷いた。

 

 車に乗り込んでドアを閉めると、車は滑るように夜の街へと走り出した。

 自宅がある場所を伝えたきり、車内は静寂に満ちている。

 

 窓の外には、都会の夜景が流れていく。

 ビルの窓に映る光、消えかけた看板、走り去るバイクの赤いテールランプ――それらが混ざり合って、どこか現実感の薄れた、夢のような風景を作り出していた。

 

 車が赤信号で停車すると、静かな声で運転手が話しかけてきた。

 

「……奥様を亡くされてから、お嬢様はずっと独りで塞ぎ込んでおりましてねぇ」

 

 突然のことで僕は戸惑ったが、すぐに珍子のことを言っているのだとわかった。

 淫夢ごっこをしているときは楽しそうなので忘れていたが、たしかに珍子は学校では笑わないことで有名だ。

 それが母を喪った悲しみから来ていたことを、僕は今初めて知った。

 

「でも、あなたの前では笑うんですねぇ」

 

 運転手の声は穏やかで本心から喜んでいるようだった。

 しかし、それを言われて僕はなんと返事すればいいのだろう。

 珍子さんはホモビデオの話をすれば笑ってくれますよって?

 泣くだろ、この人。

 

「いやぁ、しかし男の子を家に連れ込むとは思いもしませんでしたなぁ。なっはっは」

 

 信号が青になると、車は急発進した。

 僕はガクンと体を揺らされた。

 

 やがて車は自宅前に静かに止まる。

 

「お気をつけて」

 

 運転手の穏やかな声に見送られ、僕は自宅に帰った。

 しかし、どこで見ていたのだろうか、母は僕が黒塗りの高級車で帰ってきたことに驚いて、興奮気味に僕を問い詰めた。

 

「ちょっと、何? どういうこと?」

 

 僕が珍子──白鳥家の令嬢と知り合いであることを説明すると、母は「おお」と声を上げ、たいそう喜んだ。

 

「すごいじゃないの!」

 

 そういう反応が、僕は苦手だった。

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