【完結】気になるあの娘は淫夢厨   作:コベヤ

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第七章「全ての元凶」

 夜遅く、時計の針が頂点に届こうとしていた。

 

 部屋の明かりを落とし、頼りないデスクランプだけが机上を照らしている。

 目の前には淡々と光を放つパソコンのモニター。

 

 けれど、何かを始める気にはなれず、僕はただ机の端を指先でコツコツと叩き続ける。

 時計の針は静寂を噛みしめるように秒を刻んでいた。

 コップを傾けるたび、水が喉を伝う音が聞こえる。

 

 無意味な動作がやけに耳に響いて、その不毛さに耐えきれなくなった。

 

 僕は編集ソフトのアイコンにカーソルを合わせると、ダブルクリックした。

 次にUSBメモリをパソコンのポートに差し込む。

 ピコンと接続音がした。

 開いたのは、「第8話 タイトル未定」と名付けられたフォルダだった。

 

 再生ボタンを押すと、メッセージウィンドウで登場人物が会話を始める。

 長い時間が経ったせいか、作っている最中に感じていた不備も忘れて見入った。

 

 しかし、物語の途中で唐突に再生が停止する。

 未完成だからだ。

 

 真っ暗な画面を見て思い出した。

 この先のない感覚。

 この不安。

 僕はいつもこの孤独を抱えて生きてきた。

 

 設定集を読み直す。

 プロットと照らし合わせる。

 それでも、次のテキストを綴ることができない。

 何かが足りない。

 でもそれが何なのかわからない。

 

 苦しい。

 珍子が僕の投稿を待っていることが。

 淫夢を忘れようとして、忘れられない僕の中途半端な在り方が。

 

 人の皮を被った出来損ないとして社会に仇なすことしかできない。

 他人事ばかりの世の中で、誰も聞いてくれない弱音を吐くことしかできない。

 そんなものが誰かを傷つける。

 

 僕にとって創作とは罪である。

 もういっそ、全てを消してしまいたいほどに。

 

 フォルダ内の全てのデータを選択する。

 右クリックをする。

 削除にカーソルを合わせる。

 人差し指を押し込もうとしたその時――携帯が震え、音が鳴った。

 

 画面に表示された名前を見て驚いた。

 珍子だった。

 

 僕は一度、出るのをためらって、それでも着信音が途切れないものだから諦めて電話に出た。

 

「もしもs――」

「なぁんで早く出ないのよぉ!」

「うるさ」

 

 僕は思わず、スマホから耳を離した。

 

「聞いてるの!?」

「……なんですか?」

 

 こっちは君のせいで死ぬほど悩んでたっていうのに。

 雰囲気ぶち壊しだよ。

 

「ちょ、こ、ト、トイレに行きたいのだけれど」

「はぁ? どうぞ行ってくださいよ」

 

 僕は顔を顰めた。

 

「こ、怖くて部屋から出られないのよ!」

「そうですか」

「そ、そうですかじゃなくて! 私はどうすればいいのかしら!?」

「んー、とりあえず水でも飲んで落ち着いてください」

「わかったわ!」

 

 ドタドタと部屋中を走り回る音が聞こえる。

 

「飲んだわ!」

「いや、トイレ行きたいっていうのに水飲んだら、より悪化するでしょう。あんたバカァ?」

「はああああああ!? 貴方が言ったんでしょう!? どうしてくれんのよ!?」

「コップとかにすればいいんじゃないですか?」

「そんなの溢れちゃうでしょ!」

「じゃあ、ペットボトルとか水差しとか」

「無理よ。照準が合わないわ!」

「ならベランダからならいいのでは? そうしたら溢れもしないし、照準を合わせる必要もない」

「私に人間をやめろって言うの!?」

「なんでもかんでも否定ばかり。もっと建設的な議論をしましょうよ」

「馬鹿! もう行くわ! 電話だけ切らないで!」

 

 バタンと扉を開く音がして、慌ただしい足音が聞こえる。

 そして、もう一度力任せに扉を叩きつける音がした。

 

「間に合ったわ」

「え、もしかして今トイレですか?」

「そうね」

 

 咄嗟に通話を切断した。

 流石に趣味じゃないというか、そこまでいったらドン引きだ。

 あのお嬢様、正真正銘の馬鹿なのではないかしらん。

 それに僕が人の排泄音を聞いてしまったら、音MADを作ってしまうからな。

 勘弁してほしいぜ、まったく。

 

 僕は大きく息を吐くと、パソコンをシャットダウンした。

 デスクランプを消して、階下に降りると、使ったコップを流しで洗う。

 戸締まりを確認してから、自室に戻って布団に潜って、目を閉じる。

 

 そのタイミングで、再び電話がかかってくる。

 

「はい」

「……あなたがいきなり電話を切ったせいでとんでもないことになったわ」

「あの、聞きたくないので、この話はもうやめましょう」

「そうね、私もこれ以上傷つきたくないわ。あと、敬語はやめなさい。距離を感じるわ」

「だって、距離を取りたいから」

「泣くわよ」

「ごめん」

 

 なんで謝ってるんだろう、僕。

 寝る前にうざ絡みされただけなのに。

 

「私が寝るまで、電話を切らないでね」

「AI拓也は聞かなくていいのか?」

「今、シモの話はちょっと……」

「悪かったって。君が寝るまで起きていてやるから」

 

 僕がそう言うと、電話の向こうでごそごそと何かが動く音がした。

 珍子も布団を被ったのだろう。

 まさか珍子と寝落ちもちもちすることになるとは。

 人生、よくわからないものである。

 

「ねえ」

「なに」

 

 あー、なんか添い寝してるみたいでヤバイなこれ。

 珍子の家に泊まるよりもまずいことしてるかもしれん。

 

「ねえ」

「なんだ」

「ねえ」

「どうした」

「……話すことが無いわ」

「……たしかに」

 

「あ」

「い」

「う」

「え」

「お」

 

「か」

「き」

「く」

「け」

「こ」

 

「しりとり」

「リンゴ」

「ゴリラ」

「ラッパ」

「パンダ」

 

「私って会話苦手部なのね」

「うん」

「淫夢のことしか話せない」

「それ僕にも刺さるからやめれー」

 

「あなたもそうなの? そういえば、私貴方のことをよく知らないわ」

「僕だってよく分からない」

「そういうのいいから」

「あぁん、ひどぅい……」

 

「……ねぇ、貴方どうして淫夢厨になったの?」

「友達に、スズメバチに刺されるゆうさくを見せられたから」

「貴方友達いたの?」

「泣くぞ」

「ごめんなさい」

 

「まあ、君と知り合うよりも先に縁が切れてしまっているからな。そう思うのも無理はない」

「……そ、そうだったのね」

「今気まずいって思った?」

「そ、そんなことないわ! それに今はもう私がいるじゃない!」

「声がでかいぞ」

 

「私が淫夢厨になった理由に興味ないかしら?」

「話題の逸らし方が露骨だが、たしかに気になるな」

「……私が淫夢厨になったのは、貴方がきっかけなのよ」

「僕?」

 

「ほら、貴方、ずっと前にグループラインで誤爆したじゃない」

「……何を?」

「淫夢動画を」

「……マジか」

「大マジよ」

 

「うわ、思い出した。だいちくんに送ろうとした動画を間違えてグループラインに共有したんだ。あの時は流石に生きた心地がしなかった」

「たしかに貴方はすぐ消したわね」

「というか、なんで君は知っているんだ」

「貴方が消すより先に見たからよ」

「見てしまったのか」

「ええ、そして出会ってしまったのよ、例のアレに」

「……例のアレ」

 

「最初は不快でしかなかったわ。でも不思議なことにだんだんと暖かさを感じるようになるの。そうなったらおしまいね。ハマったわ、それはもう」

「……そうか、僕が原因か」

 

「それで貴方といつか話してみたかったのよね。あの動画を送りつけてきたのですもの、絶対に淫夢厨だと思ったわ」

「だから僕のことをチラチラ見てたんだな」

「気づいていたの?」

「他人の視線には敏感でね」

「なら、声をかけてくれたら良かったのに」

「それは無理だよ」

「どうして?」

「君と僕は違う人間なのだから」

 

 僕は罪人だ。

 たくさんの人を不幸にした。

 珍子を淫夢に引き込んだ。

 孤独に耐えきれずに。

 すべて僕のせいだ。

 

「……ねぇ、聞いてる?」

 

 その声を聞くと、涙が出そうになるのはなぜだろうか。

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